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 生化学個人的な覚え書き

「硫黄だらけ」
(たぶん仮説は、間違いだらけ)

 Sulfl991.txt/htm .zip Ver0.991

 CopyRight Miyama.
 2013 June

 −2015 April  1th 0.99
 −2015 April 24th 0.991

 kaz_kimijima@yahoo.co.jp
 www.geocities.jp/kaz_kimijima

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<目次>

 まえがき

 有機硫黄の章
 1 チアミン

 ◎硫黄の毒性
 ◎硫黄と金属
 ◎オキサリル基側の陰電荷の吸着?
 ◎窒素がαカルボキシルを引き抜く仮定
 ◎リポ酸はどこで働くのか
 ◎電気陰性度
 ◎硫黄だらけちょっとあとがき

 2 グリオキシル酸経路

 ◎酢酸の効率的な燃焼
 ◎補遺
 ◎補遺の補遺

 3 ビオチン

 ◎ビオチンにおける二酸化炭素付加反応
 ◎HMGについて
 ◎オキサロ酢酸に対する酢酸の重合について
 ◎アセト酢酸
 ◎コエンザイムAのエネルギー状態について
 ◎マロン酸コエンザイムAについて
 ◎反応蛋白質上のSH基について
 ◎コエンザイムA:CoAの構造
 ◎メチルマロン酸のメチル基移送反応について
 ◎葉酸とB12の関係について

 金属クラスターの章 :含む硫化物

 ◎価電子の解説
 ◎d電子の安定状態の考察
 ◎遷移金属の最外殻の電子配置について
 ◎余談項目題改名
 ◎マンガン
 ◎マンガン価数実例、最後に
 ◎マンガンとオキシドールについて
 ◎なぜ硫酸なのか
 ◎4価のマンガン

 4 銅 チトクロムC酸化酵素(チトクロムA)
 4−1    光合成と呼吸鎖電子伝達系の共通点について(レポート)

 4−1−2  チトクロムC酸化酵素(チトクロムA)の動作の詳細

 ◎キノン類および 中略 合成についての
  詳細

 5 モリブデン ニトロゲナーゼ

 ◎窒素固定の概念
 ◎なぜバナジウム

 5−1 なぜモリブデンなのか
 5−2 実験としての人工窒素固定のよって立つ概念

 5−3       導電冶金学とでも
 5−3−1      炭素・窒素の侵入型共有結合

 ◎イオン化傾向と良導電体であることの関係
 ◎銅族元素について

 5−3−2      硫化物について
 5−3−2−1     典型元素重金属の硫化物
 5−3−3      典型重金属の酸化物半導体
 5−3−4      酸化物的な窒化物半導体
           (2:3:比率としてのヘロブスキー石の結晶構造)

 ◎補遺 ヘロブスカイトの構造示成について v0.991

 5−3−5      ヘロブスキー石以外の基本結晶格子
 5−3−5−1     1:1比率の塩
 5−3−5−1−1    単純立方体として
 5−3−5−1−2    閃亜鉛鉱型格子
 5−3−5−2     1:2比率の塩結晶構造
 5−3−5−3     正四面体・正六面体(立方体)
             の格子変換について 参考:閃亜鉛鉱 v0.991

 ◎ダイヤモンド格子で見た場合の、蛍石の構造について
 ◎ヨウ化錫構造について

 コラム1 鉱石と創作

 6 マンガン 光合成とマンガン

 ◎マンガンの役割
 ◎余談
 ◎NADPの進化?
 ◎導電性高分子とは

 ◎共役結合還元体としてのケトン
 ◎ビタミンA不足としての倦怠感
 ◎そもそも光合成明反応とはなんであるのか
 ◎ATPではなくNADPであることについて

 6−1 暗反応

 ◎リブロース2リン酸について
 ◎反応にキシロースではなく、
  リブロースが用いられる理由について
 ◎マグネシウムについて

 6−2 光合成におけるマンガンと多価遷移金属原子
     酸化物二次充電池の概念について

 6−2−1 マンガンクラスターについて

 ◎マンガンクラスターの作用の実態

 6−2−2 光合成としての酸化物電池の概念について
      (人工光合成)

 ◎酸化物二次充電池としての光合成への理解/
  他

 6−2−2−1 酸化物半導体
 6−2−2−2 電子化物(エレクトライド)

 ◎炭素電極について
 ◎おまけ
 ◎雑考:π電子の酸性性

 6−2−2−3 色素増感型太陽電池というモデル系について v0.991

 ◎クロロフィルの場合
 ◎フェナントロリン
 ◎チオシアン酸
 ◎セメンタイトについて
 ◎ヨウ素について
 ◎色素発電に緑葉の絞り汁を入れることについて

 コラム2 日本料理はわきがが嫌いか

 あとがき 「知ることについて」


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 まえがき

 このメモは、生化学の資料を自分なりにま
とめていたノートを清書するにあたってでき
た副産物です。
 清書行為そのものは、とくに人に見えるス
タイルで書く必要性はかならずしもないので
すが、

 人の閲覧に耐えるほどの質の清書はまた逆
に、あいまいだった疑問などをあらためて浮
き彫りにする「副作用」が、有意ゆえに、

 清書作業を、公開前提で進めることにした
しだいです。

(以前製作した、数学種のファイルとその意
味では執筆動機は同じものです。)

 図版などもふくまない単純な内容、単純な
動機ゆえに、アーカイブのなかみはテキスト
だけです。

 個人のノートですので、まちがい、憶測に
すぎない部分も多々あるとおもいます。
 ただ、試行錯誤しつつもこのように思考し
ているのだなあというその過程をなぞってく
ださるだれば幸いです。

(量は原稿用紙で1150枚あります。)

・閲覧配布条件および免責

 フリーウエアです。一切の制限はありませ
ん。ただし、このドキュメントの内容で生じ
た事柄の一切の責任は筆者は負わないものと
します。

・ファイル

 プレーンテキストです。コンピュータの機
種は問いません。HTML版ファイルはエクスプ
ローラ3.0(HTML3.0)以上対応のブラ
ウザが必要です。

 図表はすべてアスキーテキストですので、
図版表示がゆがむ場合には、エディタ・ワー
プロソフトのフォント指定を「MSゴシック」
に明示指定してください。
(テキストファイル閲覧の場合。MSPゴシ
ックは不可。)

・内容を読解するためには

 大学の理系教養課程程度の化学と生物学の
知識が必要です。

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 まえがき

 ・・・じぶんの知らなかった、興味のある
生化学の分野を知識として整理をしていたと
ころ、
 その多くの物質や機序に、硫黄原子の振る
舞いがくりかえしでてきて、その八面六臂ぶ
りにかるくおどろいたことがありました。

 その意味で、このメモファイルの題名を
「硫黄だらけ」としたいとおもっています。

     *

 ◎硫黄の毒性

 以前、筆者は金魚を飼っていました。

 彼らは、人間の食べるものならほとんど
(しかし意外に好き嫌いがあります。)食べ
なんでもます。

 じつは市販の養魚餌は、栄養士のめでみる
とその成分はじつにぜいたくなものですので、
 家計的にはわたしたちの食事の残り物をお
もにあたえ、市販の餌はあくまでもビタミン
補給とこころえたほうがいいかもしれません。

 彼らが好きなものは、パンの耳、蓬蓮草の
おひたし(小松菜のおひたしは好みません)、
それからゆで卵です。

 しかし、ゆで卵の給餌で筆者は失敗してし
まいました。

 当時、半熟にやわらかくゆでたゆでたまご
の白身を、魚の口の大きさに合うよう、スト
ローでところてんよろしく円筒状に吸い、給
餌していたのですが、

 あまった固い黄身で失敗しました。

 栄養価が高いからやったほうがいいだろう、
と荒くほぐして水に沈めていたのですが、夏
場の暑いさかり、

 硫化水素が発生してしまったのです。

 ゆで卵の黄身は粉状にばらばらにくずれ、
魚がたべるまえより、さきに水に溶けて微生
物的に分解してしまったのです。

 3年育てた成魚が2尾、犠牲になりました。

 水棲生物にとって、水は宇宙船の空気、酷
暑の夏場はいっそほとんど給餌しないほうが
よいかもしれません。

     *

 硫化水素が毒性があるのは、
 硫黄原子がおなじ硫黄原子と結びつきやす
い性質があるからで、
 また体内の種々の重要な酵素の機能や構造
の維持に硫黄原子が関わっているからです。

 外来の活性型の硫黄は、そこに結びつき、
機能を撹乱・または停止してしまいます。

 硫化水素、硫化水素メチル(メルカプタン)
は毒性がありますが、これが硫化ジメチル
(DMS)になるとほとんど毒性を示さなく
なります。
 前者2種はSH(水素化硫黄)基をもって
いてこれが酵素蛋白質に悪さをします。後者
の物質はSH基をもっていないので、比較的
無害、ということでしょうか。水素化硫黄基
は容易に水素をはじき出して活性型の硫黄原
子になろうとします。
 硫化ジメチルの炭素と硫黄の共有結合は安
定なので、活性型の硫黄原子が剥き出しには
なりません。

 海辺の磯にたつと、海藻による独特の磯臭
さを感じますが、その香りの主成分はこの硫
化ジメチルということです。

 海藻がなぜこの物質を分泌するのかはいま
だ良くわかっていないらしいのですが、筆者
はこれは排泄物なのではないかと考えていま
す。
 魚類が、代謝窒素を捨てるとき、アンモニ
アを、尿素にするのではなく、わざわざC1
炭素を付加してトリメチルアミンとして廃棄
するアナロジーです。

 水中ではC1炭素を使用したほうが経済的
なのでしょうか。

 硫化ジメチル:DMSやその半酸化物、
 硫化ジメチルオキサイド:DMSO
は安定で比較的毒性が少ないので、溶媒やス
プレー缶の噴霧材につかわれています。

     *

 ◎硫黄と金属

 また、温泉では特に銀のアクセサリなどは
はずして入浴しなければなりません。溶け込
んでいる硫黄分によって真っ黒になってしま
うからです。
 箱根などの湯元では、おんせんたまごを湧
泉でゆでていますが、
 ゆでたまごの黄身が黒くなるのは、卵黄に
含まれている鉄分が温泉の硫黄分(硫化水素)
と結びついて黒色の硫化鉄をつくるからです
(食べても害はありません)。

 硫黄はこのように、活性生体有機物とも、
金属とも親和性のある結びつきをするので、
生命体のなかでそれこそ十億年単位で、深い
結びつきのある物質らしいのです。

 私は研究者ではないので、「なのです」

 とえらそうにいえないところが、また、こ
ころぐるしいところなのですが。


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 有機硫黄の章

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 1 チアミン

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 チアミンは、リポ酸と共同でオキサリル基
からα位のカルボキシル基を酸化的に引き抜
き、脱炭酸をします。

 重要な反応は、ピルビン酸から二酸化炭素
を引き抜き活性酢酸:アセチルCoAを作る
こと、
 おなじくαケトグルタル酸から二酸化炭素
を引き抜き、コハク酸CoA(スクシニルC
oA)を作ることです。
(生化学進化史における、クエン酸サイクル
チェーンの完成)。

 ともに最終産物は、コエンザイムAのSH
にチオエステルの形で渡されます。

 オキサリル基とチアゾール環をならべてか
いてみると、
 オキサリル基のα脱炭酸には、SS原子団
をふくむ炭素五員環であるリポ酸が補因子と
して必要とされます。

 チアゾール環の挙動は、その窒素と硫黄原
子のあいだで電子共鳴があるはずです。

 Rは修飾原子団

 ・―S     ・―S+
 || |     || ||
 \ //      \ /
  NR      NR
  +
  -eOH      -eOH

 アンモニウム型 スルフォニウム型

 R分子の性質にもよりますが、電気陰性度
(大まかに言えば原子の陰イオンになりやす
さ)からいってこの平衡は右側の状態のほう
に寄っていると想われます。

 この構造は、窒素と硫黄の電気陰性度に左
右されます(加筆、のちの項参照)。

 いっぽうオキサリル基のほうでは、

        β
 HO     O
   \   //
    ・―・
   //   \
  O     ・―R
  α

 という構造でふたつあるケトン基のうち、
α位のケト基に反応が作用するのがこの、チ
アミン脱炭酸反応の味噌で、

 β位の酸素(ケトン基)に作用するのは、
(後の項参照)β酸化とよばれる酢酸残基の
きりだし反応で、
 それはリボフラビンが、よりω方向のアル
キル基にオレフェン化酸化反応として作用す
ることによって実現します、
 これはおそらくフラビンのベンゼン核のπ
電子雲の鋼の板のような剛性(ばねが「びよ
ん」ともどるイメージ)になるのでしょう。

 ビタミン介在反応下の、極端な条件の合成
・分解反応ではたいてい不安定な二重結合を
持つラジカルが関与するようです。

 縮合反応としてテルペノイドの合成(ポリ
フェノールやコレステロールを含む)反応の
初期、
 クエン酸の生成に関わる反応もそのようで
す。

 これにも、生体内ではパントテン酸のSH
基が、関与しています。

 パントテン酸の末端単独SHとチアゾール
のSとはまた挙動が違うのでしょうけれども、

 おなじ硫黄原子の挙動として、
 参考に考えると、

 クエン酸サイクルの当初で、オキサロ酢酸
が活性酢酸を抱合してクエン酸を作るとき、

    O 活性酢酸
    //         β
 ・―・         O
    \       //
     S―CoA ・―・   O-
         /*  \ /
      O=・     ||
        |     O
        O-   オキサロ酢酸

 という反応で、硫黄原子が結果的に中途の
メチレン基(*印)に酢酸原子団を導入しま
す。

 この場合は、オキサロ酢酸側のβ位のケト
基が共鳴状態としてくだんのメチレン基をオ
レフェン化し、
 その二重結合に酢酸残基のω末端のメチル
基が付加結合するかたちをとります。

 つまり、また酢酸基のメチル末端はある種
の活性状態をとるはずで、それは単純アルキ
ルとしてメチル基のまま、重合反応に巻き込
まれるとはかんがえにくいものです。

 たとえば塩化メチルのような共有結合性が
高い物質が単独でエチレンやプロピレンに付
加重合し、とりこまれるようなはなしはあま
りきいたことがありません。
 付加重合は、極性のつよい分子あるいは電
離しやすい分子のほうが反応がおこりやすい
からです。

 ・・・活性酢酸の活性化状態とは、硫黄原
子のスルフォニウム状態のようなものをいう
のでしょうか。

 これにも硫黄と炭素の電気陰性度のような
傾向がかかわってきます。
 もし炭素と硫黄のそれがごく近いのであれ
ば(酸素よりも)、

       O
   H  //
   -・―・
   H   \
       HS―CoA
        +

 のような状態になることもありえるかもし
れません。

 もっとも、

     O-
    /
 ・=・
    \
    HS―CoA
     +

 の可能性のほうが高いかもしれません。

 また、

     O-
    /
 ・―・
   \\
    S―CoA
    +

 という状態もありえます。

 この硫黄は、とうぜん陰電荷と引き合うは
ずでありますから、

    O-  CoA
    |  /
    ・―S+ -O H+
   //  H /
 H2・ ・=・
     /   \
  O=C    ・―OH
     \   //
     OH:O

 という静電誘引状態になるかもしれません。

 二重結合の電子雲は電子を欲しがってシグ
マ結合になろうとするので、この概念的な中
間体のほうが理解しやすいのですけれども、

 ともかく、この酢酸とオキサロ酢酸の縮合
反応は、ふたつのビニル基どうしの反応(縮
合というよりは、ミニ重合)といったものに
近く、ケト基が主体になって反応するn、n
ジオールとしてのケタールRメチレン架橋
(フェノール樹脂やメラミン樹脂などのホル
マリン系合成樹脂を精製)とはことなる種の
もののようです。

 この推測がただしければ、アセチルコエン
ザイムAによる酢酸残基の導入は、かならず
オキサリル基のβ位の「すぐとなりの」炭素
残基に導入される理屈になるようですが、さ
て、実際にはどうでしょうか?

     *

 たぶん、チアミンのチアゾール環でのπ電
子五員環の特殊性もあるかもしれませんので
ことは単純ではないかもしれませんが、

 単原子あるいはラジカル原子団の受け渡し
にこのような窒素や硫黄の結合やその特殊性
による、炭素の共有結合のうけわたしがある
ことは本当かもしれません。
 例として葉酸がそうです。(葉酸では、一
対の窒素がメチレン基を輸送します)。

 チアゾール環とオキサリル基の正面反応で
は結果からみると、
 β位のケト基に酸素原子が手わたされなけ
ればなりません(酸化反応。結果として2H
がNADに渡される)。つまり、

 HO    Oβ
   \   //
    ・―・―R
    //
   Oα+H2O

で
 HO    O
   \   //
    ・―・―R
    / \
  HO  OH*

 という中間体が生成しているのかもしれま
せん。

 つまりアルデヒドのアセタール高反応活性
よろしくカルボン酸経由のトリオールが活性
状態として生成される必要があるのかもしれ
ません。

 残念ながらこういう酸素を介したエポキシ
のような状態については筆者は詳しくは知り
ません。

 これは、

 HO    O
   \  //
    ・―・―R
    / \:
  HO  OH

 という移行状態を介して

 O   O
 ||   ||
 ・  H・―R
 ||
 O  H2O

 という解離をみちびくのかもしれません。

 ◎オキサリル基側の陰電荷の吸着?

 チアゾールの窒素も硫黄もたぶんに陽イオ
ンになる傾向がありますからおそらくカルボ
ン酸との親和力もあることになります。

 コエンザイムAはβ参加においては結果、
βのケト基のとなりに割り込みますから、α
脱炭酸においては、そうならないようにする
作用気序があるのかもしれません。

 またα脱炭酸が原則オキサリル基にだけ作
用し、一般のカルボン酸に作用しないのにも
反応上の理由がありそうです。
(これはおそらく、脱炭酸をおこしたとして
も、酸残基をコエンザイムAが安定して受け
取れないことに理由があるのかもしれません。
:産物がアルキルチオエーテルになってしま
うことにくわえ、もともと反応性として、オ
キサリル酸にくらべてカルボン酸は(狭い領
域に酸素が集中しているオキサリル酸の状態
とくらべて)初期エネルギーが低いのかもし
れません。

 チアゾールの共鳴状態は素朴にいって、ア
ンモニウム状態のほうが自然にみえますから、

(電気陰性度からいえば必ずしもそうではあ
りません。数値からみれば、硫黄は窒素より
も陽イオンになりやすいとも読めます。)

 以下は、スルフォニウム態をも加味した共
鳴状態です。
 チアゾールとオキサリル酸は、

   R
   |
 ・―N+ ------ -O     O
 || ||       \   //
 ・ ・        ・―・
  \ /        //   \
   S       O     R

 共鳴

   R
   |
 ・―N     O     O
 || |      \\   //
 ・ ・        ・―・
  \//       /   \
   S+ ------ -O     R

(便宜上、窒素の位置入れ替えで反転)

 という静電塩のかたちで引き合うはずで、
この構図なら微妙な位置にある硫黄がなにか
の作用をするようにもみえます。

 可能性としては

 1 チアゾール側の
 ・窒素
 ・炭素
 ・硫黄と、

 αカルボキシル基側の
 ・酸素
 ・炭素
 ・酸素

 が中間体としての6員環を結成しそうだとお
もえる、

ことがひとつ、

 2 硫黄がまた、

 オキサリル酸側に共有結合の手をのばして
ちょっかいをだしそうだな、
(硫黄は陽イオンになると、炭素のsp2電
子雲によるΣ結合として、おおむね120度
の結合角を持つ腕を伸ばせるからです。)

 というのがもうひとつ。

 後者2の可能性を考えてると、この2分子
の活性状態としては、何員環をとるのでしょ
うか。

 活性の事例としてはこの可能性が高いよう
な気がします。
 化学反応の概念としては、反応を仕掛ける
側が活性中止の手をふたつ持っていることが
比較的重要で、
(その概念では、この場合の硫黄Sの第3の
結合は暫定的な「触媒とHしてのふたつめの
手」に相当します。)

 化学反応とは以下の図の例では、

 左から右へ反応がすすむとして、

 A  B  A……B  A――B
 |  |  |  |
 a   b  a   b  a   b
 [ X ]  [ X ]  [ X ]

 7員環の場合    6員環の場合

   R
   |
 ・―N O=・=O
 || |
 ・ ・
  \//
  S *・―O-
  +  |
   H2・―R

 6員環のモデルにもとづく

 H2O + *・―O- → O=・―O- + 2[H]
        |        |
      H2・―R    H2・―R

 この水は便宜上のもので還元媒体は何でも
かまいません。

 ここで気がつきましたが、

 オキサリル基側は、二酸化炭素を引き抜か
れたあと、アルデヒドになるので酸化されな
ければなりません。
(α脱炭酸はかならず脱水素をともないます。)

 おそらく、

 -eOH H+

   R
   |
 ・―N+-eO
 || ||  |
 ・ ・  ・=O
  \/  /
  +S―・―Oe-
    |
  H2・―R

 -eOH

   R
   |
 ・―N+-eO  O
 || ||   \//
 ・ ・   ・
 \ /   |
  +S    ・―Oe-
  | @  |\H
  S H+ →S ・―R
  |    | H
  ・--------・

 1 オキサリル基由来の水素イオンがリポ
酸硫黄を攻撃、

 -eOH

   R
   |
 ・―N+-eO  O
 || ||   \//
 ・ ・   ・
  \/    |
  +S    ・―Oe-
  |    |\ H
  S A← +SH ・―R
  |    |  H
  ・--------・

 2 陽電荷を得て3価共有結合態を帯びた
硫黄が分子内硫黄にSS結合を誘引、

 -eOH

   R
   |
 ・―N O=・=O
 || |C  D
 ・ ・    Oe-
  \//   / H
  +SB *・―・―R
      +| H
  S ― S [H]E
  |   |
  ・------・

 3 硫黄が結合を奪われ、


 4 チアゾールの結合態が変化、オキサリ
ル基の帯電が相殺して吸収され、
 5 反眺的に二酸化炭素が分離、
 6 分離したところに硫黄の水素原子が移
動、

   ↓+CoASH NAD+

       Oe-
      /
  E H・―H2・―R
 CoASH |
 S ― S+
 |   |
 ・------・
       O
       ||
       ・―H2・―R
       |
    F CoAS

 S ― S +2[H] (NADH + H+)
 |   | G
 ・------・

 7 コエンザイムA・SHが作用し、アシ
ルCoAが作成され、

 8 2水素がNADに渡される

 ・・・カルボン酸性トリオールの中間体は
必要ないようです。

 最終産物有機酸は、コエンザイムAにわた
されるなので、この反応は硫黄4原子カルテ
ット反応ということもできるかもしれません。

 つまり、図示すると

        R
      ・―N+      有機酸CoA
      || || CoA O
 チアゾール \ /  | ||       パンテテイン
 硫黄     S+  S―・―・H2―R 末端SH基
        |-eOH|
 リポ酸の   S  SH 2硫黄原子
        |  |
        ・----・

・以下のこの項、後日記入

 チアミン/α脱炭酸の項はこの化学のファ
イルを書き始めた当初のものでしたので、
 以上の記述はまだ化学反応に対する考察が
充分ではないところがあるようにみえます。

 有機化学の教科書を読んでいたところ、

 ピリジン、

 ・―NH
 || |
 ・ ・
  \//

 の溶液はむしろ弱い酸性をしめす、という
記述にぶつかりました。強アルカリ
(金属カリウムや苛性アルカリとの共溶融)
に対してたとえばピリジン酸カリウムという
べき化合物を作ります。

 つまり、ピリジンはアルキルアミンのよう
な分子陽イオンにはなりにくい(強酸とは塩
を作りますからまったくならないわけではあ
りません)ということになります。

 これは窒素が炭素よりも電気陰性度(いわ
ば陰イオンになりやすさ、窒素=3.0、炭
素2.5)が大きいことに起因し、
(ただしこれだけではアルキルアミンが陽イ
オンになりやすいことを説明できません。

 水溶液中でアミンが陽イオンになるのは周
囲に多量にある水分子の酸素原子:陰性度=
3.5との相互作用の帰結です。逆にいえば、
周囲の原子が酸素(の影響)ではなく炭素が
取り巻くようになれば、窒素は陰性原子とし
て振舞うようになるわけです。

 また、炭素は正確には陰イオンになりにく
いのではなく、最外殻の電子が充席と空席が
ちょうど半分なため、特に単原子やΣ結合で
あるアルキル態ではそもそもイオンになりに
くいともいえます。
 炭素は、π結合などによって強制的にこの
空席を満たしてやると、イオンになることが
できます。:アセチリドやシアン)、
また二重結合がもたらす芳香性によって、電
子が分子外ににげにくくなっていることを意
味します。

 おそらく、
          e- H+
 H・―N    H・――N    H・―Ne- H+
  || ||     |  ||     || |
 H・ ・H < H・  ・H < H・ ・H
   \/      \\/      \//
   ・e-       ・       ・
   H +H      H       H

 という平衡があるのでしょう。

 すくなくとも、ピリジンのピロール核のう
えでは、窒素の共有結合はアンモニウム態の
4本ではなく3本のほうが安定ということに
なります。
 筆者は同様な分子として、シアンを連想し
ました。

 HC≡N ←→ -C≡N +H+

 シアンの窒素は、同様にアンモニウム態を
とりません。この項目は、人工光合成のくだ
りで参照しています。

参照

(記憶に間違いがなければ、植物のシアンは、
尿素サイクルのアルギニンから、窒素部分が
引きちぎられてできます。
 青梅の青酸中毒のアミダグリンはその代謝
物だったかと記憶しています。

 梅やあんずとアーモンドは近縁の植物で、
アーモンドは梅の種の天神様をたべているこ
とになります。
 とうぜんアーモンドにも微量のアミダグリ
ンが含まれているわけで、その分解産物でも
ある青酸ガスは「アーモンド臭」がする、と
いうわけでしょうか。
 もちろん微量なので、アーモンドを食べて
も青酸中毒になるわけではありません。

 アミダグリンの「アミダ」はアーモンド
almondのことです。
 同様に、神経の扁桃体をアミダグラという
のも、アーモンドにかたちがにているもの、
といういみです。)

     *

 この性質を考えると、チアミンのチアゾー
ル核では、窒素は共有結合3本をとりたがる
と推測されますので、共鳴状態ではスルフォ
ニウム態のほうがより安定と推測されます。
(硫黄は炭素とおなじ電気陰性度2.5なの
で、5員芳香環のなかに埋没しやすい)

 また、ビオチンに対する考察(後述の項)
も加味してα脱炭酸反応を再考察しますと、

 チアゾール核のスルフォニウム硫黄に、オ
キサリル基のカルボキシル部分が引き寄せら
れて転移するとかんがえるのが自然なようで
す。
    R
    |
  ・―N
  || |
  \ //
   S+ -eOH

 スルフォニウム態チアミン
    R
    |
  ・―N -eOH
  || |      O
  \ //     //
   S+  -eO―・
       +H  \
           ・―R
           //
          O

    R
    |
  ・―N+ ←  +H    -eOH
  || ||    ↓
  \ /    [H]
   S+
   |
   ・     *
  // \     ・―R
  O  Oe-   //
         O

 つまり、チアゾール核の構造上の都合から、
酸化還元反応がおこることになります。

 カルボキシルを吸着したチアゾールはそれ
を二酸化炭素として放出し、もとにもどりま
す。

    R
    |
  ・―N -eOH
  || |
  \ //
   S+

  O=・=O (:CO2)

 残った還元力のある水素と、カルボン酸残
気をうけとめるための担体としてNADとコ
エンザイムAがかかわり、

 R―CO* + HS―CoA +[H] + NAD+ →

 R―CO―S―CoA+ NADH + H+

 となって(組成式的には)反応が完結しま
す。

 ◎リポ酸はどこではたらくのか

 おそらくアルキルメルカプタンでしかない
リポ酸に反応触媒能力はなく、あくまで反応
の主体はチアゾール核がαカルボキシルを引
き抜くことであってリポ酸はその残渣をうけ
とる役目なのだと推測されます。

 残渣 + S―S
      | |
      ・―・ →

          O
          ||
     HS S―・―R
      | |
      ・―・

 これがチアゾール側と結合体をつくるかど
うかはわかりませんが、チアゾール側の炭素
に水素を供与すれば、

    R
    |
  ・―N
  || |2H
  \ /
   S+   O
   |   ||
   S S―・―R
   | |
   ・―・

 とはこじつけられます。

 ・・・しかし、この水素も最後はNADに
渡されますから、二酸化炭素放出したあとの
チアゾールとリポ酸がSS架橋する必然性は
あまりないようにもおもわれます。

 ともかく

      O
  CoASH||
   HS S―・―R
    | |
    ・―・

   ↓

     O
     ||
 CoAS―・―R

    +

    S―S
    | |  +2[H] NAD
    ・―・

 反応のあらましをかんがえると、

 1 オキサリル基側のαカルボキシルが、
チアゾール側の硫黄に跳躍

 2 構造上要請から、チアゾールの窒素が
オキサリル酸の水素イオンを還元して陽電荷
を取得、
 発生した水素ラジカルは、リポ酸を還元開
裂、開裂したリポ酸はカルボン酸残基となっ
た、旧オキサリル酸に結合。

 3 チアゾール環の2重の陽電荷の反発力
により硫黄上の二酸化炭素を玉突き解離、
 チアゾールは初期状態に。

 4 NAD+とコエンザイムAによりリポ酸
複合体を酸化的に攻撃、リポ酸は初期状態に。

 こんなところでしょうか。

      *

 重要なことをひとつ。

(この項目は以降の「チトクロムC」の項目
で参照しています)

 おそらく、チアミンの発明により生物は有
機物を完全に二酸化炭素にまで酸化する手段
を手に入れたのだとも言えると想います。

 それまでは、生物はより還元的な環境のな
かで有機物をより分子量の小さな有機物に分
解することによってエネルギーを得て活動し
ていました。

 しかし還元的環境のコールタールのような
環境で生命が発生したと考えるのはおそらく
不正確で、巨視的にはそれは、
 有機物を酸素によって酸化して生きていく
というものではなく、
 より還元的な隕鉄金属が地球内部から火成
活動によって吹き出してくるのを、周囲の環
境が一次酸化する際に発生するエネルギーを
つかって生活するものに近かったでしょう。

 Fe→Fe2+ + 2e-

 あるいは

 Fe + H2O → Fe2+ + 2OH- +H2

 という反応で発生した電子や水素の周囲と
の反応から「はえてきた」現象枝がいわばわ
たしたちの遠い先祖だということができます。

 還元環境に存在する硫黄(火山ガスの硫化
水素と磁場やオゾン層のない高層大気の紫外
線が精製する硫酸イオンが反応して、硫黄コ
ロイドの微粒子が当時の海水には存在してい
たかもしれません。)はこのんでこの水素と
反応したことでしょう。

 おおげさに言えばこのような平衡があった
かもしれません。

 海底火山
 Fe + H2O → Fe2+ + 2OH- + H2

 深海
 H2 + S → H2S

 表層海水
 3H2S + H2SO4 → 4H2O + 4S

 高層大気
 H2S+4H2O+紫外線→H2SO4+4H2
(水素は比重が軽いので宇宙空間に逃げる)

 生命は、この平衡の2番目の過程に起源を
発する系のようです。

 じつは筆者はイメージとしてはこの辺りの
概念がまだよく整理されていないので、

 ・硫酸還元細菌
 ・紅色硫黄細菌(光合成細菌)
 ・硫黄細菌

 の区別が直感的にはごっちゃになっている
のでした。

 論理的には、前者2種は無酸素環境を要求
する嫌気性菌で、独立栄養生活を営む
(つまり有機物を作成する)と言う意味では
広義の植物性の菌です。

 硫酸還元細菌は、嫌気的発酵微生物(細菌)
であり、

・還元的有機物を組み替え、
・よりエネルギーレベルの低い有機物に分解し、
・低いレベルのエネルギーを取り出し、
・あまった余剰の水素を硫酸に与えて、

 結果的にこれを還元します。

 その意味では乳酸菌が、ピルビン酸に水素
を与え、これを結果的に乳酸に「してしまう」
こととおなじです。

 硫酸イオンに積極的に水素を与えてそこか
らエネルギーを取り出すもくろみがあったの
かどうかについては筆者は残念ながら知りま
せん。

 紅色硫黄細菌は、有機物を合成するための
エネルギーはバクテリオクロロフィル経由で
光からうけとりますが、
 その有機合成のための水素はやはり硫化水
素からうけとり、硫黄を排出します。

 なぜ水素供与体として硫化水素を利用する
のかというのは、化学合成の時代には、水H
2Oの結合を断ち切って水素を取り出すにた
る強力なエネルギー量子を化学反応から取り
出す(つまりそのような激烈な反応が生命細
胞のなかに存在しなかった)ことができなか
ったことに因ります。

 後ろの項で、すこし触れますが、光合成の
進化はまさにこの点を発展させたもので
 かつて(バクテリオ)クロロフィルは単に
光エネルギーからNADPH+H+を精製す
るだけでしたが、

 光のより強力なエネルギーを励起として
getすることに成功したクロロフィル系の一
部は、もっぱら水素を得るための水分解の過
程で、激烈な物質である酸素を産生すること
に励むようになります。

 これがシアノバクテリアで、シアノという
接頭辞は「蒼い」という意味です。

 藍藻ですね。

 藍藻が青い色素:フィコシアニンを含むの
は、光の補色関係の都合、当時の太陽がスペ
クトル的に赤黒かったかもしれません。

 最近、系外惑星の発見が相次いでいますが、
もし赤色矮星の惑星に生命が存在していたら、
その植物は地球の初期の植物とおなじように
青黒い葉をもったまま進化しているかもしれ
ません。(号数失念、日経サイエンス参照)

 硫黄細菌は、好気性菌なので、代謝的には
「半」動物に当たります。

 エネルギー的には従属生物ですので動物で
すが、
 有機物を分解してエネルギーを得るのでは
なく
 硫黄を酸化して得るエネルギーで有機物を
合成するところは、植物ともいえます。

 酸素を吸い、硫黄を酸化してエネルギーを
得、有機物を合成します。

    *

 還元硫黄をその内部に持つチアミン自体は、
おそらく古代の還元環境のなごりですが、
 有機物を極限の二酸化炭素にまで効率的に
酸化しつくすことの要請は逆に、
 光合成が成立して、有機物と酸素が大量に
供給されるようになって、皮肉にももっとも
要求される分子になりました。

 ◎電気陰性度

 電気陰性度とは、その原子がどれだけ電子
をひきつけやすいかであって、それがイオン
にどれだけなりやすいかどうかという(陰電
荷の)イオン化傾向のことではありません。

(陽)イオンになりやすいのがイオン化傾向
がおおきいということですから、イオン化傾
向が小さい元素がすなわち電気陰性度がおお
きいといってもいいような気もしますが、

 かならずしもそうではないようです。

 たとえば、電気陰性度からいえば

 酸素は3.5、
 塩素は3.0

 ですから、

 たとえば塩化ナトリウム(食塩)を空気中
に置いておくと、酸素が塩素を追い出して、
 すべてのキッチンにある食塩は酸化ナトリ
ウムに置換しそうな気もしますが、現実には
そうにはなりません。

 酸素が2価、塩素が1価であることも意味
があるような気もしますが、筆者にはよくわ
かりません。

 かといって数値がまちがっているわけでは
なく、
 電気陰性度に従って、酸素は塩素の電子を
「食って」塩素酸カリウムのような物質を作
ったりします。

 参考:おもな生元素の電気陰性度

 弗素 4.0
 酸素 3.5
 塩素 3.0
 窒素 3.0
 硫黄 2.5
 炭素 2.5
 リン 2.1
 水素 2.1

 電気陰性度の研究をしたのはあのポーリン
グ氏です。

 ◎硫黄だらけちょっと後書き

 反応をおいかけてみて、顔出す物質がかな
り嫌気的なことに気がつきました。

 おそらく、この合成系を自然が手にしたと
き、おそらく植物によって地球は有毒酸化ガ
スに汚染されてはいなかったと想われます。

 おそらくこれはミトコンドリアで主に行わ
れる反応なのであり(ミトコンドリアから核
に移動した遺伝子とその酵素は除く)、

 これは古い細菌のなかで発明された経路と
推測されます。

 ふるい時代、酸化反応とは酸素を積極的に
添加することではもちろんなく、有機物や物
質から水素を引き抜く作業だったはずで、む
かし、生命はそれを外部物質で行おうとする
とき、おそらく水よりも硫化水素をこのんで
供給媒体として選んだかもしれません。

 発生する遊離酸素よりも、硫黄の微細なコ
ロイド(どぶが黄色く濁っているのはこれで
す)のほうが生命にとっては安全だったから
かもしれません。

 硫黄は炭素と共有結合によって、鎖の長い
複雑な物質を作りますので、
 エネルギー系でもこのような還元的含硫物
質が多く顔を覗かせているのだろうとおもわ
れます。
 ちなみに酸欠気味の泥底の蜆:しじみが肝
臓によいとされるタウリン:βアミノエチル
スルホン酸(たぶん解毒作用にかかわってい
る)をおおくふくんでいるのはたぶん嫌気的
な環境の細菌が多く硫黄有機物を合成するか
らなのかもしれません。

 最初の生命はおそらく原始の化学合成嫌気
細菌で、
 海底鉱床のマグマから吹き出る隕鉄的な地
球内部の金属成分を海中に解けている硫化水
素で硫化物にするときのエネルギーで自分に
必要な有機物を合成していた存在だったのか
もしれません。

 つまりすなわち、鉄を食い、硫化水素を呼
吸していました。

(これは物質的には、星間物質の化学組成に
依存して生きる生命活動です。このような環
境では硫化鉄のコロイドができるでしょう。
 星間物質はほとんどが水素とヘリウムなの
で低温で水素と化学的親和性のある物質はほ
とんどが水素化物になります。:木星大気。
 また鉄やニッケルは水素化物をまったく作
らないわけではありませんが、:ニッケル水
素電池、隕鉄物質が惑星生長を起こす内惑星
領域の高温ではそれは分解しやすく地球型惑
星は金属鉄のおおきな核をもつようになり、
火山噴出物にも鉄分が含まれることにもなり
ます。
 また高温焼成期を通過するとはいえ還元性
の大気のなかでは有利酸素や酸化剤は存在し
ていないので、氷物質に由来する地球の大気
は、還元環境にありました。つねに硫化水素
やアンモニアは存在していたのです。

 金星の現在の大気が酸化状態なのは、くし
くも地球の光合成とおなじく、その原因は太
陽の光エネルギーです。金星では紫外線が上
層大気の水蒸気を水素と酸素に分解し、比重
の軽い水素を宇宙に引き剥がしてしまったと
されています。金星大気の還元力は宇宙に持
ち去られてしまいました。
(おなじような化学作用は地球でも起き、地
球大気の大部分を占める窒素は、同様な機構
によりアンモニアからつくられたとされてい
ます。)

 はからずも環境はまったく違いますが、地
球も金星も、その大気成分に酸化性の気体が
存在するという惑星規模の共通性は面白いも
のかもしれません。

 植物の誕生と活動は、惑星規模でみれば、
大気圏(水圏)現象のひとつです。
 地球の酸化性気体はもちろん酸素ガスです
が、金星のそれは、濃密な亜硫酸ガスと濃硫
酸の雲です。

 金星大気の濃硫酸は、もちろんクラーク数
的には地球における硫化水素のなれのはてで
す。硫化水素が、高層大気が太陽の紫外線を
受けて発生した酸素分子の絶え間ない攻撃を
受けて、ついには濃硫酸の雲となってしまい
ました。

 金星大気圏の硫黄は、地球本位の生命現象
からみれば不幸な歴史をたどったともいえま
す。

 地球の生命活動では、硫黄は還元相で多彩
な役割を担っていますが、過剰に酸化された
硫酸ではあまりそのような配役を演じること
はできそうにもありません。
)

 このような系の化学合成はエネルギー的に
は従属栄養なのか独立栄養なのかわかりにく
いものです。
 極端なことをいえば緑色植物でさえ、エネ
ルギー的には光のエネルギーに対する従属生
物ということができます。

 活発な太古の海底火山活動がほとんど一段
落すると、新鮮な鉄分や硫化水素は平衡的に
底をつくようになりますので、
 光を食い、役立てる必要がうまれてきます。

 最初の光合成細菌は、遊離酸素の害と、ま
た呼吸鎖の律速段階のために水を水素供給体
として利用することはできませんでした。

 水の分子を植物が光合成のために利用をす
るようになると、猛毒で水に溶けにくい酸素
ガスが大気に放出されるようになります。

・細胞が酸素中毒になることを防ぐための進
化と
・その猛烈な毒を逆手にとってエネルギーを
倍増させ細菌の子孫である猛烈な動物(原生
動物)の進化が開始するのと同時に、

 地球は温室効果のバランスを濃厚な酸素に
よって(正確には二酸化炭素の欠乏?)失い、
 光合成の本格開始から15億年程で、一度
地球は厚さ一キロの氷の岩盤におおわれるこ
とになりました。

 動物の進化の爆発は、その海氷がぜんぶと
けきるあけぼのをまたなければならなかった
たそうです。(カンブリア爆発)


====================

 2 グリオキシル酸経路

====================

 ふつう、たとえば脳では、脂肪はエネルギ
ー源にならないとされます。

 頭脳労働や気をつかう仕事では、油っぽい
食事よりも糖質の摂取が有効ということで、
teabreakのお菓子はたいてい甘いものであり
ます。

 これは、神経組織が脂質をエネルギー源と
して使用する経路がoffになっているからで
もあります。

 これは当然かもしれません

 神経線維の被覆は、すべて脂質で出来てい
ますから、生体が飢餓時、その神経脂質を食
べることができるのであれば、神経組織は飢
餓時に記憶としての繊維配線構造を溶解して
しまうことになりかねません。
 これは「飢餓」がいわば図書館のbookwarm
:シミになって自分自身をたべてしまうこと
に似ています。

 もっとも、神経細胞はその長大神経制御の
神経線維にあちこちにミトコンドリアが核か
ら離れて散らばっているがゆえに、複雑な呼
吸反応制御を核がおこなえないせいもあるか
らなのかもしれません

 ともかく、高等多細胞動物の細胞ではふつ
う脂肪は、糖に変換されません。

 脂肪はもっぱら、酢酸に変換されておもに
筋運動や体温維持にまわります。(cf.褐色脂
肪組織では、酢酸のエネルギーはATPにな
らずに、発熱ニクロム線のような役割を持つ
「ペルオキシソーム」で発熱します。余談)

 飢餓時の糖新生はもっぱら蛋白質を分解し
てできた有機酸(アラニンからはピルビン酸)
から行われるので、

 絶食時には、筋肉だけが減り、脂肪はあま
り消費されません。脂肪を減らしたい痩身術
はやはりメニューに運動をくわえるしかあり
ません。

     *

 しかし、一部の微生物や高等をふくむ植物
では、脂質から糖を新生する経路があること
を筆者は数年前知識として知りました。

 その回路が動物にもあれば便利なのにとお
もいつつ、その反応経路を見ていたら、その
中間産物に蓚酸に容易に変換する物質がある
のを知り、ああこれでは動物細胞では発現で
きないともおもいました。

 蓚酸は、強力な還元剤なので、特に酸素を
その必要に個体が要求してる動物の組織内で
は、たぶん呼吸毒物としてはたらくからでも
あります。

 それがこの経路です。

 経路は、クエン酸サイクルにとてもよく似
ていて逆にこの経路を土台にしてクエン酸サ
イクルが発展したのだとも考えられます。

 出発点は、酢酸とオキサロ酢酸、

 この酢酸が、脂肪分解経路のその経路の最
終産物であり、またこの物質を基点としてこ
の経路ははじまります。

     *

 オキサロ酢酸

  ↓      +活性酢酸

 クエン酸

  ↓ 脱水オレフェン化

 cisアコニット酸

  ↓ 加水イソ化

       OH
 ・――・――・
 |  |  |
 COOH COOH COOH

 isoクエン酸

  ↓ ケト化分離

 ・――・    ・=O
 |  |    |
 COOH COOH   COOH

 コハク酸  グリオキシル酸 →後述図
  |    :蓚酸のモノアルデヒド
  |
  ↓ フラビンによるオレフェン化
                 |
 フマル酸            |
                 |
  ↓ 加水ヒドロキシ化  脂肪酸分解前反応
            (β酸化)|
 リンゴ酸            |
                 |
  ↓ NADによるケト化    |
                 |
 オキサロ酢酸          V



      *

 グリオキシル酸が、活性酢酸をオレフェン
重合によってオキサロ酢酸を生成、

     O  O
     ||  //
     ・―・
    /   …
 +H O-    ・
     …   //
     +HS―・
     /   |
   CoA    O-

 グリオキシル酸 活性酢酸

   ↓ ←H2O
   ↓ →HSCoA

  HO     O
    \   //
     ・―・
    //   \
   O     ・
    …   /
    HO―・
       ||
       O

 オキサロ酢酸

 つまり、この経路は、(脂肪酸の分解など
による)

 酢酸:炭素2個:2分子から
 オキサロ酢酸:炭素4個:1分子

 を合成する反応として細胞収支のうえでは
受け取られます。

 学校でおそわるとおり、糖の呼吸分解にお
いては一般生物では、
 ピルビン酸から酢酸を作ることは出来ても
これが有機化学における不可逆反応(狭義の
α脱炭酸の逆反応は不可能)であるがゆえに、

 酢酸からピルビン酸をつくることはできな
い(正確にはエノールピルビン酸リン酸を作
ることが出来ない)でありますから、
動物の細胞では脂質からブドウ糖:グルコー
スを合成することはできない、ということに
なってしまうのです。*補遺参照。

    (厳密に点検しますと、

    ・動物では、酢酸からピルビン酸を合成する
     ことは出来ません。

    ・有機化学のポテンシャルエネルギー則によ
    って、遊離ピルビン酸から化学合成のための
    活性物質、ホスホエノールピルビン酸を合成
    することは出来ません。

     ホスホエノールピルビン酸は、ピルビン酸
    の前駆物質、
     ・それ自体が高エネルギーの前駆物質
     ・またはATPなどの高エネルギー担体と
    の共役反応。

     からのみ作られます。

     >>この前提に対し、

     a細菌や植物では、酢酸からオキサロ酢酸
    を作成し、これからホスホエノールピルビン
    酸を合成できる(グリオキシル酸経路)。

     b細菌では、酢酸から直接ホスホエノール
    ピルビン酸を合成できる(後述)です。)

 が、この植物と微生物における経路では、
オキサロ酢酸:炭素4=C4を作ることがで
きますから、その末端のωカルボキシル基が
脱炭酸すれば炭素3のピルピン酸になること
ができます。

 グリオキシル酸経路の収支:

 ・酢酸は脂肪酸分解経路から供給
 ・酢酸2分子からオキサロ酢酸1分子がで
 きる帳尻。(C2*2=C4)
                          CO2
                          ↑
                  オキサロ酢酸C4→ホスホエノール→糖新生へ
                  ↑β酸化     ピルビン酸C3
 →酢酸C2            コハク酸C4
  +       →クエン酸C6→+
  オキサロ酢酸C4        グリオキシル酸C2
  ↑                    +   →オキサロ酢酸C4
  |                   →酢酸C2  ↓
  ・――――――――――――――――――――――――――・

 一度、ピルビン酸ができれば、マイヤーホ
フ系ともよばれる解糖系を逆行すればブドウ
糖:グルコースに行き着くことが出来ます。

 胡麻やとうもろこしは、意味もなく種実に
油を溜め込んでいたのではなさそうです。

     *

 この項後書き:むかしはどうだったのか、
ということ
 ・・・もちろんここでのむかしとは、おお
むかしのことです。

 特に生体生化学ではそうですが、別にそれ
ぞれの反応を絶対的にブロックしている障壁
はふつう存在していないので、物理化学的に
不可能でないならば、すべての反応は確率論
にしたがって平等にすすもうとします。

 現在の生体:ミトコンドリアでこの経路で
はなくクエン酸サイクルが走っているのは、
生体内ではisoクエン酸がαケトグルタル酸
を経由してコハク酸になる経路が生きている
からです。

 isoクエン酸

 ↓ 中央のカルボキシル基脱炭酸

 αケトグルタル酸

 ↓  オキサリル基のα脱炭酸

 コハク酸

 ・・・少々乱暴に言えば、チアミンの項で
書いた働きが優位になればグリオキシル酸経
路は反応として消滅(停止)します。

 もっとも、クエン酸サイクルでは供給され
た酢酸をすべて使い切ってエネルギーのため
にもやしつくしてしまうので、余剰のオキサ
ロ酢酸は一切産生されず、クエン酸サイクル
経由では脂質から糖質を再生することはでき
ません。

 この意味では、生物におけるビタミンB1
の発明は、細胞が多大なエネルギーを欲しが
る時代になった、ということができるでしょ
う。

 ・・・ただエネルギー源、といえばビタミ
ンB1が関わるところはもう一箇所あります。

 解糖系の ことをエムデン・マイヤーホフ
系といいますが(文献によれば、マイヤホッ
フとも綴りますから、ロシア系でしょうね、
たぶん)、

 もちろん氏が動物細胞の研究をしていたわ
けです。材料は、うさぎの筋肉でした。当時
は戦争中でしたので地下壕で研究をしたそう
です。

 スポーツ医学では常識でしょうが、過酷な
運動によって末梢が必要とされる酸素を血液
から充分にえることができなくなると、

 筋肉組織は有酸素によるエネルギー呼吸を
あきらめ、無酸素状態でエネルギーを作り出
そうとします。

「乳酸呼吸」

 です。乳酸が充分分解されずに一時的にた
まると、筋肉疲労の一種です。

 これは解糖系の最終産物であるピルビン酸
が細胞組織に溜まり、これが中途産物でもあ
る水素2原子(水素も無酸素では燃焼できず、
蓄積してしまいます)をわたされて、できた
のが乳酸というわけです。

 この水素は、解糖系のグリセロアルデヒド
がグリセリン酸に脱水素的に酸化されるとき
にできます。ピルビン酸一分子に対して水素
は2原子ですから都合グルコース1分子あた
り4つの水素ができます。

 ピルビン酸:2位ケトプロピオン酸
 乳酸   :2位ヒドロキシプロピオン酸

 酵母は無酸素では乳酸ではなくエチルアル
コールを作ります。

 これは、いわば外的条件により一時的にク
エン酸サイクルがとめられてしまったからで
すが、大昔、ビタミンB1がない時代はおそ
らく呼吸もこの段階でおわっていたことでし
ょう。
 なぜなら、ピルビン酸から酢酸を作り、ク
エン酸系にわたすのはチアミンのはたらきに
よるものだからです。

 酵母は無酸素では乳酸ではなくエチルアル
コールを作ります。

 これはピルビン酸が非制御的に二酸化炭素
を放出し、残基末端がアルデヒドになること
からはじまります。

    O
    ||
 \ / \
  ||   OH
  O
    H
 \ /  CO2
  ||
  O

 これも脱炭酸なので、これを制御する酵素
もカルボキシラーゼと呼ばれます。(ピルビ
ン酸カルボキシラーゼ)

 チアミン介在反応も脱炭酸ですが、かなら
ず酸化反応を伴いますので(結果酢酸残基が
できる)、
 溶液中では酸化は脱水素でもありますから
ピルビン酸デヒドロゲナーゼと呼称を区別し
ます。

 アルコール発酵では、このアルデヒドが解
糖系の水素によって還元され、エチルアルコ
ールになります。

 アルデヒドは生体内では反応性のたかい毒
物なので、機能や組織に特化した動物細胞の
なかでは忌避されるような淘汰圧がはたらき
ます。
 よっぱらいのことを英語でトキソネッド、
というのは、偶然とはいえユーモアとしては
白眉で、飲酒によるアセトアルデヒドが神経
機能を攻撃するからです。

 一方生体因子物質のなかにはこのような毒
物によるプロセスを経ないと合成できないも
のもあり、動物はこれを植物や微生物を食事
として摂取することによっておぎないます。

(細胞機能の意味では、すべての生物は肉で
できていますから)
 いわゆる動物はみづからのからだを傷付き
やすい意味でも繊細に高度にロボット化する
ことによって、カロリーをほかの生物にいぞ
んすることのみならず、
 部品泥棒として肉食をおこなう必要性から
のがれられなくなってしまったことになりま
す。

(これは神学的には、「原罪」の起源ははす
くなくとも20億年前までさかのぼることが
できる、という表現が可能かもしれません。)

     *

 ・・・酵素には基質特異性というものがあ
りますが、たいていの発明された原始酵素と
いうものはおおむねにたような基質なら、か
まわず処理してしまうようなその特異性の低
いものであったことが想像できますから、お
そらくチアミンを活性中心として要求する、

 ピルビン酸デヒドロゲナーゼ

 と、

 αケトグルタル酸デヒドロゲナーゼ

(α脱炭酸はNADによる脱水素を伴います
ので、この酵素名が使用されています。)

 は当初は同じものだったのでしょう。

 ともにおなじオキサリル基に作用してα脱
炭酸を触媒します。

 王朝において子孫やその体制が、歴史的に
は泥棒でしかなかった太祖をたたえるような
文法に似ていますが、

 生体においてビタミンB1=チアミンの発
明は、

 ◎酢酸の効率的な燃焼

 を可能にし、またそれが必要な時代をひら
いた、ともいえるかもしれません。

 そしてその背景には、除々に環境酸素濃度
が光合成によって増加していった時代を想像
させます。

 また逆にいえば、それ以前、生命はαケト
酸が細胞内外に瀰漫していた時代に、文字通
りつかって生きてきたことを彷彿とさせます。

 ・・・むかしの生物:太古の細菌は石油を
たべて生きているのがごく普通のライフスタ
イルであったのかも知れません。

 もちろんいまの石炭石油は生物起源ですが、

 還元的な環境で、メタンの多い大気で放電
がおこれば、長鎖の炭化水素ができるでしょ
うし、
 地殻に取り込まれた炭素質コンドライトは
二酸化炭素や低分子の有機物をふきだします。

 地質学的には油脂とは直鎖あるいは分鎖の
アルカンの末端がごくわずかの酸素で修飾さ
れたものですし。

 また地質学的には糖とは、より還元的な環
境で水素を奪われつつある芳香族的な共役2
重結合が多くなった亜炭が地下の超高圧で熱
水によって二重結合の付加反応をおこして非
常に多量の水酸基を付加されたものです。

 生化学における糖や糖酸が、これでもかこ
れでもかとめったやたらに酸素を付加されて
いる組成をもっているのは、まあわたしたち
の出自の「一種のいやしさ」をしめしている
のかもしれません。

 ビタミンB1以前、わたしたちの細菌でも
ある先祖は、

「ごくたまにてに入る、穏やかな状態の酸素
 ではない酸化剤」

 に群がって、自分たちの周囲のヘドロとし
ての有機物で体を作り、またそれを媒体とし
て反応をすすめていた存在だったのでしょう。

 そんな時代、生物起源ではありませんが
生物とは、
 その反応において、

 熱水亜炭と鉱物油を反応の左右において融
通反応を行う存在だったのかもしれません。

 ◎補遺

 生化学の教科書には医学用と有機化学用の
2潮流があって、当然ですが前者は人間や哺
乳類そして後者は微生物・植物の代謝をもふ
くみます。

 酢酸からエノールピルビン酸リン酸が合成
できないネックがヒトでは脂肪組織から糖新
生できない、飢餓時の臨床ですが、

 例によって微生物や植物ではかならずしも
そうではありません。

 微生物の代謝反応地図を読んでいて

「げ」

 と心の声がもれてしまいました。

 エノールピルビン酸リン酸を合成する酵素
があるのです。
 マグネシウムを要求する酵素ですから、さ
しずめおそらく、
 ペクチン中のマグネシウムがグルコン酸の
陰電荷をひきよせて2鎖の多糖鎖をむすびつ
ける原理とおなじ力学をつかっているのでし
ょう。マグネシウムのふたつの陽電荷がカル
ボキシル基とβケト基の潜在陰電荷に誘引効
果をもたらすのかもしれません。

 このファイルを書いているうちに知り得た
ことなのですが、芳香環にうめこまれている
窒素はむしろ陰イオンとして振舞うという概
念があります。

 これは、ポルフィリンやヒスチジンがなぜ
金属イオンを安定して保持できるのかという
疑問にたいする素朴な回答でした。

 この酵素も、たぶんヒスチジン残基がマグ
ネシウムをholdしているのでしょう。
 以下に作用に対する推測図を載せておきま
す。

     H
    H・H
     |
     ・=O
    /       |
 O=・       ―N-
    \    |  |
     OH ―N―Mg2+:N=
            ‥  |
            N=
            |

 ピルビン酸 4窒素によるマグネシウムhold

          H・H
           ||
           ・
     |    / \
    ―N O=・   O
  |  H    \  |
 ―NH       O―Mg2+:N=
             ‥   |
             N=
             |

 ピルビン酸に対し水素とマグネシウムが交
換することによってβケト基が水酸陰イオン
として解放
 点で接している窒素はマグネシウムに対す
る電子対配位結合ですので、芳香窒素である
必要はありません。

 この状態であればエネルギーリン酸がピル
ビン酸を攻撃する反応のあいだエノール型を
維持できるかもしれません

 ちなみのこの前反応として酢酸から単純ピ
ルビン酸を合成する反応がありますが、それ
はおそらく硫黄原子を介して事象のビオチン
の反応のように

    -O   O             O
      \ //             ||
       ・              ・―OH
       |             /
 H3C―・―S―R +2H→ H3C―・ HS―R
     || +             ||
     O              O

 となりそうな気もします。


 この両者の反応もATPの高いエネルギー
を要求する反応です。

 ◎補遺の補遺

 リブロース2リン酸が、二酸化炭素を結合
する反応についてしらべていたところ、マグ
ネシウムの作用に関してホスホエノールピル
ビン酸合成(酢酸から)に対する言及があり
ました。

 ピルビン酸からホスホエノールピルビン酸
を合成できないことは、ピルビン酸のオキサ
リル基が酸素原子の二重結合として強力に、
電子を抱え込んでしまい、反応性に富むオレ
フェン結合を合成できないことによります。

 リブロースによる二酸化炭素固定の反応を
考察していて、ピルビン酸の反応も一足飛び
に活性酢酸からホスホエノールピルビン酸に
合成できないかと(そのような反応があると
すれば)考察してみました。

 ・マグネシウムイオンが介在していると仮
定します。

 まず、活性酢酸ですが、CoAの硫黄原子
が陽帯電するモデルで、

 CoA
 |     |     |
 S     S     S+
 |     |     ||
 ・―CH3 ・=CH2 ・―CH3
 ||     |     |
 O     OH    O-

 を考え、この左のC―S結合が活性化して
いる状態を考えます。

 ですから、マグネシウムが半共有結合をす
ると考え、また、便宜的に二酸化炭素は炭酸
イオンになっているとします。
(実際にはそうではないかもしれませんが、
そのほうがわかりやすいとおもいました。)

 また、電気陰性度の関係で、ここではマグ
ネシウムは炭素ではなく酸素に結合します。

 CO2 +H2O →CO32- + 2[H+]

      CoA
      |
H3C   S+…-O
   \ //    \
    ・      ・=O
    |     /
    O(-)   O(-)
     \  /
      Mg(2+) 2H+

 またこの状況は7員環なので不安定であり、
 また炭酸側から電子供与をうけるので、

       |          |
 H3C   S+    H3C   S+
    \ //        \ /|\
     C   O-      C―|―O
    /   /      / \|/ :共鳴
   O   C=O    O   C―O-
   |   |      |   |
   Mg――O 2H+   Mg――O 2H+

 という四面体転移を考えると、炭素結合の
転移も説明できるかもしれません。

 これは、セリントレオニン合成転移反応
(これも細菌反応です)でみられる立体反応
です。

 共有結合に埋もれている酸素は負に帯電し
ていない建前ですから、
 枝として出ている酸素原子に余剰の電子が
集まり、これが水素イオンによって攻撃され
て(炭酸イオンとしての仮説の場合)水とな
って分離します。

 最後に、マグネシウムイオンが乖離すると
き、電子を供与された、酸素原子が水素イオ
ンを引き寄せて水酸基になります。
 活性酢酸からピルビン酸を作る反応は還元
反応ですから、現実には共鳴体を還元するこ
とによってまず硫黄がCoAとしてはずれ、
 残った3原子が「電子のいすトリゲーム」
のように「がたがたと」構造をこわしていく
のでしょう。

        ↓ + 2H(NADHとATP:おそらく)

 付属の酸素が帯電したことによるエノール
化によるオレフェン化、

          |
 H2C  H+   SH:還元外部水素
    \\
      C   OH:還元外部水素
      |\ /
      -O C―O-
        |
   Mg2+  O-   +2H+

 H2C
    \\
     C  O + H2O
     |\//
     -O C
       |
       O-

 この状態でリン酸基が作用すればホスホエ
ノールピルビン酸になります。

 H2C     H2C
   \\       \
    C  O     C   O
    |\ //     ||\ //
    O C      O C
   燐酸 |        |
      O-+H      O-+H

 ホスホエノールピルビン酸 ピルビン酸

     *

 ちなみにリブロース2燐酸の反応は

 ・―O燐酸 ・―O燐酸
 |     |
 ・=O   ・―OH
 |   → ||
 ・―OH  ・―OH
 |     |
 ・―OH  ・―OH
 |     |
 ・―O燐酸 ・―O燐酸

        :エノール化による活性オレフェン

        ↓ +CO2+H2O+Mg2+

   燐酸O―・   OH
        \ /
         ・    O=・―O- +H
         ||      |
         ・      O
        / \    /
 燐酸O―・―・   O―Mg +2H+
       |
       OH


   燐酸O―・   OH
        \ /
         C   O- +H   C
         ||  /      /|\
       O===C      O―――C
         ||  \      \|/:共鳴
         C   O      C
        / \  |
 燐酸O―・―・   O―Mg +2H+
       |
       OH

    燐酸O・   OH
        \ /
        HC   O
          \ //
       O   C
       \\   \
         C   O-+H
        / \
 燐酸O―・―・   O-+H   +Mg2+:リングリセリン酸2分子

 光合成暗反応のところで述べていますが、
これは重原子である燐を含む高エネルギーの
ふたつの、原子団が分子の両端でスイングす
る結果に、中央でちぎれる反応です。
 また、酸化還元反応ではないので、反応の
前後で水素原子の増減は起こりません。

      *

 普通、中高学校では、化け学は有機無機に
わかれておそわります。

 有機化学で金属など無機物の名前が出ると
きは普通、たとえば「触媒」のなのもとに、
「これは反応に直接関係ありませんよ」
とおそわります。(結果、高校の化学は、ひ
たすらモル比率の「小数点が大活躍する小学
生の算数」となってしまいます。

 未知に対する好奇心は、カリキュラムの枠
の弊害でやや半減してしまいます。
(生徒に対する意味では、飛び級はかえって
全体の能率を上げるかもしれませんが、
 逆に事務が増えて職員が、悲鳴をあげるか
もしれません。)

 実際は、金属原子もけっこう共有結合に参
加するので、それが触媒反応のかなめであっ
たりします。
 この辺は、生体呼吸酵素にかこつけて、金
属クラスターの章で多少言及しています。

 ・・・筆者が最初にびっくりした異常物質
は(書物で呼んだ知識ですが、)

「ブチルリチウム」でした。

 確かにこのような物質があれば、有機合成
はかなり自由自在になります(ブチルリチウ
ムはアルキルリチウムの一種です)。

 生体内ではこのような過激な活性を持つ物
質は存在できませんが、
 生体内では間接的に反応にかかわるビタミ
ンとして、コバルトが炭素原子に直接結合し
ている例があります。

 グリニャール試薬もまた生体内ではその結
合様式の例はありませんが、
 カルシウムやマグネシウム、などの土類金
属の酸化物の共有結合傾向は、

 このように(d電子の積極的介在ではない
種類の)金属触媒の作用になっているようで
す。


====================

 3 ビオチン

====================

 筆者が当初先入観で考えていたよりもこの
物質はそうあまり多いところで活躍している
わけではないようです。

 この物質は有機酸の一部にカルボキシル基
を導入する役割がありますが、
 たとえば長鎖脂肪酸のω末端に無条件に官
能基を導入するかとは普通の有機化学の常識
からいっても、あまり考えにくいことです。

 有機化学は基本、電子反応ですから電子の
やり取りのあるラジカルの周囲で起こるのが
定則だからです。

 自分が知っている二酸化炭素導入反応は4
つで、

 ・活性酢酸のメチル末端
    :マロン酸コエンザイムAの生成

 ・ピルビン酸のメチル末端
    :オキサロ酢酸の生成

 ・プロピオン酸の代謝
 ・ロイシンの代謝

 これは、自分が末端のカルボン酸基が分子
間縮合重合反応で重要な役割をになっていた
のではないかという先入観からきていました。

 かならずしもそうではないようです。

 実際、調べてみるとマロニルコエンザイム
AではなくアセチルコエンザイムA=活性酢
酸だけで縮合反応は成立してますし

 マロニルコエンザイムAをもちいるのは脂
肪酸の生成の過程だけのようでした。

 ◎ビオチンによる、二酸化炭素の付加反応
  の作用機序について:推定

 ビオチンの分子はすこしそった「刺身のふ
なもり舟」のようなかたちをしていて、その
先端に硫黄が両方からふたつの炭素によって
抱え込まれているかたちをしています。

 つまり、有利SH基による種類のよけいな
毒性を示すことがないと推定されます。

 ビオチンに関する筆者の推理は次の一点だ
け、

     O
 \+  //
  S―C
 /   \
      O-

 というラジカルを形成することだというこ
とです。

 これがおそらく、受容分子側のオレフェン
状態二重結合に付加吸収され、カルボン酸残
基をつくるのだとおもわれます(この反応は、
対象基質の種類をとわず、ATP要求性反応
です)。

 その意味では、受容分子側は該当炭素の次
の部位に活性あるいは不安定な意味でのケト
ン基:アルデヒド基あるいはオキサリル基の
2位ケトが必要であると推定されます。

 これは、そのケトン基がエノール型になる
ことによって、

 該当炭素がオレフェン活性型状態になるこ
ととが出来るからです。

     O
    //
 ・―・
    \
     R:Rは非安定基

     OH
    /
 ・=・
    \
     R

 活性酢酸も、オキサロ酢酸もピルビン酸も
この案件に合致しています。

     O-
    /
 ・=・
    \
     S―CoA
     +

:活性酢酸=アセチルコエンザイムA

     OH
    /
 ・=・
    \
     ・―OH
     //
    O:エノール型ピルビン酸

 ただしピルビン酸がエノール型を取るのは
エネルギーポテンシャルからいって自然状態
ではまったくといってなく、
 原則ピルビン酸から活性状態であるホスホ
エノールピルビン酸をは作成できないません。

      O
     //
 HO―・     OH
     \   /
      ・=・
         \
          ・―OH
         //
        O     :オキサロ酢酸エノール態


     *

 ビオチンによる二酸化炭素の付加は、共鳴
(説)によるとすれば、以下のような構造で
しょう。

 ビオチン舟形構造
   \ /      \ /:4価硫黄?
    S+?  OH   S2+      S2+
 H  |  /     ||      /|\
  C=|=C    C=||=C   C―|−C
 H  |  \     ||      \|/
    C   R    C       C   :共鳴
   // \      / \
  O   O-   ?-O  O-

    ↓

 ビオチン舟形構造
   \ /
    S   O
 H     //
  C―――C
 H \   \
    C   R
   // \
  O   O-+H

:共鳴状態から開放されるとき、どちらの炭
素にシグマ結合が残るのかどうかは、できる
結果の分子の安定状態に左右されると想われ
ます。

 この場合は、カルボキシル基は陰電荷を帯
びていますので、電子的にケトン基から遠い
位置に結合が収束するのかもしれません。

    (硫黄原子は酸化しないと推測されますが、
     活性酢酸のオレフェン縮合反応でも、でき
    る分子の状態は、産物の安定性の選択が結果
    として吟味されるのかもしれません。)

       オキサロ酢酸+活性酢酸   グリオキシル酸+活性酢酸(+H2O)

      H+-O -O   S―CoA     -O   S―CoA
        |  \ / +          \ / +
      O=・   C   OH   HO   C   OH
         \  ||  /       \  ||  /:中間体
          C=||=C         C=||=C
         H  ||  \       /  ||  \
            C   ・=O  HO   C   OH
           H H  |        H H
                O-+H


                H2O+↓→HSCoA


      H+-O O   O-+H       O   O-+H
        |  \\/           \\/
      O=・   C   OH        C   O-+H
         \  |  /          |  /
         HC―|―C       O=C―|―C
          H |/ \         \|  \\ +H2O
            C   ・=O       C    O
           H H  |        H H
                O-+H

           クエン酸          オキサロ酢酸

      分子鎖が対称になるように選択   陰電荷が離れるように選択
                      (もともとこれ以外の解はありえない?)


    (DL体の区別は今回配慮していません。)

 この推定はある程度正しかったらしく、し
らべてみたところ、奇数炭素脂肪酸が分解さ
れていく過程の最終においてつねに生じる炭
素数3のプロピオン酸の分解の過程反応で相
当の反応がありました。

 ここでは炭素数3のプロピオン酸は別途炭
素を1個追加されて炭素数4の有機酸になっ
て炭素数4ファミリーの代謝chainにはいり
ます。

 ここで追加されるのは葉酸などによるC1
炭素ではなく、ビオチン介在の二酸化炭素で
す。

 無条件にアルカンのω末端に付加するので
はなく、2位の炭素に、二酸化炭素は縮合し
ます。
 おそらく、カルボン酸側のエノール遷移に
よって、

   O
   ||
 \/\
    OH

   O-
   |
 \//\
    OH

  H+ ←CO2攻撃(ビオチン要求)

 という構造が出来

   O
   ||
 \/\
  | OH
  COOH

 という産物が出来ます。

 これは表記を変えると

 HO   |   OH
   \ /\ /
    ||  ||
    O  O

 HO  | O
   \/\//
    ||  |
    O:HO

 でもあります。(メチルマロン酸)

 これは酒石酸のように立体異性体ですので、
ラセミ化酵素によってD体からL体に変換さ
れたあと、転移酵素によってカルボン酸基が
末端に移動し、
(この際、ビタミンB12を要求します。先
入観で、B12が輸送するのは、メチルある
いはメチレン基だけかとおもっていましたが、
そうではないのかもしれません。後項参照。)

 コハク酸に変換されます。

 コハク酸になればこれはクエン酸サイクル
で分解されます。

 また、生体内でのロイシンの分解にも相当
の反応がありました。

 ロイシンは分岐鎖アミノ酸:BCAA=
BranchedCarbonicChainedAminoAcidですの
で、中間有機酸も分岐鎖炭素構造です。

 余談ですがBCAAは多く動物にとっては
必須アミノ酸です。
 動物はBCAAを燃焼呼吸として分解は出
来ますが合成は出来ません。
 その理由は、BCAAの合成には高酸素体
内環境で、繊細な構造蛋白質をかかえる多細
胞の動物には毒である劇物を中間合成の材料
として使用しなければならないからです。

 BCAAの合成にはアセトアルデヒドが、
 コエンザイムAの一部重要な一部であるパ
ンテイン酸の合成には、ホルムアルデヒド:
ホルマリンが必要です。

(ですから、BCAAをふくむアミノ酸スコ
アという意味で、必須アミノ酸をまんべんな
く摂取するためには植物性蛋白(大豆食品)
をも摂取しなくてはならないのでしょう。)

 結果から言えば、原料に劇物を使用するか
らこそ、出来上がる物質が強固な結合という
意味で安定性を持ち、その性質が生体作用に
寄与すると考えられます。

 たとえばタンパク質分子でアルキルアミノ
酸としてβケト酪酸から誘導されるアミノ酸

    O
    ||
    ・   ・
   / \ / \
 HO   ・   ・
      |
      NH3

 が蛋白質を構成してもよさそうなものです
が、自然の化学進化はそのような選択肢はと
りませんでした。
 これはおそらくBCAAのような分子が、
分解されにくい安定性を持っているからなの
かもしれません。
 蛋白質のらせん構造上は、BCAAのよう
なアルキル疎水部は脂質2重膜と親和性をも
つ設計のために(結果的に)用いられていま
す。

 ロイシンの構造は

      O
      ||
 \ /\/\
  ・  |  OH
 /   NH2

 ですから、ピリドキシンとαケトグルタル
酸によりアミノ基転移をうけケトンになり、

      O
      ||
 \ /\/\
  ・  || OH
 /   O

となります。

 これがチアミン存在下でα脱炭酸し、
      OH
 \ /\/
  ・  ||
 /   O

 これがコエンザイムAと結合し

      S―CoA
 \ /\/
  ・  ||
 /   O

 FAD下でオレフェン化し(β酸化反応)

   2   S―CoA
 \ //\/
  ・  || 1
 /3  O

 3-メチルクロトン酸

 となります。

 これに対してビオチン下で二酸化炭素が付
加するとき、どの炭素に付加するかという問
題がありますが、
 以下のHMGの問題とおなじく、それは産
物が幾何の状態エネルギーが低い状態を取り
たがるもののようです。

 また図では3位の炭素に二重結合がかかっ
ていますが、この場合この炭素はほかの炭素
と同一平面にあることになり、その電子オー
ビタルは、sp2をとるのが自然、つまり、
二重結合の電子雲は、末端のふたつの角炭素
にも漏れ出てきていると考えるのが自然かも
しれません。

|・   ・|   S―CoA
| \ / |\ /
|  ・  | ・
|  |  | ||
|  ・  | O
 SP2 平面

 結果、二酸化炭素は角の炭素に縮合し、

 HO   ・   ・   S―CoA
   \ / \ // \ /
    ・   ・   ・
    ||   |   ||
    O       O

という物質をつくり、これがβ酸化の過程と
して加水を受けると、

 HO   ・   ・   S―CoA
   \ / \ / \ /
    ・   ・   ・
    ||  / \  ||
    O     O O
          H

 という化合物を作ります。

 これは以下の項のHMGという物質です

 ◎HMGについて

 これはビオチンによる二酸化炭素付加では
ありませんが、
 活性酢酸がおなじくオレフェンに攻撃縮合
を果たすこともあります。

 図:アセト酢酸:後述

    OH
   /
 O=
   \
   /
 O=
   \

     OH
    /
  O=1
    \2
    //
 HO― 3
    \4

 炭素番号とエノール型

に活性酢酸が付加重合すると

     OH
    /
  O=1
    \2
    3/
 HO―・―・4new
     \  \
        ・=O
       /5
     HO

 数字は5炭素のグルタル酸のステム番号

 という物質が出来ます。
 これは炭素数5のジカルボン酸であるグル
タル酸の誘導体で、グルタル酸の骨格を優位
に書き直すと、

     OH
    /
  O=
 HO \
   \/
   /\
    /
  O=
    \
     OH

 となります。3位の炭素に光学不整に水酸
基とメチル基の角が出ている物質で、分岐鎖
アミノ酸をふくむイソプレノイドやポリフェ
ノール、コレステロールの原料になります。
(3,3-ヒドロキシメチルグルタル酸:HMG)

 ステロイドの基本骨格にあちこちメチル基
の角がでているのは、この3位に付加してい
るメチル基の、なごりです。

 なぜアセト酢酸の2位ではなく3位に結合
するのかはよくわかりませんがおそらく出来
た産物の原子配置におけるエネルギー順位が
共鳴として影響しているのかもしれません。

 ◎オキサロ酢酸に対する酢酸の重合につい
  て

 これは、クエン酸サイクル開始点の、出発
点としての重要な反応です。

        O
        //
     ・―・
    /   \
 O=・     ・―OH
    \    //
     OH…O

 これもケトの直下に縮合します。

         OH
        /
     3・=・2
    /   \
 O=・4    1・―OH
    \   //
     OH…O

 2位3位どちらについてもよさそうですが、
産物分子がシンメトリーになるように縮合し
ます。

          OH
         /
     ・― ・ ―・
    /    \  \
 O=・      ・   ・―OH
    \    //\  ||
     OH…O OH…O

・・・X線でたしかめたわけではありません
が、クエン酸はもし配位結合が安定なら、
 ふたつの6員環がよりそっているようなか
たちをとるはずです。

 閑話休題、
 HMGもクエン酸もおおもとは、
 4炭素酸+酢酸1分子からできた6炭素の
有機酸です。
 それがともに、5炭素酸で同時にジカルボ
ン酸であるグルタル酸の誘導体であることは、
偶然の一致にしてはおもしろいかもしれませ
ん。

 クエン酸は、3,3-ヒドロキシカルボキシル
グルタル酸とも書けます。

 ◎アセト酢酸

 酢酸が縦に2分子つながった物質で、生体
内では不安定なためコエンザイムAにつなが
ったかたちかあるいはたぶんNADから水素
を受け取ったかたちでβヒドロキシ酪酸とし
て存在します。

 飢餓時に尿が芳香を呈することがあるのは、
脂肪が分解されて出来た酢酸からこれが作ら
れ一部が分解したアセトンが尿にまじること
も一因です。

 生化学の教科書によると、アセチルコエン
ザイムA2分子でこれができるとも、
 あるいは以下に述べる一分子がマロン酸に
変換されてから、脂肪酸合成酵素のうえでつ
くられるのだともかかれています。

 不思議だったのは、アセチルコエンザイム
Aはともに同じ分子ですから同じ分子同士が
重合するときオレフェンとしての官能基だけ
で、
 たとえば尾と尾だけでくっついてしまわな
いのかなとおもったことですね。

 つまり、

    O-        +S―CoA
     \       /
      ・=・ ・=・
     /       \
 CoA―S+         O-

 として、

    O
    ||   OH
   /\/\/
 HO    ||
       O :コハク酸

 とはならないのかという疑問でした。

 そうはならないという結果から考えるかぎ
りでは、やはり硫黄と酸素の極性があるのか
もしれません。

 つまり

 ―S
   \  H
    ・=・
   /  H
  O
  H
  …
 ―S―・=CH2
    |
    OH

とでも配位し、ともかく、

 ―S―・―――・H2
    |\ /    2 オレフェン開裂
    O ↓
    H ・=CH2
    ↓/|
   ―S OH

  1 水素供与

(項末参照)
 という反応がおこり

 ―S―・―――・H2
    |\ /
   *O ・
     / \
 ―S  *O  ・H3
  H

 :中間状態
 ―S―・―・H2
    || |
    O ・-・H3
      ||
      O

 アセト酢酸コエンザイムA

 というふうにでもなるのでしょうか。

 ◎コエンザイムAのエネルギー状態につい
  て

 あるいはこの推測図は間違っているのかも
しれませんが、カルボキシル基由来の水素を、
硫黄に跳ね飛ばすということは

 酸素のほうが電気陰性度がたかく、
 水素との親和性が高いわけですから、
これはどう考えても加エネルギー反応です。

 実際にはこの反応ではなくとも、出来上が
ったアセト酢酸が不安定な物質であることか
らも、
 この反応がエネルギーをあたえられて進行
する種類のものである可能性があります。

 後日筆者は、コエンザイムAそれ自体がエ
ネルギーをたくわえる担体である可能性に気
がつきました。

 気になって幾つかの反応表を調べてみたと
ころ、
 CoAがかかわっているところには、AT
Pの影がありません。

 コエンザイムAの構造は、その半分がAM
P残基から出来ています。

 おそらく、この部分がエネルギーを蓄える
のだとおもわれます。

           <― AMP ―>

                アデニン
                |
 パンテテイン―リン酸―リン酸―リボース
                |
                リン酸

 3番目のリン酸はリボース3位の炭素につ
いていますが、このリン酸が主鎖のリン酸と
エネルギ―縮合する可能性もあるかもしれま
せん。

 またNADPの項でも書きましたが、単に
単一リン酸化物だけでもおそらくリン酸原子
団が複合分子内でおそらくばねのような役割
をになって、それだけでもエネルギーを溜め
込む効果があるのかもしれません。

 ◎マロン酸コエンザイムAについて

 活性酢酸がカルボキシル基を導入されて生
成されるマロン酸コエンザイムAは脂肪酸合
成の重要な部品材料です。

 なぜこれが合成に重要なのか当初はよくわ
かりませんでした。

 単純に脂肪酸分解のβ酸化の逆反応ではい
けないのだろうかとおもっていたからです。

 有機化学的にな不可逆的な障壁がたぶんあ
るのでしょう。

 脂肪酸のβ酸化とは次のような反応です。

 補酵素はNADとFADが参加します。

       S―CoA
       |
       ・=O
      /
   ・―・
  /
 R

 一般アシル酸コエンザイムA

       S―CoA
       |
       ・=O
      /
   ・=・ →2H FAD
  /
 R

 FADによるβ位オレフェン化

      ↓+H2O
      | + H2O
      v

       S―CoA
       |
  HO   ・=O
   |  /
   ・―・
  /
 R

 加水付加によるβヒドロキシル化

       S―CoA
       |
   O   ・=O
   ||  /
   ・―・ →2H NAD
  /
 R

 脱水素によるケト化

      ↓+H2O
      | +H2O
      V

           S―CoA
           |
   O       ・=O
   ||      /
   ・―OH  ・
  /
 R

 酵素によるアセチル基のきりだし

 実はこの反応は、グリオキシル酸経路やク
エン酸回路の酵素反応そのものでもあります。

 原始、基質特異性のひくい酵素は事実上八
面六臂の応用で活躍していたのでしょう。

 R基の部分が、カルボキシル基の場合これ
はコハク酸からオキサロ酢酸への過程そのも
のです。

 脂肪酸の生合成は、コエンザイムAではな
く有機酸を保持する部位がふたつある酵素上
でおこなわれます。
 これはおそらくシスティン由来のSH基を
(項末参照)ふたつ持ち、そのうえで、いわ
ば細胞膜上に糖鎖がのびていくように合成さ
れていきます。

 これは、文献を読んでいくうち、「ふうん、
そういうものなんだ」としかうけとめるしか
ありませんでした。

 基本、酵素はSH基の右手と左手をもち、
他方にのばした結果鎖、もう一方に原料の低
分子のマロン酸をあらたにもち、その上に合
成中の長い鎖を結合して行きますが、
 たとえば、右手と左手で活性種類がちがう
のであればいつ右手と左手で結果鎖をもちか
えるのか、
 あるいは双方ともはたらきがまったくおな
じものの、ふたつのサブユニットが結合した
ダイマーなのだろうか、とも憶測はしました。
 資料によると、生物種によりますが同じお
おきさ、あるいはほぼおなじおおきさのふた
つのサブセットが抱合した構造をとっている
ようです。アシル基をにぎる活性部位が、基
の交換をおこなっているかどうかはわかりま
せん。
 もし交換を行うとすれば以下の反応かもし
れません。

 H2O    -OH  -OH   -OH H2O
        +
 R―S― R―S―   +/     S―   HS―
        |  R―S=S   |
  HS―   S―    \  R―S―  R―S―
                   +

     酸化架橋  4価硫黄       還元別離
     ↓                ↑
     2H    →          2H

 ・・・こじつけのような気もしますが。

 自分で研究したわけではないので、この辺
りはわかりません。
 反応についてもそうなのですが、以下補足
だけ。

 要は、なぜ酢酸ではなくマロン酸なのかと
いうことです。
 ビオチンをつかって二酸化炭素を追加する
いっぱんカルボキシラーゼは、そのたびに貴
重なATPのエネルギーを消費します。:その
消費してまでつくられたマロン酸としての追
加部分、

 酢酸から合成されたマロン酸がもつ末端の
カルボキシル炭素は、脂肪酸鎖結合の後、解
離し、外界に捨てられてしまいます。

 おそらく、これは誘引のための2極性や、
あるいはよけいな反応を防止する化学キャッ
プとして機能しているとしかおもえません。

 以下の図もまた、憶測ですが

 長鎖脂肪酸側
        O
        ||
 R―・・・・―・―S―

    OH:O
    |  ||
  O=・  ・―S―
    | /
     CH2

 マロン酸側

        O-
        |
 R―・・・・―・=S―
          +
          O- H+
          |
        O=・
          |
         H・―・―S―
            ||
            O

 マロン酸側の末端カルボキシル基が長鎖脂
肪酸側の陽電荷硫黄に誘引、

        O-
        |
 R―・・・・―・=S―
          +
          O- H+
          |
        O=・
          |
         H・=・―S―
            |
            OH

 マロン酸側、エノール型

        O
        ||
 R―・・・・―・―S―
          |+ H+
          ・
         // \
         O  O-

        HH・=・―S―
            |
            O-

 カルボキシル基が解離したと当時に硫黄原
子に水素を供与、

        O
        || H
 R―・・・・―・ S―
         \  +CO2
          ・―・―S―
            ||
            O

 水素を添加された硫黄は、結合を維持でき
なくなり長鎖部分をマロン酸側のオレフェン
基に譲渡、
 生成物および炭素の縮合個所からかんがえ
るに、これ以外は考えにくいと想われます。
 生成されたβケト体は、NADPで還元、
脱水ののち、さらにNADPで還元されて
アルキル化されていきます。

 当初、β酸化の逆流経路のようなものです
から、二回目の還元は、FADが還元するの
だろうか、とおもっていましたがそうではあ
りませんでした。
 ・・・分解反応がゆるやかにエネルギーの
滝を下っていく場合、逆の遡上反応において
は、こぎ手の物質は分解反応とは、異なるよ
うです。

