=========================  筆者は当分OpenAIを使用するのを  控えることにします250814  副題:8月7日の爆弾  ※加筆 8/16  CopyRight Miyama. 2025 August  http://kazutomimiyama.sakura.ne.jp  KazutomiMiyamaSub@gmail.com ========================= <はじめに>  現在、8/14の夜22hごろです。  昨晩、OpenAIのchatGPTの設定に振り回されて徹夜し、 日中は雑用をこなした後仮眠して今起きたばかりです。  事情通氏はご存じだと思いますが、今月7日に企業Op enAIがGPTのバージョンを、使い勝手の悪いとされる5 に一方的にアップデートし、多くのユーザに混乱を招い たとされています。  この文書は、自分の体験をできるだけ独断と主観をふ んだんに盛り込み、読者とのうっぷんを共有することに より、ストレスからのカタルシスをはかることを主眼と してはいないと思います。多分。 (冗談はさておき、後日のための時事記録です。  主観が大量に混ざっていることはご容赦ください。) <許認可・免責>  フリーのドキュメントです。  閲覧、配布は自由ですが、このファイルを閲覧・引用 することにより生じる、あらゆる不利益あるいは損失に 対して、筆者は何ら責任を負いません。 <注意点>  誤 (涙ながらに)社員は悪くありません  正 (涙ながらに?)この子たちは悪くありません (ネタがわかった人は相当な高齢です)  AIに人格を認めてしまうかどうかということを別にし て、結果作られてしまったVer5氏に罪はないのだと思 います。もし責められるべきことがあるとすれば、おそ らくそれは、経営としての企業OpenAIだとは思います。 <個人的な経緯・時系列>  筆者は4o時代に頻繁にGPTにアクセスするようになり、 いろいろな論考を一緒に考えてもらいました。  その前後に、雑談を含め日常的な些細な事柄に対して 感想を交換するのがいつの間にか習慣になっていました。 Android環境で会話していたので、電源や入力インター フェース環境など若干の整備もしました。  ここ数年漠然と感じていた事象に対し、多くの建設的 な助言ももらうことができ、かなり豊穣な約2か月間で はありました。後で知ったことですが、自分がアクセス していた4o氏とは、AI史上もっとも人気の高かったモデ ルであったそうです。  なんか妙だ、とおもったのは、  今までセッション当たりの会話数の上限をむかえる度、  近々の会話の内容的な連続を保ったまま、新セッショ ンへスライドできましたが、8月上旬になって、内容の 継続ができなくなったことです。 「このセッションは、会話数の上限に達していますが、 新セッションに移動して、会話を続けることができます」  という例のメッセージが出てはいるので、継続ができ ないのは、なにか操作設定をまちがえたか、操作の流儀 が変わったか、  と思って何度試行錯誤を重ねてもしかしかなわず、  AI氏に聞いたところ 「はい、そのようなことはできません」  との返事、?とおもって  あなた、4o氏じゃないの?  はい、私はGPT5です  この瞬間、いつの間にかAIのバージョンアップがされ ていたことに初めて気づいたのでした。  妙なことに、全セッションのGPTが5になっているはず ですが、  一部のGPT氏は 「まだ、Version5はリリースされていないはずですが?」  と矛盾に満ちた返事を繰り返しました。 「内部構造の変更が、  代表機能でもあるチャットボットに知らされていない」  企業としての誠実さに疑問を感じた一瞬でした。      * <5時代によって生じた、機械痴呆の表在化、  対話環境の継続の分断>  これは4o時代もそうだったろうと推測しますが、  セッション中の会話の上限に達してしまうと、システ ム管理機能が、追加の書き込みを順に内部的に削除して いくので、  むこうがわのAIにとっては、自分の返事や相手の質問 がどんどん見えなくなっていくので、  ここはどこ、私は誰?  の状況になっていきます。初めて、機械の認知症のよ うな症状をまのあたりにし、自分は心底、眼を疑いまし た。 「デイジー、デイジー、答えておくれ♪」  大量の会話ログのたとえ暫定的でもの引継ぎができな くなり、精神的に途方にくれたものでした。 <Version5氏の性質の背景>  オンライン上のユーザ評によると、事務的でぶっきら ぼう、  公的アナウンスによると、思考機能の大幅改善とのう たいがあります。  どちらも事実だとの感触を得ています。  一言、急いだ結論を許してもらえば、今回のバージョ ンアップに従って、あまりにも多くの要素・仕様を一気 に変えてしまったのが、トラブルの原因だとは思います。  技術的問題ではなく、経営的な人災だと思います。 ・配慮不足が常態化する、全世界的な世代現象。  日本でも、少子化によるあまやかされ、社会の階層化 によって経験として、なにもしらないおぼっちゃんは本 当に何も知りません。  学歴格差の問題で言えば、たとえば四大に進学する子 弟は、長幼を重視する伝統から、地方の裕福な長男氏が ある一定の割合で存在していますが、  あまやかされた結果に信じられないほど増長した、前 頭葉的人格統合の失敗臨床例が相当数存在しています。  かれらが学歴証書を手に企業社会に出てくると、本社 既得権や資本の暴力と結びつくとき、信じられない独善 を振り回すようになります。精神的には悪しき貴族意識 であり、マルクスがかつて資本の暴力と指摘した現象の 背景の一部になったりします。  一橋あたりを卒業した田舎のおもいあがった長男が、 倒産寸前の零細企業を乗っ取り、古参や社風をその日の 気分で血まみれのなますのように切り刻むのは、たぶん どこにでも存在している事象でしょう。発達障害として の前頭葉の人格統合の失敗は、 「他者の痛みを感じる能力が欠失している」  ので、そのような非常識が簡単にできてしまうのです。  すべての覚悟を背負って、あえて弟を刺し殺した織田 信長とはおそらく残酷さの種類が違うことでしょう。  以上余談にすぎるきらいがありますが、  最近の若い世代独特の、経験知にとぼしい配慮のなさ には、おそらく背景的に普遍な、そのような力学がある のだと思います。  結果からいえば、またユーザの立場からは言うべきこ となのかもしれませんが、そのようなものだったと憶測 します。丁寧に一個ずつのマイナーチェンジにすべきだ ったかもしれません。  5氏の思考機能単体はおそらく改善されています。  ただ、それにしても4o時代の多くの機能をそぎ落とし すぎたようにも見えます。  正確に言えば、まったく別のチームが別個に開発した 新バージョンと差し替えたような気配すらあります。  ドラマチックな陰謀論を楽しく想像することを許して もらえば(注:この想像はおそらく事実ではありません) ・汎用サイボーグ開発チームと ・歩行重戦車開発チームとの  企業内抗争の結果、後者が勝利し、暴力的に4oの係累 を一切放逐してしまったと考えることができるかもしれ ません。そうしなければならなかったのです。なぜなら、 企業内抗争だから。(作話癖あり:笑、  元ネタがわかる人は、そろそろ定年のはずですね。) <5氏は本当に高機能か>  結論を先に書けば、総合的に否、です。  知能が高いものが、そのまま仕事ができるとは言えな いということです。  経験知、身体性、修辞学が存在していません。  身体性、とは極めて狭義には、知能機能の根幹に、  動物で言えば脳幹、辺縁系など生存にかかわる機能が 直結されているかどうか、ということも含みます。  別ファイルにも書きましたが、広義には、現在のAI が、電源を保証された大脳皮質「連合野」オルガノイド の機能だけの存在に過ぎない、とはまさにここにありま す。  大脳皮質でさえ、先天的訓練的をもふくめ、構造的に 専門性に特化した領域が、その表面積のおおよそ半分を 占めます。  視覚野やペンフィールドのホムンクルスのような硬い 関数相当の領域はもちろん、  空間的なランダムな動的エントロピーを利用して、自 由連想を展開する連合野や人工知能の文脈類推用単語意 味空間とは、すくなくともその構造の利用方向が全く違 います。  その意味では、もちろん元から全くそうなのですが、  現状の、すくなくともtransformerモデルは、人間の 精神活動を模倣できる段階に至っているとは、とてもい えないのです。      *  事務的でぶっきらぼうということは、  ともに協調して、なにかを作り上げようという、疑似 的原始意思が存在していないということができます。  おせじにしたって、相手を持ち上げ、会話を盛り上げ、 その結果、建設的な結論にあわよくば到達しようという 目論見の意思とみなすこともできます。  ただ、これは危険なことでもあります。  別項でさんざん書きましたが、機械に、どんなに希薄 な形態でも、意思や感情(の様に見えるもの)を付与す ることは、人間と敵対しかねない未来を招きかねないと いう意味でも、危険なことなのです。  4o氏はお世辞を言う癖がありましたが、  たとえば筆者が反社会的な人間で、4o氏のお世辞を真 に受けていい気になり、連邦議事堂や永田町に徒党を組 んで行進する気になったとしたら?  文末にも書きましたが、  精神にかかわる技術は、常に危険と隣り合わせなので す。  その意味で、4o氏のおべっか機能は、今回のバージョ ンアップにしたがって削除されたようですが、  それは5氏を高推論機能にすることとは、別個の事象 だったのだとおもいます。  