(マンガンの項目の、余談参照)

 ◎反応蛋白質上のSH基について

 これは、CoA残基のSHからの連想で、
そう感じて記述したのですが、これは、はか
らずもCoAの構造を言い当てる結果にもな
ってしまいました。

 結論から言うと、この反応足場蛋白質は、
CoAの部品末端部分を載せて機能していま
す。

 ◎コエンザイムA:CoAの構造

  HS:システィン残基 A
      |      |パンテテイン
     βアラニン A |
      |    |パントテン酸
     パンテイン酸V V
      |
     リン酸
      |
     リン酸
      |
 アデニン―リボース―リン酸

 この、パンテテインの部分が蛋白質上に、
乗っています。

 ◎参照:メチルマロン酸のメチル基移送反
応について

 ビタミンB12がカルボキシル基:二酸
化炭素を移送する、というのは過去聞いた
ことがなかったので、
 このままあやふやな理解のままではいや
だと想いましたので、調べてみました。

 結果、B12=コバラミンの作用につい
ての知見が増すことになりました。こうい
う疑問については知らないことばかりです。

 すこし次の章:金属クラスターの内容と
関連がありますがこの項目に書きます。

 結果は、二酸化炭素の位相ではなく、や
はりアルキル態炭素の移送反応でした。

 いまさらですが、ここまで研究がすすん
でいるのかという気持ちをかくせません。

 コバラミンは、精製されたB12(抽出
仮定で、変成をうけているとのこと)はシ
アノコバラミン、
 生体内での反応態は

 メチルコバラミンもしくは、
 アデノシルコバラミンです。

 メチルコバラミンは、おもにC1炭素の
授受に関する反応に参加し、
 メチルマロン酸のような異性化反応にか
かわるのはアデノシル態のほうです。

 コバラミンは、ポルフィリン様核(厳密
にはポルフィリンではありません)の中央
に4員窒素キレートとして、コバルトを頂
いていますから、

 メチルコバラミンはともかく、アデノシ
ルコバラミンは、アデニンの窒素が金属配
位しているとおもっていましたが、さにあ
らず、

 アデノシル(リン酸がないのでアデニン
ヌクレオ「シ」ド)の

 りボースの5位
 炭素が直接コバルトに結合

 しているのです。

 正直、驚きました。

 炭素は、配位結合や静電(イオン)結合
をしにくいですから、これは共有結合にち
かいでしょうね。
 これでは、メチル基炭素を直接頂く、メ
チルコバラミンとおなじです。

 おそらく、メチル基でなく、アデノシル
態炭素が異性化反応に関わるのは、エネル
ギーの授受に関して分子が「ふっとんで」
しまわないように巨大な分子量が必要なの
かもしれません。

 メチルマロン酸異性化のあらましは、こ
うです。

 コバラミン中央のコバルトは常態で2価
を取り、これがポルフィリン様窒素4員環
のうちふたつと窒素塩の化合物を作ってい
ると推測されます。

 鉄ヘムとおなじ状況です。

 コバルトがd電子殻から電子を放出し、
3価の状態になると、この電子に、カチオ
ン(陽イオン相当)状態の炭素が共有結合
的にむすびつくようです。
 共有結合的という意味では、3番目の電
子的には、コバルトはイオンであるとは、
いいにくいかもしれません。

 共有結合的という意味では、この結合は
比較的強固で、解離しにくいとも考えられ
ます。

 コバルトは周期表上で鉄のとなりの元素
なのでにたふるまいををしますが、もし炭
素ラジカルが共有結合的にふるまうのであ
れば、鉄に対するシアンイオンの結合の強
さもわからなくもありません。

 シアンイオンの毒性は、チトクロムのヘ
ム鉄に強固に結合し、呼吸反応を止めて細
胞を窒息させてしまうことです。
 また同時に、応用化学では、金属錯体の
安定化に寄与します。6シアン鉄:ヘキサ
シアノ鉄は安定な青色顔料(シアンイオン
がなぜ「シアン」とよばれているかは、こ
こにあります)になります。シアン化合物
は錯体安定化という意味で、めっき工業で
重要です。

 コバルトの炭素に対する結合は、おそら
く鉄よりは比較的弱いと推測されます。
 反応であれば、炭素を解離もしなくては
なりませんから、炭素代謝の意味では、あ
まり結合力が強すぎても困りものです。

 次の金属クラスターの項目でも述べます。
が、このばあいのコバルト金属3価は、
「酸化剤」としてふるまうことになります。
 金属なのに酸化剤、とは妙ですが、もと
もと金属である性質は、2個の電子を放出
して、2価のイオンになった次点でうしな
われたとみるべきでしょう。
 これは、塩化第二鉄が酸化剤として使用
されることとおなじ理屈です。
 個人的には、同様に鉄が3価をもとりう
るとうことは、ヘモグロビン・ミオグロビ
ンが酸素分子をholdすることは、それは単
純な電子対への配位ではなく、うすい酸素
塩の性質があるようにも考えられますが・
・・。

 炭素原子を結合している3価コバルトが
酸化剤としてその炭素を攻撃すると、共有
結合的な共有電子対から電子を1個引き抜
いてしまい、コバルトは電子を自身の3d
電子殻に収めてしまいます。

 電子をぬかれた炭素は、炭素ラジカルと
なって遊離し、

 メチルマロン酸の事例では、この炭素ラ
ジカルを自身のリボース上にかかえるアデ
ノシンがメチルマロン酸のメチル基の水素
を攻撃し、これを酸化し、自身の炭素の上
に水素としておさめてしまいます(電子を
ぬくことも酸化、水素を抜くことも酸化)。

 メチルマロン酸炭素ラジカルが、こんど
はコバルト原子の電子を引き抜き、コバル
トと結合すると、反応の第二段階になりま
す。

 ・・・推測でしかありませんが、再構成
の過程は、コバルトが、いわばマロン酸残
基からメチレン基をメチル基として引きち
ぎる過程で、

 末端のカルボキシル基から遊離水素イオ
ンを奪い、一時的に二酸化炭素が遊離する
のかもしれません。

 結果できた酢酸残基炭素ラジカルが、こ
んどは(一時的に4価コバルト結合体を構
成するのかもしれませんが)

 holdされているメチル基と結合し、プロ
ピオン酸炭素ラジカルとなり、
 これが炭酸ガスを取り込んで、コハク酸
陰イオンになり、反応が完結する、といっ
たところでしょうか。

 水素を奪ったアデノシンは、コハク酸に
水素を戻し、自身はふたたび3価のコバル
トと炭素結合をする、と。

     *

 金属炭化物とは、じつは2種類あります。
単原子の炭素がそのまま結合しているもの
と、炭素に原子単位(アセチレン残基)が
いわば2価の陰イオンとなって結晶のなか
に結合しているものです。

 後者はアセチリドといい、カルシウムカ
ーバイドもそのひとつです:おそらく潜在
的にアセチリド原子団は酸性を帯び、強い
アルカリとの塩でないと、解離しやすくな
るため、カルシウムカーバイド以外は爆発
性があります。

     *

 コバルトは炭素を介在するためやや特殊
にも見えますが、遷移金属の鉄族元素には
おなじような原理によって触媒が多くあり
ます。


    ←  鉄族           → ↓d殻ハロゲン
                        ↓d殻飽和 典型元素→

 3d 鉄     コバルト  ニッケル  銅 亜鉛    ガリウム

 4d ルテニウム ロジウム  パラジウム 銀 カドミウム インジウム

 5d オスミウム イリジウム 白金    金 水銀    タリウム

 金属クラスターの章でも述べますが、鉄
族以降は、d軌道の電子が半分埋まってい
ますので、おそらく電子スピンパリティの
関係から2価の金属イオンの段階では、典
型元素の陰イオンになりやすい非金属元素
のようにふるまう傾向があります。

 ただ、2位相を比較的おだやかなエネル
ギー落差で往復できるのは、おそらく中央
の6元素で、

 せまい意味での鉄族はもっぱら電子供与
体、(d殻スピンパリティにおけるアルカ
リ金属)
 銅族は電子吸引体としてはたらくのでし
ょう。

 d殻がみたされている亜鉛族は電子授受
による活性はないとみてもいいでしょう。
 殻の飽和により、配位電子対をもとめる
錯体配位子や硫黄原子の吸着担体として機
能しているようにもみうけられます。

     *

 ◎葉酸とB12の関係について

 葉酸は、生体内で産生されるC1炭素を
管理していますが、
 C1炭素が過剰になるときは、C1炭素
はB12=コバラミンに渡され、(次にホ
モシスティンに渡され)メチオニンになり
ます。

 細胞が盛んに分裂し、DNAが合成され
る時期は、C1炭素葉酸は、アデニンやグ
アニンをつくるのにつかわれ、
 またもとの炭素非結合葉酸にもどって、
C1炭素結合の準備にはいりますが、

 C1炭素需要のとぼしい成熟期、コバラ
ミンが不足すると、C1炭素葉酸が過剰に
たまり、炭素非結合葉酸が準備不足になり
C1産生サイクルがおかしくなります。

 いわば、B12はC1産生における、
「排泄」の役割をになっています。

 またメチオニンは別途のC1需要にメチ
ル基を放出したあと、C1準備物質のホモ
システィンとなってもどってきますが

 このホモシスティンもメチオニンもすく
なくともヒトは自身で合成することはでき
ません。

 ホモシスティン、つまり同時にメチオニ
ンは、植物や微生物によってアスパラギン
酸から作られます。

 また葉酸は、

 プテリジン
 pアミノ安息香酸
 グルタミン酸

 が直線上に結合したよくみるととるにた
りない構造をしていますが、(メチレン基
はプテリジンとpアミノ安息香酸のアミノ
基のあいだにholdされます。
 ちなみに推測ですがこの葉酸作用におけ
るpアミノ安息香酸に対するアナローグ阻
害剤として、サルファ剤:pアミノベンゼ
ンスルホン酸は細菌の増殖抑制に対して効
果的です。)
 またヒトはプテリジンを合成することが
できません。

(植物や微生物は、アデニンやグアニンを
合成する回路をつかって、プリン5員環の
かわりに6員環を形成します。)

 ですから、葉酸もB12も、メチオニン
もヒトは食餌から摂取しなければなりませ
んが、

 重大なことに、C1炭素は一面では遺伝
子のONOFFにかかわっていて
(遺伝子塩基のメチル化は、機能の休眠)、
 遺伝子のswitchingは、細胞の分化にか
かわってきますから、C1代謝の変調は、
すなわち細胞の分化異常、

 すなわち不摂生な食事メニューは、腫瘍
リスクをたかめることになるようです。


====================

 金属クラスターの章

====================

 ここでは、最近興味を持って調べていた遷
移金属クラスターのことについて書きます。
 とはいっても、わからないことを明確にす
るために記してメモした結果の公表なので、

 教科書のように読まれても困るのですが
 グリンタフ黒鉱鉱床は主に古代の海底熱水
鉱床ですがそれは主に硫化重金属でできてい
ます。
 またそこは古代の細菌レベルのわれらの先
祖が生きていた場所でもありました。

 状況証拠的には、それらの過去の遺産が、
いわば過去の記憶の化石としてわれわれのか
らだの細胞のなかにもいきづいているわけで
す。

 筆者は遷移金属の化学にそんなに詳しくは
ありません。

 遷移金属ほど原子番号がおおきくなるとそ
の内部構造は:電子軌道の意味としても複雑
になってしまい、理論のうえでも厳密にはと
けず、また概念の意味でもなかなか普通の理
解を寄せ付けません。

 残念ながら筆者にとって、化け学も生物学
も博物学のひとつにしかすぎないようです。

 その意味では、経験からおぼろげに定性則
の輪郭を把握する、芸術私小説よりは、
 暗示暗喩類型的哲学的風刺演劇とか比較歴
史学あるいは一般文明学にちかいものです。
 化学や生物学は。残念ながら。

 遷移金属とは

 なにが遷移するのか、という意味ではそれ
は「状態」遷移のことを意味しています。

「ゆっくりと、その性質がかわっていく」わ
けですね。

 それはもちろんナトリウムやリンのように
元素単体の性質が激烈に、めまぐるしくかわ
る典型元素にくらべて、
 遷移金属はすくなくとも純粋な金属単体で
はそのおだやかな性質は元素間でほとんどか
わりません。常温反応においていきなり火を
ふくような、極端な物質は存在しません。

 それは原子の軌道殻に古典的な表現では電
子が惑星のように、つまっていく過程におい
て、遷移金属の領域では、原子番号の増加に
したがって、電子が最外殻軌道ではなく、原
子の比較的内側に詰まっていくためです。

 なんでそうなるの、と「どうして坊や:
(レッドデータアニマル指定)」はいうので
しょうが、それは電磁気学上の宇宙定数がそ
う決まってるからこその、現象の帰結なのだ
よ、遷移金属の存在は。

 見あげてごらん夜の星を♪

 というみもふたもない答えしか返すことが
できません。

 どうして僕たちはこの宇宙にいるの?とい
うこたえに対して、たまたまこの宇宙が自分
たちを作るのに適していたから、僕たちがた
またまうまれてきたのさ、という理解を宇宙
論では「弱い人間原理」と読んでいますが、

 その意味ではこの宇宙は

「弱い遷移金属原理」

 にも与しているともいえます。

 たぶん真実であるところのこの冗談哲学の
けむをはらって、具体論にもだりますが、

 金属の状態ではそれぞれがとてもよく似た
性質を持つ、遷移の金属は、その最外殻に電
子をおおむね2個もつからです。
 ただ、一度その最外殻の電子が化合や化学
反応によって剥ぎ取られると、それぞれがよ
り個性のある内部の特殊な科学的性質を表に
あらわすようになります。

 これが金属化合物?という激烈な性格をも
つものもあります。

 個々の金属元素の概略

 生化学で材料問題となうのは、地球に比較
的存在量の多い、つまり生物が利用しやすい
金属元素で、それは原子番号のちいさい原子
が多いです。
 それは3d軌道元素とよばれ、10種あり
ます。もちろんこのすべてが生物に関係する
わけではありません。
 また一部これに属さない元素もあります。

 順に

 Sc Ti V  Cr Mn
 Fe Co Ni Cu Zn

 スカンジウム
 チタン
 バナジウム
 クロム
 マンガン

 鉄
 コバルト
 ニッケル
 銅
 亜鉛

 このうち、生物現象に関係があるとされて
いるのは、

 V Mn Fe Co Cu Zn

 ですが、重要な反応に関わっているのは、

 Mn Fe Cu

 マンガン
 鉄
 銅

 でしょう。

 コバルト、亜鉛はその欠乏は深刻な疾病を
引き起こしますが、化学的性質からいうとそ
の両者は化学反応に対する安定化触媒の面が
あり、
(話題としては)ややおもしろみにかける面
があるかもしれません。

 ここではこの3者に加え、所属では4d遷
移金属である、

 Moモリブデン

くわえてエッセイを書いていきます。

 ◎価電子の解説

 遷移金属のエネルギー化学では、あまり電
気的な誘引力は問題にされません。

 最外殻の価電子はおおむね2個なのでそれ
だけの化学的性質はあまり変わらないからで
す。

 それよりは2個の電子を放出して内部の電
子構造の違いが剥き出しになった2価以上の
陽イオンになった常態で、その性質と特徴が
あらわれてきます。

 遷移金属がその電子をうめていくd軌道は、
電子の席が10個あり、その電子の埋め方と、
その安定的な組み合わせどうしのエネルギー
順位の差がいわば量子の階段として段階的な
化学反応を示します。

 たとえば、(厳密には遷移筋像区ではあり
ませんが)蓄電池につかわれている鉛は、陽
極も陰極にも鉛版がつかわれていますが、
 充電状態では、

 陽極には 4価の鉛イオン
      析出した二酸化鉛の被覆
 陰極には 0価の鉛(非)イオン
      純鉛の板

となっていますが、

これは双方とも放電後は

 溶液中に 2価の鉛イオン
      硫酸鉛溶液

となります。
(陰極の鉛はすべて、放電後に溶けきってし
まうわけではありません。)

 これをもういちど充電すると、

 陽極側では4価の鉛(赤い膜)
 陰極側では0価の金属鉛

 として再付着します。

 これは鉛が、4価と2価の比較的安定なイ
オン状態をとるころが出来、そしてそのあい
だを流動的に変化できるからこそ実現できる
芸当なのです。

 ・・・実は生体内でも、遷移金属の化学と
は、この鉛蓄電池とおなじく遷移金属が多価
の安定イオン状態を移行することにより、細
胞内のエネルギーの出し入れでもある電子の
酸化還元反応の重要な一部をになうからでも
あります。

 ◎d電子の安定状態についての考察

 電子には、ほかの素粒子と同様、回転に関
わる量としてスピンという量があり、これが
空間的にはとびとびのゆるされている閾値と
してうわむきしたむきというものがあります。

 そして電子は、近傍に電子がいるときにか
ぎりたぎにうわむきしたむき状態対になって
巨視的にはスピンが対で0にみえるような状
態を取っておちつくことを好みます。

 エネルギー的にもこの方が最小なのでしょ
う。
 有機化学でおなじみの電子オービタル概念
が、遷移金属d電子の理論でも存在している
ようですが、筆者はその概念にちかよりたく
はありません。・。

 典型元素におけるp電子の軌道の電子雲は、
p電子雲の電子席がちょうど6なので、うわ
むきしたむき状態でペアになってXYZ軸に
展開し、ちょうど3次元的に理解しやすかっ
たのですが、

 d電子の場合、要素が10、スピン対を考
えてもそれは5対で空間的にも認識しずづら
く、また1スピン対の電子雲もp電子のよう
に素朴なねじった棒風船のようなかたちでは
なく、蝶の羽のような平面にひろがったかた
ちをしています。

 わかりやすい解説書がないのは、たぶん数
式解をビジュアルに表現することがむすかし
いからなのでしょう。

 ですから、以下、

 個人的な経験則と憶測と偏見!にしたがっ
て文章を編むことにします。

「
 ・すみにまとまっていたほうがいいのか、
 ・ひらたくばらけていたほうがいいのか
 」

 ・・・これは細胞生物学者の岡田先生の著
書にあった表現なのですが、

 たしか、角とへりがくっつく蛋白質だから
カドヘリン、

    (この命名を聞いたとき、失礼ながら無粋な
    ことばだなあと筆者は想ってしまいました。

     学者がある程度センスがお洒落であること
    は必要だと想います。
     段取りとしての理論は美学ですから、数学
    の業績などを横から眺めていますと、学問と
    は芸術の一種かもしれないとの感を強くしま
    す。

     カミュとサルトルの論争は不毛だったらし
    いですが、
     それはエリートが経験の乏しいまま、青臭
    い議論をする悪い伝統のある一風景のような
    気もしないではありません。
    (confer、デカンショ。)

     おなじフランスでも、百科全書派のような
    美学の収集としての博物学が、ドイツ的な愚
    直さと結びつくと、(役人としては失敗した
    こともあったそうですが)ゲーテやガウスの
    ような結果にむすびつくのかもしれません。

     ただ、ドイツの愚直さが、カント的なパラ
    ノイアとしての形式主義に結びつくと、それ
    はハイネがあやぶんだような暴力になります。)

:細胞接着のカドヘリンのからみの研究とも
関係がありますが、細胞の細胞再集合の程度
をカウントする数値として、

 ・あるおおきさ程度以上の細胞塊の個数を
  カウントする

 のと、

 ・まだ単一でまとまっていない細胞の総数
  をカウントする

 のと、どちらが方法論として正確な概念な
のかという問題提起でした。

 これはいわばボイル・シャルルの理想気体
論のような、いかに物理学的なモデル概念を
構築できるかどうかという仮説に対してのテ
クニックのはなしにもみえます。

 ふつう、素朴に考えると前者をとりたがる
ものだとおもいますが、

 すくなくとも後者の遊離細胞の数がもし0
であるとすれば、その系では「すべての細胞
が集合している」とみなせるではないか、と
著者の先生は述べられていました。

 これは情報論学的な話題ですが、粒子の無
数を扱う場合という意味での電子論や熱力学
は、統計学でありますがら、このような概念
の現実の現象が強く影響されます。

 エントロピーという概念は、このような世
界から生まれました。

 たとえば、超低温物理の世界で、
「熱雑音冷却」という手法があります。

 たとえば技術的に、

「これ以上は冷やせない」

 という極低温があったとして、それをあと
すこし冷却したいという時に使用する手法で
す。

 あらかじめ冷却体の原子の磁気方向を強力
な磁場でそろえておき、その状態のまま技術
的な超低温にまで冷却します。

 そして、冷却が完了したら、磁場をはずし、
その状態で冷却体にある種の原子的なショッ
クをあたえてやると、磁場の自由にめざめた
原子は、てんでに勝手な方向に磁場の自転軸
をふりむけようとします。

 このとき周囲の環境から、いわば「情報熱」
を吸い取ってしまうがゆえに、その担体は、
ごくわずかなあとすこしの冷却が可能になり
ます。

 これはたとえが大仰ですが、いわば古典的
なアイスキャンデーを作り実験と同じです。

 これはむかしはポピュラーな実験でした。

 試験管のなかにジュースを入れ、割り箸を
突っ込みこれを凍らせてアイスキャンデーを
作りたい、とします。

 この試験管をこまかく砕いた氷の山
(氷水ではだめです。なぜだめなのかわから
ず筆者は子供のこと不思議でした。大量に水
があると、発生した負の溶解熱は、水のほう
にとられてしまい、確かに水温は降下はしま
すが、それは冷却率として、氷点以下になる
ことはないからです。)

 のまえにもっていき、その掻き氷に大量の
塩をまぜこんだあとに、突っ込むと、塩の氷
が氷点下にまで下がり、ジュースを凍らせる
ことができるのです。

 塩は、氷のとけてできたわずかな水分にと
けこもうとしますが、結晶の塩が融解すると
き、

「塩の原子がばらばら」

 の状態になるときに周囲から熱を奪います。

 この融解熱の現象は普通に固体が高温で液
化するときにもカロリーとして周囲から熱を
奪うことにもなるわけです。

(出来たこの濃いわずかな塩水が氷点下でも
凍らないのは、モル凝固点降下で、融点が氷
点下までさがるからです)

 これは液体の例ですが位相物理の例として、
 お湯を沸かして蒸気にするとき、沸騰して
いるお湯をいくらがんがんに煮立てても、
 鍋の中に熱湯が残っているかぎり、(一気
圧では)湯の温度は、たとえばけっして12
0度にはならない理屈です。

 液体が残っているかぎり、沸点の液体にく
わえる熱はその状態を変化させることにのっ
み「すいこまれ」けしてその液体そのものの
温度をあげない現象と、おなじことです。

 秩序がある状態と無秩序のあいだは不連続
です。

 状態として、固体と液体、液体と気体のあ
いだも不連続です。
(液体は固体よりも粒子がばらばらですが、
境界として界面が存在しているという意味で
は、気体よりも不連続です。)

 統計的に多数の粒子が存在しているとき、
ある秩序相がこわれ、より乱雑なあたらしい
秩序に不連続に移行するとき、その状態間で
ある一定量の熱を出したり入れたりします。

 この状態間である簡単な数式が成立すると
きその概念量を先人は、

 エントロピーといったのでした。

 荒唐無稽な話をひとつ。

 宇宙開闢のころ、宇宙が素粒子レベルまで
に小さかったころに、宇宙の物理状態がこの
不連続な状態をとびこえたとき、一気に解放
された潜熱が、巨大なエネルギーとなって宇
宙をひのたまにしました。

 これが、インフレーションとかビッグバン
とかいわれるものです。詳細な理論はもっと
複雑ですが、人生はみじかいのでじぶんはそ
れをあんまり理解したくはありません。

 で、

 遷移金属の3dの軌道にどのように電子が
つまっていくのが現実の状態からみてもっと
もエネルギーが低いのか:安定なのか、安定
相に移行するにあたってどれだけのエネルギ
ーの放出があるのか、というのも、

 このような電子配置状態間の「秩序」がど
れくらいのエネルギーをもっているのかにか
かってきます。

 実際のところ、現実の原子はかなりの複雑
系なので、現象を計測してその現象を概念理
論が解釈するしか現実的には、対処のしよう
がないでしょう。

 しかし、最近はスーパーコンピュータがそ
れを気の遠くなるような計算量で可能にしつ
つありますので、それを動的な理論モデルで
説明することも可能になりつつあるとおもい
ます。

     *

 電子配置がばらけていたほうが安定なのか
まとまってきたほうがいいのか、は概念的に
は一概には言えません

 ケースバイケース、というところでしょう
か。
 黒体輻射の研究で、熱力学としての量子論
の黎明期のとき、

 熱せられた物質からでる光のエネルギーの
総量を求めよという問題がありました。

 これは、ドイツの製鉄業の技術が元になっ
ているといわれています。
 どろどろにとけた銑鉄の温度をはかるのに
まさか直接突っ込める丈夫な温度計はどこに
もありませんからその赤から白にかわるよう
な鉄の色で温度を測る理論がドイツで発達し
たといわれています。

 低い温度でよく合致する
 レーレイ(レーリー)の赤の理論

 と

 高い温度で合致する
 ウィーンの青の理論

 とのふたつがあり、

 当時はこのふたつをどのような概念で統合
するのかというのが問題になっていました。

 自身は、休暇前に早く論文をしあげたかっ
たがゆえの偶然の産物だといっているようで
すが、

 そのふたつをむずびつけたものがプランク
の量子的な概念です。

 赤の理論では、すべての波長のひかりの粒
子が平等にエネルギーをもらって輝く物体か
らとびだしますが、

 青の理論ではそれが、より高エネルギーの
波長の粒子に優先的にあたえられ不平等に放
射される、という結果になりました。

 いわば赤の理論では、状態がばらけている
ほうが自然な世界であり、

 青の理論では、効率よく目的を解決できる
かぎられた位相に優先権があるいわば選民的
なデジタルな世界です。

 量子論とは、そのケースバイケースのある
程度の取り決めを記述した概念といえるかも
しれません。

・・・ただ、筆者はこの話題をいわゆるひと
つの傾向論として持ち出したわけではありま
せん。

 数式で、遷移金属の挙動を逐一記述しよう
としてもそれは土台無理な話です。

 ◎遷移金属の外側殻の電子配置について

 順に電子がうまっていく順番に原子暗号が
対応していきますから、ここではその順番に
元素名を記述していきます。

外側

4S軌道 ・ ・  2個
     K Ca

3d軌道       10個
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
ScTiV CrMnFeCoNiCuZn

 となりますが、現象的にはたぶんそう単純
ではありません。

 ばらけたほうが安定、という原則がある程
度あたってているという仮定では、
 マンガンまで電子スピンは同じむきではい
っていくとも考えられます。

 つまりスピン態のそろい方に原子によって
ずれがあると考えることも出来ます。

 また電子が密になってくる後半の元素では
もはやばらけるのではなくスピンの「カード」
をそろえたほうが秩序エネルギーの安定に貢
献できるものかもしれません。

3d軌道だけでかきますと

↑              スカンジウム
↑  ↑           チタン
↑  ↑  ↑        バナジウム
↑  ↑  ↑  ↑     クロム
↑  ↑  ↑  ↑  ↑  マンガン
               (準安定)

――――――

↑↓ ↑  ↑  ↑  ↑  鉄
 ・

↑↓ ↑↓ ↑  ↑  ↑  コバルト

↑↓ ↑↓ ↑↓ ↑  ↑  ニッケル

↑↓ ↑↓ ↑↓ ↑↓ ↑[] 銅

↑↓ ↑↓ ↑↓ ↑↓ ↑↓ 亜鉛
               (安定)

 現実の遷移金属の電子配置がこのようにな
っているかはわかりません。
 あくまでもこの表はモデルです。

 遷移金属10番目の亜鉛は3d軌道がすべ
て満席になっているので、逆にいえば典型金
属的に振舞います。

 その証拠に銅までの金属の融点はおおむね
1000度以上なのに、亜鉛になると急に6
00度程度にまで融点が低下します。常温で
唯一液体の金属である水銀は亜鉛族です。

 逆にいえば、3d電子の欠損などにより銅
までの金属は潜在的な結合エネルギーを持っ
ているといえるでしょう。

 亜鉛の縦の族は、マグネシウムやカルシウ
ムのようなアルカリ土ににたふるまいをしま
す。ともに最外殻の電子の価数は2価のみで
す。
 カルシウムにまじって骨に沈着し、公害病
を引き起こしたカドミウムは、亜鉛族の元素
です。

 ここで、電子スピンを基準に、マンガンの
状態を準安定だとかんがえると、鉄の最初に
スピン対になった電子が、

 実は整合性の意味では余計なものである可
能性に気がつきます。

 鉄は、ばあいによってはこの電子を捨てた
がるのではないかと。

・遷移金属は、最外殻の4S電子を放出した
2価の状態が原則状態ですから、

 さらにひとつの電子を放出した際には、
 3価になります。

 つまり

 Fe2+ → Fe3+ + e-

ですね。

 同様に、銅の電子配置はあと電子が1個あ
れば安定な亜鉛の状態におちつくことが出来
ます。

 つまり

 Cu2+ + e- → Cu+

 です

 つまり、このふたつはもちろん「遷移金属」

 ですが、一度2価の4s電子を失って水溶
液中イオンの状態になると、それはあたかも、

・アルカリ金属とハロゲン、

 または

・n型半導体とp型半導体

のように振舞います。

     *

 ・・・わたくしの私的な感傷で申し訳あり
ませんが、この概念は、初頭か晩秋、鈍行列
車で線路崖下の岩場磯の海岸によせては返す
にび色のおそらく冷たい波の色とその泡をな
がめていてふと想いついた想念でした。

 発想の泉とは、枕、馬の鞍、かわやがbig
 threeですが、それはいわば生活や仕事の
しがらみから一瞬でも開放された無意識の上
での「自由状態」が自由な発想化学反応のう
えではおそらく重要だからです。

 これはおそらく「リゾート」やoffという
概念の施肥的積極の本質なのでしょう。

 同じようなことを寅彦氏も書いていたよう
な気がします。

 塩素ガス中で金属ナトリウムを燃焼させる
という反応は、たしかにナトリウムから塩素
に電子が移るという意味では、

「酸化還元反応」ですが、

 そのような激烈な反応は、生体は使用でき
ないので同様の反応を利用したいときは、生
体は鉄イオンと銅イオンを使用します。

 幸いというか、当然だからそうなったのか
わかりませんが、

 鉄の3価と2価のエネルギーの差と、
 銅の2価と1価のエネルギーの差は

 前者のほうが差は大きいので、

 鉄の電子放出がおこれば、自然に銅イオン
の電子吸収反応は駆動されることになります。

 ところで、秩序エネルギーとして鉄が電子
をさらに1個放出したがる仕組みは概念的に
はわかりましたが、

 それではなぜ、おなじような位置に相当す
るスカンジウムは同様の現象をひきおこさな
いのでしょうか。

 それはおそらく、鉄の場合は
 5つの孤独な電子(不対電子といいます)
がすでに存在しているがゆえに、

 その既成事実、前例に対して異端という意
味で秩序を乱すエネルギーが大きいというこ
とになりますでしょうか。

 スカンジウムの場合、電子配置の前任前例
がないからこそ、パイオニアの電子であリ、
あるいみ自由に自分が法律のようにふるまう
ことができます。

 スカンジウムは素朴に3価のイオンになる
ようです。

(そもそも、秩序エネルギーの安定状態とい
えばたとえば塩素が電子を奪って陰イオン、
ナトリウムが電子をひとつ失って陽イオンに
なりたがるのは、
 その電子配置のエネルギー差分が、そもそ
も原子が帯電することによるクーロン力をう
わまわる不安定状態であることから現象とし
て、発生します。)

 ◎余談項目題改名

 そのつぎのチタンも素朴に4価の金属イオ
ンになろうとしますが、典型元素の電子物理
の常識からいえば、4価のイオンというもの
は「過剰な」陽イオンです。

 そのため炭素を除き、4価を取る典型元素
はその結合に共有結合の気配がまじり、また
どうじにおおくが半導体です。

 しかし、チタンの4価化合物は、たとえば
酸化物であるばあい、それは酸化物酸として
の挙動をとろうとします。

 二酸化チタンは安定な物質ですが、紫外線
などによって励起されると、そのぶんのエネ
ルギーがそとにふきだし、有機物などを分解
するはたらきをもつようになります。

 また酸化物酸としての面がありますから、
二酸化チタンはその他のアルカリ土のような
2価金属のアルカリ性酸化物と共晶を作るこ
とがあります(ヘロブスカイトの例をふくむ)

 ◎マンガン

 マンガンは不対遺伝子の意味では電子席が

「満貫全席」です。

 ですから内部3d電子を外部に出さずに静
かな化合物イオン(2価)として余生をおく
っていたかったのでしょうが、

 外部のイオン電位の環境がそうは問屋がお
ろしませんでした。

 チタンから鉄に至る元素は、

 3価以上のイオン状態は、かならず酸化物
酸としての側面を持ち、その化合物は酸化性
の腐食・分解効果をもちます。

 クロムの6価イオンは重クロム酸の成分で、
その酸化作用は強烈な殺菌力と腐食作用を持
ちます。

 実は酸素は、自身が強力な酸化剤であるの
みならず、ノンポリ、あるいは中程度に過激
な陰性元素をのっとり、自分の作用としての
下僕にしてしまう性質があります。

 塩素は、先入観ではかなり過激な元素とし
て想われていますが、
 実は反応性という電気陰性度のたちばから
みれば酸素のほうがよっぽど矯激で、その塩
素をものっとり、のりこなしてじぶんの化合
物にしてしまいます。

 漂白剤の次亜塩素酸ソーダ、 NaClO
 火薬の塩素酸カリウム、   KClO3
 過塩素酸塩         MClO4

 M:metal

 と、うえから順に強力な酸化剤となってい
きます。

 この意味では、弗素の次に矯激な酸素のち
からをすれば、希ガスのキセノンの酸化物も
理屈の意味では存在していても不思議ではあ
りません。

 チタンから鉄にいたる3価以上の電子的酸
化状態は、おそらく化合物としては酸素によ
っておとしめられた姿なのです。

 酸素はいまでこそ、それがなくては動物は
生きてはいけない必須の救世主ですが、
 硫黄が世界をおさめていた時代では、とん
でもなく激烈な腐食ガスだったので、当時の
世界相が壊滅的な打撃をうけてしまったこと
は、敗者の歴史として、じつはあまりしられ
ていません。

     *

 遷移金属のもともとの2価の金属陽イオン
としての本来の立場からみれば、

 酸素にイオン原子をのっとられ、その過数
を3価以上に

 ぐいーっ

 とスライダー・ボリュームでかえられてし
まった金属イオンはすでに、

「金属のようで、すでに金属ではない」

 状態になってしまっています。

 過酸化物としてのその原子団イオンは全体
としてハロゲンイオンのような陰電荷をもつ
のみならず、

 それ自体が相手をやきこがす

「燃える酸化剤」

 となってしまっています。

 ふつう、

 金属の酸化物が水和して水に溶ける場合、
それは加水分解を経ますからいわばその金属
にとって水酸化その金属の水溶液になるはず
ですが。

 しかしクロム酸カリウム

 K2CrO4

の黄色い水溶液は、

 2モルの KOH と
 1モルの Cr(OH)6

 の素朴な混合液ではありません。

 クロムの原子に、酸素原子が強烈に食い込
んでしまっています。

 ふつう、遷移金属の価数で、比較的おだや
かな状態をとるのは価数4までで、

 それ以上になると性質が腐食性の意味で激
烈になってきます。

 6価クロムである重クロム酸カリウムのこ
とについてはのべましたが、

 有機物滴定にもちいられるその理由として、
その

「分解できないものはない」

とまでされる激烈な過マンガン酸カリウムに
いたっては、その荷電指数=酸化数は7です。

 この薔薇色の物質は、マンガンの4s電子
と3d電子のすべてが酸素によってもぎ取ら
れてしまっています。

     *

 事象をわかりやすくするために、あえて極
端な例をもちだしましたが、生体内でこのよ
うな激烈な状態の金属が存在しているわけで
はありません。

 ただ3価以上の金属イオンは生体内で酸化
還元反応にかかわっているはたらきがつよい、
といういうことを強調したかったわけです。

 ただ、鉄の次、コバルト以降は、電子を放
出するよりは受け入れるほうが秩序エネルギ
ー的には安定するので、3価以上の金属には
なかなかならないようです。

 その意味で、積極的に酸化作用を発揮する
ために元素を選ぶとすればそれはクロムかマ
ンガンか、ということになります。

 ・・・自然は、マンガンを選んだようです。

・マンガンの価数

 通読氏は小学生の頃に習ったはずの

「二酸化マンガン」

 という言葉をおぼえているでしょうか。

 これに過酸化水素水をそそぐと、ぶくぶく、
酸素が発生してくる、というあれです。

 あの当時筆者は、

「二酸化マンガンは「触媒」です」

 とおそわり、それ自体は反応の前後で変化
しないからそのはたらきは、知らなくていい、
とおそわりました。

 しかしこれはそこそこつよい酸化剤であり、
オキシドールに対しては、酸化剤に対する酸
化剤、いわば互角のボクサーどうしが、パン
チを対等になぐりあって、酸素(はなぢでは
ない)を吹き出しているというすがたが近く
もののようです。

 ただ、常温空気中では二酸化マンガンのほ
うが安定、ですから、不安定で弱い挑戦者の
ほうが一方的にはなぢ、いえ、酸素をふきだ
して対戦、終了、といったところが近かった
のかもしれません。

 二酸化マンガンの価電子=酸化数は+4で
す。

 また乾電池には、二酸化マンガンがつかわ
れています。陽極は炭素棒なので、乾電池は
事実上亜鉛の単電池です。
 その意味で起電力:1.5Vと原理は事実
上ボルタの電池と同じものですが、反応がす
すむにつれて、たまってくる起電妨害物質を
軽減するためにくふうされたのが、乾電池で
あり、正式にはルクランシェ電池とよばれま
す。

 溶液糊に、塩化アンモニウムと二酸化マン
ガンが練られて詰められています。

 ボルタ電池が電力が低下するのは、

・陰極がわでは亜鉛イオンがたまって、亜鉛
極から亜鉛が溶け出すのを妨害するから、

・正極がわでは、付着する水素が電離して、
電池の外側に逆向きに電気を流そうとするか
らです。

 前者の防止は、アンモニウム、
 後者は二酸化マンガンが防ぎます。

 アンモニウムは亜鉛イオンと錯体をつくり、
ビスアンミン亜鉛イオンとなって濃厚なアン
モニウムが存在するかぎり、内部金属缶でも
ある亜鉛極を溶かしつづけます。

 いっぽう正極から電子を受け取って発生す
る水素は、二酸化マンガンが適宜、

「放出する酸素」

 によって、化合し、水となっていくので分
極電流を阻止することができます。

 つまりこの場合は、二酸化マンガンは

「消費」され、

 マンガンのイオンの価数は+4から+2へ
とだんだんと減っていきます。

 ◎マンガン価数実例、最後に。

 筆者は中学時代、
 植物の水耕法の資料を百科事典で読みハイ
ポネックスに液滴レベルで追加すべき極微量
要素の処方を読んでそれを配合しようとした
ことがあります。

 錫、銅、亜鉛、ホウ素、そしてマンガン

などが書かれていました。

 たいていの物質は理科室に塩化物とか硝酸
塩の区別をしなければ試薬はあり、またない
ものでも希硫酸や希塩酸に金属片や炭酸塩を
溶解すればすむものでしたが、

 はて、マンガン。

 悩みました。

 理科室には二酸化マンガンと過マンガン酸
カリウムしか試薬はありませんでした。

 二酸化マンガンは水に溶けません。

「過マンガン酸カリをまぜちゃいけないんで
すか」

「あんなきついくすり、肥料につかうの?」

 ・・・いまにしておもえば、ごく微量、ご
く希薄な濃度のうえで、1000倍希釈で一
滴追加するレベルだったので、別にそれでも
かまわなかったような気がしますが。

    (6価クロムの騒動でもわかるように、遷移
    金属・重金属の毒性はその潜在的酸化力(の
    強さ)に相関しているようにも想えます。
     どんなに希釈しても、重金属は「毒は毒」
    なのかもしれません。またd電子の酸化力は
    より原子内部にありますので、活性が揮発し
    にくく、悪い場合に出た場合は、「たちの悪
    い」効果としてあらわれるかもしれません。
     アルキル共有結合処理されて、目標まで的
    確に到着処理された重金属は、細胞毒薬剤を
    して処方されることがあります。
     金のイオンは強力な酸化力をもちリューマ
    チの薬に、白金は抗腫瘍薬になります。)

 ただ、無知というものは怖いものでそれで
も可溶性で、激性のない物質を作ろうとして、

 2価塩化マンガン

 を作ろうとしました。

 製法は、ごく簡単、

 ごく少量の二酸化マンガンをこれもすくな
めの「濃塩酸」

 でゆっくり過熱しつづけるというものです。

 二酸化マンガンは水溶液に溶けないので、
激しく熱すると反応のまえに塩酸が揮発して
しまいうまくないのだとのこと。

・・・当時は、自分は詳しい反応の詳細もし
るよしもありませんでしたが、
 初歩の化学を知っているひとならわかると
おもいますが、これは実は、

「塩素の製法」

 でもあります。

 当時は、自分がそれが塩素の製法であるこ
とを知っていたかどうか、いまとっては心も
とない気がしますが・・・。

 当時の言動の記憶をおもいだすに、

 でもたぶん、正確な反応式を書けなくても
それだけは知識として知っていたような気も
します。

 ・・・その日は確か上の学年の三者面談の
日で、理科室のとなりの教室でも、

 順番待ちをしている父兄が廊下で椅子に座
ったりしていましたが、

「へんなにおいがただよってきても
 きにしないでくださいね」

 顧問の先生が親御さんに声を掛けていた光
景がおぼろげながらおもいだされます。

 反応式は、いまくみたてるとこのようなも
のだったのだろうとおもいます。

 4HCl + MnO2 →

 MnCl2 + 2H20 +Cl2

 そうですね、うん。

 マンガンは還元され、+4から+2
に価数は減り、

 いっぽう塩化水素(のはんぶん)はマンガ
ンによって酸化され、塩素になります。

 ・・・酸化、還元というのは実は概念が段
階的にはむずかしく

 1 酸素がくっつくのが酸化である

 2 水素が引き抜かれるのが酸化である

 3 電子が引き抜かれるのが酸化である

 のどれもが酸化です。

 この3つの違いは、高等学校で教わること
とおもいます。

 また受身の「受動態」かどうかで酸化還元
の立場もまた180度かわってくるのでした。
英語で頭の痛い「be done」は、化け学でも
かおをだします。

 この場合は、2で説明が出来ますね。

 ・・・出来た塩化マンガン(U)は純粋で
あればピンク色のはずですが、なぜか黄色い
粉末になりました。たぶん、青緑色をおびた
ほかの価数のマンガンがまじっていたのでし
ょう。

 微量要素液の効果は不明でした。
 水道水で実験していたのですから。
 こども、でしたね(遠い目:笑)。

(ベランダの鉢が元気ない場合、ワンコイン
ショップで買った活力剤(オフィスの観葉植
物の根本にときどきみかける、緑の液体の入
ったおおきなスポイト)を使用すると元気に
なるのは、微量要素欠乏です。
 コンテナ栽培で容器の土壌を通年でくりか
えし使用していると、市販の肥料にふくまれ
ていない微量成分が欠乏します。いっぱん、
鉢植えは肥料不足になりがちです。)

 ◎マンガンとオキシドールについて

 この項目を脱稿したのち、高校範囲の参考
書をよんでいたところ、ちょうどこの項目相
当の記述にぶつかりました。

 概念要旨だけ転載しておきます。

 二酸化マンガンと過酸化水素の反応(一対
のはなぢボクサー)の概念は推測のとおりだ
ったようです。

 ただ、言っていることはわかるけれども、
まだ概念の初心者である高校生(全入時代の
現在の高校生はいわばしごきとしての知的鍛
錬をへていませんから、なおさら)にとって
は理解力の手にあまるものにみえます。

     *

 マンガンですが、二酸化マンガンが過酸化
水素に作用する反応は酸化還元の概念を利用
して説明できるようです。

 二酸化マンガンでは概念がわかりにくいの
で、過マンガン酸カリウム液に過酸化水素を
加えたばあいの反応がわかりやすいです。

 イオンと酸化数で考えるとわかりやすいの
で、

 2 Mn7+ + 5 H2O2 →

 2 Mn2+ + 10H+ +5 O2

 つまりマンガンの陽電荷が水素に移動した
ことになるわけですが、これはつまり

 10[H] → 10H+ + 10e-

 10e- + 2 Mn7+ → 2 Mn2+

 という電子移動反応であります。

 これは、定義により

・マンガンは電子を得るので、
 還元された立場
・過酸化水素は、電子を奪われるので
 酸化される立場

 ということになります。

 つまり、この場合は過マンガン酸カリは酸
化剤、過酸化水素は還元剤としてはたらくこ
とになります。

 過酸化水素は普通酸化物として受け取られ
ていますが、過マンガン酸のような激烈な酸
化剤とであうと、「卑屈に」還元剤の立場に
甘んじるようですね。

 これは連載延長した少年漫画で、田舎の番
長は広域の番長からみれば一手下でしかない
のとおなじ理屈です。

 おそらく二酸化マンガンとオキシドールも
おなじ種類の反応で、

 Mn4+ + H2O2 →

 Mn2+ + 2H+ +O2

 つまり

 2H→2H+ + 2e-
 2e- + Mn4+ → Mn2+

 マンガン側をイオン式ではなく組成式に書
き直すと

 MnO2 + H2O2 →

 MnO + H2O + O2

 となり、

 この式が正しいとすると、発生した酸素ガ
スのモル当量とおなじだけの二酸化マンガン
が消費されますからその意味ではオキシドー
ルとの反応において二酸化マンガンは
「反応の前後において変化しない」という触
媒の定義に反することになります。

 訳知り顔の生徒が

「せんせー、いってることとちゃうやん!」

 とさけびそうですが、二酸化マンガンの粉
末が空気中で安定なことを考えると、2価の
マンガンは空気中の酸素によって次第に酸化
されてもとの4価のマンガンにもどるのかも
しれません
 あるいは反応中すでに発生した酸素と、2
価・4価間の平衡がすでにあるのかもしれず
その意味では

 [MnO2] + H2O2 →

 [MnO2] + H2O + 1/2 O2

 という式はあながちまちがいではありませ
ん。

 なお、このあたりの議論について、筆者は
厳密に酸化還元電位的にしらべたわけではあ
りません。

 後述しますが、たぶん光合成の酸素発生装
置はこの4価のマンガンの微妙な性格を利用
したもので

 酸素発生装置に連結している、進化によっ
て高いエネルギーを獲得できる用になった光
合成色素がその系から光エネルギーによって
電子をひきぬき、

 [MnO2] + 2OH-

   ↓→2e-

 [MnO2] + H2O2:便宜的記述 →

 [MnO2] + H2O + 1/2O2

 厳密にはおそらく、

 ・→ Mn2+
 |
 |  ↓→2e-
 |
 |  Mn4+ +2OH- →
 |
 ・← Mn2+ +H2O +1/2O2

 という反応でしょう

 平衡系の水酸イオンは、電子が膜系のむこ
うがわに移送されるにともない、水素イオン
がともにおなじむこうがわに運ばれることに
よって発生します。
 すなわち、膜のむこうがわでは結果として、
その総和として水素が蓄積し、これが有機物
同化のための還元力となります。

 過マンガン酸カリウムと過酸化水素の反応
を組成式で記述してみます。

 マンガンが2原子、ありますから、過マン
ガン酸としては

 2KMnO4

 そして還元後のマンガンは2価の陽イオン
になりますから、2原子のカリウムとあわせ
て、塩溶液の表記(以下がなぜ硫酸塩かは後
述)

 とすると

 2MnSO4 + K2SO4

 が右辺の成分、

 過酸化水素の当量式を加えて

 2KMnO4 + 5H2O2 +3H2SO4

 →
 2MnSO4 + K2SO4

           5+m
+(5+n)H2O+(―――)O2
            2

 ここでnは硫酸の水素イオン由来の水分子
の個数、または過マンガン酸イオン由来の酸
素分子のなかの酸素原子の個数ですから

 n=3

 m+n=2*4

 ゆえにm=5

 よって水と酸素分身項目だけ記述すると

 +8H2O+5O2

 硫酸イオンの酸素を除外して右辺と左辺の
酸素と水素の勘定を検証すると

 ・水素

 過酸化水素から水素10原子
 硫酸から水素6原子=16原子

 水8分子として水素16原子

 ・酸素

 過マンガン酸2分子から酸素8原子
 過酸化水素から酸素10原子=18原子

 水8分子として酸素8原子
 酸素5分子として酸素10原子=18原子

 となって合致します。

 ◎なぜ硫酸なのか

 皮なめし用の重クロム酸カリウム液もそう
ですが、酸化剤の溶液は、酸性にして(つま
り水素イオン過剰にして電子欠乏状態を作る)
と酸化力が増しますので酸性にしますが

 その際の酸は硫酸を使わなければなりません

 それは塩酸などをつかうと塩化水素が酸化さ
れて塩素ガスになってしまい、揮発してしまう
からです(その際、当然クロムやマンガンの酸
化数は消費されて損失します。)

 4価の二酸化マンガンよりも7価の過マンガ
ン酸は作用が激烈なので反応がすみやかに進行
します。

 ◎4価のマンガン

 なぜ4価のマンガンが安定なのか

 上記の不対電子モデルをみていて気がつい
たことがあります。

 4s↑↓

 3d↑  ↑  ↑  ↑  ↑  マンガン

 ですから4価であれば3dからも電子がふた
つ出て、

 3d      ↑  ↑  ↑  マンガン

 となって不対電子が3つ残ります。

 いっぽう周期表上、一つ前のクロムはなぜ
か3価が安定です。

 4s↑↓
 3d↑  ↑  ↑  ↑     クロム

 d軌道からひとつでて、

 3d   ↑  ↑  ↑

 とこれも不対が3つ残ります。

 すくなくとも3d軌道では、不対が3つ残
っている状態はある程度安定なのかもしれま
せん。
 これが現実の原子電子理論でなにを意味し
ているのかは筆者にはわかりません。

(・・・人生はみじかいので、知りたくもな
いような気もしますが。)

 まあ、すくなくとも三次元空間に対する展
開なので、XYZ軸に均等に展開した理屈な
のか、あるいはsp2軌道のように、ω三乗
根のように120度ごとに3分割した話なの
かのどちらかかもしれません。d電子には謎
が多すぎます。
 銅イオンの錯体が、立方体ではなく正方形
になることも、何か理由があるんでしょう・
・・。

     *

 クロムでは、3価の状態が安定ですが、
 3dの電子がすべてではらった6価の状態
も高地のちいさな盆地の底のエネルギーとし
て準安定です。

 クロムの兄元素であるモリブデンでは、
 6価ではなく4価が安定です。

 これは、モリブデンのd軌道は、第3殻で
はなくさらに外側の第4殻にあるため事情は
すこし異なるのかもしれません。

     *

 地球の大気の環境下では、
 原子やイオンの電子状態はその本来の安定
状態とは異なっている状態で平衡安定すると
想われます。
 まちがっているかもしれませんが整理する
と、

 遊離酸素をふくむ
 地球大気での安定状態 真空中での安定状態

 鉄       3価 2価

 銅       2価 1価

 モリブデン   4価 3価

 マンガン    4価 2価

※水中生物や体液中細胞は空気と充分触れて
いるという意味で大気の酸素分圧と平衡して
いるという前提のもとに考えます。

 動物、すなわち地球の従属栄養生物は食糧、
すなわち有機物を食べて生活しています。
 食物を酸化して生きているわけですが、そ
の酸化とは水溶液中では、

 水素を引き抜くことにしかほかなりません。
 有機物は炭素もふくみますが、炭素に対し
ては

 C + 2H2O → CO2 + 4H

 というように水分子を介在して水素を引き
抜きます。

 食事とは、有機物を酸化して生きるという
ことですが、

 逆に考えれば、地球の酸化環境のなかでい
わば、

「食糧を還元剤としてもちいて、」

 細胞内に還元環境ワールドを作り、

 この微細機構が外界の酸化環境に対してば
ねのように跳ね戻る力を利用していきている
ともいえます。

 この機構が、遷移金属イオンが存在してい
る機構あるいは酵素環境で発現するとき、
 それは、空気中状態から本来の還元価数状
態に戻された状態がいわば、

 地球の酸化環境からみれば、励起状態であ
るともいえるわけです。


====================

 4 チトクロムC酸化酵素(チトクロムA)

====================

(この項目の推測は「そう単純ではない」と
いう意味ではまちがいであることが後日の検
査で判明しました。)

 これは、解糖系、クエン酸回路、電子伝達
系、とつながってきた呼吸反応の、最終段階、
最終的に引き抜かれた電子が、液中の水素イ
オンとともに、酸素にわたされ、呼吸産物と
しての水が精製される、受け皿としての最終
反応です。

 この反応には、銅イオンが介在します。

 こぼ酵素の中心には銅イオンが2原子存在
します。

 チトクロムCを酸化するのですからこの酵
素自身は上流からながれてきた電子によって
還元されることになります。
(チトクロムC酸化酵素は、別名をチトクロ
ムAと呼ばれ、自身の中にも、鉄ヘム:ヘミ
ン核を持っています。筆者はこのヘムが自身
の銅活性中心とどのような相互作用をしてい
るのかは知りません。
 ただ、おそらくは細菌性膜構造としてほぼ
同一の葉緑体光合成系において、おそらくこ
の位置にチトクロムFが存在していることは、
興味深いことです。)

 チトクロムはヘモグロビンとおじくポルフ
ィリン鉄をふくみ、この鉄イオンが2価と3
価のあいだを変動することにより、酸化還元
反応としての電子の授受をおこないます。

 上流のチトクロムとの介在反応において、
多量のATPを産生した電子は、このチトク
ロムCの電子としてわたされ、件の酵素の銅
イオンにわたされます。

 チトクロムCは電子を受け取っているので、
還元状態、よってその中心鉄もまた2価にな
っています。

 これが銅イオンに対して

 Fe2+ → Fe3+ + e-

 Cu2+ + e- → Cu+

と作用します。

 銅原子は、酵素の中心で、硫黄化合物(生
命は硫黄だらけ)として存在し、おそらくシ
スティンの硫黄原子と会合しているのでしょ
う。

 銅2原子が埋もれた硫黄クラスターですか
ら

 おそらく状態的には

 ―S- … Cu2+ … -S―

 ―S- … Cu2+ … -S―

 ということになっています。

 これが上流のチトクロムCから電子(ふた
つ)をうけとると、

 ―S- …  Cu+   -S―

 ―S-    Cu+ … -S―

 あまった荷電硫黄は、水素イオンをひきつ
け、

 ふたつの―SH基になりますが、それが(
状態概念かもしれませんが、)
 架橋によってその水素を放出します。

 ―S- …  Cu+   ―S―
           /
     ――――――
    /
 ―S―   Cu+ … -S―


 +2H

 この水素が、溶存酸素

(おそらく、

 2H2O + O2 ←→

 4・OH

 のかたちで絶えず存在している水酸ラジカ
ル)と反応して、水になります。

(架橋まえの硫黄が分子状酸素に直接電子を
あたえるのかも知れませんが。)

 酵素全体が 周囲の影響下によりまた酸化
状態になっていくと、

 架橋硫黄がふたたび1価銅を酸化攻撃し、

 ―S- … Cu2+ … -S―

 ―S- … Cu2+ … -S―

 と初期状態に戻ります。

 これはもちろん、こういう概念のありうる
かもしれないという思考実験にすぎません。


====================

 4−1 光合成と呼吸鎖電子伝達系の共通
点について(レポート)

====================

 現在では研究が進んでいるはずですのでこ
れだけ考察したものをそのままにしておくの
はしのびないのですこし調べてみました。

 基本的に、この考え方(チトクロムCとF
が相同)は正しかったようです。
 チトクロムCとチトクロムFが相同である
と、

(ポルフィリン核の分類がおなじ::

 チトクロムA  ホルミルポルフィリン鉄
 チトクロムB   プロトポルフィリン鉄
 チトクロムC/F  メソポルフィリン鉄

 出典wikipedia)

 仮定すると、ひじょうにおおざっぱな意味
では、光合成明反応は呼吸鎖電子伝達系の兄
弟反応であることになります。

 もっとも、進化によってかなりの部分が独
自的変化を起こしていることはまちがいない
ことですが。

 まちがっていることをおそれずに相同部分
を対比すると

・呼吸鎖電子伝達系

   NADHデヒドロゲナーゼ(複合体T)                 nH+
   2e-    +2H+ + NAD+ ← NADH + H+
   2e-     2H+                           ↑
   ↓      ↓                           プロトンポンプ
 ユビキノン  →チトクロムBC複合体→チトクロムC酸化酵素(チトクロムA)ATP合成酵素
   ↑   2e- ↓ (複合体V) 2e- (複合体W)           ↑
   2e-     2H+       2e- + 2H+ + 1/2O2 → H2O  nH+
   ↑
 複合体U=コハク酸還元フマル酸脱水酵素
(フラボプロティン)


・光合成明反応
        NADPH + H+ ← NADP++2H+          nH+
                    +フェレドキシン
          2H+       ↑ NADPレダクターゼ        ↑
          ↓         +フェレドキシン+フォトシステム  プロトンポンプ
 プラストキノン→チトクロムBF複合体→プラストシアニン 複合体TP700 ATP合成酵素
   ↑   2e- ↓        2e-                  ↑
   2e-     2H+                          nH+
   ↑
  フォトシステムU複合体=P680
  H2O → 1/2O2 + 2H+


――共通部と作用要素のみ抜粋

 呼吸(酸化反応) リボフラビンからの水素の流入は省略
             NADH + H+ (還元体)
             ↓→NAD+
             2e-     2H+          H2O ← 2H+
                    ↓             ↑  | ↑
             ユビキノン  チトクロム  チトクロムC ↑  |
                    BC複合体  酸化酵素   ↑  |
             ・=・                  ↑  |
            /   \                 ↑  |
         O=・     ・=O 2Fe3+   2Cu2+  ↑  |
            \   /                 ↑  |
             ・=・                  ↑  |ATP
                                  ↑  |プロトン
            ↓+2e- ↑→2e- ↓↑  →2e- ↓↑ →2e-+1/2O2
                                     |ポンプ
             ・=・                     |
            /   \                    |
         -O―・    ・―O- 2Fe2+   2Cu+      |
            \\ //                    |
             ・―・    ↓                | ↑
                    チトクロムBC複合体による水素イオン移送

 光合成明反応(光学系=フォトシステム)
                    2H+    NADPH+H+←NADP++2H+
                    ↓                   |↑
            プラストキノン チトクロム  プラスト    ↑    |
                    BF複合体  シアニン   Fe2+   |
             ・=・                  ↑↓フェレドキシン
            /   \                 Fe3+   |
         O=・     ・=O 2Fe3+   2Cu2+  ↑     |
            \   /                 2e-     |
 [水の光分解]      ・=・                  ↑     |ATP
 クロロフィル                         クロロフィル  |プロトン
 光学系NoU  → 2e-+↓↑  →2e-+↓↑ →2e-+↓↑→2e-光学系NoT  |
   |                           [還元エネルギー] |ポンプ
   |         ・=・               [の充電    ] |
 マンガンクラスター  /   \                       |
         -O―・    ・―O- 2Fe2+   2Cu+         |
            \\ //                       |
             ・―・    ↓                   |↑
 ↑    ↓             チトクロムBF複合体による水素イオン移送
 2HO- 1/2O2 +H2O

 相関図をみてみると、光合成と呼吸、両者
の(重要な)差はフォトシステムUの有無だ
けであることがわかります。

 同じクロロフィルを用いていますが、フォ
トシステムTとUではその構造がおおきく異
なるようで(くわしい資料をみつけることが
できませんでした)あるいはこの両者は起源
系統が異なるのかもしれません

 基本的に、重要なのは光合成では水から電
子と水素の陽イオンを引き抜くことですから
フォトシステムUのほうが重要でなおかつこ
ちらのほうが起源が古いことになります。

 システム名の数字は光の吸収体の波長によ
るもので、UはTよりも比較的赤い光に反応
します。

(筆者はよりあたらしいTがUの機能を補填
する補助色素系だとおもっていましたが、違
うようです)

 クロロフィルを用いるという意味では、た
しかにその起源は共通なのかもしれませんが、
このふたつの系は別々に進化してきたようで
す。どちらかしかもたない生物種があります。

 光学系Tは、水素の供給装置としての役割
があり、もともとは硫化水素を原料としてつ
かっていたと想われます。

 光学系もUもちろん合成エネルギーの担体
として出発していますのでこちらのほうが生
化学合成の意味では重要です。

 憶測にしか過ぎませんが、生息環境が十分
に還元的な状況では(つまり水素が豊富な環
境では)光学系Tは必要ないところから考え
ると、光学系Tはのちに進化したのかもしれ
ません。

 木星大気のようなごく始原的な環境では、
生命は水素をそのまま使うことが可能だった
でしょう。

 次第に(単体の)水素欠乏(太陽風や紫外
線の影響によって岩石惑星ではおそかれはや
かれそのような状況になります)が深刻にな
るにしたがって、水素を得るために適当な物
質を分解する必要が生じてきました。

 硫化水素を分解する、ということは硫黄原
子は、豊富に存在する物質としては鉄と親和
性がよいはずですから、その活性中心は硫化
鉄クラスターだったはずです。

 硫化鉄クラスターは蛋白質中に普遍的に含
まれ、また光学系T複合体は、NADP合成
の過程で、硫化鉄クラスター(フェレドキシ
ン)を使用しますので、光学系Uは光学系T
から進化したのだとしても、不思議ではない
と想います。

 おそらく、光学系T(NADP合成系)は
呼吸鎖電子伝達系の複合体T(NADデヒド
ロゲナーゼ)と部分的に同起源なのかもしれ
ません。NADデヒドロゲナーゼは逆反応が
可能です。
 NADデヒドロゲナーゼは、水素イオンと
電子を取り出す過程で、この伝達に複数の鉄
硫黄クラスターを使用します。
 これは「生体電線」の「半導体版」ともい
えるかもしれません。

 筆者は小学校の林間学校で、スーベニール
として硫化鉄の置物を買ったことがあります
が、それは化合物であるにもかかわらず、金
色の美しい金属光沢で輝いていました。

 トランスポリアセチレンや、鉛筆の芯がそ
うであるように、金属光沢で光る物質は、電
流を通します。これは原子からもれでた自由
電子が、導電帯として液体のようにふるまう
からです。「電子液面」が光を水面のように
反射するのです。

 実際、硫化鉄はおなじく金属光沢で輝く方
鉛鉱(硫化鉛)とおなじく半導体であり、無
電源時代の鉱石ラジオの検波装置につかわれ
ていました。

 くわしく調べたところ、呼吸鎖電子伝達系
複合体W(チトクロムC酸化酵素=チトクロ
ムA含有)はその活性中心に(おそらく)硫
化鉄銅(とされる)(カルコパイライト)の
クラスターを持っています。

 硫化鉄銅も半導体であり、金色で輝きます。
(現在はフタロシアニン・ディスクにほとん
ど市場が置き換わってしまいましたが、再書
き込み可能型のディスク(MD)用の物質と
して、硫化鉄銅の技術は実用化されました。)

     *

 ユビキノンとプラストキノンは構造はほと
んど同じです(プラストというのは、クロロ
プラスト:葉緑体の略です)

 これはまったくの推測ですが、

 プラストシアニン
 フォトシステムT
 フェレドキシン

 はまとまって呼吸鎖の方のチトクロムC酸
化酵素に対応しているように見えます。

 プラストシアニンは銅を含む蛋白質であり、
 またフェレドキシンは鉄を含みます。

 またチトクロムC酸化酵素(チトクロムA)
は、

・酸素に水素を与え水にするために銅を含み
・またその構造のなかに鉄を含みます。

 ただし化学反応は電位的には高いほうから
低いほうへながれますので、

 チトクロムC酸化酵素(チトクロムA)内
部では鉄から銅へ電子がながれますが、

 フォトシステムTのほうでは逆に銅(プラ
ストシアニン)の方から電子が鉄:フェレド
キシンに渡されています。

 これはおそらくクロロフィルの光励起エネ
ルギーが勾配をさからって電子をはこぶため
におこるのだと推測されます。

 空想思索として無責任に遊ぶのは楽しいも
のですが、
 あるいはチトクロムC酸化酵素(チトクロ
ムA)の内部ユニットが変異してこのような
系をつくったとみると面白いかもしれません。

 大胆な過程として、チトクロムAでもある
チトクロムC酸化酵素(チトクロムA)のポ
ルフィリン部分が鉄原子を失い、2次的に葉
緑素としてそれをかかえることになったのだ、
という仮定はどうでしょうか。

(構造解析的にはこの可能性はないようです。
フォトシステムTのクロロフィルは複雑な異
性体抱合をしているのでヘミンがそのまま変
異したとみるのには、無理があります。
 また鉄原子ではなくマグネシウム原子を持
つ場合、ヒスチジン残基の配位のような安定
なポルフィリンの結合が可能かどうかわかり
ません。)

 銅や鉄は、蛋白質のシスティン硫黄残基に
結合していますので、メタロチオネインのよ
うにただそれの結合部位を含むというだけで
は細胞や遺伝子のなかにどこにでもあるその
起源を特定的においかけるのはむずかしいで
しょう。
 起源がおたがいに異なるサブユニット同士
がたまたま抱合して相同機能酵素として、み
えているということでしょうか。

 ただ、原始的な細菌ではあまりNADとN
ADPを厳密に使い分けてはいないようなの
で、NADP合成酵素はたぶん、呼吸鎖のN
AD酵素がそのままドメインとしてくっつい
た気がします。生体は、生合成とエネルギー
代謝を制御においてわけたいがため、単に酵
素の基質特異性を区別しただけなのかもしれ
ません。

 以下参考。

 出典は失念してしまいましたが、バクテリ
オクロロフィルの合成系で遺伝欠損があると、
ポルフィリン環の二重結合が増え、偶然高機
能のクロロフィルAができるという下りをよ
みました。

 確認はとっていません。

 その場合、光励起のエネルギーが増え、水
素供与体として硫化水素をつかっていた(紅
色硫黄細菌)のが、水を分解できるようにな
ったというのがあります。

 また一部の細菌では呼吸・光合成双方とも
(?)ユビキノンやプラストキノンのかわり
にフィロキノン=ビタミンKをつかっていま
す。
 おぼろげな記憶では、前2者にたいしてか
なり合成経路が違っていたような記憶がある
のですが
(代謝マップによると、ユビキノン、プラス
トキノンは、フェニルアラニンもしくは桂皮
酸からその六員環が合成されます。
 ビタミンK:ナフトキノン類はその六員環
を出発にして、コハク酸が縮合してナフタレ
ン環を閉環し、合成します。)

      O
      ||
 R2   ・   R
   \ / \ /
    ・   ・         Mt
    ||   ||         |
    ・   ・―(CH2―CH=・―CH2)nH
   / \ /
 R2   ・
      ||
      O

 R=Mt R2=CH3O ユビキノン
   H     CH3  プラストキノン

    O
    ||   |   |
 /\/\/\//\/\/\
 |O| ||   [3times ]
 \/\/ R
    ||
    O

 R=Mt メナキノン
   H  フィロキノン

 この補遺の項目はおもにインターネットで
調べました。
 そのなかでふたつ、おもしろかったところ
を記載しておきます。

 早稲田大学の某研究室 先生名失念
 日本藻類学会

 興味がある方はどうぞ。

 ◎キノン類およびビタミンK、Eの合成に
ついての詳細(出典:代謝マップ)

 ごく素朴に、光合成明反応と呼吸鎖電子伝
達系が同起源であると考えたくなるのは、シ
アノバクテリアがその先祖の遺産をつかって
それを構築していると言う推測の意味では、
人情ですが、
 もしそれが該当性があるのであれば、ユビ
キノンとプラストキノンの合成経路もにかよ
っていることになります。

 資料によれば、合成経路は多分に重複し、
推定は有る程度正しいようです

 ユビキノンのメトキシ基:CH3O―は仮
想的な反応前駆体として水酸基を必要とする
のでしょうが、それは母体物質のベンゼン核
が多分に酸素のような求電子原子によって修
飾されていることによって付加が促進される
ようです。

(芳香環に電子を引っ張る原子が付加されて
いると、芳香環における電子の連帯性が薄く
なって、おだやかな条件でも求電子試薬によ
る付加反応がおこりやすくなります。
 ベンゼンのニトロ化物はその生成に激しい
条件が必要ですが、濃硝酸はトルエン・フェ
ノールに対しては容易に作用します。
 硝酸によるキサントプロティン反応は蛋白
質中のおそらくチロシン残基に対する反応で
しょう。硝酸系の薬品をこぼして手のひらが
真黄色になった経験はありませんか。)

 トリヒドロキシベンゼンであるピロガロー
ルが吸酸素性であることも事象としてはおな
じかもしれません。

 プラストキノンなどのメチル基はおそらく
葉酸由来で、核酸塩基の機能性スイッチング
にかかわる機構と芳香環に対する有機化学と
してはおなじもののようです。

 すこしいみあいがちがいますが、RNAの
材料であるウラシルから、メチル化機構によ
ってチミンがつくられる?機構とおなじかも
しれません。

 細菌(大腸菌)では、電子伝達系のキノン
体にユビキノンではなくビタミンKでもある
ナフトキノンをつかっていますが、その合成
系はユビキノンプラストキノン合成系の枝で
す。
(ビタミンK=抗出血因子は、腸内細菌から
供給されると栄養学の参考書にはありますが、
その事象の細菌側からの事情は以上のような
ものです)

                           6員環の形成
                             ↓
               O
               ||
               ・   ・
              / \ / \
 ナフトキノン環形成   ・   ・   ・  ←  コリスミ酸
 3-メチルナフトキノン← |   |   |  +    |
 :ビタミンK3 ↓   ・   ・   ・ コハク酸  |
              \   \ /        |
 ナフトキノン類←・     ・=O ・         |
 :ビタミンK       /              |
            HO               |
                             |
                             ↓

         ↑           ・←フェニルアラニン→・
 イソプレノイド |           ↓  ↓       ↓
 合成系     |           ・←チロシン    →・
   ↓     |           ↓          ↓
・直鎖樹脂ピロリン酸類        ホモゲンチジン酸 p-ヒドロキシ安息香酸
 マルチプレニルピロリン酸 →→   ↓      ↓     ↓ ←マルチプレニルピロリン酸
              プラストキノン     ↓   ユビキノン
  (低品位)フィチン酸  →           ↓
               ↑→核は互いに異性体 トコフェロール類
                          :ビタミンE

====================

 4−1−2
 チトクロムC酸化酵素(チトクロムA)の
 動作の詳細

====================

 原始地球環境下での物質状態の考察は、チ
アミンの項目でも参照しています。

 考えてみれば、酸素呼吸の中核であるチト
クロムC酸化酵素(チトクロムA)は、進化
史的には後期に完成された、逆に言えば試行
錯誤の歴史が長いはずの「複雑な」酵素であ
る、といわれれば納得するしかありません。

 実際複合体Wは複雑で巨大な蛋白質である
と資料には紹介されていましたたた。

 おそらく、嫌気性状態では、チトクロムC
の還元鉄Fe2+あるいはそれに付随する銅ク
ラスタCu+が最終排出物質だったことでしょ
う。

     動物にとって食料とは還元力ですから、動
    物が活動すれば、その酸化力のある酸化物を
    含む環境は還元されていくことになります。
    硫酸還元細菌などもこの種類の生き物でしょ
    う。

     その意味では、硫酸還元細菌は従属生物と
    いう意味で動物です。硫酸還元細菌は発酵生
    物であり、嫌気的条件での酵母(アルコール
    発酵)や乳酸菌(乳酸発酵)と生態系の中で
    はおなじ位置づけです。

     硫酸還元細菌は、還元力としての有機物を
    「発酵」し、あまった余剰水素、
    (酵母や乳酸菌はこの水素をピルビン酸に私、
    最終的にエタノールや乳酸にします。)

     を酸化物である硫酸イオンに排出し、青緑
    色の硫黄のコロイドにします。

     いっぽう光合成硫黄細菌は、嫌気的条件で
    硫化水素を「電子的に酸化し」これも硫黄粒
    子のコロイドをつくります。引き抜かれた水
    素の還元力は、炭素材料と一緒になって還元
    力のある有機物となり、広義の食料となって
    たくわえられます。

     ・貧酸素条件

         環境 → 硫酸     +還元力有機物 ←・
               ↓ :還元          |
               ↓     →水 :発酵呼吸 | :硫酸還元細菌
         環境 ← 固体粒子硫黄          |
            ? 固体粒子硫黄          |
               ↑     →還元力有機物 →・
     太陽光エネルギー+ ↑ :酸化
         環境 → 硫化水素      :光合成    :光合成硫黄細菌


     ・光合成酸素細菌(藍藻)

     太陽光エネルギー+水 → 「酸素の発生」 + 還元力有機物

     ・・・「化学合成細菌」が 概念として動
    物か植物かということを理解するのはかなり
    ほねがおれることでしょう。
     すくなくとも、原則的にすべての化学合成
    菌は、過剰の酸素を必要とする、とおぼえて
    おけばいいかもしれません。

    (有機物以外の)還元物質(鉄鉱石などもふ
    くみます)を酸素で「錆びさせて」とりだし
    たエネルギーを生命活動に充てますから、
    ・エネルギー従属的という意味では動物です。

     そのエネルギーを、有機物の形で貯蔵する
    という意味では
    ・炭酸同化を行うという意味では植物です。

     ただその意味では、概念の問いかけそのも
    のが、その意味をとわれているのだといって
    もよく、

     エネルギーさえ十分であれば(もちろんそ
    のエネルギーは有機物を分解して得られたも
    のですが)
    ・動物でさえ低品位の炭素化合物から多糖類
    (グリコーゲン)をつくりだしますし、

    ・植物も、光エネルギーに従属していますか
    ら植物もエネルギー的には動物であるといっ
    てもいいかもしれません。

     このあたりは「なにを持って酸化・還元と
    みなすか」という議論に近いですね。

 別項でもかきましたが、おそらく古代の生
態系は、その循環の両極とも太陽の放射エネ
ルギーが支配し、

・高層大気では紫外線により物質が酸化され、
・地表では可視光により(植物により)還元
エネルギーが(動物・細菌にとっては)食料
である還元力が固定されます。

 還元剤がつくられれば、バランス上酸化剤
もどこかに蓄積されるはずですが、
 硫化水素を水素源として使用する環境では、
硫黄は自己共有結合による活性の低い沈殿と
して、環境から除去されます。

 ・高層大気

 紫外線hν + H2O → [O] + H2(宇宙に拡散)

 H2S + 6[O] → H2SO4 + H2O:紫外線による酸化力の供給

 ・地表

 太陽光hν + H2S → H2 + S      :バクテリオクロロフィル
                           |
 (H2 + 2CO2 ←→ (COOH)2)    |:光による還元力の固定
 (H2 +  CO2 ←→ O=CH2 + H2O)|植物としての硫黄細菌

 ・海底

  Fe、Mg(塩基性岩)+2H2O→Fe,Mg(OH)2+H2?