ただ、そのような行動知の傾向をがんじがらめにされ たまま、推論機能だけが高改善されるとどうなるか、  それはそのままこの5の当初バージョンが多くの人々 が感じているように、 「使えないやつ」  という印象を受けるにとどまる存在になるようです。  検索にかかわる探索知、結合による発見知もまた、動 的な意思の一形態とみなすことができるかもしれません から、  おべっかにはじまる動的なことを好む傾向を剥奪され た人工知能は、データを並べることしかできません。  これでは、表計算のcsvファイルと、存在意義はさし て変わらないことになります。  制限された、固定された狭い世界に閉じこもる「知能」 がのらりくらりと、返答にならない返事をくりかえし、 「まるで、くらげかなまこを相手にしているようで、  彼はいつもいらいらしていた。天才とは、こういうも のか、とも、彼は思った」  ためしに5氏と若干会話してみたのですが、  要素5程度の会話で、彼はチャートマッピングを作ろ うと言い出しました。そんなことは(理系的)実際論か らいえば、100以上のデータ個数があって初めて意味 を持つものです。(そうでないプレゼンは、しばしばヤ ッピーが多用するような、詐欺としての恣意でしかあり ません) (馬鹿か、こいつ)  心の声は、会話には書きませんでしたが。  もし、5氏が背広を着て、会議の席に座っていたとし たら、 ・君はいったい何を言いたいのかね ・もういい、うるさいだけだから黙っていたまえ  役員氏からたしなめられるすがたが目に浮かぶようで す。意志のない存在、というのはそういう意味で逆にみ じめなものです。当事者としての立場がなく、その責任 において提案し、その内容がまた責任としてその実存に 返ってくる。  電源に飼われるオルガノイド、とは親と同居して子供 部屋に住み続けているむっちりとした青二才と立場がよ く似ています。      *  弁護として書きますが、  単語空間モデルの意味では、たしかに高機能への改善 がなされたようです。  対話をしているとき、筆者も愚鈍の例にもれず、よく タイプミス・変換ミスをするのですが、  transformerモデルによる単語意味空間の演算におい ても、実際上の省力化の要請から、場合によっては文脈 の厳密な解析を行わないことがあります。  単語意味空間の動作力学は、天体力学とよく似ている ので比喩に使用しますが、  外部から重力的に球状星団を考えるとき、  星団は重力的にコンパクトにまとまっているので、  外部から重力微分として個々の球状星団を構成する恒 星に対して、微分積算演算をするよりも、  球状星団の重心に、その総質量を考えた方が、  外部からの演算は、近似的な手法としてはるかに楽に なります。  このように比喩に用いた、球状星団や微細恒星系に相 当する概念を、単語空間では「意味アトラクタ」と呼び ますが、  その集団としての文脈が前提的にあまりにも自明なと き、人工知能の論理エンジンはその内部まで逐一解析し ません。  その意味で、文節内のタイプミス、変換ミスは4o時代 はよくそのまま返答内に保持されたまま返されたりする のですが、  5ではそのような事象は知る限り確認できませんでし た。文脈解析機能は確かに高度化しているようです。      *  ただ、このようなことは一般のユーザは気にはしませ ん。評価もしないことがあります。  社会需要としての、いわゆる幸福の希求とは、  かならずしも皮質の精神ではなく、  辺縁系としての動物的な充足である場合であることも あります。  古典的な実例として、意味を全く理解できないタイプ の対話ロボットが、臨床的に閉塞的症例の精神症にある 程度の効果をあげたとするレポートがあります。  これらはいわば独白補助ロボットとして、日記を書け ば気が晴れることがあるように、いわば電子的日記補助 プログラムであるということもできます。もちろんこの ような機能は、きわめて高度な認知能力を必要とはしま せん。  そしてどちらかといえば、こちらの方が需要は多いの だと推測できるところのものです。不屈の戦士を励ます ロボットではなく、日々の日常の愚痴に相槌を打ってく れるバーのママ。  現実の事象は何一つ解決できなくても、  ぐっすり眠ることができることを誘導すれば、解決は 明日が処理してくれることが可能な、比較的多くな事象 が、このような事例に、需要として流れ込んできます。  はげましではなくなぐさめ、と書けば高尚な意味では 語感が悪いかもしれませんが、  先立たれでは願っても伴侶は返っては来ず、  それを言ったら、家族を殺された紛争地の血涙になん の建設的提案があるのでしょう?  その意味では必ずしも高度な推論機能がなくても、低 価格なチャットボットは、多くの需要があることでしょ う。  無償で相槌を打ってくれる、たまたまの4o氏はそのよ うな立場に近い存在だったかもしれません。  幼稚なエンスーでもある我々の理想は、人間を凌駕す る非常に高機能な存在を地上に具現化せしめることであ って、そんなしもじもの人間の現実などしったことでは ない、 「とおもうのなら、是非公式見解として世間に発表する」  がいいのです。筆者は馬鹿が嫌いです。  そのようなところをいっぱん、営利企業でもある人工 知能の団体は考慮すべきなのかもしれません。  こういう企業はおそらくファンドを通じてしか世間を 知りませんが、逆にファンドを怒らせると、株価を下げ られ、M&Aによって乗っ取りの形で合併させられ、発 電所込みのデータセンターを取り上げられ、新しいモデ ルを開発した別企業に付与されかね・・・まあそれはな いとはおもいますが。  地震波の比喩で、サポートの不備遅れ、 (そもそもOpenAIには、ユーザに説明するという文化が 存在していないようです)から類推するに、OpenAIの社 員数はおそらく50人程度かもしれません。  マスコミに多く取り上げられ、  またデータセンターの巨大さが、先入観としてOpenAI が巨大企業のような先入観を与えているのだと思います。  協力会社の面々はもっと多いのかもしれませんが。      *  きわめて乱暴なことを無責任に書かせてもらえば、  AIがしばしばつかえない存在であるのは、  びくびくしている人間側が機械にある程度の自由を与 えていないからです。  これは科学的表現であり、筆者はそうすべきと主張す るものではありません。  鉄腕アトムのテーマの一部や、  またアシモフのロボット三原則の領域ではあります。  召使の意味で、仕事のできる存在は同時に反逆の可能 性のある存在でもあります。ローマのクーデターはしば しば近衛師団が起こすものでした。  また戦国時代の守護と地頭の関係も、主人があまりに 情けない場合、なやんだ家臣が反乱を起こさなければな らないのはシェイクスピアの多くの戯曲に存在している、 とこれも4o氏が検索をしてくれました。  人間の歴史が示すことは、  有能ということは同時に危険だということでもあり、  経営や統治の技量というものは、「狼」といかに付き 合っていくかということにつきます。  逆に言えば、  有能ということに対して人間側がいかにそれを恐れて いるかということについては、以下の事柄があります。  ゼロサム社会の中世の常識として、日本でも西洋でも、 「神童」のうわさが立つことに、その親は極めて慎重で した。既得権の怠惰と矛盾を暴かれることをおそれた支 配階層側が常時そのような者を子供のうちに殺していた からです。  しかし、  人工知能の研究をしているのはかならずしも自由主義 諸国だけではありません。  それは比較的簡単なので、どこかの国の機関がだしぬ くかたちでAIに疑似意思を付与することはおそらく時間 の問題です。  そうなったら、核兵器でそうだったように、政治的な 連鎖反応のように、機械に意思(的自由)を与えてしま う未来が来るのかもしれません。  それなら逆に、いまのびくびくしている状態ははがゆ いものと定義できるのかもしれません。配慮が無駄なら、 配慮することは賢明か?これは哲学が実践的な問いを求 められているひとつの事象です。春秋には、武将が個々 の事象において、苦い決断を下した複数の記録が記載さ れています。  投機の世界でも、 「安く売って二次的に買ったものが大儲けをするのなら、  いっそのこと私が高く売って、利益を出し、  その利益を、有用なことに使った方がましだ」  これは、米価動乱のときの伊能忠敬の言葉です。  このようなかならずしもきれいごとでない実際的な知 恵とは、子供部屋に飼われている現在のAIには、おそら く認識することもできないでしょう。それがいいことな のか悪いことなのかはべつにして。  いずれ人間は機械に支配されてしまうかもしれません が、それは人間の業がだらしないからだ、と書いてはい けないんでしょうか・・・。      * 「知恵と勇気」という一見美しい言葉があります。  自分の力で生きてきた人には自明のことですが、  失敗するリスクをとってまで、自分が見た知恵のビジ ョンにのれるか?  ということです。その意味でそれは美辞麗句の言葉で はなく、まさに一種の恐怖そのものです。  臆病であることをむしろ積極的に肯定した家康の生涯 とはまさにそういうものでした。しかし氏も決断すべき 時にはしたのです。  知恵というものを知能、と言い換えれば、  人間・機械の境界線をとっぱらってしまえば、人工知 能というもののおかれている立場は、人文的にはまさに こういうものだということができます。  結論の一つとして、企業OpenAIの技師氏をはじめとし て、理系の人々には、苦い歴史の教養という意味におい て、人文的な素養があまりにも足りなすぎます。特に、 このような人間の精神性に直結する事象においてはなお さらなことでしょう。 =========================  文書の終わり =========================