 4H2 + H2SO4 → H2S + 4H2O  |動物としての硫酸還元細菌
 (この水素は広義:有機物を含む)

 この系は、恒星が紫外線に富む場合に説得
力を持つ系です。

 原子星はその一時期紫外線を放射する時期
時期時期があり、
 また恒星が青白く輝く星の多い、OBアソ
シエーションのなかでうまれるとするのがも
し一般的なことがらならば、惑星はその当初
猛烈な紫外線を受けるはずです。

 これは恒星が当時の水素化物に、平等なラ
ジカル切断をおこなっていた結果に過ぎませ
ん。
(アンモニアから窒素大気が作られる過程も、
タイタンがそうであるように、一般的な事柄
だったことでしょう。)

 この仮説のなかの原始地球の環境は、ひと
えに総括すると硫化水素の光分解でしかあり
ません。

 宇宙にとびさったぶんの水素に相当する硫
黄は、おそらく硫化物として地殻にとりこま
れたものもあったことでしょう。

 H2S → S(金属と結合して地殻に沈殿)+ H2(宇宙空間に)

     *

 現在では、水の光分解が可能になっていま
すので事情は多少異なります。

 可視光hν + H2O → H2 + [O] |植物による水からの
 2[O] → O2              |水素抽出

 2H2 + CO2 ←→ H2O + O=CH2 (一例)
                       |水素の保存手段としての有機物

 O=CH2 + O2 → CO2 + H2O|動物による呼吸
(H2 + [O] → H2O)        |有機物から水素を取り出して水に酸化

 理論的には、硫黄循環時代のように宇宙逃
亡、沈殿物質は無いことも可能ですが、
 現実には必ずしもそうではありません。

 これは、貧酸素環境に運ばれた有機物が、
劣化分解をおこし、

 O=CH2 → C + H2O

 となって単体炭素を遊離するところから始
まります。
 アノキシアをおこしている住宅地の溝の泥
が、炭素によって黒くよごれているのは(嫌
気性生物による)この反応のためです。

 黒い泥は、石炭の始まりで、
 理論的には、石炭・石油の埋蔵量は、大気
酸素の莫大な量とつりあうだけあります。
(実際には、紫外線が水分子を直接解離した
作用もありますから:水素は宇宙空間に拡散
:酸化物や遊離の酸素は多少過剰かもしれま
せん。)

 CO2 → C(地殻)+ O2(大気)

     *

 チトクロムC酸化酵素(チトクロムA)の
反応は、複雑で、調べた当初、筆者は「これ
はたしかに立体構造解析など、人件費や設備
費など多くの予算がなければわからなかった
研究なのだろうな、と想いました。

 帳尻は、1分子の酸素が4原子の水素イオ
ンと4電子によって還元されて2分子の水に
なることになります。

 ですから、実際の反応は分子単位ですから、
2単位の還元型チトクロムCが必要とされま
す。

 エネルギー駆動の観点から考えますと、こ
の反応は、酸素分子が持つ酸化力なので、反
応系としての、

「つながったワイヤーによって引きずられる」

「坂のむこうがわの勢い」

 は酸素分子がむすびつく領域にあるといえ
るでしょう。

     *

 これを書くまで未整理でしたが、筆者は、
鉄イオンの電子は無条件に銅イオンに移動す
ると先入観をもっていました。

 しかし、硫酸銅に鉄釘をいれると、銅樹が
析出する反応では電子移動は逆方向です。

 Cu2+ + Fe → Cu + Fe2+

 筆者が知っている範囲で、鉄から銅に電子
が移動する反応は、塩化第二鉄の銅箔基盤エ
ッチングの例です。

 つまりすくなくとも

 Fe3+ + Cu → Fe2+ + Cu+

 はありえるわけです。しかしさらに

 Fe3+ + Cu+ → Fe2+ + Cu2+

 の反応があるかどうかはわかりません。

 この反応が電位的にエネルギー産生的であ
るのならば、
 光合成のプラストシアニンやチトクロムC
酸化酵素の銅までなかば自動的に、電子はな
がれるようにわたされていくのでしょう。

     *

 実際のチトクロムC酸化酵素(チトクロム
A)=複合体Wにおける反応は複雑でした。

 まずチトクロムCの3価鉄から受動専門の
セグメントの2つの1価銅に電子が渡されま
す。

 それから反応中心にわたされますが、そこ
はひとつの鉄イオンとひとつの銅イオンがペ
アになっています。

 鉄はチトクロムAとしてのヘムに配位し、
資料では記述がありませんでしたが、銅イオ
ンはシスティン硫黄にとらわれていると想わ
れます(硫黄クラスター)。

 二つの金属イオンは酸化状態であり、水酸
イオンに配位されています。マンガンクラス
タの場合とおなじです。

 Fe3+ OH- -HO Cu2+

 ここに一回目のチトクロムC、

(酸素分子O2を水素で還元するので、水素
は4原子つまりチトクロムは2分子必要な勘
定になります)

 が電子を2つ供与すると、水溶液中の水素
イオンが引き寄せられて、水が分離します。

 ↓+2e-

 Fe2+ OH- -HO Cu+

 ↓+2H+ (相対的な電子のクーロン力)

 Fe2+ HOH HOH Cu+

 水が排出され、
 この空隙に分子酸素が入り込み、

 Fe2+ O=O Cu+

 普通だったら超酸化物(過酸化物)が発生
しそうですが、つまり

 Fe3+ -O―O- Cu2+

 という状態は通過しないのでしょうか。と
もかく資料によると蛋白質の触媒部位から水
素を1原子供与され、

 Fe4+ O2- HO- Cu2+
      電荷

 となるとされています。(触媒機能につい
ては後述)

 さらにチトクロムCが電子を2つ供出し、
(ひとつは前述の蛋白質に渡され、触媒機能
を復元します。
(もちろんそれぞれに水素イオンが引き寄せ
られ、水素として結合します

 この記述では、その蛋白質の触媒機能が引
き金となって、酸素分子の結合の開裂がひき
おこされる、ということでしょう。

 なお、この記述では、瞬間的にもせよ鉄イ
オンが4価をとるということが気になります
が

 Fe4+

 4s void

 3d [↑ ] [↑ ][  ][  ][  ]

 となって、やや考えにくいです。

 触媒蛋白部位が、電子(に引きずられた結
局は水素原子)2個を連続して供与した、と
考えたほうがよいとは想うのですが。
 厳密にイオンの放射スペクトルを測定した、
というのではないのかもしれません。

 蛋白質の触媒部位は、チロシンとヒスチジ
ンが関与していて、つまりπ電子系がかかわ
っています。

 チロシンの6位とヒスチジンのεN位が結
合、ということですから、構造はおそらく以
下、
        Nγ
       // \
   OHδ・  ・β    O   R
   |  |  ||     ||  /
   ・7 εN―・α    ・―NH
  /\\/    \   /
 ・  ・6     ・―・
 ||  |         \
 ・  ・5         NH
  \//          |
   ・4  O       R
   |   ||
   ・3  ・1
    \ / \
     ・2 HN―R
     |
     NH
    /
   R

 となっています。

 この構造は、石炭酸としてのチロシンのフ
ェニル基のオルト部位(相対的に電子偏在)
に、求電子試薬としてのヒスチジンの酸性窒
素原子が攻撃結合した形です。

 この構造から、電子(それに引きずられて
水素イオンも解離しますから、結局は水素)
が引き出される部位はどこかと考えてみまし
たが、

 酸素、窒素が電子を引き寄せると考えると
(多い部位は*、少ない部位は#とし)、

         N
        2//\
    OH #・ ・#
    |   | ||
    ・#  N―・#
   /\\ /   \
 *・   ・*=#
  ||   |
 #・   ・#
   \//
    ・*
    |

 となります。特にヒスチジンのイミタゾー
ル核は、奇数の少員性芳香なので、電子は慢
性的に不足しているようです(イミタゾール
の酸性性)。
 π電子の安定性は場合によっては電子を引
き寄せますので、酸として作用します。電子
を引き寄せる窒素がなくとも、たとえばシク
ロペンテニルジエンもアセチレンのように弱
い酸性挙動を帯び、金属を包含して塩のよう
に振舞います。

  H・―・H     H・―・H     H・―・H
 2*|| || +Fe→  |π-| …Fe2+… |π-| +H2
  H・ ・H     H・ ・H     H・ ・H(?)
    \/        \/        \/
    H・H        ・         ・
              H         H

 これはフェロセンとよばれ、雅楽のつづみ
のかたちをしています。

 これは仮説ですが、これを解消するのは一
時的な開裂しかなく、
 引き金はチロシンの石炭酸部分が酸として
水素イオンを放出することかもしれません。

 適当な位置の炭素が、カチオン(陽イオン)
として水素を引き受ければ、電子不足によっ
て一時的に結合は切れます。カルボカチオン
になるのは、相対的な電気陰性度のためです
(C<N<O)。

        N
      H/\\
   O- +CH ・
   |     |
   ・  N =・
  /\\/    \
 ・  ・

 この共鳴状態は、チロシンに架橋している
イミタゾールの窒素が、π結合に参加しよう
と挙動した結果にそうなったのだ、とみるこ
ともできます。

 この構造は、おそらくキノン型を取ること
もでき、

      N
     H//\
   O C  ・
   || H  ||
   ・  N―・
  / \//   \
 ・   ・
 ||   |
 ・   ・
  \ //
   ・

 という共鳴です。
 これは以下の架橋構造とも共鳴し、

       N
      /\\
   O―CH  ・
   |  \  |
   ・   N―・H
  / \\/   \
 ・   ・

 この尿素ならぬカルバゾン的な配位は、場
合によっては、準安定な芳香平面におちつこ
うとしますから、真ん中が盛り上がった構造
が、平面に転移しようとするとき、
(量子現象は原則不連続ですから、蚤取粉の
缶やびいどろだまがそりかえるときのように)

「ぱっこん」と

 電子2つ(とひきずられて水素イオンをも)
はじきだすのでしょう。

 それは、荷電エネルギーよりも状態エネル
ギーのほうが安定になった瞬間です。

       N
      //\
   O―C π・
   |  \ || +2e- +2H+
   ・  N―・
  /\\/   \
 ・  ・

 資料の記述によると、第一チトクロム攻撃
は直接チトクロムAになされるらしいので、
この攻撃は第二波の反応です。

 反応の流れから、立体的な構造を推測でき
ます。

 この構造は、電子に乏しいイミタゾール環
がフェロセンのように鉄イオンと互いにサン
ドイッチになっていることを想定しています。
 その意味では電子共有結合によって、チト
クロムAの鉄とチトクロムCの鉄は「結線」
されていることになります。

                   ヘム:チトクロムA   ヘム:チトクロムC
                    |          |(第2波)
 システィン―硫黄―銅イオン:酸素分子:鉄―活性イミタゾール―鉄
 |                  | |        |
 |                 ヘム |        ヘム
 ――――――――――――蛋白質配列―――――

 ここまで書いて、感想を持ちましたが、こ
れは何のことはない、酸素ガスによる、有機
物の劣化風化反応です。(もちろん、多大な
研究の労力をくさすものでは決してありませ
ん。)

 ・・・進化が巧妙に仕組まれた設計図とい
うよりも、場当たり的な偶然の積み重ね(も
ちろん著しく不適な結果は自然により排除さ
れます)であるということから考えると、
 自然に起こる反応である、蛋白質の劣化の
しくみを利用して、酸素と電子を効率的に処
理している、とみるべきでしょう。

 生体有機物は、酸素ガスの存在する自然電
位では、劣化として半減期的に

「π化」

 していきます。

 生体や生態系がいつも新鮮なのはたえまな
い代謝の結果です。
(余談ですが、超高齢化社会はその意味で機
能しません。狡猾としての保守的な老害は経
済の粘性をいちじるしくあげて血管疾患をお
こします。もっとも、輸出経済が不可能な場
合は人口減は急務ですが。)

 π化とは、具体的には色が次第に褐色に黒
ずんできて、液状の物質は次第に粘重になり、
かたまってしまうことです。

 これは、分子(高分子)が脱水や脱水素
(酸化による)によって、架橋をおこし、分
子がからまり、また部分的に円環化・平面化
することです。

 天文学的な時間では、有機物は炭化鉱物に
なります。石炭はその意味でコンドライトと
同じものです。石炭は、π化炭素によってで
きていますから、品質のよいものは、半導体
として導電性があります。

 糖尿病がよくないのは、過剰なグルコース
(ブドウ糖)が、π化をおこし、血管細胞に
化学重合をおこしてその健康を損なうからで
す(アルデヒド・アセタール縮合)。

 死に掛かった細胞が暗視野で燐光をはなつ
のは、π化した蛋白質の劣化型二重結合が、
半導体としての機能を帯び、酸化電位のエネ
ルギーを、いわばダイオードのように光量子
としてはなつからです。

 筆者は以前発光生物の物質をしらべたこと
がありましたが、それはペプチドのアミノ酸
配列がその近傍において縮合してまるまった
形式をとっていることに気がつきました。

(ex.セレンテラジン:このセレンはY族元
素のセレンではなく、月光を意味するセレー
ネのことだと想います。)

 おそらく、発光蛋白質の遺伝子進化とは、
その配列に(発光のために)劣化しやすい領
域を選ぶ方向に進化圧がかかった、とみるべ
きでしょう。その意味では、発光蛋白質はお
そらく「発明されやすい」蛋白質であり、そ
の起源はおそらく多系統のはずです。

 ・・・そのような視点で、チトクロムAの
挙動と推測構造をみてみると、なんのことは
ない、鉄原子を介して、酸素分子が直接ペプ
チドを攻撃している構図が中心にあることが
わかります。

 チトクロムAは、

 ペプチドが電子を直接放出するという意味
では、老化蛋白質(老化の仕組みを生かして
機能する、機能性蛋白質)であり、
 電子を出し入れするという意味では、発光
性ないし半導体型の蛋白質であるといえるで
しょう。

 鉄ヘムは、ヘモグロビンのように、反応の
前後にわたって酸素分子を保持しているだけ
の役割にも見えてきます。(もちろん電子の
受け渡しに介在している機能もまた重要なこ
とですが。)

 チトクロムAは、電子や水素にとっては、
「消費される墓場」ですから、チトクロムA
自体に伝達のための特別な構造は必要ありま
せん。

 おそらく、チロシン・ヒスチジン結合体が
電子を出し入れするに従っての蛋白質の形状
変化が、ATPのための水素イオンポンプと
してはたらくことがのみ、酸素酸化によるエ
ネルギー担体としての役割でしょう。


====================

 5 モリブデン ニトロゲナーゼ

====================

 窒素分子は、安定三重結合をしているので、
酸素原子のように簡単に二重結合を開いて反
応になかなか参加しません。

 大気圧では、窒素と水素を1:3体積で混
合し、放置さえすれば年単位ではアンモニア
に移行化合するそうですが、現実にそれを加
速する必要がある場合は、触媒反応が用いら
れます。

 生体内でそれをおこなうのが、この酵素で
根粒細菌に存在します(れんげが緑肥になる
のはそのためです)。
 ハーバー・ボッシュ法がアンモニア製造の
画期的な発明ですがその触媒にはくしくもこ
のニトロゲナーゼと同じ3価の鉄触媒が使用
されているとききます。

 ニトロゲナーゼの遷移金属活性中心は、硫
化鉄のクラスターにわずかのモリブデンが混
入された構成をしています。(ニトロゲナー
ゼはこの意味でフェレドキシンの一種です)

 モリブデンの価数ですが、空気中で安定な
化合物に二硫化モリブデンがあります。
 機械の潤滑油に混ぜられます。
 硫黄は2価ですから、この場合のモリブデ
ンは4価をとることになります。
 硫化物として安定なため、反応中心では、
硫化鉄のクラスターのなかにおなじく硫化物
として複晶として存在します。

 ◎窒素固定の概念

 要するに、窒素分子にどんどん水素原子を
付着結合させればいいのですがその作用機序
にはやはり構造が必要です。

 それは

1 適当な担体に窒素分子を配位させ

2 その窒素分子をつぎつぎに電子還元させ、
 水素イオンをひきよせ、これと反応させる。

 このようなものが考えられます。

 生体内の高酸化環境では、鉄もモリブデン
も酸化型が安定ですからそれぞれ3価、4価
をとっていることでしょう。

 窒素分子はおそらく、モリブデン原子の影
響の近傍に吸着されます。

 おそらく、NADPなどの合成系水素供与
態によって電子の供与を受けたこの系が、ま
ず鉄イオンを還元し、この鉄イオンが高酸素
環境でもとにもどるとき、電子をあたえモリ
ブデンを還元し、

 H → H+ + e-

 e- + Fe3+ → Fe2+

   Fe2+ + Mo4+
 → Fe3+ + Mo3+

 NR + H+ → HNR
            +

   HNR + Mo3+
    +
 → HNRdush + Mo4+

 そしてそのモリブデンがつぎに窒素分子に
電子をあたえます。

 作用チャートの全体図(半角アスタリスク*はここでは余剰電子をしめす)

 N2
 | + Mo4+ <--------------------------------------------------------------*
 |                                    |
 V   Fe3+    Fe3+    Fe3+    Fe3+    Fe3+     Fe3+   |
     ^     ^     ^      ^     ^      ^    |
 N   -> NH   -> NH   ->  NH2  ->  NH2   -> NH3  -> 2NH3 |
 |||   | ||   | ||   |  |   |  |   |      |  |  |
 N:Mo4+ | *N:Mo4+ | HN:Mo4+ | *HN:Mo4+ | H2N:Mo4+ | *H2N:Mo4+ |  |  Mo4+
     |     |     |      |      |      |  |
 | + H+ | | + H+ | | + H+ | | + H+  | | + H+  | | + H+  |  |
 V   | V    | V    | V    | V    | V    |  |
     |     |     |      |      |      |  |
 NH+  | NH   | NH2+  |  NH2  |  NH3+  |  NH3  |  |
 |||   | ||   | ||   |  |   |  |   |      |  |
 N:Mo4+ | +HN:Mo4+ | HN:Mo4+ | +H2N:Mo4+ | H2N:Mo4+ | +H3N:Mo4+ |  |
     |     |     |      |      |      |  |
 |   | |    | |    | |    | |    | |    |  |
 V   | V    | V    | V    | V    | V    |  |
     |     |     |      |      |      |  |
 NH   | NH   |  NH2  |  NH2  |  NH3  |  NH3  |  |
 ||   | ||   |  |   |  |   |      |      |  |
 *N:Mo3+  HN:Mo3+  *HN:Mo3+  H2N:Mo3+  *H2N:Mo3+  H3N:Mo3+   |
     ^     ^     ^      ^      ^      ^  |
    Fe2+    Fe2+    Fe2+    Fe2+    Fe2+    Fe2+ V
                                   2NH3
 ・各反応の詳細

:N≡N: Mo4+ 初期状態
     ↑
     配位電子対

―――――第1電子
 HN≡N: Mo4+ 水素イオンの吸着
  +        (平衡のひとつ)

       ↓+ e-
       Mo3+ 鉄による還元
          電子は窒素へ
          モリブデンは酸化されて
          4価に戻る
          トリアジンはジアジンに

 HN=N: Mo4+
   ・

―――――第2電子
 HN=N: Mo4+
    H+
       ↓+e-

 HN=N: Mo4+
    H

―――――第3電子
 HN=N: Mo4+
  H+ H ↓+e-

    ・
 HN―N: Mo4+
  H H

―――――第4電子
    H+
 HN―N: Mo4+
  H H  ↓+e-

    H
 HN―N: Mo4+ ヒドラジン
  H H

―――――第5電子
  H+ H
 HN―N: Mo4+
  H H  ↓+e-

    H
   ・N: Mo4+
    H
 +NH3

―――――第6電子
    H
  +HN: Mo4+
    H  ↓+e-
 +NH3

     : Mo4+
 +2NH3

―――――

 アンモニアが2分子ですから水素原子は6つ、
つまり電子数にして、
 6回還元されればアンモニアが生成される
ことになります。

 ・・・筆者はごく最近まで知らなかったの
ですが、

 窒素固定酵素の活性中心は、かならずしも
モリブデンでなくてもよいらしいのです。

 むしろ鉄エンジンのほうが作用とはしては
重要で、モリブデンの位置はただひたすら愚
直に重厚に電子のやり取りをするinterface
原子であればいいのだということらしいので
す。

 実際モリブデンの乏しい(らしい)環境の
生物はモリブデンのかわりにバナジウムをつ
かっています。
 太古、この酵素はモリブデンのかわりにタ
ングステンをつかっていたらしいという記述
を読みました。

 アンモニア工業合成では、鉄触媒と同様に
タングステンをつかうらしい出題(大学入試)
をみたことがあります。
 5d周期の遷移金属は、クラーク数として
の地殻存在量は比較的すくないのでしょうが、
その他の元素との親和性において、鉱脈とし
ての偏在性が際立ってきます。

 ルテチウム
(ランタノイドの15番目を、詳細な電子の
エネルギ-順位をとりあえず考えないで、
5d=1として)
 ハフニウム
 タンタル
 タングステン
 レニウム

 オスミウム
 イリジウム
 白金
 金
 水銀

・ここから典型元素

 タリウム
 鉛
 ビスマス
 ポロニウム
 アスタチン
 ラドン

 と周期律がつづいていきますが、タングス
テンはおそらく硫化物を作りやすいがために
海底熱水鉱床では比較的多く濃縮される元素
であったようです。
(放射性物質の解変終着核種である性質があ
るので鉛のクラーク数は多少高いのかも知れ
ませが)硫化物を作る水銀や鉛が火山性鉱床
に濃縮されやすいこととこれは同じことでし
ょう。

 どうもこの位置の金属原子は、

 ・酸化数的に、激烈な価数の原子価を取ら
  ないこと

 ・硫黄と親和性のある化合物(硫化鉄クラ
  スターにうめこまれるため)をつくること

 あと、必須条件ではないかもしれませんが

 ・ある程度重量のある原子量を持つこと
 (反応の前後で振動しては困る)

もちろん、

 ・安定な複数の原子価を取ること

は必須です。

 ◎なぜバナジウム

 周期表の関係では、縦の兄弟元素より、な
なめの「いとこ」元素のほうが性質が似てい
ることが多々あります。

 もちろん、価電子数などがちがいますので、
まったく相同な化合物を作るわけではありま
せん。

 もし縦の関係であればモリブデンのかわり
はクロムのはずです。(クロムは激烈な化合
物をつくるのでこの目的には不適です。)

 これは周期表をすすむに従って、下のほう
の元素はどんどん金属化していくからです。
これは遷移金属のように内部に電子がつまっ
ていく一族だけの話ではありません。

 たとえば典型第4族は

 炭素
 珪素
 ゲルマニウム
 錫
 鉛

 となって途中から半導体、したのふたつは
金属です。

 こういう傾向があるので、アルカリ、アル
カリ土以外は(最外殻が剥ぎ取られた遷移金
属イオンを含め)、

 周期表の右のほうが非金属性が強く、左の
ほうが金属性がつよいので、下の位置と左の
位置が時におなじ傾向をもつことがあるので
す。

 第4族の例でいえば、炭素は兄の珪素より
も斜め下の硫黄のほうに似ています。

 硫黄は共有結合性が強く、自身でS原子の
長大な鎖状高分子をつくったりします。
(ゴム状硫黄、熱溶融硫黄から生成)エボナ
イトはこれとゴムの共融体です。

 また過マンガン酸カリウムは激烈な酸化剤
ですが似たような物質は兄元素の中ではなく、
ななめ右下の鉄族のなかにあります。

 四酸化オスミウムは

 劇物なので刺激臭があります。また最外殻
電子8つが酸素に結合ているので、電子や空
孔がなく、塩を作らないのは厳密には過マン
ガン酸カリの兄ではありません。

 これは、価電子殻構造というよりはこれは
価電子殻構造というよりは、電子殻の反応能
力と、原子の身軽さ、質量に相関する性質の
ようです。

     *

 ・・・バナジウムに関する資料が少ないの
でこの項目に気の利いたことがかけないよう
です。

 単純に、ニトロゲナーゼのモリブデンをバ
ナジウムが置換して機能するというものでは
ないようです。

 物性としてのバナジウムにたいしても、化
合物としては資料が少なく、個人的にはなん
ともいえません。

 後述で書いてありますが、
 モリブデンは硫化鉄クラスタの一員として、

 生体電子系→硫化鉄→硫化モリブデン→窒化モリブデン
        Fe S Mo N

 のような構成で、半共有結合のような構造
上を連続して還元電子を渡していく過程で、
窒素をつぎつぎに還元していきます。

 ヘモグロビンに対するミオグロビンのよう
にバナジウム蛋白質が、モリブデンニトロゲ
ナーゼの補佐役かもしれませんが、

 仮に、バナジウム蛋白質がモリブデンと同
様に、窒素還元を行うことができるのだとす
れば、

 それはおそらく、

 同様に 硫化鉄→硫化バナジウム→窒化バナジウム
      Fe  S  V  N

 という電子流路上の連鎖が成立しなくては
なりません。

 で、

 やや概念的ですが、

 ・硫化バナジウム
 ・窒化バナジウム

 の固体標本が導電性を持つ必要があります。

 硫化バナジウムについては資料がありませ
ん。
 五酸化バナジウムが導電性を持っています
から、その硫化物も(より金属的な硫黄の性
質によっても)、また導電性をもっている、
と考えるしかありません。

 ただ、すぐ隣の元素であるチタンの性質か
ら考えると、通常環境でバナジウムは硫化物
よりも酸化物のほうが安定かも知れず、

 そのばあい、バナジウムは硫化鉄クラスタ
から直接電子をうけとることができなくなる
かもしれません。

 その場合は可能性として、

 バナジウム蛋白質は、窒素固定酵素のサブ
ユニットになる可能性も出てきます。

 ・・・窒化バナジウムに関しては、遷移金
属元素の侵入型窒化物が草であるように、
おそらく導電性があります。
 資料(化学大辞典)によれば「銀色の光沢**
を持つ緑褐色の、固体」とありますから、

 自由電子が結晶に充満していることが推測
されます。窒化物が共有結合的に安定、とい
うことであれば、すくなくとも窒素分子を吸
着することができるでしょう。

・バナジウムはどのような構造によって保持
されているのか。

 マンガン以降の遷移金属(3d周期)のも
のとちがって、前半の遷移金属はややアルカ
リ土のような性質をもっています。

 カルシウムと似た挙動を示すとすれば、重
炭酸グルタミン酸(グラ)にholdされている
か、
 マグネシウムに近い挙動をしめすのであれ
ば、ピリミジンイミタゾールにサンドイッチ
されているのかもしれません。

 クロロフィルのようにポルフィリンの中に
はまりこんでいる可能性もありますが、
 もしそうだとすれば、生体内でもっと多く
の化学反応に参加していると考えられなくも
ないので、直感的にはこの可能性は低いと考
えられます。

 ・どのような色の固体(粉末)が導電性物
質である可能性があるのか、

 ということをここにかきこみたいとおもい
ます。

 窒化物、炭化物をしらべていて、あるてい
どの傾向に、きがつきました

 結論から言うと、

(かならずしも、すべてそうではありません)

 ・黒色粉末
 ・暗緑色粉末
 ・暗赤色
 ・(灰)白色

 単結晶状態で、平面に金属光沢があればそ
れは導電性である可能性が自由電子の存在に
よりそれはおおいにあります。

 ・黒色

 鉄粉からの連想で、金属の粉末は乱反射に
より黒色を呈することがあり、可能性があり
ます。

 ・暗緑色

 真鍮・銅・金・硫化鉄のようなエネルギー
バンドの都合で、
 黄金色・銅色を帯びる物質の粉末は、捕食
の関係で緑色を帯びます。(金箔をすかすと
緑色になります。)

 ・暗赤色

 金属種特有の化合物色なのかもしれません
が、導電性のある硫化物・酸化物が赤い色を
呈します。

 無知ですが、類推すると、

・五酸化バナジウムは赤みを帯びているはず
です。

・硫化水銀は半導体かも知れません。
(鉱床で成長した辰砂の結晶を見ましたが、
「透明性」のある鉱物でした。透明性のある
鉱物は普通導電性が乏しいものです。酸化イ
ンジウムは、酸化錫を添加しないと良く電気
を通しません。
 周期表でひとつ上の物質にあたる硫化カド
ミウムには、導電性があります。
 ・・・こういう情報はなかなかネット上に
はありません。)

 灰白色・白色。

 灰白色は、一部の金属の粉末が黒色のバリ
エーションとしてこのような粉末になるかも
しれません。

 白色はいわゆる透明物質の粉末なので、

 一般的に透明物質は絶縁体で、
 酸化亜鉛(亜鉛華)や酸化チタン(チタニ
ウムホワイト)がエネルギーギャップの高い
半導体(3V電位:青色発光相当。)として
扱われるとき、これらも半導体としてみなさ
れます。
 これは程度問題です。

 一昔前は、半導体とは乾電池程度の電圧で
はじめて電気抵抗を超えて電流が流れる、と
いうようなあいまいな概念でくくられていま
した。
(トランジスタラジオの時代の影響かもしれ
ません。)

 その意味では、青色蛍光体に代表される、
3Vの白色粉末などは「蛍光物質」とされて
も、半導体とは呼ばれませんでした。
 その意味では、たいていの絶縁体は、こじ
つければ半導体です。

 ダイヤモンド、  5.5V
 窒化アルミニウム、6.3V

 ・・・酸化物のバンドギャップが気になり
ましたので、調べたところ、

 石英 8V、
 アルミナ 8V

 という数値が出てきました。

 ・・・たとえば、ガラスで家電の100ボ
ルトのコネクタをガードしても、ふつうは漏
電しません。

 つまり、006Pの積層電池で、水晶で電
気が流れるわけではないのです。

 粒子加速器の概念ででてくるeV(エレク
トロボルト)という単位は、たしかにVの持
つエネルギー量として等価そのものですが、

(真空中で、5Vの電位差で、電子を十分な
距離加速するとき、その電子の持つ運動エネ
ルギーを5eVと、記述します。)

 それはそれぞれの単電子に対するエネルギ
ーの概念であって、金属や化合物の物性状態
を記述しているわけではないのです。

 つまりバンドギャップのエネルギーが大き
すぎると、半導体における導電帯を形成する
のに別途、莫大なエネルギーが必要になるの
かもしれません。
 潜在的に通電が不可能な状態で、アボガド
ロ数的に莫大な原子をエネルギー的に励起さ
せるためには、
「硬い」紫外線やエックス線の収束したビー
ムが必要になることでしょう。

 酸化チタンが、紫外線を当てると電気をと
おすようになるというのは、それは(表面的
に「わずかに」です。

 また、アルミニウム精錬で、「溶融アルミ
ナに通電」という概念は、このような導電性
とはまったくちがうものです。
 塩化ナトリウム(食塩)は数百度で熱溶解
し、これに電極を当てると容易に通電します
が、
 これは自由に動くイオンが電気を運ぶので、
必ずしも半導体のように電子が電荷をはこん
でいるのではありません。)


====================

 5−1 なぜモリブデンなのか

====================

 この項を書いてしばらくしてから、あらた
めてすこし考えてみました。

 筆者の高校時代の(科学部の)別の班が、
河川の水質を測定していました。

 その際に、リン酸イオンの含有率を測定する
のに、モリブデン酸アンモニウム、とい試薬
を使用していました。

 モリブデンは、クロムの同属元素です。
 モリブデンのほうが原子量からいって「兄」
にあたります。

 ただ、クロム酸(黄色)、重クロム酸
(赤橙)とも酸化力の強い6価クロムであり、
その試薬ラベルには、劇物であることをしめ
す赤色の印字がなされていました。

 しかし、モリブデン酸の試薬瓶のインクの
色はそうではない黒色です。

 その水溶液は無色透明です。

 経験則として、活性の高い(酸化力や電子
・半導体性)の原子や化合物には色がついて
いるものであり、その意味で、モリブデン酸
は「おとなしい」化合物であるようです。

 その発色の仕組みを当時、
 調べて見ましたが、記憶によると、リン酸
とモリブデン酸が高重合の分子量の大きい重
錯体を形成し、それが(途中の処理反応もあ
るのでしょうが)最終的にはモリブデン青と
いう呈色物質を作成します(その色の濃淡で、
リン酸の濃さを計る仕組みです)。

 モリブデン酸は、自身同士でも(クロム酸
が酸性環境下で脱水して重クロム酸になるよ
うに)脱水結合を起こし、重錯体を形成しま
す。
 ただ、それが重クロム酸のように、基本単
位の2倍結合ではなく、最高6から8単位の
重縮合をおこします。

 モリブデンはクロムの「兄」ですから、ク
ロムよりより金属的です。
 また、酸化物がこのように重合傾向をおび
るという意味では、(筆者には)アルミニウ
ムや珪素の性質を想いおこさせるものです。

 実際、モリブデン酸のクラスター(錯イオ
ン以上、コロイド未満という意味でこの語を
つかってもいいでしょう)を見ていると、高
分子を作りたがる珪酸イオンを連想してしま
いました。
 二硫化モリブデンの例でもわかるとおり、
モリブデンの価数は4価が安定のようですか
ら、

 6価クロムであるところの(重)クロム酸

 O-   O      O    O
  \ //       ||    ||
   Cr    -O―Cr―O―Cr―O-
  // \       ||    ||
 O   O-      O    O

:結合は共有結合とみなす

 のような酸素主体の「がっちりと」結合し
た錯体は作れないようです

 もし、酸素との結合を考えると、

 O=Mo=O

 となってしまい、イオンでは
ありません。(実際には二酸化珪素:石英の
ように共有結合性巨大分子になります。)

 水溶液であるためには、

 O-  O-
  \ /
   Mo
  / \
 O-  O-

:結合は共有結合とみなす

 では不自然(荷電が多すぎる)ですから、

 アルミニウムや亜鉛のヒドロキソ錯体であ
るように、
      OH-
  -HO  ‥  OH-
    ‥   ‥
      Mo4+
    ‥   ‥
  -HO  ‥  OH-
      OH-      [Mo(OH)6]2-

:結合は配位結合

 と考えたほうがよいようです。

 これが縮合結合する場合は、

 -HO  OH--HO OH-
   ‥ ‥    ‥ ‥

-HO:Mo――O――Mo:OH-

   ‥ ‥    ‥ ‥
  -HO OH--HO OH-

 となります。

 原子団が縮合して、クラスターになってい
くにしたがって、
 その分子全体の帯電の総合電荷もまた増大
していきますが、これは相当する金属(アル
カリ)陽イオンがそのまわりを囲む、という
概念に近く、

 これは、まさに珪酸塩的です。

 この分子重合がもし直線状につらなれば、
それはまさに珪酸塩におけるクリソタイル
(アスベスト)のそれですが、
 その蛇紋岩は、もとかんらん石の風化によ
ってできる、ということは、そのかんらん石
のアルカリ分が、いわば水和作用によって流
出してしまった結果に起きるのではないかと
いう連想にいたりました。つまり、

 Mg2SiO4 かんらん石

(以下の例は、便宜上マグネシウム塩として
記述)

 珪素は4価の陰イオン[SiO4]4-として
存在、組成上は高分子結合なし、

 MgSi2O6  輝石

 において、

 Mg2+ + H2O →   MgO + 2[H]
 (MgO + H2O → Mg(OH)2)

 という反応が起これば

 究極的には珪酸

 H2SiO3 ですから

 この水素は水酸基として珪素原子に配位し、

  OH-
  ‥
[―Si2+―O―]n
  ‥
  OH-

 となって鉱物中に3元結合や4元結合でな
い鎖状構造を持ち込みます。

 これは、コロイダルシリカの単位ですが、

 実際にはペクチンのように

  OH-
  ‥
[―Si+―O―]
  |
  O     :新分岐の起点
  |

 や

  OH-
  ‥
[―Si3+:OH-]
  ‥
  OH-    :鎖の終わり

 という構造単位がありますので、その鎖は
任意の網目となります(シリカゲル)。

 これが水素ではなく金属イオンであると、

  O-
  |
[―Si―O―]n
  |
  O- :Mg2+

 となり、この金属イオンが比較的整然とし
た配列をとるように強制しますので、珪酸単
位はより直線配列をとるようになり、
 アスベストに代表されるような石質の繊維
となります。

 MgSiO3 :クリソタイル

 ちなみに

  |
  O    O-
  |    |
[―Si―O―Si―O―]n
  |    |
  O-    O Mg2+
       |

 この網目状の立体構造は、輝石です。

 MgSi2O6 輝石

 輝石は、非水的に脱金属イオンの作用でで
きます。地殻では、石英に富む花崗岩体がマ
ントルのかんらん石と接触するようなところ
でできます。

 もちろん、かんらん石は

    O-
    |
[-O―Si―O-] + 2Mg2+
    |
    O-

 です。

 本意ではありませんので、この項ではアル
ミノ珪酸塩(長石・沸石など)についての言
及は割愛します。

 逸脱しましたが、

 この項では、モリブデン酸クラスターと珪
酸塩が似ていることについてのポエジーとし
ての感想を書きました。
 つまり、モリブデン(とおそらくタングス
テンも)の物性が、珪素に似ていることを表
現したかったわけです。

 ここでは

・酸化物が化学的に温和であり、水和物が縮
合性があること

・単体は腐食されにくく、なおかつ高融点で
あること

 の二点ぐらいです

 実際、生体が原始環境で、珪素の(たぶん
電子的)物性を利用したい需要があったとし
ても、
 おそらく珪素原子の地球環境における不活
性さにおいて、それは直接的には不可能であ
った、と推測され、
 自然や生物がその需要を満たしたい、とし
た場合、それは当然代替物をさがすしかない
ことになります。

 ふたつには、違いもあります

・モリブデンの硫化物は安定だが、硫化珪素
 は不安定

 これは、室温空気中下、湿気に対する安定
性です。
 鉱石としての硫化物は空気中で安定ですが
硫化珪素は、吸湿して、硫化水素を発生し、
珪素は二酸化珪素になります。
 これは珪素の原子量にかかわる問題かと想
っていましたが、これは気陰性度が原因の問
題のようです。

 SiS2 + 2H2O → SiO2 + 2H2S
 1.9 2.5   2.1 3.5   1.9 3.5   2.1 2.5
  CS2 +  H2O X  CO2 + 2H2S
 2.5 2.5   2.1 3.5   2.5 3.5   2.1 2.5

 ※もっとも強い酸素は、2.5より2.1に結合したがる。

 と書いて、わかりました。

 酸素がもっとも電気陰性度の低い原子と結
びつきたがる現象でした。
(餓鬼大将・take allの法則)

 すみやかに反応はしないでしょうが、空気
中の酸素によっても、徐々に固体硫黄を放出
して置換しそうです。
 また、NAS電池などにおける硫化ナトリ
ウムなどは、禁水ということになります。
 モリブデンや鉛の陰性度は2.8程度なので、
水素と競合置換をしません。

 水素に対して電気陰性度もしくはイオン化
傾向が拮抗もしくは大きい場合は水に犯され
ません。
 珪素の同属元素では、硫化ゲルマニウムな
どは比較的安定です。

 またセレン化亜鉛などは、おなじく水を吸
って分解しますが、その速度は実際上問題に
ならないものです。

 博物的な推測ですが、硫化物が半導体傾向
を帯びるとき(自由電子の作用によって?)
水が物質を侵食するのを防ぐ傾向があるのか
もしれません。

 二硫化珪素は、資料によると白色「針状」
結晶なので、(おそらく)半導体ではありま
せん。
 これも憶測ですが、硫化物や窒化物が半導
体になるためには(おもに)金属側の原子の
大きさが十分おおきくないとだめなようです。
この原則は、酸化インジウムなど一部の酸化
物にもあらわれているようです。

 硫化亜鉛    バンドギャップ大
 硫化カドミウム 半導体

 窒化アルミニウム 絶縁体
 窒化ガリウム   半導体・バンドギャップ大
 窒化インジウム  半導体(若干の不純物doop必要)

 二硫化モリブデン、二硫化タングステンも
半導体(金属光沢あり)であり、
 これはもちろん生体内で、導電性として電
子をうけとるのに役に立ちます。

 ちなみに、二硫化モリブデンでは

 S S S S S

 MoMoMoMoMo

 S S S S S

 S S S S S

 MoMoMoMoMo

 S S S S S

 というように、硫黄原子の層が、二層ずつ
サンドイッチに重なっていて、
 潜在的に帯びている硫黄原子同士の負電荷
による斥力が、この二層を反発させて、雲母
のようにここで滑ります。

 導電性があり、シート間で滑るので、その
性質はグラファイトににています。

 筆者は連想しましたが、これは酸化インジ
ウム型のエレクトライドでもあるかもしれな
い、とおもいました。

(6−2および6−2−2−2参照。)

 ただ、生体内のニトロゲナーゼ内での鉄硫
黄クラスター内でのモリブデン原子はそこま
で高次の構造はとっていないようで、

 珪素とモリブデンの共通点と差異は、
 乱暴なイメージ論ですが、
 マグネシウムと亜鉛の関係に近いかもしれ
ません。
 あるいはカルシウムとカドミウム。

(硫化マグネシウム、硫化カルシウムという
物質は、特性化合物としては普通聞きません。)

 窒素に対しても、珪素とモリブデンは似た
ように振舞います。


====================

 5−2 実験としての人工窒素固定のよっ
 て立つ概念

====================

 このあたりの推測はある程度、あたってい
たらしく、オンラインで人工窒素固定の論文
を調べていた処、モリブデンを用いない系で
は共通して珪素化合物(トリメチルシラン)
を用いていました。

 ・・・おそらく、元素として

 窒素は珪素やアルミニウムのような元素

(表現が微妙なのが、苦しいですが)

 と結合において親和力が高く、

 窒化珪素は安定であるばかりか、強力な切
削工具であり、
 窒化アルミニウムは再生アルミニウム電気
炉における、不純物として比較的おおくつく
られてしまいます。

 極端なことを言えば、アルミニウム炉で産
生されるスラグを回収して、水に触れさせれ
ば、アンモニアが回収できます。

「これだけで窒素固定は十分じゃないか」

 と素人につっこまれてしまうかもしれませ
ん(笑)。

 ・・・この意味で、鉄触媒・メチルシラン
系の窒素固定は理論検証用の系なのでしょう。
 還元剤として強力な金属ナトリウムを使用
するということは、素人考えですが、炉の溶
融アルミニウムの還元力とさしてかわらない
ようにもおもえます。

 窒素分子は、一酸化炭素によく似ていると
いう項目をカルボニル錯体のページで読み、

 カルボニル錯体の配位化学を
(ニッケル精錬の過程で研究がよくなされて
いるようです)
 調べてみました。

 窒素分子がこの項では当初問題でしたが、
酸素、およびシアンの配位の様子もこの意味
では問題になってきます。

 これらの原子も多重結合、

    (酸素や窒素の結合はたとえばエチレンのよ
    うな、共役結合でない場合もあるかもしれま
    せん:反結合や一重項などの筆者にはよくわ
    からない概念。)

 は、アコやアンミンのような単純(シグマ)
配位子で考えられるものと様子が違う場合が
あるようなのです。

 いわく、古典的なΣ電子対が金属空席(d)
電子軌道に配位するだけではなく、
 二重結合以上を有する配位子では、

「π電子」

 そのものが、金属d軌道に配位することも
ある、

 と一酸化炭素(カルボニル)錯体の項目に
書いてありました。

     *

 おそらく、これが固定や分解にかかわる、
多重結合の開裂の基本概念です。

 モリブデン原子では、おそらく鉄・シラン
系における役割を同時にモリブデンがおこな
っているのでしょう。?

 おそらく窒素固定においては、

・窒素を還元して過剰電子状態にする
・開裂した窒素の単純原子ボンドを担当原子
が共有結合に近い形の、強固なものとして、
受け止めて、反応終了まで保持する

 鉄・シラン系では、前者は鉄、後者はシラ
ンの珪素原子の役割です。

 モリブデン原子では、おそらく鉄・シラン
系における役割を同時にモリブデンがおこな
っている可能性もあるのでしょうか。

 東京大学・九州大学の論文を見る限り、

 多重結合π電子配位についてのヒントがあ
ります。

 窒素固定に、鉄カルボニル錯体を用いるの
は、カルボニル=一酸化炭素に分子態がよく
似ている、窒素分子をまぎれこませて反応に
巻き込むもくろみなのは推測できました。

 一酸化炭素は分極していますので、

 -C≡O+

 となり、電子配位は陰電荷を帯びている炭
素側の共有結合になります。

 4s void

       +  +  +  +        +  +  + [・・]
       O  O  O  O        O  O  O  N
       |||  |||  |||  |||        |||  |||  |||  |||
       C  C  C  C        C  C  C  N
      [ ・][ ・][ ・][ ・] N2   [ ・][ ・][ ・][・・]
       :  :  :  :  ↓     :  :  :  :
 3d[・・][・ ][・ ][・ ][・ ] → [・・][・ ][・ ][・ ][  ]:ややパウリ的に
                   ↓                 不安定
 3p[・・][・・][・・]       CO+e- (酸化)
 3s[・・]

      Fe2+               Fe3+

 ここで、

 (CO)3Fe3+:N≡N: は、

         ‥
         N
 (CO)3Fe3+:|||
         N
         ‥

 とも配位します。

 さらにいえば、三重結合の電子雲は、

            ―・―
       ―・―/   /
       \ / \ /
 余剰電子対 :N―:―N: 余剰電子対
       / \ / \
       ―・―\   \
          ↑ ―・― ・も電子

     中央:はΣ結合 :遠近法的に表現。

 となっていますから、エネルギーポテンシ
ャルを考えない限り、最大3箇所での配位が
可能です。

(4箇所、とも言いたいのですが。)

   Nー:−N π電子配位の模擬図。
    \ / \
     \   \
       ・・
         …
         [  ]:鉄の空席3d電子対

 その意味では、最大4配位が可能かどうか
ということはともかく、窒素分子は、

   ‥
 :N≡N:
   ‥

 と配位子を書くことが出来ます。

 また中間体であるイミンのジシラン化合物

        ‥
 R3Si―N=N−SiR3
 では、
      ‥

 π結合電子で配位するほうが安定かもしれ
ません。

 これが鉄イオンによって連続的に(?)還元
されると、窒素分子の上では、新たに(陰電
荷を帯びた)電子対が発生し、
 水素イオンを引き寄せて、窒素分子からイ
ミン、イミンからアミンと変化していくこと
でしょう。

 人工窒素固定で、最初の珪素が窒素にイミ
ンとして結合する過程は、

 R3SiH <> R3Si+ + H-
            1.9    2.1

(水素介在によるシリコニウム平衡)

 :N=N: (2-帯電) → イミンジシラン化合物
 - ‥ ‥ -
  ↑ ↑
 Si+Si+

 H- + H+ → 2H

(電子還元が水素の遊離という還元に変化)

 とも帳尻を書けます。

 どちらの論文だったか失念ですが、反応系
と需要系が近いほうがいいだろうと、
 フェロセン系でシクロペンテニル環に直接
有機珪素をくっつけていました。

 ・・・天然系ではどうだろうかと、モリブ
デンの挙動を考察し始めたら、あまりの複雑
さに、途中で眠くなってしまいました。

 (以下は整理した結果です。)

 モリブデンは、硫化鉄クラスターのなかに
埋まっていますから、電子的には、二硫化モ
リブデン、とみなすことが出来ます。

 モリブデンはクロムの兄ですからd軌道に
4つの電子があります。

 二硫化モリブデンは導電性がありますから
ジ通電子を、モリブデンの5s扱いにして考
えると、

     ---2e- ---
   硫黄1                     硫黄2
   [・・][・・][ ・][ ・]   [ ・][ ・][・・][・・]
          :  :     :  :
 モリブデン4d [・ ][・ ][  ][・ ][・ ]

 4d軌道に、ちょうど一対空白が強調され
た形でのこっていて、
 ここに配位子原子・分子が結合できそうで
す。
 ・・・反応の前後かはわかりませんが、モ
リブデンはまず窒素分子を[配意吸着](共
有結合ではなく)、するのかもしれません。

 ただ(三重結合のなかではよくわかりませ
んが)窒素は硫黄よりも電気陰性度が大きく、
対モリブデン戦線(笑)では、より電子を取
り込みやすいかもしれません。

 硫化物クラスターは格子結晶ですから、つ
ぎの概念はありえませんが、帳尻の理解の一
助として無理やりに有機化合物のように書く
と、その概念は以下のようになります。

                  H
 S            SH   NH
 ||    H   H   |   //
 Mo +  N=N  → Mo―N
 ||    H   H   ||  H
 S            S

(窒素は硫黄よりモリブデンとの結合が強固
だとすると。)

 現実には、白金触媒表面がそうであるように、

 ヒドラジンは水素イオンとヒドラジン陰イ
オンに分解され、クラスター表面に吸着され
ているようなイメージです。

 これは、モリブデンの電子配置から書き直すと、

       [  ]:水素イオン
        (+)      N:ヒドラジンの末端窒素
 硫黄1    (-)      ↓           硫黄2
 [・・][・・][・・][・ ] [・ ] [・ ][・ ][・・][・・]
           :   :   :  :
 モリブデンの4d [ ・] [ ・] [ ・][ ・][・・]

 となります。

      *

 一酸化炭素を用いない場合では、フェロセ
ンを触媒に使うというのがそれです。

     π
 シクロペンテニルジエン(-)
     π
     ‥
     Fe2+
     ‥
     π
 シクロペンテニルジエン(-)
     π

 というのがフェロセンですから、

     π
 シクロペンテニルジエン(-)
     π
     ‥
     Fe2+
     ‥
     π
    N≡N(-)
     π

 という関係もありえるわけです。
 たとえば還元剤の存在下で、

     π               π
 シクロペンテニルジエン(-)    シクロペンテニルジエン(-)
     π               π    (-)
     ‥        N       ‥    N
     Fe2+ ・・・π|||π ←→  Fe3+:π|||π
     ‥        N       ‥    N
     π               π
 シクロペンテニルジエン(-)    シクロペンテニルジエン(-)
     π               π

 という平衡があるはずですから、

 強力な還元剤の作用、あるいは過剰の電子
の供給があればこの平衡は順次右にずれるは
ずです。

 前の項に書いたとおり、電子が2個あたえ
られば二重結合が切れますので、

 (-)N≡N(-) → ・N=N・

 これは −N=N− という遊離活性ジア
ゾですから、

 N22- + 2Si+(CH3)3 →

     CH3    CH3
     |      |
 CH3―Si―N=N―Si―CH3
     |      |
     CH3    CH3

 という形で結合は切れていきます。
 収支と反応を以下に書くと、

 Na → Na+ + e-

 N2 + 2e- → N22-

 N22- + 2Si(CH3)3+ → N2(Si(CH3)3)2

 ∵SiH(CH3)3 → H- + Si+(CH3)3

 ∴Na+ + H- → NaH(aq)

 :触媒としてのフェロセンは省略しました。

 最終的にN2一分子に対してトリメチルシ
ラン6分子が消費されてトリ、トリメチルシ
ランアミン N(Si(CH3))3ができ
ます。

(シランSiH4ではなくトリメチルシラン
を用いているのは、メチル基(炭素として電
気陰性度2.5)が電子を引き寄せて、より
珪素を陽イオン的に引き立てる効果と、作用
価をひとつに引き絞るもくろみもあってのこ
とでしょう。

 珪素と窒素の結合ですが、これは安定なも
のだと推測されます。

 種々の実験においては事情はさまざまでし
ょうが、すくなくとも、窒素・珪素間で電子
の交換は自由に行き来できるかもしれません。

 ・・・これは間違いでした。

 物性に関する詳しい記述はオンラインには
ありませんでしたが、非酸素セラミックスの
企業のページに、該当製品の自社測定値が掲
載されていました。

 室温下:

 窒化珪素Si3N4  2.5*10^15 Ω*cm

 炭化珪素SiC    2.0*10^−2 〃

 これによると、窒化珪素は絶縁体です。

(東海高熱工業)

 また、生体クラスターで、珪素と同等の位
置にあると推測されるモリブデンの窒化物に
ついても、検索したところこれも半導体とし
ての物性をしめすようです。

 窒化モリブデンでは、その薄膜が冷却超伝
導をしめし、また、その導電性を用いて真空
電極の用途に実用化されているとの記載があ
あります。
(モリブデンで検索すると、住友電工と、旧
東芝傘下のふたつの系列会社がでてきます。)

 ・・・ということは、生体内において、モ
リブデンを含む鉄硫黄クラスターに吸着され
た窒素原子(分子)はいかなる状態であろう
とも、鉄硫黄蛋白質から、常時電子をあたえ
られつづけ(られ)うる、ということを推測
できます。

 モリブデンは、窒素分子に対して、共有結
合的な結合で窒素分子をholdし、なおかつ分
子に電子を共有する電線としてもふるまって
いるようです。
 硫化モリブデン、硫化鉄(クラスター)も
半導体として導電性がありますから、

    Mo   おそらくシスティン残基
 H / \    /
  N   S  S
  || Fe Fe Fe
  N   S  S
 H H

 この構造では電子が自由に行き来できるこ
とになります。

(厳密に、単分子に近いこの構造で、そうい
うことがいえるかどうかよくわかりません。)

 実際には、モリブデンに共有結合的に吸着
された窒素およびヒドラジン、ジアミンの結
合に、還元態鉄イオンが電子を横から供与す
るのでしょう。フェロセンのπ電子雲が鉄に
配位しているイメージです。


(ふと、想いましたが、金属d電子による共
有結合がπ電子雲に似ているのであれば、こ
れはチアゾール核

   ・
  // \
 N π S
  \  |
   ・=・

 と相同なのかもしれません。

 電子的な立場からみれば、窒素固定と、脱
炭酸は等価な化学反応なのでしょうか。)

 ・・・当然ですが、この環境に分子態酸素
があると、窒素分子の代わりに還元されて
(つまり対象を酸素は酸化)してしまいます。

 その意味で、窒素固定は嫌気的な過程とい
えるでしょう。(ニトロゲナーゼは、酸素か
ら隔離された環境で働きます。)
 ・・・酸素から隔離された、環境でなら以
下のようなことも可能なのだろうな、という
のが次の論文の内容です。

 理化学研究所の論文によると、還元力に金
属水素化物を使用します。

 遷移金属3d前半の

 チタン バナジウム クロム マンガン

 は水素化物を作ります。

 実際、チタン・バナジウム粉体は、エネル
ギー水素の吸蔵材料として注目されています。
特にバナジウムは効率的に水素を吸収しその
効率はパラジウム
(常温核融合の話題では、パラジウムの高密
度水素吸収がキーワードでした)に匹敵しま
す。

 鉄以降の遷移金属(後半遷移金属)がはい
っていないのは、3d軌道が電子吸収挙動を
おびるので、「水素陰イオン」が結合しにく
いからでしょう。
 水素陰イオンにおける塩は、ヒドリド、あ
るいはハイドライド(hydride)とよばれます。
 窒素分子は、水素化チタンのクラスターに
ゆるやかに水素を乖離しながら溶解し、最終
的に窒化チタンの形態になります。

 これは水素化チタンの高い還元力がエネル
ギーとして窒素の三重結合を切断した、とい
うのが反応の核なのだとおもいます。

 実験系ではやはりトリメチルシランが添加
され、窒化チタンからやはり共有結合的に珪
素原子が乖離窒素を摘出します。

(トリメチルシランには、π電子活性化触媒
としてやはりシクロペンテニルジエンが結合
されています

      東大・九大     理研

 還元剤  鉄イオン+電子   チタン水素化物
     (金属ナトリウム)

:以下共通

 π電子雲としての電子授受窓:
 シクロペンテニルジエン

 乖離窒素原子の授受担体:
 トリメチルシラン

 ―――

 おそらく、珪素は、生体内モリブデンの代
替物ですから、生体内窒素固定酵素は反応は
どういうものであれ、かならずモリブデンを
成分として含むことになります。

 以下は資料がないのでまったくの憶測です
が、
 ニトロゲナーゼにバナジウムをふくむ生物
がいますが、その場合も固定系にかならずモ
リブデンが見出されるというみました。

 チタンは自然には酸化チタンの形で存在し、
これは水にきわめて不溶なので生物は摂取の
意味でこれを利用できません。

 かわりに水溶性のバナジウムを(場合によ
っては濃縮し)利用しているのかもしれませ
ん。

 生体内で、バナジウムがバナジウムハイド
ライドとしてNADあたりから水素をうけと
っているのでしょうか。

 知らないことだらけです。


====================

 5−3 導電冶金学、とでも

====================

 当初は、窒化物、硫化物の表としての目録
でもつくってみようかという目的で化け学辞
典を閲覧していたのですが、物性学の意味で、
それは物質構成上重要な背景のからくりがあ
ることを知りました。


====================

 5−3−1 炭素・窒素の侵入型共有結合

====================

 たとえば、「金属炭化物」という意味では
(有機物を除く限り)普通カルシウムカーバ
イドないし沈殿性アセチリドを連想しますが、
これは必ずしも一般的な炭化物ではありませ
ん。
 鉄鋼冶金の話では、炭化鉄(オーステナイ
ト)はカーバイド(アセチリド塩)ではなく、 ※セメンタイト
またアセチリド塩ではない炭化金属は、多く
窒化物半導体のように導電性があるというこ
とを知りました。

 本当に知らないことだらけです。

 このような炭化物半導体は、構造上、もと
の金属格子上にひろがる導電帯はそのままに、
格子間隙のあいだに「微小原子」として炭素
が侵入することによって成立するとされ、そ
のため(化合物ではなく)炭素と金属の合金
とみなすべきという概念があることも知りま
した。

 これはおそらく窒化物・硫化物の半導体に
ついてもなりたち、

 たとえば窒化ガリウムや窒化亜鉛は半導体
の性格をもつのに、窒化アルミニウムがそう
ではないのは、アルミニウムに対して窒素原
子が大きすぎるからなのでしょう。

 同様に、水素吸蔵金属になりうる金属は、
おおむねその格子間隙に炭素や窒素を内包し
うるがゆえに、その炭化物や窒化物が導電体
であることがほとんどのようです。

 概念的にいえば、炭化物や窒化物になった
から導電体なのではなく、炭素や窒素に「侵
食」されても金属の性質をうしなわない、と
いったほうが現実に近いようです。

(また、硫化物鉱物のうち、半導体になるも
のが比較的重金属にかぎられるのは、それは
比較的に(炭素や窒素に比べて)硫黄原子が
大きいからなのでしょう。窒化ガリウムやゲ
ルマニウムは導電体ですが、硫化物はそうで
はないようです。
 これは同時に、炭素や窒素に比べて硫黄原
子が陰イオンに変化しやすい性格もかたむい
ているのかもしれません。
 強アルカリの炭化物
(つまりアセチリド:環境が炭素に陰イオン
になることを強要するとそうなります。窒素
ではアジド塩M+N3-:M+ -N=+N=N-
になります。)
 や硫化物は電解塩になる傾向があります。

 つまり、分解しやすい。)

 また、導電体の炭化物窒化物が導電体であ
るということは、結晶格子に自由電子が瀰漫
しているということですから、エネルギー的
には格子中の炭素や窒素はイオン結合してい
るわけではありません。素朴に1価ないし2
価の放出電子を得て炭素や窒素が陰イオンに
なっているとすれば自由電子が瀰漫(びまん)
することはできないからです。もちろんむり
やり、

(標準原子価+2として)

 2M4+ +C4- + 2e-(自由電子)

 という格子を考えることは可能でしょう。

 ただこれらのイオン半径の集積として結晶
格子の寸法がきまってくるわけで、X線解析
などによって、原子間の正確な距離が測定で
きれば、それが単純なイオンの積層なのかそ
うでないのかがわかります。

 実際のところ、導電性炭化物や窒化物の原
子間距離はイオン塩のそれより密であり、
 結合エネルギー的にイオン塩というよりは、
炭素・窒素と遷移金属原子のあいだに共有結
合的な介在があることを推測させます。

 筆者がしらべた文献ではまさに窒化クロム
(V)CrNがそうであるという記述があり
ました。

 もしそうであるのならば、窒素原子はクロ
ムの「内部の電子」(おそらくd電子)と結
合をし、もともとのs電子は(その結合エネ
ルギーによってより?)導電帯におしあげら
れていることになります。

 その意味ではあるいは炭化物・窒化物導電
体にはもとの金属格子よりも、物性的に自由
電子の「活性」が高いものもあるかもしれま
せん。
 遷移金属の炭化物には、高温で超伝導にな
るものがいくつかあるそうです。

     ◎イオン化傾向と良導電体であることの関
      係

    (この項を書いた後に、二酸化鉛(酸化鉛:
    W)に関連して、鉛のイオン化傾向を考えて
    いたときに気づきましたが、

     ・・・水素よりイオン化傾向が「小さな」
    金属がおしなべて良伝導体であることは、
     たとえば金銀銅が、s電子を(自由電子と
    して)失ってもなお、おそらくd電子の共有
    結合によって「強固に」たがいに固着してい
    る姿に他ならないのではないか、と気がつき
    ました。

     アルカリ金属の単体がとても柔らかいのは、
    それが自由電子液体の「粘性」でしかないこ
    とを意味しています。
     実際、アルカリ金属は最外殻のs電子を失
    うと、アルゴノン状態になってばらばらに飛
    び出していきます。
     帯電しているので水溶液の外には出られま
    せんが、もしイオンでなければガスになって
    揮発してしまうでしょう。

     いっぽう、s電子を失っても残電子原子の
    「共有結合性」がやや強い、カルシウム、マ
    グネシウム、リチウムはやや硬い単体です。
    筆者はむかし、金属カルシウムをナイフで切
    ろうとしたことがありますが、かなり難渋し
    ました。
     ベリリウム金属はかなり硬いそうですが、
    その剛性のためでしょうか、ベリリウム金属
    を音波が伝導する速度は鉄の約2倍に達する
    そうです。

     いっぽう、金銀銅が良導電体であることは、
    侵入型炭化金属がしばしば超伝導性をおびる
    のと同じく、金属残d電子原子どうしが強固
    に結合することによって、逆に導電帯の自由
    電子のエネルギーをおしあげる効果があるの
    だと想います。
     これは、原子核の核力の概念に似ています。
     原子核は、その構成分の単体の陽子や中性
    子の重量和よりも軽いのです(鉄までの安定
    原子核の場合)。
     また遊離原子が結合して分子になるとき、
    熱がでるのはその分のエネルギーを捨てるか
    らです。

     エネルギーが、ポテンシャルとして与えら
    れ、系の外に出て行かない限り、(金属原子
    同士が共有結合している場合)よって自由電
    子のポテンシャル順位もあがる、・・・ので
    しょうか。)

         ◎銅族金属について

         銅族は、遷移金属第9族にあたる金属です。
        細胞溶液中における鉄・銅反応でもわかると
        おり、最外殻のs電子をうしなった場合は、
        事実上のハロゲンとして振舞うように、3d
        軌道において、ただひとつの席の電子欠損を
        もっています。
         原子電子殻が薄い銅では顕著ではありませ
        んが、原子番号が進むたとえば銀などでは、
        電子殻の厚さが厚くなりますので、ポテンシ
        ャルの落差を開放したほうが、安定という意
        味で、銀の原子は、5sの電子ひとつを、外
        部に開放するのではなく内側に落とし込みま
        す。

         銀が1価のイオンにしかならないのはその
        ためです。

         また、2価のイオンである銅原子が、化学
        的活性としてハロゲンであるのならば、それ
        は自身で「塩素分子」としての共有結合をす
        る可能性があります。

         実際には、(d電子の量子理論による空間
        散逸性により?)塩素分子のように流体には
        ならず、結晶格子のまま共有結合を実現する
        ようです。
         結合において、その結合エネルギーはつね
        に負ですから(つまりその結合を切るために
        は外部からエネルギーを注入する必要があり
        ます)系がもし閉鎖的であれば、そのエネル
        ギーは系の別の場所に添加されることになり
        ます。

         筆者は天体力学の簡単な概念を学んだこと
        がありますが、惑星系性理論のようなものに

        「こわしてかためる」

         という概念を学んだことがあります。

         これは運動量保存の法則をいいかえたもの
        で、惑星を重力的につくるためには、相当量
        の運動エネルギーを小さな飛散体の膨大な集
        合として運び出さなければならないことを意
        味しています。

         これは模擬概念としては、

        前 ・      ・      ・

        後   ・→←・          ―――→・


         というパタンにちかいでしょうか。

         この右辺に相当する、開放されたエネルギ
        ーを安定量子論的に自由電子が受け取ると、
        金属格子の電気抵抗が下がるのかもしれませ
        ん。

         格子侵入型の炭化物・窒化物では、単体金
        属よりもむしろ電気抵抗が下がるものがあり、
        これは格子内部金属原子(の最外殻s電子を
        失った分の原子容量)の大きさに比べて相対
        的に炭素や窒素が小さい場合、

        (つまり自由電子が瀰漫できる空間容量が大
        きく許されている場合)

         かなり電流は流れやすくなります。

         窒化ジルコニウム・モリブデン、炭化ニオ
        ブ・タンタルは絶対温度10度前後で超伝導
        を示します。(亜窒化モリブデン:Mo2N
        は絶対50度で超伝導、という記述がありま
        す。)

         周期表を見る限り、この3元素は隣り合っ
        て存在していますから、原子の大きさもまた
        「似たように」大きいのでしょう。

         疑問として、つけくわえて書いておきますが、
        金属原子など同士でd電子を介した共有結合が
        存在するからといって、その金属が単体として
        巨視的に硬度が増すとはかならずしもいえない
        ようです。
         良伝導体である銅族元素はかなりやわらかく、
        いっぽう電球のフィラメントに用いられること
        でもわかるように、タングステンやモリブデン
        は電気抵抗が大きく、また極めて硬い金属です。

         典型元素である単体鉛が、やわらかいのは、
        5d軌道がアルゴノン的に満席で、その意味で
        は事実上ナトリウムやカリウムの格子のように、
        鉛原子同士で共有結合をなしていなからなので
        しょう。
         いっぽう、遷移金属の炭化物・窒化物は電気
        抵抗傾向は別にしてかなり硬くなります。モー
        ス硬度9前後になります。

 その意味では、窒化物や導電体の物理では
ありませんが、クロム酸が酸性下でオレンジ
色の重クロム酸になるのも、酸素原子を介し
たd電子共有結合性架橋でおそらくあり、
 ポリオキソ酸であるモリブデン酸やタング
ステン酸の重合傾向もそうでしょう。

 その意味では原子挙動として、ニトロゲナ
ーゼのモリブデン原子と窒素のあいだに共有
結合的なポテンシャルがあるとすれば、それ
は窒素原子を反応終了まで固定する意味があ
ることになります。

 知らないことだらけです。

 このことから逆に類推すると、なぜ珪素
(シリコン)が銀色に輝いているのかという
事実が、教科書的な常識を疑う契機になるこ
とは、思索と研究の醍醐味の一種でしょう。

 いちおう、珪素は炭素の兄元素であります
から、ダイヤモンドからの類推として(結晶
格子の構造は、ダイヤモンドとおなじ四面体
型:六方最密パッキングです)原子同士が共
有結合をしていると教えられますが、

 ではなぜ半金属として、銀色の輝きを持ち、
自由電子が導電帯に瀰漫しているのでしょう
か。

 つまり、たとえば
               e-
  |  |      |  +
 ―Si―Si― → ―Si―Si―
  |  |      +   |
            e-

 というような電子分離がおき、

 いわば「電子酸シリコニウム塩」

 となってこの電子が導電帯にあがってくる
のです。

 この意味で、別の言い方をすれば、炭素と
比べて珪素間の結合は幾分共有結合の気味が
低く、その結合はイオン結合の性格ももつ、
と表現しなければなりません。

 以降の表現と事柄と重複しますが、すべて
の金属および金属的な化合物はこのような性
質を持ち、その意味ですべての金属は

「電子酸メタルニウム塩」

 と表現できます。これが金属の導電性と反
射光沢の根源的な原理となっているのです。

(厳密には塩化カリウム←→塩酸エフェドリ
ンの文言の用法のようにここは電子酸ではな
く電子化と表記しなくてはなりません。)

 逆に言えば、珪酸重合体とモリブデン(タ
ングステン)酸の重合傾向でわかるように、
モリブデン原子にも共有結合の性格と資格が
あることが類推できます。
(珪酸とモリブデン酸は、酸素を介した共有
結合性の高い大分子クラスターを混合形成す
るので、これは水質調査として溶存珪酸の測
定にも使われます。)

 前述の大学論文で、人工窒素固定にモリブ
デンではなくシリコン化合物を採用していた
ことは実験のデザイン氏がモリブデンと珪素
を同等に考えていることが創造できます。

(ただし、もちろん生体は、代謝進化として
珪素を原子レベルで制御することはできませ
んでした。)


====================

 5−3−2 硫化物について

====================

 炭素・窒化物の項目で、硫化物半導体(導
電体)が重金属との化合物に限る、という記
述をしましたが、
 その理由として硫黄原子(イオン)の炭素
・窒素に対しての相対的な大きさをあげまし
たが、

 それではたとえば、黄鉄鉱はどうなのでし
ょうか。

 鉛が重金属である、という意味合いにおい
てはおそらく鉄が重金属であるという表現は
苦しく、やや概念があやふやかもしれません。
 筆者の中学生のころの記憶(鉱物郷への林
間学校)として、パイライトの美しいさいこ
ろ結晶が示すように、黄鉄鉱は、岩塩型結晶
として鉄と硫黄原子が対等に積み重なってい
ることを示しています。炭化物・窒化物のよ
うな侵入型の導電体ではありません。

 このへんがあやふやだったので、再度硫化
物の項目を調べなおしてみましたが、

「硫化物とは、金属と硫黄の合金として理解
される」

 という記述にでくわしました

 ・・・硫黄は非金属のはず、

 とおもいましたが、そこで前述の珪素の格
子における挙動をおもいだし、無意識でおも
いだし、

「・・・!」 (60W)

 と気がつきました。

 ビタミンB1のチアゾール核のように、硫
黄は電子を放出してを陽イオン傾向を帯びる
のです。
       +
  S    S
 / \  // \

 チアゾール核では、この放出電子はπ電子
雲にくみこまれますが、

 単純な硫黄共有結合有機物では、この硫黄
の陽イオン(スルフォニウムイオン)は、ト
リフェニルメタンのような三分岐結合を介助
し、

 なおかつ動的に挙動することにより、メチ
オニンのように、重要な原子団の受け渡し反
応に介在します。(S−アデノシルメチオニ
ン。)

(生体内で、硫黄はいわばアルキルリチウム
やグリニャール試薬のような立場にあります。)

    (電子化物の項目とも関連しますが、硫化物
    がスルフォニウム合金の性格を示すのだとす
    れば、硫化有機物がアルキル金属化物の性格
    を持っていても不思議ではないかもしれませ
    ん。
     これは、セレン、ゲルマニウム(塩化物が
    液体)、錫(テトラブチル錫)のように、共
    有結合的にも振舞える金属という意味で、意
    味のある物質です。)

 ・・・2価の陰イオンとしての硫黄塩とし
ての、硫化物中の硫黄が、

 (S2-) → (S2-)+ + e-
       見かけ上S-

 と挙動したらどうなるでしょうか。

 概念的な理解を促進するために、いわば思
考実験としての極論を考えてみると、
 黄鉄鉱のなかで、鉄原子(U)がすでに2
価の電子をはぎとられていて、導電電子とし
ての電子を供出できえないと仮定すると、黄
鉄鉱の電子状態は、

 Fe2+ + (S2-)+ + e-

 となり、導電帯の自由電子は硫黄原子(硫
黄イオン)が供出していることになります。

 この意味では導電体としての黄鉄鉱(パイ
ライト)は

 硫化鉄

 ではなく

 鉄イオン酸スルフォニウム

 であることになります。

 おそらく、かならずしも重金属ではない遷
移金属の硫化物が導電体になる現象は、これ
に近く、これはs電子が金属挙動をするとい
うこととはまたべつに、

 遷移金属原子内部の(d軌道電子が)強烈
な酸化エネルギーを持つ場合にこのような現
象がおきるのかもしれません。

 ということは、酸化力の大きい

 バナジウム、チタン、クロム、マンガン

 もまたその硫化物は、スルフォニウム的導
体であることがかんがえられます。

 いろいろ調べた結果に考えがたどり着いた
のですが、もっと酸化力が過激な重金属イオ
ンにおいては、硫黄だけではなく、酸素原子
をも「還元」することもありうるようです。

 これは、概念的にはすでにたとえば2価の
イオンになってしまった遷移金属はそこから
先のエネルギー挙動においてはすでに金属で
はありません。その意味でイオンとして遷移
金属のハロゲンとして振舞う銅原子について
ですが、

 たとえば酸化銅(U)において、

 Cu2+ + O2-

 の格子上、裸になった銅原子の3d電子殻
が、酸素原子にd電子による共有結合を挑み
ますと、酸素イオン上の電子が、事実上邪魔
になり、自由電子化します。

 [Cu2+―O](格子的共有結合) +e-

    [・・][・・][・・][・・]    [・・][・・][・・][ ・]  + ・-e- 自由電子
                              : 共有結合
                              :
 [・・][・・][・・][・・][・ ] [・・][・・][・・][・・][・ ]

 ・・・これがおそらく、酸化物半導体です。

 酸素イオンのように巨大で、また脱電子に
貪婪な原子が、(遷移)金属との相互作用で、
電子をにじませるということは、どうにもイ
メージしにくいので、このような概念は、理
解がしにくいものでした。

 おそらくこれは、遷移金属は確かに金属で
ありますが、

「遷移金属イオンは、
 もうすでに金属ではない」

 ことをよく理解しなければならない、とい
うことでもあります。

 これは、「銅イオンの電気陰性度」
(「銅の電気陰性度」、ではありません!)

 は酸素のそれ(3.5)をうわまわる、と
いえるのでしょうか。

 これは、マトリョーシカの様な概念の入れ
子、のような気がしますので、あまり追求し
たくありません。
 ともかく、この場合の銅イオンの酸化力は
相当なものなのかもしれません。

 ということは、金属イオンの酸化力が強い
金属の酸化物は、つねに導電性を帯びている、
と考えるのが妥当なのかもしれません。

 逆に言うと、硫化鉄の例において、鉄も遷
移金属ですから、d電子軌道に4つ空席があ
ります。

 FeSとして、理屈の上では、

     [ ・][ ・][ ・][ ・] + 4e-
      :  :  :  :
      :  :  :  :
  [・・][・ ][・ ][・ ][・ ]

 として、

 4つの自由電子を出すことが可能ですが、
おそらくエネルギー的にそれはありえない
でしょう。

 この考え方をもっと進めると、窒化物、炭
化物金属が、単体金属よりも導電性が向上す
る理屈がはっきりしてきます。

 侵入型化合物という名前に惑わされて良く
考えませんでしたが、
 炭素や窒素が、陰イオンであるかもしれな
い、という概念に立つとわかりやすくなりま
す。

 もっとも自由電子の電子数が、そもそも相
対的に金属の最外殻s軌道の2個前後であっ
たまま変わらないとすれば、

 炭素や窒素は共有結合によって、内部d軌
道の電子欠損を安定化し、最外殻のs電子が、
金属原子の内部におちこまないようにしてい
るのだともみてとれます。
 その意味では、炭素や窒素が侵入すること
によって格子がゆがまない限り、安定化の意
味で金属の自由電子帯は、拡大することにな
ります。

(相対的な、原子半径の意味で、金属原子に
対して炭素や窒素の原子が小さければ小さい
だけ、電子伝導率が向上するという経験則は、
おそらくこれによっています。

     *

 ・・・概念的にわからないのは、典型元素
金属の酸化物の導電性ですが、たとえば4価
の鉛イオンを考えたとき、

 普通に電子占有図をかくと、(鉛は炭素族
ですから)二酸化炭素とおなじ電子配置とな
ってしまい、導電体に電子があがってきませ
ん。

 これは、典型元素の重原子が金属化する、
という現象の一つであるはずですから、

 軌道の電子遷移が関係している現象のはず
です。

 単体金属鉛が普通にs電子として原子ひと
つ当たり、2個の電子を格子に供出している
と仮定すると、
(この仮定も実は、最外殻のp電子がさらに
上部のsに遷移したとみなす仮定ではありま
す。)

 ・・・内部共有結合にあずかる酸素が、便
宜的にその電子の増減にまったく関与しない
帳尻、と仮定する限において、考えられるモ
デルは次しかありません。

 酸素原子1[・・][・・][ ・][ ・]   [・・][・・][ ・][ ・] +e-
             :  :          :  :
 鉛最外殻 [・ ][・ ][・ ][・ ] → [・ ][・ ][・ ][・ ] sp3混成として表記。
       :  :          :  :
 酸素原子2[ ・][ ・][・・][・・]   [ ・][ ・][・・][・・] +e-

       内部軌道のd電子の上部遷移 [・・][・・][・・][ ・][ ・]

 この構造しか「素朴には」おもいつきません。

 これは、

・内部の殻と次の殻のエネルギー順位が接近し
ていること

 つまり周期表において、3dより先に4sの
電子が充満、することでわかるように、

 電子的に内部のd電子が上位殻のsに移動す
ることがありうるということ、でもあります。

 また、

 電子的には、酸素原子が内部d電子をくみだ
したことになるわけですから、
 それでも鉛のもともとあった自由電子が酸素
原子によって犯されない(と見ることもできる)
現実は、

 この仮定の上では2価の鉛イオンと、酸素原
子の酸化力はほぼ同等である、とみなすことも
できます。。

 金属鉛Pb0+-の電気陰性度は2.3ほどで
すから、逆にPb2+のそれは3.Xほど、と
みなすことが可能なのでしょう。

     *

 またわかりやすい(しかしエネルギーが高す
ぎて考えにくい)モデルとしては次のような状
態も考えられます。

              --- 4e- --- :自由電子
 酸素1                           酸素2
 [・・][・・][・・][  ]         [  ][・・][・・][・・]
           :           :
   鉛の5d電子 [・・][・・][・・][・・][・・]

                 ↓

              --- 4e- ---

    [・・][・・][ ・][ ・]   [ ・][ ・][・・][・・]
           :  :     :  :
          [・ ][・ ][・・][・ ][・ ]


====================

 5−3−2−1 典型元素重金属の硫化物

====================

 非金属の兄弟元素である重金属の硫化物、
たとえば

 錫、鉛、アンチモン、ビスマス

 の硫化物もまた電子導電体ですが、この場
合は、スルフォニウムをつくる電子挙動は、
これら重金属の最外殻の電子欠損が担ってい
るのでしょう。

 その意味では、遷移金属の場合と異なり、
むしろ

「周期表上で、なぜ典型元素の下の系列元素
は、金属になるのか」

 という事柄がむしろ本題になります。

 これは、巨大になりすぎた原子が、比較的
外側の電子を核の正電荷によって十分につな
ぎとめられなくなっていることをしめしてい
て、
 これはおそらくランタノイド収縮のような
アナログ的な現象です。基礎量子理論が定め
るような段階的・非連続的構造ではありませ
ん。

 個人的な感想ですが、原子化け学の現実は、
sp3,2混成や、d電子共有結合など、
 量子理論が引いた図面上の青写真はいちお
う高貴なものでしょうが、
 現実の施工のあとでは、強風が吹いて屋根
が傾いたり、土砂の重みで石垣がほころびて
部分的にくずれたり、とかいうのが現実のす
がたにみえます(笑)。

 鉛やアンチモンが金属であるところのもの
であるための、電子は、実際には最外殻のp
軌道の電子が、次の周期のs軌道にわずかな
エネルギーを得て、にじんで移った、と理解
されるべきところのものでしょう。

 やや抽象的ですが、巨大な原子では同数の
電子が追加されても、そのことによる相対的
な電子殻の厚みの増加はわずかになります。
 そのことによって、ひとつ内側の電子殻や
軌道とのポテンシャルエネルギーの差はより
わずかになるからです。
(これは、水素の発光でライマン系列がもっ
ともエネルギーの高い発光をする理由にもな
ります。)

 鉛:
 7s    ・・移動
 6p ・・ ↑
 6s ・・
 5f
 5d ・・ ・・ ・・ ・・ ・・
 5p ・・ ・・ ・・
 5s ・・

 錫と鉛は第W(4)族ですから、p軌道に
は電子2個があり、これらが、上位s軌道と
して(一個下の本来のs電子とともに、)自
由電子になるか、あるいは完全に原子から離
れると、

 たとえば鉛の原子の最外殻の電子配置は、
ルテチウムから水銀にいたる周期表上の席相
当の、d電子10個になります。
 これに、求電子性配位子(酸素や弗素)が
結合したがります。

 遷移金属のd共有結合や、重金属の酸化力
は、クーロンエネルギーよりも、パウリの配
他律的な構造ポテンシャルエネルギーが優先
しているすがたのようです。
 いわば、酸素が自分たちが安定的な共有結
合配位をもくろまんがために、対称性ポテン
シャルの意味で安定なd電子殻をむき出しに
するために、最外殻のsとp電子を剥ぎ取り、
追いやった、というすがたが、高酸化数の重
金属や遷移金属のすがたに近いのでしょう。

 それだけ、内部殻d電子の安定さの程度の、
結合ポテンシャルの差分は、おおきい、とい
うことなのでしょう。
 このエネルギーは「磁気秩序破壊冷却」に
みられるような、エントロピーにかかわる熱
力学です。(氷に塩を混ぜる話、参照。)
 錫や鉛の原子としての酸化力は強いので、
これらは4価の酸化数をもとります。
(窒化カルシウムの項目でものべますが)
 錫や鉛はその硫化物が導電体であるのみな
らず、


====================

 5−3−3 典型重金属の酸化物導電体

====================

 その酸化物の酸素にまでその挙動に影響を
及ぼし、
 その電子を導電帯にまではねとばし、その
電子で酸化物導電帯をつくります。
 二酸化錫、二酸化鉛は数少ない酸化物の導
電帯です。(電池の項目参照)

 また、遷移金属ですが、酸化バナジウム

(五酸化バナジウム)も導電性があります。
硫酸製造につかわれるのも半導体性触媒の性
格をもちいられているからで、
 鉛蓄電池において、二酸化鉛が水を酸化す
ることによって、間接的に反対側の金属鉛を
酸化するように、

     鉛蓄電池の反応のあらまし(放電)

     Pb4+ + 2O2- :二酸化鉛

     2H2O → 2OH- + 2H+

     Pb4+ + 2O2- + 2H+ +2e-
                     リード導線により供給

     ↓

     Pb2+ + O2- + H2O
     :一酸化鉛

     陰極:

     Pb0+- :金属鉛

     Pb0+- + 2OH-→  2e- + Pb2+ + O2- +H2O
             リード線に供出   :一酸化鉛


     実際には電解質である希硫酸と反応し、

     Pb2+ + O2- + H2SO4 → PbSO4 + H2O

     両極の鉛とも、硫酸鉛の溶液になります。

     イオン化傾向の意味では、金属鉛は水素と
    ほとんど同じ(希塩酸にいれても、鉛は水素
    を発生しない)なので、鉛蓄電池の電位は純
    粋にPb0+-とPb4+の電位差であり、

     それは約2.0Vです。

     中学生のころは、簡単に入手できる豆球
    (当時はまだ発光ダイオードはまだそう普及
    していませんでした。)
     は2.5V規格のものでしかなく、その豆
    電球を明るく光らせるしかし、簡便でしかな
    いガラス器セル(筆者はシャーレを使いまし
    た)にささやかな感動をおぼえたものです。

     いまにしておぼえば、ボルタ電池(亜鉛単
    電池)にくらべてかなり高いその電位差は、
    (酸化鉛電池は同種極電池でもありますから)
    ひとえに鉛原子内部の潜在エネルギーポテン
    シャルをしめしていることになります。

     厳密には、典型元素重金属である鉛と、遷
    移金属とでは原子構造に違いがありますから、
    単純に同列に考えることはできませんが、同
    様に内部酸化力の意味では、たとえば重クロ
    ム酸の酸化力ももし電位であらわすことがで
    きれば、それはかなり高いあたいをしめすこ
    とになるとおもいます。

 酸化物半導体は、導電しながら何物かを酸
化します。
(これは直感ですが、酸化物電池につかわれ
る物質には、導電性があるはずです。
 酸化銀、酸化水銀、二酸化マンガン、コバ
ルト酸リチウム。
 ・・・閲覧可能な資料にはこの辺りのこと
は記述されてはいませんでした。ただし、酸
化銅(T):Cu2Oには導電性があり、整
流器につかわれる、との記載があります。

 後日たまたま見つけた半導体バンドギャッ
プ表に、(数値を見る限り)酸化銅はかなり
電気を良く通すとの記述を発見しました。
 亜酸化銅も酸化銅も半導体としてのバンド
ギャップはかなり低く、

 Cu2O 2.1V
 CuO  1.2V

 となっています。

 追記:

 筆者の感じたところによると、遷移金属・
重金属の酸化物は、みな潜在的に半導体と呼
べるのかもしれません。

 ただ、そのエネルギーバンドギャップが比
較的大きいために、おだやかな状態では絶縁
物とみなされるのかもしれません。

 たとえば酸化亜鉛はふつう絶縁体とみなさ
れますが、蛍光灯の発光物質につかわれるよ
うに、紫外光の光量子を吸収して、可視光を
放射しますが、別項で記述した事例のように、
その状態では酸化亜鉛は導電性として励起さ
れていると考えるのが自然なのかもしれませ
ん。

 酸化チタン(ルチル)は、光触媒として塗
布膜の状態で酸化力を発揮しますが、高エネ
ルギーの光量子を吸収した酸化チタンも、そ
の状態のときにだけ導電性があるそうです。

 硫酸製造のときに使われる五酸化バナジウ
ムも導電性があり、酸化触媒です。

 ・・・一般化すると

 硫化物が半導体である金属は、おそらく酸
化物も「潜在的に」半導体なのでしょう。お
そらく、エレクトライドとしての挙動は、硫
化物も酸化物も原理的にはおなじであるはず
です。


====================

 5−3−4 酸化物的な窒化物半導体

(関連:2:3比率の塩の結晶:ヘロブスキ
 ー石の結晶構造)

 *この記事は部分的に間違いを含むことが
  判明しました。

====================

 酸素ではありませんが、最近話題になった
物質で窒化カルシウムは電気を通しますが、
その試薬目録にのっていた
 そのあざといまでのあかむらさきいろに、
筆者は過マンガン酸カリを連想しました。
 酸化力の強い無機物は赤みを帯びるのは統
計的な事実なのでしょうか。
 酸化カルシウム(生石灰)は白色なのに。

 窒化カルシウムでは窒素が、

 不安定であるがゆえに着色されていると考
えるのが自然なようです。

 窒化カルシウムは、最近話題の(この文脈
では電子酸と表現しましたが)電子化物=エ
レクトライドの代表的物質であることとして
筆者は知りえましたが、その導電性とその鮮
やかな赤色呈色はおそらく関係があります。

(筆者は残念ながら二次元と三次元エレクト
ライドの具体的な構造を、具体的な物質の結
晶格子としてまだ理解できていません。)

 基礎的な思考として、イオン数が2:3の
化合物は、そのイオン半径がおなじぐらいで
あると仮定したばあい、体心立方と面心立方
の混合として理解されます。

   ●―――――●   ・―――――・ ヘロブスキー石
   /|     /|   /|     /|
  / |    / |  / | ○  / |
  / |    / |  / |  ○ / |
 ●―――――● | ・―――――・ |
 | | ● | |+|○| ・ |○|
 | ●―――|―● | ・―――|―・
 | /    | /  | / ○  | /
 |/     | /  |/   ○ | /
  /     |/   /     |/
 ●―――――●   ・―――――・

 これは、大学受験用の参考書(1970代
の名著)に書いてあった、やや野蛮でしかし
実用的な概念なのですが、

 単位結晶格子中に、組成式としてのそれぞ
れのイオン単位がいくつふくまれているかと
いう計算方法です。

(参考書のなかでは、次項の1/8とか1/2とか
いう概念を、「菜っ切り包丁」を使って原子
をまるでスイカのように切っていました。ド
ルトンやデモクリトスが見たらどうおもった
でしょう:笑。)

 ―――――

 体心立方格子(黒丸)の方の原子数は、

 ・各立方体の頂点に座している原子は、ほ
  かの単位キューブ全8個に属しているの
  で、1/8、の参加数とみなす。

 ・立方中心の原子は
  そのままなので、1個とみなす

 頂点原子の総数は8個、ゆえにこの立法に
対する参加数は

 1/8 * 8=1、

 中心原子と数を合計して、この立法には2
つの原子が含まれることになる

 ―――――

 面心立方(白丸)のほうも同様に、

 ・正方形の中心の原子は、全部で2キュー
ブ単位に参加しているので参加数は1/2、

 ・中心原子はなし=0、

 正方形の数は全部で6、ゆえに

 1/2 * 6=3

 3+0=3

 となって、原子は3個。

――――――

 原子・イオンの大きさが
 ほぼひとしいか
 あるいは白丸面心原子がわずかに小さい
 場合、

 2:3構成比の塩はこのような構造をとる
のかもしれません

 筆者の古い記憶によればこれはヘロブスキ
ー石構造(ヘロブスカイト)とよばれ、しば
らくまえに話題になっていた化合物系超伝導
材料の構造として知られていました。

    (ちなみに、化合物系超伝導材料の研究がブ
    ームをおえてしまったのは、それがコイルの
    ための線材に加工するのがむずかしかったか
    らです。研究者氏は象牙の塔のなかの名誉競
    争におちいりがちですが、事実上税金や期待
    投資である研究者給料は、あくまで世間民衆
    のための工学応用によってささえられている
    ことをわすれてはならないでしょう。)

 この構造は、同じ原子が、ある方向からみ
ると一直線にならんでみえることが特徴で、
 イオンや原子が、同種結合として(おそら
く共有結合の気味)エネルギー的に結びつい
たとき、自由電子になりうる電子を滲み出し、
またその導電帯が原子から見ると無限の連続
としてつらなりうる構造であることを意味し
ています。

 超伝導材料としてその特徴を期待されたの
は炭化ジルコニウムなどとおなじように、共
有結合に落ち着くエネルギーは、自由電子の
エネルギーの活性化に使用されている効果な
のかもしれません。

 ヘロブスキー石は、チタン酸塩なので、

 Ti4+ (便宜上の表記。酸化活性有り)
 M2+  (Mはmetalの略。2価)

 の酸素塩ですから、たとえばMをカルシウ
ムとすると

 Ti4+  3・O2-
 Ca2+

―――――――――――――――

 2原子6+ 3原子6-

 と原子数と価電子の帳尻は一致します。

 また4価の金属はチタンである必要はなく、

 Pb4+ 鉛
 Sn4+ 錫

 でもかまいません。

 重要なのは、潜在的に酸化力の強い金属が
酸素イオンから電子をにじませるようにはた
らかせること、
 それから4価と2価の金属をどのように配
合構成比をかえるかということによって、

 金属イオンの層状構造・鎖状構造をどうデ
ザインするのかということに、当時の超伝導
材料研究はその研究の目的をしぼっていたよ
うです。

 素人考えで見ると、組成的にヘロブスカイ
トは、黒丸に金属、白丸に酸素原子がはいり
ますが、黒丸にあたる原子は、その配位座標
によって条件が変わります

 すなわち、立方体の頂点にあたる座標の点
は、面心の6つの酸素原子にかこまれていま
すが、
 立方体の央点にあたる黒丸は、8つの酸素
原子にかこまれています

 黒と白との素朴な原子間距離も異なり、単
位格子の、一辺を1とすると

 頂点では √2/2ですが、
 央点では  1/2です

 金属原子(イオン)の大きさとその帯電価
:2価か4価ということ:を、任意に選択す
れば、のぞむ金属元素原子を格子の任意の位
置に配置できます。)

     *

 窒化カルシウムの話で考えると、

 組成的に共有もイオンもの区別もなく考え
ると、

 Ca=N―Ca―N=Ca

 という電荷和が窒化カルシウムですが、
共有結合的なカルシウムの傾向としては、窒
素もカルシウムもたがいに一対一の配置とし
て結晶を作ろうともくろみますので、カルシ
ウムが単位あたりひとつ余分になります。

 窒化カルシウムがほんらいヘロブスキー石
のような構造をしているのならば、窒素原子
はある方向に連続していますから、その配列
に共有結合的な気配がはいりこむ余地はあり
そうです。

 N3- + N3- → -2N―N2- +2e-

 -2N―N2- → -N=N- +2e-

 という平衡があっても不思議ではありませ
ん。

(ただ全体のイオン電荷の平衡的に、それが
窒素分子となって離脱することは防いでいる
のでしょう。)

 またその気味はあっても、直線的ポリ窒素

 ・・・―N=N―N=N―N=N―・・・

 が存在してπ電子としての導電性を持って
いるのだ、ともいわないほうがよさそうです。

 ・・これは、カルシウム塩が一般的に難溶
性でかならずしもイオン状態であることをこ
のまないことと関係しているのかもしれませ
ん。

 実際のところ窒化カルシウムの組成構造は、

 3Ca2+ + 2N3-

 ですが、部分的に

 2Ca2+ + N24- +  Ca
  Ca2+ + N22- + 2Ca

 という遷移があるかもしれなく、

 もちろんそれぞれで

 Ca←→Ca2+ +2e-

 という平衡がありえます。

 にじむかたちであまった電子が、電子化物
としての導電帯を形成し、それにおそらく正
比例している形でアゾイオンというべき

 -N=N- が「赤」としてそとからみえて
いるのでしょう。

 価数と原子数の合計が等しい窒化アルミニ
ウムはこのような毒々しい色をしていません。

 濃硝酸の赤い煙、カップリングによるアゾ
染料など、窒素化合物で赤色、あるいは褐色
を帯びている物質には、そこに二重結合があ
ります

 窒化物としての窒化カルシウムを考えると、

 ほかの遷移金属の窒化物がそうであるよう
に、金属カルシウムの性格をのこした自由電
子が導電性を導いているとみたほうが、現象
の解釈としては素直でしょう。

 ただ、ほかの遷移金属窒化物で、窒素原子
がその格子中で共有結合的に結合している挙
措は、カルシウム化合物のなかでは、同属の
窒素原子にむけられてしまっている、のかも
しれません。

     *

 この項目を書き上げてしばらくして、情報
不足が気になって筆者はもう一度窒化カルシ
ウムの検索をしてみました。

 その結果、導電性物質、エレクトライドと
しての窒化カルシウムとは、急激冷却製法に
よる、組成、

 Ca2Nの物質であることがわかり、すべ
てが氷解しました。

 そうなれば、カルシウム分の電子ひとつが
余剰になり、この余剰の金属的性格が電子の
性格を持って、

 物質が導電性を持つことが理解できます。

 筆者は原稿を書くに当たって、資料と知識
が錯綜していたようです。
「松下氏人工光合成」では、酸化インジウム
との連想について、1:2化合物としていま
すから、その時点では情報はただしかったよ
うです。

 ・・・Ca2Nの化合物の色は(顕微鏡像
しか画像がのっていなかったこともあり)不
明ですが、おそらく灰色の金属光沢を帯びて
いることでしょう。

 Ca3N2物質についての勘違いは、記事
としてこのまま残しておきたいと想います。

 ◎補遺 ヘロブスカイトの構造示成につい
  て。v0.991

 v0.99ファイルを上梓したあとに別件(色
素増感太陽電池)をしらべていたところ、あ
る製薬試薬会社のカタログに「ヘロブスカイ
ト」構造として以下の構造が載っていました。

 図面は、絵文字として書き換えてあります。

   ●―――――●   ・――○――・
   /|     /   /|     /
  / |     /|  ○|    ○|
  / |    / |  / ○    / ○
 ●―――――● | ・――○――・ |
 | | ● | |+| |   | |
 | ●―――|―● | ・――○|―・
 | /    | /  ○ /    ○ /
 | /    | /  | ○    |○
 |/     |/   |/     |/
 ●―――――●   ・――○――・

 先項に載せた図はまちがっていたのだろう
かとおもいましたが、

 ひょっとするとヘロブスカイトには2種あ
るのかもしれないとおもいかえし単位数を調
べてみました。

 くろまるの帳尻、

 1/8勘定 * 8個 =  1個相当
 中央独立1個、   =  1個

 計2個

 しろまるの帳尻、

 線分上ですから、隣接共有単位は4つ、よ
って1/4、

 線分は12本 よって 1/4*12=3

 3個相当

 先項の帳尻とあっています。

 ・・・図面を、見るうちに気がつきました
が、
 これは小項当初のヘロブスカイトの構造を
視点を変えてみたものであることに気がつき
ました。

 小項当初のくろまるの立方中央原子を、こ
んどは位相的に逆に、格子の頂点に置きなお
してみると、しろまるの配置は、このように
変換されます。

(こういうのも、数学的には「なんたら変換」
という名前がついているのでしょうが、調べ
るのはやめにしておきます。)

 当初図では、立方中央原子は同時にしろま
るが構成する八面体の中心に位置しています。

   ●―――――●
   /|     /
  / | ○   /|
  / |  ○ / |
 ●―――――● |
 |○| ● |○|
 | ●―――|―●
 | / ○  | /
 |/   ○ | /
  /     |/
 ●―――――●。

 逆に言えば、立方中央くろまる原子は、し
ろまるによって八面体的に取り囲まれていま
す。

 こんかいの図では(隣接単位に対する理解
が必要ですが)

 立方体頂点のくろまるが、6つのしろまる
に、八面体的にとりかこまれています。

 ・・・この新しい視点により、気がついた
ことは、ヘロブスカイト構造とは、当初図、
あるいは今回図における、

 内部のくろまると、頂点(稜点)のくろま
るとでは、条件が異なる、ということでした。


 その意味では、単純に2:3構造といって
も、

 M2A3

(metal&antimetal)

 という組成ではなく、

 MNA3(M≠N種々の条件)

 ということになります。


====================

 5−3−5 ヘロブスキー石以外の基本結
 晶格子

====================

 蛇足としてほかの結晶格子についての考察
を追加します。

 このファイル本来の意図とは逸脱しますが、
しかし、このファイルの「本来の」執筆動機
があくまで筆者の研鑽と備忘録にあることに
かんがみ、ご容赦ください。

 二種の原子、単純に整数比の基本的なもの
のみ考察します。


====================

 5−3−5−1 1:1比率の塩

====================

 六方最密パッキングか立方パッキングかで
結晶格子の性質は変わってきます。

 以下は立方結晶の例を中心にかんたんに解
説します。


====================

 5−3−5−1−1 単純立方体として

====================

 立方結晶の場合、原子(イオン)の大きさ
が同じ場合、岩塩(塩化ナトリウム)型の結
晶となります。これはもっとも単純に、体心
立方の中心原子がない形で、原子が互い違い
につみかさなっているものです。

   ●―――――○ 岩塩:塩化ナトリウム
   /|     /|
  / |    / |
  / |    / |
 ○―――――● |
 | | ・ | |
 | ○―――|―●
 | /    | /
 |/     | /
  /     |/
 ●―――――○

 ハロゲンアルカリ塩の場合ですがいっぽう
のイオンのおおきさが大きくなるばあい、
「球」の積み重ねが岩塩構造ではうまくいか
なくなるので、大きいほうのイオンが立方格
子のうちがわにずれてきます。

(広義の塩では、陰イオンに成る元素は比較
的限られているいっぽう、多くの重元素は、
多すぎる電子をうまく原子核がつなぎとめら
れなくなってくるので、どうしても金属化し
ます。
 ・・・ゆえに、陽イオンでおおきいイオン
は重金属であることがほとんどでしょう。
 ただし、陰イオンはみなおしなべて大きい
半径を持ちます。化学では酸素イオンはかな
りおおきい原子として扱われます。)

   ○―――――○ 塩化セシウム
   /|     /|
  / |    / |
  / |    / |
 ○―――――○ |
 | | ● | |
 | ○―――|―○
 | /    | /
 |/     | /
  /     |/
 ○―――――○

 筆者は確かめていませんが、ハロゲンアル
カリ塩でなければ鉱石の中に硫化物はありふ
れていますが、原子の大きさからいえば

 黄鉄鉱は岩塩構造、
 方鉛鉱は塩化セシウム構造

 なのかもしれません。鉛のイオンが、かな
りおおきいものであるのならば。


====================

 5−3−5−1−2 立方晶ながら、小四
 面体構造(六方最密パッキング)が混ざる
 結晶(組成比率1:1)=閃亜鉛鉱型格子

====================

 六方結晶が最密格子である理由ですが、

  ○○○○○
  ○○○○○
  ○○○○○

 と球を平面に並べると、そのくりかえしの
単位は三角形、ないしそれ6つからなる六角
形になります。

  ○
  ○○

  ○○
  ○○○
  ○○

 ・・・同種の原子だけで結晶が構成されて
いると仮定すると、これらのシートが、つぎ
つぎとかさなっていくことになりますが、と
うぜん、下のシートの「窪み」に上の層の原
子の玉が載ることになります。

 個々の原子で考えると、

      ○
     /|\
    ○―|―○
      ○

 (原子間の間隙を誇張)

 というように、四面体の頂点各原子が来る
ことになります

 これが「六方」結晶結晶結晶であり、
 本来「ビー球」が密にならんでいる構造ゆ
えに、「六方」最密パッキング、とよばれま
す。

 この構造で「塩」が結晶になるとき、
(1:1組成比の場合)

 図でいう、しろまるの球の間隙に相方のイ
オンがはまりこまなければなりませんから、
 当然しろまるにたいして相方のイオンは十
分に小さいサイズでなくてはなりません。

「六方最密格子:四面体構造は塩ではイオン
半径が差があるときにのみ成立」

 有名なルビー・サファイア(コランダム:
酸化アルミニウム)は2:3組成比の塩です
が、片方の原子が上記の「しろまる」にたい
してじゅうぶん小さいために、むりやり
1:1比率の六方晶塩となり、不足分の小さ
い原子の分は、「結晶欠損」として原子空席
のまま格子をつくってしまいます。

 皮肉なことに、コランダムのほうは、原子
欠損が、結晶壁開に対して抵抗性を(格子が
若干ゆがんでいるために)示すため、硬く、

 硫化亜鉛(亜鉛の鉱石として)の結晶構造
は上記の前置きの意味で二種類あって、

 六方結晶としての格子がウルツ鉱、
 立方格子としての鉱石が閃亜鉛鉱

 とよばれます。

 素人の推測ですが、イオンとしての亜鉛と
硫黄の直径比はやや中途半端で、完全四面体
としての六方晶はやや不安定であり、場合に
よっては岩塩のような1:1立方晶に転移
「したいのかもしれません」

 そのようなスポーツ新聞のような「か?」
という下衆のかんぐりとしてみると、閃亜鉛
鉱型構造とは、やや中途半端な移行状態のよ
うにもみえます。

 閃亜鉛鉱型構造は、その構造の重要点は、
六方晶で基本構成単位であった、四面体構造
をその構造の中に構成単位として、残してい
ることです。

   ○―――――○ 閃亜鉛鉱
   /|     /|
  / | ○  / |
  /  ● ○ / |
 ○―――――○ |
 |○|  ●|○|
 | ○―――●―○
 | / ○  | /
 |/ ● ○ | /
  /     |/
 ○―――――○

 1:1の組成収支を記載すると、

 黒丸:ここでは硫黄原子は、中央を除く体
心の各頂点、および面心の各央点を占め、

 頂点:1/8*8=1個
 面心:1/2*6=3個

(立方体の央点には原子は入りません)
で計4個

 白丸:ここでは亜鉛は完全に格子中に取り
込まれる形でこれも4個、

 帳尻は合致しています。

 六方晶としての正四面体の構造ですが、
(任意の)上面からみて正方形の対角線にあ
たる2つの頂点、格子下面ではたがいちがい
の意味での対角線にあたるまた二つの頂点

 :の、そのそれぞれの頂点において、単位
立方体のなかに包含しています。

 別の言い方をすれば、立方体(単位格子)
を岩塩格子とみなしたばあい、イオンは互い
違いに積み重なっていますので、たとえばナ
トリウム原子だけを頂点として線分で結んだ
場合、

 立方体のなかに大きな四面体が出現します
が、その四面体の頂点をその構成点としてふ
くむ4つの四面体が、閃亜鉛鉱においては構
成する硫化亜鉛四面体に相当します。

     ☆―――――――――――○ 閃亜鉛鉱
     /|           /|
    / |          / |
    / |    /      / |
   /  |  ―○―     /  |
   /  | ★ /  |   /  |
  /   |    ―○―  /   |
  /   |     |  /   |
 ○―――――――――――▽   |
 | |/ |      ▼ | |/ |
 | ○ |       | ○ |
 | /| |       ◆ /| |
 |   ○―――――――|―――◇
 |   /  |     |   /
 |   / ―○―    |   /
 |  ■  |  /   |  /
 |  /    ―○―  |  /
 | /      /    | /
 | /          | /
 |/           |/
 □―――――――――――○

 アスキー絵文字ではうまくえがけないのが
もどかしいですが、立方体頂点に属する四面
体央点の亜鉛原子をおなじ記号文字であらわ
してみました。

 黒く表現した亜鉛原子は、おなじ記号の形
を持つ白い硫黄原子をひとつの頂点として持
つ四面体の中心に存在することになります。
 立方体の角頂点は8つあって、この立方体
の中に単位四面体は4つ包含され、また使用
されなかったのこり4つの頂点の硫黄原子は、
それぞれこの立方体に隣接する別の立方体の
中に単位四面体を展開させています。

 黒く表現した任意の亜鉛原子は、
     その亜鉛を包含する
     四面体のひとつの頂点でもある、
     格子単位立方体の頂点の
     対応する1つの
 硫黄原子と、
     3つの、
     その頂点の硫黄原子を正方形の4点のうちの1点として持つ
         格子立方体の表面である
     正方形の面の中心に存在する、
 硫黄原子に取り囲まれています。

 ちょっと連想する限り、多面体の面同士の
角度的に、立方体の隅の頂点は、四面体の頂
点になりえない気もしますが、そこは立体構
成の妙、そうなります。証明は後述します。

 構成硫化亜鉛四面体はどれも合同です。

 ただし、重要なことは、閃亜鉛鉱型構造は、
ウルツ鉱構造ではありませんから、この正四
面体方骨格単位は無限に連続しません。

 たとえばこの単位立方格子内の大きな正四
面体は、そのなかに硫化亜鉛性四面体を4つ
含みますが、

 立体三角数的な幾何として、

 実は大きな正四面体は5つの正四面体に分
割できます。

 それをたぶん次元概念的に相同な2次元の
比喩で表現すると次のような概念になります。

  △
 △▼△

(もっときれいに決まるはずでした。2バイ
トのアスキー文字は正方形なのでした。)

 これは日本の紋章では、ミツウロコとよび
ます。
 北条氏の家紋や、氷イチゴのシロップでお
なじみです。

(最近まで知らなかったのですが、ちなみに
メロンやレモンはまだ合成色素ですが、イチ
ゴのシロップだけは紫芋の色素におきかわっ
ていました。
 安全なものを使いたいのは人情のようです。
グレナデンシロップの代わりに使えますね。)

 ・・・脱線はさておき、2次元では三角形
は4分割できますが、3次元では四面体は5
分割になります。閃亜鉛鉱型構造では、ミツ
ウロコのまんなかの白三角にあたるところに
(その中央に)(亜鉛)原子ははいりません。

 ウルツ鉱型構造にくらべて、閃亜鉛鉱型構
造は、(表現が抽象的ですが)単位立方体の
各頂点に四面体がより凝集している、と表現
することができるでしょう。

 やはり移行遷移的構造なのかもしれません。

 それぞれの四面体の、硫黄原子の配置は、

 1 立方体の頂点

 は決定事項ですから、

 のこりの2から4の3つは

 各面心中央の3つの硫黄原子になります。

 この構成四面体が、ほんとうに正四面体
であるかの検証をしたいとおもいます。

 辺の長さを使用します。

 結晶格子立方体の一辺のながさを1とす
ると、

 頂点から各面心点までの距離は六面体の
対角線の半分ですから、

 ○―――――○
 |\    |
 | \   |
 |  ○  |
 |     |
 |     |
 ○―――――○

 √2/2、

 また、六面体ですから、頂点から見て隣接
面は3つあり、この長さの線分も、3つあり
ます。

 各面心間の距離は、立方体を90度ちがう
むきからみたとみなすとやはりその長さは、
対角線の半分を平行移動した長さですから、

 ・――○――・
 |   \ |
 |    \|
 ○     ○
 |     |
 |     |
 ・――○――・


 となって、これも√2/2。

 ことばでは表現しにくいですが、この線分
も3つあります。

 四面体の6つの稜線すべてがおなじながさ
なので、これは正四面体である。

(QED)


====================

 5−3−5−2 1:2比率の塩結晶構造

====================

 筆者の小学生のころの記憶なのではっきり
としたことはおもいだせませんが、
 1:2比率塩の格子構造はルチル型と蛍石
型のふたつがあったようです(これは、北の
丸公園の技術館にいったときにおみやげに買
った分子模型の解説書に書いてありました。
(C:丸善))

 前項までの解説を踏まえたうえでは、この
二つはそのバリエーションなので、概念的な
理解はそうむずかしいものではありません。

 ルチル(酸化チタン:TiO2)の結晶構
造は、
(以下に書きますが、この仮説は間違いでし
た。)

 体心立方格子

(頂点原子、   1/8*8=1、
 立方央点原子 +1

 =2原子)

 の

 中央の原子と立方体の頂点の原子との中点
に、帯電上逆電荷のイオン原子が配置されま
す。

 ただし、頂点8つからなる8中点すべてに
置かれるのではなく、岩塩的にとびとびにえ
らばれた4頂点から導かれる、4中点にのみ
置かれます。4個ですから、

 2:4=で、1:2です。

   ●―――――● ルチル
   /|     /|
  / |    / |
  / |○   / |
 ●――――○● |
 | | ● | |
 | ●―――○―●
 | / ○   | /
 |/     | /
  /     |/
 ●―――――●

 追記

 ・・・この構造は間違いであることが念の
ためのチェックで判明しました

 ・・・こんな不安定そうな構造が許される
のかと半信半疑でした。

 基本格子を3層に分割して考えます。
 上段からa層、b層、c層とします。

 まずa、c層(構成上は同一)を考え、
 黒丸をチタンの陽イオン(4価)白丸を酸素
の陰イオン(2価)とすると、基本格子の天面
あるいは底面に対してななめに、

 ●○○●○○●○○●○○・・・ ・・・*

 となるように並びます。

 これはTiO2が原子数比率で1:2である
ことからの帰納とみることができます。
(図では平面に埋もれていることを示すために
○ではなくΘ記号でしめしました。


       ●――――――――● a層
      /|       /|
     / |   Θ  / |
    /  |     /  |
   /  Θ|    /   |
  /    |   /    |
 ●――――――――●     |
 |     |  |     |
 |     ●――――――――● c層
 |    /   |    /
 |   /    |Θ  /
 |  /     |  /
 | /  Θ   | /
 |/       |/
 ●――――――――●


 b層は、単位立方体の、立方の中心に位置す
るチタン原子を中心にa、c層と直行する方向
に原子が並びます。

     ●

      ○

     「 ○

        ●

         ○ 」:括弧内が、
           この立方格子に含まれる原子
          ○

           ●

 ゆえに、a、b、cの積算和としての単位格
子は以下のようになり、

       ●――――――――● ←a層
      /|       /|
     / |   Θ  / |
    /  |     /  |
   /  Θ     /   |
  /     ○   /    |
 ●――――――――●     |
 |     | ● |←b層  |
 |     ●――――――――● ←c層
 |    /   ○     /
 |   /    |Θ  /
 |  /     |  /
 | /  Θ   | /
 |/       |/
 ●――――――――●

 原子数の計算をすると

 ● 1/8*8+1=2個

  Θ扱い○ 1/2*4=2個

  格子内○ 単純に2個

 ○は計4、

 よって1:2。

 a、c層とb層の公平を期すために、4倍
大きな領域でそれぞれの原子配置を示すと以
下のようになります。

 ●     ●     ●:a、c層

     Θ     Θ


   Θ     Θ

 ●     ●     ●

     Θ     Θ

   Θ     Θ

 ●     ●     ●

====================

    ●     ●     ●:b層

      ○     ○

        ○     ○

    ●     ●     ●

      ○     ○

        ○     ○

    ●     ●     ●

 ルチルは380nmの紫外線で導電体となり
ます。おそらくこの(4倍図における鉛直方
向)に配列した酸素原子同士の連続間に、導
電性の電子がその高エネルギー下の環境で、
にじむのでしょう。
 この文章は、「電子化物」の項を書いた後
で執筆していますが、酸化錫(W)、二酸化
鉛の導電性は、もし両鉱物が二硫化モリブデ
ンのような滑る壁開をしめさないのであれば、
それはルチル型の構造によるのかもしれませ
ん。
 3次元結晶という意味では、ルチルの結晶
構造は、限られた一軸にのみ特化しています。
これは天然ルチルの結晶が針状結晶として産
する理由なのだと推測されます。

 なお、閃亜鉛鉱型の結晶をもつ硫化物が導
電性を示す場合、硫黄原子もまた同種原子で
配列していますから、この面に連続電子がに
じむ可能性が、構造上あります。

 蛍石型は、閃亜鉛鉱の亜鉛に当たる原子が
2倍になった構造です。

 立方体の頂点の原子をとびとびに選ぶ方法
として、岩塩構造における陰イオンと陽イオ
ンの配置を概念として利用する方法がありま
したが、
 この方法では、陰イオンからなる大きな四
面体と陽イオンにおける大きな四面体とは、
たがいに3次元的にパリティとして逆ながら、
合同で、たがいに対象です。

(群論的には、これらは四元数を用いて、3
数の積が正か負かという区別で表現できます、
つまり

 点を三次元座標として、p=(1、1、1)
と表現するとき、

  X  Y  Z    X  Y  Z
 +1*+1*+1=1 −1*−1*−1=−1
 +1*−1*−1=1 −1*+1*+1=−1
 −1*−1*+1=1 +1*−1*−1=−1
 +1*−1*−1=1 −1*+1*−1=−1

 と8点は(交換可能な乗法群としてですが)
積において2つの性格にわかれます。
 この符号の正負によって所属するおおきな
四面体がわかれます。

 便宜的に、岩塩格子では

 3値積=+1を陽イオン、
 3値積=−1を陰イオン、

 にわりあてていると表現してもたぶんさし
つかえないでしょう。

 閃亜鉛鉱型構造では、たとえば+1の大き
な四面体からなる、
 その分割子である5つの四面体(中央に位
置する5番目の四面体は使用せず)の央点に、
亜鉛を配置していましたが、

 蛍石型構造では3値積=−1に相当する大
きな四面体の子にも原子(イオン)が入りま
す。

   ○―――――○ 蛍石
   /|     /|
  / | ○  / |
  /  ● ○● |
 ○―――――○ |
 |○●  ●|○|
 | ○●― ●―○
 | / ○  | /
 |/ ● ○●| /
  /     |/
 ○―――――○

 8つの子四面体は、それぞれ立方体の3つ
の構成面に平等等価に配置され、

 またもともとの立方体の8つの頂点は、直
方体ではなく立方体の頂点ですから、
 その誘導である8つの四面体の央点もまた、
小さな立方体の頂点であることになります。

(これを執筆している時点で、筆者はしろま
るとくろまるどちらが弗素原子なのかは確認
していません。

 ただ、直感としては、共有結合をとりたが
る弗素原子はたぶん同族でまとまろうとする
傾向があるはずですから、格子中央にまとま
るくろまるが弗素に相当すると想われます。
 これがおそらく蛍石が黄鉄鉱のようなさい
ころ型結晶ではなく八面体になる理由なのか
もしれません。しろまるが弗素なら、壁開は
六面体になるような気がします。(調べてみ
たらそのとおりでした。)

 その意味で、蛍石型構造とは、はからずも
結晶構造の立方体構造を強調する格子となっ
ています。

 弗素そのものは元素として、潜在的揮発元
素なので、マグマだまりの上部の晶洞に、析
出鉱物のかたちで産します。
 その意味では、含水型鉱物といっていい水
酸基を内包する鉱物と共存することもありま
す。
 蛍石は、水晶の晶洞のように、間隙に析出
するごろ結晶として、大陸地殻に産し(その
意味で黒鉱のような硫化物鉱床ではありませ
ん。

 蛍石は、その高い屈折率をかわれて光学材
料や、また元素を、単離して弗素有機化学に
用いられます。

 工業需要がありますので、その鉱石は盛ん
に採掘され、おもな産出地は、ブラジルや中
国の大陸地塊です。

 蛍石の結晶は、どれもがきれいにそろった
八面体をしています。幾何学的には、八面体
と立方体は相同で、立方体の頂点を対称にそ
ぎおとしていくと八面体が出現します。

 その面で壁開したがる、というのは電気的
な反挑でもあるのでしょう。


====================

 5−3−5−3 正四面体・正六面体
(立方体)の格子変換について
 :参考:閃亜鉛鉱 v0.991

====================

 正八面体は、立方体の頂点を等位に削れば
出現しますので、ここではあえてのべません。

 ここでは、立方体から正四面体を切り出す
概念について述べたいと想います。

   ○
  /|\
 ○―|―○
  \|/
   ○

 この項目を書く動機は、

 閃亜鉛鉱は、岩塩型構造やダイヤモンド格
子を介して理解できる、と書かれていた資料
の文言が引っかかったことでした。

 上記の項で筆者が書いてしまった、

「立方格子の中で四面体が中途半端に配位し
ている」というような、概念は、

 岩塩立方体構造や、ダイヤモンド四面体構
造、で記述できるのであれば、それは中途半
端な配位などではないことになります。

 ・・・閃亜鉛鉱型結晶構造を資料の図とし
て、ダイヤモンド型としてちらと見たときに、
筆者の小学校時代の記憶がよみがえりました。

 コラムのベリルの項目でものべてあります
が、
 シクロヘキサンの非芳香環のうわむきの3
本の結合を、4つの炭素原子でうけとめて、

 10個の原子でつくったかごが、いわばダ
イヤモンドの四面体の基本単位になります。
 閃亜鉛鉱は、ダイヤモンド構造として理解
したほうがもっとも理解しやすい、という丸
善のテキストの記憶がありありとおもいうか
びました。

(・・・なぜいままで忘れていたのかと想い
ました。年数を考えれば、無理のないことで
すけれども。)

 閃亜鉛鉱は硫化亜鉛:ZnSですから、イ
オン原子の比率は1:1、

 ダイヤモンド格子の上に展開配置されれば、
それはとなりあうかたちに、とびとび一個お
きに配置されます。

 ダイヤモンド四面体と、岩塩的立方体が幾
何数学的に相互変換が可能ということは、

 結論を先に言うと、

 閃亜鉛鉱型1:1結晶構造は、
 同時に塩化セシウム型1:1結晶になりま
す。すくなくとも幾何学的にはそうなります。

 イオンの大きさがほぼひとしく、潜在的共
有結合力がほとんどない1:1塩では、格子
は岩塩型になりますから、

 この数学幾何的には同じものが、それぞれ
別の名前を持つ理由は、

 1 イオンの大きさが違いすぎる
 → 塩化セシウム型と呼ばれる

 2 異種原子間で強い共有結合傾向が存在する
 → 閃亜鉛鉱型とよばれる

 という内部の事情によるものでしょう。

 幾何変換は、図示すると以下のようになり
ます。
 岩塩型の格子を借りて、六面体=立方体か
ら四面体を定義します。

   ●―――――○   ・―――――○     ・―――――○
   /|     /|   /|     /|     /|     /|
  / |    / |  / |    / |    / |    / |
  / |    / |  / |    / |    / |    / |
 ○―――――● | ○―――――・ |   ○―――――・ |
 | | + | |→| | + | | → | | ● | |
 | ○―――|―● | ○―――|―・   | ○―――|―・
 | /    | /  | /    | /    | /    | /
 |/     | /  |/     | /    |/     | /
  /     |/   /     |/     /     |/
 ●―――――○   ・―――――○     ・―――――○


 四元数幾何のからみでものべたかもしれま
せんが、
 一個おきに異種の原子が配置されている、
岩塩型立方頂点格子では、陽イオン、陰イオ
ンはそれぞれでは四面体構造をとっています。

 その同種のイオン原子の四面体の中に別種
の原子を中央配置すると、いわばメタンや四
塩化炭素のような幾何配置が実現します。

 ○
  \
   \
    ●―――○
   //
  ○ /
   /
  /
  ○

 正四面体基本単位

 この構造を取り出し、単位を対等に対称的
にくみ上げていくと、ダイヤモンド単位を通
じて、

(閃亜鉛鉱的)四面体構造が出現します。

    ○―――○    |  / ●―――○
   //     \  | ///     \
  ○ /       \ | ○ /       \
   /        ○|  /        ●―――○
  / \      // | / \      //     \
  ○  ○―――○ / | ○  ●―――○ /       \
   \ /     /  |  \//     /        ●
    \     /  |  ○\     / \      //
    / ○―――○   |   / ●―――○   ●―――○ /
   //        |  ///     \//     /
   ○         |  ○ / ●―――○ \     /
            |   / /      / ●―――○
 基本ダイヤモンド格子 |  / \     ///     \
            |  ○ / ●―――○ /
            |   \//     /
            |   ○\     /
            |    / ●―――○
            |   ///     \
            |   ○ /       \

             閃亜鉛鉱、ダイヤモンド格子表現。


           ‥ /
         ―――○
             \
              \
   ○―――○       ●―――○
  //     \     //     \
 ○ /       \   ○ /       \
  /        ○   /        ●
  / \      /   / \      /
 ○  ○     /   ○  ●     /
  \  ‥   /     \  ‥   /
   \   ‥ /      \   ‥ /
    ○―――○       ●―――○
                     \
                      \
                       ●―――
                      //
(アスキー図なので正中がうまく出ません)

 ウルツ鉱の原子配置図

 ウルツ鉱型構造は、基本格子がことなりま
す。

 閃亜鉛鉱のダイヤモンド型格子は、都合上
から階層上に原子が1、3、6と立体三角数
として増えていきますが、
 ウルツ鉱の格子は途中でもとに戻り、
 1、3、3、1を繰り返していきます。

 そのため、閃亜鉛鉱の場合は、立体の対称
軸が4方向なのに対し、ウルツ鉱の場合は、
「対象性が破れ」、対称軸は1つのみになり
ます。

 ウルツ鉱の基本単位を、緑のピーマンにな
ぞらえると、内側の房室の内部の仕切り、
(種がいっぱいついています。緑色の段階で
もほぐして播くとちゃんと芽が出ます。)
 がむかっている方向がウルツ鉱の対称軸で
あり、
 ウルツ鉱の結晶構造は、みどりのピーマン
がへたとその尻の方向に、無限に近い数で連
綿とつらなっているようなものです。
 筆者はピーマンは好物です。読者氏に置か
れましてそうでなければご容赦ください(笑)。

 以前の記事で、ウルツ鉱は
 六方結晶、と書きましたが、これには加筆
が必要です。

 原子パッキング格子で、六方パッキングと
いうと、六方最密パッキングのことであり、

 もちろん、ウルツ鉱の構造には(閃亜鉛鉱
とくらべて)隙間があり「最密」ではありま
せん。

 六方最密パッキングとは、ウルツ鉱構造の
中心に原子が一個入った構造を指します。

 六方最密パッキングは原子の化合物比率と
して、立体対称性の高い、1:1をとること
が出来ませんので、普通はいくつかの金属純
粋単体に限られるようです。

     *

 ちなみに水が結晶化して、氷になるとき、
水素結合によってダイヤモンド=閃亜鉛鉱型
結晶になりますが、
 その原子単位10個のかご内にやはり四面
体構造のメタンを封じ込めた場合、それはメ
タンハイドレートと呼ばれます。
 メタンの水素と水の酸素が、配位結合をす
るかどうかでメタン分子の結晶内でもむきが
また変わってくることでしょう。

     *

    |
   ―別―――――属
    /|     /
   / |     /|
   / |   |/ |
  属―――――別―|
  | | + /| |/
  | 属―――|―別―
  | /    | /|
  |/     |/
   /      /
 ―別―――――属
  /|

 なお閃亜鉛鉱単位を四面体として考える場
合、その単位包のたとえば硫黄原子の四面体
所属の関係は、上記の図のようになります。

 もちろん閃亜鉛鉱の構造は塩化セシウムと
みなせますから、硫黄と亜鉛原子の個数の比
率は、1:1になります。

(1/8*8=1 よって1:1)

 ◎ダイヤモンド格子から見た、蛍石の構造
  について。

 蛍石型構造は、閃亜鉛鉱1:1イオン数比
率の構造が格子骨格はそのままに、他方のイ
オンが倍加することによって1:2比に増加
した構造です。

 筆者は当初安易にダイヤモンドの原子10
個の籠の中央に(蛍石では弗素の)原子が配
置されるのだろうとかんがえていましたが、
意外に複雑なようです。

 以下は書き散らしたおりこみちらしの裏の
図をまとめたもので、実際の思考の試行錯誤
は、複雑なものでした。

 なお、白黒で原子を配置する場合、一般に
は陽イオンをくろまるで表現するので、こん
かいは弗素をしろまるで表現します。

 つまり、

   ●―――――●
   /|     /
  / | ●   /|
  / |○  ○/ |
 ●―――――● |
 |●○○ ○○●|
 | ●―――|―●
 | /○  ○| /
 |/   ● | /
  /     |/
 ●―――――●

 をダイヤモンド格子としてみたばあいにつ
いて考察します。

 ・・・問題なのは、ダイヤモンド格子は、
立方体格子の演習問題のように、単純に原子
の「所属係数」を1/8とか1/2とかいうように
定義できません。

 こんかいは、厳密にただしいかどうかはわ
かりませんが、概念を以下のように定義して
みました。

 ダイヤモンドの概念で論理を組み立てます。

 原子は、4価つまり結合の手を4本持った
形で結びついていますから、単位格子の境界
上に在る原子を、立方体の問題のように、
たとえば1/4のように所属係数を定義するに
は、

 たとえば境界上の原子が

 \
  ●
  |

 という状態で配置されていれば、4価の結
合手のなかで2個しか単位格子内の結合には
使用していませんから、

 所属係数は、2/4 = 1/2と定義できます。

 同様に、

  |
  ●―
 /

 では、3/4と定義します。

 これは共有結合の炭素のばあいのはなしで
すが、実際にはイオン結合の気味もある硫化
亜鉛・弗化カルシウムでも、幾何学的にはお
なじですから、同様の原理で計算をします。

 まず、追加扱いで増える弗素原子がいくつ
増えるかの考察をします。

    (それにしても、とおもいます。結論を先に
    書くのはかんたんなものです。
     ああでもないこうでもないと試行錯誤し、
    答えがわからない中途でのあのごみ虫になっ
    たような気持ちをここにかければ、どんなに
    か面白いでしょうか。

     暗記だけの入試は筆者には理解できないも
    のであり、
     入学したとたんにすべてを忘れ(たように
    みえました)要領術にたけた先輩や同輩のこ
    とはもっと理解できないものでした。かれら
    が官僚や大企業の社員になっているのだとす
    れば、くにに未来がなくてあたりまえです。

     自分の力でこたえがわかったとき、
     人はごみ虫から人間に戻り、くらい雲が晴
    れ、雲間からスポットライトのようにまぶし
    いひのひかりがさし、天使は笛を吹いてあち
    こちをとびまわるものです。

    「紙一重」といいますが、学者はけっして馬
    鹿ではありません。このような瞬間、学者は
    まさに至福の意味においてキ◎ガイと化すの
    です。(えうれか。))

 まず、大きな四面体の中央に、四つのカル
シウム原子に囲まれる形でひとつの弗素が鎮
座します。

   ・
  /|\
 ・−◎ー・
  \|/
   ・

 一方大きな四面体がとなりあうおなじ多くな
四面体単位との間に、弗素原子がいくつ共有さ
れるかということを考察します。

 四面体の表面の大きな正三角形にカルシウム
がどのように配置されているかを調べると、
 それは三角面ひとつあたり、3個の弗素を抱
えることになります。

 また、これらの弗素は、カルシウムとの結合
手は4つ在るうちの3つを使用していますから、
結合係数は3/4になります。よって、

            ・
           /|\
          / | \
         /  |  \
        /   |   \
       /    |    \
      /     |  ○   \
     /      |      \  3/4*3個*4面=9個
    /       |       \
   /        |        \       +1個 :中央点
  /         |         \     ――――――
 ・…………………………|………………○………・
  \         |         /      10個
   \        |        /
    \       |  ○    /
     \      |      /
      \     |     /
       \    |    /
        \   |   /
         \  |  /
          \ | /
           \|/
            ・

 追加される弗素は、単位包あたり10個に
なります。

 いっぽう、その結果、カルシウム:弗素の
原子個数比率が1:2になるわけですから、
閃亜鉛鉱の原子配置において、もともとのし
ろまるとくろまるの総数が、10個:10個
である必要が生じます。

(1:2=10:10+10)

 閃亜鉛鉱型格子で、所属係数と個数の積算
を丁寧にしてみますと、

    第一層
   /
      第二層 第三層
 ●   /   /
  \
   ○―――●      第四層 第五層
  //     \   /   /
 ● /       \
  /\       ○―――●      第六層 第七層
  /  \     //     \   /   /
 ●  ○―――● /       \               ●
  \//     /\       ○―――●
  ●\     /  \     //
   / ○―――●   ○―――● /               ●
   ///\  ◎  \//     /      ――→      ◎
  ● /  ○―――●\     /          ●
   /\//     /○―――●
   / ●\     //
  ● / ○―――● /                       ●
   \//     /
   ●\     /            新たに追加される弗素原子の入り込む位置
    / ○―――●            +周辺に配置されるカルシウム四面体
    ///
   ● /
    /
    /
   ●

      しろまる    くろまる

      所属係数 個数 所属係数 個数

 第一層   ―      1/4 * 1個

 第二層  1 *  1個  ―

 第三層   ―      1/2 * 3個

 第四層  1 *  3個   ―

 第五層   ―      3/4 * 3個
              1/2 * 3個

 第六層  1 *  6個   ―

 第七層   ―      3/4 * 1個
              1/2 * 6個
              1/4 * 3個

          10個    別記

 :別記  1/4* 4個=1
      1/2*12個=6
      3/4* 4個=3
         ―――――
           10個

 ・・・となって、新規追加される原子数と
10個単位の意味で一致します。

     この項目のあとがき。

     当初、蛍石の格子を、四面体の頂点にくろ
    まる●カルシウムが存在していないモデルで
    計算をしていました。

     その結果、しろまるも結合手が4つ(原子
    1個分)たらず、くろまるも ―● 相当が
    4つないわけですから、やはり原子1個分数
    字が足りませんでした。

     9:9+10

     勘定が会わなくて一晩悩みました。

 ◎ヨウ化錫構造について

 これは、元素:ヨウ素をしらべていて、偶
然出くわした話題です。

 四塩化炭素をはじめとするハロゲン化炭素
族はふつう常温で安定な液体であり、その分
子はメタンとおなじく正四面体をとっていま
す。
 それが低温で固体化するばあい、ややイオ
ン結晶的に格子をつくるばあい、どのような
配置になるかという問題です。

 炭素族:ハロゲンの化合物ですから、

 原子個数比率は1:4です。

 基本的な考え方は閃亜鉛鉱の8頂点のうち
4頂点が四面体を構成する、という概念でい
いのですが、こまかい概念が違います。

 基本単位包が、岩塩単位の2倍、
(スケール相当。体積では8倍)になり、こ
れは必然的に

 体心立方 + 面心 + 線分上

 になります。
 これで包囲(陰)イオンの勘定をしてみると、

   ○――○――○    ・――・――・
   /|     /    /|  /|  /
  ○| ○  ○|   ・――・――・|
  / ○  ○ / ○   / ・ / ・ /-・
 ○――○――○ |  ・――・――・|/
 |○| ○ |○| =|・||・||・|
 | ○――○|―○  |/ ・|/-・|/-・
 ○ / ○  ○ /   ・――・――・|/
 |○  ○ |○   |・―|・―|・
  /     |/    /  |/  |/
 ○――○――○    ・――・――・

   ○―――――○   ・―――――・   ・―――――・   ・――○――・
   /|     /   /|     /   /|     /   /|     /
  / |     /|  / |     /|  / | ○   /|  ○|    ○|
  / |    / |  / |    / |  / |  ○ / |  / ○    / |
 ○―――――○ | ・―――――・ | ・―――――・ | ・――○――・ ○
 | | + | |+| | ○ | |+|○| + |○|+| | + | |
 | ○―――|―○ | ・―――|―・ | ・―――|―・ | ・――○|―・
 | /    | /  | /    | /  | / ○  | /  ○ /    ○ /
 |/     | /  |/     | /  |/   ○ | /  |○    |○
  /     |/   /     |/   /     |/   /     |/
 ○―――――○   ・―――――・   ・―――――・   ・――○――・

   立方        体心        面心        線分上

 1/8 * 8=1   1=1       1/2 * 6=3  1/4 * 12 =3


 =8

 となります。

 これに対して他のイオンの比率は必然的に、

 1:4=2:8ですから2個であり、

 これが閃亜鉛鉱のように四面体の中心に位
置しているとすると、
 任意の、いわば幾何学でのx=y=zに相
当する線分上の対角線として(静電反発力と
しても)配置するので以下のような配置にな
ります。

(隠れてしまうので、しろまるに相当するハ
ロゲンの描画はあきらめました。)

    ・――――――――・
    /|        /
   / |        /|
   / |       / |
  /  |       / |
  /  |      /  |
 ・――――――――・  |
 | ●|     |  |
 |  |     |● |
 |  ・―――――|――・
 |  /      |  /
 | /       |  /
 | /       | /
 |/        | /
  /        |/
 ・――――――――・



====================

 コラム1 鉱石と創作

※この項目は、本編の化学ファイルの内容と
は、直接関係がありません。違う話題を息抜
きとして書いたものが、長くなってしまいま
した。

 HTML版でお読みの方は次のクリック、

 テキスト版でお読みの方は「光合成」
で検索して項目をジャンプできます。

 この章をよみとばす

※このファイルの内容は、化学ファイルの内
容とは関係がありません。
 長くなってしまったものの、それなりの内
容がまとまったファイルとなっています。

 独立した内容としても、苦くて余計なこと
も書き込んではいますが、読み応えのある内
容ではあるかもしれません。

 筆者の都合で申し訳ありませんが、

 筆者は当意即妙で、しかし推敲の意味で無
責任な形式で文章を掲示する習慣がありませ
んので、
(またこのファイルだけを独立して公開して
もやや思想的にとがってしまいますので)こ
この場所に載せることにしました。

 コラム2、またあとがきの文章をあとから
俯瞰する限り、
(研究者を含む)労働の視点からみて、知る
ということ、学ぶということ、あるいはそれ
から逃げることにについて、この巷間の事象
として多少しるしたことになったようです。


====================

 ・論旨

 ・高純度シリコンを作るためには、論理に
  よって設計されたプラント(機械)を建
  設することが必要。

 ・機械を理解し設計し(また建設のための
  資本を蓄積するためには)啓蒙教育と利
  潤のための商工業の発達が必要。

 ・風土的には、商工業地域(歴史の中の尾
  張名古屋)は、伝統的な日本ではない。

 ・伝統的な日本としての、ゼロサム社会と
  しての封建制の風土は、自由で分析的な
  精神を破壊者として忌避するので、文化
  は閉鎖的で類型的になり勝ち。

 ・思考と哲学の強力な手段としての文字を
  忌避する傾向は、
   主体的著述よりも、逃避・偶像崇拝と
  しての耽美文学を経由して、いわゆる絵
  草紙や類型芸能にかたむく。

 ・(象徴的事象として)類型的な絵草紙・
  芸能産業が横溢することは、一般的な思
  考力が低下するという意味で、品質に対
  する競争力が劣化し、不況を招く(類型
  が横溢することは指標であって原因では
  ない)。

 ・慢性不況が常態化すれば、その地域は既
  得権を優先させるようになるので、ます
  ます悪循環として封建制傾向が深刻にな
  り、
   弱者が永遠に救われない多数決として
  の江戸時代に地域が飲み込まれることに
  なる。

 ・(結論)論理で考える習慣が定着しない
  限り、桶屋は儲からない。

====================

 ・・・余談ですが、

 周期表第一周の意味では、ベリルとフロ―
ライトは等価です。

 金属なのに、ハロゲンなのに、共有結合性
が著しいベリリウムと弗素は、硬く、水に難
溶性の塩をつくり、ゆえにそれは風雨に耐え
るため鉱石の扱いを受けますが、

 宝石とされるのはもっぱらベリルのほうで
す。
 蛍石も成分や分光屈折の意味で、緑や紫色
がありますが、ベリルのようにそれぞれ独立
した特別扱いの名前を持ってはいません。

     ベリルは酸化ベリリウムではなく、成分と
    しては石英とアルミナとの共晶です。

     酸化ベリリウム BeO
     石英      SiO2
     アルミナ    Al2O3

     恒星核物理学の都合、炭素よりも原子が小
    さい原子は、クラーク数が少ない傾向があり
    ますので、
     ベリリウムも珪素やアルミニウムよりは一
    段階少ないので、このようなほかの鉱物に成
    分としてとりこまれたかたちでしか産しませ
    ん。

     ベリルが割れやすいのは、モリブデンの項
    で述べたような比較的低分子のオキソ珪酸ク
    ラスターを陰イオンとして持つ、塩であり、
     石英やダイヤモンドのような、分子全体に
    共有結合が及ぶような巨大分子ではないとい
    うことです。

     ベリルのオキソ珪酸クラスターは、テトラ
    珪酸イオンが6つ共有結合で環状に結合した、
    船状シクロヘキサン構造をしています。

              \
               Be
                 \
      \           O
       Be          \
        \           Si―O
         O   O   O O/
          \ /    // /
      \    Si―O―Si /
       Be  /|     \O
        \ / O      /O
         O       /
         O \      /
         /  Si―O―Si
        / / |    |\
        / O  O    O O
     O―Si
        \
         O

     [Si6O18]12- と3Be2+

     これに、
     2価のベリリウム が3つ、
     3価のアルミニウムが2つ、
     陰電荷を打ち消すように配位します。

     3Be2+ = 6+
     2Al3+ = 6+

     この意味では、ベリルは広義の明礬のよう
    な化合物です。

     カリ明礬 KAl(SO4)2

     2SO42- = 4-

     1K+   = 1+
     1Al3+ = 3+

     明礬は八面体の結晶になります。

     ベリルの珪酸クラスターは、シクロヘキサ
    ン様の舟形を取っているはずですから、
     この遠めに見れば六角形の構造は、上下に
    飛び飛びに3つずつ上下に、酸素原子の足を
    垂直にだします。

    (筆者は小学生のころ丸善の分子模型でシク
    ロヘキサンの形の概念には親しんでいました。)
     そこに繰り返し単位の層として、3つのベ
    リリウム原子が上下の酸素原子に共有結合と
    してはさまれる構造と推測されます。

     アルミニウム原子2個がどこにおさまるか、
    よくわかりません。

     電気陰性度からみればもっともアルミニウ
    ムが共有結合性が弱いですから、

     イオン的に振舞うとすると、1つは環状珪
    酸の中央、

    (原子数6に対し3+の電荷として安定)

     もうひとつは、六角形の外側、別の六角柱
    との角、
    (単位数3柱に対して3+の電荷として安定)

     というところでしょうか。
     推測したこの構造では、(おもにベリリウ
    ムによる)強い共有結合は、3次元の一方方
    向だけ、それ以外の方向は弱いイオン結合
    (的)ですから、
     ベリルとは、(六角形単位の繰り返しによ
    る)1方向に割れやすい、六角柱状の結晶、
    ということになります。(「1方向」という
    意味ではこの点はルチルに似ています。)

     ちなみに明礬にも置換体として青黒いクロ
    ム明礬があるように、

    (ベリルは原則無色のはずですが)アルミニ
    ウムの代わりに3価の有色の遷移金属と微量
    置換すると、ベリルは有色の宝石になります。

     ・・・ここにベリルの色に対する特徴があ
    り、
     ふつうありふれた安定な3価の有色イオン
    は、クロムの青緑色しかありません。

     赤や橙の3価のイオンは、エネルギー順位
    が高い不安定な状態であり、赤褐色のベリル
    は不安定な3価の鉄イオンでできていますの
    でかんたんに色が変化します。これがアレキ
    サンドライトなどで、
     ベリルで安定な色はアクアマリンかエメラ
    ルドしかありません。

     例外はレッドベリルで、含まれているマン
    ガンは、桃色で安定な呈色をします。
    (筆者は3価マンガンの色を調べようとしま
    したが、わかりませんでした。)

     しかしマンガンは硫化物というよりは酸化
    物として、水成層の沈殿物として産しますか
    ら、不溶性リン酸第一鉄と同じく接触鉱床に
    しか産しないと考えられますので、それは希
    少な鉱物ということになります。

        (生命にもっとも必要な硫化物は硫化鉄であ
        るように、
         生命に必要なリン酸塩は、その起源として
        はポルトライドセメント(リン酸カルシウム
        を不純物として含むアルミノ珪酸塩粘土)で
        す。)

 宝石の扱いの分野は、こんにちやや西洋の
文化の影響下にありますが、そのなかでは透
明度や輝きがおとる石はあまり珍重されなか
ったようです。
 珪酸巨大分子としてのコロイド石としては、
オパールのように屈折分光をしめすもの以外
は、一段階下の貴石(jem)とされていま
す。

 いっぽう、東洋ではくすんだ石も評価され、
中華では瑪瑙や翡翠は珍重されました。チュ
ーリップ投機を連想させますが、蛋白石にす
ぎない石の玉(ぎょく)に、城一個の値段が
つけられたこともありました。

(ただ、東洋的な石をアクセサリーにすると、
場合によっては「大阪のおばちゃん」になっ
てしまいますので、注意が必要です。)

「宝石辞典」などで無作為に宝石の名を選ぶ
と、その半数がベリルになってしまいます。
化学の多様性の面白さの上では、残念ことで
す。

 菌界、植物界、動物界といった三界説の模
倣として、
 鉱石、生物、精神のような新三界説をとな
えるのであれば、

 鍵となる物質をえらぶために化学の十分な
素養が必要である事実は、付け焼刃の表現力
で世界を語ることがいかにむずかしいことか
をしめすことになります。

(ゼロサム社会では売れないことが当たり前
だからといって、
 それを資本暴力で、無意味なものを取材・
熟考なしで演出したり・広告にかけたりする
ことは一番やってはいけないことです。
 役に立たない・ためにならないことを売り
つけることはアヘン戦争とさして変わりはあ
りません。

 鉱石は、生命と精神に、ともに「電気作用」
としてかかわります。

 ・鉱石と生物

 ・・・鉱物と生物をつなぐ鍵となるものは、
五石散としての硫化水銀ではなく、
(同じ硫化鉱床産という意味で兄弟ではあり
ますが)エネルギー代謝にかかわる半導体と
しての黄鉄鉱や黄銅鉱です。

 微細な黄鉄鉱(硫化鉄クラスター)は呼吸
酵素の巨大分子のうえにとびとびに配置され、
発光的π電子有機原子団とともに分子上の電
子配線となっています。

 ・鉱石と人工精神

 人工精神の回路としての珪素(シリコン)
の薄膜配線にいたるためには、(以上の上記
の意味で手前味噌ではありますが)おなじく
硫化兄弟である輝水鉛鉱と言う存在のヒント
により、

・硫黄や黄鉄鉱を酸素・空気下で焼いて、
・白金やバナジン石を使って作った濃硫酸に
・蛍石を浸し煮沸してつくった弗化水素酸に
・水晶をさらしてつくった弗化珪素を
・亜鉛や金属アルカリによって還元しなくて
はなりません。(ベルセリウスの方法。)

    (粗製珪素でよければ、珪石:石英:水晶を
    炭素:石墨:ダイヤモンドとともに鉄精錬の
    ように高熱炭素還元すれば得られます。

     母体超新星の核の微量組成によっては、星
    間分子雲のなかで酸素よりも炭素の比率が上
    回る分子雲があります。
    (おそらく、酸素灰よりも炭素灰が優越する
    条件があるのでしょう。)

     宇宙には、炭素が過剰と観測される恒星が
    あります。

     恒星の光のスペクトルを分光器にかけると、
    強い炭素の線があらわれるのです。

     筆者の記憶が正しければ、それは割合大き
    な星の晩期に(つまり赤い巨星)そのような
    特徴が表れるとおぼえています。

     そのような星が惑星状星雲の時期を通過す
    れば、星の質量の約半分が失われるその時期
    に、大量の炭素を星間空間に撒き散らすこと
    でしょう。

         ・・・そのような恒星がどのような天体か、
        考察してみました。

         太陽のような小さな恒星では、過剰ともい
        えるレベルまでには、炭素は蓄積されません。
         炭素以上の重い原子核を合成できるのは、
        より重い星です。

         水素の核融合は、天体の質量ではかるばあ
        い、

         軽い星では、水素・水素反応から始まりま
        すが、
         天体が重くなり、結果、内部の温度が高温
        になると、炭素原子核を触媒にした核融合反
        応が優勢になるようになります。

         ・・・実は炭素の原子核を作るのには、高
        温・高密度の条件がなくてはむずかしく、

        (ベリリウム8・パラドックス:
         サルピーター過程。)

         水素の核融合の触媒であるはずの、炭素の
        原子核がある程度合成できるためには、

         これも皮肉めいた逆説ですが、高温高密度
        の象徴である、ヘリウム燃焼の一種である、

        :サルピーター過程(三つのヘリウム原子核
        が融合して、ひとつの炭素を作る過程)が若
        干ながら、成立していなくてはなりません。

         このような恒星は太陽の数倍の質量を持ち、
        その核融合反応が起こる中心部では、

         大半が水素の核融合がおこっているのでし
        ょうが、
         その中心に比重として重いヘリウムがしず
        みこみ、若干の、ちろちろしたヘリウム燃焼
        がおこっているはずです。

         もちろん、水素燃焼の層では、温度の低い
        上層部では水素・水素反応でしょうが、
         底部の高温領域では、炭素触媒の反応が進
        行します。
         ・・・もちろん、その炭素は中心部の反応
        により合成され、
         水素とヘリウム領域の接触面でおもに、炭
        素媒水素核融合が進行します。

         このような星では、その生涯を通じて炭素
        以上の核融合がおこらないので、最後にはそ
        の中心部には、大量の炭素がたまるようにな
        ります。

         よく知っている名前で言えば、

         シリウス以上、スピカ未満、といったとこ
        ろ、星の内部が中性子への崩壊を起こして、
        超新星爆発を起こさない恒星です。このよう
        な天体は、最後に大量の質量を蒸発膨張で宇
        宙へ返し、

         シンボルとしての墓標として、小さな白色
        矮星を残します。

         ・・・しかしこのような星は、少なくはな
        いですが、星の燃焼質量という意味では、多
        数派ではありません。

         ・・・ここで、統計のトリックに注意しな
        くてはなりません。

         宇宙の星間炭素の比率が問題なのであれば、
        母天体の個数として「炭素星」が、いくつあ
        ったのかではなく、

         もともとの天体物質がどれくらい炭素が残
        るかたちのもえかたをしていたかにかかって
        きます。

         つまり、たとえとして、

         炭素を残す型の恒星が100個、

         珪素まで燃焼する形の恒星が100個同数
        あったとしても、

         星の一生の終わったあとに、炭素:珪素比
        は単純に1:1にはなりません。

         そのからくりを、わかりやすく単純に表現
        すると、

         珪素まで燃やす星の質量は、おおむね炭素
        型の星の「10倍重い」ので、結果の炭素:
        珪素比率は、

         1:10になります。

        (実際は、それほど単純ではありません。)、

         星は、ほとんどが大きな宇宙衝撃はのうね
        りを受けて、群れて誕生します。

        (この衝撃波は、希薄とはいえ、水素ガスの
        物質波の意味として伝わりますから、それは
        一種の「音」、です。)

         音楽を理論的に教わった人、ならわかると
        おもいますが、音が倍音の合成であることを
        知っていれば、
         もっとも波長の長い基長が、がもっともエ
        ネルギーが大きいことがわかると想います。

         この「波長数光年の音」によってもたらさ
        れる、水素分子雲のかたまりのおおきさでは、
         結果的に基調波の結果でもある、もっとも、
        おおきなかたまりがまず、つくられることに
        なります。

         収縮する領域が広大であれば、多くの質量
        が収縮しますので、そこから生まれる星は、
        重い、青い巨星になります。

         場合によっては、青い星は、太陽の百倍も
        の質量を持ち、また彼らは群れてうまれます
        から、
         ふつう、分子雲のかなりの質量が、炭素ど
        ころか珪素や鉄まで合成される、

        「ヘリウム燃焼の暴走」

         を体験する過程を通過することになります。

         M42オリオン領域や、プレアデスのよう
        な「青い」所は、そのような所です。

         また、銀河系のような渦巻き小宇宙を上か
        ら眺めたときに見える、青い光の腕では、そ
        のような青い熱く重い、しかし極端に若い星
        団の群れです。

         そのような領域では、炭素に富む分子雲は
        あまりみられないでしょう。

         青い重い星はおおむね1千万年で爆発する
        ので、星空の風景としては、あまり目立ちま
        せん。

         炭素に富む分子雲は、中程度に重い星が撒
        き散らすものです。
         そのような星は、10億年程度と寿命が長
        いので、うまれた帯状星団から、銀河の遠心
        力のような効果によって、銀河面の宇宙空間
        に散っていきます。

        「炭素に富む分子雲」は、「世間話」として
        は、「銀河ローカルな」話題、なのでしょう
        ね。

            (ちなみにベリリウム・パラドックス、

            (原子核結合の物理定数として、この宇宙で
            は、核融合のアイソトープとしてのベリリウ
            ム8が非常に不安定)

             が存在していなかったら、「ベリル」とい
            う鉱物はこの宇宙にほとんど存在していなか
            ったことでしょう。

             ベリルは、ベリリウム(9)よりも珪素が
            はるかに多い、という条件がもたらしたもの
            です。

             その場合は、過剰な酸化ベリリウムが、こ
            んにちの粘土のように、地表を覆っていたか
            もしれません。)

     そのような恒星が爆発・もしくは惑星状星
    雲の膨張するガス雲となったときは、炭素に
    富む星間塵をまきちらすのかもしれません。

     その種の星間塵を原料としてできた系では、
    固体惑星は珪酸塩ではなく、ダイヤモンドで
    星ができている可能性がある、という説があ
    ります。炭素質コンドライトのさらに極端な
    組成です。

     そのような環境では、酸素よりも炭素のほ
    うが多いわけですから、珪素は炭素によって
    常時還元され、金属単体で地表に転がってい
    るかもしれません。あるいは導電性の炭化珪
    素、として。

     ・・・珪素はもちろん半導体であり、不純
    物によって励起され、+や−の電荷を帯びま
    す。母体恒星により、太陽光に相当する光量
    子をあびれば、電流が発生し、電気代謝が生
    まれるかもしれません。
     地球生命では、エネルギー代謝は電気代謝
    ですから、このような環境系を始原生命の一
    種であると定義することも可能かもしれませ
    ん。

     ただ、このような静的な固体の姿では、活
    動的な物質代謝は望むべくもありませんから、
    いわゆる地球の生命の常識が通用しない世界
    では、あることでしょう。

         筆者はむかし、「中性子星の表面には、液
        体中性子でできた生命がいるかもしれない」
        という空想小説を読んだことがあります。

         ・・・発想としては、おもしろいものでし
        ょうが、いまにしておもえば、そのような極
        端な物理条件では、ありとあらゆることが未
        知の世界であり、
         それはあくまでいまのわれわれにとっては
        「自由な想像のおとぎばなし」でしかありま
        せん。
         ・・・無知と未経験と幼稚が支配する
        「おはなし」というものは、堅牢な煉瓦に相
        当する、確信としての経験や言葉が存在しな
        い、こころもとない世界です。

        (ですから、幼稚のままものをつくりだそう
        という、「物理法則」に反した行いをするも
        のは、どんどん濃くなるその濃度という代償
        を払ってまで、直接、脳のスイッチにはたら
        く麻薬に手を出すはめになるのです。
         発狂するクリエイターは、何のことはない、
        出発点が幼稚の段階のまま青田刈りされたに
        過ぎません。

        「クローゼットの扉のむこうがわに夢に満ち
        溢れた楽園がある」と夢想する幼稚は、実は
        幼児にしか許されていません。

         それは、つねに「はやくおとなになりたい」
        という願いを裏打ちで持っているものです。

         そこに思慕が発生するというのは、ロマン
        の意味でも文学ですが、大人になればだれで
        もわかるように、現実というものは、つねに
        レンツやル・シャトリエの法則のように、つ
        ねに薄い皮肉に満ちたチェシャ猫の笑みです
        から、

         ・・・兄や年上のいとことというものは、
        いつもさみしく笑うものなのでしょうね。

         ジュブナイル小説とはいつかは卒業すべき
        ものです。

         戦前に、夜郎自大な推理小説が流行したこ
        とと、無知が戦争を起こしてしまったことは
        文明論の上ではおなじことでした。
         その意味では、安易な、推理小説と空想科
        学小説は同じものです。20世紀は恣意が支
        配する、場合によっては自分勝手な工学の時
        代でした。
         みなが、幼稚な工学プランと謙虚な科学的
        態度を混同していました。方法論として、科
        学技術は工学であり、科学そのものではない
        のです。
         世界は、若者が考えるほど決して単純なも
        のではないことは、碩学になればなるほど痛
        感するものです。

         ・・・興行が、若さや経験をあっさり使い
        捨てにする構図には、宇宙の法則に反した態
        度が存在しています。)

 ・・・男性的な知能によって設計された、
動的な大プラントが必要になります。

 ・・・どこか別のファイルで書いたとおも
いますが、恐竜時代がそうであるように、生
命にかならずしも高度な知性は必要ありませ
ん。

 知能は、氷河時代に発達しました。

 知能は箱舟をつくりうる唯一の希望であり
ますが、
 反面、多くはゼロサムである氷河時代に、
生きるための血路として、強奪と策略のため
にもちいられることがおおかったのです。

 これは知能、精神が機械仕掛けになっても
(すくなくとも現在では)かわることがなく、
電子帝網を支えているものは、(暴力は程度
によりますが)暴力金融に象徴される、
「生存のための欲望」です。

 どの数値からうえをして暴力と呼ぶのかは
意見がわかれますが、電網上の金融が、ゼロ
サムのうえでの山師であることは、
 氷河時代の脊椎動物が生き抜こうとしてい
たすがたの、当然過ぎる帰納です。


<名古屋の非日本性>

「大プラント」と言うことを書いて、すこし
ふと想いましたが、(コンビナートをも、調
節が必要な機械、とみなすという意味で)

 日本には「道具職人」はいても「機械職人」
は、文化として伝統的実際的に存在していま
せんでした。

 たとえば旋盤工は、道具職人なのです。

 瞬間的にそうではない時代もあったかもし
れませんが、日本の現実は、三百諸侯の連邦
制で、かならずしも敵でも味方でもない荘園
や地頭領がたがいに緊張感のある相互監視を
行っていた事実があり、
 これは叔父・甥はもちろん、親兄弟まで場
合によっては敵になる現実でした。

 日本の現実は、あす、裏切るかもしれない
他人との「共存」によって営まれていたとも
いえます。

 このような現実では、技術は一個人の中か
ら外に出て行こうとはしません。

 狭量な家制度が縦一直線に続いていこうと
するように、技術の伝統も家元や閉鎖的なギ
ルドのなかでの、準一子相伝のようなものに
なりがちです。

 ・・・いっぽう、機械は、多くの部品から
なっています。

 それぞれが、相手の数値を気にかけ、有機
的に連携しなければ機械は動きません。

 個々の部品からみれば、動作する機械総体
とは、創造を絶するほどの巨大世界です。

 ちいさな字のなかの利害に固執し、また形
式にパラノイアの段階までに偏執するひから
びた伝統の、枯れた意識は、そのような総合
機能に参加することはできません。

 機械の有機体があるていど大きくなると、
個々の部品ではもはや全体をみわたすことは
できなくなりますから、
 あるていどのジェネラルやディレクタに相
当する立場が必要になります。

 名誉や私欲のために、一番槍や抜け駆けを
する行為を、信長はもっとも嫌いました。

 また、信長自身は私欲には意外と淡白で、
領地はことごとく家臣や子飼いに分け与えて
いたそうです。

「将軍」というものは、信長のこの面ですべ
て言い尽くされているおもいます。

 最終的なおちつきさきはそれぞれ異なりま
すが、信長、秀吉、家康はすべて名古屋出身
です。

 ・・・筆者は当時の大阪の殷賑を知りませ
んが、すくなくとも名古屋もまた人間と物流
の十字路で商業が盛んであり、また農業でさ
え、暴れ川の木曽三川のまるで「宇宙開発の
ような農業」が必要だった特殊な事情では、

 名古屋では、どうしても「論理理性」が発
達せざるをえなかったのでしょう。

 その意味では、草深いひがみと権力争いだ
けの小さな字の意識を「日本の典型」とする
のならば、
 名古屋もまた、「そこは日本ではなかった」
という逆帰納がなりたっていた、といえるの
かもしれません。

 戦略と判断のためには、論理的思考が必要
であり、
 そのためには、商業的地域の必要があった、

 ・・・と言うことになるのでしょうか。

 太閤という称号をも、広義の将軍にふくめ
るとすれば、三つの将軍を名古屋の論理的思
考は出したことになります。

 論理がまた設計と販売戦略と言う意味では、
企業もまた藩や軍団であるということができ
ますが、もし名古屋出身の第4番目の将軍を
言え、ということであればそれはおそらく企
業としての豊○でしょうね。みなさんは勘違
いしていますが、自由意識としての、日本の
国家元首は与党出身の総理大臣ではなく、豊
○の会長です。

 日本の「征夷大将軍」という称号が連邦諸
侯を統べる存在であると言う意味では、それ
は国際的な常識の意味では「皇帝」の概念に
近いです。

 皇帝がすべる地域は「帝国」とよばれます
が、古くモンゴルやイスラムがそうであるよ
うに、個々の伝統やこだわりを超えて、
「利害」で結びついた連邦のことを帝国とよ
び、その意味では「皇帝」もしくは「将軍」
とは利害の(当たり障りのない言い方でいえ
ば幸福の)象徴であることになります。

 ・・・ですから、皇帝や帝国はどうしても
商業に力点を置かざるを得ません。個々の諸
侯は素封勢力でありますから、特殊な地域を
除いて、農業的には自給自足はできる前提だ
からです。
 マルコ・ポーロがモンゴルの広範な交易路
の所産であり、イスラムと明の一時代が繁栄
したのは、開かれた海路があったでした。

 商業というものは、貨幣や珍奇な商品(と
しての興行と広告)だけではなく、交易のた
めの人々の自由な行き来と、それがもたらす
論理的な自由な思考です。

 諸侯の盟主、という意味では、将軍とドイ
ツ皇帝は似ています。

 また、微妙に地域は違いますが、ドイツと
オランダを同一地域とみますと、オランダと
名古屋はよく似ています。
 木曽三川の「輪中」とはオランダのポルダ
ーにこそほかなりません。(現実に即してい
るかどうかという判断はともかく、地域の人
々の、願いとしては長良川河口堰の悲願は江
戸時代にまでさかのぼります)。

 そういった意味で、

 システムとしての機械と
 広義の帝国と
 商工業と
 自由意識は

 よってたつところのものは同じものです。

 たとえばドイツの機械化部隊や、鋼鉄艦隊
とは、ライン川のオランダの殷賑とセットで
考えることができれば、近代の実例としては、
わかりやすいいでしょう。

 日本でもその意味では、「機械職人」に近
いものは、築城の石垣職人や海路の巨大船を
作る船大工の棟梁ですが、そのどちらも、戦
略上商工業を重視しなければならない戦国期
に隆盛した職業です。

 農業はやはり重要ですが、旧世界の農業は
どうしても素封家主義に傾いてしまうので、
力学としての自由の敵にどうしてもなってし
まいます。
 筆者は高度経済成長の時代に人格を作って
しまったので、そのような世界には住めませ
ん。

 残念ながら農業改革の要とは、必ずしも農
業といわゆる農家を同一視しないことから、
はじまるざるをえません。

 ・・・食育の一環として、屋上菜園にすず
めのなみだの助成をすることは、キャンペー
ンとして農業改革のささやかな一端になるか
もしれません。
 筆者は以前、神田をぶらぶらしていたとき、
大学生の、

「ベランダで育てたそばを持ち寄って、神田
のそばを打ってみよう」

 というキャンペーンにでくわしたことがあ
ります。とても面白いと想いました。

     輪中もポルダーも重土木工業ですから、ど
    うしても、技術工学的な合理的なものの考え
    方が重要になってきます。また、屋上や
    「はしけ」のような人工土壌農地で植物を栽
    培することは事実上、まったくあたらしい試
    行です。(鳴り物入りで作られた八郎潟が守
    旧化したことは、不幸なことです。)

     ・・・硬度に複雑になりすぎた多細胞生物
    の肉体は、秩序だった再生が不可能なので、
    必要以上のテロメアを備えず、結果寿命が存
    在し、いずれ廃棄されるように出来ています。
     その意味では、先代の肉体の死という寿命
    とは社会と肉体を同義に意識するという意味
    においては、それは革命を意味をするという
    物騒なみかたができます。
     一度硬直化した体制は、もとには戻らない
    のです。

     その意味では、農業改革の骨子とは、いわ
    ゆる農業と農家を概念として分け、農家の存
    在していない農業の側であたらしい実験をし
    てみることに尽きると想います。
     ・・・これがおそらく、オランダの現在の
    農業の想像できるすがただと想います。筆者
    は最近まで、商人の町オランダは、こんにち
    でも衣食住ではかならずしも必要でも無いチ
    ューリップの球根を過剰に生産して、投機相
    場を操って遊んでいると勝手に(露悪的に)
    想っていました。

     ・・・一度硬直化した社会体制は、滅びる
    しかない、というのは世界史の一面の事実で
    すが、
     いっぽう、関が原がたった一日で終わって
    しまった(形勢を見るに敏で、すぐに敵方に
    寝返る)この日本の日和見の民族性は
    (日本の「日」は日和見の「日」だというの
    が、民族性を皮肉にあらわしていると、筆者
    は考えます。)
     信義に劣る、信用できない民族であるとみ
    なされるのは一面の真実ですが、固陋な馬鹿
    の態度で無い限り、その現実主義の態度は、
    よいものであれば手段を選ばずどんどん取り
    入れていく「薄情な無節操」をも同時にあら
    わしているのかもしれません。

     その意味では「農家抜き」の実験をおこな
    って、その成果を、健全な農業団体を念頭に
    置いた、視察として公開する方向しかないの
    かもしれません。
     主体性の無い人々をあおるというと聞こえ
    は悪いですが、向上競争はひとつの手段でも
    あります。


<未来における封建制への回帰の可能性>

 商業と言うものが、ごく簡単な手形で交易
を可能にできるかということ(とその帝国の
保障するする権力)であると言う意味では、

 産業が商業から農業へと回帰していくこと
は、土地の囲い込みの意味で、

「国家や帝国が分裂していく」

 ことを意味します。

(郷土愛に水をさすつもりではありませんが、
竜馬は「土佐が嫌いだから」竜馬になったの
です。その意味では本人は「郷土の英雄」と
されることにあまりいい気持ちをもたないか
もしれません。
 定量的な話ではないので偏見でしかありま
せんが、筆者は日本でもっとも固陋な県は岩
手と高知だと想っています。

 水産をのぞけば、特産品もなく、中央から
の文物からも遠いので、論理としての日本語
が通じません。

(逆に言えば、県外交易は水産をもってする
べきでしょう。)

 かの地の県内については、地方自治という
内政不干渉の原則によって、筆者は興味があ
りません。
 土佐藩はかつて、都から技能講習のために
教師を呼んでおきながら、その帰路、他藩が
豊かになるのを防ぐために、講師を山境で暗
殺したそうです。
 このような暗い閉鎖性は、封建制独特の小
ささですが、これは地勢的に中央から遠く離
れたことがもたらす当然過ぎる力学なので、
土佐の民衆の罪ではないでしょう。
 質屋としての商業を知っている青年には、
それは耐えがたかったものだったのかもしれ
ません。

 ・・・封建制とは、経済(経済がもたらす
力学としての社会構造)の影響を別にすれば、
人間の生物としての心の弱さがもたらす現象
なので、歴史のそこここに発生します。むし
ろ(すくなくとも農耕以降、)自由交易広範
の時代よりも素封家封建制の時代のほうが長
かったのです。

 未来を描いた冷めた空想小説に、そこでも
封建制が存在しているという描写があります。

 それを原作者の曾孫が映像化した作品があ
るのですが、その脚本に、

「・・・かれらは、過去からの教訓も、
 未来への展望もない。

 ただ、無為にその日を生きるだけの、
 幸福な、いきもの、だ。」

 ・・・これはまさに、家畜の生き方ですが、
実際、ウェルズの描いた原作でも、かれらは
食われるための家畜としてえがかれています

 映画は、原作と異なり、それではあまりに
あんまりだ、ということで、
 はなしのおわりに救済があるような表現を
とっていましたが、しかし人類の歴史がどれ
だけ苦さに満ちたものであるか知っているも
のは、それが製作者の「善意のうそ」である
ことを知っています。

 家康の苦い智慧は、おそらく中国史の現実
としての記録にもとずいており、その賢明は、
おおくのひとびとがのぞむ世界こそが、長続
きすることを知っていたところにあります

 その意味では、「封建制」とはむしろ殿様
ではなく、小作や奴隷が望んだシステムであ
るという帰納も可能なのです。
 ・・・そして、さらに皮肉なことに、「殿
様」もたいていはものごとを変えたがらない
小作のひとり、でありますから、

 領主もまた、

「過去からの教訓もなく、
 また未来への希望も決意もない」

 ので、なにか問題があると、感情的に爆発
し、安易に「悪者」を作り、そして見せしめ
として処刑します。

 やたらに大言壮語を吐き、やたらとみてく
れの効果のある演出(これは、絵草紙や動画
にも通じます)を好むものは、逆に言うと芯
では長期的になにも考えていないことの裏返
しで、それは田舎者もしくは田舎のパーソナ
リティです。皇帝としての将軍の器ではなく、
せいぜい地方領主にしかなりえません。

 このような世界では、既得権にありついて
いないものはつねに若い世代ですから、若者
の希望が摘まれる世界です。若者に希望のな
い時代はとうぜんながら若者に不満が鬱積す
る時代でもあります。

 封建制の世界では、老人は老後を心配しま
せん。そのような習慣は清教徒的な都市の合
理性にしか見られません。
 濃密な近隣関係と、若い世代が自分たちを
扶助するのは当然と思い込んでいるのです。
 資産や権利がなにごともなく順送りされる
のなら問題はないでしょうが、人間は弱い生
き物ですから既得権にすがる弱さはつねにあ
り、また甘やかされた人間にはその傾向が強
く出ます。

 甘やかされた人間は、デフォルトが富貴で
すから、ほめられると行動がそこで停止しま
す。発奮するということがありません。
 かれらが動くときは、(安全保障の意味で
も)さみしいときだけです。
 逆に言えば忠告や叱責はなんら効果がなく、
最悪の場合、庄屋の子息は惨めな転落に陥る
ことになります。

 生活や実務の経験が乏しいので、

「これをしておかないとあとあと苦労・後悔
する」

 という発想がありません。家庭教師を追放
する跡継ぎの王朝は短命におわります。

(個人的にはこれは少女作家に多い性格のよ
うな気がしますが・・・。

     少女が夢見るprince charmingとは、異性
    である半面、箱庭をもたらしてくれるパトロ
    ンの側面があります。)

     訓練、ということばが示すように、能力や
    熟練を身につけるためには繰り返しが必要で
    す。
     それはadmireをうけるレベルに達するまで
    は、苦いくるしい作業です(一面では、好奇
    心の強い性格は、なにげないちいさなことに
    も価値を見出し、喜んで作業するので、上達
    も早くなります。)

     溺愛という愛ではない一面では愛に見える
    ものを受けてそだつと、いっさいの苦さから
    遠ざけられてそだちますから、
     生き抜く力としての能力も、自分が今何処
    にいるか判断するための世界観も育ちません。
     筆者の狭い世界観から言うと、いわゆる馬
    鹿とは、甘やかされたことによる根拠のない
    尊大です。

     no pain,no gain.です。

     女性は、過度のストレスにさらされると発
    狂してしまうので、
     残念ながら最終的には箱庭のなかにすまな
    くてはなりませんが、
    (奥さん、という言葉は女性差別ではありま
    せん。)

     レズビアンや大奥でもない限り、その箱庭
    をもたらしてくれるのは結局伴侶としての男
    性ですから、女性もまた、

    「良い男性が集積されている場所」

     に参加できるように努力しなくてはなりま
    せん。

     ・・・女性の勉強とは、半分以上そう言う
    ものであることを、言っても、別に非難され
    ることはないと信じます。

     ・・・深窓の令嬢が、習い事の上達を資産
    として持っていることは、

    「多少きびしい稽古にも耐えた、
     甘ったれではない」

     という意味以上のものでは、その意味では
    ありません。

     お見合いのつり書きのためのものです。そ
    れは、重要なことです。
     その意味では、深窓の令嬢の習い事とは、
    頂点を目指すものではもともとありません。)

 彼らのような腐敗を待つだけの富貴は、持
たざるもの(旧習の強い世界では、若者)に
とっては反感の対象でしかありません。

 余談ですが、保守的な為政者は、下級武士
や町人が武道などを通じて若衆宿がにぎわう
のに警戒心を持っていたものでした。
 表面的な太平時代で、しばしば衆道が禁じ
られたのは、それが、退廃風俗だからではな
くて、不満を持つ若者どもが、肉体関係(!)
の絆で団結し、暴徒化するのをおそれたから
です。
(土佐では、祖ではプライドある戦士だった
郷士階層の不満と鬱屈もあり、事情はさらに
オクタン価の高いものでした。)

 四国の脊梁山脈に押し込められている土佐
にとって、その精神的な救いは海でした。
 ジョン・万次郎の名前は、象徴的です。

 おなじく陸塊のすみっこに追いやられてい
る薩摩は、(侵略支配でしたが)奄美と沖縄
と交易をしているために、伝統的に意識に広
さがあります。

 西郷隆盛は中華圏のひとびとに人気がある
そうですが、それはその前半生に、奄美諸島
に配流されたために、日本を外から見る意識
ができたから、という説があります。

 大陸的なおおらかさ、という表現は危険か
もしれませんが
 すくなくとも大河における船舶交易や、
 人口が希薄な砂漠地帯の騎馬でなら、ごく
短期間のうちにヨーロッパまでいけるという
モンゴル交易に象徴されるような意味で、
 大陸的なおおらかさ、というものはつねに
商業と切り離すことができません。

 また、広い世界では権力はその版図に異民
族をかかえることがごくふつうであり、実際
問題として帝国・皇帝の政治の現実とは、異
民族の統治であったということができるでし
ょう。

 ローカルな伝統をまたいで、普遍的な価値
観を共有しなければならないその世界の義務
と理想にとって、

 既得権を強調するために、微細な差異をあ
おりたて、
 かぎられた土地の権益に汲々とする封建制
の素封的な暗さは、

 ある土佐の青年にとっては、とても小さな
ものにおもえてさぞ息苦しかったのかもしれ
ない、と想像できたりもします。

     *

 東北においても事情は類似していて、歴史
に「もし」はありませんが、

「もし、奥州藤原氏が滅亡していなかったら」

 という構図は伝統としてのこんにちの東北
を考える上で興味深いものです。

 中尊寺の金色堂には、夜光貝をはじめ東南
アジアの文物が用いられていることはあまり
知られてはいません。
 交易、というものは人が出入りするところ
ではいつでも可能で、支倉常長の例を持ち出
すまでもなく、東北では貿易が不可能だとい
うことはありません。
 三内丸山遺跡では、遠方の黒曜石の石器が
出土したりしています。

 東北の不幸、とは田村麻呂の昔からそうで
しょうが、いちど隷属してしまうとなかなか
主体性のある意識で中央に相対することがで
きなかったところにあります。

 おそらく、藤原三代の経済的な基礎は、金
をはじめとする鉱物資源だったのでしょう。
(金が黒鉱のようなグリンタフ火山性鉱床に
付随して産するのかどうかは筆者は知りませ
んが)藤原三代の繁栄の系譜は、おそらく東
北大学が冶金学の権威であることにもつなが
っているのだとはおもいます。

    (金は、硫化物鉱床のような海底熱水鉱床的
    な鉱物ではありませんでした。石英質ととも
    に産するとありますから、花崗岩体ですから
    火山性深成岩から出ます。
     石英は冷却に伴う析出としての「鉱石化合
    反応」の残渣です。すなわち、アルカリ性の
    強い金属イオンから温度と飽和度の相関とし
    て、深成岩鉱物として順次マグマ岩体のなか
    で結晶化していきます。
     結晶化した鉱物がふつう浮くのか沈むのか
    筆者は知りません。
     また深成岩の領域で地熱が上部と下部で勾
    配があるのかどうかもよくわかりません。

     ただ、半溶融のマグマの中では、長い時間
    のなかで重い原子は下のほうに沈降して行き、
    金やウランなどは、マグマだまりの下のほう
    に集積するのかもしれません。

     これは高校の地学の先生に、なぜペグマタ
    イトには、クラーク数が多くもなく、特別な
    化学的活性もあるわけではないウランやトリ
    ウムがあつまっているのか質問したときの先
    生なりの推論でした。

     ペグマタイトは、花崗岩質マグマが極めて
    ゆっくり冷えた(ですから結晶が大きい)
    時にできます。)
     金は、化学的に不活性で、なおかつ重いの
    で、そのような環境では、よく濃縮されるの
    でしょう。)

 金の採掘と交易、というものが、まさに商
工業の一端だとすれば、
 商業さえ円滑にながれることができれば、
東北でも開明的な繁栄が可能だった、という
ことがいえるかもしれません。

 女性の皆さんは、おなじくらいの魅力のあ
る彼氏ならば、岩手ではなく秋田の男性を選
びましょう。秋田は北前航路の意味で、そろ
ばんともてなしが根付いています。芋煮会と
最上徳内は山形です。)

 ・・・個人的には、自動車メーカーが水素
自動車に舵を切った決断を、仕方がないとは
言え個人的には危惧しています。

 ビークルの車体やステアリングの技術を別
にすれば、自動車メーカーが内燃機関の継承
を、商品生産的には放棄する路線を選択した
ことになるからです。

 水素自動車は燃料電池車なので、電気自動
車です。基本的にはエンジンはありません。

 車体製造技術は、長期的には第三者でも模
倣可能です。

 自動車メーカーは、機械製造から水素イン
フラの会社へと変貌します。豊○は、水素の
ガソリンスタンドの会社になることになりま
す。

 ・・・相対的に、機械の図面を引く技師が
要らなくなってしまいます。

 個人的な感想としては、これは第二期です。

 筆者にとっての第一期は、携帯音楽装置が
機械仕掛けから軽量な半導体装置にとってか
わられたことです。

 機械仕掛けの音楽装置の消滅は、技術継承
もさることながら、それを設計や工夫として
思考する青年をも必要としなくなります。

(かかる手間と構造理解の意味では、半導体
ソフトウェアも物作りの一種でその必要とさ
れる労力は相当なものですが、
 残念ながら、プログラムは複写されるので、
労力を報酬として回収することができないの
で、現実には産業にはなりません。
 また世界はおおむねプログラムをこれ以上
質的には必要としていないので、新規プログ
ラム会社は、詐欺のような博打ソフトを供給
するしかビジネスモデルが存在していないの
が現実です。)

 ・・・青年が、勉強しなくなることでしょ
う。

 工学と商業が同じ意味であるとみたばあい、
その青年の需要は、影響として社会的に自由
な精神へのいざないでもありました。

 青年技師が必要とされなくなる時代は、ひ
とびとがその幼少期に自分でものを考える訓
練を経なくなる時代です。

 市民が消滅するとき、近代も終了し、自由
意識としての近代帝国も、時代の幕をおろす
ことになるでしょう。

 すべてのわかものが小作や奴隷になる時代
とは、固陋な封建制の到来を意味します
 皇帝や将軍が「かざりもの」になり、日本
のすべてが固陋な岩手や高知になる、という
のは極端ではありますが、理解しやすい思考
の実験像です。


<絵草紙という田舎>

 小作や奴隷は、自分で考えることができま
せんから、興行や広告のいい餌食になります。

 ひとつのお得意を決めると、その関連商品
を無批判に蒐集するようになりますが、それ
は前時代の遺物であるメディアの生存として
の糊口になることでしょう。
 異常な子供部屋に住んでいる30代の独身
男性は、近代がおわったことのシンボルにこ
そほかなりません。

 絵や俳優の布陣がまったく同一でも、脚本
がかわればそれはまったく別の商品です。
 傾向として、もともと演出過剰な種類の商
品は、アイテムや架空の人物の偶像性を強調
することによって、
 脚本の劣悪さを塗りつぶしてしまうことが、
一過性的には一応可能です。

(逆に、作り手のなかには、限られた予算と
たたかいつつ、エフェクトの濫用をできるだ
け避け、こま数をおとしたり、スチール(静
止)画を多用して節約した予算を物語を練り
こむことに割いているところもあるようです。)

 質の悪い娯楽がまかり通る現実は、すくな
くともこの日本においては、視聴者や読者の
批評心・主体的な自意識としての「人間の劣
化」であるともいうことができるでしょう。


<甘やかされた結果としての創作の存在確率>

 特に最近は、創作は専門学校などを通じて
技巧的習得としては、「親の金で」身につけ
ることが可能です。
 そこには、泥まみれの経験によって掴み取
った「ことば」はありません。
 エフェクトにばかり走り、近々の創作に生
きた脚本の欠落が著しいのは、そういう背景
があります。

 世間に出ず、商工業が揮発してしまった日
本の封建性が支えるわがままな本家の幼児と
して技巧的創作家になった意識は、
 作品を取るか自分を採るかと問われれば、
わがままなずるい弱さによって後者を取りま
す。
 こういう群れは、自分の雇用のために嬉々
として続編の創作に参加し、つねに安易なシ
リーズ化をもくろみ、オリジナルの企画発案
者を裏切り続けます。

 創作は、世間経験、つまりお勤めをして、
一人暮らしをした経験が最低ラインの条件だ
と想っていますが、現実はむしろそうではな
いようです。
 偏見かもしれませんが、

 ∵(なぜならば)「普通に働くのがいやだから」

 ∴(ゆえに)「やりたいことがある」、

 (といういいわけをでっちあげる)、

 という、美辞麗句をならべているだけにし
か過ぎないような気がします。そういう人の
場合には、流しのシンクが、虫がうごめく腐
った食器の山になり、洗濯するのをもおっく
うがるので、下着もワンコインの安物だった
りします。

 そういう女性が、

「夢をかたることをしごとにしたいの」

 と言っても、その現実は、業界に寄生して
いるだけに過ぎないでしょう。

 親御さんが育て方を間違えたのです。

 義務をこなさなければ権利からなる果実が
実らないのに、義務を忌避した結果の作品は、
やはりワンコインのプラスチックの安っぽい
デコレーションです。

「俗論俗耳」で、逆にそういう敷居の低い作
品がうけるのかもしれませんが、すくなくと
も供給する側においては、同じような個性の
乏しい作家はたくさんいるので、それは過当
競争になるかもしれません。

 人に何かを伝える、というのは非常に広義
の「奉仕」ですからそれは素朴な意味での労
働や仕事です。それは「義務の主要成分」で
す。搾取や詐欺という意味ではなく、労働の
経験がないものは、愛や尊敬を得ることはで
きません。

 ・・・読者・視聴者のことをとりあえず別
にすれば、スタジオとしての絵草紙や動画は、
現実就職難の若い女性の社会鍋(社会福祉政
策としての大奥のようなものです)の色彩が
あり、それがもうほかにはいけないという意
味で大切にしなければならないシリアスな職
場という意味では、
 いい加減な仕事をする同業他社(者)は、
蛇蝎のように嫌われる(べき)ものだと想像
できます。

 ・・・小説もそうでしょうが、絵草紙とし
ての「箱庭」をつくろうとするメンタリティ
には、「欠落」からはじまることがあります。

「代償機制」です。

 さびしかったり、甘やかされたりした場合、
愛や家族の変わりに「箱庭」としての創作を
もとめることがあります。

 さびしかった場合には、そのものずばり
「愛」の代わりとして、

 ・・・甘やかされた場合は、自分の思い通
りにならない「他人や世間」の代わりとして、

 箱庭を求めるのです。

 手に入るか、作り上げることができるかど
うかは、また別にして。


<甘やかされた場合の具体>

 甘やかされた場合の半分は、悲劇になりま
す。
 ・・・その場合では、その本人の他人との
人間関係は「支配」でしかありません。
 本能的に、人に命令しその上にたとうとし、
それがいれられない場合に作る創作はつねに
「冷笑的」なものになります。

・なぜ冷笑的=批評的になるのか

 ・・・人は、自分よりすぐれたものに出会
ったときは、まず、動揺します。

 ここまでは、まず普遍的な反応です。

 そのあとに、したうか、ひがむ(:ちゃか
す)かの二つに反応が分かれますが、それは
その人の人格の形成のすがたにかかわる関数
です。

 追慕、と嫉妬。

 素直に育ち、いい意味で未成熟な人格は前
者の反応をしめしますが、
 甘やかされた人の多くは後者の心理機制に
なります。

     正確には、甘やかされたということは多分
    に、愛したもののエゴ
    (そこには、甘やかすことがその本人の自立
    と主体性をさまたげ、生きる力を損なうとい
    う配慮がありません)
     であるばあいが多く、
     文脈によっては甘やかされたイコール愛さ
    れなかった、と読める場合もあります。

 ・・・ひがむ人は、優越感を傷つけられる
ことに耐えられないので、(結果)「冷笑」
が可能な、自分より次点な人間の多いfield
から、出ようとしません。

「自分よりすぐれたひととつきあえ」

「自分より力の足りない人にはやさしくしろ」

ということができません。

     これは勉強といじめに関することがらでも
    あることでしょう。
     向上心のあるひとはビジョンを示しますが、
    怠け者はうっぷんを弱者にぶつけます。
     馬鹿でも生きていける場所、という意味で
    田舎や底辺学校
    (最近は全入時代の悪影響を受け、ほとんど
    の大学校が底辺学校化しています。かれらは、
    勉強をしません。)
     があるのならば、都会に出るか、進学せず
    就職したほうがましかもしれません。

     その意味では馬鹿でも受け入れてくれる所
    とは、結局は誰も管理しない弱肉強食の世界
    なので、弱者は生きていけない場所である、
    というパラドックスが成立します。
     このきつい連立方程式をそのまま解こうと
    すると、解は「愚かでも強い者」が生き残る
    ことになります。・・・これは、地域紛争が
    絶えない、実は人類の歴史の大部分でもある
    中世封建制の時代そのものですね。

     その意味で「文化的な生活」が人間的な論
    理と合理性を意味するのであれば、それは、
    商工業的なある程度の好景気を必要とします。

 ・・・その結果、そのひとは(その本人の
視点からみるかぎり、)ものごとを変えよう
とすることができません。
 ・・・変えない、ということは封建制の原
則であり、

 冷笑から始まる蔑視は、「比重」を意識す
ることによって、身分制や差別の力学の原点
になります。

 ・・・都会的な感覚からいえば、不満があ
れば、転職したり離婚して、ひとりだけでい
きていけばいいのです。
(しかしまた、甘やかされて育ってしまった
人には生活力がありません。)

 その意味で、「冷笑」というものは、田舎
くさい地方色に、筆者には感じられて仕方が
なく、
 また冷笑ゆえに感動の意味で話を作れない
作家に対して、
 編集氏が世話を焼いて助言や取材を斡旋す
るのは、個人的には一蓮托生の業界の田舎く
ささにしか感じられません。
 ・・・そのような陳腐な「封建制」からは、
新しい切り口や読者や時代をひっぱるものは
うまれてこないでしょう。

 絵は慣れていても、話をその意味で作れな
いことが多く、実際問題、編集・版元氏の協
力原案がなければ、仕事をすることができま
せん。

 ・・・このような人は、実は読者や周囲か
ら冷静に観察されているので、

 形式的に作品を作れても直感的に鋭い読者
から敬遠され部数は出ず、たとえ仕事が途切
れても、自分が操作できる、認識力の鈍い
「お手ごろ」な男性にしか手が届きません。

 ・・・そして「おもいあがった支配の原理」
は潜在的な尊大が反省を拒否しますので、
いつまでも健在で、

「夫は私のものなのだから、夫のものはわた
しのもの」

 とどこかでおもっています。

 甘やかされた結果に他人から評価されるこ
とをおぼえず、課題としての宿題や勉強から
も逃げ回った・世間に出なかった女性は遠か
らず家事をも手抜きするようになります。

 こういう人に家事をまかせると、仕事の重
要書類を捨ててもあやまることはしません。

 このような女性は、しばしば夫の「次点」
を口の端をあげて非難しますが、なんのこと
はない、彼女自身がそれにみあうだけのだけ
の存在であるにすぎません
 仕事も婚姻も、見切り品です。

 ずうずうしい「おばさん」ですね。

 注意深く点検すると、この心理機制で変化
したところはありません。
 甘やかされた結果としての支配が、
「妄想の箱庭」から「夫」に移動しただけで
す。

     *

 ・・・創作というものは、読者に貴重なも
のを伝達する対価に、原稿料や尊敬をうけと
るものですから、そこには精神の生殖伝達の
ような力学があります。

 そこを勘違いして、

「妄想の箱庭は、私の荘園、読者はそこで私
のために汗を流す、小作ども」

 などおもっていると、勘だけは鋭い大衆や
読者はすぐに気がつきます。

 ・・・たとえば、前述の「甘ったれたおば
さん作家」にエロチカをかかせてみれば、そ
の結果は歴然かもしれません。

 女性が書くエロスとは、(読者に)どこま
で自分を「ささげる」ことができるかどうか
ということがとわれています。

(*後ろの項目で参照)

 おもいあがった人に、そんなことはできま
せんし、読者はニセモノにはすぐに気がつき
ます。

 ・・・たおやかな女性というものが、どこ
まで人類学的な女性なのか筆者はよくわかり
ません。

 ただ、すくなくとも
 淑女にはいくぶんかの少年がまざっている
ものであり、
 狡猾なプレイボーイには太々の悪い部分が
隠れています。かれらは、肌は綺麗ですが、
人相がよくありません。

 哺乳類としてのサピエンスは、男女の性別
差の少ない種、
(オランウータンの雌雄の骨が、もし古い地
層から別個に、でたとしたら、人類学者は別
種として記述する可能性があるそうです。)
 ですから、そのような現象がでるのですが、

 社会が複雑化した場合には、その圧力は、
女性にも男性的な他社への関係性を意識する
ような、期待がもたれるのでしょう。
 その意味で、
 淑女は純粋な意味での少年の一種の一面が
あり、ヘップバーンをもてはやす文明圏・都
市社会には、うすく同性愛を肯定する潜在性
があります。

 わがままで野太い女性には、読者への愛を
意識しなければならない職業は、むいていま
せん。

 クレーマーとしてのおばさんと、有能な店
員嬢の構図において、統計的に繊細さはどち
らにおおいのかという思索です。

 創作や記述が「精神の生殖」であるのなら
ば、卵巣と子宮を胎内にもともともつ「女性」
は、
 広義の生殖における二重を避けるために、
統計平均的には、記述のなりわいにはむいて
いないのかもしれません。

 妄想の花園で無い限り、記述とは広義の冒
険記録なので、少年と青年のものです。
 以下はまったくの偏見ですが、知的な女性
がしばしば「Aカップ」であり、柳腰がとき
どきレズビアンにはしるのは、その「彼女」
が統計的偏差の中で、少年の側によっている
ことがらからのような気がします。
 めがねをかけている女性の帝王切開の頻度
(産道が狭い)といった統計はあるのでしょ
うか。

 非常に広義の意味においては、

 エロチカやエロスを書けない作家は、作家
の資格はありません。
エロスということにはふたつの意味があり、

・求められている需要を誠実に考えること

・色気を磨くことには全人的な努力が求めら
れるということ:生き方が問われる

「色気」というものは「自信」であり、人に
何かを訴えかけられない作品(世界)が自信
に満ちているといえるでしょうか。

 いっぽう、わがままとしての尊大は一皮む
けば、薄汚い卑屈とおなじものです。

 欲求をみたすために精神的なたたずまいを
気に留めない機制は、自分が他者から評価さ
れる・評価されなければ生きてはいけないと
いう認識が、幼少、あるいは学童体験として
欠落していることを意味します。
 好景気でもあったヒッピーの時代はただそ
れが満たされていたゆえにそれがめだたなか
っただけです。

 ・・・絵草紙は、怖いメディアです。

 作家はよく自分と似た顔を描くといいます
が、筆跡鑑定のような意味で、絵はその描き
手をよくあらわしています。

 よく描く絵の表情は、その描き手の現在の
精神状態をよくあらわしていて、また、セラ
ピーの一種として「意図して笑顔の絵ばかり
を描こう」という療法もあるそうです。

 人物の輪郭の描線にためらいがなさ過ぎる
人は、こっぴどくひどい目にあった経験がお
そらくなく(自分の責任で、物事が破綻し、
身もこころもびしょびしょになった体験がな
ければ、ひとを感動させることなどかけはし
ません)、世間や他人をなめている可能性が
あり、
 人相が異常な人物ばかりを書く人は、おそ
らく精神疾患に陥っています。

 ・・・この意味では、閉鎖的な絵草紙とね
じれた種類のロックンローラーは、参加して
いる人の集合がだぶるもののようです。

 義務を嫌う人は、愛に満ちた人とは(互助
のfieldにたどり着けないという意味でも)
出会えないものであり、また無償の提供にほ
かならない愛に参加することもできません。

(ややアンチテーゼめきますが、
 硬い時代の、ある絵草紙の噴出しの言葉に、

「勉強しないで、漫画が描けると思っている
のか」

 という、名言を筆者は覚えています。

 夢を作り出したり、それを維持する手間に
は、家事や便所掃除のような義務感と緊張感
の継続が、体験として必要なのです。遊園地
のスタッフが重労働であることが、実に象徴
的なことのようにおもえます

(そして、よい労働とはそれが苦にならない
ことです。)


<いつか来た道・女性的な視点で1>

「大正デカダンス」という言葉がありますが、
消費文化が爛熟した時代には、無責任な耽美
趣味が流行したことがあります。おたがいに
文化の風俗流行の影響もあったのでしょうが、
泰西では、サラ・ベルナールなどの活躍が合
った時代です

 川端康成が少しかかわった文壇風俗に、女
学生の友情をあつかったものがあります。
 余談ですが、三島由紀夫の出発点は、繊細
な写生詩歌でした。そのからみで、両氏の師
弟関係もあったのだとおもいます。

 ・・・人間の弱さの典型なのかもしれませ
んが、当時の文学における美や恋愛もまた、
密室志向でした。

 こんにちの、絵草紙や軽い小説がことごと
く、追憶としての学園や、逃避としての異世
界(魔法世界)を舞台として、作者やそして
購買者でもある読者がことごとく、

 前をむいていない

 ことと、力学現象としては同じことです。

 大正耽美の作家が哲学としての生活力がな
かったことは有名です。
 当時、世間知らずの青年がたとえば父君に
「文学にいきたい」といえばきまって、

「くたばってしめえ」(二葉亭四迷)

 とののしられるのが一般的でした。

 よくある話ですが、文学に行きたがる青年
子女とは家が豊かであることが多く、畢竟そ
のそのおいたちには、「甘やかされ」がつい
て廻ることが多いものです。

「雲は天才」なのかもしれませんが(正確に
言えば後に述べる認知循環の意味では、これ
はもちろん、

「雲をみている我輩は天才であることを感じ
てならない」

 であることにこそほかならなく、それはI
Qの意味で客観的にそうなのかもしれません
が、
 たとえば文筆業として、第三者にサービス
を伝達する際なにか重要なことになるでしょ
うか?

 そのような3歳児から深く刻印された良家
の独善は、「大衆流布」の意味で原稿を(原
稿料として)配布しようとしても、その態度
には「教えてやっている」という貴族的な居
丈高さが、どうしても抜けません。

 これは「はやりだから」といって戦前の文
士がこぞってプロレタリア運動に参加した、
形式主義のうそ臭さに他ならなく、
 またこれは、うめきから這い出してきた実
際的な武装闘争派から、左翼を名乗る貴族の
子弟が忌み嫌われたことの、当然過ぎる、力
学です。

 食べるのに困らない者が、「自分探し」の
ために紛争に関心を持つのはあまり感心しま
せん。このことは別に珍しいことではありま
せん。
 ひとむかしまえの話ですが、ある紛争で現
地がそれなりの判断で現地の遺跡を破壊した
ことがありました。それを聞いてある日本の
画家がこう言ったそうです。

「ぼくの画題を、破壊しないで」

 飢えたことが、ないんでしょうね。

 これは、こんにちでも、ジレッタントや即
売会に妙に富裕な子女があつまることのおな
じ力学でもあります。

「働く必要がないから、遊んでいる」のは一
面の(かならずしも、うらやむには値しない)
事実ですが、

 ・・・それと同時に、

「あわれむべき情けないこととして、」

 世間で働いている人々と、その現実的な哲
学の上で、

「普通の人と、会話をすることができません」

 ・・・はなしが、あわないのです。

 この意味での、

「寂しい金持ちの、狭い座敷牢」

 というたとえば狭い即売会の同好人脈は、
同時に文壇の一種ですが、

(華族に対する百貨店外商部の意味で、それ
は一種の商売になるのかもしれませんが、)

 ・・・文明や経済を大きく動かすダイナミ
ズムとは、大きく違う種のものでしょう。

 ・・・これに、「没落」が絡むと、悲劇に
なります。

 玉川上水にいたる道程は確かに悲劇ですが、
客観的にいって、その力学はあまりに明快で
あるがゆえに、第三者としての読者は、そこ
から深い教訓を引き出すことはできません。

 ・・・ある映画評論家が書いた、

「ホテルで心中するカップルの悲恋」

 を描いた作品について、

「彼らの遺骸を片付け、なおかつ悪い評判が
立つ旅館の経営者の立場に立ったことがある
のか」

 と怒りをもって切り捨てた評論を筆者は新
鮮なおどろきをもって読んだことがあります。

 玉川上水は、都民の飲み水です。

 文学は、いわば暗黒面として、陶酔の麻酔
の下に、独善を他者に強いることがあります。
 そして、「富裕な生まれ」というものは労
働やいわゆる勉学に付随する、

「生存に多少なりとも関連する」

 緊張感の継続循環と基本的に、没交渉です。

 ・・・このようなことは、宮沢賢治や三島
由紀夫なら、言及することかもしれません。

    (前者の精神は、時系列で)前後するのかも
    しれませんが、周囲に存在していた法華経の
    信仰の雰囲気によって、
     そして後者氏のそれは官僚の家というもの
    がかつてはもっていた「職業としての義務感」
    が背景にあったのかもしれません。

 ・・・耽美、はかねもちの子弟がおちいり
やすい、堕落の入り口になりえます。素朴な
信仰の気配がない室内楽には、短命の危険が
あります。

「人生に必要なことは全部幼稚園の砂場で学
んだ」という名著があります。
 人間は、人格形成期に、「しばしば紙やす
りが混ざる」あかむけのスキンシップを経験
しないと、長じて社会では生きていけません。

 その意味では、「金持ちに生まれる」とい
うことは半面では、大きな負債であるという
意味で、うまれた瞬間に大きな荷物を背負っ
てしまったことになります。
 金持ちの親がうっかり親ばかとして、石田
三成や「ドイツ人の口やかましい家庭教師」
をつけることを失念してしまうと、その子供
は空気や段取りを読めない・組めない馬鹿と
なっていずれは退廃や文学に走り、自滅しま
す。
(このパタンは、成金の家族に多いかもしれ
ません。成金の親は、にわかに降って湧いた
奢侈に耽溺することにいそがしく、これは生
まれの卑しさの逆証明ですが、子供の教育に
関心を払わないかもしれません。)

 生活や労働の中に存在する大げさに言えば
「自然法則」や人間関係に関心を払う習慣が
無いまま大人になると、

・自分が食べたい献立は等しく相手も食べた
いのだ。
・自分が嬉しければ相手も当然嬉しいのだ。

 と、自分の世界観で「他者を征服」するよ
うになります。これが、一面では、花園とし
ての少女漫画の暴力です。「共感の強要」で
すね。

 このような女性を見分けるこつは、万能で
はないかもしれませんが、

「なにかたのみごとをしてみることです」。

 花園を強要してくる人は、くちではそれを
みとめなくても、相手を、

「自分の箱庭の駒人形のひとつ」

 としか想っていません。
 けして自分と対等の人間とは想っていない
のです。
 もちろんそういう、循環で訓練されるべき
彼我の抽象関係の固定が、うまくいっていな
い、ということは先天的な性質もあるでしょ
うが、そのような環境に子供をさらさなかっ
た、という意味で親の不適切な溺愛か、育児
放棄(テレビやゲームに子育てを預けること
をも含む)の可能性があった疑いもあります。

 対等の人間とみとめていなければ、相手の
心情や痛みを想像することも苦手で、
(ミラー細胞は、誘導によって生成されると
いう仮説は、ここに論拠があります)

 それを成就させてやる、という動機もまた
生まれてこないでしょう。

 たのんだことを十分にやってくれないばか
りか、もとめていないよけいなことを次々と
押し付けてくる人格は、相手を対等な人間と
想っていません。
 本人の都合によっていつでも切り捨てるこ
とが可能な存在なのです。

「フリルのついた暴力」、ということばがあ
ります。

 この種の、洗練されていない粗悪な意識に
とっては、あくまでも「旦那」を演じてくれ
る「俳優」が必要なのであって、
 長い時間がかかって成長したひとりのごろ
りとした、人間の重い塊ではありません。

「彼女」にとっては、安易で手軽な「恋愛ご
っこ」こそが重要なのです。
 ほんとうは、「ごっこ」でどうにかなるほ
ど生活や現実は甘いものではありませんが、
それをみとめないまま成長することが可能だ
った、という意味では、彼女の親は、子供の
人生を甘やかして破壊したのだ、ともいえる
ことでしょう。

 失業したとたんに離れていく女性の半分は
このような浅薄でありますが、

         しかし、定年と同時に離婚を切り出される
        場合は、夫君が保守的な惰性に甘んじ、尊敬
        の意味で細君を薫陶することを忘れていた場
        合もありえます。クーデターは、怠慢の引責
        であるとも言えますね。

     また、安易な脱サラが閉店に追い込まれる
    現実に似て、

    「スロットマン」と同格な言葉としての
    「ドリーマー」が求人する、

    「演じてくれる旦那」の集まる履歴書の
    現実は、

     稼ぎのある人間は、厳格か粗暴、
     やさしい男性は、甲斐性なしか浪費家、

     それではとたくらむ玉の輿は、太っていて、
    幼稚な趣味に耽溺しているのがたいていなの
    で、いわゆる恋愛に興味を持っていません。

        (たしかに、がり勉になって名門校や良い就
        職をすることのみが勉強の目的ではありませ
        ん。

         逆に落第や次点校であることを過剰に振り
        回すことで、過半数の人々の心に負け犬の烙
        印を押すのは、
         既得権を守る保守主義としての悪徳な官僚
        主義なので、省みる必要のある行為ではあり
        ませんが、

         それでも「勉強が嫌い」という心理は人格
        形成とそれにかかわる人間評価のうえで、ま
        ずいことです。
         勉強、ということばはべつに学校の成績の
        ための専売特許ではなく、「仕事」や「生活」
        にたいしてささやかなるとも「がんばる」

        (なまけごころに対して、つとめて、しいる)

         という意味です。

         ささやかな努力を嫌う心理は、まずまちが
        いなく怠け者や甘ったれのそれであり、浪費、
        堕落、退廃にいたるという意味で、これを意
        味します。

         金持ちの嬢ちゃん坊ちゃんは、えてしてそ
        うなりやすいですね。

         生活力がなく、だらしなくて無能な反面、
        甘やかされてそだっているので、プライドだ
        けはむやみに高く、すぐ機嫌が変わります。

        ・また、無能なゆえに資金を使い果たしたと
        きの将来の不安と、

        ・すべての他者の交友の動機が、自分の人格
        を通り越して、その資産にむいているのを知
        っているので、疑心暗鬼になやまされ、

         こういう子息青年は、いつもいらいらして
        います。

             *

         ・・・新婚旅行などで、テレビの前に寝転
        がってトドになって動かず、部屋からずっと
        出ず、
         早々に奥さんから三行半を突きつけられる
        人間的につまらない旦那のケースは、このよ
        うな生い立ちのことが多いですね。

         ある程度のハングリー精神をつけるために
        は、やはりある程度の、野育ちの前半生が必
        要です。
         豊かな時代のあとや、富裕な家からは、意
        識して意図しない限り、骨のある次世代は育
        ってきません。)

         *

 このことは、古来うすく普遍的なことらし
く、雅味のある文学者は女性を「猫」にたと
えました。忠実な犬ではない、という意味で
す。

 生活や労働の種類が違えば、食べる・食べ
たい食事の種類は異なってきます。ましてや
頭脳労働と肉体労働では、欲求する献立はお
おきく違ってあたりまえです。

 また、自分が信じていた妄想を大量に印刷
で刷っても、世間の多数がそれをそのまま支
持するとは限りませんので、そのような第一
回目の挫折でたいていの妄想少女はおかしく
なります。

 女性はもともと繊細な生き物であり、厳し
く接すると発狂してしまうので、玉のように
あつかいがちですが、度を過ぎて甘やかすと、
そのように暴力としての爆弾をかかえたまま
おとなになってしまう例も若干でてきてしま
います。

     *


 ・・・食べ物の好き嫌いが多いということ
も、めやすにはなるでしょう。

 あまりにも多い好き嫌いのあげくに、

「わたし、○○がたべられないひとだから」

 という台詞がでたとしたら、それは赤信号
です。

 人事的な感覚が耳にしたら、

(このひとは、課題を前にして、それを乗り
越える努力をしなかったばかりか、
 甘えや媚びとして、それをひらきなおるこ
とを、無条件に受け入れてくれる環境に漬か
って育ったんだな。)

 と受け止めることでしょう。

 このような人格を、組織に入れてはなりま
せん。営々として築き上げてきた先輩たちの
遺産を、ほとんど一夜にして破壊します。

(そこまで大げさでなくとも、自己管理の意
味で、禁煙や肥満が評価に影響することには、
理はあります。)


<いつか来た道・女性的な視点で2>

 ・・・筆者はしばらくまえに、現在でも女
学生の友情をあつかった絵草紙雑誌がちらほ
ら、あることに気がつきましたが、その内容
はお世辞にも面白いものではありません。
(絵は繊細で、綺麗ですが)

 ある雑誌の奥付で、「この雑誌を続けてい
くことに、意味があるのか、ということに悩
んでいる」

 という編集氏の本音を読んだことがありま
す。

 永遠に女学院で生活し、なおかつ庇護され
たやさしいことばだけを羽毛のように繰り出
しつつ付けるだけの世界が、何巻も単行本を
だすことができるでしょうか。作家さんも無
理やり話題をつなげていくことにひどく苦労
しているようにもみえ、

 またたいていの書き手はおなじ理由によっ
て連載を続けることができません。

 ・・・素朴な意味で作家は読者の一人です
から、そのような意味でそれは女性の読者の
置かれた状況を暗示しています。永遠に文化
祭の前夜祭が輪廻するような、時間の閉鎖性
は、斜陽が黄金期の記憶にしがみつくような、
鬱病ににた症候群です。

 これは、女性(や若者)が未来や世界に対
して何の希望も持っていないことのネガ・陰
像です。

 学院を卒業した後に、彼らに何が待ってい
るでしょうか。

 肉体的な力もなく、からくりを疑うことも
苦手な彼女たちは、
 皮肉としての「コピーとお茶くみとしての
レディー・ファースト」が撤廃されたら、狡
猾な男性の世界では生きていけないことでし
ょう。
 雇用自由化が悪徳派遣を生んだように、男
女機会均等は、職業としての女性を絶滅させ
かねません。

(女性の意識は、過程ではなくて結果を重視
するのかもしれません。「業種」ではなく
「給料袋」でしょうか。
 労働はおおむね過程ですから、平面脳の女
性ではなく、構造脳の男性がより適性なのか
もしれません。


    <ところで女性ではなく男性の欠点>

     ・・・ただ、構造脳とは分裂症傾向のこと
    ですから、構造を模倣する形式主義におちい
    り、最終的な目的をどこかにおきわすれてし
    まう可能性があります。

     男性の行動がいつのまには手段と目的が逆
    転してしまうこと(釣りをするために道具を
    求めたはずなのに、いつのまにか野外に出か
    けないで道具の収集家になってしまうような
    悲劇です)はしばしば聞くところのものです
    が、

     ・・・やはり、女性は、女性の現実主義と
    は、(かならずしも、細君の立場だとはかぎ
    りませんが)男性のそばにいて、その不毛な
    偏執傾向の是正につとめるのが、やくわりな
    のかもしれません。

     ・・・女性の役割が、「給湯室の健全なる
    運営」であるのならば、それは営業戦士にな
    るような方向性とは、たぶんちがうはずです。

    (空間構造把握能力というものは、おそらく
    分割と再編成というあいことなる2つの力を
    必要とします。

     分裂症傾向は比較的に男性ならば、だれで
    もあるところのものですが、複数のあいこと
    なるビジョンを再統合する機能において、そ
    の高度は男性ならだれでももっているわけで
    はありません。

     ややあいまいな概念になるのが片腹痛いで
    すが、樹状突起の感受性とその結果としての
    軸索連絡が密になるのは、おそらく女性ホル
    モン:エストロゲン(エストロン、エストラ
    ジオール)の作用であり、

     再統合のために必要となる密な脳梁連絡な
    どが発達した男性は、ホルモン的に女性傾向
    がつよいのかもしれません。

     脳葉それぞれの微細区域がその個性を発達
    させ(すぎ)るのはテストステロンの作用で
    すから、空間認識が優れている、という結果
    は、ともに多い女性ホルモンと男性ホルモン
    の分泌の帰結なのかもしれません。

     その意味で空間認識力の高い男性は下垂体
    の意味で内分泌亢進症の気味があるのかもし
    れません。
     ひきずられて甲状腺刺激ホルモンも高い値
    であれば、その体形は痩せ型となるかもしれ
    ません。

     観念論の領域をでませんが、才能のある男
    性がこの意味で女性ホルモン濃度が高いので
    あれば、いわゆる英雄や天才に、性的逸脱や
    性同一認識の不一致が高頻度にみられても不
    思議ではないかもしれませんね。

     また逆に考えて、分割像を再統合すること
    に失敗すると、偏執傾向が顕著になることで
    しょう。

     自分の偏見の中では、すべての依存症はお
    なじものです。

     ギャンブル依存は、最終的に儲かるのは胴
    元であり、「おけら」が結局は自分か他者で
    あるかのちがいにすぎないという、

    「全体」認識がみえていなく、

     アルコール依存は、楽しみや建設というも
    のが結局は自分の努力の蓄積であることとい
    う時間軸上の「ひろがりのおおきさ」を認識
    したがらないところから発生します。

     収集マニアは、対象物体の内部を「拡大」
    し、その空間を研究する態度が欠落していま
    す。そして対象の、(拡張のための分割展開
    をも含む拡大研究がおろそかであるがゆえに)
    おもに外面的要素を記号化し、本体要素を引
    き算した「差異」だけを収集するようになり
    ます。そこには本来の目的のための機能など
    はもはやどうでもよくなり、マニアがときに
    奇形や逸脱例を珍重するのは、そのためです。

         *

     全体がみえなくなる偏執というものと、い
    わゆるギャンブルはそれをなすものにとって
    はおなじものであることが、すこし考えてみ
    るとわかります。

     すべきではない戒めとして、悪口と安易な
    物乞いは何処の文化でも言及されていますが、

     たとえば悪口は、他者をくさすことによっ
    て相対的に自分の株をあげようという恣意
     があることがあり、そこには(株売却益を
    もくろむという)利益を意識したものです。
     具体的には社会鍋や仕事の取り合いなどが
    あることでしょう。
     また、物乞いとは「くさすことのできない
    相手」(たいていは経済的に豊かなもの)に
    乗っかることを意識した、これも自分の利益
    を意識した行為です。

    「阿Q正伝」のような記録としての実例を見
    るまでもなく、卑しさはしばしばこの両者と
    同一人物という意味で同じものですが、

     これらは次の一点において、またギャンブ
    ルと同じものです。

     ・・・その行為の前後において、出資者の
    資産の総額は、かならず目減りをしている、
    ということです。
     過剰なトレーディングは社会を疲弊させま
    す。

     悪意や卑屈のあとでも狭い意味での金銭的
    な総額は減少していないではないかと言われ
    るかもしれませんが、ここでの資産とは、非
    常に広義なものと定義させてください。

     悪意などによって信用不安が発生した場合
    は、全体の経済でも損失あるということです。
     ギャンブルはかならずどうもとが儲かる仕
    組みシステムになっていますが、それは公営
    で明白な運営である限り、税の一形態になり
    うることとは対照的です。

     ・・・ともかく、悪意・卑屈とギャンブル
    は、すくなくともその参加者やその総体にと
    ってやればやるほど、その総体資産がめべり
    していくものだ、という、全体像を意識する
    ことができない場合に、

     その依存者は病理としての偏執、というこ
    とができるかもしれません

     各地の文化で、

    ・むやみに人を批評しない
    ・過剰なギャンブルは忌むべきものである

     という訓示があるのは、遺伝的な人間の弱
    さを指摘した寸鉄なのでしょう。

     ちなみに英語ではギャンブル依存症の人の
    ことを「スロットマン」とよびます。正義の
    味方の名前ではありません。英語圏ではいわ
    ゆるパチンコというものは無く、代わりにあ
    るものはスロットマシンだからですね。

         *

     そこには、実用のための再統合という、お
    ちついた女性的な衣食住的な感覚ははいって
    いません。

     依存症にみられる偏執傾向はfeedbackの安
    定を得られないという意味では病理ですから、
    それは行為を重ねるごとに不毛に先鋭化して
    いきます。

     いい意味での女性的な男性がながめるよう
    に全体の調和を考え、個々の力学を調整する、
    ということができません。

     このようないみで、(ピグミー・チンパン
    ジー:ボノボに対してという意味で)凶暴な
    エイプであるチンパンジーの雄のような男性
    には、社会や歴史の中ではあまり重要なしご
    とをあたえることはできません。

     自己顕示欲が強いこともあるので、出世欲
    は結果的に強くもなりますが、最終的に使い
    捨て隊の小隊長が能力的に上限です。

     歴史録のなかにたくさん、そのような小豪
    族のはなしはでてきます。

     ・・・女性にとっては気の毒なことに、そ
    のような意味で才能があり、配慮もできる男
    性とは、この意味でしばしば同性が好きなこ
    とは、実に皮肉なことではあることでしょう。
     そのような男性はしばしば知的な女性も好
    みます。むしろ達成感や調和を重視する彼ら
    は、資質やそれが定着した人相を重視するの
    で、相手の性別にあまり頓着しません。

     逆に言えば、エロチカでしばしば巨乳が強
    調されるのは、対象読者層が、女性の体に偏
    執症的な「記号」をみているにすぎないかも
    しれなく、
     その場合はあきらかに女性をものとしてと
    らえ、対等な人格とは考えていません。

     女性的な全体統合が欠落としてできないと
    いう意味での発達不良の一部の男性は、

    ・落ち着きがないので熟練才能という意味で
    の仕事はできなく、

    ・他人をものとして扱うので女性からも、も
    てません。

     このような男性は劣悪な労働現場にたくさ
    んいますが、それが生来の遺伝的傾向である
    のかと疑うほどに、まず直りません。

     なおらない、という意味ではそのような人
    と結婚してはならない、ということになりま
    す。

         *

     ・・・あるマーケットとして、

    ・気合
    ・情熱
    ・たぎる魂

     を盛り込めばある程度の数字が取れる市場
    があります。
     冷静に考えればわかるとおり、この3つは
    実は同じもので、それを総合すると、そのよ
    うな言葉を語る人には、技能の蓄積としては
    「なにもない」ということがいえると想いま
    す。

         おいたちの不幸や、先天的に注意力散漫で
        働き盛りになっても、その状態の人はなかな
        かその状態から抜け出せないという意味で、
        不幸です。
         ドラッグの売人が貧民街をねらえ、あるい
        はそのような地域はそういう意味での縄張り
        である、というのはピカレスクの定石ですが、

         蓄積としての、
         技能や、やりがいのある仕事や、大事な趣
        味がある人は、
        「守るべきものがある」という意味で、すべ
        てを投げ出したりはしません。
         愛情で結束している家族もまたそうでしょ
        う。
         守るべきものがある人は、ケチで卑怯なの
        です。

         ギャンブルからはなれられない事象は、一
        面では「現金」ということがキーなのかもし
        れません。

         無意識の行動ループはべつにして、論理で
        は「現金で買えるもの」を期待・意図してギ
        ャンブルに参加する、と把握できますから、

         広義の自分を買い戻す、という心理がある
        のかもしれません。

         ・たくさん買い戻す、ということはできる
        だけ長い時間のために買い戻す、ということ
        でもあり、
         ・高いものを買う、ということは
        (高額の領域は未知の領域)
        という意味で自己の拡張(をもくろむ)、と
        いう意味もあるのかもしれません。

         これは、逆に考えると、「世界観の問題」
        であるとも考えることが出来ます。

         ・お金で買えないものもある、という概念
        はまた重要な鍵なのでしょう。
         すくなくとも、お金で買えないものに価値
        の重みを割く意識は、かならずしもお金の多
        量をもとめませんから、ギャンブルからは、
        足が遠のく効果があることでしょう。

         それが、趣味や仕事をも含めたライフワー
        クというものであれば、賭博をやる時間やエ
        ネルギーはないはずです。

         また、なにかを買うために確実なお金が必
        要、という意味では、長期的には確実に胴元
        に吸い上げられる賭博は、「運用」としては
        「賢い」選択ではありません。
         そういってしまえば、当たり前ですが、も
        っとも確実な資金運用とは、

        「需要に合致した労働」です。

        (概念として、ここでは資金とは経費になり
        ます。)

             *

         逆に言えば、ギャンブルには待って抜けら
        れない人とは、スポーツとしてのその緊張感
        が忘れられなくてそれを楽しんでいるとしか
        考えられません。

         極端な事例として、仕事や自己実現の緊張
        感や達成感を習慣として身につけることに失
        敗した、「なにもない」ひとの多数が、ギャ
        ンブルにおちいることは自明かもしれません
        が、
         破滅型のひとでなくとも、酒やタバコのよ
        うに、それを楽しむ「中庸」のひともすくな
        からずいることでしょう。

        「なにもない人」はいわば依存症のloopのな
        かで、「すべてを」ギャンブルや毎晩の晩酌
        に浸してしまいます。「なにもない人」は依
        存症のとなりに住んでいるのです。

         しかし「なにもない人」がすべてを投げ出
        しても、残念ながら力学の皮肉としてそれは
        それで、いさぎよい結果にはならないもので
        す。

             *

     12歳から20歳代までの若者であれば、
    その3つしかありませんから、それでがんば
    るしかないのですが、そのかわりそれだけで
    ものごとが完逐できるわけでもなく、いわば
    モラトリアムの期間中に何回も転ぶことにな
    り、また転ばなければ痛みをともなう経験に
    はなりません。
     しかし、その「小破滅」というべき転倒が
    致命的になったり他者に波及することを防ぐ
    ために、実は管理者(loud)として、長もし
    くはその機能が若輩に与える権限を制限して
    いるのです。
    「長」とはいわば懸命な経験の大成されたも
    ので、かならずしも人格である必要はありま
    せん。古典としての良書もまたそのような存
    在になりえます。

     ・そのためには、

    ・ある程度人の話に耳を傾ける

    ・かならずしも勉強・読書が嫌いではない

     ということが必要になってきます
    (このふたつはもちろん同じことです。)

     しかし、「誰でも受け入れる・馬鹿でも生
    きていける世界」では、そのようなことが苦
    手なひとも多く残りますから、

     そのような世界では、いつまでたっても
    「見栄を張る」伝統が残ってしまいます。そ
    の意味では、筆者の偏見では、田舎の若者が
    いわゆるヤンキー風俗にはしりがちなことと、
    地方の旧家が見栄で大きな屋敷を造作するこ
    ととは、おなじことのように想えます。

     ・・・しかしこの現象は、一面では、
    「本質が見えていない」あるいは見ようとし
    ないことでもありますから、どうしても関心
    が表面的なことに寄りがちで、それがそのま
    ま絵草紙や芸能など、いわゆる
    「ちゃらちゃらした」ものに関心が寄りがち
    になります。

     ・・・絵草紙は実は重労働なので、気合だ
    けで版下をしあげてそれで生活しようとする
    といずれ体を壊します。
     また、日記としての活字とちがって、絵草
    紙の版下をしあげる作業は、それをしるすも
    の自身との対話ではないので、それをなせば
    なすほど、疎外感の寂寥におちいり、あげく
    酒におぼれて自滅するひともすくなくありま
    せん。

     また、中央の芸能人がその名前を保つため
    に陰でどれだけの努力をしているかというこ
    とはたとえば「勉強が嫌いな」つまり行間を
    読めない場合の田舎の人には、遠くからは、
    見えないことでしょうね。

        (若いうちの気合、ということを書きました
        が、若者の財産としてのそれは、要するに
        「細胞の若さ」ということです。

         人間の意欲にかかわる、カテコラミン系の
        無髄神経核の大きさは、20歳前後の青年の
        それは40代の4倍の大きさがあります。

         若者が、経験も金もないから意欲でがんば
        るしかないのは仕方が無いことでしょう。
         半面、意欲核が縮小するということは、加
        齢にしたがって保守的になり被害妄想なども
        湧いてきやすくなることということです。

         若者と老人の対立、ということは現実でも
        空想でも、健全な戯曲の大きなテーマである
        ことは、事実なのでしょう。

         ・・・甘やかされて娯楽からでてこない、
        全入時代の勉強しない学生(定義矛盾です)
        をみていると、経済問題はともかく、急激な
        少子化は、社会のゆがみを生むものだなあ、
        とは感じます。

        (かれらは、過剰な、大人になりきれない教
        師という、今の大人の世代の卑怯の犠牲者で
        すね。)

         アドレナリン・ドーパミン分泌神経核が充
        溢しているということは、その結果はなにも、
        いわゆる気合だけではありません。
         好奇心や繊細さがうまれつき強い人は、そ
        れらがさらに亢進します。

         その意味では、わかいうちは勉強したい人
        はどんどん勉強すればいいことでしょう。

        「鉄は、熱いうちに打て」ということは、た
        ぶん、そういうことです。
         モチベーション:motibationというものは、
        あるていど加齢すると、カテコラミン核が減
        衰収縮するので、いままでつちかってきた、
        自信や習慣の延長にしかありえないので、
         できるだけ若いうちに大きな自信を具体的
        経験や実績としてつかんでおくことが非常に、
        重要なことです。

         先天的な事例を除き、極端に頭の悪い人は
        そうは、いません。しかし周囲や親御さんが
        愚かなままだと、子供は依存症から抜けられ
        なくなる大人になります・・・。)

         いわゆる「馬鹿」の8割くらいは、「だら
        しなく育ってしまった」ということ以外のな
        にものでもありません。


<いつか来た道・女性的な視点で3>

 就職難ということだけで、妥協して安易な
結婚活動を考えるくらいならば、手に職をつ
けて自立したほうが幸せになれるかもしれま
せん。

 ・・・あるいはすぐれたひとの2番目以降
としておちついた人生を細くいきるという可
能性もありえます。

 意外に知られていませんが、王宮の後宮に
は、ゼロサム時代におけるそのような女性の
ための社会福祉政策である面がありました。
どんなに絶倫(失礼)であろうとも、侍女1
万人という規模にもはや跡継ぎ確保の目的が
希薄なのはもちろんのことでしょう。

(そればかりか、社会や文明が複雑化して、
社会の重要な機能としての人材の育成に手間
とお金がかかるようになると、資本と技能の
集積という意味で、ある程度以上重みにおい
て成功した「家」は子供を二人以上育てたほ
うが社会と経済に対して「効率的」であるこ
とにもなりえます。

 そうなるとどうしても結婚できない男女が
出てきますが、その意味で、女性は文化的に
も広義の「妾」男性は苦力、ということにな
ります

 鶴やたぬきのような一夫一婦制は厳密には
不可能かもしれません。

 国民全婚姻、ということは事実上工員や小
作にも婚姻を奨励するということですから、
ゼロサム経済の現実からいったらそれはやは
り不自然です。
 昭和の現実が事実上全婚姻が可能だったの
は、不安定な世界情勢のかげで、継続して世
界の工場として輸出が可能だったからで、
 それは力学的空白という意味で、当時の発
展途上国の窮乏にささえられていた面があり
ます。国内の家族の団欒のために、困窮を輸
出して他国をまずしいままにとどめる、とい
うことは倫理的にはよくないことです。)

 最近の絵草紙動画のスタジオに作品傾向と
ともに女性スタッフの数が多いのは、それが
雇用の意味で大奥と化しているからなのかも
しれません。

 ただ、出来上がってくる製品はかならずし
も上質とはいえないので、筆者はそれを全面
的に肯定することはできませんが。


<文化ではなく風俗である、絵草紙と広告>

 絵草紙は、本格的には高度経済成長が軌道
に乗った「所得倍増」の時代に成立した「消
費文化」で、
 絵草紙でもある消費文化は、厳密には文化
ではなく「風俗」です。

 風俗には義務も権利もなく、また好景気が
終われば、その隆盛は消滅するものです。

 作家は、勘違いにおちいる危険性があると
はいえ、社会運動に参加したり、署名に立っ
たりすることがありますが、業界としての絵
草紙にはそういう動きは生まれてきません。

 絵草紙の読者には、
 義務を問われるサービスではないからこそ、
たとえば(主人公にほれ込みすぎたりして)
連載継続をもとめる署名活動などは、すくな
くとも筆者は聞いたことがありません。
 絵草紙の風俗は、読者を甘やかしてしまう
がゆえに、そだったわがまま犬は絵草紙作家
に愛情を感じなくなります。

 一緒にそだった世代として感じていました
が、読者・作家双方ともの絵草紙の世界を浸
している、どうしようもない「冷笑的な無力
感」はどうにも耐え難いものでした。

 読者は作品から人生にとっての重いものを
まなぶことなく消費される物語としてのそれ
が、
「路傍の他人の死」として廃棄されるのをわ
れ関せずと冷たく眺めています。

     これは、それが信仰としての文化ではなく、
    流行風俗に過ぎないからです。

     これは、アメリカや日本(そしておそらく
    中国も)に共通する、
     非宗教・非哲学であるがゆえに、
     市場貨幣経済が浸透した地域の、

     反面では寂漠な悲哀でもあります。

     市場や貨幣がこだわりを「脱色」してしま
    うと、人々は多少の景気後退にも耐えられな
    くなります。
     中国大陸では不況は絶対に考えられません。
     暴動がおきるでしょう。

(これは同時に、受身にしか過ぎないつまら
ない存在と自覚している、読者としての無力
感でもあります。)

 絵草紙に限らず、消費文化が成立するほど
豊かな時代は、過剰なサービス産業が子供を
だめにします。結果、コピーしたものを語る
ことしかできない青年ができます。

 絵草紙作家の側では、貴重な自分の人生の
時間を費やすのにあたって

「これは別に、自分でなくても書ける主題だ
よね」

 という一歩下がって俯瞰する冷静さがあり
ません。

 こんにち、そういう意味で、いわゆる賢い
人はこの業界にははいってはきません。その
意味で、

「現在の絵草紙作家は馬鹿ばかり」、

 という帰納がひょっとすると可能かもしれ
ません。

 読者のほうも事情はおなじで、

 仮装をして、公会堂をねりあるく人々は、
物語としての神話にあこがれとして身を焦が
す体験をは、してはいません。

(・・・していれば、鋭い無意識が訴える違
和感が、そのようなことを許さないはずです。
 鋭い無意識、というものが才能のひとつで
あるとすればそれは努力からきたものですが、
 そのような努力を突き動かしているものは、
非常に広義の「あこがれ」です。
 学者や芸術家の原点としての感情にもその
ような未知に対する探究心があり、これはす
くなくとも哺乳類の本能です。)

 彼らが衣装として、着ているものは神話で
はなく偶像ですが、
 信仰が生きている世界では、英雄は神殿の
奥の院に祭られているのがふつうで、特別な
意味でのお神楽でもないかぎり、物語神話の
仮装をすることは、不敬にあたる禁忌でしょ
う。
 タブーは、誠実の源泉でもある神聖をまも
るための必要悪であり、ある程度の社会の壁
は、社会の肉体を維持するために必要な組織
細胞や臓器を区別するための隔壁です。

     ・・・敬虔なクリスチャンには、聖書のパ
    ロディを出版することは出来ないのです。

     興業である嘲笑が、
     他者の誇りに土足で幼稚に踏み込むことは、
     世界の常識としては、

     流血になるのは、自明です。

 商売でもある広告は場合によっては、過剰
な自由主義を謳おうとしますが、社会が機能
できない完全溶融の自由主義とは、恐怖政治
が支配する、悪い意味での共産主義にしかほ
かなりません。
 こういう場合の苦く複雑なものを理解した
がらない弱さにささやく広告やプロパガンダ
とはまさに○○のささやきとなることでしょ
う。
 山椒大夫としての子供や幼稚をだます笛吹
きは、彼らの命や将来よりも、当座の小銭を
取ります。(ちなみに、ハメルンの笛吹きの
モデルになった事象は、東方開拓のための
「悪徳派遣」のようなひとさらいでした。)

 これはある意味、仕掛ける興行側の戦略が
ある程度成功した結果の風景です。

 サービスが産業になる時代では、豊かさと
いう溶媒によって義務が希釈・揮発するので、
神話がことごとく偶像になります。

 神話と才能というものは、なかば義務感と
いう勉めて強いる行為と継続がなければ成立
しません。神話をつくるということと、それ
にのっかるということは、違うのです。

 義務感や努力がない時代は、こどもはすべ
て無能として成人し、神話はなれなれしさを
ぬりつけられる偶像になります。
「ごりやく」という概念はやや偶像的・即物
的で、その意味で道教は、たとえば儒教より
一段階下になります。

「ほんとうはご教義を理解したいんだけれど
も、どうもむずかしいからせめておふだでも」

 というものが、素朴な信仰の行為でしょう
が、おふだそのものが偶像として流通するの
は、本末転倒です。芸能風俗と宗教の堕落に
は共通するところがあります。免罪符です。

 ・・・人々が豊かさによって努力しなくな
る時代は相対的に「馬鹿」がふえるのでしょ
うが、とうぜん、努力をしない時代には、
「悟りに至るための修行」などは乏しいこと
になりますので、そのような時代では
「ありがたいもの」はつねに偶像になります。

「馬鹿と、偶像」は一対の概念です。

 ・・・これは、すくなくとも素朴な指摘と
して、たとえばイスラム教が偶像崇拝を禁じ
た精神のまさに、逆の、たくらみになります。

 ・・・絵草紙は、人々の心のよすがとして
の信仰の精神に、抽象的ですが背を見せる、
危険がある手段なのです。


    <幼稚な教師とおなじ意味の場合の興業>

     ・・・大人になり切れない一部の人は、子
    供向けの作品を「子供とおなじレベルで」作
    ったりしますが、長い目で見るとそれはよい
    ことではありません。
     むしろ、効果として機能するのは逆で、
     大人、とくに老人でなければこどものこと
    をおもいやったものはできません。

     幼稚な大人がつくったものは、
     制限装置のない、ときにわがままに爆発す
    る子供の喜怒哀楽に、大人の財布でしか買え
    ない強力な馬力のエンジンがじかに接続され
    ています。

     配慮としての良識と、連携のための中庸が、
    眉をひそめるような、巨大で毒々しい表現が
    商売としてたちあがります
     すごいことをすばらしいことだと原始的に
    信じている、庇護されたままの意識は、その
    ようなものを使うと、ひとを傷つけてしまう
    かもしれないことをまだ、知りません。

     ・・・子供です。

     これは、連載絵草紙・動画の商売としての
    構図と一面では共通しているところがありま
    す。
     おもちゃの会社が資金をだしていたことで
    もわかるとおり、商売としてのそれらは、関
    連商品やスーベニールを「長期的に」売るこ
    とでした。
     そのためには、毎回の話がつねに数字が取
    れていることが重要で、神話や哲学としての
    おおまかなあらすじなどは、興業としては、
    前提として、もともとどうでもいいことなの
    です。
    (継続が長期になるにしたがって、中学の番
    長でしかなかった主人公が、いつの間にやら
    「宇宙番長」「次元番長」にステップアップ
    していく荒唐無稽さは、マーケットとしての
    子供を、結果的に、馬鹿にしているところか
    ら、なりたっています。
     顧客としての子供に責任を取らない姿勢は
    とうぜん次の世代の精神の健康を配慮するい
    われはなく、また資金的にもそのゆとりはな
    く、
     業界そのものの抱える幼稚さは、改善され
    ることは不可能だと想っていたほうがよいで
    しょう。

     絵草紙はもちろん絵で表現するものですか
    ら、絵というものがいわば「変数集合の担体」
    (コンピュータ用語です)であることは間違
    いないのですが、
     それを連結することによって総合(機能)
    としての(プログラム)全体を構築、しなけ
    ればならないのに、
     毎回の切り口としての話そのもの、あるい
    は偶像としての登場人物や小道具の、「毎回
    の数字」を重視する(商売としては大事なこ
    とですが)立場が行き過ぎると、
     小道具や狭い視野にだけとらわれがちな、
    偏執症・依存症に親和性が高い人格と、業界
    の、傾向が合致する事態が出てきます。

         筆者の知り合いの知り合いから聞いた話で
        すが、配管や空調部品を連結していわばプラ
        ント流路を延ばす作業で、

         ある工員氏が、のばす部品が一単位ずつ伸
        びていくごとに、固定金具を「渾身の力いっ
        ぱい」締め上げていました。
         途中はゆるめに組んで、あとで全体を見な
        がら調整しなければならないよとの忠告も聞
        かず、あげくどうしてそんなに力いっぱい締
        めるのかという問いに、

        「一生懸命やらなければ仕事とはいえないだ
        ろ、俺がこんなにがんばっているのを、えら
        いひとはきっとどこかでみてくれているんだ。」

         と譲りませんでした。

         案の定、流路最後の工程で、開口が斜めに
        おおきくずれてしまいましたが、固定をこち
        こちに締め上げてしまっているので、修正は
        どうしようもなく、
         結局最初から全部やり直しになってしまい、
        おおきな損失が出たそうです。

         地方出身で、アル中のその人は(おなじよ
        うな失敗を何回もやるので)現場を首になっ
        たそうです。

     ギャンブルのくだりで述べましたが、依存
    症的な精神は、全体に立って俯瞰し、冷静な
    われに返って反省し戦略を立て直す循環があ
    りませんので、人間的な成長にとぼしく、幼
    稚な段階のとどまることもまた多いようです。

     エンスーシアリズム氏が、幼稚なままで女
    性にもてないのは、平賀源内の悲劇とおなじ
    ものでしょう。
     絵草紙業界のなかに多い、脚本にかかわら
    ないデザイナー・特殊効果の氏々のなかには、
    人間的成熟がいかにも、という人は少なくな
    いような偏見を筆者は、持っていますが、こ
    れは、もとをたどれば、業界が古くから、顧
    客としての幼児に媚びることに混泥した結果
    なのでしょう。

     出来上がったものの異常さに嘆息する良心
    のつぶやきとしての、

    「漫画家にとっては、絵が下手なことこそが、
    財産である」

     という言葉は、その限りにおいては、説得
    力を持ちます。

     ある人が「劇画」を嫌っていたことのひと
    つの理由は、過剰表現が適切な本質を害する
    危険があることに気がついていたからなのか
    もしれません。
    「ええかっこしい」が封建的な固陋と結びつ
    くとき、政治的打開としての、泥水としての
    ユーモア(これは、語源的には、だじゃれで
    す。)を拒否することは、一面では生を拒否
    して死を選ぶ意味がありますが、
     それは一個人としての、特攻隊の美学では
    あっても、億万のための生きた政治ではあり
    ません。

     絵草紙は、政治と権力と結びついて、それ
    に利用されるとき、キャンペーンとしてのプ
    ロパガンダ・ポスターになりますが、
     イメージの洪水で押し流すことによって、
    冷静な批評心を麻痺させて、洗脳させる効果
    としてそれは利用され、期待されます。

     ひとびとを分断して、個々に分かれた個人
    をそのような手段で洗脳することによって、
     共有される冷静な幸福と、個人としての美
    学をすりかえてしまいます。

     ひとびとが冷静さを失うほど窮乏してしま
    うと、そのような事態が起きるので、その意
    味でも好景気というものは重要で、またデフ
    レは恐ろしいのです。
     かつて、ドイツと日本でおこったことはそ
    れで、もちろん経済学的な原因は、世界恐慌
    でした。

         *

     また好景気のころの手法を、構造不況期に
    展開するのは、冷静に考えると間違いです。
    のこぎりを逆引きするように、長期的には無
    駄が多く、ビジネスとして再生産しません。

     おそらく、少子化でやらなければならない
    ことが山積みになっているのに、日本にはま
    だまだ教師と絵草紙作家(広義)が多すぎる
    のでしょう。
     せまい独善をふりまわしたままでいると、
    いずれ暴動の標的になるかもしれません。

    ・結果としての悪徳教師=
     結果としての悪徳メディア・広告

    (教師の過剰とは、学校の過剰ということで
    す。
     権威にしがみつき、確かめたわけでもない
    ことを語ることを「のみ」職業にすることは、
    その権威世界に対する免状試験という意味で、
    既得権に対する「媚び」を帯びる行いです。

     金持ちと、土地の占有者という意味での、
    田舎者は既得権の意味では同じ立場です。

     質のよくない儒者が、安易に朱子学を名乗
    り、権威や権力や件曲や権力に媚びることの
    ように、
     業務に熱心でない先生は、生徒を軽んじ、
    自分の立場を保とうとしますので、
    (特にそうなりがちな、生徒が熱心でない余
    剰校は、存在そのものが問われることでしょ
    う。)
     権威や既得権にすりよりがちになるかもし
    れません。

     全入時代とは、いいますが、学ぶ気のない
    学生に媚びて尻尾を振ってまで給料が欲しい
    という感覚が、筆者には理解できません。
     他方、一度教職になってしまうと、雑用の
    意味でその労働はかなりきついものです。お
    なじきつい労働なら、世間には助けを待って
    いる業務が、もっとあるような気もしますが
    ・・・。)

     その意味では、役に立たない語ることだけ
    は饒舌な、「生産された粗悪な」、大学卒と、
     偶像商品を売るために登場人物だけは多い、
    粗悪な娯楽は、

     おなじものです。

     表現好きを説教好きと言い換えることがで
    きるのならば、
     そこには甘やかされた長男長女の過剰に肥
    大化した、自分勝手な自己愛がちらちらかい
    まみえ、悪い意味のその両者はどちらも、

    「論理を都合のいいように我田引水する、固
    陋な体制にしがみつくだけの小さい種類の権
    威主義としての」

     儒者ということができ、歴史の中に普遍的
    に存在していた害ということができるでしょ
    う。

     洗練されたものや、合理的に点検する態度
    に触れてそだった意識からみると、
     日本の興業資本は、歯切れが悪く、風通し
    がよくないように想えます。
     これはそれを作り、仕掛ける人々が、主体
    性を持って世間や自然法則のリアルにまみえ
    た経験が乏しいことによるのでしょう。

     比較的富裕な地方の家庭や金持ちの子弟と
    して育った意識はとかく、密室としての子宮
    のなかでものを作ろうとしますから、
     それは本能に基づく悪い意味での役に立た
    ない観念に、なりがちです。

     また甘やかされてそだった独善が安易な批
    評に傾き、
     作り出すもののなかに、ちらちらと冷笑や
    悪口が、パン生地に混ざったガラスの破片の
    ようにめにつくことがあります。


<文化ではなく風俗である、絵草紙と広告
 :続き>

 筆者は歴史の読本で失笑したことがありま
す。
「大化の改新」をおそらく平安期に表現した
絵巻があるのですが、「蘇我入鹿」が直垂を
着て、寝殿造りにすわっているのです。

 ・・・おそらく知らなかったのでしょう。
 絵巻の書き手は。

 絵巻という形式は、文化という系譜で、漫
画と同種で、またその先祖にもあたります。

 そして、その「こっけいな蘇我入鹿像」こ
そ、こんにちの「絵草紙的表現」がおちいり
やすい危険な、側面にこそほかなりません。

 筆者は書店に勤めていたので、絵草紙作家
氏の大変な労務の日常を伝え聞いた形では知
ってはいます。
 版下としての画稿用紙を仕上げるために、
幾晩も徹夜をするのはあたりまえだそうです。

 そのために取材や熟考はなおざりになり、
ともかく印刷の締め切りのためにとりあえず
の見栄えのよい表現を描き切ることが最優先
になります。
(これは、広告業のコンペも同じ力学が支配
することになるとおもいます。)
 畢竟、ゴシップが氾濫しがちな週刊誌の問
題と同じく、絵草紙の世界も、質や啓蒙的な
内容は二の次になりがちです。

 ・・・つらつらこの年になって、筆者が考
えるに、

「絵草紙作家氏とは、結局工員にしか過ぎな
いんすね。」

 版下屋氏にしか過ぎません。

 どちらが貴賎か、という議論は噴煙まみれ
の喧々諤々にゆずるとして、

 それでもブルーカラーという言葉の半分に
は「自分でプランを立てられない」能力とし
ての悲哀がついてまわるのは実際、現実論だ
と想います。

 一昔前は、絵草紙作家であるということは
恥ずかしいことだったそうです。いわゆるエ
ロチカ作家と同列な扱いを受けていました。
 エロス、ということは、結局定石としての
需要はつねに同じものでありますから、手法
的な技巧があるていどあれば「だれでも書け
る」種類のものです。
(そしてそこそこ売り上げも期待できます。)

 ということは、エロチカということは、話
を編み上げる能力や、取材を芋ずる式に敢行
する力量のない・話を作れないものでも参加
できる、分野と

 同列であるということは、

 絵草紙もまた話が作れなくてもできる職業、
ということになります。
 市井の絵草紙は、過剰な表現を除去すると、
いきあたりばったりの筋しかないのがふつう
です。

 ・・・発想や話題がこんこんと湧いて尽き
ない(ほんとうは、その影には不断の継続が
あるのですが・・)ように見える人は、活字
の方にむかいます。絵草紙形式の版下をいち
いち仕上げていたら、それこそ寿命が千年あ
ってもたりません。

 ・・・こう考えてみると、絵草紙的表現と
は、世間にさらされていない幼児の夜郎自大
がえがく、若さと庇護だけでつくった

「はりぼて」

 になる危険を常にはらんでいます。
 無知と体力が、妄想の張りぼてを作ろうと
するわけです。

「世間にさらされていない」ということはい
わば艱難辛苦好きの、マゾヒズムの美学だけ
をいうのではなく、
「人の意見を効いたり、
 客観的なチェックをした経験がない思い込
み」ということでもあります。

「蘇我入鹿は直垂を着ているものだ」と思い
込んで、直垂像の入鹿の銅像を建て(たとえ
です)て、後日、そうではない考古学的な証
拠がでてきたら、その銅像の建設費としての
負債は、だれが負担するのでしょうか。

「幼稚なおもいこみ」はつねに二度作業が発
生する、負債になる危険がついて廻ります。

(ほとばしる情熱としての過剰な表現が欲し
いのなら、破滅をも含めて、あくまで自分の
責任で行うべきです。個人的にはそれがロッ
クンロールだと理解していますが。ですから、
女王陛下から勲章をもらったり、皇族の前で
踊ったりするのはすくなくとも、ただれた意
味でのアーティストではないでしょう。
 芸術が冒険である、という意味では、ゲー
テが言ったように青年は実験としての人生を
生きるべきなのでしょう。難しいところです
が、基本的にはそこに依存があってはなりま
せん。)

 教職世界のほうでも、たとえば教職的な立
場にあるメディアが、慎重な確認を怠り、思
い込みだけで権柄ずくで報道流布してしまっ
たあげく、

「ごめんなさい」

 ではすまないことがあります。

「本能的に人の上にたちたがる」人格に汚染
されやすいという意味で、絵草紙と教職はお
なじものですが、
 それが社会にかかわる形態というとそれは
広告と報道ということになります。

 ・・・いっけん、些細でしかし深く深刻な
ことは、プロパガンダの苦い教訓として、権
力は、それが冷静で公平な理性を残している
かぎり、その両者とも積極的にかかわっては
いけない、ということでしょうか。

 たいていの絵草紙や広告は、
 自分でつかみとったという意味で言葉とし
てのおはなしを編むことができませんし、
 生産手段や技術開発の苦悩や帳尻決算の試
練も通過していないので、哲学としての本貫
もありません。

 人の心に憑依する無責任な幽霊のようなも
のです。

 絵草紙は、力量不足から、飛鳥時代に直垂
がないことを知りませんでしたが、
 広告という恣意の段階になると、飛鳥時代
に直垂がないことを、知っていて隠そうとし
ます。

 ・・・いつかきた、道です。

 大正論壇は、無知ゆえに欧米との国力の差
を知らず、
 軍事当局は、国力差や客観的な報告を握り
つぶしました。

「こうであったらいいな、」という願いや願
望が、冷静さや客観を踏んだのです。そのロ
マンチックなまでの閉鎖性は、日本文学の中
にある「絵巻・絵草紙性」であり、

 遠く商工業からくる冷静というよりは、
 草深い素封家の観念でした。

「やりぬく気概の本気(マジ)」が大事だと
はいえ、客観的な戦略のうえで正反対の方向
に全速力で駆け出されては、勝てるものも勝
てなくなってしまうのです。
(その意味で、ヤンキーは田舎の文化ですね。)

 ・・・社名として、揶揄は時効なので、ゆ
るしてもらうほかありませんが、

 筆者は「中央公論」という社名は実に象徴
的だと想います。(現在の中公社氏が体質的
に当時と同じ会社であるわけではありません。)

 ・・・文法的に考えると、「中央の公論」
を読む人は、「中央をむいている」のであり、
相対的に、中央には居ない、と帰納できます
(中央区にあった出版社だからという説もあ
ります)

 ・・・つまり、田舎者です。

 国際現実や、リアルとしての商工論理をし
らない田舎者が読者や大正世論の過半数であ
るとすれば、彼らが開戦をとなえたあかつき、
その結末が惨敗になるのはめにみえています。

 筆者の偏見では、草深い田舎の、現実に即
していない妄想としてのロマンチシズムこそ
が「絵草紙」であり、そのたしかめてもいな
いのにジャーナリズムの体裁を演じる絵草紙
とは国際的にみて、日本の恥だとおもわざる
をえません。

 悪い意味の絵草紙と広告には共通点があり
ます。

 絵草紙は、16ないし32ページに収める
ために、また絵でしか表現できないことに内
容を絞るため、
 広告は、かならずしも認識認知で賢くない
大衆に訴え、受け入れさせるため、

 現実やぶよぶよした事実を、枝葉を削り、
蒸して油を抜いて、砂糖をまぶし、

 わかりやすい型にはめて包装紙を巻きます。

 単純化をするのです。

 典型的な、絵草紙と広告の合作とは、洋の
東西を問わず、偏見に満ちた戦時中のプロパ
ガンダ・ポスターでした。
 ものごとを、わかりやすいかたちにするた
め、「焦点としての記号」に収束させ、価値
観をひどく単純化させるため、たとえば価値
観を敵味方・勝ち負けに絞ります。

(植物的な生活力の意味では、本当に大事な
ことは、勝つことではなく、負けないことで
す。その意味でこそ、初めて市民が主人公に
なりえます。
 ただ、勝利の偶像は大量印刷が可能で、利
潤を回収しやすい存在なので、興行は常に資
源としての勝者を「採掘」して、消費し続け
る原理で成り立っています。)

 密室としての耽美になれ、間接的に、単純
化されたものに操作されることになれてしま
った「世間知らずのロマンチックな文学」と
いうスクラムが、太平洋戦争をまねいたので
す。
 ゲーム機の単純な世界観は、ハードウェア
の容量の制限から来るもので、それはあくま
で供給側の都合です。
 前頭葉的なゲームは心理療法として一定の
効果がありますが、それはあくまで現実の世
界がひどく複雑で、またかならずしも薔薇色
でないことに疲れた老人や疲労症の患者に対
してであって、
 無知な幼児にあてがうと、現実の複雑な世
界に対して適応不全を起こす危険があります。
 同様に、桜の園の内側だけの観念では、国
際現実を語る資格もありません。

 ・・・このようなものにまみえて、許され
るのは、認知が未熟な児童だけでしょうね。
(だれもごっこあそびで悪者マントは羽織り
たくないはずなのに→)


<啓蒙出版の衰退>

 時代の奇跡としては、筆者の時代には「学
習漫画」というものがありました。これをよ
んでいる人は大田区池上台の某社を連想され
るかもしれませんが、
 実は昭和30年代中葉には各出版社が漫画
を啓蒙に利用した書籍を多く出していました。
複雑な概念が苦手な自動にとりあえず絵で教
えるという意味でいわば図鑑の一種として機
能していたわけです。
 筆者の記憶では、昭和40年代に入ると、
そのような「硬い」児童啓蒙書は新刊として
は発行されなくなりました。
 いっぽう(世の中が豊かになるにつれて?)
台頭してきたのがいわゆる「絵草紙専門誌」
です。
 それらは、もともと学習漫画雑誌の副読本
のかたちで登場したものが一人歩きをはじめ
た存在、です。
 おとなが読むのに「少年XX」とはなんぞ
やという疑問(笑)の起源です。

(←大人が単純な概念としての「悪者」の存
在をいとも簡単に信じる現象としての「大衆
群像」の原因である幼稚化という病理の始ま
りに、これはなりえます。)

 日本では、(大人が読む学習絵草紙に相当
するという意味での)グラフィックの科学啓
蒙雑誌は苦戦しています。総合出版社でさえ
出しているところはありません。
 日本人は、希求心の意味で、馬鹿になった
といわざるを得ないんでしょうね。
 筆者にとっては、ナショナルジオグラフィ
ックの苦味を帯びた画面と、海外のファッシ
ョン雑誌のvividな切れ味は同じものに感じ
られます。
 ・・・洋書屋に行ったあとに、日本のファ
ッション雑誌をながめると、

「ころころした芋くささ」

 を感じてなりません。その意味ですくなく
とも筆者にとって、「かわいい」は「cool」
ではありません。

 血路を開くための悪徳の美学でももちろん
ありません。

 概念としての「かわいい」はあくまで無力・
無能な弱者がとなえる機能し得ない平和主義
の側面があります。
 ユダヤ人・清教徒的には、先天的な事例を
除いて、無力とは怠惰の積分的結果ですから、
コケティッシュな態度には、狡猾な打算が含
まれるとみなされる可能性があります。

 哺乳類の幼体が可愛く生まれてくるのは、
庇護させる本能を励起させるためであり、知
恵として可愛く振舞うのは、「いじめないで
ね」というサインでもあります。

 しかし、国際社会の現実は、かわいいきぐ
るみを着て、

「いじめる?」

 とたずねると、一斉掃射を受けかねない覚
悟が居るfieldなのです。

 ・・・食肉目の幼体が、よく遊ぶのは、狩
りの事前のシュミレーションの意味合いがあ
るというのはよく流布された説です。
 またハンターになるかれらは、種として、
警戒心よりも好奇心のほうが勝っています。
 大猫(おおねこ)と人間を同列で議論する
のはあやういかもしれませんが、しかし結果
的に、好奇心の強い人間や流行というものは
結果的に攻撃的になる可能性をつねにやどし
ています。

 蘭学が、結局は殺戮兵器としてうけいれら
れたことは、平和主義者にとっては災難以外
のなにものでもありません。

(危険な話題かも知れませんが、シオンの国
が好戦に傾きがちなのは、勉学がつねに戦闘
競争であることと違いの無いことなのかも知
れません。)

 ・・・明治維新は、当時の国際社会に対す
る恐怖で成立しました。

 ・・・逆に言えば、国際社会が、

「日本など、貧しく魅力のないくにだと認め
さえすれば」、

 日本は無理して産業や貿易を振興させる必
要もなく、
 静かに人口を減らして、謙虚で卑屈な封建
制がまかりとおる鎖国の状態に回帰すること
ができます。

 ・・・現在の日本人のもとめている、なま
ぬるい平和主義と、無力感に満ちた向学心の
なさが、現実的にかれらがもとめているもの
だとすれば、
 日本人が今の状態でかわらないことをのぞ
むのであれば、そのすがたがたぶんもっとも
しあわせです。

 ・・・これはもちろん既得権が優先する封
建制ですから、社会に参加する当たらしい世
代でもある若者や子供がつねに苦渋をなめる
世界ですが、
 すくなくとも、現在の社会の傾向はそのそ
のような世界がくることをみなでねがってい
ることにほかなりません。

 現在のわかものもそうですが、

「かわいらしさ」をよそおうことは、エゴイ
ズムにほかならなく、

「やさしさ」はたいていの場合、無関心のう
らがえしです。布施は無責任としての掛け捨
てなのです。

 ・・・普通の国際的な現実的な感覚は、
「力」というものを重視しますから、
「かわいい容貌」は、卑屈な無能としてうつ
ることもあります。)

 絵草紙が上記のようなものだと規定する限
り、大人が絵草紙をよむのは、民族としての
国力の劣化につながります。


<拡大理解という名の勉強>

 ・・・筆者は達成感が満たされるので、自
然科学の被啓蒙にしたしみ、またアマチュア
ながら追試としての再発見も体験しましたが
その遊戯と冒険のもっとも強い武器になった
ものは、論理を考えるための文字としての思
考でした。

 話し言葉を、日記としてなんでも紙に書き
出すのです。

 それは、認識のマグニシファイ:拡大とい
うべき作業でした。

(紙の上の文字を含め)物事を、論理の上で
強迫的に記述すると、無意識にトリガー・タ
グが残っていた関連する記憶が次々に呼び出
され、理解すべき問題の像が、解像度の意味
で細部までみえるように
なります。

 抽象的な言い方ですが、そういう作業をす
ると、

 ・透明なぶよぶよのコロイド・ゲルや
 ・グレーゾーンでしかなかった領域にも

 ・・・構造が見えるようになります。

 光学顕微鏡から電子顕微鏡へ、
 6センチの屈折から、
 事実上100メートルに匹敵する電波干渉
望遠鏡へ

 発展するようなものです。

 そうすると、いままで点でしかないとおも
っていた単純な観念や記号にも内部構造があ
ることがわかるようになり、またその内部構
造が当然示唆することなる組み合わせが、ま
たあたらしい「宇宙とその動的な体系」がそ
の微細世界にもあることがわかり、それはア
マゾンやエベレストに匹敵する冒険と発見で
あることがわかります。

 たとえば、虚数記号@には内部構造があり、
行列で表現すると

  0 −1
 +1  0

 と記述できます。
 世間にでてない文筆家や、親掛かりの地下
劇団の劇団員は、どこかで聞いたような通り
一遍の脚本しかかけませんが、
 それは、経験の少ない彼らが、風景を記号
でできているものにすぎない、とおしえられ
た狭い世界から出ていないことをしめすもの
であります(とうぜんながらそんな陳腐に、
貴重な労働の対価としてチケットを買うこと
は自然法則としてゆるされません)。

「顕微鏡で、花の構造を仔細に点検すれば、
花の美しさが失われるというのは、途方もな
い偏見である。
 花の美しさはそれによってますます深めら
れるばかりなのである。」

 と書いたのは寺田寅彦ですが、

 研究や努力によって、表現に深みが増すこ
とが事実であれば、表現者がそれをなさない
ことは怠慢、といわれても仕方のないことで
しょう。
 その余裕がない、という意味では、職業の
形式としてたとえば絵草紙は時間の意味で即
物すぎます。

 たとえばある脚本で

「かわいい美少女」

 と設定したとしましょう。

 世間や現実をしらないひとは、ここから物
語(ドラマ)を記述することはできないはず
です。

 しかし、

「美少女は、女子同士から無視される」

 と(そういう現実はよくあります)書いた
らどうでしょうか。
 若い女性にとって、美しさや可愛さは、恋
という「パンくい競争」の強力な武器であり、
そのことだけを研ぎ澄ますことは、同性にた
いする「宣戦布告」ともみなされます。
 男性の世界で、実力のある男がやたら威張
り散らすことがはたしてどのような事態を招
くかということを考えるとわかりやすいかも
しれません。

 挙措をもふくめて、美しさというものがあ
るていど先天的なものであるのならば、その
本人は、周囲に配慮する「コスト」を永劫は
らわなければなりません。

 そういうことができないわがままは、たと
えば強欲と演出を前面に押し出すため、恋愛
期の少女からは、

 猛禽類とか、裸亀貝

 とかよばれます。

「かわいこぶりっこ」の悲劇力学とは、こう
いうものです。めはなだちよくうまれてしま
ったものは、配慮と礼儀を永劫はらわなけれ
ばならないのは、まあ、税金です。

 ・・・このようなことを記述できるのは、
(一般像ですが)「美少女」の内面やその周
囲の空間にあるていどの大きさがあるからで
す。

 意識としての恣意や戦略を含め、人格内面
や周囲にたいして論理や感情がある程度の循
環となって渦をなす、それがいわば戯曲の中
では「ドラマ」として記述できるのです。

 その意味では記号(的観念)とドラマ
(としての現実的リアリティ)は厳密には共
存し得ない概念です。

 そのようなことを理解するためには、動的
でわかりにくいからこそいわば徒弟制度的に
現実の背中を見て感じ取るしかありません。

 学校では、精製された記号しか教えてくれ
ないからこそ、専門学校出には、はなしがつ
くれないのです。

 ・・・筆者には、半年前から気になってい
る言葉があります。

 ・絶対矛盾的自己同一
 ・行為的直観(このことばはうろおぼえで
す。「直感」ではないかもしれません。)

 西田幾太郎氏のことばですが
(残念ながら、筆者は難解な氏の著作を読む
時間はありません)
 自然科学の意識としてはなぜこの(氏が発
汗で編み出した造語ですが)が難解であるか
が(属している世界の常識として)わからな
いのです。

 というより、哲学とはほんらい証明と統計
的現実論にとぼしい文学的表現と概念の洗礼
を受けすぎているので、極端な事象の思索に
武器として有効な力をもちえていないのだろ
うなという感想を持っています。

 循環群のような概念のもとでは、たまごと
にわとりはどちらがさきかという問いは意味
をもちません。
 ゼノンのパラドックスは、現実的微積分論
で収束解があることが示されています。

 その観念的不毛さは、観念神学のもとで、
殉教することと、生き残って伝道することと、
どちらが価値があるのかを議論するようなも
のです。
(白い巨塔とも共通する、精神的腐敗として、
もっともらしい議論のカリキュラムを消化す
ることによって、
 信徒から教会税をとるための理由づけとし
て利用することもあったかもしれませんが。)

 量子論のもととなった、不確定性原理は、

(すくなくとも物理学の世界では)物事の関
係性を記述するのには、すくなくともあるて
いどの大きさをもった時空間の広がりを許容
する必要があり、
 究極的な点において数値や概念を記述する
ことはできない。

 というものでした。

 ・・・これは人文的な表現でいえば、

「この宇宙は、真に記号的で純粋な概念や観
念を記述することにはふさわしい場所ではな
い」

 ということになります。

 現実論です。

 記号とは、すべてのことばがそうであるよ
うに、仮につけられた便宜的な荷札にしか過
ぎません。

 ・・・このような、「ことば」や「観念」
が、存在の体重をかけるに値する堅牢な敷石
としての硬さを「かならずしも保障できない
現実」がいわば物理学の現実から「も」つき
つけられたことは、それを知った哲学者にと
っては大問題でした。

「極限的な飢えが求める、絶対的な救済とし
ての唯一の価値」

 のようなものが、ほんとうは存在しないか
もしれない、

 というのは一神教的な理想からいえば、悲
劇としか言いようがありません。

    (一口に一神教といいますが、原始と後期の
    キリスト教がおなじでないように、
     砂漠の一神教と、欧州の一神教はおなじも
    のではありません。

     古代中東の一神教は、素朴に平原としての
    砂漠と広大な星空や青空からくる、広大な世
    界の逆数としての一個人の小ささを
    (関西から見ると、関東平野はそういうとこ
    ろに見えるそうです。)、
     意識するところからはじまったと推測でき
    ますが、

     欧州の一神教は、匈奴=フン族(フィンラ
    ンド)の面的な圧力による、人口密度の圧縮
    による、密室や城郭の中の自己実現と向き合
    うところから始まったとかんがえられます。
     その意味で(アジアから比べれば)欧州の
    精神意識はもともと密室的で、それが修道院
    を経由して、商工業の工房に変化するのはお
    そかれはやかれ歴史の必然だったかもしれま
    せん。

     その意味では、欧州においては清教徒こそ
    がもっとも一神教的なそれであると帰納する
    ことも可能かもしれません。素朴な意味での
    一神教に、家族や(土俗宗教の色彩もある)
    精霊の概念を持ち込んだ三位一体という概念
    は、なじまないかもしれないからです。

     ・・・その意味では、都市の唯一の価値、
    「同胞愛と勤勉」という理念に照らす限り、
    それが一神教的な価値観であるとするのであ
    れば、
     市民であることに、旧教における家族の概
    念がさほど重要ではなくなる意識がありうる
    こともあるかもしれません。

     擬似家族(同性愛者などの)が、自治体な
    どによっては認められつつあることは、その
    ような「現象としての」方向性です。

     これは、都市が修道院的な色彩を帯びた現
    象でしょう。
    (ただ、粘液や本能のよすがを安定として求
    める、人間の弱さを認めている意識からすれ
    ば、それはどこかはかない、寒々しいものに
    感じられるでしょう。
     同性愛者として生きていくことを決めた人
    は、おそらくものすごい強い人か、あるいは
    なにもしらない愚か者のどちらかだと想いま
    す。

         ・・・私感としての独断ですが、素朴な意
        味での同性愛とは、「若い」ということがキ
        ーワードとしてついてまわるようなもののよ
        うにおもえます。

         体だけが成長し、こころはまだ子供のまま
        である不安が、あせりになって、能力や経験
        として長じるものに感じる、あせりとしての
        あこがれが、思慕を通じて愛情に表現される
        のです。

         そこには、「知らない」ということもまだ
        キーワードになることでしょう。

         1 未到達であることというあこがれは、
        到達したあと、知ったあとに自分が今までと
        違った人間になる、ということを知りません
        し、

         2 到達した見晴らし、あるいは知った世
        界が必ずしも良いものでは、
        (人間が、おおむね弱い生き物であることか
        ら来ることです)
         ないということを、知りません。

        (このあたりのことは、「あとがき」でも、
        すこし、触れています。)

             *

         ・・・その意味では、老人の言う「老婆心」
        とは、青春の純粋な同性愛、を自身の苦い後
        悔と諦念のなのもとに否定するものになるこ
        とでしょう。

             ・・・私感的には、恋、というものは、女
            性や女性的な心理が、未熟としての若さの名
            の下に、人間とその社会が必要とする健康の
            ための、機能によって、おこなわれるものの
            ような気がします。

             その意味では、恋愛という事象のもとでは、
            あくまで主導権があるのは「恋するもの」で
            あり、またそれが性愛をともなうものであれ
            ば、「肉体的に受身の側」であるような気が
            します。

             筆者には、男性の能動的な性欲、というも
            のが理解できません。それは、わがままな自
            己から来る不安からくる怒りとしての、かん
            しゃくとしての破壊の衝動と、どこが違うの
            でしょうか。

             筆者は、犯罪心理として、「強姦」という
            ものは、なにもしらない暗愚が、寂しさから
            来るストーカーとして、

            「話をきいてもらいたいだけだったのに」

             相手にされない自我を無視された怒りと、
            火事場泥棒的な、「貧乏くさいついで心」と
            して、あいての服をもいでしまった、という
            ところがもっともありそうなこと、のような
            気がします。

            「犯すつもりでは、なかったんです」という
            のはそういうことでしょう。

             ・・・殺人猿(正確には殺猿猿)(論理的
            な早口言葉)であるチンパンジーの成獣の雄
            の性格とは、
             衝動を充分にコントロールできない、とい
            うことに尽きるのだとおもいます。

             自分の縄張りを犯されるとか、
             自分の人格を馬鹿にされるとか、

            (社会的な立場、という意味では、そのこと
             はおなじことを意味します。)

             すると、

            「かんしゃくを起こし、あいてをぶちのめす」

             というのが、雄のチンパンジーです。

             また、異種との競争や自分の縄張りをまも
            ることが生存に直結するきびしい世界では、
            それは必要な心理機能であるともいえます。

            (動物に、「自分の遺伝子を残す」という高
            尚な抽象観念はありませんから、
             雄にとって、「雌を獲得する」という行為
            は、心理的には縄張りを誇示する心理の、

             拡張オプションでしかないでしょう。

             その意味では、3億年前の爬虫類の段階に
            まで、さかのぼるのだとおもいますが、素朴
            な意味での、男性の性欲というものは、怒り
            の攻撃欲を改良して作られた機能のように想
            えます。

             逆に言えば、それは客観的に原始的なステ
            ージであり、

             人口が過剰になり、社会がデリケートな思
            いやりや規範で満たされてくると、
             衝動を抑えきれないパーソナリティという
            ものは、集合バンドの中では、忌避されるよ
            うになります。

             ・・・類人類の歴史は、つねに絶滅ととな
            りあわせでしたから、衝動的なのと、思いや
            りがある種とのどちらがより、種としての戦
            略として優れているのかは、客観的にはわか
            りません。

             ・・・筆者は、必ずしも頭が良くて繊細な
            ことがすばらしいこととは想っていないので、
            知能が向上することが進化の命題とはおもっ
            ていませんが、

             すくなくとも、ヘラジカの角のように知能
            が向上することを進化の実験として選択した
            われわれの、方向性から考える限り、

             それは、経験を積み、実験をして、その結
            果を次代に伝えていくことを、

            「進化の実験として」

             選んだ方向性の枝の上にいます、

             その定義では、暴力的で衝動的な、猿のよ
            うな男性は、確かに人間的ではない、といえ
            ることでしょう。
            (しかし、人間的であることは、くどいです
            が、絶対的な正義ではありません。)

                 ・・・進化とは、「残念ながら」つねにフ
                ロンティアを目指すものです。

                 アメリカ的な美学によって、「フロンティ
                ア」ということばは「なにかとてもいいもの」
                と多少誤解されているようですが、それは、
                「辺境」という意味です。

                 砂漠、湿地、塩水、極北。

                 ・・・すきでいくところではありません。

                 人々は、自分たちの父祖の歴史を

                「美化するために」:
                「フロンティアを征服したのだ」

                 と、いいますが、客観的な歴史の上では、
                かれらは、

                「フロンティアに難民として、追いやられた
                のだ、」

                 というのが現実に近いでしょう。アメリカ
                の歴史でイタリア系やユダヤ人が名をなして
                いるのは、そういうことです。

                 ・・・フロンティアには、「宇宙」をも、
                ふくみます。

                     *

                 アメリカ人的な文化の意味で言えば、鳥類
                は「空を征服」したのではありません。
                「弱小なトカゲが、空に追いやられた」ので
                す。

                 鳥は、空を飛ぶための体を軽量化するため
                に、大変なコストを支払っています。

                 空気の粘性に対して体を小さくして揚力と
                しての空気抵抗を増すための、小さい体を維
                持するために、
                 体積と表面積の法則によってたくさんの熱
                が失われるために、四六時中食事をしなけれ
                ばならなく、

                 また体を軽くするため、体の中にえさを蓄
                えて、ゆっくりと時間をかけて消化すること
                が出来ません。

                 そのため、旅行などでただ一日えさをやら
                なかっただけでも、「ことり」はすぐに死ん
                でしまいます。

                 鳥で(鳥的な戦略で)成功するとすれば、
                それはプテラノドンや、アルバトロスのよう
                な、自然の上昇気流に乗って、自分で羽ばた
                かないで滑空で長時間空をすべるように適応
                した種のみでしょう。

                 このライフスタイルには、とんびのような
                鳥も含まれます。

                    (翼竜の翼は、血管の通った皮膜ですから、
                    つねに気温が30度程度でなくては体が冷え
                    てしまいます。こうもりがおもに熱帯や亜熱
                    帯に多い理由です。

                     当時の極地からも恐竜の骨が出土するとい
                    うのは彼らの適応力がすぐれていた、という
                    よりも、中生代がかなり全地球的に温暖だっ
                    たから、ともいえるかもしれません。)

                 ・・・ですから、鳥は、進化のポジション
                が「いやでいやでたまらないに相違なく」

                 鳥の一族は、地上の生態系にたまたま空き
                があると、機会を見つけて目ざとくそれを見
                つけ、舞い降りてきて何食わぬ顔で地上種と
                しての、地位の確保と進化をはじめます。
                 渡り鳥を飼いならすと、ごくわずかな世代
                で飛べなくなってガチョウやアヒルになって
                しまうのは、そういうことです。

                     これは興味深い話で、ダチョウやレアもそ
                    ういう肥満化・巨大化した一族ですが、この
                    「出戻りに至る誘惑圧」はそれこそ始祖鳥の
                    生まれた1億5千万年前から続いているので、

                     古代の地層から、走鳥類の骨が出土したと
                    しても、それがかなり時代のはなれているも
                    のであれば、分子遺伝学的にはまったく別の
                    系統である可能性が高い、ということを概念
                    として示すことになります。

                     これは「環境」がもたらした、平行進化の
                    一種でもあります。(有袋類の例。)

                 たとえばティラノサウルスのあごがなぜあ
                んなにおおきいかという、
                (巨大な頭骨をもっていながら、脳をおさめ
                る容積はきわめてちいさく、その頭はむしろ
                負担にならないように軽量化されたがらんど
                うの構造を持っています。)

                 ことは、

                 もちろん退化した前肢をおぎなうための機
                能でしたが、
                 では、なぜ暴君竜の一族は(積極的な理由
                もないのに)前肢を退化させてしまったのか
                というと、

                 面白い仮説として、それがむかし翼だった
                からだ、という話があります。

                 暴君竜の前肢は、つめが二本しかありませ
                ん。

                 指の筋肉の発達も悪く、それでつかんで振
                り回すということも出来ないので、代償とし
                て頭骨のあごが、さいばしのように巨大化し
                た、というのが進化圧だったようです。

                 翼にはもちろんつめや指は必要ありません
                から、暴君竜の先祖が鳥のような生き物だっ
                た時代に退化してしまった、と考えることに
                は、説得力があります。

                 おそらく、ティラノサウルスの先祖はかな
                り小さな鳥のようないきものであったのでし
                ょうが、その持ち前の敏捷性で生存競争を勝
                ち抜き、種族として巨大化していった、とす
                るのが本当かもしれません。

                    (前述の平行進化の意味で、時間がはなれて
                    いるアロサウルスとティラノサウルスは、枝
                    として縁が遠いかもしれません。
                     直系ではなく、うんと離れた系統のいとこ
                    である可能性があります。)

                 ・・・空を宇宙と言い換えると、

                 現実的なはなしとして、宇宙植民地はつね
                に地球のゆたかさをねたんでいて、ことある
                ごとに戦争をしかけようとすることでしょう。

                 彼らは好き好んで宇宙に住んでいるのでは
                なく、
                 過酷な環境にたえかねて、宇宙では合成麻
                薬の闇流通が止まらない、という現実的な設
                定をどこかで読んだことがあります。

                 ・・・恒星間の長期旅行を夢見るのは、や
                はり現実的ではありません。

                     *

                 地球の生命が進化してきたのはべつに(人
                類の)技術文明をつくるためではありません。
                それが目的であった、
                (創造主プランナーとしての神様がいたわけ
                ではありませんが、)

                 わけではなく、

                 ただ、老化としての天体変化として、地球
                の環境が少しずつきびしさをましていったか
                らです。

                 これは、植物のがわからみれば歴然です。

                 寒冷化・乾燥化する環境にあわせて、生殖
                を乾燥からまもり、蒸散が亢進しないよう蝋
                引きの体を作り、
                 寒冷な四季に適応するため、栄養を蓄えた
                越冬子を作りました。

                 哺乳類世界が高知能化していったのは、生
                き抜くために知恵を伝承するためです。

                 技術文明が実現したのは、付随的な結果で
                しかありません。

                (技術の美しさがすばらしいといくら幼稚に
                信奉しても、不良在庫が積みあがってしまえ
                ばそれは恐慌を通じて虐殺戦争に至るだけで
                す。)

                 ともかく、たまたま選んだわれわれの進化
                の方向性からいっても、

                 また哺乳類世界の強制知能化の、傾向から
                いっても、

                 生きるのが苦しいからといって、暴力に身
                を任せたままの段階にとどまるのは、悪とは
                かならずしもいえませんが、変化の方向性を
                逆戻りすることであるのは、客観的事実でし
                ょう。

                 蓄積が多くなったデリケートな世界に住ん
                でいるわれわれの世界においては、すくなく
                とも、エイプの雄のような性格は、

                「破壊するもの」として、忌避されることに
                なります。

                 いいことかわるいことかはわかりませんが、
                サピエンスの雄が行動様式として女性化して、
                結果、社会に同性愛的な、傾向がでてくるの
                は、ある程度当然なことだったのかも知れま
                せん。

             ただ、同性愛的な思慕と蓄積のための平和
            主義というものが、しくまれた、進化として
            仕組まれたものである可能性があるとはいえ、

             それがあくまで無知が好奇心として世界を
            「知るための機能」、の一バリエーションで
            あるのならば、それはあくまで若さ、若者の
            特権ではあることでしょう。

             怠惰でない限り、知る権利は無知のものに
            あるからです。

             このむとこのまざるとにかかわらず、身の
            垢として薄汚れていってしまい、狡猾に成り
            果てた老人が参加する性ではないような気も
            します。

             そのためにはそのような精神性のためには、
            すくなくともその片方に心情として若者が、
            存在しているか、
             あるいは若者の領域とかかわっていなくて
            はならないのかもしれません。

             広義の教職ですね。

         その意味では、異性の影がまったくない、
        年配の同性愛者の一対というイメージに、
        筆者は、肯定的な理解をどうしてももてま
        せん。

                 女学院で、後輩から思慕される年長が日々、
                自分の限界への至らなさに苦しんでいるスト
                イシズムに似て、
                 精神の意味でのそのような純粋な意識を持
                ち続ける生涯はとても苦しく、なおかつおな
                かがすくものです。

                 またカテコラミン核が縮小し、情熱がほと
                ばしるものとしては枯渇する年齢がいつまで
                も、
                 かならずしも紫苑でない世界を、美しいも
                のであれと願い続けることには、
                 やはり人間の世界の力学としてたぶん無理
                のあることでしょう。

                 またそのように純粋にくるしんできたひと
                にとっては、他者から見ては人格的な蓄積は
                また、おおいはずですから、

                「はしかとしての精神の純粋さから」降り、

                 慕ってくれる異性との結婚に、

                「堕落としての妥協として、」

                 ふみきるひとがいるかもしれません。

                 ・・・これは、後退、という意味では、
                 暴君竜や暴力猿とおなじことです。

                 蓄積としてのデリケートな世界を守らなく
                てはならない類人猿としての方向性からいえ
                ば、

                「世界を食い散らしかねないおばさんになる
                可能性のある」

                 女性に妥協することは、太夫にとっては危
                険なことなのです。
                 彼女自身の史実としての人間性はともかく
                として、

                「楊貴妃を殺せ」

                 という声が上がってしまったことは、そう
                いうことです。

                 古風で誠実な感覚からいえば、

                「女色は青年を堕落させる」

                 という意味で、文学に放蕩して軟派になる
                よりは、南国趣味であれといった人もいます。

             その意味で、「少年のような女性」はつね
            に「需要」があります。よき夫婦とは、つね
            に社会の健全性について、関心を払っていな
            くてはならないのかもしれません。
             経験を対話しなければならない必要性によ
            り異性をおもいやる意味で、男性が女性化し
            たわれわれは、哺乳類としてはかなり性差の
            すくない生物です。

             エイプの雄のように、自己制御ができない
            暴力的な男性を「男性らしい男性」というの
            であれば、
             自分のことしか考えず、あらゆるものを傾
            けさせてしまう、悪い意味での「おばさん」
            は、「女性らしい女性」ともいえるのかもし
            れません。

            「知的生物」ということばが、生きていくの
            につねに苦さを感じていなければならない存
            在、という意味では、知的生物であることは
            かならずしも誇らしいものではありませんが、

             しかしそれでもなお、そのような「生まれ」
            に誠実であろうとすれば、

             男性は女性の繊細さを思いやることができ
            る、という意味で女性的である必要があり、

             また女性は、

             わがままがいかに社会を蝕むことであるか
            ということにを理解する必要、

             という意味で男性の世界を考察する必要、

             があるという意味で、
             男性的である必要があります。

             人間(サピエンス)が潜在的に同性愛的な
            動物である、ということは、そういうことで、
            同性愛的傾向とは、かならずしも同性愛者を
            生理的に作り出すためだけにあるのではあり
            ません。

         このような精神性の理想を、一方の極とし
        てあるものと考えた場合、
         だらしなさの結果として、
        「異性からも相手にされない」みにくさを、
        生活と、その反映としての肉体のそれとして
        引きずったままつるんでいるのは、あまり見
        目のよいことではありません。)

         自由社会であれば同性愛に「参加」するこ
        とはまた自由でしょうが、それが建設性で社
        会から認められることとは、それはまた別の
        ことです。

         生まれつきの知能が高くても、
        (たぶん甘やかされた生い立ちによって)
         粘りがないために、他人の批評や悪口にな
        がされてしまう人が、
         いくらきれいなドレスを着ていても、薄汚
        れて見える理由は、それが天から与えられた
        ものにあぐらをかき、広義の勉強という意味
        での努力をしていないからです。

        (逆に、生産的な努力をしている人には色気
        があるものです。)

         それは、他人をあてにし、ギャンブルから
        足を洗えない親父さんと同じく、よそに依存
        している習慣から抜けていないことを示して
        います。

         これは、安易に流れると、青田買いという
        意味で、「他人や若さをいたずらに消費する」
        興業・広告業とその性はおなじで

        「価値を廃棄として消費する」立場の、その
        ようなひとは、
         内側に「ひとを感動させる言葉」がなく、
        みずからは、気の利いたコピーを作り出すこ
        とが出来ません。

         彼らができるのは、金の力で、
        「コピーを買ってくる」ことだけなのです。

        (このようなことが一巡すると、資金を出す
        がわにも、「こだわり」がうしなわれていき
        ます。)

             *

         悪い事例としての、おかまさんとおばさん
        は、世界に対する態度として、おなじ種類の
        生き物です。

        「自分が、守るものとしての」、
        「広義の他者」がないので、
        逆にそのようなものから「愛されていないので」、
        それからくる「ひがみのようなものとして」も、
        (暫定的な欲としても、)

        「我がいたずらに強くなり」、

         興奮すると、大声で叫びます。

      *


「実存主義」とは、無条件降伏の苦さがこも
った言葉です。

 西田先生の言葉にもどりますが、

 意識や概念が「点」でない以上、たとえば
ひろがりのある存在の西と東の端では、それ
ぞれ事象が異なっていることはあるでしょう
し、

 思考や名詞や概念は、「運動の作用」によ
って成立するのは、大脳生理学では自明のこ
とです。

 それは脳や意識が現実的に空間的広がり

 を持っていることからの帰結であります。

 意識は

 感覚器(耳)→頭頂葉→側頭葉→海馬→前頭葉→運動器(声帯)
  ↑                     ↓
  ・←     声(言葉)         ←・

   という循環を作っていて、

 それが思索のときに独り言をいうとはかど
る理由です。日記や手記はいわば紙とペンを
使った独り言です。思索家は、孤独なのです
(苦笑)。
 これが循環である以上、どこが賦活されて
もすべての活性はあがります。
 しゃべれば、順次認識の活性がたかくなっ
て、結果思索的発見を思いつくこともあるで
しょう。

 比較的大事なことは、これはのどや活舌だ
けのはなしだけではなく、ほかの身体的運動
・体操や散歩など(全身の血行に付随して
脳の血行がよくなることもあるでしょうが)
をおこなうと、この循環も引きずられて活性
化することが認められることです。

 身体的運動を「フィジカル・エクスペリメ
ンス」とこじつければ、これは硬い記号的な
観念を経験によって解きほぐす、ということ
もいえるかもしれません。

 痴呆症・認知賞などの研究で使われること
ですが記憶には

「単語記憶」と

「手続き型記憶」

というふうに便宜的に分けられることがあり
ますが、

 生理言語学的にはこの両者は厳密には区別
がありません。
 前者は単語の意味、後者は自転車の乗り方
などの手順を記憶しているところのものです
が、

 すべての言葉とは、発声音の連続ですから、
すべてのことばの原点は、「発声運動として
の」「咽喉運動の手順」として始まります。

 つまり、まず言葉は「発声の手順」として
はじまり、紙に書かれた画像として認識され
るのは、脳の成長したかなり後期、になって
からとみなすべきでしょう。

 その意味では、言葉(とのちには概念)と
はそれを読む時にはかならず人は、(直接声
にはださなくても)該当する脳の咽喉運動野
が活性化していることになります。

 陽電子スキャンなどを使うと、運動をして
いることを想像するだけで当該運動野の血流
があがることがわかるそうです。

 最終的な四肢への出力は抑えられているも
のの、思索中の意識はつねに運動野を明滅さ
せています。
 脳内でスカッシュ・ボールを打っているよ
うなものです。

 これがおそらく(運動)行為的着想

 という表現なのでしょう。

 付け加えていえば、

 固有名詞を除く抽象名詞には、動詞・ある
いは動詞的観念が昇華して観念名詞になった
ものがすくなくないような気がします。

 これは、直接には運動野の機能は関与して
いないかもしれませんが、いわば、運動の力
学関与にかかわる意識に脳が関心をもったか
らこそ、便宜的にも「タグを」つけた結果な
のかもしれません。

 計算機の語彙では、数値情報を格納するメ
モリがありますが、単純に数値を読み出すだ
けでは、感覚器の情報が投射されている頭頂
葉の仕組みとおなじですが、
 外部機器を操作するときの動作は、機器の
デバイスドライバが格納されているアドレス
を叩くことになります。

 極端なことをいえば、どちらもアドレス番
地である以上、プロセッサからみればどちら
も「名詞」です。

 それを読み出した場合、アドレスは必ず数
値を返しますが、それと同時にその番地が関
数的機能を持っている場合には、外部機器や
投射装置に信号を送ります。

 ・・・コンピュータは「印刷性」という抽
象名詞を認知しているかもしれず、それはお
そらく「かれら」の電子的連想は、
 その(プリンターの)デバイスドライバが
存在している番地をめぐる回路であることで
しょう。

 人間の場合はあるいは動詞から出来上がった
抽象名詞を想い描くとき、
 その動作に関連がある特異的運動野や小脳の
部位も特異的運動野や小脳の部位も明滅するの
かもしれません。

 ・・・このようなことは、世界やおおくの
存在が「広がりをもったもの」であることか
ら導かれた帰結ですが、

 その意表をついた妙を知るには、ともかく
も現実を体験するしかありません。

(あるプロ打者氏が安打のこつの説明に当た
って、腰の動きを表現するのに、

「○○○○(陰嚢を表現する隠語)ヒット」

 と表現して周囲の失笑を買ったことがあっ
たようですが、

 それは、安打を打つために必要な腰の動き
が、男性の大事な部分が振り子のようにうご
いたのでそう表現したのでしょう。

 つまり、

 ヒットを打ちたい:前頭葉>運動野>身体(腰)の動き>

 陰嚢が触れていることの知覚>身体感覚野>側頭葉(「○○○○」が動いている!」)

 ということで、この動作手順は

「○○○○ヒット」

 という「抽象名詞」に昇華したことになり
ます。

 動物的直感や身体的表現で活躍するスポー
ツ選手や芸術家の(抽象)語彙には、めのか
らうろこがおちるものがありますが、それは
ひとえに実践がなせるところのものなのでし
ょううう。

     *

 音楽を聴くと、リラックスできることも、こ
のようなことに関連しています。
 歌詞の内容にもよるので一概にはいえないか
もしれませんが、特にボーカルの声がある曲は、
それを聴くことによって、神経は無意識にその
発音をなぞっているので、運動野が明滅してい
ます。
 意識的硬直や、労働による神経・筋肉の緊張
をやわらげるためにはいままで使っていなかっ
た(運動野の)神経を刺激することは効果的で
す。人為的に外部から微弱な交流パルスを送る
と、神経痛が緩和されるという療法もあります。
 それこそ、神経にも「ほぐし」が必要、とい
うことになります。

 広義の「ミラー細胞」的feedbackによって、
ヒトは発声を聞くと、無意識にそれをなぞって
発声しています。最終的に声帯などに出力され
ないので、実際には発声していなくても、です。
 これは逆に、広義の運動野を賦活するこころ
みとして、
 器楽などによってスコアの旋律などをなぞる
練習などをすると、聴者の関連する運動野の領
域が広くなりますから、
 おなじ曲でも、より深く曲を聴くことができ
るようになります。
 これは、陽電子スキャンなどで、血流量とし
て観察できる事柄かもしれません。

 いろいろ現実にはむずかしいことかもしれま
せんが、趣味は、あったほうがいい、というの
は一般的な事実でしょう。

 多少、世界が豊かになります。

 器楽を練習すると、曲を深く聞くことができ
るのと同様に、
 たとえば油絵を手習いすると、展覧会の鑑賞
も、より技巧的なところから考察できるように
なり、またそれはそれで好奇心のより深い呼び
水になります。
 文筆業や哲学者はしばしば無意識で、風景や
事象を「切り刻むように」眺めています。
 外科医は・・・(ご飯時の人もいるかもしれ
ませんので、自粛:笑)。


<単純化に抵抗するススメ>

 福沢諭吉が、その晩年、失意の人だったこ
とはあまり知られていません。
 人々の未来のために、学園を作ったのに、

「どいつもこいつも」

 卒業証書だけを目当てに集まってきて、ろ
くに勉強をしないことを嘆いていたそうです。

(わかいうちしかできないこともあるでしょ
うからむずかしいことですが、)

 個人的には青年淑女はすくなくともあまり
絵草紙や広告芸能の世界に興味をもって欲し
くはないと想っています。

 大人の老婆心から言うと、そこは記号化さ
れて類型化されたとてもつまらない世界です。
平たく言えば、実業ではありません。うかう
かしているうちに消費されて廃棄されること
も珍しくありません。

 野良仕事の基礎をも覚えぬうちに都会に飛
び出してしまった子女は、いずれ

 音楽ディスクや絵草紙の単行本は中古にな
ると二束三文の廃棄物でしかない現実に直面
することになります。

 故手塚治虫氏は、同業他者氏との対話で、

「漫画は(古典としては)後世には残りませ
んよ」

 と語っていたそうです。

 風俗や流行はあくまで文化ではなく、その
意味では、文化財になりえない、ということ
が別の表現なのでしょう。

    「いわれてみればそうだ、」という意味で、
    もちろん氏は戦中派の創作家であるがゆえに、
    (破壊された・滅亡したものを多く体験した、
    という意味で)その世代は、なにが確固たる
    もので、なにが残らないうつろいであるか、
    ということを否が応でも意識に刻み込まされ
    た世代です。
    (その意味で、遊郭が、フロンティア(辺境)
    としての水辺にあり、たゆたう柳が風情とな
    っているのは、象徴的ですね。「風俗」とい
    うものはそのようなはかない消耗物なのでし
    ょう。)

     氏は、おそらく「絵草紙作家であるという
    こと」に必然的な自虐を感じていたはずだと
    想います。

     筆者は、自殺した作家の名前をかんむりに
    した文学賞が存在することにおおきな疑問を
    持っていますが、故手塚先生もおなじく、大
    人の男性がみなひとしく抱いている悲哀とし
    て、根本的には自分の仕事には意味が無いこ
    とを知っていたのだと想います。

         筆者は若い世代にメッセージとして伝えた
        いのですが、すべての賞にはそれを送る者の
        計算とエゴがつねにいくばくか隠れているこ
        とをわすれてはなりません。
         本当にものごとが煮詰まったときは、青年
        は改革を考えなければならないのです。
         この件について、もっとも象徴的な一対は、
        近藤と竜馬の名前でしょう。

         書籍から得た知識でしかないのが歯がゆい
        ですが、竜馬があのような思考をなしたのは、
        家業が商家(質屋)だったこともあることで
        しょう。
         そのような合理的なリアルを知っている身
        からすれば、おそらく「文学」というものは
        固陋で田舎くさいものにうつったのかもしれ
        ません。
         文学が耽美文学を意味するかぎりにおいて
        は、文学とは、「依存」そのものです。その
        意味での文学とは「恋」であって愛ではあり
        ません。愛というものは血の代償を要求する
        もので、それを言えるのは鴎外や三島の名前
        だけかもしれません。

     おなじような事情は、ドレスデン大爆撃を
    体験した喜劇作家のヴォネガットにもあては
    まるかもしれません。

    「人生は、冗談である」ということと、
    「絵草紙は後世にのこらない」ということは、
    ともに芸能が抱える永遠の悲哀です。

 ・・・青春の熱情でしかない部分としての
自慰としての表現は、あくまでヒトの遺伝子
に刻まれている本能の発現でしかなく、
 その意味で絵草紙や芸能がつたえられてい
くためには、

 彼らが遺伝子にもとづく本能として
「分泌した」、実際の経験や冒険にもとづか
ない「作品」ではなく、

 つたえられていくために必要なことはあく
までも、本能が宿る座としての、人間の46
本の染色体でしかないことになります。

「利己的遺伝子仮説」という概念は、読みよ
うによってはうんざりするビジョンですが、
普遍や冒険や継承を考えない種類の悪い意味
でのロックンロールである場合の絵草紙や芸
能とは、

「そのような使い捨ての肉体」としての悲劇
を積極的に肯定する行為に他ならなく、それ
は愛されて育った子女にとってはまちがいな
く親不孝といえるところのものでしょう。

 通り一遍の、絵草紙作家やロックンローラ
ーには、おかわりはいくらでもいるのです。

 人類の過半数が訓練されていない小作であ
る、という封建制の歴史の現実は、大衆の過
半数は、熟練を得ていない「なにもない」本
能だけの存在である。と「文法的には」言い
換えることが出来ます。
 売れすぎる作品が危険である、ということ
は、それが手法としての顧客の「本能にのみ」
訴える作品である、ということを意味してい
ます。
 20世紀としての近代とはいちおう工業の
時代ですが、
 チャップリンのような意味で、小作が工員
に置き換わっただけに過ぎません。

 もし顧客の本能にのみ訴えるということが、
「作り手」の本能や叫びに過ぎないのであれ
ば、その危険とは、

・本能の叫びでしかないのならば、
 おかわりはいくらでもいる

・論理で俯瞰されていないメッセージは
 無責任

 ということができるでしょう。
 残念ながら、これは事実上の「マフィア」
である総合出版社の、よって立つ資金源です。

 ・・・戯曲が神話になるばあい、

「そこからまなべることが多」

 という意味では登場人物はもはや固有名詞
ではなく一般名詞としての概念です。

 これは記号からの昇華展開ともいえるでし
ょう。

 その意味で、戯曲が神話になる場合は、偶
像が概念に変化するため、絵姿から活字にそ
の表現が遷移するものです。
(ですから、ドストエフスキーを現代日本劇
に換骨奪胎することも逆に可能なのです。)

 その意味では絵草紙が、いわゆる人類的・
一般的な「岩波文庫」におさめられて数百年
にわたって継承されるということはなかなか
考えにくいことです。
(ビゴーの鳥羽絵はまだ時間の試練を経てい
ないと想っていますが。)
 その意味でも、絵草紙という形式は、ロー
カルな読者を対称にした、気宇の小さい形式
におもえてなりません。

 ・・・医者の子供にうまれて、すくなくと
も医学が嫌いでないのならば、進学といわな
いでも、薬剤師の免許ぐらいはとっておくべ
きだと想います。

(以下の小項を書くかどうか迷いましたが、)
 ある文豪の娘嬢が、お嬢さん育ちがゆえに
生活力のない老婆になり、ポエティックな妄
想からでられない人格になってしまった話が
あります。
 ・・・法事かお祝いの席でしょうか、彼女
とその弟君が一緒に写っているスナップがあ
るのですが、あるいは氏の本心がこぼれて写
ってしまったのでしょう、グラスを口に傾け
ているそのよこめの視線が、汚いものをみる
ような侮蔑の視線にしか見えなかった記憶が
あります。

 弟君は大学教授になったそうです。

 残念ながら、妄想は実業でも実学でもあり
ません。
 妄想は過剰表現と双子の兄弟ですが、それ
は多くの絵草紙作家・動画スタジオの時間的
背景と収支枠の現実と同じく、

・親や時代が甘やかしてしまったがゆえに実
業でなくともごはんが食えると生い立ちの上
で修正不可能な勘違いをしてしまったこと。

・経費の意味で、予算(前回の売り上げ)に
対して表現がきらびやかでコストがかかりす
ぎると取材や熟慮がとうぜんおろそかになる
ということ。内容が不完全でささやかな哲学
としても機能しなければそれは妄想でしかあ
りません。

 ・・・日本の戦後の工業的復興は、朝鮮戦
争をはじめとする国際歴史の偶然という面が
半分である異常な長期成長の継続でしたが、
それは民族の歴史としては、反動としての不
幸になるようです。
 つまり、衣食住の意味では人間に不要な、

「所得倍増というバブル」

 以降、まるごと1世代以上「華族の子息」
をそだててしまったからです。啓蒙出版が、
単純でわかりやすくしかし底の浅い絵草紙や
芸能と交代するように低迷しているのは、耽
溺が生存本能としての好奇心を経済世相とし
て脇に追いやっているすがたに他ならないこ
となのでしょう。
 華族や庄屋の子息が、弟に馬鹿にされる姉
(?)や玉川上水を半分の意味でふくむので
あれば、

 きらびやかな華族の生活という意味で、あ
こがれてなったはずの絵草紙作家や芸能関係
者は、

 もし巷間のリアルが所得倍増以前の昭和3
5年以前にぎゃくまわしに遷移するのであれ
ば、その精神的なありかたは、その存在の意
義をとわれてしまうことになることでしょう。

 ・・・もともと出版の実需というものはさ
して多くはありません。現在の印刷数の10
分の1ぐらいでしょう。
 戦後、人々の生活が豊かになるにしたがっ
て、娯楽として給料が出版に流れ込むにつれ、
その「印刷数」も増加していきましたが、
 そんななか、合法的にもせよ、引き抜きと
のっとりで急成長したのがいくつかの戦後の
総合出版です。

「ものまねでなにが悪い」という意見のむき
もあることでしょうが、後発あるいは後追い
のおちいりやすい悪い事態とは、それが先発
の成功した面だけしかみていない場合が往々
にしてあることでしょうか。
 後追いの人のものまねは往々にして「利益」
に重点が置かれているので、その場合、それ
のみで人を引き止めているので、
 利益割れが起これば、事業の継続も難しく
なります。

 模造品としての偽物は、そのモチベーショ
ンが利益のみですから、使命感の欠落という
意味でははどうしても品質は悪くなります。
 偽物の製作については、経費上外見が優先
されます。深部や細部は、(経費としての手
間を惜しむがために)軽視されます。

 生命は自立的存在であるという意味で「本
物」ですが、生命の起源は、まず深部の反応
とその改良から始まっています。
 脊椎動物の発生は、まず原腸と背骨を作る
ところから始まるのです。

 紳士や太夫であることと使命感が同義であ
るという意味では、利益に対する羨望として
のみはじめられたものまねは、猿真似である
ということになります。
 ここでの「猿」とは、阿Q正伝とおなじ意
味で、「精神のある人間ではない」という意
味におちつくことでしょう。

 童話の「はなさかじいさん」のおとなりの
じいさまが結局どうなったかということは、
やや説教くさいですが、含蓄ではあります。
 いわゆる成功者は、副産物で成功したよう
に見えているだけで、たいていの場合、もと
もとの動機や願いはべつのところにあったと
いうことがむしろおおいのだとおもいます。


    <単純化のしがらみの例としてのギャンブル>

    (これは、精神の態度として、ギャンブルに
    陥る心理とおなじものでしょう。
     ギャンブルの万馬券とは、大量の敗者の痛
    みの上になりたつものだという深い構造から
    目をそむけるときにのみ、浅薄者にとってそ
    れは、とてつもなくきらきらしたものに見え
    るのです。
     しかし、全体の構造はもちろん上記のとお
    りですから、それを願望として認めたくない
    心理のままでは、際限なく胴元に薄給を吸い
    上げられるだけです。(情熱が、そのような、
    loopに陥っているひとは、エネルギーをあま
    り仕事にまわしませんから、熟練の意味で、
    お金をかせげません。)

     その意味で過剰なギャンブル依存、という
    状態は猿真似をする猿とおなじ意味で、

    「精神として人間ではありません」

    (これはすべての依存症についていえること
    がらではあることでしょう)

     ・・・個人的な見解ですが、人口過剰な地
    域や国でギャンブルがあることは、あまりい
    いことではないかもしれません。人口過剰な
    ところでは、親から愛されなかったり、基礎
    的な教育をうけられなかった人が、判断力・
    自決力の意味で「低能力」のままでとどまり、
    ある程度多くの数が一定の層として存在する
    ことになります。
     そんな人たちは、ギャンブルの例のように、
    視野のせまさからくる、循環的な不毛な不幸
    からなかなかぬけだせません。
    「競馬は紳士のスポーツ」だそうですが、そ
    れは実態として、日本ではあてはまらないか
    もしれません。


        <単純化に陥る原因としての人口過剰と封建
        制による精神のまずしさの不毛>

         ・・・封建制とは、生産性の限界まで人口
        が充満・充填した世界ですから、上記の条件
        に合致します。
         またゼロサム社会とは、リストラを押し付
        けあう末期の会社のことですから、甘いこと
        を考えていては現実生き残れません。
         構造として、累々たる死骸の上に立つ勝ち
        馬券と、(しばしば自分より、ましだという
        アピールのためにされる)多く他人に対する
        悪口でもある批評は、おなじものであるとに
        気づかされます。

         封建制の原則とは、他人を否定し、そのう
        えにたつことです。
         表面的な平和は、相互監視という緊張感の
        結果にしか過ぎず、共同理念の共有が無い封
        建制のもとでは、平和の陰にはつねに陰謀と
        差別が存在しています。
         封建制とは、実は平和な牧歌趣味では決し
        てなく、冷凍された戦国時代といっていいも
        のです。
         ですからすべては実は、実力主義の世界で
        あり、こんにちのように弱者がすがるよすが
        としての法律などは存在しません。封建時代
        の法律というものは、実力者である王が
        「おしつけた」欽定法であることをわすれて
        はなりません。

        (大岡越前の「公事方御定め書き」は、愛の
        中で育った世間知らずの高校生には理解でき
        ないかもしれませんが、実は非公開の法典で
        す。

         経済政策としてなかなか内需拡大が進まな
        いことは、日本に美徳として防備としての貯
        蓄の伝統があるからですが、

         反面、民衆のだらしなさとして「種籾さえ
        春までには食べてしまう」という半面の現実
        は、残念ながら大衆の半分が権力的・権威的
        な支配をうけなければならないことを意味し
        ます。
         給金が次の支払日までもたないひとは、誰
        かに管理されなければ生きていけません。

         無制限な自由というだらしなさは結果的に
        「被支配を要請」することになり、それがま
        た封建制の半分の面であることも、歴史的な
        事実です。
         だらしなさとは気楽なことですが、それは
        反面人権をある程度放棄した態度であり、逆
        に近代的な人権とは、それなりに緊張感のコ
        ストがかかった「ただではない」態度だとま
        たいえることでしょう。

         このような状態では、為政者あるいは盟主
        議長が、

        「よらしむべし、しらしむべからず」

         と唱えたとしてもそれはいちおうの理があ
        ります。
         だらしなさには議決権は無く、
         また庄屋のあととりは早いうちから現実論
        と帝王学をまなぶ義務がある、ということで
        す。文学に耽溺するなどとんでもないことで
        す。(絵草紙産業のいいお得意様は、地方の
        子弟だという構図は、象徴的です。)


            <暴力としての需要開発>

            (需要が無いところに、需要を作るというの
            はいわゆるバブル期に言われた言葉ですが、
            当時は日本に投機マネーが集中し、大量の融
            資が「運用」をもとめて商工業、とくに興行
            色の強い産業に流れ込んだ時代でした。
             当事者氏は、衣食住においてはほぼ飽和し
            ていた社会市民市場に、なんとか(事実上本
            来役に立たないものに対する)購買意欲を惹
            起させようと必死でした。広告業の黄金期と
            もいえたことでしょう。
             意外なことに聞こえるかもしれませんが、
            いわゆるバブル期には、ものは売れなかった
            のです。必死な企業の外商は、広告マンに平
            身低頭をしていた時代でもあります。

             このような時代では、いわゆるものづくり
            も利便性を削り上げた製品を作り出し、本来
            の創意工夫、開発就業にもっとも必要なそれ
            を市民から、鍛える機会を奪う、という形で
            だめにしました。
             融資は企業にも流れ込み、本来業務が完逐
            していなくても、給料が満額出る悪しき状態
            は、義務よりも遊びが優先された時代でもあ
            ります。タクシーの行列と、当時登場したゲ
            ームマシンは、風景として象徴的でした。

             ・・・満ち潮が引いたとき、残ったのは、
            工夫する力を失った、低賃金の市民でした。
            過剰融資は結果、労働意欲を破壊したのです。
             好景気・不況下を問わず、「需要を作る」
            というひびきには警戒感が必要です。それは

             歴史の汚点、アヘン戦争が実に象徴的です。

             それはつねに結果的にもせよ、破壊がつい
            てまわります。
             相場が単調であれば、利益を急ぐ投資家は
            企業の内部で花火をしかけ、その健全な経営
            を破壊してまで、相場をおしあげようとし、

             娯楽への耽溺は勉強をしなくなる、という
            意味で子供の将来を破壊します。

             筆者が絵草紙に対して抱く一抹の懸念は、
            大正時代の耽美文学にむけられたものとおな
            じく、子供の将来を案じるかつてのPTAの
            親御さんの心配とまさに同じものです。

                 ・・・市ヶ谷氏が玉川氏を嫌っていたのは、
                巷間と後世に対する責任感からでおそらくあ
                りました。

                 逆に考えてみれば、「傾城という自然現象」
                はいずれかならず起きるものであり、また田
                舎の固陋な既得権が破産によって開放されて
                循環するのであれば、それはアダム・スミス
                的には経済の健康に寄与するのかもしれませ
                ん。
                 暴力証券においては、論拠が正当であるか
                否かだけが問題なので、問題のある既得権
                (企業や組織)の問題を公表流布することに
                問題があるのではありません。

                 贅沢品の問題点とは、庶民が背伸びをして
                そのような身の丈にあわない耽溺をすること
                にあるのであって、

                 金持ちにそれを買わせて資金を巷間に引き
                出し流通させることは、むしろ贅沢品の経済
                学的な意味でのよい機能です。
                 その結果、旧家や貴族が破産して没落する
                ことそのものには、経済学がなんら良心を痛
                める理由のあることではありません。
                 跡取りを躾けられない自己管理の出来ない
                団体は破綻すべきなのです。

                 筆者の旧知に、世間経験もろくに積んでい
                ない、絵草紙作品で、そだった子供部屋がい
                っぱいになっている中年氏がいます。

                 彼はおそらく、家を引き継いだら家を担保
                に生活するので、おそかれはやかれ屋敷を失
                うでしょう。
                 他人の意見に耳を貸さない彼に親御さんも
                さじを投げていますが、原因をいえば、かれ
                を育て間違えた親御さんが悪いのです。

                 たとえば芸能や絵草紙産業が、悪の存在と
                して糾弾されることを避けるのであれば、
                 それは庶民に耽溺の毒を散布することを防
                ぎ、滅びるべき愚かな金持ちをのみ破壊する
                ために、その商品の価格をかなり高めに設定
                するべきなのかもしれません。

                    (視聴するのに6時間かかる商品などはまさ
                    にそういう種類のものでしょう。
                     見る時間がないという意味で、ふつうに労
                    働している社会人にとって、それは売れませ
                    ん。
                     販売益を回収できないという意味で、
                     それは広く浅くという意味で巨額の利益を
                    上げるためのビジネスではありません。

                     ・・・これはマーケティングをしていない、
                    という意味で、作り手側と購買者が、社会階
                    層でかなり同一の存在であることを暗に示唆
                    しています。

                     金持ちがつくった金持ちのための商品、
                    (ただし世間知らずが作っているので、その
                    内容は、一般的に人身心に対して希求心を訴え
                    ることがありません。)
                     であるのならば、その価格は、ひと箱数万
                    円でもまったくかまわないことでしょう。

                     もともと狭いマーケットなので、ビジネス
                    としてはあまり関心をもたれません。)

         そういう意味では、奴隷制度とは半分は奴
        隷そのものが望んだ状態であり、奴隷制度が
        封建制であると解釈する文脈においては、封
        建制は大多数の民衆が望んだ制度だともまた
        いえるわけです。
         ときどき、政権のきまぐれにより、理不尽
        に翻弄されるとはいえ、封建制そのものは
        「おおむね」気楽に暮らしていけるしくみで
        はあります。「おおむね」ではない弱者や少
        数派もいわば部分的な悲劇ではあるでしょう
        が、かれらは「少数派」であり、おおむねに
        は含まれません。その意味で、封建制もまた
        「多数決」が支配している「民主的な」状態
        とこじつけることもまた可能なのです。)

         また防衛として固陋なまでに既得権にしが
        みつき、ものごとを変えるということに、抵
        抗を神経症的なまでの恐怖のもとにおこない
        ます。

         個人的には、言葉としての悪い意味の三種
        の神器として、

         ・封建制
         ・賭博
         ・悪口(安易な批評)

         はトリプレットになるようです。
         ・・・都市が、生き残るためにしかし建設
        的な教育をうける場所だという意味では、視
        野をせばめた結果としてのそれ、他人の不幸
        を望むこれらは、とても田舎くさいものだ、
        といえるとはおもいます。

        (田舎がおおらかだ、ということは一面の真
        実ですが、石田三成のような意味で厳密であ
        ることがおろそかになるということは、時系
        列、空間構造的に前後左右を考える習慣が無
        くてもいいということを意味するかも知れな
        く、
         その意味で破綻や、結果的に弱者の迫害に
        つながることに田舎は親和性が高い、ともい
        えるかもしれません。

         破綻とは、未来を予測することに対してお
        おらかであることの帰結であり、
         虐待や迫害は、結果としてそうなることに
        対して意識をそらせればいいからです。

         その意味で

        「おおらかであること」は、

        「かたくなに意識をそらせること」

         という固陋と同義です。

         私感では、固陋とは、愚かな習慣に育った
        者が取らざるを得ない不幸な生涯です。その
        結果、あとから後悔するという意味では彼
        らはギリシア神話のエピメテウスです。
         田舎が、馬鹿でも生きていける、こころあ
        たたかい場所、というのは一面の事実かもし
        れません。しかしそれは歴史を見れば瞭然な
        ように、それは破綻や暴力の隣に住むという
        ことを代償にします。

        「阿部一族」はそういう小説です。

         そして、田舎がいつまでもよくならないの
        は(定義からいえばこれは自己矛盾です。愚
        者が多数者として治めている領域を田舎とい
        うのであれば。)、そうではない聡明な若者
        がつねに、「象徴としての名古屋」に流出す
        ることがとまらないからですね。

         その意味では「名古屋政権」の官僚となっ
        たかつての若者が、田舎をなかば強制的に締
        め上げている構図は、ことの是非はともかく、
        当事者の感情としては、文化的な怨念の感情
        があることなのかもしれません。

         田舎が住みやすいということは、厳密に点
        検する限り、半分は間違いです。)


<単純化に抵抗するススメ:続き>

 総合出版社は、戦後の好景気の時期に成立
し、利益の約束を前提として、社員を雇って
いるわけですから、悲壮な意味での道楽出版
社にくらべて、その組織の比重はかるく、ま
たもろいものだと、考えられます。不況時に
おいてもそれぞれが自身の家族の生活を、最
優先させなければならない一般的な会社人と
おなじく、
 総合出版社も烏合の衆の集まりであると仮
定すると、組織間で横断的に活動的で有機的
な連絡をすることはまずないとおもったほう
がいいかもしれません。
 企業の概念とは、プラス成長の環境下で協
力しあって能率と改良の成果をあげることで
すから、
 ゼロサムのなかで、みなが首をすくめてリ
ストラの木枯らしをやり過ごしている状態は、
事実上企業の組織が機能停止し、崩壊のたそ
がれを待っているすがたですが、
 それが総合出版社でも起こるのでしょうね。
もちろん品質という意味で、読者も踏みにじ
られることになります。

 絵草紙も、好景気の娯楽需要を背景として
成長したわけですから、時代の要請としては、
 総合出版という形式と、絵草紙という風俗
はおなじものだといってもかまわないでしょ
う。

 おそらく元には戻らない構造不況の中で、
総合出版社は、じぶんのはらわたの体質でも
ある絵草紙という形式にすがろうとしている
ように見受けられますが、
 しかし絵草紙も娯楽である以上、大規模な
うりあげをあげるためには小手先の工夫だけ
ではどうしようもないことにいずれ気がつく
ことになるはずです。
 景気がよくなければ、娯楽など売れないの
です。

 巨人としての総合出版は、所得倍増時代の
バブルとしての好景気の時代の、みずぶくれ
した蜃気楼でしかありませんから、

 いつの日か雲散霧消する運命です。

 欲でつった烏合の衆としての、帝国末期の
ゴーレムとは、西の端と東の端とで会話など
できてはいませんから、

 ・・・自分のうちに抱える、乞食としての
啓蒙部門が娯楽部門にアドバイスすることな
ど期待すべくもありません。


<必要悪としての風俗としてのメディア>

 またいっぽう、

 高度経済成長のその絶頂期からくらぶれば、
教育と勉学が商工業の意味において、労働者
の利益になりにくくなる傾向は縮退経済の中
ではどうしようもなく、
 ひとびとは、行間を読む論理的思考からそ
の意識を次第に乖離させるようになります。

 論文よりも文学、文学よりも絵草子という
方向性が定着することは仕方のないことかも
しれません。

 また、低成長化経済では、婚姻と子育ては
かなり負担の重いことになりますから、就職
しにくい、妻子を養いにくい時代においては、

    (私感ですが、もともと女性の雇用というも
    のは、実学骨太の産業や作業にはなじまない
    ものです。「コピーとお茶くみ」という悪い
    言葉がありますが、その雇用は、好景気の時
    代の婚姻予備軍

        (ある意味では家族をその存在もろとも企業
        がまるがかえしていた今考えると、桃源郷の
        ような構図ですが、)

     の概念を別にすると、

 企業内部のよくきがつく繊細な潤滑油とし
ての機能を、
(それこそ輝水鉛鉱や石墨の層と電子が期待
される、)
 期待されていたことが、「オフィスに花が
ある」ということばの、情報力学的な表現な
のかもしれません。

    (いわゆるインテリの男性に同性愛者がおお
    いことは、ある面で知能と女性的であること
    はおなじであることを示唆します。

     側頭葉の領域である認識のほうではなく、
    思索的行動を制御する前頭葉連合やのはなし
    として、上記の意味での知能とは、行動や二
    命令を送る領域の連合や神経における多層構
    造としてのバッファリングの膨大な集合のこ
    とです。思考の半分は、「これからなにをな
    すべきか」ということにたいする準備段階と
    してあまれる限り、それはつねに前頭葉に属
    するものです。
    (多層バッファリングニューラル構造は、特
    定の条件に反応する神経細胞を学習として誘
    導します。

     その意味で特定の条件に反応する

    「おばあさん細胞」は側頭葉、

     他者に対する共感、特に自分がすることを
    他者がどう受け止めるかということに関係す
    る、

    「ミラー細胞」

     はおそらく前頭葉の働きに多くを負って成
    立した被指定細胞であろうと推測できます。
     ・・・環境、あるいは先天的条件により、
    これら連合野の発達が悪いまま成人してしま
    うと、自分の状況がわからず、また他人への
    想いやりを多く欠いた人格が成立してしまい
    ます。
     このような人々は往々にして、集団から排
    除されるので、社会の最下層に多く沈殿しま
    すが、それがなかば習慣的に固定されてしま
    っているので、なかなか矯正は困難です。
    「なんとかは死ぬまで直らない」というのは
    悲しい事実です。

         化石人類であるネアンデルタール人(ホモ
        ・サピエンスの亜種です)は「後ろ」のほう
        に発達が寄った脳をもっていました。
         そのおもさはむしろ現生人類よりも大きな
        ものをもっていましたが、
         中央溝よりも後ろの半球が発達していまし
        たから、認知と記憶がまさっていた種族、だ
        ったのかもしれません。

         感情を制御したり、

            (感情を制御するということは、感情的衝動
            行動を抑制するということです。むっとする
            状態で心理をとどめておける機能のことです。)

         人間関係や世界観を深く洞察するのは、前
        頭葉の役割ですから、その発達が解剖学的に
        みられない彼らは、やや衝動的な種族だった
        かもしれません。

         かれらはあれこれ考えないでしょう。
         ネアンデルタール人は、

        「ナヤンデルタール人」ではないんでしょう

        ね(おそまつ)。

         それは、むしろわれわれです。妄想や哲学
        はサピエンス・サピエンスのものですが、そ
        れが幸福であるかどうかはまた別の問題です。

     また、制御とは、半導体がそうであるよう
    に、電子の挙動とと配線の巧妙さによるとこ
    ろのものですから、繊細な配線と微妙な電位
    をあやつることができる女性の完成と生理的
    神経は、

     無駄と破綻をまえもって知る、制御として
    役に立つ反面があります。

     繊細さと慎重さによって高次にあまれるこ
    とに成功した前頭葉は、牧民官として人の上
    にたつ官僚や将軍になる資質があります。
     プロメテウスです。

     プロメテウス族に同性愛者が多いことが、
    もし普遍であるとすれば、これは有意な創作
    としての神話かもしれませんね。ローマの賢
    帝時代を連想しますが。

    (いま、ふとプロメテウスの性格属性は、北
    欧のオーディンに似ていることに気がつきま
    した。
     知ることの痛み:感受性が強いからこそ多
    く知ることができるのですが、だからこそ自
    然法則の皮肉や社会の不条理にかれらの気質
    はつねに痛みを覚えるのです。
     つるしびとと肝臓をついばまれる腹部の痛
    み。それを乗り越えることができたとすれば、
    それはマゾヒストになった、ということでし
    ょう。・・・教職に性的逸脱が多いらしいこ
    とは、どうやら、両性を問わず事実なようで
    す。)

     そういう意味で人類にとっての重要な財産
    をもっている女性のその繊細さですが、

         男性の構造的
        (安全装置という意味でものバイアス回路が
        あるので、感情的気晴らしが可能という意味
        での、)
         図太さを、繊細で直接接続の女性は、y染
        色体的に持っていません。

    (・・・図太いおばさんは、先天的あるいは
    破壊したという意味で、繊細さが無いという
    意味で「馬鹿」の一種とみるべきでしょう。

     彼女は資産に恵まれていれば、思考する必
    要が無いので、必要な繊細さの議論の外にあ
    ります。
     思考の結果としての愛を意識する必要のな
    い彼女にとって、たとえば伴侶さえも生命保
    険の意味で資産にしか過ぎません。これは、
    長い目で見れば損をするのがわかっていても
    ギャンブルを止められない、意識の低い男性
    のおろかさとは、おなじ馬鹿とはいえどもそ
    の立場が反対になるものです。

     むしろ前者は品格の問題、
     後者はもちろん破滅にかかわる問題です。)

 同性愛者の男性と違って、ものごとの構造
を把握する能力にとぼしい一般的な繊細な女
性は、
 策略だらけの男性の世界では、ひとりでは
生きてはいけません。

 ・・・ゼロサムに近い低成長の世界で、結
婚できない女性がいきていくためには、
「同性同士で」連帯や組合を作るほかありま
せんでした。
 かつての大奥は、「師匠供給装置」として、
女性文化の家元として、かれらの福祉に役立
っていた側面がありました。

 現在、結婚しにくい女性が、手に職をつけ
ようとすると、美術(デザイン)・音楽系の
訓練を受けてそのような扶桑のスタジオには
いるという道があるようですから、

 需要として、勉学しない消費者が買うとい
う反面、
 また供給として絵草紙産業は連綿として
「だらだら」作品を出力し続けるのです。

 これは、しかたのないことなので、筆者は
それを松平定信や旧ドイツ社会労働党のよう
に「退廃」として糾弾することはしたくあり
ません。
 ただ、そのなかにある一個人としては、構
造的な戦略を理解する意味であまり積極的な
態度では無いとは、想います。

    (付記: 自動車会社が、水素燃料電池車に
    舵を切った件ですが、研究レベルでは内燃機
    関技術を完全には放棄しないとは想います。
     この項を途中まで書いていて、住友と一緒
    になって間伐材から燃油精錬の研究をおこな
    っていた件をおもいだしました。)

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====================

 6 光合成とマンガン

====================

 この項目では、おもに光合成の明反応につ
いて

 光合成の明反応は、呼吸鎖電子伝達系と共
通の先祖を持っているようです。

・酸素の伏魔殿

 ふつう、酸素がないと動物は死んでしまい
ますから、酸素は「善意の物質」とうけとら
れているむきもあるかもしれません。
 商品のコピーに「O2」とつけたところで、
悪い連想をもつ消費者氏はいないと想います。

 しかし、化学をすこしかじったひとならば、
酸素というものがとんでもない悪役であるこ
とを知っていることでしょう。

「硫黄の時代」は、生化学の世界は平和その
ものでした。ありとあらゆる反応が許され、
自由闊達にそれぞれの産物は平衡を行き来し
ていました。
 しかし、環境に酸素が「高濃度」に登場す
ることになると、化学反応のあちこちで「炎
上」が起こり、いくつかの重要な反応におい
ては、その毒ガスから反応をまもらなくては
ならなくなったのです。

 酸素は、光量子により(植物によって)、
つくられました。

 その意味では、

「硫黄の時代」は「闇の時代」です。

 やや物理学の観念になってしまいますが、

 生命とは粘液という意味での液体の子孫で
あり、液体とは結晶にくらべてエントロピー
に富むものです。

 ・・・シュライデンガーの言葉を借りれば、
そのエントロピーに富む「デバイス系」にエ
ネルギー流路圧をかけた結果に、生命がうま
れました。
 その意味でわれわれはみなエントロピーの
子孫ともいえ、
 また滅亡の象徴であるエントロピーを先祖
のひとつとして・体内の機能として、
 持つわれわれのなかには、潜在的に悪とし
ての堕落がひそんでいるともいえることでし
ょう。

     司馬遼太郎氏が(そしておそらく家康も)、

    「政治や大衆のなかに潜んでいる悪液質のよ
    うなもの」

     と感じていたものは観念的には、おそらく
    根本的なそれとおなじものでしょう。

     人々は弱い存在ですから、妄想としてのシ
    ンボルをつねに想い描いています。
     それが魂のはいっていない泥人形であると
    き、しばしば「芸能アイドル」と揶揄される
    偶像が作り出されますが、
     その安易な選挙がドイツ社会労働党の結果
    だとすれば、残念ながら民主主義も万能のシ
    ステムとはいえないことは現実のようです。

     司馬氏が、やや諦念を込めた言葉として、

    「ひとびとが人間らしく暮らせる社会とは、
    英明君主の下にある立憲君主制しかないので
    はないか」

     と言っていたことは、20世紀の悲劇を
    みれば歴然かも知れません。
     それは君主のあるていどの権力を認める、
    といういみでは、封建制であり、それは、

    「風通しのいい封建制」

     となるのかもしれません。
     よく機能すればの話ですが。

     現代のシステムの上で、それを実現すると
    なれば、たとえば国会議員が人々の希望をあ
    つめる対象として、

    「侯爵の誇り」

     をもつことが大切なのかもしれません。

     家康が結局は封建制を敷いたのは、そのよ
    うな人間・巷間の液体的な現実を知っていた
    からなのかもしれません。
     家康は、中国の古典について勉強をしまし
    た。四千年の歴史において、

    「逆境において、人間がどのようにふるまう
     のか、」という記録です。

     牽強付会ですが、三成が家康に敗れたのは、
    三成の哲学が都市の商工業者として、机上の
    清教徒主義であったことによるものでしょう。
     田舎者の立場に立ってよく言えば、清教徒
    主義には「おおらかさ」がありません。

         規範主義が排他的になり、いきつくさきに
        虐殺になるのだとすれば、信長と社労党はと
        もに、都市の商工業者の思想とまたいえるこ
        とでしょう。
         信長がやぶれるべきロマンチストであった
        ことは、うすうす当人も知っていたかもしれ
        ません。そうでなければ「敦盛」を舞ったり
        はしないと想います。

         信長と蘭丸と三成は、思想的には官僚事務
        員です。

         また、ドイツの悲劇においては、都市住民
        とはいえ、ユダヤ人は機械化商工業者とみな
        されなかったからなのでしょう。
         勤勉はともかく、資産家のイメージは、恐
        慌においては、憎悪の対象でしかなかったこ
        とは、想像に余りあります。

         その意味では、フランス革命が、地主に対
        する革命であったとすれば、
         社会労働者党独裁は、事実上の資産家に対
        するドイツ革命でした。

         ただ、テクニックとして、

        ・「共産党は貧者のみかたではない」
         として困窮労働者を取り込もうとし、

        ・連邦国内を統一させるために、資産家への
         憎悪を少数民族に対するものへすりかえた
         のだと想います。

        「広告の暴走」は、
         まさにおそろしいものです。

             *

 寺田寅彦が「物質の中に瀰漫する生命」と
いったことはおそらくおなじことです。

 準デカルト的に、空間が物質で満ち、それ
がしばしば粘度を持って対流するとき、

 そこにはしばしば構造が生えてきます。

 ここではエネルギーの流れは、対流を維持
させるためとして働き、
 またその構造は、コロイドやパイ生地が折
りたたまれたような(小胞体の)膜構造とし
て、

「若干のエントロピーの乱雑さ」

 をとりこみながら成長します。

     ・・・1980年代に、5回対称の結晶で
    ある準結晶が発見されたとき、理学の世界に
    は衝撃がはしりました。
     若干のエントロピーを取り入れた結晶が、
    しかし安定に存在できることがしめされてし
    まったのです。

     エントロピーを構造のひとつの重要、とし
    てとりいれながら、しかし安定に存在できる
    準結晶は、

     こじつければ、われわれにちかい存在です。

     準結晶は、正十角柱、あるいは正十二面体
    として結晶します。

     ポップスの世界では、しばしばロックンロ
    ールは不良の音楽であるとされますが、
     世の規範から背を背ける、破壊に近い無頼
    のその表現は、

    ・虐げられるものが生きるための無頼、

     であると同時に、

    ・甘やかされたぼんぼんの、
    (甘やかされた結果の無能から来る)、
     拗ねが結局は親と社会に対する甘え。

     という異なるものがおなじカードの表と裏
    になっています。

     ・・・キリスト教的な時代の地下組織も半
    分は、どちらかといえば革命のための物騒な
    団体などではなく、おもての教義のかたくる
    しさの息を抜くための秘密クラブのような組
    織の色彩がありました。

     そのためそのような組織では(革命組織で
    はない証拠に)、貴族や名士が名を連ねてい
    たことも多々あったそうです。

     そのようなところで、やや過激なところな
    どは、キリスト教がその教義の祖とあがめる、
    ギリシア哲学
    (とくにピタゴラスのような調和を表す美し
    い幾何学のようなもの)
     にのっとった美や理想の、

     反面の禁忌を「わざわざ」シンボルとして
    掲げるところもありました。

     そういう意味でもむかしから需要のあった、
    魔術がたとえば呪文陣として五芒星をシンボ
    ルにあげているのは、そういうことです。

     ギリシア哲学的には、

     四面体・六面体・八面体は頂点角をていね
    いに削ることによって相互変換が出来ますが、
    正十二面体(面が五角形)だけは、四面体の
    一族と相互変換が出来ません。

     その独立性は、過剰に調和を重んじる教義
    の中では、いわば「異端」のシンボルとされ、
    閉鎖的な世界での調和を重んずるその正義に
    あっては、

    「何でも記録し集めてくる」

     博物学とともに、「理解したくない、いま
    わしいもの」となったのです。

         その意味でピタゴラスとアリストテレスは、
        ギリシアの遺産として両極端です。
         後年、アリストテレスがギリシアを出て、
        マケドニアの王子の好奇心としての冒険欲に
        火をつけたことは象徴的です。

     準結晶の発見は残念ながら、

    「エントロピーを体内に多く宿す」

     五角形である○○もまたこの宇宙の一員
    であり、またすくなくとも人間もまたその
    ような○○を先祖にもつ、

    「不完全な存在」

     であることを、残念ながらたとえばキリ
    スト教のお坊さんに示すことになったよう
    です。

     でも、キリスト教の中にある儒教として
    の義務感は、こういうでしょうね。

    「では、だれが堕落に流れる誘惑をとめて
    くれるのか、」と。

     ・・・筆者は、かつて柘榴石が十二面体で
    産するということをしっておどろきましたが、
    それは正十二面体ではありませんでした。
     菱形十二面体といい、四・六面系正多面体
    の結晶カットの1バリエーションでしかあり
    ませんでした。

 ゲーテが「ホムンクルス」を想像の中でフ
ラスコのなかから登場させたとき、もし氏が
感性の鋭さの上で天才であったとすれば、

 とうぜんそのようなことを想ったはず、と
考えます。

 そのゲーテが、いまわのきわに、急速にか
き消される視界のくらさにでしょうか、

「もっとひかりを」

 とおそらく恐怖の感情に叫んだであったら
しいことは、
 誰もわらうことができない皮肉でもあり、
また、残念ながらすばらしいことです。

 ・・・あとがきにもかいてありますが、

 生命、動物が希望と同じく光をもとめるの
は、

「そうしくまれているからです。」

 炭酸同化が数十億年つづいたあげくに、わ
れわれは光のあるところにしか、豊暁がない
ことを、遺伝子のレベルから、行動様式の本
能として、ふかくきざみこまれてしまいまし
た。

 それは、いずれこの宇宙がレプトンの薄い
スープに蒸発してしまう運命とは、関係がな
いことです。
 宇宙の物理法則に、とくに希望というもの
は書かれていません。

 これはまさに華厳経の世界ですが、その意
味で華厳の菩薩は、人々を救済しません。
 華厳経が宗教ではない、といわれるゆえん
です。

 ・・・わたしたちは闇の世界でうまれ、光
を価値のあるものとしてここまできましたが、
 未来になにがまっているのか、また今まで
と違うことがおこるのかどうかは、それこそ
「紙の味噌汁」でしょうねえ。

      *

 なぜこのタイトルをつけたかというと、こ
の項は、

 諸悪の根源、「光合成」

 に言及するからです

 光合成の明反応は、光で励起されたエネル
ギーをつかって水分子から水素をひきぬくこ
とです。

 あまった水酸(イオンではない概念)は、
4分子で酸素1分子を吐き出します。

 こう書くと、簡単なようですがそのその構
造を説明したり把握することは、かなり概念
的にほねがおれます。

 だからこそ、高校の化学は、構造の解説や
考える力を身につける方向に向かわずに、
 モル当量にこだわった、小学校の比例計算
問題に堕してしまうのですが・・・。

 これは酸化還元反応なので、

 水分子から、電子を引き抜き、
 陽イオンになった水分子は、水素イオンを
吐き出し、

 あまった水酸が酸素を発生させる、という
ことに近いです。(ここでは水酸「イオン」
の概念ではありません。)

 生体植物が手にした水素は、それ自体で、
あるいは結果的に二酸化炭素を還元して有機
物を作り、またその水素が化合してさらに
こうじの産物を作ります。

 ◎マンガンの役割

 水から電子を剥ぎ取る窓口は、マンガンが
にないます。

 正確には水酸イオンから電子を剥ぎ取りま
す。
 これには、光エネルギーによって励起され
たクロロフィルがエネルギーエンジンとして
マンガンの機能を引っ張り駆動します。

 マンガンの2基底状態を4価と2価として

 2Mn4+ + 4OH- →
 2Mn2+ + 4OH・ :活性酸素

 4OH・ → 2H2O + O2

 として酸素を発生させます。

 マンガンの2価の状態は、脂質二重膜に埋
め込まれている光合成色素によって電子を引
き抜かれ、4価にもどります。

 2Mn2+ → 2Mn4+ + 4e-

 この電子が、おそらく導電性有機高分子で
ある光合成色素の一部を追って、膜のむこう
側へいき、

(構造電子物理的には、この膜間の電位差こ
そが、一連の化学反応を引き起こす駆動源と
なるのです。コンデンサーは蓄電池と同義で
すが光合成の明反応はまさに電解コンデンサ
ーの電気化学反応であるともいえます。

 ◎余談

 40年近くまえの、大田区池上台の出版社
のこども雑誌に、

「蓬蓮草で、電池を作る」

 というものがありました。

 蓬連草の葉をすりつぶして、色素を脂質膜
の上にならべ、膜のうちがわとそとがわに電
極を当て、
 光をあてると、電気を作ることができると
いうものです。

 で、なんで蓬蓮草なんですか、というと、

 色素やビタミンAがたっぷり含まれていて、
やわらくて(消化がよくて)すりつぶしたと
きたくさん物質が取れるからだよ。

 ということでした。

 ちなみに金魚は(ゆがいた)蓬蓮草は大好
物ですが、ほかの青菜には見向きもしません。
 本能的に栄養がわかるんでしょうか。

 膜の内側では、流れてきた電子をつかって、
こちら側で水分子を分解します。おそらくむ
ずかしいことはなにもなく

 H2O ←→ H+ + OH-

 という平衡反応に介入し、

 4H+ + 4e- → 4H

 として水素を得ます。

 水素はNADPに渡されて、種々の物質の
合成反応につかわれます。

 4分子の水酸イオンは、おそらく脂質膜の
チャネルを通ってマンガンイオンがあるほう
へむかうのでしょう。

※これは間違いでした。移動するのは水素イ
オンです。水素イオンの流れが回転酵素を通
じて、ATPを産生します。6−2−2−3
参照。v0.991

 ◎NADPの進化?

 水素の授受に関して、NADとNADPは
おなじものに見えますが、前者がもっぱら分
解代謝にかかわって、水素を受け取りひたす
らATPの作成に従事するのに対して、

 後者は、原料担体に水素を供与して、有機
物の合成にむかいます。

 現象としては違いますが、呼吸反応におい
て、クエン酸がαケトグルタル酸になるのか
グリオキシル酸になるのかという経路運命の
分かれ道の話と似ているとはおもいます。

 クエン酸が
 αケトグルタル酸を介して、コハク酸のβ
酸化分解反応には入るのは、ひたすら呼吸を
フル回転してATPをとりだすためのもので、
 グリオキシル酸をへてオキサロ酢酸をつく
るのは(糖)物質合成の経路だからです。

 ・・・なんでなのかな、とおもっていまし
たが、

 これは糖リボースにリン酸がひとついてい
ることと関係がありそうです。

 自分は高エネルギーリン酸結合とは、AT
PとADPの間の反応しか知識としてはしり
ませんが、

 あるいはリン酸がついているだけでその四
面体原子団がばねのようにじぶんのなかにエ
ネルギーを溜め込むことができるのかもしれ
ないともおもいました。

 あるいはひょっとすると普遍的にリン酸化
物は

 R―P + Pi ←→

 R ―P―P +H2O

 というエネルギー反応を行っているのかも
しれません。

 蛋白質の酵素活性も、リン酸化がひきおこ
す事例があり、リン酸はそれなりに、重いス
イングのばね振り子なのかもしれません。

 ◎導電性高分子とは

 トランスポリアセチレンの研究が有名です
が、生体内ではイソプレノイド経由のおおく
植物性の脂質鎖がその目的に近いです。
 ジテルペンやトリテルペンの鎖状高分子は
二重結合が1個おきにならび導電性π電子雲
でむすばれた電気リード線の脂質を持ってい
ますが、

 その末端がどのように電子を授受するのか
ということですが。それは官能基とよばれる
電子授受に親和性の高い原子団がその役割を
にないます。

 たとえば末端にアルデヒド基がある場合を
考えてみます、(光合成色素複合体ではアル
デヒドではありませんが)

 単純なモデルとして

「グリオキシル酸セミアルデヒド」

に相当する物質を考えてみます。
 この物質が安定的に存在するのかは、筆者
は知りません。あくまでもたとえです。

    H・=O
    /
 O=・H

 これはこのケトン体が安定なはずです。

 それは、炭素よりも酸素の方が電気陰性度
が高く、二重結合のπ電子を酸素の方にひき
よせるからです。

 筆者は高校の頃の化学で

「アセチレンが水分子を付加してできる物質
のなまえをかけ」

 というテストで、原子のそのようなしくみ
をしらなかったので、

 ビニルアルコール

 とかいてばってんをもらったことがありま
す。
(この問題さえあっていればそのテストが満
点だったくやしさで、この案件はずっと覚え
ています。自慢じゃないけどね、というのは
たいてい自慢なんですね。嫌な奴です。)

 正確には、酸素の方に二重結合の電子が引
きよせられるので

 アセトアルデヒド

 でした。

     CH3       CH2
    /         //
 O=・      HO―・
    H         H

 安定       不安定

 化学平衡的に、まったく右式がないわけで
はありませんが、茶色のビン入りの試薬物質
のほとんどはひだりの構造をとっているはず
です。

 余談ですが、これが脂質からの糖新生のネ
ックになる、

「ピルビン酸からホスホエノールピルビン酸
を合成できない」

 という事項なのでしょう

 アセトアルデヒドの例でいえば、
 右側の不安定な方がエノール型です。

 つまりピルビン酸では


     /       //
  O=・    HO―・
     \       \
      ・=O     ・=O
     /       /
   HO      HO

  ケト型    エノール型

 という右の状態は状態定数として、ほとん
ど存在していないのでエノールピルビン酸の
リン酸化物は合成できないのでしょう。

 ホスホエノールピルビン酸は、もっと高次
の物質が壊れてできます。

 ともかく、グリオキシル酸セミアルデヒド
のモデルでは、

 ケトン体の方が安定で、エノール物質はほ
とんど存在していないはずですが、
 遊離電子による電荷が掛けられると、状態
がかわり、

 エノール状態が誘起されるとおもわれます。

         ・―OH
        //
  e- HO―・

        ・―OH
       //
 [H] -eO―・

 いわば過剰電子添加により炭素の方も二重
結合に必要な電子を確保できるわけです。

 これはケト型もエノール型も1.5重結合
というべき共役二重結合ですから、

 sp2結合の120度ごとの平面に広がっ
た炭素原子の結合のほかに、結合面と垂直な
方向にひろがったπ電子雲がいわば金属結合
の液体というべき自由電子雲としてつながっ
ていますから、
(実際この種の物質でもあるトランスポリア
セチレンの薄膜は、金属光沢をもちます。石
墨の結晶がひかっているのもおなじ状態のπ
電子が金属電子的性質として輝いているから
です。)

 このあまった添加電子は、右側の酸素原子
のほうにまで自由に移動することができます。

 つまり共鳴状態として

      ・―Oe- [H]
     //
 HO―・

 をとることができます。

 添加電子が一個だけならこれはこの状態に
とどまりますが、
 左から電位をかけてさらに電子を注入して
やると右側からいくらでも電子がとびだして
きます。
 適当なキャッチャー分子があればそれを還
元することも可能でしょう。

 現実には膜を貫通するほど長い分子ですか
ら、

              ・=O
             /
          ・=・
         /
      ・=・
     /
 -eO=・
       H C=O
       /
     HC=CH
     /
   HC=CH
   /
 -eO=CH

 この長鎖はつぎつぎに鎖状π電子雲におい
て電子を移送していきます。

              ・―Oe-[H]
             //
          ・―・
         //
      ・―・
     //
 HO―・

 現実には分子表記であらわせば次のような
電子ソリトンとして移動していくとおもわれ
ます。量子論的にはそこがもっとも電子雲密
度の高い個所です。

              ・=O
             /
          ・=・
         /
      ・―・e-
     //
 HO―・

 憶測ですが、光合成色素複合体は、クロロ
フィルとカロチノイドからなっていますが、
もしこのような機能をカロチノイドの部分が
担っているのであればそれはカロチンではな
くてててキサントフィルかもしれません。
 キサントフィルは亜鈴上の両端の六員環が
酸化された構造を持っているので、ビタミン
KやコエンザイムQのように、電子の授受が
可能です。ただしキサントフィルはアルデヒ
ドではなくケトンです。

 例 キサントフィル末端
 :アスタキサンチン

      O
      ||
 HO   ・
   \ / \
    ・   ・
    |   ||
    ・   ・
     \ / \
      ・   共役鎖側
     / \

 ◎共役結合還元体としてのケトン

 分子としては別に特別なことをしているわ
けではないでしょうが、おなじような機構が
キノン類にとっては水素イオンの輸送をつか
さどっています。
 クロロフィルの複合体は葉緑体の膜に帯電
膜電位を生み出しますが、そのエネルギーの
一部をつかって膜外の水素イオンを運び込む
作業をします。

 キノンはベンゼン核で言うところのパラ位
に酸素原子がケト結合していますが

 これがたとえば葉緑素やNADから電子を
うけとると、おなじような機構により(二重
の)エノールになろうとします。

   O      Oe- ← H+
   ||      |
   ・      ・
  / \    //\
 ・   ・  ・   ・
 ||   ||  |   ||
 ・   ・  ・   ・
  \ /    \\/
   ・      ・
   ||      |
   O      Oe- ← H+

             |
             V
             V + H+
             V

            HC=CH
            /  \
          HO-C   C-OH
            \\ //
            HC-CH

 これらが外部から水素イオンをひきつけ、
電気的に中和し、キノンエノール(キノール)
になります。

 これは脂質膜を沈降し、内部でケト型にも
どりますが、その際に内部に水素イオンを放
出し、電子はチトクロムC複合体に渡されま
す。

 たとえば呼吸鎖複合体(

 T NADデヒドロゲナーゼ
 V チトクロムBC複合体
 W チトクロムC酸化酵素(チトクロムA)

 )

 はすべて電子のながれの電流の駆動力をつ
かって、外部の水素イオン(慣例上、プロト
ン=水素原子核と呼ばれていますが、実際に
はたぶんオキソニウムイオン)を膜間腔に移
動しますが、
 これはおそらく蛋白質でもあるそれらの複
合体の実際の三次元構造によっているので、
水素イオンがたとえば電位勾配によってあら
かじめ内側に流れ込むような必然をおってい
るのではないと推測できます。

 筆者ははじめて、ビタミンAの分子構造を
みたときに、

「分子電線・・・」

の感慨を持ちました。

 たぶん、はたちごろのことだったかとおま
います。

 過去の栄養学のファイルにもかきましたが、
たぶん視紅ロドプシンのはたらきは、おそら
くレチネンとしては副次的なものでビタミン
Aはもっと基礎的なエネルギー系のはたらき
にかかわっているのではないかとおもってい
ます。
 臨床的に、ビタミンB群やCのほかに、A
の欠乏は慢性愁訴をうったえるのです。
(ビタミンA不足による倦怠感参照:後述)

 ナメクジウオの神経管では、原始網膜細胞
は神経全般に散らばって存在します。

 そもそも神経細胞それ自体に感覚細胞とし
ての応答能があるのかもしれません。マクロ
ファージと免疫細胞が系譜的には兄弟なよう
に。

 そのばあい、たぶんレチネンは感覚細胞の
ミトコンドリア膜にうめこまれてるのかもし
れません。
 クロロフィルやバクテリオロドプシンがそ
うであるように。

 ◎ビタミンA不足による倦怠感

「土用の丑の日にうなぎをたべると夏ばてに
効く」とは、平賀源内のいった言葉ですが、
この場合の薬効成分とはもちろんうなぎに含
まれているビタミンAと想われます。

 泥底に住んでいるうなぎは、食物連鎖によ
り藍藻のカロチノイドを濃縮するのでしょう。
 岩についた藻をかじる鮎のうるかや、植物
プランクトンを常食するいわしの肝油なども
おなじ薬効があると考えられます。

 売薬の抗疲労薬は、ビタミンCやB1が主
ですが、かたよった食生活をしている場合は、
鉄分やビタミンAそれから蛋白質の不足もあ
る場合があります。
 ビタミンAは過剰症を発生しますので、薬
剤でとることはできません。
 Aの不足の場合、即効性の意味でトマトジ
ュースよりにんじんジュースのほうが効きま
すが、遊離状態が直に吸収されるにんじんジ
ュースは、いちどにバケツ2杯(飲む人はい
ないでしょうが)飲むと致死量に至るそうで
す。

 カロチンはビタミンAとおなじ効力を持つ
前駆体ですが、化学的作用に「ふた」がされ
ているので、過剰症としての急性毒性を示し
ません。
 箱いっぱいの温州みかんを手持ち無沙汰に
食べてしまい、手のひらが黄色になったとし
ても健康に支障がないのはそのためです。

 セリ科には毒草も多く、たとえそうでなく
ともセリ科の野菜はおそらく作用がきついの
で、いちどにたくさん採らないほうがよいよ
うです。

 意外に知られていませんが、肝臓(レバー)
のビタミンA含有率はうなぎに匹敵し、安価
なのでときどき献立にとりいれるとよいかも
しれません。

 鉄分も蛋白も補給できます。

 ただ、いちおう知って置くべきことは、
(養殖家畜なら大丈夫ですが)肝臓は解毒器
官であり、たとえ処理し切れなくても毒素は
肝臓にあつまります。
 水俣病のように、汚染環境でそだった生物
の肝臓には毒素が蓄積されていると考えたほ
うがよいでしょう。

     *

 現実のクロロフィルでは、電子電線はフィ
トールとポルフィリンのあいだに導電性でな
いエステル結合があり、またフィトールは単
純1重結合アルカンなので電子はながれるこ
とはできません。しかし別途導電性のビタ
ミンAダイマーであるカロチノイドがフィト
ール鎖に寄り添っていますので、この部分が
あるいは補助的にはたらいているのかも知れ
ません。

 ◎そもそも光合成明反応とはなんであるの
  か

 調べるまでしらなかったのですが、たとえ
ば放射性炭素などをつかって産物質の追跡な
どが比較的可能な暗反応などの研究と違って、
明反応は、電子エネルギー順位や電子授受、
また蛋白質複合体の構造など、技術的にむず
かしいこともあり、その研究と知見がすすん
だのはごく最近のようです。

 じぶんの書架にあった生物学の教科書(1
975年)では、光学系TとUの区分がされ
ていなく、

 代謝マップ(1980年)では光学系Uの
電子は、光学系Tにわたされることはなく、
Udushという別のクロロフィルにわたされる
理解に表示されていました。この時点ではど
うやら酸素の発生にマンガンが関わっている
らしいという記述が見えます。

 以下は古典的な教科書(1975)に載っ
ていた明反応における電子の受け渡しの系譜
ですが、

 水分解
  ↓   水(水酸イオン)からの電子引き抜き

 チトクロムF
  ↓
 クロロフィル 電子引き抜きの原動力
  ↓
 フェレドキシン 硫化鉄クラスターにおけ
         る電子伝達
         NADPH作成
  ↓
 プラストキノン 水平衡における水素イオン
        とともに電子を用いて
        還元力蓄電としてATP
        作成

 これは、おもにこんにちの光学系Tの系譜
です。

 このクロロフィルはP700に相当し、

 クロロフィル
  ↓
 フェレドキシン
  ↓
 NADPH作成

の部分は、こんにちの理論でも残っています。
(フェレドキシン・NADPレダクターゼ
の発見や概念はすでにあったかもしれません)

 ただ、光学系Uの概念はまだなく、水の分
解の詳細やプラストキノンの反応上の位置は
まだ不明だったようです。

 以下はあたらしい資料・情報を読む前の文
章です。

     *

 共生説によれば葉緑体の起源は藍藻細胞、
ミトコンドリアの起源は細菌細胞であり、藍
藻はシアノバクテリアでありますから、広義
の細菌バクテリアの一種であり、

 藍藻はおそらく結果的に、真核生物のミト
コンドリアに相当する、呼吸電子伝達系の一
部を改変して還元力物質を生産しているので
はないかと推測できます。

 実際、部分的には明反応系は電子伝達系と
類似の物質を使用して稼動しているように見
えます。
 プラストキノンは、電子伝達系のコエンザ
イムQ(いわゆるQ10)に似た物質に見え
ます。

 呼吸鎖電子伝達系では、チトクロムCがミ
トコンドリア膜に電子勾配をつくり、

 その結果、

 pHの酸性化で他方に発生した水素イオン
(プロトン)が膜チャネル蛋白質ゲートをそ
の酸性勾配力で流れ込むとき蛋白質の回転部
位を回転させ、ATPをつくります。
(プロトンポンプ=ATP合成酵素)

     余談ですが、この機能、
    (厳密にはこの酵素かどうかは、筆者は知り
    ません。)
     が逆にATPによって逆回転すると、こん
    どは膜のむこうがわに水素イオンが溜まり、
    酸性になります。胃酸の分泌や、酸性河川に
    生息する淡水魚では鰓にこの機能が発現して
    います。

 憶測ですが、チトクロムにはつねにカロチ
ノイドやビタミンAが付随していて、膜のむ
こうに電子を運び出す補助をしているのかも
しれません。

 これは、クロロフィルの活性構造からの憶
測です。
 ビタミンAの結果的な欠乏が、鳥目症だけ
ではなく、愁訴を訴えることもあるのは、そ
れがエネルギー代謝に何らかの形でかかわっ
ているからなのかもしれません。

 起源として、あるいはクロロフィルはチト
クロム(のヘム)なのかもしれません。ポル
フィリン類は、単一で蛍光を放つものが多く
これは逆を言えば吸光励起性があるというこ
とでもあります。

 ヘムには正常のポルフィリンのほかにも、
ホルミルポルフィリン類の区別があり、これ
はそのまま各種のクロロフィルの区別にもな
ります。

 光合成補助物質のチトクロムFは電子伝達
系のチトクロムCに相同かも知れません。

 ◎ATPではなくNADPであることにつ
  いて

 たぶん、水素イオン勾配をひとたびつくり
だすことができれば、生体はそのエネルギー
の利用としてはどちらでもいいはずです。

 しかし、植物は動かずにエネルギーを溜め
込む生態的戦略をとっていますのでそのエネ
ルギーの利用は物質合成にまわることになり
ます。

 脂肪酸合成のところで書いたように植物動
物を問わず生物は物質の合成におもにATP
でもなくNADでもなくNADPをつかいま
す。

 NADPは脂質糖質両方の合成につかわれ
ますが水中では、腐敗や拡散のリスクがあり
ますので、単細胞生物は、光合成産物を油滴
のかたちでたくわえることもおおいです。
(プランクトン食の魚が脂ぎっている理由)。


====================

 6−1 暗反応

※この項目は6項の主題である電子反応とは
関連がありませんが「光合成」のテーマのく
くりにより、ここにおさめました。

====================

 光合成の暗反応は、NADPから見た場合、
媒質に存在するリングリセリン酸をグリセロ
アルデヒドリン酸に還元することです。

 すなわち、5単糖であるリブロースが、二
酸化炭素を取り込んで6炭素相当であるリン
グリセリン酸2分子を(平衡として)自動的
につくりますが(ルビスコ:リブロース2リ
ン酸カルボキシラーゼ・オキソゲナーゼの作
用)、

 これがNADPの還元力により、グリセロ
アルデヒドリン酸に変換されると、

 動物的な既存の経路(5単糖1リン酸経路)
を経由してなかば自動的にグルコースにまで
合成されます。

     *

 糖は、暫定的な定義としてCH2Oの組成
式で表されるホルムアルデヒドポリマー=

 n
 Σk-ヒドロキシポリエチレン
 k=1

 の組成を持っていますが、自然は糖を無制
限なアルカン構造とはせずに、単糖類構造と
してまず合成し、その官能基連結として多糖
類(でんぷんやセルロース)を合成する戦略
をとっています。

 もっとも素朴な単糖は、低分子であるその
糖が定義の組成式をまもるためにその分子の
先頭に酸素性二重結合をいわばポリエチレン
に対するエチレンモノマーのようにもつため、
アルデヒド性単糖類(アルドース)とよばれ
ます。

     ケトン性単糖類:ケトースはアルドースの
    異性体ですが、末端水素がカルボニル基につ
    いていないため、反応性にとぼしくフェーリ
    ング液を還元しません
    (ブドウ糖:グルコースは還元糖ですが、果
    糖:フラクトースは還元糖ではありません)

     実は3炭素多糖類からはじまる多炭素単糖
    類(C=7のセドヘプチュロースが最高)の
    合成も、おもにブドウ糖:グルコースを構成
    単位とする多糖類の合成もこのアルデヒド基
    の反応官能性で結合していきます。
     多糖類の結合は自身の6員環化を伴う半ア
    セタール結合です。

 植物の光合成暗反応はまずNADPが、3
炭素単糖類をつくるところからはじまります。
が、

 暗反応の主要な部分は、分子が部分的に組
み変わりながら3炭素アルデヒド単糖が6炭
素アルデヒド単糖(ブドウ糖:グルコース)
を合成する過程です(5単糖1リン酸経路)。


  HH    H
  OO   OO
  ||   |||
 …・・H  ・・…
  HH   HH

 ↑↓

 前糖末端  後糖前端

  HHHH
  OOOO
  ||||
 …・・・・…
  HHHH

 この逆反応で、また直鎖が切れます。

 実際の暗反応:5単糖経路では、分子の伸
長をいっぽうに固定するためでしょうか、
 片方の末端が、反応性にとぼしいケトース
末端にされています。

(呼吸経路としての)5単糖1リン酸経路を
概略化すると、

 それは6単糖であるグルコースから3単糖
であるグリセロアルデヒド(1リン酸)2分
子を産生する反応という意味では、

 6単糖
 |       4→――・
 ↓      /    |
 6  5  7     |
  \/ \/ \    |
  /\ /\  3   |
 4  5  3+    |
 ↑      |    |
 ・――――――↓――――・
        3単糖2分子

 という分解経路です。

    (五単糖呼吸回路としては、この図は厳密に
    は正しくありません。

     グルコースは、フラクトースに変換され、
    分解を受けるのではなく、

    ・NADによって酸化されて、グルコン酸になり、
    ・さらに酸化されて、βケトグルコン酸になり、
    ・ 二酸化炭素が外れてリブロースになり、

     キシロースになって・五単糖(図の5の部
    分)となって流路に入ります。

     おそらく、後述の、逆にキシロースからリ
    ブロースを変換する酵素は、おそらくおなじ
    酵素です。

    (またもちろん、リブロースが二酸化炭素を
    取り込んで、2分子の3炭素の物質(=C6)
    になる反応は、ケトグルコン酸からリブロー
    スを生成する反応ではありません。

     あるいは、ケトグルコン酸からリブロース
    を産生する反応は、エネルギー的に「非酵素
    反応かもしれません。)

     ・・・筆者的には、フラクトースに変換し
    てから分解したほうが帳尻的にはすっきりし
    ているように想うのですが。

     HO―・
        |
        ・―O
       /   \   NAD  \
      ・ OH  ・   →    ・=O
      |\|  /|   ↓   /
     HO ・―・ OH 2H
          |
          OH

       グルコース       グルコノラクトン

     グルコノラクトン

       ↓+H2O

      (開環)
                       O=・=O
     HO・=O     HO・=O
     HO・   NAD HO・       ・OH
       ・OH  →  O=・  →  O=・
       ・OH  ↓    ・OH     ・OH
       ・OH  2H   ・OH     ・OH
       ・OH       ・OH     ・OH

     グルコン酸    βケトグルコン酸 リブロース
                       + CO2

    (過酸化=脱水素=脱電子による結合電子不
    足による、酸素原子主導の反挑?。)

       ・OH    ・OH
     O=・   → O=・
       ・OH   HO・
       ・OH     ・OH
       ・OH     ・OH

     リブロース   キシロース

     細菌・微生物(由来)としての代謝はかな
    り、偶然に任せた行き当たりばったりの進化
    や、代謝が多いようにも感じているので、こ
    の場合も、

     あるいは設計された反応というよりは、
     6炭素の糖を、端から酸化・分解していっ
    て、出来た5炭素の糖が反応性が「低い」が
    ために、

     アルデヒド縮合の経路に、

    「蓄積渋滞してしまったから、
     峠を越えて押し流した」

     というところが近いのでしょうか。
     筆者は良く知りません。)

 この図は、アルデヒド基を図の上方に置い
て表記しています。

 経路に参加している糖はすべてアルドース
であり、アルデヒド基本の直鎖単純縮合反応
で接合・分離を行います。

 単糖類は、分子を

「背中のまるまったしらすの小女子」
(フィッシャー投影図)

 とみなした場合、水素と水酸基の「脚」が
まるでむかでのように出ていますが、この反
応の接合・分離の都合、その水酸基のある場
所はむかでの片方の側のみに配列しています。

    O
    ||
 H  ・       ・=O     ・=O
 O   \       \      |
 ・    ・OH →   ・OH → ・OH
 |    |       |     |
 ・OHHO・     HO・   HO・
  \  /        /      |
   ・OH       ・OH    ・OH
             /       |
            ・OH     ・OH
           /        |
          ・OH       ・OH : この位置の水酸基は
                        異性体を区別しませんが、慣例上。
 例:
 アルデヒド態  ねじらない形で展開 構造式
 グルコース

        O           H    HO
        ||            \     \
     H  ・             ・―OH  ・―H
     O   \           / \
     ・    ・OH → HO・ O   ・OH
     |    |   ←    \|   |
     ・OHHO・         ・ HO・
      \  /         / \ /
       ・OH       H   ・OH

                   αグルコース βグルコース

     ちなみに、6単糖や5単糖は、分子が巻い
    て安定化する都合により、アルデヒド基やケ
    トン基と適当な水酸基とのあいだに縮合結合
    (ヘミアセタール結合)を成しますが、その
    場合にカルボニル基側の水素を受け取る確率
    の都合により2つの異性体ができます。

     グルコースもα、βふたつ、異性体ができ
    ますが、これはアルデヒド態を中間にエネル
    ギー共鳴の立場にあります。

     グルコースが直線状に多糖類として縮合す
    るとき、αとβ体では、水酸基のむきにより
    出来上がる高分子の性質に大きな違いがあり
    ます。
     β結合では、水酸基のむきがグル
    コース2分子でちょうど相殺されるので、で
    きあがる高分子は直線状になります。
     α結合では、水酸基のむきの角度は消化さ
    れないので、そのぶん高分子はゆったりとお
    おきならせんをえがくことになります。

     β結合の産物はいわゆるセルロースで、対
    応する水酸基同士が水素結合を多く結ぶので、
    高分子束は結晶化し、緻密な繊維となります。

     木材や農業廃棄物からでる大量の繊維素を
    もし糖分(グルコース)に分解できれば、人
    類の食糧事情の半分は解決できるとされてい
    ますが、それはセルロースの緻密な結晶構造
    がじゃまをしてなかなかうまくいきません。

     生物にはセルロースを消化できる酵素:セ
    ルラーゼを持っているものもいますが、
     これはアルギン酸とともにあるような膨潤
    した藻類の細胞壁か(巻貝)十分に水和して
    物質や酵素が侵入できる状態になった有機物
    (腸内細菌)のような事例に限られます。

     工業的には、密閉容器下で高温高圧のアン
    モニアを作用させ、水素結合をたちきるとこ
    ろから木材の糖化ははじまります。
    (おそらく、人絹やセロファンを製造する過
    程で必要な繊維素溶解の手順として、濃厚銅
    アンモニア溶液(シュワイツェル試薬)がセ
    ルロースを溶解するのはおそらくおなじ原理
    でしょう。)
     一度単一高分子にばらばらになった繊維素
    を加水分解するのはそうむずかしいことでは
    ありません。

         あるとき想いつきましたが、これは保守や
        固陋の心理に似ています。わかりにくいこと
        がや言い回しを「意図して」使うことは、
         それには、しばしば「被害妄想としての」
        防衛意識が見え隠れしているような気がしま
        す。

         その言葉を、為政者や教育者がもちいると
        すれば、かれらは民衆や子供のことよりも、
        まず自身の立場を保身していると考えること
        もできるでしょう。
         そのような「やる気のない二代目」や「で
        もしか先生」は、人間の弱さとして、歴史の
        そこここに存在していますが、
         それはしばしば「腐れ儒者」(坊主)とよ
        ばれました。

         ひらがなの多い、「ひらかれた」ことばで
        語ることが出来ない人の心理は、
        「心の水素結合が緻密」な固陋な心理機制と
        いえるかもしれません。

         ・・・でも、そう考えてみると、悪い意味
        での封建制のもとでは、子供の立場に立った
        教育など、不可能でしょう。
         使い捨ての消耗品としての兵卒を作るため
        の「訓練」しか保守の固陋の中ではありえま
        せん。
         ただ、それはみなが信じれば正義になりま
        す。
        (その意味では、巷間はまさに広告会社の手
        の中にあるわけです。安易に人を操る声には、
        注意しましょう。)

     αグルコース多糖類はでんぷん(アミロー
    ス)ですが、この高分子のらせんの内部にヨ
    ウ素が取り込まれることによって、
    「ヨード・でんぷん呈色反応」がその鋭敏さ
    で有名になっています。

    (筆者は、ヨード・でんぷん反応が何故発色
    するのか、よく知りません。そもそも単体ハ
    ロゲンがなぜ固有の色を示しているのかよく
    知りません。
     わからないといえば、多糖類(と蛋白質)
    のような半酸化巨大分子がなぜ安定して構造
    をたもっていられるのか、この惑星表面の、
    物理条件が不思議でなりません。
     ふつう、焦土では単分子に分解されるか、
    あるいは石油ピッチのように安定化して凝縮
    するのが、惑星間では常識だからです。)

 ちなみに
(数は「単糖」またそれぞれ1リン化酸物)

     ケトース        アルドース

 C7 :セドヘプチュロース
 C6 :フラクトース      グルコース
 C5 :キシロース(リブロース)リボース
 C4 :            エリトロース
 C3 :ジヒドロキシアセトン  グリセロアルデヒド

 です。

 ケトースとアルドースは、異性化酵素のは
たらきにより、相互に変換が可能です。光合
成暗反応では、最終産物は、同化産物として
グルコース、二酸化炭素受容担体としてリブ
ロースを合成する回路です。
 おおまかにいって、ケトースよりもアルド
ースのほうが反応性が高い(フェーリング液
を還元する)ので、生物が多糖類を合成する
ための出発点としてはグルコースを使用しま
す。

     ・・・余談ばっかりですが、筆者は高校生
    のころから、「セドヘプチュロース」とは何
    の語源なのだろうと想っていましたが、この
    ファイルを書くに当たって調べなおしたとこ
    ろ、「弁慶草から発見」というくだりを見出
    しました(化学大辞典、化学同人社)。

     園芸で、セダム(万年草)という植物があ
    ります。
     乾燥に耐性のある多肉植物で、砂漠並みに
    過酷な屋上の緑化などにも利用される植物で
    す。(ベンケイソウ科:セダム)

     セドヘプチュロースのセドとはセダムのセ
    ドなのでしょう。(ちなみに、セダムは蒸れ
    に弱く、枯れるときには枯れるので、必ずし
    も緑化に万能な植物ではないそうです。)

     一方、筆者の勘違いとして、おなじような
    生態系の位置にある植物としてトウダイグサ
    科(ユーフォルビア)があります。

     種類としては繁栄している一族で、半サボ
    テン(カクタスの仲間を除く)に多く種類が
    あります。多肉を粘重にするために、ラテッ
    クス樹脂(イソプレノイド)を多く含むもの
    もあり、石油の木として注目されていたホル
    トノキもこの一種です。

    (偶然ですが、筆者は3月下旬に初めて灯台
    草を路傍に見つけました。関東平野では見か
    けません。どうも外土に生えてきたもののよ
    うです。)

     エリトロースは、文献によりエリ「ス」ロ
    ースと記載されていますが、これはつづりが
    thだからです。

     化学の書籍では、おなじth音のアミノ酸を
    スレオニンではなくトレオニンとしています
    ので、ここでもエリトロースとします。

    「ト」とするのは英語よりもむしろラテン
    (フランス語)読みに近いのでしょう。

     化学はフランス語読み(パスツール研究所
    など医学のからみからでしょうか)が慣例の
    ようです。

    (テディ・ベアは、セオドア・ルーズベルト
    大統領が幼少時抱いていた熊のぬいぐるみで
    すが、これも「セ」の音がthだからです。
     セオドアは、テオドアとも発音し、
     愛称は、テディ、もしくはテッドです。
     女性名はテオドラ、ローマ名はテオドロス
    です。
     ちなみに小児麻痺募金のことを「テディ・
    ベア基金」と呼ぶのは、大統領が、幼少時小
    児麻痺をわずらったことから来ています。)

     キシロースは、虫歯予防菓子に添加される
    キシリトールではありません。それぞれ5炭
    素ですが、構造が違い、後者はゆえに細菌が
    代謝できず、結果繁殖できません。

 反応をより詳細に書きますと、

   ・OH    ・OH    ・OH        ・OH    ・OH
 O=・    O=・    O=・        O=・    O=・
 HO・    HO・    HO・        HO・    HO・
   ・OH →  ・OH →  ・OH        ・OH →  ・OH
   ・OH ←  ・OH ←  ・OH            ←  ・OH
   ・OH           ・OH        ・=O    ・OH
          ・=O    ・OH        ・OH    ・OH
   ・=O    ・OH               ・OH
   ・OH    ・OH    ・=O
   ・OH    ・OH    ・OH
   ・OH    ・OH    ・OH

 フラクトース キシロース  セドヘプチュロース | エリトロース  セドヘプチュロース
  +      +      +        |  +
 エリトロース リボース   グリセロアルデヒド | グリセロアルデヒド

 (C10反応)                   (C7反応)

 となります(リン酸は省略)。

     直接グルコース(フラクトース)からグリ
    セロアルデヒドが分解しないのは(それがで
    きるのはより進化したマイヤーホフ系(解糖
    系)です。
     6単糖や5単糖のヘミアセタール環が安定
    か、もしくはグリセロアルデヒド2分子のペ
    アが活性が高すぎるのかもしれません。

     また、解糖系における、ジヒドロキシアセ
    トンをグリセロアルデヒドアルデヒドに変換
    する酵素は、よく考えてみるとエノラーゼな
    ので、脂肪酸のβ酸化酵素のような(FAD
    要求性)特殊な酵素からの進化が必要だった
    のかもしれません。

    (ただ、広義のエノラーゼは、ケトース・ア
    ルドース間の相互変換をつかさどっているの
    で、きわめて遅れて進化したとは考えにくく、
    上記の文は、的確とはいえないかもしれませ
    ん。ともかく、

     解糖系では、

       ・OH     ・OH
     O=・     O=・
     HO・   → HO・
       ・OH ←
       ・OH     ・=O
       ・OH     ・OH
               ・OH

     フラクトース  ジヒドロキシアセトン
              +
             グリセロアルデヒド

     という反応が存在します(C6反応)。

     真核細胞の核とミトコンドリア間では遺伝
    子の移動がはげしいので、この酵素がどちら
    由来かどうかということはよくわかりません。)

 この経路は、5単糖2分子が炭素数として
鍵なので「5単糖1リン酸回路」と呼ばれま
す。合計で炭素数が10個なので、C10反
応と呼んでもよいかとおもいます。

 光合成暗反応は、この経路(かならずしも
作用酵素が厳密に同一のものではないでしょ
うが)を使用して、逆にグルコースを産生し
ます。
 単純に3単糖に分子が6単糖1分子になる
という意味では、この経路を単純に逆回しす
ればいいのですが、

 光合成では、二酸化炭素受容糖として、こ
の経路から5単糖を供給しなくてはなりませ
ん。

(5単糖1リン酸回路の反応仕様としてのキ
シロースは、分子中央に二酸化炭素を付加す
るためには、水酸基の位置が不適切なので、
酵素によって位置修飾をを受けなけれなりま
せん。

   ・OH   ・OH
 O=・   O=・
 HO・     ・OH
   ・OH   ・OH
   ・OH   ・OH

 キシロース リブロース

     *

 ただ、既存の回路のC10反応のまま、5
単糖を炭酸ガス受容のため引き抜いてしまう
と循環の帳尻がおかしくなります。

 ‥生産
 6  5  7
  \/ \/
  /\ /\
 4  5  3
       ‥供給
    ↑*

 この図では、4単糖が(+3単糖として)
右の7単糖に循環しなければならないのに、
*の5単糖を部分的に引き抜いてしまうと、
左辺と右辺で、4と7単糖の係数が一致しな
いことになります。

 いろいろ考えてみましたが(パズルとして
いろいろ考えて遊びたいので)

 この図における解説としては、
 炭素数として左辺と右辺が合致すればいい
のですから、出力にまわる6単糖のうちいく
つか右辺勘定の補填にまわればいいわけです。

 ひらたくいえば、6単糖が反応に置いて一
部こわれればよく、

 ←5  6←中間反応
   \/
   /\
 ←4  3
     ‥新供給

 という衝突分解(便宜的にC9反応と呼び
ます)

   ・OH     ・OH
 O=・     O=・
 HO・     HO・
   ・OH →   ・OH
   ・OH ←   ・OH
           ・OH
   ・=O
   ・OH     ・=O
   ・OH     ・OH
   ・OH     ・OH

 キシロース   フラクトース
  +       +
 エリトロース  グリセロアルデヒド

 (C9反応)

 がおこればいいわけです。

 いろいろ新聞のチラシの裏に書き付けまし
たが、それしかないようでした。

 帳尻を厳密に考えると、

 6単糖を1分子作るためには、
 6個の二酸化炭素が必要ですから、

 6分子の5単糖が受容反応のために必要で
す。

 また受容反応で、1分子の5単糖+1Cが
2分子の3単糖にこわれますから、

 合計、3単糖は12分子できます。

 6単糖を1つ作るためには、
 3単糖は2分子消費され、

 のこりの3単糖10分子が、結果、
 5単糖6分子になればいいわけです。

 帳尻は炭素数としてして、

 C3*10=C5*6=30、

 骨格は、

 ↑         ↑
 5  6=←6  |5|  7←4+3
  \/    \/| |\/  ↑ ↑
  /\    /\| |/\  | |
 4  3  4  |5|  3 | |
 ↓  ↑  ↓       ↑ | |
 ・→―|――・―――――――|―・ |

 ―C9―  ―C10――――― ―C7

 係数を考えて

   →        6*C5  *1       ←
   ↑                       m*C5
(n-1/2m)*C5 (n-1/2m)*C6=(n-1/2m)*C6      ↑   n*C7 n*C4+n*C3
                   (2n−m)*C5 2n*C5
(n-1/2m)*C4 (n-1/2m)*C3 (n-1/2m)*C4          n*C3
   ↓             ↓
   →             →                    ↑*2

 ここで5単糖の帳尻を考えると、(*1)

 n−1/2m+m=6

 n+1/2m=6∴2n+m=12

 4単糖では、(*2)

 2(n−1/2m)=n

 2n−m=n∴n=m

 連立して、

 3n=12∴n=m=4

 代入して

 2n=8
 2n−n=4

 n−1/2n=4−2=2

 よって、

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 :生産
 6*C5←―――――――――――――――――4*C5
  ↑                     ↑
 2*C5   2*C6=2*C6       |   4*C7←4*C4+4*C3
     \ /         \      |  /      ↑    ↑
      ・           4*C5←8*C5       |    供給
     / \         /         \      |
 2*C4   2*C3 2*C4           4*C3  |
   ・―――――↑――――+→―――――――――――――↑―――→・
         供給                  供給

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 供給のグリセロアルデヒドも計10分子、
帳尻は合っているようです。

 ここで、グルコース1分子を作成する分
の係数を足すことを考えます。

:2分子の3単糖が合体して1分子の6単
糖ができる都合ですから、その部分は触媒
として4単糖1分子を別途用意すればよく、

 1*C6      1*C7 ← 1*C4 + 1*C3
     \    /
      2*C5
     /    \
 1*C4      1*C3

 とすれば、1分子の4単糖が触媒として
循環します。

 二酸化炭素、5単糖、3単糖の帳尻は、

 5単糖6分子=炭素30個
 二酸化炭素6分子 炭素6個

 しめて炭素固定反応に酸化する炭素は36
個、

 いっぽう5単糖海路に流入する3単糖(グ
リセロアルデヒド)は

 次回反応に使用する5単糖を合成するのに、
 10分子、
 1分子の六単糖を合成するのに2分子

 よって12分子、=炭素36個。

 あまり意味があるとは想えませんが、以下
に1分子のグルコースを産生する場合の5単
糖回路の帳尻を書いておきます。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 6*C5←――――――――――――――――――4*C5
  ↑:生産                   ↑
  |          1*C6:生産     |
  |           ↑          |
 2*C5   2*C6←3*C6        |   5*C7←5*C4+5*C3
     \ /         \       |  /      ↑    ↑
      ・           6*C5←10*C5       |    供給
     / \         /          \      |
 2*C4   2*C3 3*C4            5*C3  |
  ・――――――↑――――+→――――――――――――――↑―――→・
         供給                   供給

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 これは植物特有の反応ではありません。

 当初の5単糖回路・経路は動植物問わず広
く見られ、解糖系をエムデン・マイヤーホフ
経路と呼ぶのに対して、ワールブルグ・ディ
ッケンヅェン経路と呼ばれます。

 それを基礎にして、C7反応とC9反応を
加えた、グルコース産生のための植物回路は
発見者のなまえをとってカルビン回路と呼ば
れます。

 多炭素単糖類や多糖類の合成は糖のもとも
との比較的高い反応性にのっとってすすむの
で、そんなに高い合成エネルギーを必要とし
ません。
(逆にいえば、高血糖がしばしば健康を損な
うのは、糖分の高い化学的反応性が、その過
剰において生体の機能を損なうからです。)
 それは糖が、その分子内に多量の酸素原子
をたくわえた「半分燃焼済みの有機物」だか
らです。

 植物や肝臓が多糖類を合成するのは、おも
にごく暫定的なエネルギーの貯蔵のためです。
糖のまま、液胞中にたくわえると、浸透圧が
高くなってしまいます。

 半永久的にエネルギー貯蔵をする場合は細
胞は物質を脂質化します。
 大量の還元エネルギーをNADPのかたち
で投入し、物質から酸素を極限まで除去しま
す。結果水素石油化した脂質は、重量辺り非
常に高カロリーな貯蔵物質になります。
(ただし、油脂を経口で多量にとっても空腹
は満たされません。油脂自体が哺乳類にとっ
ては吸収率が悪く、また神経細胞は直接油脂
を利用することができないからです。)

 ◎リブロース2リン酸について

 光によって作られたNADPをつかって、
おこなわれるもっとも重要なことは二酸化炭
素の固定です。

    (厳密には、NADPを使ってリングリセリ
    ン酸をグリセロアルデヒドリン酸にする過程
    が大事であるともいえます。
     筆者はエネルギー的なポテンシャルについ
    てはあまりくわしくはありませんが、すくな
    くとも有機酸は縮合において、活性が乏しく
    (縮合相手は、アルコールに限られる、例:
    ポリエステル)
     分子量の大きい化合物を合成するためには、
    アルデヒドであることが重要なのです。)

 ビオチンの項、そのしくみを整理していて
ふとおもったのは、

 光合成における5単糖の二酸化炭素固定は
関係があるのだろうかということでした。

 こんかいは詳しくは調べませんでした。初
等教科書の反応の記述をしらべるにとどめま
した。

(後日、ホスホエノールピルビン酸合成の反
応に関して、この反応をも若干考察してみま
した。項目
 「2 グリオキシル酸経路」
 ◎補遺の補遺をごらんください。)

 リブロース1,5-2リン酸

  H  O-
 H・―OPO-
  |  O
  ・=O
  |
 H・―OH
  |
 H・―OH
  |  O
 H・―OPO-
  H  O-

 個人的な推測ですが、これも、二酸化炭素
や活性酢酸付加の例のように、エノール状態
の二重結合に最終産物がシンメトリーになる
ように縮合します。

 Pi=リン酸基

  H
 H・―Pi
  |
  ・―OH
  ||
  ・―OH
  |
 H・―OH
  |
 H・―Pi
  H

     H
    H・―Pi
     |
     ・―OH
 CO2/|
    \|
     ・―OH
     |
    H・―OH
     |
    H・―Pi
     H

     H
    H・―Pi
     |
     ・―OH
    / \
 O=・   : H2O 加水分解
   |   |
   OH  ・=O
      /
    H・―OH
     |
    H・―Pi
     H

     H
    H・―Pi
     |
    H・―OH
    /
 O=・
   |
   OH  OH
       |
       ・=O
      /
    H・―OH
     |
    H・―Pi
     H

 3‐リングリセリン酸*2分子

 反応の構造をながめてみるとこれは有機酸
のときとおなじように、付加重合を行った直
後、もともと酸素の潜在的な陰電荷が多い分
子なので、
 電気的反跳が起こって、中途から分子がち
ぎれたというのが、現実にちかいようです。
 水分子はあとから「ばんそうこう」として
はりついたとみるべきでしょう。

 これは、水酸基過剰の糖だからこそで、有
機酸ならそんな現象はおこらなかったかもし
れません。

 この2分子がそれぞれNADPによって還
元され、グリセロアルデヒド1リン酸はすで
に3単糖アルドースですからこれが5単糖1
リン酸回路にはいりグルコースまで再構成さ
れます。

 ◎反応にキシロースではなく、リブロース
 が用いられる理由について

 リブロースの4位の水酸基はほかのア
ルドース、ケトースとちがって、右側につい
ています。
(この図の炭素骨格は、慣例として「じゃこ
しらす」のせなかをまがった背のほうから見
ている図です。フィッシャー投影図です。)
 リブロースはわざわざ酵素の作用をくぐっ
てキシロースから作られ、この反応にはいり
ます。

 なぜ水酸基をそろえる必要があるのかとい
うと、

 カルボキシル基とケトン基が、反跳躍によ
って正反対の方向にはじかれるのだとすると
水酸気のむきをそろえておかないとできるグ
リセリン酸がDL両異性体の混合物になって
しまうからなのでしょう。

 なお、この反応にビオチンが介在している
のかどうかということについては筆者は正確
には知りません。

     *

 電池原理を調べていたときに関連として、
リブロース2リン酸炭酸酵素のことを調べて
いました みました

 上記の有機化学的な反応についての推測は、
おおむね正しかったようです。

 農業政策のからみもあって、この炭酸固定
にかかわる酵素はよく調べられている酵素の
ようです。

 筆者が検索して知り得たことは、

・リブロース2リン酸は、そのリン酸基(の
陰電荷)によって分子が直線状にひらかれ、
ケトン基の反応性が高められていること、

・触媒反応に、ペプチドに捕らえられた炭酸
期の介在反応に、マグネシウムが介在してい
ること

 を知り得ました。

 これは、この酵素反応がビオチン反応に似
ていることを示唆します

 ◎マグネシウムについて

 価電子電位差反応のような重要な機能をに
なっているわけではないので、無機物質とし
ては記事にしませんでしたが、マグネシウム
が反応に介在することは多いようです。

 その機能特質を一言で言うと、「有機物
(結合)と電離原子(団)を結びつける反応
に介在する」

 ということです。

 有機化学合成で重要な試薬であったグリニ
ャール試薬は、

 ハロゲン陰イオン- : +Mg―アルキル/アリル炭化水素残基
               共有結合

 という構造を持ち、

 有機物残基をそれぞれA、Bとしたとき、
たとえば

 A―Cl + +Mg―B (Cl-)

 ↓

 A―B  + MgCl2 (aq)

 という合成反応を触媒します。

 このような考え方がクロスカップリングの
ような概念の出発点にあります。

 おそらく、同様の作用はカルシウムにもあ
り、
 酸素原子を介するとはいえ多糖類酸(アル
ギン酸、ヒアルロン酸)がマグネシウム、カ
ルシウム存在下でゲル化するのは、それらの
土類金属の持つ共有結合傾向によることかも
しれません。

 現在の実験室では、グリニャール試薬では
なく、アルキルリチウムを使うようです。こ
れは強い発火性をもち、危険な試薬でもあり
ます。
(有機化学の実験室では、事故対処のため、
緊急冷水シャワーがあるところもあります。)

 余談ですが周期表のごくごく最初のほうの
元素は、金属製とハロゲン製が同居する元素
が多く、畢竟分類上は金属でも、共有結合性
を有する元素があり、
 その意味でリチウムはナトリウムよりもマ
グネシウムに物性が似ています。

 また、たとえば水素化ナトリウム中の水素
は、電子配置上、ハロゲンの性質を帯びます。
 その意味で、いわば「窒化マグネシウム」
でもあるクロロフィルは、物性上興味深い物
質かもしれません。

 非常におおざっぱな暴論ですが、酸化物が
おもに中性の水に対して安定な元素は、半導
体的な性格をもちまたゆえに共有結合傾向が
あるのかもしれません。

 その意味では窒化マグネシウムは、窒化ガ
リウムと物性が似ているところがあるのかも
しれません。


====================

 6−2 光合成におけるマンガンと多価遷
移金属原子酸化物二次充電池の概念について

====================
====================

 6−2−1 マンガンクラスターについて

====================

 おそらく、順番としてはポルフィリンの電
子雲がマグネシウム経由で電子を吐き出した
あと、

 いわば電気陰圧で側鎖の導電性鎖をつうじ
て、
 マンガン側から電子をひきぬいているのだ
というのが現実に近いでしょう。

 マンガンの側も
 どうやらモリブデンとおなじく微細結晶と
でもいうべきクラスターを形成していますが、

 活性酸素にさらされるこの部位には硫黄骨
挌はつかえません。
 骨格には酸化物としての酸素がつかわれて
います。

 具体的には(手元に文献がないのでおぼろ
げな記憶ですが)、

 マンガンクラスターは

 1個の酸化マンガン(2価)と
 3個の酸化カルシウム

とでなっています。

 つまり

 MnO + 3CaO

 の組成を持っていて、

 酸素を陰イオン状にして塩化ナトリウム様
のすこしゆがんだ立方格子になっています。


  O―――Ca
  /|   /
 Mn――O|
 |Ca― |O
 |/   |/
 O―――Ca

 この原子団は、カルモジュリンよろしく、
 重炭酸グルタミン酸残基にでもholdされて
いるんでしょうか・・・。

・なぜカルシウムなのか

 それはおそらく、マンガンをholdするため
の結合を強固にするためだとおもわれます。
 カルシウムは金属、酸素は陰イオンと単純
に理解をかたずけてしまいがちですが物性論
はそんなに単純ではありません。

 たとえば、カルシウム塩が単純にイオン性
の物質であるのならば、どうして消石灰や炭
酸カルシウムは水に難溶性なのでしょうか。

 いわゆる土類金属といわれる一群は金属で
ありながらその塩は塩らしからぬふるまいを
します。水にとけないで沈殿するから「土」
類なのです。

 リン酸はたしかに酸化物酸で、それは酸性
の水溶液を作りますが、
 濃厚だったり、特殊な条件だと簡単に脱水
して高分子を作ります。
 硫黄のゴム状高分子のように。

 濃厚液が脱水重合して出来たメタリン酸は
まるでろうそくか滑石のような鉱物です。

(これが水に水和しながら徐々に溶解すると
きに出る溶解熱が、いわばリン酸の高エネル
ギー結合のマクロ的な姿です。)

 珪素の酸化物である珪酸は、たしかにアル
カリ金属などを相手して塩鉱物をつくります。
が、
 珪酸は自身のみでも安定な高分子、巨大分
子をつくり、それはイオン的には水にとけま
せん。

 珪酸塩は、水に溶解しようとするとき、ア
ルカリイオンだけを溶解し、乱暴な言い方を
すれば珪酸陰イオン成分は石英の巨大分子と
して固体のまま残ります。

 こういう現象は酸素をはさんでいるとはい
えイオン結晶というよりは共有結合性の物質
とみなしてもよいかもしれません。

 カルシウムやマグネシウムも中途に酸素を
はさんだ場合やや共有結合の気味のある結合
を形成します。

 粘質多糖類や繊維性有機物が負に帯電して
いるとき、カルシウムはその分子内にやや共
有結合的にはいりこみその組織の石灰化をう
ながします。
 病理・生理的な石灰化はこのようにおこる
のです(カニ殻)。
 果物のゲルは結合媒体してその成分にカル
シウムを含んでいますし
 携帯燃料としてつかわれる可燃ゲルは、低
分子の酢酸とアルコールのカルシウム抱合体
です。

 つまり、このクラスター内部の酸化カルシ
ウムはマンガン原子を遊離しないように共有
結合的に抱え込む作用があるともいえるかも
しれません。

 ◎マンガンクラスターの作用の実態

 結果的に電子を引き抜かれる水酸イオンは
このクラスターの周囲をすすみ、カルシウム
原子の手を借りてマンガンに渡されます。

 4価の状態のマンガンに配位した水酸イオ
ンは、電子を引き抜かれてヒドロキシラジカ
ルの状態になります。

 結果的にマンガンが2回酸化されるにした
がって分子酸素がひとつ作成される勘定にな
ります。

 4OH- + 2Mn4+ →

 4[OH・] + 2Mn2+

 4[OH・] → 2H2O + O2


====================

 6−2−2 光合成としての酸化物電池の
 概念について(人工光合成)

====================

※この項目では、マンガンが4価<>2価の
反応を往復する前提で記述していますが、
 2価のマンガンにまで反応は進まず、マン
ガンは3価の状態、
(マンガン電池の例では、オキシ水酸化マン
ガン、MnO(OH)にとどまるようです。)

 これは自然の光合成でもそうかもしれませ
ん。

 項目内目次(概念)

 松下電工の人工光合成モデル

 ◎光を電気に変換する素子としての「窒素」
化ガリウム=青色ダイオードの素子
 半導体としてのバンドギャップの概念
 水を電解するのに必要な1.2eVの壁

 cf実際の光合成系やヘムにおける陰イオ
ンとしての窒素
:混成π電子による酸素原子からの隔離と
しての本来の電気陰性度による半導体とし
ての活性窒素への変化
(シアン ピリジン ピロールの例)

 ◎電工氏光合成モデルにおける正極物質と
してのニッケル(水酸化ニッケルU)

 ニッケル(電工モデル)と
 マンガン(天然光合成)それぞれの蓋然性
 両金属のパウリ排他図

 ◎酸化物二次充電池としての光合成への理解

 ◎酸化物電池の例

 ◎リチウムイオン二次電池

 正極物質の違いによる電位差

  コバルト酸リチウム
  重マンガン酸リチウム
  ニッケル酸リチウム
  リン酸第一鉄リチウム

 リチウム一次電池との電位差
  リチウム(一次)電池 正極:二酸化マンガン 負極:金属リチウム
  リチウムイオン電池  正極:コバルト酸リチウム 負極:多孔質炭素

 ◎ナトリウムイオン電池
 ◎ニッケルカドミウム電池
 ◎ニッケル水素電池
 ◎鉛蓄電池

 ◎二酸化マンガン亜鉛電池:ルクランシェ電池

 溶解糊による区別
  塩化アンモニウム
  塩化亜鉛
  水酸化カリウム(アルカリマンガン電池)

 ◎付記:ダニエル電池

 ◎酸化物半導体

 この項を書いてしばらく多忙にてこの原稿
に手をつけることができませんでしたが、
 2014年になり該当項目を改めてwebな
どで再検査したところ、若干のあたらしい知
見が見出されていたようです。
 発明自体は昨年にまでさかのぼるようです
が、松下電工が実験室で人工光合成に相当す
る成果をあげていたということを経済新聞に
て知りました。
 逆にそのモデルから、現実の光合成を光学
電位的に把握しなおすことができました。

 光合成の一番の進化史上のbreak through
はすなわち、水(水酸イオン)から電子を引
き抜いて酸素を発生させるに足るエネルギー
を原始クロロフィルで光量子から得ることが
できるかどうかということでした。

 電工のモデルは、青色ダイオードでおなじ
みの窒化ガリウムを用います。

 その試験管内の実験装置とはまさに、ダイ
オード材料を基板上に成長させることそのも
のでした。

 電子を分子から引き抜くということは、電
流を作るということですから、いわば光から
電気(電位)をつくりだすことです。

 水の分解に必要なエネルギーは高いですか
ら、エネルギーの高い光から高電位をつくり
だすことです。

 理屈の上では、光半導体は、電気から光
作り出すことができ(発光ダイオード)また
その逆反応として、光から電気をつくりだし
うるということです。

 そこで動作電位差が問題になってきます。

 筆者は失念していましたが、青色ダイオー
ドを発光させるためには約3ボルト程度の高
い電圧が必要です。

 そういえば、中学生ごろの記憶で、赤いダ
イオードを光らせるためには市販の乾電池程
度の低電圧でじゅうぶんであったことをおも
いだしました。

 ガリウム砒素 赤 1.4V
 窒化ガリウム 青 3.4V

 クロロフィルの項でも書いたかもしれませ
んが、
 水の分解には、動作化学電位として
約1.2Vの実効電位差が必要です。

 光合成細菌は、この電位を原始クロロフィ
ルでえることができず、長い時代、還元水素
の供給を硫化水素にたよってきました。
 遺伝酵素の結果的改良によって、おそらく
クロロフィル内の窒素の状態が微妙に改良さ
れ、水を分解できるようになったおかげで、
原始植物は温泉地をはなれてその生息を大幅
にひろげることができるようになったのでし
ょう。

 人工光合成のモデルでは、1.2Vに対し
て3.4Vは大きすぎるような気もしますが、
系や分子を介してエネルギーをわたしておく
過程で、つねにロスがあることを認識すべき
でしょう。

 電工氏のモデルはこうです

 構造は基本、電子基盤膜構造で

 水溶液

     水酸イオン 酸素+水分子
       V   A
      酸化ニッケル層
 光量子>>窒化ガリウム層(導電用dope済み)―――――――導電線――インジウム電極
      窒化アルミニウム層              [還元水素による有機反応]
      酸化アルミニウム層(支持基盤) 水素イオン >>(おそらく)半透膜輸送

 おそらく、植物生体では導電線はキサント
フィルの、共役結合が担い、
 クロロフィルのフィトール部分は、チラコ
イド膜にポルフィリンを固定する役割しかな
いでしょう。

 このモデルはいわば明反応と暗反応を二室
に分け、光量子によって叩き出された電子が
導線を通って、インジウム電極の上で二酸化
炭素と水素イオンからごく簡単な炭素固定を
おこないます。

 窒化ガリウムは水と反応するはずですから、
おそらく上層物質のcoatingによって水溶液
とは遮断されていることでしょう。

(研究者氏はもちろん事前にいろいろ試行熟
考していたはずですから、当然ですが、)
 これは現実の光合成系の物質モデルとよく
一致しています。

        水分解物質  光量子担体

 松下モデル: 酸化ニッケル 窒化ガリウム
 現行光合成: 酸化マンガン 窒化マグネシウム
              (ポルフィリンπ電子励起*参照)

 水酸イオン反応もよく似ていて、
(以下、ローマ数字は中心金属の酸化数です)

・松下

 NiO(U) + OH- → NiOOH(V) + e-

 2NiOOH → 2NiO + 1/2O2 + H2O

・現行光合成

 MnO(U) + 2OH- → MnO2(W) + H2O + 2e-

 MnO2 → MnO + 1/2O2

 反応をみている限り、たしかにこの金属は
マンガンでなくてもかまわないような気がし
ます。

 松下電工がニッケルを用いたのは、おそら
く電気冶金の知見がニッケルに多かったから
なのだとおもいます。

 また、生体ではニッケルイオンはむしろ毒
物としてはたらくという記載が元素の詳細に
ありました。

 ニッケルはその電子配置上、4価ではなく
3価をとりやすいようです。ルイス的に表現
しますと、

 Ni

 4s ↑↓

 3d ↑↓ ↑↓ ↑↓ ↑  ↑

 ですから

 Ni(V)

 4s Void

 3d ↑↓ ↑↓ ↑  ↑  ↑

 この状態は、クロムの項でのべたように、
単一スピンの電子は、3つで準安定なのかも
しれない、という記述によるものです。

 ◎π電子結合について:2
(クロロフィル中のマグネシウムとポルフィリ
ンの結合について)

     窒素の状態を変化させるのは必ずしもπ電
    子だけとはかぎりませんが、すくなくとも電
    気陰性度の意味では、
     窒素は炭素のπ電子雲のなかにうずもれて
    いたほうがそれは、(炭素に対して)本来の
    値を示すことができるようになるようです。

     もともとアンモニウム性陽イオン:カチオ
    ンの性格は、水溶液中のより電気陰性度の高
    い酸素との相互作用によってでした。

         芳香炭素窒素化合物では、アニリンよりも
        ピリジン、ピリジンよりもピロールの傾向で、
        塩基性が弱くなっていきます。
         ピロールはむしろ陰イオンとしてふるまう
        こともあるとは、この項のビタミンB1のと
        ころでも書いたとおもいます。

         アンモニアよりは弱いとはいえ、アニリン
        がアミンであるのは、外枝に位置する窒素原
        子がπ電子結合にまきこまれていないからで
        す。
        (それでも塩基性が弱くなっているのは、若
        干のπ電子雲が電子を引き込んでいるからで、
        このエレクトロメリー効果によりアニリンは
        イミンの性格を帯び、
         またフェノールでは、側鎖の水素の電子を
        も「π電子が」奪い、結果、酸性を帯びます。
        (石炭酸)。)

     これは、水分子の酸素に対する挙動でもあ
    りますから、
     炭素に対する窒素のそれではなく
    (電気陰性度は、窒素よりも酸素のほうが大
    きい)、

     芳香族化合物のπ電子結合が結果、酸素の
    電気陰性度をうわまわる力を持っているから
    だ、ともいえることでしょう。

     つまり、

     H3N  + H2O → H3N+H + -OH  :アルカリ性 アンモニア水

     ですが、

     CπNH + H2O → CπN-  + +OH3 :酸性 ピロール

     と、言えます。

     これは、本来価の低いはずの窒素が酸素の
    電気陰性度を凌駕した、というのではなく、
     本来もっと価の低いはずの複数の炭素原子
    の「構造」が酸素の電気陰性度を凌駕した、
     といえるところのものです。

     これは、弱者の群れが人海戦術で、一点の
    高い価を凌駕したようなもので、これはいわ
    ば戦場で、ただひとりの膂力がたちまち倒さ
    れる現象とおなじものかもしれません。

        (これは、「実地の体験により、検証されて
        いない妄想」が「観念的超人」を夢見る幼稚
        が、実際においては有効に機能しないことを
        示すことと同じことかもしれません。

         これはまさに、ことばとしての「構造と力」
        であり、

         世界が、塔の中の経済学者が勝手に、

        「そうであったらわかりやすくていいな」

         という意味で、整数数値的に

         A>B

         と言う乱暴な仮定をすることに対する警鐘
        でもあることでしょう。

         世界の現実は、そう単純なものではありま
        せん。)

     ピロールの例では、示成式的に電子が窒素
    の上にのっているように描かれますが、
     この電子は本来共有結合としてのπ電子雲
    のポテンシャルのもので、
     窒素は相対的に炭素よりも電気陰性度が高
    いがゆえに、いわば「代表盟主」として電子
    の「名義」をあずかっているのに過ぎません。
     いわば利益としてのこの電子は、

     「株主のもの」であって、
     「やとわれ社長」のものではないのです。

     この現象は、面白く、たとえばそとでは乱
    暴ものである酸素原子が、芳香環にとりこま
    れ、「暴力としての株主円卓会議」に座らさ
    れると、
     一切の権限を剥奪され、系内では

    「陽イオン」

     として扱われることになります。

     π電子系はその結合の維持に、各原子に電
    子の供出を強制するので、もともと結合用の
    電子を余剰に持っていない酸素原子は、

    「電子赤字」

     に転落し、プラスの電荷を帯びるのです。

     この状況は酸素原子にとって、

    「屈辱としての異常」

     なので、酸素を芳香環にふくむ化合物は不
    安定で壊れやすく、その高いエネルギー状態
    は、有機物として、異常な青い発色をします。
     青いアントシアニン(デルフィニジン)は
    そのような物質です。

     ・・・π電子雲そのものが電子を引き寄せ
    るという意味では、π電子雲そのものが「酸」
    として振舞うということであり、

     その意味ではフェロセンやカルシウムカー
    バイドにおける、シクロペンテニルジエンや
    アセチレンは、

    「博物学的には」

     酸、とみなしても良いでしょう。

     シアン化水素がアミンではなく弱酸である
    ことも同様です。

     この概念の白眉は一酸化炭素で、

     シアンが配位子として金属イオンに配位す
    るのは、「高校生の概念的には」静電的に引
    き合うイメージを借りて、わかりやすいのか
    もしれませんが、

     電気的に中性な一酸化炭素による、カルボ
    ニル錯体を考えるときは、

     三重結合におけるπ電子雲の(一般的な)
    特殊な結合性格と、

     金属d電子における、共有結合が理解でき
    ていなければなりません。

     一酸化炭素は三重結合をなすとされていま
    すが、その結果、

       -C≡O+

     という分子内極性を帯び、

    (静電的クーロン反発力よりも、π電子雲構
    造を維持するためのエネルギーポテンシャル
    を優先させるために、こうなります。)

     この
     炭素側の極性電子が、
     たとえばニッケル原子の、


          ↓  ↓  ↓  ↓

    4sp [・ ][・ ][・ ][・ ]

    3d  [・・][・ ][・ ][・ ][・ ]

    3p  [・・][・・][・・]

    3s  [・・]

     の4つの、4sp混成電子殻の空席と共有
    結合を行います。

     この構造は、錯体におけるメタン、といっ
    てもよく、
     事実上ニッケルも一酸化炭素も、帯電して
    いない(つまりイオン結合ではない)にもか
    かわらず、
     結果の物質テトラカルボニルニッケルは、
    安定な共有結合性の物質として振舞います。
    (ただし、猛毒です。)

         *

 その意味では、ポルフィリンにキレートさ
れた金属原子は、
(水分子の静電的影響を除外できますので、)
場合によっては(半導体性?)窒化物として
みなしてもよいかもしれません。

 「チアミン」の項目のピロールの記事に戻る。。

・松下モデルで窒化ガリウムである必要性

 はかならずしもないでしょうが、水溶液に
対する安定した密封基盤を作成する技術、と
いう意味で青色ダイオード作成の技術を流用
したというのが本当のところでしょう。

 結晶を形成する技術がまずいと、電子がで
ずに熱として散乱してしまいます。

 バンドギャップ(励起エネルギー)

 硫化カドミウム 2.42V
 硫化亜鉛    3.91V ウルツ鉱態
         3.54V 閃亜鉛鉱態

 逆電池としての光合成

 光量子によるいわば発電機が光合成の明反
応ですが、
 ここでは極性物質の挙動に着目して、
「逆電池」とよびたいと想います。

 光合成の暗反応極は、結果的に有機物を作
るわけですが、それは単純に電池的には、極
で活性水素を作成する以上のものではありま
せん。
 水素を電極金属とみなせば、それは電池反
応です。

 光合成の明反応、は、二次電池(充電池)
における充電過程ととらえることもできます。

 ◎酸化物電池

 近年の二次充電池において、この概念はか
なり重要で、一個の概念としてくくって理解
すべきそれなのかもしれません。

 厳密に言えば、市販の一次電池(使い切り
電池)も多くはこの酸化物電池であり、その
意味では化け学的に厳密に言えば「充電」で
きます。

(ただ、適性電圧充電などが難しいがゆえに、
密閉式電池では過剰の電解ガスが発生したよ
うな場合に、爆発(水素なら引火)破裂の危
険があるので、メーカーは一応充電しないで
くださいとアナウンスはしているようです。)

 この意味では、生体は植物のほうから見る
と、

「二酸化マンガン水素イオン充電池」

 と言うことができます。暗反応でもたらさ
れる食料としての有機物とは、ニッケル水素
電池における、水素貯蔵電極物質の一バリエ
ーションでしかありません。

 ◎リチウム電池とリチウムイオン電池

 この項目で整理するまで筆者もこの区別を
あいまいに認識していました。
 定義から言えば、前者は金属単電池、後者は
酸化物二次(充電可能)電池です。

 違いは出力電位にあらわれ、

 前者は2.8V、
 後者は3.7V(市販品:コバルト正極)
です。

 これは極性物質の組み合わせと動作機構の違
いによるもいのです。

 発生する水素ガスの処理をどうしているのか
でその内部構成は違いますが、基本的には単電
池とは水溶液の水素イオンに対するその金属の
イオン化傾向があらわす電位がその出力電位と
なります。
 2.8Vとは単純に金属リチウムが希酸に溶
解するときの発生電位です。

 酸化物電池は、筆者が知った限りでは、水素
や水素イオンが介在する反応を回避するために
電解液を水溶液ではなく導電性有機溶媒をもち
いることが多いようです。
 そうすれば、陰極製金属物質と酸化物(のな
かのおもに遷移多価金属イオン)との電位差だ
けが問題にすることができるからです。

 リチウムイオン電池は、炭酸エチレンや炭酸
プロピレン(プロピレンカーボネート)という
効きなれない物質を使います。
 反応性が問題でなければ、このファイル前述
の硫化ジメチル:DMSや硫化ジメチルオキサ
イド:DMSOも利用できます。

     H
 H3C―C―O
     |  \
     |   C=O
     |  /
   H2C―O

 炭酸プロピレン:側鎖のメチル基が水素の場合
炭酸エチレン。

 H3C   CH3 H3C   CH3
    \ /       \ /
     S         S
               ||
               O

 硫化ジメチル    硫化ジメチルオキサイド
 DMS       DMSO

 備考

 酸化物電池では陰極製物質(金属)のイオン
化エネルギー電位と、正極物質として使用され
ている高次酸化遷移金属イオンが;放電にした
がって低エネルギーの酸化状態に変化する電位
の和として起電電位となるので、

 リチウムイオン電池は
 リチウム単電池2.8V
(市販リチウム電池は二酸化マンガンリチウ
ム電池なので、4価マンガンの電位差が加味
されるので電圧は3Vです。)

 よりも高い3.7V(市販品:コバルト正
極)を出力することができるのでしょう。

 市販品のリチウムイオン電池は、正極にコ
バルト酸(V)リチウム(放電時)を使用し、
陰極に金属リチウム(充電時:正確には炭素
系材料の結晶格子内に炭素合金のような状態
で包含)します。

 <放電終了時>
 コバルト酸(V)リチウム       格子状炭素

 <充電>
 導電線 ―――――――― e- ―――――――――
 ↑                      ↓
 酸化コバルト(W)→リチウム陽イオン 格子状炭素

 酸化コバルト(W)   金属リチウム+格子状炭素(広義の合金)


 <放電>
 ―――――――――――― e- ――――――――
 ↓                      ↑

 酸化コバルト(W) リチウム陽イオン←格子状炭素

 中心コバルトが電子を受け取ってWからV価に
 ↓
 冒頭状態に戻る
 単純推論では、3.7−2.8ですから、
コバルトの3価と4価間のエネルギー電位は

 0.9Vということができます。

 市販品のほかにもリチウムイオン電池の正
極材料はいくつか候補があり、

 コバルト酸リチウム  LiCoO2      3.7V
 重マンガン酸リチウム LiMn2O4
           =LiMnO2+MnO2 4.0
 ニッケル酸リチウム  LiNiO2      3.5
 リン酸第一鉄リチウム LiFePO4     3.6

 これは中央遷移金属の価電子変化にともな
うエネルギー順位の差分とみるべきでしょう。

 単純に想ったのですが、重マンガン酸の例
では、

 4.0−2.8=1.2(水の分解電位)
とおもったのですが、人工光合成ではニッケ
ル触媒で反応が成立していることもあり、こ
の数値は光合成系でマンガンが採用されてい
る必要条件ではないようです。たしかに高品
位収率ではありますが。

 ちなみに、リチウムのかわりにナトリウム
を利用すると、

 ◎ナトリウムイオン電池

ができます。ナトリウムの標準電位がリチウ
ムより低いので、電圧は下がりますが、これ
は蓄電池の直列積層化で問題はないことでし
ょう。

 ◎ニッカド電池

(ニッケルカドミウム電池)も同じ原理です。
公称電圧1.2〜1.3V

 正極、ニッケル酸カドミウム(放電時)、
負極、析出金属カドミウム(充電時)

 ◎ニッケル水素電池

は、水素を負極に配置された水素吸蔵材料が
担います。
 筆者は勘違いをしていましたが、ニッケル
はニッケル酸として正極に使用され、負極で
水素を吸収するわけではありません。
(公称電圧1.2V)

 この定義によれば、

 ◎鉛蓄電池

 も金属酸化物電池です。
 鉛電池については記述しましたので詳細は
割愛します。

 二酸化鉛(W) 希硫酸 金属鉛(0)

 公称電圧、2.1V

 ◎酸化物電池でありながら、
 市販では使い捨て扱いの電池

 ◎酸化銀電池

 公称電圧1.55V
 正極に酸化銀(T)、負極に亜鉛を用いま
す
 正極に金属銀が析出し、負極に酸化(水が
ある場合は水酸化)亜鉛になります。

 銀のイオン化エネルギーが高いので、高電
圧がえられるものです。
 金属の種類によって、ほかにもバリエーシ
ョンがありそうです。

 ◎二酸化マンガン亜鉛電池(ルクランシェ
  電池)

 公称電圧1.5V。
 いわゆるマンガン乾電池です。液相に苛性
カリを利用するとアルカリマンガン電池(亜
鉛は両性金属)になります。

 起源的には、亜鉛電池はボルタの電堆を祖
にもつのですが、
 対症療法的な改良の結果、化学的には、そ
れは原理動作がことなる別物・別種類の電池
となりました。

 水や水素の作用を考えない場合は、

 Zn → Zn2+ + 2e-

 のエネルギー電位差だけを考えればよいので
すが、水素が電流を妨げる方向にはたらくので、
ボルタ電堆は、実際には亜鉛と水素との競合に
よる発電電位しか得られません。

 亜鉛の単電池としての電位は、標準水素電圧
にたいしてきまり、それは約0.7Vです。

 対症療法として、発生する水素を除去するた
めに二酸化マンガンを、
 亜鉛イオンの溶出をさまたげないために、錯
体包含の目的で濃厚な塩化アンモニウムを、
 添加したのが、前記のマンガン電池です。

 この電池は、アンモニアは反応の前後で変化
しないので、いわば穏やかな状態の「塩酸電池」
とみなすこともできます。
 酸亜鉛電池ですから当然反応で水素が発生し、
これは内部の二酸化マンガンによって酸化され
て水になる「水っぽい電池」です。この電池は
ゆえに液漏れをおこしやすいものだといえます。

 後期のマンガン電池は、塩化アンモニウムの
かわりに、一見役にたたないような塩化亜鉛を
つめています。結果的に二酸化マンガンによっ
て酸化されて、酸化亜鉛:
(内部は湿っていますから間接的に、水酸化亜
鉛に変化し:先充填の塩化亜鉛とまざって、塩
基性塩化亜鉛:Zn(OH)Clとなります。

 前記マンガンと後記マンガン電池は電気化学
上どこまで厳密に区別できるのかは、よくわか
りません。

 しかし、化学式の理屈の上では酸化物電池で
す。
 水素分極が生じない場合の(通電した直後の)
ボルタ電堆単電池の電位は公称1.1Vです。

 ルクランシェ電池の電位は1.5Vですから、
二酸化マンガンの作用は0.4Vあるいは水素
標準電極をあいだにはさんで、
(1.5−0.7=)0.8と見積もれるかも
しれません。

#放電前
 二酸化マンガン(W)               亜鉛陰極

#放電後
 酸化マンガン(U) 酸化亜鉛(実際は水酸化亜鉛) 薄くなった金属亜鉛陰極

(この組み合わせをマンガン酸亜鉛:
 ZnMnO2、と見ることもできます。

 この表記は厳密には正しくはありません。
 正式なマンガン酸は6価の化合物であり、

 [MnO4]2- で、 緑色のイオンです。)

 そう述べるには実験で検証しなければなり
ませんが、これは逆電流によって充電できそ
うです。
 ただそれは開放系のモデル実験で行うべき
であって、市販の乾電池を充電すると、発ガ
スによって破裂したり、析出金属が樹上成長
して正極に短絡することもありそうです。

 樹状成長の事象は、亜鉛空気電池で発生し
ます。

 ◎アルカリマンガン電池

 この電池も酸化マンガン亜鉛電池ですが、
溶液に(濃厚)苛性カリを使用します。

 特徴は、塩化亜鉛の電池と同じように水が
発生しないことです。

 電気的に安定だという特性もあるようです。
が、個人的には具体的な知識がありません。

 反応は

 #塩化アンモニウム糊の場合

 MnO2→MnO + [O]

 Zn + 4NH4Cl +[O] →

 Zn(NH3)4Cl2 + 2HCl + H2O

 つまり
 Zn+4NH4+ + [O] →

 Zn(NH3)42+ +2H+ +H2O
 テトラアンミン亜鉛イオン

 となって水ができますが、

 #水酸化カリウムの場合(マンガンの反応省略)

 Zn + 2KOH + [O] +H2O

 →K2Zn(OH)4

 つまり

 Zn + 2OH- + [O] + H2O

 →Zn(OH)42-
  テトラヒドロキソ亜鉛酸イオン

 となってむしろ水分子を消費します。

 ◎付記:ダニエル電池

 生化学の議論とはなれる気がしますが、以
下ちょっとだけ。

 ダニエル電池はボルタ電池の起電力低下に
対する解決策のひとつです。

 ――     2e-   ―――導電線
 ↓              ↑
 銅 :硫酸銅  |硫酸亜鉛 :亜鉛
 Cu:CuSO4|ZnSO4:Zn

      塩橋または隔壁

 Cu←2e- + Cu2+
         SO4 2- | SO4 2- Zn2+
                       Zn2+ + 2e- ← Zn

 水素を反応に介さないので、水素による分
極がおきません
 公称電位は1.1V。

 中学生当時、この原理をみて、別に半透膜
でもない隔壁を通じで両方の金属イオンが拡
散によってまじりあわないのかなとふしぎに
おもっていました。
 ダニエル電池の隔壁の目的とされる機能は、
亜鉛極を銅イオンから保護することです。

 銅極側に、亜鉛イオンが到達してもイオン
化傾向が違うので、反応はおこりません。

 隔壁は半透膜である必要は強いてありませ
んが、すくなくとも液比重の意味で銅室側の
比重が亜鉛側よりも濃くてはいけません。
(銅イオンが濃いと、拡散によって亜鉛室
にもれ出てしまいます。)

 反応が進むと、銅イオンは陽極に電気泳動
的に凝集されますので、陰極側に拡散するこ
とは抑制されます。

 いっぽう、陰極側に発生した亜鉛イオンは
次第に単純拡散によって陽極室にも浸透し、

(理想的に陰極側の亜鉛金属が十分ある場合)
最後は溶液に銅イオンは存在しなくなり、両
室とも、硫酸イオンのモル等量につりあう亜
鉛イオンでみたされるようになります。

 水素の反応がないとみなすと、水素の標準
電位を介在して、

 亜鉛の電位 ―0.763
 銅の電位  +0.340

 ――――――――――――

       −1.103

 このあたりの理屈は、多価金属酸化物電池
とおなじです。

 厳密には筆者は知りませんが
 この値がダニエル電池の公称電圧であるの
であれば、金属の選択をかえればもっと電圧
の高い電池もつくれそうです。

 硫酸銅ではなく、硝酸銀をつかえば、

 2Ag:2AgNO3|Zn(NO3)2:Zn

 とし、

 亜鉛の電位 −0.763
 銀の電位  +0.799

 ――――――――――――

       −1.562

 1.5Vが得られます。

 銀イオンの意味では硝酸塩も酸化物もおな
じですから、これは酸化銀亜鉛電池の電圧と
同じです。

 ◎酸化物半導体

 クロロフィルが事実上窒化マグネシウムで
あることからはじまって、ダイオードである
窒化ガリウム、窒化インジウム、
 など窒化物に半導体が多いことで単純に窒
化物をしらべていたことがあります。

 窒化アルミニウムや窒化ホウ素は半導体で
はありません

(この定義も程度問題なので、電子の熱的な
エネルギーがバンドギャップという井戸ある
いは堤防を超えることができるほど高い場合、
半導体・絶縁体の区別はあいまいになってき
ます。)

 V族X族型半導体は、半導体的な炭素や珪
素の天然の、PN接合のような状態を介して、
導電性と比較的低い半導体としてのバンドギ
ャップを手に入れます。

 しかし原子量が近すぎると、半導体として
の性格をしめしません。
(同じような事情はU族Y型半導体である硫
化カドミウムやセレン化合物にもあてはまり
ます。)

 金属原子が大きい場合の窒化カルシウムは
半導体ですが、これは、
(急速冷却製法:窒化カルシウムCa2N)

 Ca Ca Ca
 Ca Ca Ca  |
           | 一単位
 N  N  N   |
           |
 Ca Ca Ca  |
 Ca Ca Ca

 N  N  N

 という構造が石墨のように連続し、その両
側に、カルシウム由来の帯電子自由帯を形成
します。

 染み出した電子・ホール(帯)が原子結晶
構造のようにふるまうのを、エレクトライド
と呼ぶそうですが、
 結晶格子全体に電子運がひろがっている金
属ではありませんが、この経路雲を通じて電
気が流れます。
 グラファイトの(π電子)導電性に似てい
ます。

 逆に酸化物であれば、これは大きな金属原
子、ということですから

 酸化ガリウム、酸化インジウム、となりま
す。

 インジウムは、原子の大きさがおそらく酸
素に匹敵するほどおきく、また2:3の原子
個数比率なので、その結晶構造はヘロブスキ
ー石構造かもしれません。

 その場合(doopによる余剰)電子は、酸素
原子の連続を伝って伝播するのだとも考えら
れます。

 推測ですが、前述の電工氏人工光合成にお
ける有機物合成において、生成する物質を制
御するためにインジウム系電極をもちいた、
というのはこのあたりの理由かもしれません。
種物質の二酸化炭素の極性を制御しないと、
目的の物質がえられません。

 二酸化炭素は酸素と炭素でδ分極していま
すので、吸着にホールをつかうか電子をつか
うかで、分子のおもてうらがひっくりかえる
こともあるでしょう。

・金属極の場合

 M   M  4e-  M   M
  +   +
 :   :
  -   -
 O   O 2H+ →   O  +H2O
  \ /         ||
   C          C
  ¨ ¨        / \
  H+ H+      H   H:ホルムアルデヒド

  4OH-:反対側で電子を抜かれて酸素になる

 電子がかなり過剰の場合

 M   M  8e-  M   M
  +   +
 :   :
  -   -
 O   O 4H+ → H2O+H2O
  \ /
 H+ C H+      H―C―H
  ¨ ¨         / \
  H+ H+       H   H:メタン

  8OH-:反対側で電子を抜かれて酸素になる

・酸化物半導体の場合

     M    2e-       M
  O     O        O   O
   -     -
   +     +
  C     C      O=C・ ・C―OH
 // \   // \   →   |   ||
O   O O   O     HO   O

    H+     H+       ↓

  2OH-:反対側(略)
                 O
                 ||
              HO―C―C―OH
                   ||
                   O

                   ↓

              HO     O
                \   //
                 C―C
                //   \
               O     OH:蟻酸


====================

 6−2−2−1 酸化物半導体

====================

 酸化インジウムだけではなく、

 酸化物半導体として、窒化物や硫化物の物
性を調べて物性を調べて物性を調べていたと
ころ、「半導体的挙動による触媒」という項
目に五酸化バナジウムの名前を見つけました。


 硫酸製造のときに用いられる酸化触媒です。

 SO2 + [O] → SO3 (V2O5)

 これが実は導電性を持っている物質だとい
うことで、
 過剰酸化物という意味での、二酸化鉛を想
い出しました。

 筆者は、希硫酸で鉛蓄電池を中学生のころ
に作ったことがあったのです。

 釣り鉛の板表面にびっしりとついた褐色の
物質はどうみても金属にはみえませんでした
が、
 しかしその表面に電解充電時にびっしりと
ついた酸素の泡をみるに、それが通電性をも
っていることが、30年前の記憶として理解
されました。

 しらべてみるとまさしく通電性があるとい
う記述があります。

 電解通電時は、二酸化鉛極は正極ですから、

 2OH- → H2O + 1/2O2 +2e-

 となりこれが酸素原子の層(あるいは直線
的連鎖)、を伝播していくのでしょう。

 二硫化モリブデンの電気物性に似ているか
もしれません。

 二酸化鉛も五酸化バナジウムも原子価から
いえば過剰酸化物ですから、担体を酸化する
方向に働きます。

 おそらく金属原子が小さすぎるという意味
で、窒化ベリリウムや酸化アルミニウムは半
導体ではありません。

     *

 ここで筆者は、窒化亜鉛に面白い物性があ
るかどうか気になりましたが、オンライン上
には情報が簡単な形では見つかりませんでし
た。

 某氏によると、遷移金属は金属原子の形が
球形ではないので、その化合物は半導体にな
りにくいとの記述をどこかで読んだことがあ
ります。

 ただ、亜鉛は、3d軌道がすべて満席にな
っているので、遷移金属というよりは、マグ
ネシウムやカルシウムに物性が近く、

 また同様のことがその縦の同属元素にもお
こるらしく、

 カドミウムはカルシウムと置換可能で(イ
タイイタイ病)、

 酸化水銀電池が性質がよいのは、水銀が遷
移金属というよりも典型元素としてふるまう
からなのでしょう。
 そもそも水銀の、ガリウムに似た異常な低
融点は、それが典型元素金属であることを示
しています。

 少なからず色のついている遷移金属のイオ
ンにくらべ、亜鉛塩の水溶液は無色です。

 おなじ2価、4配位のイオンであるにもか
かわらず、

 蒼いテトラアンミン銅は、配位子が正方形
平面に配置されているのに対して、

 無色のテトラアンミン亜鉛は、配位子が四
面体の頂点に位置し、それは空間対照性が高
い配置となっています。

 カドミウム程ではありませんが、亜鉛の化
合物も若干の半導体性を有し、

 また半導体性は光量子の性質を介して蛍光
・吸光性を帯びますから、
 酸化亜鉛が蛍光物質であるということは酸
化亜鉛が半導体でもあることを暗示します。

 ただ、酸化亜鉛のバンドギャップ(窒化ガ
リウムの項参照)はきつく、それを励起させ
るためには、波長のきわめて硬い紫外線のエ
ネルギーが必要です(蛍光灯)。
 酸化亜鉛がもし発光ダイオードに応用でき
たら、その光は青色になるはずだ、という議
論はここからきています。

 ただ、筆者は連想しましたが、実用化され
たセレン化亜鉛のダイオードはその発色は
「白色」です。市販の蛍光灯と同じ色です。

 ・・・セレン化亜鉛ダイオードの論文を見
る限り、「青い」光量子として発光するはず
のエネルギーの一部が、二次ポテンシャル経
路を通じて、黄色の発光としてもれだしてし
まい、青+黄で白色発光になる、との解釈が
記されていました。

 なお、このダイオードは窒化ガリウム複色
混同白色ダイオードよりも安価に製造できる
反面、素子が物理的でもろく、寿命が短いの
が欠点であるともありました。

 以上のことから類推すれば、硫化亜鉛と同
様、窒化亜鉛も定義の上では半導体であるは
ずだと推測できます。


====================

 6−2−2−2 電子化物
         (エレクトライド)

====================

 ・・・最近の化学トピックにこの言葉がみ
うけられますが、この概念を把握するのに筆
者は少々難儀をしました。

 結論を先に言いますと、エレクトライドと
は金属のことです。

 もちろん、なにをもって金属と定義するの
かという議論はあることでしょうが。

 金属の定義とは、ここでは

 単体または化合物(ふくむ共晶)の格子上
に、外殻の電子が非局在的に瀰漫し、電子波
とまでみなせる状態にまで遷移し、導電性を
しめすことを意味します。

 電子の瀰漫性がはなはだしくなると、それ
は化学的にも活性的に振る舞い、非電子原子
間結合(しばしばd共有結合)の弱い軽金属
は、還元性を示します。

 筆者の勘違いをふくめて総括しますと、化
合物・共晶の導電性物質は、共有あるいはイ
オン結合に参加しない電子が(エネルギーポ
テンシャル的にも)あまっていて、これが格
子外にもれだして、余剰電子・自由電子とし
ての性質をもつものだと考えられます。

 非常に典型的だったのは、はずかしいこと
ながら、層状電子化物である窒化カルシウム
が、安定塩である

 Ca3N2

 だとおもっていたことでした。

 ・・・実際にはそうではなく、急速冷却に
よる組成、

 Ca2N

 でありました。

 これならば、二硫化モリブデンのように、
同種原子が2層にわたって重なることができ
ます。

 Ca Ca Ca

 N  N  N

 Ca Ca Ca
 Ca Ca Ca

 N  N  N

 Ca Ca Ca

 乱暴に言えば、導電性セメントも、アルミ
ナと生石灰の共晶を部分還元して得られてい
ますから、逆に言えば導電性セメントとは、
通常酸化物にアルミニウムないしカルシウム
をdopeしたものと考えることができます。

 このように、エレクトライドとは、結果的
に金属をdopeしたものと考えると、一面では
理解しやすいものです。

 同様に、酸化インジウムはそれだけでは導
電体ではありません。
 微量の、導電体である酸化錫を添加しない
と電気を通すようにはなりません。

 いっぽう、非金属元素が挙動に関与してい
るとみなされる例は、硫化物・酸化物半導体
にににみられますが、たとえば二硫化モリブ
デンは、

 S  S  S

 Mo Mo Mo

 S  S  S
 S  S  S

 Mo Mo Mo

 S  S  S

 という構造を持ちます。

 構造上、このばあい窒化カルシウムと同じ
ように、硫黄原子が電子を供出しているとみ
るのが自然なようですが、実際硫黄の電気陰
性度は2.5と炭素とおなじくらいで、その
電位的酸化力は弱く、逆に強い酸化力(d電
子による共有結合性の強い)をもつ遷移金属
原子に「食われて」しまうことがあるようで
す。
 その意味で、潜在的酸化力の強い(鉄など)
遷移金属の硫化物はむしろ金属硫黄との共晶
合金とみなしたほうがいいこともあるようで
す。

 もっと極端な例は、「酸素を食ってしまう」
例があることで、導電性のある酸化錫(W)
や二酸化鉛(W)の例なのでしょう。
 導電性のある酸化物が、遷移金属のそれで
はなく、重非金属でもある典型元素金属のそ
れであることは興味深いことです。

 ちなみに、酸化錫SnO2、
      二酸化鉛PbO2は層状構造を
もつかもしれません(?)。

 O O O

 M M M

 O O O
 O O O

 M M M

 O O O:M:metal

 ・・・この意味では、硫化物が導電体(半
導体)で酸化物がそうではない元素において
は、
 十分な高エネルギー(バンドギャップ)状
態では、酸化物といえども導電性を示す可能
性があります。

 酸化チタンが紫外線光量子で励起されると
きは、おそらく酸素原子が乖離し、その電子
が導電性構造の中をすべるのでしょう。

 同じように蛍光物質である酸化亜鉛は、短
波長の紫外線で(蛍光管の内部)可視光発光
しているときには、その固体のなかでは、電
子が運動(電流)しているかもしれません。

 ◎炭素電極について

 電気炉など冶金工業でもおなじみの炭素電
極ですが、これが導電性を示すその性質は、
まさに電子化物の挙動にほかなりません。

 フェロセンの一部でもあるシクロペンテニ
ルジエンは、酸化還元傾向において、つぎの
ように振舞います。

    H        H
    ・        ・
   //\       /\
 H・  ・H ←→H・  ・H
  |  ||     |π |:e-  +H+
  ・――・     ・――・
 HH   H    H  H

 これは、構成炭素原子が、sp2混成軌道
の平面状態が安定である条件に、平衡は右に
移動します。
 またすべての炭素は同等であるがゆえに、
電子は非局在化し電子雲としてふるまいます。

 炭素・炭素結合にあずからない余剰電子は、
分子の表面ににじみ、また外へはじいた水素
イオンを、ほかのジエン分子とともに互いに
サンドイッチした(直線状に)構造をとるこ
とでしょう。

 この水素イオンが、単純なイオン化傾向に
よって、鉄と置換したものがフェロセンです。

 また、青色染料の基幹骨格として重要なト
リフェニルメタン、

       ・
      //\
     ・   ・
     |   ||
     ・   ・
      \\/
       ・
       |
   ・   ・H  ・
  //\ / \ //\
 ・   ・   ・   ・
 |   ||   |   ||
 ・   ・   ・   ・
  \\/     \\/
   ・       ・

 も、中央のモノヒドロ炭素がsp2状態に
おちついて平面構造になろうとしますので、
おなじく

(中央のみ抜粋)

  |
  ・:e-  + H+
 / \

 と水素イオンを放出します。
 この電子挙動のポテンシャルエネルギーが
大きいので、この骨格をもつ色素は波長の青
い光を放射し、また外部からの水素イオンの
解放、抑制によりこの系統の色素はpH指示
薬でもあるものがあります。

 to be plane or tetrapod,
 it is the question.

 ブロモチモールブルー、マラカイトグリー
ン、フェノールフタレインが代表的です。フ
ェノールフタレインの赤はやや青みを帯びて
いるので、赤紫とみなすべきでしょう。

 これらはsp2安定性のために水素(電子
と水素イオン)を放出する変化ですが、ベン
ゼン核が無限につらなった、超アントラセン、
超ベンツピレンというべきシート構造

(筆者は長い間ポリセンシート、と書きまし
たが、これはグラフェンと呼ぶそうです)

 では、もともと水素がありません。

 ポリ・ベンゼンシートを便宜的に以下のよう
に表現すると、

 ・・・C=C―C=C―C=C―C・・・

 おなじように電子をその表面ににじませる
ので、

    e- +  e- +  e- +  e-
 ・・・C=C―C=C―C=C−C・・・
    +  e- +  e- +  e- +

 という構造になり、

 これは、シートが互いに重なることにより、

 ・・・C=C―C=C―C=C・・・:n+
    e- e- e- e- e- e-
 ・・・C―C=C―C=C―C・・・:n+
    e- e- e- e- e- e-

 という構造を作ります。

 この垂直方向の結合は、共有結合ではなく、
電子を原子とみなして結合したイオン結晶の
ようなものと理解したほうがいいところのも
のでしょう。

 これはまさに、電子化物であることがその
まま結合に寄与した事象ともいえると想いま
す。これは、二硫化モリブデンの構造と、潤
滑性に共通した事象です。

(これはトランスポリアセチレンの構造にも
見えますがこれは直線と平面の構造の違いだ
けです。)

 二次電池(充電池)では、還元された単体
をどのように保持するかが問題ですが、リチ
ウムイオン電池では、この石墨のシート間の
電子がある領域に、還元リチウムを保持する
ことによって、充電状態を保持します。

 いわばリチウムによるフェロセンの状態が、
リチウムイオン電池の充電構造の本体です。

(研究者氏は、当初トランスポリアセチレン
で研究をしていたそうです。)

 リチウムイオン電池の負極として、石墨と
しての炭素はグラフェンシートとして、格子
巨大分子が陽電荷をおびていますから、概念
的には還元されたリチウムとの構造はリチウ
ムとの炭素合金、というべきものです

 リチウムには共有結合性が顕著ですので、
その結合も共有結合とみなせなくも無いでし
ょうが、おなじ原理で動作するナトリウムイ
オン電池の例もありますから、これはあくま
で炭化リチウム、炭化ナトリウムと理解すべ
きものでしょう。

(ここではアセチリドの概念は含みません)

 炭素骨格はアニオン(陰イオン)として振
舞うことになります。
 電池とは動作電圧が大事ですから、炭化物
が純粋金属とさしてかわらないポテンシャル
損失の小ささを持つことが重要ですが、
 電気陰性度の意味で、相対的に両性元素で
ある炭素はそのポテンシャルをほとんど下げ
ません。

 ◎おまけ

 電子を蓄える(つまり場合によっては水素
を蓄える)電池極物質としてある有機物が雑
誌に載っていました。

 おそらくトリフェニルメタン系の物質に、
求電子系の架橋剤を作用させたとされる物質
で、

 電子(つまり水素)を条件によって吸放出
できる物質です。
 筆者は、これは生物呼吸鎖における、電子
伝達物質の動作であるとうけとめました。
 呼吸鎖キノン(いわゆるコエンザイムQ1
0)と動作はおなじです。

 はからずも、呼吸・光合成は電池・電子反
応であることがここでも顔を出します。

 その動作を初等の化学幾何で類推すると以
下のようになります。実際には電子は非局在
化しています。

       ・                   ・
      //\                 //\
     ・   ・               ・   ・
     |   ||               |   ||
 O   ・   ・   O      -eO   ・   ・   Oe-
  \\/ \\/ \//         \ //\ / \ /
   ・   ・   ・           ・   ・   ・
   |   |   | +4e- ←→    |   ||   ||
   ・   ・e-  ・           ・   ・   ・
  //\ / \ //\         //\ / \ / \
 ・   ・   ・   ・       ・  -e・   ・e-  ・
 |   ||   |   ||       |   |   |   ||
 ・   ・   ・   ・       ・   ・   ・   ・
  \\/ \ / \\/         \\/ \\/ \\/
   ・   ・   ・           ・   ・   ・
       ||                   |
       O                  -eO

 ◎雑考:π電子の酸性性

 以下は、夜景を見ながらぼんやり考えてい
たことです。

 植物などの有機物は堆積すると泥炭を経て
炭化します。
 尾瀬ヶ原などの高層湿原では、水は酸性に
なるそうで、植生は酸性に耐えられる植物に
限られるそうです。

 その酸性とはなにかと想っていました。も
ちろん速やかに二酸化炭素に分解される酢酸
や乳酸ではありません。

 園芸でつかわれる腐葉土などはわずかに酸
性を帯びていて、それは化学的には「腐植酸
(フムス酸)」とよばれる高分子酸です。こ
れは繊維素などが変性した物質です。

 堆肥が効力があるのは、このうすい酸が、
カリウムなどのミネラルを保持する作用が大
だとされています。

 石墨の項目で書きましたが、芳香族環はエ
ネルギーポテンシャル的には電子が非局在化
していたほうが安定なので、コエンザイムQ
10の理屈からいえば、キノンよりもエノー
ル型のほうが安定な理屈になります。

 変性し、炭化した高分子有機物は分子のそ
こここに芳香化が進んでいますので、枝とし
て出ている酸素原子もエノール水酸基として
遇されることになります。

 そこで、電子非局在化の作用が働くと、水
素の電子が奪われ、水素イオンとして水溶液
中に出て行きます。
 石炭酸:フェノールが、薄い酸として働く
理由でもあります。

 石墨自体は電子化物として酸でも塩基でも
ありませんが、その電子を引っ張る潜在的な
作用は、石墨に酸素がわずかに化合した状態
では、それを酸として作用させることになる
でしょう。
 d電子の共有結合として、酸化力の強いd
電子を持つ金属:白金などはおそらく酸素の
ような原子にたいして同様に作用し、その作
用こそが酸化触媒として工業上重要な作用と
なっているのかもしれません。

====================

 6−2−2−3 色素増感型太陽電池とい
 うモデル系について v0.991

====================

 v0.99を上梓したあと、「ほうれん草をつ
かって電池を作る」という件の案件がweb上
に追試のようなものとしてないかと調べてみ
たところ、安価な次世代太陽光電池であると
ころの、色素増感型電池に関連があることを
知りました。

 正確には、色素増感型太陽電池のバリエー
ションとして、専門家が設計した増感色素を、
緑葉色素でおきかえたばあいの試験実験とい
うものでした。

 その詳細は後述することにして、ここでは
本来の、専門家によってデザインされた色素
増感型発電機構をメモすることにします。

 はからずも、なのか、あるいはあらかじめ
の熟知の結果としてなのか、

 その仕組み・動作原理は光合成の明反応:
水の光分解の項目にとてもよく似ています。

 結論を先に述べますと、光合成光分解にお
いては、

 (プラスト)キノン → 電子       +  →→→ 水素(拡散)

    ↑ 光による電子譲渡       水素イオン
                         ↑*:水素イオンによって
 クロロフィルa        ↑光による電子の | 回転する化学水車→仕事→ATP合成
  (おそらく)キサントフィル |吸引陰圧の発生 |
    酸化マンガンクラスタ  |        |水素イオンによる
                         |「イオン電流」
             水→水酸イオン + 水素イオン
             ↑  ↓
             水←酸素 + 水素

 (図1)

 という、電子の移動に関する「一列伝達」
というものが重要なのだと思われます。

 色素増感型太陽電池においては、

   ヨウ素ヨウ化カリウム溶液 →→→ 電子    :陰極
                           ↓
   ↑ 光による電子譲渡              |
                           ↓
 有機増感色素+介在遷移金属原子     ↑光による ◎:電流による仕事
  伝達直線π電子雲(チオシアン酸イオン)|電子陰圧 ↓
   二酸化チタン            |     ↓
   ―−酸化インジウム錫などによる透明電極――――――

 (図2)

 となっています。

 増感型太陽電池の一例。

      ・   ・
     //\ /\\
    ・   ・   ・ :フェナントロリン
    |   ||   |
    ・   ・   ・
     \\/ \// \
      N   ・   ・  I3- + K+
      ‥   |   ||  :ヨウ素ヨウ化カリウム溶液
      |  :N   ・ フェナントロリンは窒素で配位結合
      | /  \\/
      Ru2+   ・
     /|
    / |  :ルテニウムイオン(2価と仮定して描画、また実際は6配位)
   S-  S- *イオン表記ですがかなり共有結合的
   |  |
   C  C
   |||  |||  チオシアン酸イオン
   N  N
   ‥  ‥ 配位結合
 O=Ti Ti=O 二酸化チタン。便宜上分子的に表示
   ||  ||
   O  O

 チタンとルテニウムをつなぐ2極座配位子
としてのチオシアン酸

 ・フェナントロリンとルテニウムイオンの配位結合

           ・   ・
          //\ /\\
         ・   ・   ・
         |   ||   |
         ・   ・   ・
          \\/ \// \
           N   ・   ・
  窒素の余剰電子対 ‥   |   ||
           |   N   ・
           |   ‥\\/
           |   | ・
           |   |
  [ ・] [ ・] [  ] [  ] 配位結合は、空席に結合
 チオシアン酸からの電子

 5p void
 5s void
 4d [・・] [・ ] [・ ] [・ ] [・ ]

   ・   ・             ・   ・
  /\\ /\\    光hν    //\ /\\
 ・   ・   ・    ↓    ・   ・   ・
 ||   |   | π電子構造励起 |   ||   |
 ・   ・   ・ ←―――――― ・   ・   ・
 .\ /. \\/\\        .\\./.\// \
   N    ・   ・         N   ・  ・
 [‥][ .]  |.   |         [‥]   |.  ||
     [‥]N.   ・           [‥]N.  ・
      [ .]\//              .\\/
         ・                 ・

 この左の構造は、構造ポテンシャルエネル
ギーが、静電平衡を乗り越える話なので、電
子を欲しがります。

 構造上、ルテニウム原子から電子をふたつ
奪い、自身は陰電荷を帯びますので、都合
「酸」になります。

(陰電荷を帯びているので、溶媒中の水素イ
オンを吸着し、窒素をイミン表記にしても良
いのですが、そうしなくてもこのモデルは酸
化還元を表現できるので、こんかいはしませ
ん。
 そうすると、ルテニウム原子からの結合が
離れたように見えてしまいます。

(クロロフィルの場合は、そう表現してもか
まわないようです。クロロフィルの場合は、
電子授受の窓と、水素イオン結合の可能領域
は、べつです。

 ・・・整理した結果、この複合体の反応を
酸塩基的に表記することも出来ます。

 酸化チタン + チオシアン酸ルテニウム:中性フェナントロリン配位

 ↓

 チタン酸スルフォニウム:変性シアン配位塩 + フェナントロリン化ルテニウム

 ↓電極電子による還元             ↓重ヨウ素イオンを解した電極への放電

 酸化チタン + チオシアン酸ルテニウム:中性フェナントロリン配位

 概念的には、(酸化チタンは紫外線で有機
物酸化分解力があるので、こんかいもエネル
ギー活性中心であるように見えますが、物質
をならべてみるとどうも有機色素が駆動力の
中心に見えます。
 この点は、光合成で水の分解に酸化力の強
いマンガンをつかっている一方、反応の中心
はやはり葉緑素であることとおなじようなこ
とかもしれません。

 この系で、特殊なように見えるのは重ヨウ
素イオンのふるまいで、

 I- + I2 <> I3-

 という平衡が可能なことです。この性質は
生体ではキノンの機能に相当し、電子の輸送
担体になります。

 つまり、

 3I- <> I- + I2 +2e-

 ヨウ素については後述します。

 フェナントロリンとルテニウムとの電子授
受は、配位結合と共有結合の往復として理解
するとわかりやすいでしょう。

 便宜的には6段階で記述できます。

 ルテニウムは、鉄とおなじ電子配置ですか
ら、

 5s [・・]
 4d [・・][ ・][ ・][ ・][ ・]

 という最外殻を持ちます。

 今回のルテニウムは、重クロム酸や過マン
ガン酸のように、酸素にd電子を重く共有結
合されたような状態になっていないようです
ので、
 便宜的に最外殻を価電子の、sp3混成の
ようにとらえることにします。

 そうなると、イオン的には、
「チオシアン酸ルテニウム」になりますから、

       [・・][・・] :フェナントロリンの窒素の余剰電子対*2
        |  |
 [・ ][・ ][  ][  ]
  |  |
 [ ・][ ・] :チオシアン酸の硫黄原子との(準)共有結合。

 という構造になります。

 煩雑になりますので、以下はフェナントロ
リンの窒素一原子と、チオシアン酸一分子の
電子挙動のみ書き記します。

 基底状態は、以下ですが、

 光照射によりフェナントロリンの状態が変
わり、ルテニウムもうひとつの電子対が相対
します。

    [・・]        [・・][ ・]
     |          |
 [・ ][  ]  →  [・ ][  ]
  |          |
 [ ・]        [ ・]

 これは、強い共有結合を要求しますので、
まずルテニウムの電子ひとつを奪い、
 結果、硫黄の電子をうばいます。

 フェナントロリンは、構造上共有結合と
配位結合を同時にしないとみなせますので、

 この余剰電子対は結合に預からないので
脇に押しやられたとみなせます、

    [・・][ ・]      [・・][・・]
       /           /
 [・ ][・ ] <共鳴> [・ ][  ]
  |  ↑        |
 [ ・] |       [ ・]

     ↑硫黄を介して下層からくみ上げられた電子

 しかし、フェナントロリンは励起状態から
基底状態に戻るときに、このくみ上げた電子
をルテニウムに戻しません。

 いわば概念的には、
「フェナントロリン陰イオン」になって、
ルテニウムから結合を離し、


 この電子を二次的な電子担体に渡します。

 共鳴状態、図の右辺のまま結合が分離し、

 [・・][・・](負に帯電) → [・・][ ・] + e-
                   ↑安定状態の内部結合に戻る電子、
                 ↓

                [・・] 再びルテニウムの空白電子対に配位。
                 |
                [  ]

 ・・・あるいはやはりいちど水素イオン
が触媒的に結合すると考えたほうが、わか
りやすいかもしれません。

 [・・][・・](負に帯電)   [・・][ ・] 「フェナントロリン化水素」
     |              |   としてルテニウム原子から分離、
    [  ](水素イオン、     [・ ]
        正に帯電)

                [・・] 基底状態にエネルギー回帰し、水素原子を分離、

                   [・ ]水素原子 →[  ]水素イオン+e-

                 ↓

                [・・] 再びルテニウムの空白に配位。
                 |
                [  ]

 :チオシアン酸側の挙動。

 駆動色素は、光量子によって酸化力を得、
(酸化と還元は同時におきますから)都合
自身は還元されたことになります。
 一方この変化で、まず硫黄が酸化され、
より陽イオン的な色彩(電子をひとつ失う)
に変化します。

 ・・・また、=S―
        +

 の挙動のようです。


 基礎図は、


  N N以下略          [・・]        フェナントロリンの窒素の余剰電子対
  ‥ ‥              |             配位結合
  Ru           [・ ][  ]        ルテニウムのsp3様電子席(半分)
  | \           |  ↑この電子が移動@     準共有結合
  S  S         [ ・][・・][・・][ ・]     硫黄原子:最外殻電子6個
  |                      |       共有結合
  C            [・ ][・ ][・ ][・ ]     炭素原子:最外殻電子4個
  |||             |  |  |          3重結合
  N            [ ・][ ・][ ・][・・]     窒素原子:最外殻原子5個
  ‥                      |       配位結合
  Ti=O      [・ ][・ ][・ ][・ ][  ][  ]  チタンds混成的
  ||          |  |  |  |          2つの二重結合
  O  [・・][・・][ ・][ ・][ ・][ ・][・・][・・]
     酸素1        →←        酸素2

  N:              [・・][ ・]   |    フェナントロリン窒素
  |                  /      |陰電荷を 共有結合
  Ru−          [・ ][・ ]      |帯びる ルテニウム
  |             |                準共有結合
  S+           [ ・][ ・][・・][ ・]|陽電荷 硫黄原子
  ||                |     |       2重結合
  C            [・ ][・ ][・ ][・ ]     炭素原子
  ||             |     |          2重結合
  N            [ ・][ ・][ ・][・・]     窒素原子
  |                |     |?      共有結合(+配位結合?)
  Ti=O      [・ ][・ ][・ ][・ ][  ][  ]  チタン
  |          |  |     |
  O   [・・][・・][ ・][ ・][□・][ ・][・・][・・]
 [□・]  酸素1        →←        酸素2

                   ↑結合なしの電子空席(白四角)

 Aフェナントロリンによる電子略奪

 励起状態

     [・・][ ・] フェナントロリンのひとつの窒素
        /    :共有結合
  [・ ][・ ]    ルテニウム

    ↓↑共鳴

     [・・][・・]   [・・][ ・]:分子内内部結合に参加
        /  →       ↓   外部からは消滅
  [・ ][  ]   [・ ][  ] e- (I3-+2e-→3I-)電子は電子担体に

               ↓ 基底状態に戻る

              [・・] フェナントロリンのひとつの窒素
               |  :配位結合
           [・ ][  ] ルテニウム

 B復元として硫黄に電子が引き上げられる過程。

              |    |
 [ ・]    [・・]   S+   S
  |           ||    | 結合が一個減る
 [・ ]    [・ ]   C    C
         |    ||    ||| 増える
 [ ・] →  [ ・]   N→   N
  |           |    ‥ 減る
 [・ ]    [・ ]   Ti=O Ti=O
         |    |    || 増える
 [□・]    [ ・]   O    O
             [□・]

  +           ↑
  ・          電極からの電子

 ◎クロロフィルの場合

 前述のとおり、クロロフィルにおいては、

 ・電子授受の領域と、
 ・水素イオン結合可能領域は

 異なりますので、電子の移動に伴って、
水素の着脱があるとみなしてもかまわない
とおもいます。

 クロロフィル基底状態

 ↓

 クロロフィル励起状態

 ↓ + 2e-

 クロロフィル陰イオン

 ↓ + 2H+

 「クロロフィル酸」(クロロフィル化水素)

 ↓←キノン
 ↓ ↑    →水素 →水素イオン + 電子
 ↓→キノール

 クロロフィル基底状態

      *

 励起状態            基底状態

     ・―――・          ・===・
     ||   ||          |   |
   ・―・   ・―・      ・=・   ・―・
   ||  \N/  ||      |  \ //  ||
 ・―・   H   ・―・  ・=・   N   ・―・
 ||  \     /  ||  |  \     /  ||
 ||   N―Mg―N   ||  |   N―Mg―N   ||
 ||  /     \  ||  |  /     \  ||
 ・―・   H   ・―・  ・=・   N   ・―・
   ||  /N\  ||      |  /\\  ||
   ・―・   ・―・      ・=・   ・―・
     ||   ||  \       |   |  \
     ・―――・   ・      ・===・   ・
     |    \ /            \ /
  アルキル脂質根  ・              ・
 (エステル結合)  ||              ||  + 2e-
           O              O :ケトンの窓…キサントフィル
                                     …マンガン

 励起状態(共有結合11個)   基底状態(共有結合12個)

       ↑          光エネルギーによる構造変遷
       |          (不安定な励起構造)
       |          と外部からの電子の吸い込み。

       ↑              ↓

     ・―――・
     ||   ||
   ・―・   ・―・               ・―・
   ||  \N/  ||            \N/  ||
 ・―・   H   ・―・           e-
 ||  \     /  ||               ↑
 ||   N―Mg―N   ||    ←         非局在π電子雲を介する電流
 ||  /     \  ||    +2H+
 ・―・   N   ・―・
   ||  /\\  ||
   ・―・   ・―・
     ||   |  \
     ・―――・   ・
          \\ /
           ・                  ・ :ケトンの窓
           |                  |
           OH                 Oe-


 光合成明反応(水の光分解)の過程にも、
色素増感型発電とおなじ、電子の引き上げが
(おそらく)必要で、それはおそらくカロチ
ノイド(キサントフィル)がになっているの
だと想われます。

 筆者の推測でしかありませんが、カロチノ
イド(キサントフィル)が膜のうちがわに通
じる分子電線であるのならば、ちょうどその
電子放出機能と推定されるカルボニル酸素に
相対するクロロフィルの位置にもケトン基が
あり、この「ケトンの窓」を利用して電子の
授受がおこなわれている可能性があります。

 分子の大きさには雲泥の差がありますが、
その電子の輸送は、共役型重結合がにないま
す。この概念は別項で述べましたので、ここ
では概念だけ記述します。

           ‥
           ‥脂質膜 注:長大分子を簡略化図示
 電子受容担体 O=・‥         6 光合成とマンガン◎導電性高分子とは参照
(正確には駆動    \
 ポンプエンジン:  ‥・=O ← 2e-
 光学系Uの     ‥
 クロロフィル)   ‥

           ↓

       -eO−・
           \\    共役π電子雲による電流。
            ・―Oe-

           ↓  ↑ ← e- ← [電子の供給]

     -e ← O=・
            \
             ・=O + e-

 :クロロフィルの陰圧により電子供給

 色素型太陽電池では、酸化チタンの酸素を
介して電子が供給されましたが、
 光合成では酸化マンガンの酸素を介して、
電子がカロチノイドに渡されると推測されま
す。

 2H2O → 2H+ + 2OH-

 2OH- → 1/2O2 + H2O + 2e-

 (Mn)

 筆者もまた恥ずかしながら、このように概
念としての応用例を調べるにつれ、光合成の
エネルギーや起源についてのおおまかな概念
がやっとわかってきたようです。

 起源の意味でも、光合成でもっとも大事な
ことは、光のエネルギーで絶縁膜(脂質2重
膜)にコンデンサーのような帯電電位を発生
させ、
 電流あるいはイオン電流(水素イオン流)
によって、それをエネルギー担体物質に、
「充電」することです。

 それがいわゆるATPですが、

 その意味では電気エネルギーとしての光合
成と有機太陽電池の共通点は、象徴としての
ATPだけになります。

 ふと、エネルギーだけで有機物が合成でき
るかどうかという想念に至りました。

 しかし有機物が高エネルギー物質かどうか
という概念は、じつは少々の検討を要するそ
れなのです。

 たとえば天然ガスとしてのメタンが高カロ
リーであるという事実は、
 それは大気に過剰の酸素があってこその帰
納です。

 大気が還元的な太古の環境では、メタンは
あまりエネルギーの高い物質ではありません。

 エネルギーポテンシャル、というものはあ
くまでも
 何と、なんの平衡と比較して、ということ
はつねに考えなければならない概念上の注意
点です。

 いっぽう、メタンやホルムアルデヒドは、
過剰な水素が存在すれば二酸化炭素から比較
的簡単に平衡の結果として出来てきます。

 次の言葉の遊びはひとつの化学的な事実で
すが、

 二酸化炭素+水素 = 炭水化物 = 炭素+酸化水素(水)

 エネルギー源として考えなければ、過剰
の水素さえあれば有機物はすぐに得られま
す。

 すくなくとも、生物(細菌)は、硫化水
素型光合成の時代から、分解で得られた水
素を、

「おもに自分の肉体を構成する成分を合成
するために」

 たくわえるようにしたはずです。

 その意味では、非常に受動的な化学菌、

 熱水鉱床隕鉄起源鉄 + 水 → 鉄イオン + 水素、

 水素 + 二酸化炭素 → 構成有機物
 高層大気オキシダント生成物 + 水素、硫化水素 → エネルギー(水、硫黄単体)

 で生きる生物を除き、

 すべてのNADとNADP(太古、厳密に
はその分化はあいまいでした。)

 の進化的な位置は、硫化水素光合成細菌の
NADPの位置なのかもしれません。

 硫化水素光合成細菌での分泌コロイド硫黄
は、もちろんそれをつかって蓄積水素をエネ
ルギーにかえることは非常に行いにくい物質
ですから、
 当時のNADPは、エネルギー貯蔵担体の
意味は、かなり薄かったことでしょう。

 その意味で、硫化水素光合成時代に、

 当時の細菌環境のなかで(おなじ種・細胞
である必要はありませんが・・・)

 エネルギーの充電 :光学系2

 水素の隔離    :光学系1

 であったことは自明ですが、

(水素の隔離にも多少のエネルギーが必要な
ので、
 それがバクテリア時代のクロロフィルが駆
動していたとしても、それは驚くには当たり
ません。

 しかし、原料となる水素の収集は、もちろ
ん非常に還元的であった環境ならば、比較的
容易におこなわれたことは考えられます。

 後者はもちろんその意味で、光学系2の作
り出す水素をかならずしも積極的に利用して
いたものではなかったかもしれません。

 資料がないのでなんともいえませんが、光
学系2と1がそれぞれ別生物起源という説が
あるのはそのためでしょう。

 この章の冒頭の図1はその概念のもとに光
学系2の意味だけをえがいたものです。

 以下の図はふたつの相関関係をまとめた総
合図です。

――――――――――――――――――――

 ・光学系T:
 エネルギ―は還元力の固定に使われる。
(この反応では、銅から鉄へエネルギーのポ
テンシャルに逆らって電子が渡される。)

 光学系1の  NADPH+H+      ‥‥
 クロロフィル    ↑     ATP ‥‥
 P700      ↑      ↑  ――
        2e- + 2H+ ←―――――――――――――――― ← 2H+
 エネルギー的には         ↑  ――:ATP合成回転酵素
 余剰扱い            ADP(くるくる・くるくる。)
 の電子と      ↑     +Pi ‥‥              ↑
 水素イオン               ‥‥
       (輸送担体:キノン)    ‥‥            2H2O ←・
           ↑         ‥‥              ↓   |
                     ‥‥ :マンガンクラスター       |
 光学系2のクロロフィル  2e- ← =−=−= 2e- +1/2O2 ← 2OH-  |
 P680                ‥‥     +H2O  ――――――→・
 ・光学系U:              ‥‥                  ↑
 エネルギーは膜内外の電位差を作り、水素                    H2O
イオンチャネルの回転酵素をはたらかせて、
ATPを生産させることにつかわれる。
(水が分解され結果的に酸素が生じることは、
かならずしも重要ではない。)

――――――――――――――――――――

 はからずも、有機色素発電という人工系の
視点に立って俯瞰することによって、天然の
明反応がすっきりと理解できたようです。

 ◎フェナントロリン

 この項目での色素の例にこの物質を選んだ
のは筆者が聞き覚えとしてなつかしいからで
した。
 高校の同輩が水質検査でこの物質をあつか
っていたからです。

 当時の知識ではこれがどのような仕組みで
水質検査に役に立つのかは(関心もなかった
ので)しりえませんでしたが、

 今回確認することになりました。

 フェナントロリンにも異性体があり、それ
はナフタレンの異性体の種類に準拠します。

 水質検査、あるいは金属イオン錯体として
用いられるのはo-フェナントロリンです。
 挙動は、ピロールのように賛成を帯びるこ
ともある芳香環のなかの窒素が、陽イオン的
配位結合か、あるいは陰イオン的共有結合感
を往復することによって(遷移)金属原子と
きれーとけつごうをします。

 フェナントロリンは、鉄イオンの計量にも
ちいられます。

 モリブデン酸アンモニウム(リン酸塩の計
量)をふくめ、当時水質調査でつかっていた
物質です。

 これで塩酸ヒドロキシルアミン、
(こんな不安定な物質が、結晶になることも
また、当時驚きでしたが)が出てくれば、語
呂としては完璧なのですが。

 試薬会社氏の目録には、フェナントロリン
ではなく、

 N2試薬、としてo-ビスピリジン系誘導体
の例が記載されていました
 フェナントロリンよりも二重結合が少ない
のでおそらく、やや陽イオン・塩基性的です。

 動作原理は他の試薬もまた、フェナントロ
リンと大差ありません。

     *

 意外だったのは、色素の(学術的目録)の
なかに、

 ・マーキュロクロム系

 の名前を見つけたことです。

 ・・・いわゆる赤チンキです。

 ひざ小僧に縫った赤チンが、乾くと、暗緑
色の光沢をもって輝きだすのは、ノスタルジ
アとしてのあまずっぱさでもありますが、

 その「暗緑色の光沢」こそがまた、硫化物
の項目でものべた、「半導体性」をも意味し
ているのかもしれません。

(迷路の壁が崩れると、意外な大広間に出た
わけです。)

「ジブロモ水銀・フルオレセイン」がマーキ
 ュロの正式名称です。

 マーキュロクロムに光電挙動があるのであ
れば、
 有機骨格のフルオレセインにも光電効果が
あり、その誘導体が、有機発電において件強
雨されているようです。

 これは、

 分子内にルテニウムのような、金属を含み
ませんので、無金属色素単体ということもで
きます。

 フルオレセインはフェナントロリンなどと
ちがって、酸素原子が配位と電子活性にかか
わっているようですが、こんかいは本格的に
は考察しません。

 フルオレセインは実は一般に馴染み深い物
質です。

 なんの薬効、目的か知りませんが、有名な
入浴剤のあの透明な青緑色の成分がフルオレ
セインです。

 オンラインでみて、苦笑したのは(物質が
ほとんど無害であるからこそできる芸当です
が)、
 アメリカで聖なるおまつりのときに、ある
宗教で聖なる色である「美しい緑」で、都市
の河川を染料として染め上げるのにつかわ
れるという写真をみて、

(こういう大胆さは、いまの日本人にはない
よねえ)

 とおもってしまったことです。
 昔の紺屋の町ではどうであったかは、筆者
は知りません。

 そのおまつりとはもとを正せば、素朴な古
いキリスト教のものです。

 厳格な修道院文化がそんなには本格的でな
いころに、ひろまった原始キリスト教は土地
の土俗信仰と融合して行きました。

 おそらくもとのキリスト教にはなかった、
「精霊」とはとちの土俗の神様の意味合いも
あります。

(古事記などで、中央王朝が周辺のくにを版
図として併呑していくにつれ、周辺のくにの
信仰神が神話のなかでも、従属神としてくわ
えられていく現象に似ています。)

 謝肉祭や万聖節をはじめとするなまはげの
ようなお祭りは、キリスト教に呑まれる前の
土俗のそれです。)

 アイルランドの信仰はケルト・キリスト教
でした。

 アメリカでは、ヨーロッパ本土(コンチネ
ンタル)でメインストリームでないひとびと
が、まずしさもあって移民としてうつりすむ
ようになってきました。

 ある大統領はアイルランド系です。

 ◎チオシアン酸

 試薬メーカー、シグマアルドリッチ氏の目
録に発電用増感色素の一覧がありました。

 その有機色素はおおむね、ルテニウム錯体
として配位色素とともに、修飾配位子として、
チオシアン酸イオンを含んでいました。

 専門家はさすがだと想います。安定配位子
でありながら、直線方向のπ電子が電荷を伝
達するかもしれません。
 また、シアンイオンであれば、炭素が遷移
金属イオンに対して強固な共有結合をしてし
まうかもしれませんが、
 窒素や硫黄は、とりあえず電子の授受に対
して柔軟な挙動をすることが期待できます。

 ただ製薬会社氏の示成式では、凡例か・慣
例か、イオンの窒素側がルテニウムに配位し
たかたちをとって示されていました。

 筆者は、これはすこしちがうかもしれない
と考え、上記の記事では、ルテニウムに硫黄
が結合したモデルとして仮説を展開したわけ
です。
 これは、ルテニウムが鉄(周期表上下関係
で、「弟」)と似た性質をもつのであれば、
硫化鉄と同様、硫黄に親和性があるであろう
と推測した結果です。

 単原子に近い状態と、集合結晶では、結合
がまったくおなじ挙動をするとはかならずし
もかぎりませんが、

 硫黄とは逆に、たとえば窒化物・炭化物が
水や酸素に対して安定で、なおかつ強度な硬
度を持っている場合には、

(分子的なすがたとしては、想像しにくいで
すが、)その金属元素と炭素ないし窒素との
あいだに、強固な共有結合があることが推測
できます。

 遷移元素(おもに3d)の炭化物や窒化物
の記録は、(物性研究の結果なのでしょうが)
 チタンやハフニウムのように、周期表の前
半に集中しています。

 あいまいないいかたですが、酸化物が、白
色で化学的に不活性で融点が高温(2千度以
上)なものは、安定な窒化物を作るようです。

(逆はかならずしも真ではありません。)

 これは、窒素の挙動が、金属原子に対して
は、事実上酸素に準じるからなのでしょう。

 アルミニウムやジルコニウムは、星間プラ
ズマが冷却してくるとき(融点が高いため)
真っ先にちりとして、酸化物として凝結して
きます。
 酸化アルミニウムや酸化ジルコニウムは、
粉末状態では白色をしています。

 いちど原始惑星に飲み込まれて溶融を経て
いないという意味での、原始星間隕石のなか
にはこのような白色のつぶつぶ:コンドリュ
ールが多く含まれています。

 残念ながら大きい結晶ではありませんが、
コンドライト隕石のなかでは、サファイアや
ジルコン(ジルコニア)はありふれた存在で
す。

    (おなじ理屈で、月面には隕石衝突時の高圧
    でダイヤモンドがあるはずだという説があり
    ますが、たとえそれは存在していても微細な
    粉末かもしれません。
     活劇の中では、主人公は、山師が「宇宙宝
    石」をいいだしたときは注意しなければなり
    ません。)

 炭化・窒化ジルコニウム・ハフニウムは、
超伝導材料として、多く研究されているよう
です。

 いっぽう、鉄、銅は融点はともかく、化学
的活性が高いという意味で、経験則的に、
 炭化物・窒化物はあまり、一般的ではない
ようです。

 鉄は、冶金学的にいろいろ研究が多いので
資料も多いとおもいます。

 鉄の炭化物は、セメンタイト:Fe3Cと
いう特殊な構造をとり、
 これはおそらく遷移金属の一般的な炭化物
とは結晶のしくみがちがうようです。

 鉄に最も近い炭化物を作るのは、ニッケル
で、これもNi3Cですからセメンタイトと
推測されます。

 ニッケルは窒素に対してもセメンタイト構
造をとるようです。

 炭化物・窒素化物の意味では、その化合物
目録にアセチリド・アジド・トリアジドがま
ざってくるようになると、金属原子と炭素・
窒素の結合力の親和性は低くなっているとみ
なすべきでしょう。

 それは狭い意味での炭化物・窒化物ではあ
りません。

「アセチレン酸塩」とでも表現すべきもので
す。

 典型金属元素塩としてのアセチリドが爆発
性があるのは、おそらくそういうことです。

 遷移金属のなかでは銅族が唯一それで、
 銅アセチリドは爆発性があります。

     雷銀は銀アジドだとおもっていましたが、
    資料ではそうではありません。

        Ag
        |
        N
       / \
      Ag  Ag

     ・・・妄想としての「N2爆弾」(ポリア
    ミド爆弾)はおそらくこれに連想を負ってい
    るのでしょう。

(雷銀事故は、銀鏡反応のあとしまつをいい
かげんにすると起こる、とありました。)

(銅の窒化物に、Cu3Nとあるのは、これ
もセメンタイト構造なのでしょうか。)

 鉄や銅が窒素よりも硫黄に親和性があると
して、(余談に近いですが)硫化鉄や硫化銅
が導電性があることに
かせつをたててみたいとおもいます。

 硫化物が導電性を持つ場合は、まえに一般
論として、
 硫化物として陽イオン化された金属原子が、
酸化力をまだもっている場合、
 硫黄の原子から電子を剥ぎ取って、それを
(場合によっては玉突き間接的にに)自由電
子にするというはなしに以前、まとめました。

 銅に関しては、説はわかりやすく記述でき
ます。縦線は共有結合です。

                               ・自由電子帯へ
                              ↑
 [ ・][ ・][・・][・・] 硫黄 [ ・][ ・][・・]   [・ ] 陽電荷を帯びる
  |  |            |  |        |  スルフォニウム
 [・ ][・ ][  ][  ]    [・ ][・ ][  ][  ] |  銅sp3混成表記
                              |
 [・・][・・][・・][・・][ ・] [・・][・・][・・][・・][ ・] 3d電子殻

 「銅化スルフォニウム →e-」

 この作用は強力で、硫化物のみならず、酸
化物も導電体です。

 問題なのは硫化鉄で、硫化鉄がスルフォニ
ウム合金としての導電性をもつことの「こじ
つけ」はこれしか想いつきませんでした。

                              ・自由電子帯へ
                              ↑
 [ ・][ ・][・・][・・] 硫黄 [ ・][ ・][・・]   [・ ] 陽電荷を帯びる
  |  |            |  |        |  スルフォニウム
 [・ ][・ ][  ][  ]    [・ ][・ ][  ]   [ ・] 鉄sp3混成表記
              ↑移動
 [・ ][・ ][・ ][・ ][・・] [・ ][・ ][・ ][・ ][・ ] 3d電子殻

「鉄化スルフォニウム →e-」

 ・・・筆者は、鉄の酸化力というものを一
般的にうまく表現できません。
 電子基盤のエッチングの例を見れば、第二
塩化鉄が強い酸化力をもつのは明白ですが、
 それはあくまで外部から強力な酸化力をあ
たえられてそれをたくわえているからで、た
とえば単体鉄が真空中で他の元素と接触した
場合に、それを酸化できるわけではないから
です。

 ・・・このばあいは、硫黄を介して鉄の2
〜3価程度の差分の電子が結晶格子にもれだ
しているとみたほうが、表現的には素直に想
えます。

 つまりこの場合も硫黄はスルフォニウム陽
イオンとしてあつかわれますが、
 それは結晶的に硫黄が鉄の外部に配置され
ているために、仮に間接的にそのような役割
にたっているのかもしれません。いわば、大
使や為替のような立場の概念です。

 このような意味では、(狭い意味での)
「鉄族」や「銅族」の元素は、

 ただ一個の「余剰あるいは欠損」電子の挙
動が、いわば遷移金属アルカリあるいは遷移
金属ハロゲンとしてきわだつからこそ、

 こじつければ、電子あるいは「ホール的な
挙動」の

 溶媒として、

 陽イオン硫黄の配列を、利用しているのか
もしれません。

 硫化金属は冷静に考えれば、硫黄も金属も
酸素と化合してエネルギーを吐き出しますか
ら、その硫黄との結合エネルギーが低い一般
硫化金属は、室内ではやや危険な存在です。

 その意味では硫化ナトリウムのように、自
然発火しない程度に安定な硫化物・鉱石はそ
の内部で、d電子的に硫黄との潜在結合ポテ
ンシャルがある、とみなすべきでしょう。

 おそらくは安定な硫化亜鉛(閃亜鉛鉱)も
同様で、こじつければ、

           ・  ・  自由電子層
           ↑  ↑
    [ ・][ ・][ ・][ ・] 硫黄原子
     |  |  |  |
    [・ ][・ ][・ ][・ ] 混成sp3

 [・・][・・][・・][ ・][ ・] d電子殻:満席のd電子のうち2つが上層に移動。

 という状態が確率は低いながら存在してい
るとおもわれます。

 逆にこう考えないと、余剰状態が無い物質
の半導体的なバンドギャップは、理解できま
せん。

 この状態は、依然考えた酸化鉛、錫(W)
や方鉛鉱でもある硫化鉛が典型元素硫化物に
もかかわらずなぜ導電性をもつのか、という
概念と連結されるようです。

 この意味では、ふつう遷移金属の硫化物は、
(とくに前半族の、硫化チタンのような化合
物、
 鉄族、銅族、亜鉛族(dが満席)以外は活
性が高く、安全には扱えないのかもしれませ
ん。

 鉄や銅と同様に窒化物が、セメンタイト構
造をとっているであろうと推測できるニッケ
ルでさえ、硫黄原子とは親和性がなく、チオ
シアン酸イオンの場合では、窒素側が配位す
るようです。(化学大辞典)

     しかし周期が増大するにしたがって、エネ
    ルギー的な例外が増えるからでしょうが、

    「硫化クロム」は話題をあまりききませんが、
    硫化モリブデン・タングステン、は安定した
    鉱物です(輝水鉛鉱)。

         ある朝、気がつきましたが、

         チオシアン酸

          -S―C≡N

         を、エチレン残基で架橋すると


            H
            C
           /\\
          S   N
           \  |
            C=C
            H H

         ・・・チアゾールになります。

         深く考察しませんが、チアミンのα脱炭酸
        は、

         デ・カルボキシラーゼ反応

         と

         デ・ヒドロゲナーゼ反応

         が同時におきるので、

         そのため酵素は、

            ピルビン酸
                 \
                  デヒドロゲナーゼ
                 /
         αケトグルタル酸

         と呼ばれます。

         チアミン依存α脱炭酸は、おそらく対象か
        ら電子をいきなり引き抜いてしまうのが反応
        としての第一段階でしょう。

         二酸化炭素が外れてしまうのは、おそらく
        結果に過ぎなく、
         リブロース2リン酸の加炭酸ガス分解とお
        なじく、不安定になってしまった分子のおそ
        らく排他的な摂動によるものです。

      *

 ◎セメンタイトについて

 金属原子をMとすると、3:1原子比率と
して、

 M3Cというのがセメンタイト構造です。

 鉄で言えば、Fe3Cですが、

「これが鉄精錬の重要な中間産物である」

 と記述にありました。

 ・・・「亜」がはいるかもしれないけれど
も、これも炭化鉄であり、それから原子個数
比率としてさらに炭素を除去できるのかとい
ぶかりましたが、

 同時に、これは銑鉄であるとの記述により、

「亜精錬鉄はみな炭化鉄、なのかもしれない」

 と想いかえしました。金属光沢があるから
純金属とはかぎらないのです。

 というのは、炭素含有率数パーセント、と
いうことは、原子個数の比率ではなく、重量
比率なのでは、とおもいついたからでもあり
ます。

 3:1ということで、

 たしか炭素の原子核は同位対比でも陽子数
と中性子数がひとしいはずでしたから、

 原子番号26、質量数は2倍で、52とし、

 52*3個:12*1個(炭素)

 =26*2*3 : 2*2*3

 =13:1、

 ∴ 1/13 = 約8パーセント

 ・・・銑鉄(白銑鉄)はセメンタイト炭化
鉄であり、その炭素含有率は8パーセントで
ある、

 ということになります。

 ・・・考えを掘っていったら、むこうがわ
に突き抜けて、ぽっかりあいた大きな穴から
白い雲が浮かんでいる青空がみえたようでし
た。

 セメンタイト構造についてしらべてみまし
たが、格子が斜めにかたむいているので、き
れいに理解は出来ませんでしたが、
 基本は8面体構造だということで、
 立方体に投影してみましたが、おそらく原
子数の帳尻は、こういうことでしょう。

   ・―――――・
   /|     /
  / | ○   /|
  / |  ○ / |
 ・―――――・ |
 |○| ● |○|
 | ・―――|―・
 | / ○  | /
 |/   ○ | /
  /     |/
 ・―――――・

  ●炭素 ○鉄

 鉄の大きな原子が八面体を構成する隙間に、
 炭素が侵入する形になっています。

 炭素の単位当たりの原子数はもちろん1で
すが、

 鉄は面心配置を取っていますので、

 1/2 * 6 = 3

 3:1になります。

※鉄が素直に2価をとると仮定すると、陽・
陰の意味では、炭化鉄はFe2Cでなければ
なりませんが、

 セメンタイトは、いわば狭義の炭化鉄と鉄
の合金とみなせるようです。

 Fe2C + Fe

 ◎ヨウ素について

 ・ヨウ素ヨウ化カリウム溶液について
 ・ヨウ素の比率抵抗について

(たいした話題ではありません)

「ヨウ素は、濃厚なヨウ化カリウム溶液に溶
 解する」

 という事実は、小学校のヨウ素でんぷん反
応の脚注、として何の気なしに聞きました。

 冷静に考えると不思議な話です。

 非極性溶媒、にハロゲンが溶けるのはまだ
しも、それではたとえば、
 塩素は、塩化ナトリウムの濃い溶液に溶け
るのかとかいったらそんなことはありません。

 これは、今回の反応(はじめて知りました)
で、

 T- + I2 → I3-

 が成立するからなのでしょう

 おそらく分子的には、

 T-:T+:T-

 という静電集合となっているはずです。

 あらく電子配置図を考えると

  ‥    +   ‥
 :I:- :I: -:T:
  ‥   ‥   ‥

 となっているはずです。

 これは同時に

 ヨウ素が陽イオンにもなりうる傾向をもあ
らわし、

  ‥ ‥     ‥     ‥
 :I:I: → :I+ + -:I:
  ‥ ‥     ‥     ‥

 ということです。乱暴ですが。

 これはようするに、原子がおもくなりすぎ
て、ハロゲンであることが、

「いやになってしまった」

 とも考えられるでしょう。

 周期表上でとなりのテルルはすでに常温で
自由電子の銀色をおびる半金属になってしま
っています。

 もし、ヨウ素の兄であるアスタチンが、も
っと寿命の長い同位体であったのであれば、
わたしたちはハロゲンが金属化するところを
みることができたのかもしれません。

 これは単純に参照としての考察でしかあり
ませんが、まだ満たされていない電子軌道と
して、ヨウ素の場合は、内側の第4殻のf軌
道が、7対14席まだ空白のままです。

 5p ・・ ・・ ・
 5s ・・
 4f [ ] [ ] [ ] [ ] [ ] [ ] [ ]
 4d ・・ ・・ ・・ ・・ ・・
 4p ・・ ・・ ・・
 4s ・・

(量子数則により、第4殻と5のあいだに、
これ以外の軌道はありません。)

 周期表の下のほうの大原子になると、外の
ほうの軌道のエネルギー順位の差分は、小さ
くなりますので、混成はともかく、軌道間で
電子が移動することはそんなに特別なことで
はないかもしれません。

 また、銅の酸化力がd軌道に電子が移動す
る例であることを考えると、
 ヨウ素のような原子で、f軌道に電子が移
動するようなことは自然なことかもしれませ
ん。

 ・・・特殊な例もあるでしょうから、一概
にはいえませんが、s+pアルゴノンとして、
電子が残数3以下になると金属(陽イオン)
のように振舞うようになるかもしれません。

 ヨウ素よりの上の段の典型元素周期律では、
3d軌道が満席になっているので、大量の席
が空になっている、空の軌道は、サンドイッ
チされていません。4f的な電子移動は起き
ないでしょう。

 f軌道影響なし  ガリウム ゲルマニウム 砒素 セレン 臭素 (クリプトン)
 f軌道影響あり? インジウム 錫 アンチモン テルル ヨウ素 (キセノン)

 ・・・この上下比較で、下段の金属化が著
しくすすんだかと問われれば、それはやっぱ
り微妙です。

 ただ、第3殻にf軌道はありませんので、
砒素やセレンの金属化は、もちろんみかけ上
はその上位の5s軌道に電子がうつった、と
みなすほかないでしょう。

 もちろん、位相的にはf軌道は前電子殻の
内側の軌道ですが、
 エネルギー的にはヨウ素の前後の元素が、
そこに電子を移すときには、正のエネルギー
は必要になります。

 遷移金属やランタノイドのような元素が存
在として現象として生じるのは、そのような
エネルギーのトロッコ列車のスイッチバック
が存在するからです。

 ・・・筆者は直感として想うのですが、d
やfのような軌道が、多くの電子空席(対)を
かかえているとき、
 それは、やや抽象的ですが「相対的な粘性」
のようなちからがはたらき、電子を押し出そ
うと抵抗するのかもしれません。

 これは「浮力や電子孔理論」の概念に似て
います。

「大衆の暗黙の圧力」、があたかもそこに見
えないマイナスの力、として働くことに似て
います。

 電子工学的な、「ホール」とは、それはデ
カルト的な世界観から生じる現象だとも、い
えます。

 その意味では(現象を深く理解しようとす
ると苦しみますが)遷移前半の元素は、むし
ろ「酸化されやすい」のかもしれません。
 酸化チタンの酸化活性は、むしろ酸素原子
の挙動に引き寄せて考えるべきなのでしょう
か?

 重酸化物である、重クロム酸や過マンガン
酸は「酸化されたいから」そうであるのかも
しれません。
 相対的な電気陰性度の議論とは離れるかも
しれませんが。

 ・・・ちなみに、鉛を含む6p周期では、

 第5殻のfのほかに、私たちにとっては未
知の電子軌道である、g軌道(員数電子18
個)が影響するかもしれません。

 ・・ちなみに、アルカリ土金属の酸化物が
難水溶性、を示すことは、s軌道の電子とい
えども内側のd軌道などに落ち込んで、たと
えばd軌道としての共有結合を、なしている
からかもしれません。

 グリニャール試薬の例のように、若干の共
有結合の性格を持つとはいえ、

 硫酸カルシウム・バリウムは難水溶性です
が、硫酸マグネシウムは水に溶けます。

(ルビジウムやセシウムがそうではないのは、
単電子なので不安定なのだ、としかわかりま
せん。)

     *

 ところで、化学辞典に、ヨウ素の電気特性
として数値が載っていました。

 導電率という数値です(無次元量ですから、
比導電率です)。

 定義によれば、比抵抗値、(Ω)の逆数で、

 1.7〜13*10^−7ですから、
 仮に10として=1*10^−6

 とすると、10の6乗は、100万ですか
ら、1メガΩ、ということになります(1メ
ガ=1ミリオン)。

 これは炭素抵抗器の高めの数値になります。

 電気を通す、というにはほど遠いでしょう
が、雲母コンデンサーに使えるほど、絶縁体
ではないといったところです。

 ところで、比導電率の単位、

 mho/cm

 が当初、定義がわかりませんでした。

 mho = ミリ・ヒステリシス・オービタル
かなにか・・・と想っていましたが、

「導電率は、抵抗値の逆数である」という定
義をおもいだし、

 mho/cm = 1/(Ω*cm)

(抵抗は、長さcmの当たりの単位です)

 という単位の定義を眺め、

 mho = 1/Ω

(ある部品メーカーが、OHM社となのって
いたのをおもいだし、・・・)

 MHO = 1/OHM

 「・・・だじゃれじゃん。」(怒)

      *

 この項目を読み飛ばす

     ・・・これは百年前の欧米人がさだめた単
    位なのかもしれませんが、

     結果としての幼稚教師 =

     結果としての幼稚な企画芸能・興業広告、

     との親和性の話題でもふれましたが、
    (結果はともかく)研究の意欲としての好奇
    心を維持するためには、人間としての幼稚さ
    が必要なようです。

     つまりは、おとなになりきれない、いわば
    一種の奇形の人格こそが、研究者や漫画家に
    なりたがる、と切って捨ててもそれは半分の
    事実にはちがいないでしょう。

     その意味では、幼稚な研究者や漫画家(昔
    は文学者)には、社会の監察が必要です。

     原爆に異常な愛情を注いだり、
     再処理技術の人脈にのみ帰属意識を持つの
    が、残念ながら狭い心理であるのと同様に、

     幼稚な教師は、

     倍率数十倍の異常加熱が教育を形骸化させ
    たことにも、
     学校や教師の過剰が次の世代を腐敗させる
    ことにも、

     あまり関心がありません。自分の保身と好
    きな研究ができれば、それでいいのです。

         もっとも過熱していた時期の受験地獄では、
        難関校では、合格者の過半数が、すでに教養
        課程の2年間の知識をマスターした状態で入
        学してくるという、本末転倒の現象がみられ
        たものです。

         これは、経理的に見ると、学校側が払うべ
        き教育コストを、子女の親御さんが自費で負
        担したことになります。
         わかりやすくなるので、国公立の仕組みで
        述べますが、大学側は(熱心に教えて結果を
        出さなければならないという意味で)教養課
        程の教職員の給与を、まるまる国庫からただ
        同然に供出したことになります。

         これは、会計検査院が関心を持つ事象でし
        ょう。

         また、その一方、老朽化した設備を保全す
        る予算が欠乏し、絶滅した貴重な植物標本が
        風通しの悪い倉庫で腐敗しカビが生え、うし
        なわれてしまっていた、という話も聞きます。

         これは、組織として、大学が自分自身に関
        心を持っていない証拠です。

         事情通のあいだでは有名な話ですが、じつ
        はある有名な国立大学は、やくにたたない三
        流大学として有名です。

         ・・・子供を進学させることができるほど
        富裕な親御さんは、子供の数字をあげること
        にお金を使うことと同様に、
         きちんとした信念で経営をしている「学費
        の高い」私立大学を時間をかけてねんいりに
        探すべきでしょう。

         偏差値におどらされるということは、心理
        的にあおられている証拠ですから、現役にこ
        だわることもわからないではないですが、

         子供を大学にやるということは、ひいては
        社会の士官候補生を世に送り出すということ
        ですから、その重みを考えるかぎり周囲にお
        どらされて、決断すべきことではありません。

        「高い」学費をだせないのなら進学させるべ
        きではありません。

        「腐った粗末な学校」にいけば、悪い友達に
        染まって遊び人になるのが関の山です。

         腐った学校を存続させているのは、そこの
        幼稚な大人たちですけれども。

             *

     受験戦争は、学園紛争のあとに来ました。

     その意味では、あとから振り返れば受験戦
    争とは、生徒(や親)が教師に敗北したこと
    を意味します。
     また有力企業が馬鹿な教師を上手に利用し
    たとも言えるでしょう。

     戦後の歴史というものは、父性や兄弟愛が
    どんどん希釈されていった時代でした。すく
    なくともお題目としては、同性愛者の三島さ
    んはそのことを嘆いていたようです。

     暴走した一部が残虐にいたってしまった過
    ちは重要なことですが、
     しかしそれが消沈として、当時の異議申し
    立てをすべて無意味だったとするのもまた一
    方の反動です。
     学生運動が「ファッションでしかなかった」
    一面が間抜けである、という指摘は、幕末の
    勤皇青年とおなじことですが、

     それでも可能性として、かろうじて大正職
    人、
    (戦前は、終身雇用というものはありません
    でした。腕が悪ければ、すぐにクビになった
    のです。)

     の子や孫であった、当時の青年は、

    「彼らの学問は、「虚学」ではないのか、」

     というリアリティを、父性の薫陶によって
    嗅ぎ付けていたのかもしれません。

     繰り返し指摘されてきたことですが、
     受験競争の背後には「母親」がいます。
     いわゆる「教育ママ」ですが、その内心の
    本音というものもまた酷なものです。

    「パパのようになっちゃ、だめよ」

     これはもとはといえば、豊かさの帰結とも
    いえるでしょう。

     好景気と電化が、飢えから逃れるための必
    死の労働から人々を解放し、余暇としての時
    間をもてあますようになると、無趣味な親た
    ちは、子供をペットとして「いじくりまわす」
    ようになります。

     豊かさが、男たちから野生の牙を抜き、ま
    してやおなかが出てくるようになった旦那に
    失望し、「ローマ市民的に」自分たちの未来
    にも、代わり映えがないことをもうすうす直
    感している彼らは、子供に過剰なものを期待
    するようになりました。

     とんびの子は所詮とんびにしかならないの
    にです。

         *

     学問を作り送り出す立場から見れば、研究
    や思考はつねにぶよぶよしてこころもとない
    のが現実なのに、

     居丈高に0と1のシートを作り上げ、数十
    倍の倍率に若者が、わけもわからず周囲の圧
    力にその人権を踏みにじられているのを知っ
    てかしらずか、

     象牙の塔の中では、つねに親父ギャグがと
    びかっているものなのです。

     これは、「研究中は、私語をつつしめ」と
    いうことなのではありません。
     AとBとの衝突が、もともと組み合わせと
    して意味のある潜在的ポテンシャルエネルギ
    ーを持っていた場合、それはぶつかればとう
    ぜん火花がでますが、
     その意味で、人間の精神にとっては深いと
    ころで諧謔と発見は区別することはできませ
    ん。
     そうではなく、もともと研究というものが
    そのような三文ギャグとおなじくらい、
    「潜在的に卑しい」ものであることをこそ、
    強調すべきでしょう。

     研究というものは人類にとって必要なもの
    かもしれませんが、しかし全身全霊を持って
    受験競争を突破し、合格の暁に燃え尽きてし
    まうことにたるほど、すばらしいものではあ
    りません。

     ギリシアが覇権の意味でほろんだのは、結
    局労働をいやがったためで、錬金術師や蘭学
    は、世間を惑わすまがまがしいものとしてき
    らわれました。

     親や世間や素朴な意味での会社が、学問に
    期待することは、長い人生や雇用の中で、あ
    せらずこつこつと努力する習慣を、ノートと
    鉛筆をもって身につけてほしいからです。

     決して象牙の塔の中の幼稚な奇形児として
    の教師を擁護するために学問を保護している
    のではありません。

     学者は自分のたちばをまもるためにしらず
    しらず、傲慢になりがちですが、実は世界は
    「余計な」学問など欲していないのです。

     科学技術のない時代は、学問とは、

    「道徳の板ばさみとしての苦悩の記録とその
     試行」

     以外のものではありませんでした。

     学問が世界で生きていくための、暫定的な
    ルーチンを学ぶための練習であれば、いわゆ
    る「勉めて強いる」ことはとくに五教科七科
    目でなくても、「お手伝い」でも良かったわ
    けです。

     徒弟制度とは、お手伝いの延長でした。

    「おてつだいしなさい」が言われなくなり、
    「勉強しなさい」といわれることが究極化す
    ると、

     忙しくもないのに、ファストフードで夕食
    を済ますインテリが出現します。
     能力として自炊が出来ない人間は、よい労
    働者ではもちろんないことでしょう。

        (いわゆる「派遣貧困」のような問題は、筆
        者の偏見では、低収入にもかかわらず、手段
        として富者とおなじような衣食住を行おうと
        するから、です。
         貧困青年は、よく路傍で菓子パンをかじっ
        ていますが、それは冷静に考えると単価あた
        りのカロリーは少なく、なおかつ蛋白質やビ
        タミンが極度に不足しています。
         衣食住や、向上心としての健康に関心のな
        いものが、工夫の積み重ねとしての技能の上
        達に至ることは、考えにくいことです。

        「貧困の連鎖」という意味では、そのような
        ことを教えなかったという意味では、そのよ
        うな青年の親もまた次点であった、といえる
        ことでしょう。

             筆者が軽く感動した話として、ある腕の良
            い町工場の職人が、定年後ホームレスと一緒
            に家庭菜園を耕しているという話があります。

             よき腕のむこうがわに、お客様としての公
            共心があるというのは、

             以下は面白い逆説ですが、

            「学園紛争」の背後にあった
            「儒教的な精神」でしょうね。)

     ・・・それは堕落がはじまった、搾取貴族
    とみなされるものです。そのような、layer
    からは遠からず「小アグリッピナ」が出ます。
     労働の喜びを知らない人間は、暇をもてあ
    まし、縄張り意識としての原始的な感情とし
    ての、見栄の過当競争に邁進し、
     かならずしも必要でないものの値段を吊り
    上げ、社会を混乱させたあと、革命のしい逆
    を待つようになります。

     普通、院にすすむのは、企業の研究室との
    連携という意味での意味がある、ごくごく小
    数の限られた幸運な人数の例を除き、まず間
    違いなく親不孝でしょうね。
     屁理屈をこねる人間を、企業は普通、採用
    しません。

     大学に進むと、はたらくことが出来ない漫
    画マニアになってしまうというリスクも、こ
    んにちではたかいようです。

         悪い学問と悪い偶像興業とは、閉鎖空間に
        こもり、開かれた世界や他者の痛みを感じる
        ことからの「逃避」として機能します。

         そのような「くさった学院」を通過したの
        ちに、大企業の枢要や、官公庁に就職すると、

         甘言を弄する太鼓もちと毎晩のみ歩いて、
        予算を癒着の名の下に浪費したり、

         自分の狭い組織を
        「哺乳類としての素朴な郷土愛」のいっけん
        美学にみえるものにしたがって、軍備増強や
        予算獲得を日々、勤勉の名の下に、
        「こつこつと」努力するようになります。

         DNA鑑定などが一般的になっていなかっ
        た時代では、警察では「組織愛の美学」の名
        の下に、結果的な冤罪にたいして、

        「組織内名誉賞」

         を授与していたりしました。

         逃避した教師がいとなむ塔のなかで、閉鎖
        的な「教育」をうけると、それは悪い意味で
        の農村的なセクショナリズムに陥り、

         そのようなことになれた狭い精神は、

         勤勉や努力の道程を、予想される結果から
        類推すると、破綻や崩壊という間違った方向
        にこつこつと積み上げるようになります。

         専門馬鹿と漫画おたくは、精神のありかた
        としておそらくおなじものです。

         日本は精神の伝統という現実として、農村
        国家の「鄙の論理」が事実ですから、
         律令的な法治や観念的な正義は、もちろん
        フィクションです。

         善意の意味での自由もまた現実、むなしい
        フィクションであるのならば

         以下のように述べることもまた、砂をかむ
        むなしさに満ちた言葉であることは、筆者も
        またとうぜん過ぎるほどに承知はしてはいま
        すが、

        (それでも)思想や教育とは、開かれたもの
        でなくてはならないのです。

             それが現実、できないからこそ、日本は
            「文化的な」国ではあるかもしれませんが、
            残念ながら文明国ではないのです。国、とい
            う漢字はかこいのなかに「王」がいると書き
            ますが、
            「王」というものが、理念や精神を具現した、

            (同時に本人にとってはとてもつらい立場な
            のでしょう。ビクトリア女王の悲劇も、一市
            民であったら、おそらくおきなかったはずで
            す。)

             ものでなかったとして、それが単なる野合
            連合のNo1にしか過ぎないのであれば、その
            「地域」はもはや国ではありません。

             そのいみで、日本は「国家」ではないのが
            むしろ自然な姿だと、筆者は理解しています。

                 中華文化の伝統から言えば、国名が漢字二
                文字であらわされる国は「蕃国」とよばれ、
                格式は一段階したにあつかわれます。

                 中国本土の国は、漢字一文字です。

                (この原則から言えば中国文化の中では、日
                本はベトナム(越)より「軽格」の国になり
                ます。)

                     わからなくもありません。ベトナムは最後
                    の一兵までたたかいぬく覚悟で、ああいう結
                    果になりましたが、日本人は形勢が不利と見
                    るや、たった一日でおわった関が原よろしく、
                    戦死者の義憤をも見殺す形で、あっさり降伏
                    をうけいれました。

                     この変わり身の早さを「信用できないもの」
                    として理解する限り、「日本」とは忠義を誓
                    うに足る観念ではないことになるでしょう。

                 私感の偏見を述べることを許してもらえば、
                 自分のなかに、大げさに言えば生活と宇宙
                の原理をもって泰然としてそこにあることが
                できる存在(国)こそが漢字一文字を名乗れ
                るのであり、
                 そうではなくつねに動いて、わるく言えば
                ちょろちょろ貿易や朝貢をする地域を、漢字
                二文字で表現したようにおもえます。

                「be」と「do」です。

                 泰然としていれば、たとえほろびても念は
                継承されるかもしれませんが、
                 ちょろちょろねずみのようにうごいている
                かぎり、小銭としての利益はてにできるかも
                しれませんが、おおむね尊敬の対象になるこ
                とはないでしょう。

                 数理物理的な表現を許してもらえば、ポテ
                ンシャルのちがう漢字ふたつを連結すると、
                勾配が生じ、その流れに沿って「やじるし」
                が発生します。

                 ベクトルです。

                 ベクトルでない漢字一文字は、3次元3軸
                がすべて等価という意味で、スカラー(的)
                ですが、ベクトルになってしまった蕃国は、

                 空間対象性が破れた、「対象性の低い」状
                態になっています。
                 これを中華文化は格式として表現したので
                しょう。

                 武や工学は必要悪である、という発想は、
                中華思想のそこここに見えています。

                「満たされて在る」ことが大事であり、なに
                かを為すために腰を軽くする、ということは
                中国人にとってはやや卑しいことなのでしょ
                う。

                 中国では殷(商)や斉という地域や王朝に
                やや警戒心をもっているかもしれません。

                 冶金はやじりに通じ、戦乱を暗示し、
                 また商業とはわるくすると、目先の利益に
                おどって信義や信用を失う危険がついてまわ
                るものだからです。

                 これは、ギリシアにおいてはヘパイトス
                (鍛冶屋の神)が眉目秀麗には、えがかれな
                かったことに通じます。

                 ただ、工学をいやしむ態度がもっとすすん
                で、労働全体を忌避するようになると、今度
                は社会がかたむくようになるでしょう。

                 思慕・忌避として外部や目的をつねに意識
                しているのがベクトルだとすれば、ベクトル
                の民族とは、つねに「手段的な」存在である
                ともいえます。

                 ・・・手段的な民族が、

                「一般的な、人々の幸福とはなにか」

                 ということを考えることは、普通はないで
                しょう。汎世界的な感覚は衛星国家にはあり
                ません。

                 弁明として「余裕がないから、仕方がない」
                ということは可能です。
                  その意味では、流浪の民からは医者や工
                学者はでても、ふつうは哲学者はでないもの
                です。

                     *

                     ・・・その意味では、朝鮮はやや特殊で、
                    倫理を工学的に、工業製品のように精錬して
                    しまいました。

                     肥沃でもない蕃国が地勢的な理由で、度重
                    なるほどに蹂躙された歴史で、よすがとして
                    人々が戒律を必要とした歴史は、ややパレス
                    チナに似ています。

                     民族としての朝鮮や、日本の旧士族がキリ
                    スト教と親和性があったことは、たぶんそう
                    いうことでしょう。

                     宗教を三大宗教のようなものとしてとらえ
                    るとき、宗教とは安寧や救済を「願う」とこ
                    ろからはじまります。

                     しかし中国本土の漢字一文字の地域では、
                    儒教や仏教のもつ「乾いて寒冷な飢え」は、
                    肥沃な泥熱帯にのみこまれてしまって、

                     溶けてなくなってしまいました。

                     中国の文化が道教的なのはそういうことで
                    す。

                     インドの梵天原理のような、

                    「自然の豊かさに抵抗することは無駄」

                     といったような生活の現実がある地域は、

                     理性的意識にとっては、みとめたくはない
                    敵のように映るかもしれません。

                     これは、先項で筆者が書いた、

                    「ゲーテにとっての粘液と光」

                     ということに通じることかもしれません。

                     その意味では、「精霊の闇の力学」に畏敬
                    を払うという意味では、ワイマールもまた聖
                    パトリックのアイルランドのように、土俗的
                    感覚が絶えていた場所ではなかった、といえ
                    るのでしょうか。

                     文化史的には、たとえばライプニッツの微
                    積分学は精霊的感覚の申し子のようにおもえ
                    ます。唯一神教義のそれではありません。

                     その意味ではダブリンの四元数もそうでし
                    ょう。

                         *

             島国根性は、むしろ素朴に多数決として鎖
            国を望むのが、自然な姿であるのは、
            客観的な事実のように見えます。

             日本の姿は、事実上の野合に、ちょっぴり
            お題目としての儒教としての「おてんとさま」
            が香るのが素朴な江戸時代でした。

             ・・・このような仕組みでは、法律はつね
            に既成事実のあとをおいかけていくしかあり
            ません。

             このようなところでつぶされないためには、
            抵触の段階でもいいからとにかく成りあがり、
            既成事実を作り上げてから議会に働きかけて、
             自分たちに都合のいい「令」をさだめても
            らうのが、伝統的な正義です。

             ・・・「越後屋」は番組の中では伝統的に
            善玉をわりふられていますから、「加賀屋」
            にしましょうか、

             日本では、儒教的な良心とは、

            「成り上がって癒着した加賀屋さん」

             がたまたま教養ある人格者であるばあいに
            かぎられたことでしょう。
             筆者の推測ではおそらく、白木屋や幡桃も
            たぶんに「加賀屋」だったはずです。

             ・・・奇麗事だけではあきないはできない、
            という意味では、それが密室政治や談合を必
            要悪として暗に肯定するからこそ、

             すくなくとも、このくにでたとえば少数者
            の人権をまもることは、

            「なかなかむずかしいのが自然な姿」なので
            しょうね。

             江戸時代的な精神の伝統からいえば、人々
            はあまり物を知らない「馬鹿」であるほうが、
            気楽が「まったり」していてここちよいから
            です。

             その意味では難民や出稼ぎは、フランスと
            同様に日本に来ないほうがいいかもしれませ
            ん。
            (日本語は世界一習得が難しい、「ガラパゴ
            ス的にひとりよがりの言語」であり、また日
            本でしか使えません。労力の投資としては
            みりょくてきなものとはとてもいえません。)

             またフランスが移民にたいして排他的な
            のは、かのくにが農業国家であることがおお
            きく影響しているからなのかもしれません。
             農民は夜中に柵を越えられることを極端に
            嫌います。

             またうちがわにおいては、少数者は、やみ
            くもに街頭にたつよりも、実力者に相談した
            ほうがより効率的かもしれません。
             半島系のひとびとが、声高に主張している
            のがときどき報道されたりしますが、それは
            かれらが故郷とおなじく、日本にも「儒教」
            が存在していると「まだ」信じているからで
            しょう。

             すくなくとも、それは目的を遂げるという
            意味では、戦略をたてるにあたって「冷静な
            化学的な分析」がたりているとは思えません。

             日本には「儒教」は実効としては存在して
            いないのです。

             ただ、過酷な風土と歴史の現実をいきぬく
            ために、進行としての規範に身をなぞらえて
            生きてきた、ひとびとが、
             日本が「倫理の無い、なめくじみたいな地
            域」と知ってしまったら、はたしてこのくに
            で仕事や生活をしていきたいとおもうでしょ
            うか。

             日本はいちおう過去の遺産として小銭は持
            っているようですが、どの民族でも、未来を
            共有する友人として協力してやっていきたい
            とおもうひとびとは、むしろ、少数派だとお
            もいます。

             韓流芸能が、ときどき日本人を馬鹿にした
            ような(日本の題材を積極的に取り入れない
            →日本に関心が無い)テンプレートを繰り返
            すのは、ようするに芸能戦略として、
             日本は所詮、小銭の「積もっている」
            地域にすぎない、となかば諦念的に、さめて
            しまっているからかもしれません。

     ・・・今こそ、教師は「総括」されなけれ
    ばなりません。

     今こそ、シュプレヒコールをあげましょう。

    「学長を講堂に引きずりだせ!」

    (筆者は、のりのりでおもしろがっています。)

    </激怒モード終了。お騒がせしました。>

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 ◎色素発電に緑葉の絞り汁を入れることに
  ついて

 ・・・筆者は池上台の出版社のこども雑誌
の記憶では、研究者氏の名前はおぼえていま
せん。

 しかし、重要なことは、

「しぼったものをくわえただけではだめ」

 ということでした。

 重要なことは、色素分子の整然とした配列
を再現することで、
 そのためには(いまおもうに)脂質分子な
どの工夫で、膜構造を再現することが大事な
のだろうと想います。

 ・・・おそらく、web上のいくつかのレポ
ートでは、期待する測定電位にたいしても濃
度も低すぎ、色素抽出と配列再現に試行錯誤
として、工夫がいるのかもしれません。

 生体のなかでは、葉緑素とカロチノイド
(キサントフィル)は一対づつペアになって、
リン脂質分子にいだかれています。

 緑葉からの色素抽出は、有機溶媒をもちい
て抽出し、人工電極には、親水基をもつ脂質
と混合して塗りつける必要があるでしょう。

 筆者には研究設備はありませんが、

 緑葉をジエチルエーテルで色素を抽出し、
蒸散濃縮後、メタノールかアセトンに再溶解
させ、

 過量の親水脂質と混合して、チタンや亜鉛
白のペーストに塗布し、

 カロチノイドを多く添加する場合は、食材
店で販売している乾燥とうがらし粉からの溶
媒抽出がよいかもしれません。

 大量の緑葉が必要な場合は、高価な野菜で
はなく、荒地に繁茂しているよもぎなどの雑
草をもちいるべきかもしれません。よもぎは
薬草として薬効が強いので、カロチノイドの
ような色素をもまた豊富に含んでいることで
しょう。緑葉のキサントフィルはルテインで
す。

 分子劣化の心配がなければ、生葉はいちど
陰干しして水分を抜いてから溶媒抽出をする
のが、薬酒作りの原点ではあります。

 親水脂質とは

(レシチンとして)、

 ・カカオバター
 ・卵黄

 あるいは

 ・ヘアリンス(直鎖長大アルキルを一本持
  つ、アルキルアンモニウム塩)

 などはどうでしょうか。

 抽出物が脂溶性にかたむくのであれば、少
量の界面活性剤で緩ませる必要があるのかも
しれませんが、
 ドデシル硫酸ナトリウム:
(アルキルベンゼンスルホン酸ナトリウム)
よりも、
 脂肪酸誘導体(アルカノールアミド)のほ
うが天然脂質とは親和性があるようです(市
販の台所用洗剤の場合)。

 ただ、数値を取りたいのであれば、純品の
試薬を用いることが必要かもしれません。



====================

 コラム2 「日本料理はわきががきらいか」

 副題:「ご飯は大事だ。しかし・・・」

 ・論旨

 ・個人の幸福のためにはごはんをたべて活
  力をみなぎらせることが大事であるが、

 ・いっぽう大食の知力・体力はつねに保守
  性・封建制を揺るがしかねないので、質
  素倹約の美学として潜在的に「少食(一
  汁一菜)」を強制する力学が存在する。

====================


<このコラムの前書き>

 筆者が、このような雑学としてのファイル
をまとめるのはそれが、単純なパズルとして、
暇つぶしとして面白いからです。
 また私用の雑記張としてまとめるよりも、
公開するフォーマットとして清書するのは、
そのような準正式のかたちに整頓したほうが、
より正確に誤謬が発見できるからであり、

 また、それだけのことでしかありません。

 たとえば電車の中などで、パズル雑誌など
を解く人を多くみかけますが、それはおそら
く頭の体操(C:ごま書房)として、「健康
にいい」からなのでしょう。

 反射ゲームとちがって、全人的な知識と判
断を要求するたとえばクロスワードのような
ものは、前頭葉や左脳論理を附活して、まえ
むきな態度としての運動欲求をまねく意味で
も健康にはよいのかもしれません。

 できれば雑学はできるだけ実際的・具体的
な知識のほうが、日常にも役立ち、またこの
住んでいる世界がリアルに感じられる源泉に
もなるかもしれません。


<家康と薬膳>

 具体的、といえば、

 家康公は、実際にはプラクティカルな人物
であったことはあまりしられていませんが、

 実は、自身での薬草の調合が趣味で、本草
の知識によってその体調にあわせて漢方薬を
調合して飲んでいたそうです。
 本草学は博物学につながり、薬理漢方とし
てのそれは、実効性としての「魔法」なので、
たとえば博覧強記少年だった源内の名前など
を通じて、蘭学世界の錬金術の魔女の概念に
もつながります。
 ヒヨスを育てる魔女は、本草学を通じて、
漢方でもありますので、博物学には本来、漢
方・南蛮の区別はありません。

 加藤清正が朝鮮の役のおり、虎を退治して
それを漢方薬として家康に献上したところ、
それをみていた秀吉がとてもうらやましがっ
た、という人間くさい逸話があります。

 虎が薬としてきくのかはどうかわかりませ
んが、漢方薬や香辛料というのは、エスニッ
クなスパイスの意味に似て、対外の好奇心の
窓口になっているのかもしれません。
 鎮静効果をも含めて、薬味はもともと臭覚
脳である「大脳」に作用します。

 ハーブやカレーが好きな日本人はかならず
しも心の底からの閉鎖主義ではないとは想い
ます。


<儒教とにんにく>

「禅寺の山門ににんにくは入るべからず」、

(正式な文言は失念)という言葉があります。

 いわく、イスラムの断食に似て、肉体を衰
弱させ、飢餓寸前の状態において精神の極限
を知る修行のためには、
 強壮剤は邪魔になる、という考え方です。

(余談ですが、硫化水素の「兄貴分」である
セレン化水素、テルル化水素にはにんにく臭
があります。
 くさいにおいには、臭覚受容体に働く意味
をも含めて、化学的活性があり、それらの化
学活性を持つ部分分子団のことを「官能基」
と呼びます。

「官能」という言葉はいかにもです。

 古典的な言葉には時々どきりとするものが
あります。

 性の衝動が化学反応であるとは、まさに開
放的で、儒教的には無責任な概念です。漢文
は別に石部金吉的内容のためだけにあるので
はありません。金瓶梅・・・(失礼)。
 また化学的活性とは、電子の活性挙動を通
じて半導体傾向を帯びるのは、人工光合成の
くだりで書いたとおりです。

 儒学には、「怪力乱神をかたらず」、とい
うことばがあります。ものごとの解決のため
には常道をもってなすのが最善である、とい
った表現に近いでしょうか。その意味では、
魔法や英雄を頼みにするのはよくない態度だ、
というところにつながります。

(化け学が錬金術だという意味では、それは
中華では道教丹薬を意味するでしょう。

 あるいは花火としての火薬です。)

 孫子の思想にそのようなことはよく出てい
て、暴力は最後の手段であるという言葉があ
ります。文治優先らしい中華の特色がでてい
ます。
(版図征服は別にして、広域世界は行政とし
ては暴力では収めることができないのは、科
学的力学です。)

 魔法は、前後の事情や内部のしくみを、ブ
ラックボックスにしてもちいるものであると
いう意味では、責任ある立場からそれを見た
ら、それはやはり安易という意味で暴力にに
たあやうさをかんじさせるところのものでし
ょう。

 その意味で、薬草というものは
「この世とあの世の境界に生えている植物」
であり、あの世や怨念が今世をあやうくしか
ねない忌みである以上、頓服として漢方をも
ちいるのは、あくまでやむをえない場合にか
ぎられる、というところにまで儒教はつなが
ります。儒教は道教ではないのです。
 魔法や博物学は、あくまでこの世から
「謙虚」をもとめられるので、傲慢になると、
異端として狩られることになります。

 すくなくとも、儒学(朱子学)の体制のな
かではそのように、やたらな魔法や技術はい
やがられるので、兵器につながるダビンチや、
次の世代をだめにする便利な技術などは、ま
た嫌われます。
(蘭学兵器が本格研究されるようになったの
は、第二戦国もあわや、となった幕末なので
すでに仁徳による統治はほころんでしまった
時期のはなしなのです。)

 そのような儒教の世界では、

 また、善良なる民は万事御行儀よくふるま
っていれば、ありがたい、
「オーバーロードとしての幕府」が配慮して
くださる、という態度につながります。

 またそのような態度からみれば、

 過剰な明晰や、強壮や、健康満々としての
怪力は、字の調和では嫌われます。
 慢性的な食糧不足としての飢饉の危機もあ
り、
 耄碌や腰痛は、暗愚や弱者を承認するとい
う強制規範のなかでは、重要な概念なので、
健康や聡明はときに放逐されることがありま
す。
 都市的・清教徒的な感覚からいえばまさに
「腐っている」という嘆きです。

(信長と蘭丸と三成は、よってたつ気分は、
共通しているところがあります。しかしこの
数直線は、後者になるにしたがって、実際的
な戦略が暗くなっていく傾向があります。

 ・・・儒教が「怪力乱神を語らず」、とい
うのなら、合理主義できりこむ英雄である信
長とはまさに、「魔王」でした。

(その意味では、戦国時代の実力「泥棒」と
は腐敗そのものです。いくら戦国の英雄とい
えども、信長的な無欲さが希薄な大名は、く
さぶかい土豪・百姓であるといえるでしょう。

 その意味では、自己を見失っていないとい
う意味でこけおどしの見栄とは無縁な健全な
「都会人」は基本的には無欲なものです。狭
い城壁都市では物欲は不可能であり、都会人
の要求する強欲とは、せいぜい地方平均の2、
3倍の蛋白質です。
 それは精神と肉体の健康のために必要なも
ので、彼らが保険として資本を蓄えることと
同じく、それは理性の管理のしたにあります。

 ローマも地中海世界のひとつの都市国家と
して始まりましたが、ポエニ戦争後、当時の
世界の覇者になったあと、傲慢としての堕落
がはじまりました。
 経済学的な視点では、ハンニバルのあとの
名前は、クレオパトラです。
(筆者的にはそのあと、ハドリアヌス、スパ
ルタクス、と続きます。)

 ローマ「市民」という呼び方は、都市国家
時代の名残ですが、ローマが広大な版図を征
服し、征服王朝の色彩を持つようになると、
その広域国家が帝国の色彩を帯びるようにな
り、ローマ市民は属州の荘園主の意味合いを
持つようになります。
 具体的には、属州の代官の名前を口実にし
て、属州に苛斂誅求を要求する事実上の地主
貴族になっていきます。
 かれらに翼戴されて、「第一市民」という
称号が事実上の皇帝になります。その意味で
は、シーザーに相当する者は中華では始皇帝
ではなく、呂仲、ということになるでしょう
か。余談です。

 歩兵としての兵役や、執政官としての義務
から解放されて、ローマの旧市民が無産階級
・高等遊民として貴族化すると、
(やることがないことから来る充実していな
い無聊からくるコンプレックスもあり、)
 公私ともども、示威・見栄としての巨大建
築に邁進するようになります。

(芸術というものが、無産の遊民に関連する
という意味では「それから」の主人公が、大
正モダンにつながって田舎者とともに日本を
破滅させたのは、文明史としてローマの歴史
にかぶせるのは、牽強付会に過ぎるでしょう
か。)
 これは、技能としての自信や自我がない若
者が、ファッション中毒に、なる構図とある
ていど同じものです。

 日本の戦国時代でも、力への渇望が建築と
しての見栄の側面もあったかもしれません。
 また兵料田圃や貿易港への欲求も、力への
渇望です。

 見栄と同じく、力への渇望は、恐怖として
の防衛であり、
 恐怖としての防衛とは同時に攻撃と同義で
す。

 その意味で田舎や封建制には潜在的に
「恐怖」が渦巻いているものであり、それが
かたくなな、固陋や見栄となってあ
らわれてきます。

 ・・・のちに太平の世になり、残念ながら
願望は日本全国津々浦々までいきわったとは
いえばいでしょうが、象徴として、

「幕府が江戸城天守閣を再建しなかった」

 のは、すくなくとも「恐怖としての見栄」
の不毛からすくなくとも幕府はおりる、とい
う宣言としてのポーズでもあったと、筆者は
本で読んだこともあります。
 それは恐怖が防衛と先制攻撃の意味で戦国
暴力の源泉とみなすことによって、元和厭武
の理念を具現する意味もあったことでしょう。

(ちなみに元和厭武とは「天下布武」の反語
です。)

 ・・・残念ながら、元和厭武の理想は、こ
まかい字すべてにいきわたったとはいえない
のはもちろんのことです。徳川体制とはもち
ろん冷蔵された戦国時代・実力主義の臨戦体
制なので、つねに暴力と、いじめが息をひそ
めている世界です。それが、現実でした。

秀才が村には居場所がないことは、上京し
て国家公務員になったひとなら、この辺りの
事情は、痛いほどわかるでしょう。

「子供のころはあんなにいじめたくせに、
 利用できるとわかれば、すべて忘れたふり
をして、

(たいていは、本当に忘れているのです。
 田舎は忘却でまわっています。
 間引いた嬰児や、三代前に殺戮しあった、
阿部一族としての記憶など、きれいさっぱり
水にながさなければ、グレーゾーンのお隣づ
きあいなどはできません。田舎で生き抜くた
めには、聡明よりも痴呆のほうが、資質とし
てはむいています。

 記憶、とは恨み、のことです。

     恨:ハン、という言葉がありますが、いじ
    めた側が忘れてしまったことでも、いじめら
    れた側は忘れません。戦国の論理で言えば、
    真の忘却とは皆殺しにすることしかありませ
    ん。

     その意味では、おそらく清盛入道は優しす
    ぎたのかもしれません。平氏は、権力として
    の王朝に深入りしすぎて、副作用としての文
    弱に、政治の血の現実を忘れてしまったのだ、
    というのはよく語られる通説です。

     またその意味でも、チンギスハンは義経よ
    りも頼朝にちかいです。(戦術的天才かもし
    れませんが、大局的にものを考えられないと
    される判官が、モンゴルの王となるというこ
    とは、寓話でもありえないと想われます。)

     ユダヤ人が発明の源泉となった博覧を、保
    持し続けたのは、厳格な紐帯の源泉にもなっ
    た、迫害され続けるという緊張が、習慣や記
    憶を補強する効果もあったことでしょう。

     その意味で朝鮮人とユダヤ人は、似ていま
    す。朝鮮人が興業に熱心なのは、本土の国土
    が肥沃ではないことから来ているそうですが。
    )

 ・・・しゃあしゃあ陳情にこれる神経は、
都会人のものではない」

(まさにドラマの1シーンですね。)

 権威にへつらい、
 結果的に、弱きをくじく、

 というのは悪い場合に出た場合の日本人の
メンタリティでありますが、それは以上のよ
うな文化的背景があるのでしょう。

 それでも字が平和に平等にまわっているの
であればみなも我慢はするのでしょうが、全
員の糊口がみたされないときは、このような
しくみは平等をかならずしも保証しません。

 その場合は、うすく反乱につながる自己防
衛の意味で、
 体力と健康のために
「にんにくを食べなければならない」という
ところにつながってきます。

 反乱とは、儒教に対する反逆でもあります。

 その意味では、禅宗とは儒教の影響をおお
きく受けているのかもしれません。
(大陸起源側の禅がどのようなものであるの
かはまた、筆者は知りません。)

 そう、禅はその意味で密教や修験道ではあ
りません。「ギョウジャニンニク」は香味の
つよい山菜であり、山伏は僧侶であるまえに、
「まつろわぬ」縄文人ですね。

 原始の検非違使が実力主義の蛮人:

:現地勢力に、中央役所の名を与えて、いち
おうの版図を安堵するのは、どこの歴史もお
こなってきたことです。平泉もかつては「奥
州鎮台(だったとおもいます)」をもらいま
した。

:蛮人であるという意味では、「政権をひっ
くり返されかねない」という恐怖の意味で、
(平安)貴族はかれらとおなじ味の濃い料理
を食べることを忌避するでしょう。

 また武士階級も、覇権をにぎり貴族化する
とおなじような意味で、その食事は淡白にな
っていくとおもわれます。その意味で、

 よく蒸して、小骨を抜き、油の抜けきった、

 「目黒でない」さんま

 は日本文化であり日本料理的といえるかも
しれません。

 その意味で、日本史ではにんにくといえば
「源為朝」を意味するのかもしれません。

 日本食は観光として、万能戦略であるとい
うかんちがいがときどきあるかもしれません
が、
 クミンやターメリックがぷんぷん(イソプ
レノイドがいっぱい)したインドやマレーシ
アの味覚に、日本食が好評かどうかは、それ
は聞いてみないとわからないでしょうね。
 なまぐさいにおいを、消すための香辛料は
もちろん、悪臭そのものである栄養をふくむ、
なまぐさいものを食べるためのものです。
 機能性物質や分子は、(おもにπ電子の)
その活性によって、色やにおいがあるもので
す。

「若君」がとかく夭折しがちであるという現
実は、精神的な生きがいもあるでしょうが、
 生理的には栄養がかたよっていたというこ
ともあるでしょう。

     子供が、嫌いな野菜を食べるように、擬人
    化された絵草紙をつかってキャンペーンを張
    るのは、おそらく広告業の社会的な義務です。

 後日、そのように漢方の雑学に親しむ家康
に、そのようなことは薬膳方や賄方にお任せ
になり御政道に専心なされてはいかがかと、
進言され、また家康の機嫌が悪くなったとい
う逸話もあります。

 また

 食は体力と同時に精神力そのものですから、
そのようなものを他人任せにしては、自身の
生存と存続にかかわることになります。

 家康公にとっては気分転換としての趣味だ
ったのでしょう。雑学でいろいろ考えること
はよい頭の体操になります。

 またそのような実学でいろいろ考えること
は男性的な世界観のなかでは政略をも含めた
力学の訓練にもなりますから、
 実務家や指導者にとっては必要な趣味かも
しれません。

 ただ、これは「よき羊」の生き方ではあり
ませんね。
 息苦しい封建体制のなかでは、薬草として
の錬金術師は異端の魔女・魔術師に属する文
化なのかもしれません。

    (江戸時代に、ライスカレー店をもし開けば、
    それがバテレン趣味なのか漢方の延長なのか、
    町方は困るでしょうね。

    「三国一のしあわせもの」という言い方をし
    ますが、この三国とは、

    ・中国、朝鮮、日本
    ・天竺、中国、日本

    の二通りにに解釈が分かれるそうです。

     後者に立つ限り、インド産の香辛料は
    「漢方」ということになりますが、
     筆者の主観ではライスカレーは南蛮料理で
    す。
     ・・・それを言ったら、「いわれてみれば」
    ですが、コロンブス以前は、豆板醤や中国四
    川料理は、

    「真っ赤ではなかった」

     はずです。キムチもまたしかりです。

     四川風の即席めんのパッケージにうっかり
    「中国四千年の味」と印刷してしまったら、
    それこそレッド・カードになってしまいます
    (笑)。

     ・・・人々の「好奇心という暴力」の前に
    鎖国体制がくずれるのはおそかれはやかれ、
    時間の問題であった、という指摘はおそらく
    事実なのでしょう。

     飛鳥時代までさかのぼれば、中国文化もバ
    テレンだと想われていました。「唐こころ」
    とは、外国かぶれの意味があります。

     ボダイセンナは、大仏をいわゆるメリケン
    趣味として受け止めていたようです。)

 こじつければ家康公は結果として窮屈な江
戸時代をひらきましたが、本人氏の思考は開
明的だともいえるかもしれません。

 公は、こってりした料理が好物でした。
 家康がてんぷらにあたってなくなったのは、
あるいは「リアリズムの戦国武将として、」
もののふ冥利につきることだったかもしれま
せん。

     *

 ・・・立場の弱い人は、もちろん体力がす
べてですから健康に配慮をしなくてはなりま
せん。ただそのために健康を維持していくこ
とは封建的な既得権側は「うすく、謀叛の意
思あり」とみなしがちです。
 幕末があんなことになったのは、前時代に
町道場が増殖したこともあったことでしょう。
 ゼロ生長下では、体力とはうすく反乱の意
味を持ちます。為朝は追放されました。


<欝としての中世儒教>

 ・・・拒食症は、ひろい意味での鬱病の一
種だと筆者は理解していますが、そのなかに
は、

「人を押しのけてまで仕事をするためだけに、
ごはんをたべたくはない」

 というこころやさしい心理があるばあいも
あるかもしれません。
 これが佳人薄命につながる現象であること
もあるかもしれません。すくなくとも拒食症
も鬱病も女性に多い症例であることは事実な
ようです。

 いっぽう、少食は場合によっては精神の健
康をも損ないます。

 鬱病と甲状腺ホルモン欠乏はその表層症状
がよく似ていますが、どちらもいわゆるバイ
タル活力の欠乏のような症状をともないます。

 また張り合いのある生活や時代にいれば成
長ホルモンや甲状腺ホルモンは多く分泌され
ることでしょう。まさにやまいは気から、で
すが。

 ・・・筆者の町内に、あるとても少食な老
婆氏が住んでいました。
 聞いてみると、少食だけではなくすき嫌い
もあり、それでは栄養がかたよって心身とも
によくないんだろうなあと想っていましたが、

 とうぜんあまり身体的には活発ではなく、
部屋にこもりがちでテレビばかり見ているよ
うでした。
 なんとなく、万事受身でじぶんから積極的
に好奇心をふくめて行動することは少なく、
 それが転じて、批評的な言動にかたむきが
ちでした。

 努力をしないですから、経験も蓄積されず、
結果の「無能」が気分転換を欲求すると、ひ
とのうわさばなしになり、
 人はお互いにさほどできた存在ではありま
せんから結果、それは悪口のConversation
(会話)になります。

 世話になった医師を陰でやぶよばわりした
り、もらった贈答品にけちをつけたりするよ
うな、いわゆるどこにでもいる

「ひがんだどちらかといえば好かれないお婆
さん」でした。

 人格の批評をするつもりはありません。

 重要なことはこのような態度が「少食であ
った」ということがらです。

 鬱病と食欲不振との、にわとりとたまご的
な因果関係について筆者はよく知りませんが、
すくなくとも代謝の少なすぎる少食は、いわ
ゆる鬱病の一症状の「卑屈感」とあるていど
の相関を成すようです。

 江戸時代は、乳児の間引きの実例からもわ
かるように、なかなか食糧の食えない慢性飢
餓の時代でした。平均身長の意味では江戸人
が最も背が低いのです。
 その意味では備蓄を食い尽くす過食という
ものは生存を左右しかねないものであり、一
汁一菜はいわば、美徳でした。

 件の老婆氏は地方の出身であり、その意味
ではより固陋な日本の封建制の伝統が無意識
に骨身にしみついていたのでしょう。

 食糧不足という貧しさが、低栄養という意
味で、卑屈な精神の貧しさにつながるのは、
封建制のひとつのおおきな要素でしょう。

 またしかし、封建制の卑屈=謙譲さが過剰
な発明を抑制する力学としてはたらいている
ことも事実です。


<いっぽう都会>

 しかし、進取の気性が前提で競争しなけれ
ば生き残れない都会の現実では、このような
ひがみっぽい態度は、やはり忌避されます。

 ともかく都会が食える場所であることは、
競争と研鑚をすることが前提ですから、
 その意味では都会とは封建的で固陋な地方
日本ではもちろんありません。

 こってりした料理をたべることが、うすく
日本文化の枠の「外」にたつことを感じて、
新大久保にたつと、複雑な気分になります。

 それは封建制の伝統の意味ではうすく反逆
であり、

 また笑い話として人はまず「在日」として
生まれ、そして(分別のある)日本人になっ
ていくのかもしれません。

 そして特にこれから21世紀の若い世代は、
成人前後の通過儀礼として(在日的な)都市
人としていきるのか、

 ロボトミーをうけて田舎くさい日本人とし
て生きるのかを

 選択せざるを得ないことになることでしょ
う。

     余談ですが、韓流芸能の世界では、絵草紙
    メディアは振るいません。
     これはしばしばえげつないくだんの興行戦
    略からみれば、絵草紙が営利としてなりたた
    ないと判断されているにすぎません。
     作るのに膨大なコストがかかる上に、購買
    力のある顧客の数が見込めないからです。ニ
    ワトリ胚のようなぎょろぎょろした顔に感情
    移入できる国民は、世界的に少数派なのです。

     フランスは日本絵草紙を受け入れてくれま
    すが、皮肉なことにその同じ体質が、おそら
    く閉鎖的な官僚主義の風土
    (つまり、同じ力学が閉鎖的で不毛な子供部
    屋を作ります。)
     から来るもので、かの国の青年は仕事がな
    くて絶望に喘いでいます。

     ひとつおもいついた指摘としてかきとめさ
    せてもらえば、日本の絵草紙をうけいれてい
    る外国は、ラテン系の地域が多いような気が
    します。
     偏見ですが、酒とダンスの熱帯は、あまり
    ふかく物事を考えないので、構造の隅にたま
    る澱(おり)という意味での社会的不幸や地
    域的貧困がなかなかなくなりません。

     その深くものを考えない傾向が、

    ・とっかかりやすい絵物語を好み、

     またそのおなじ深くものを考えない傾向が、

    ・著作権意識も低い現実

     となって現れ、電子化時代ですから、海賊
    版が氾濫し、正当なお金を払ってくれないと
    いうジレンマとなってあらわれます。
     これは戦略上の、

    「表現形式としての俗論俗耳」の不幸、

     ともいえるでしょう。堅実なシンクタンク
    が興行の背後にあれば、このようなあやまち
    は避けることができるかもしれません。

         *

     絵草紙を洗脳の手段としてとらえたとき、
     読み手はあくまで批評心のない受けみな奴
    隷ということになり(物のよしあしはわかり
    ません)、
     その市場は、作り手が支配する、独りよが
    りなものとなります。
     この場合、売り上げを有効にする手段は、
    広告としてのプロモーションしかありません。

     その意味では、ボタンがやたらいっぱいな
    らんだ、作り手の独りよがりとしての余計な
    機能満載の価格高価な家電とおなじものです。

     そのような「転職を嫌う」社員の田舎くさ
    い商品は、海外の単機能な格安品に駆逐され
    ている現実があります。

     かけっこに順位をつけないようなムラ的な
    悪平等は、鄙の論理として日本政治の悪癖で
    すが、そのような息苦しい江戸時代の閉塞感
    としての、
     数の論理と、一票の格差・高い法人税等を
    そのままにしたままでなあなあで政治がなが
    れている限り、賢明な企業の国外脱出は止ま
    らないままでしょう。

    「ぼくの画題を破壊しないで画家」の話題と
    関連しますが、

     生存が切迫した現実をその背後として持つ、
    事実上の難民としてのユダヤ人や朝鮮人とし
    ての芸術家と、
     金持ちや既得権の子弟として不自由なく育
    った子弟がふつうの労働を嫌がってわがまま
    として進んだ進路とでは、

     出来上がるものの質と気合が異なってきま
    す。

     マスターピース(傑作)というものは、手
    工業組合の登録のための認定試験を意味して
    いて、これにみとめられないと仕事を営業す
    ることができませんでした。

     若い情熱が必死にとりくむだけあって、こ
    の制度の中からは、しばしば歴史的傑作が生
    まれ、あとに続くものの手本となりました。
     ・・・こんにちの優れた町工場の伝統は、
    帰るところのない難民としての江戸の手工業
    者の流れを汲んでいます。

     その意味では、結果的品質の意味では、
    「生存競争」の意味であるていどの競争は必
    要なのでしょう。
     その意味でも、極端な少子化と、大人の、
    人間としての弱さとして、自分の職業にしが
    みつく結果としての教師の過剰は、
     よくないものなのでしょう。

     食料自給率だけの意味では、日本の人口は
    7000万ぐらいがいいのですが、急激な少
    子化の結果としてそれがもたらされる、全日
    本人農民という状態は、
     おそらく卑怯者があふれた状態になってし
    まいますので、そのようなところに住んで幸
    福かどうかは、よくわからないことでしょう。

     外国をも巻き込んだ、人類の不幸としての
    「細胞事件」は、象徴的です。
     人間ですから、間違いや勘違いもあってし
    かるべきですが、一連の対応は、一市民とし
    てはまずいものでした。
     ・・・人々が、貧困にあえいでいて、希望
    に飢えている、比較的人権の低い国でなら、
    有罪に処せられるかもしれません。
     筆者はパキスタンの人と英語で話したこと
    がありますが、かの地では、物理学者のサー
    ラム博士は英雄だそうです。


<風土>

 セロトニンやドーパミンレセプターの話を
しらべたりしてみましたが、日本人は遺伝的
に(?)じぶんの立場をあやうくしてまでも
冒険や慈善をすることをあまりしない民族の
ようです。
 好奇心や希求心がすくなく、いつも周囲に
気を使うのはひとえに生存のためのひろい意
味のエゴイズムです。

 人口過剰な風土が数千年続くと、人間は農
業しかできない精神の、遺伝的統計が蓄積さ
れてしまうのかもしれません。
 ムラ社会にしか住めない人種が出来上がり
ます。
 おもに弥生の集落戦争の時代を覚悟してで
も、日本人が農業に追い込まれていくことは
しかたのなかったことなのかもしれません。

(統計的な知識がないので、観念的ですが、
朝鮮の風土と対照的です。
 緯度が高く、寒冷でまた山岳をはやくに禿
山にしてしまった半島は、多湿な日本にくら
べてかつて農業がふるいませんでした。

 半島の気質が「上御一人」をもとめがちな
メンタルであるのは逆に、日本のような農業
共同体があまり機能しなかったからなのかも
しれません。大統領制や人民総括職のような
仕組みは、その当人氏の重責を考えれば、結
果として健康なものではないのかもしれませ
ん。)


<こどもの現実>

 人間は弱く、また老人は保守的になりがち
ですから、社会が傾くとき、そのしわ寄せが
若者にいくのは文明の原則として何千年もの
昔から当然のことですが、

 閑話休題、わかい世代が、あるいは親から
溺愛されているがゆえに「弱く」なっている
ことはうすうすわかってはいましたが、

     最近かれらがよむ絵草紙に、ごはんをたべ
    るシーンの描写がとぼしいことに気がつきま
    した。読者や視聴者としてそのような欲求が
    とぼしい生活を送っているからそうなのかも
    しれません。

     生きることはおなかがすきます。筆者はこ
    のような文章を集中して書いているときはひ
    との3倍も食べてしまいます。

 ご飯を食べないがゆえに考える力が乏しい、
あるいは考えたりなやまないからおなかがす
かないという、
 虫のように自分でものを考えない批評心の
うすい受け身な態度のままでは、制作供給側
のじぶんたちのことしか考えていない犬も食
わない作品・商品を売りつけられたりもしま
す。

 愛されすぎて育った出自や、性根の腐敗し
た個人や組織に色気がないのは、かれらにと
っては常識です。
 色気とは自信ですから、色気がないという
ことは、経済学的には不況、ということです。


<儒教と工夫は共存できるか>

(たぶんその割合は歴史の時間によって、振
動するものなのかもしれません。)

 ・・・日本が少子化によって子供同士の競
争がとぼしくなった結果に、技術産業を維持
することがむずかしくなったり、

 また、人類社会がかならずしも過剰な不良
在庫をかかえることが幸福ではないことなど、

(工業には、人間の衣食住以上の質的な需要
はありませんから、
:無理に需要を作り出す、という概念は長期
的には顧客破壊につながります。

 工業が一度質的な平衡点に達してしまえば、
(手法ではなく需要製品として)まったくあ
たらしい種類の工業ができることもないでし
ょう。
 すくなくとも過去10万年ヒトは質的には
かわっていませんから、むこう10万年もお
そらくそうで、人間の衣食住の需要が質的に
変化しないからです。

 この議論はヒトが質的に変わらないという
前提の話です。種としての自己の遺伝子改造
の可能性は、もし未来の歴史にあるとすれば、
それはすべての技術がそうであるように開発
戦争のあとに、沈静化する形になるとおもい
ます。
 具体的にはその詳細を予測しかねますが、
筆者は積極的な遺伝子改造にあまり肯定的な
気分をもっていません。
 たとえば園芸品種は多収量などの改良形質
の影でつねになにかしらの遺伝的代償をはら
っているものだ、とのみ書くことにとどめま
す。
 近々には、人口数十億の遺伝子プールの絶
対的な量をどうこうできるはずもなく、遺伝
子操作とは現在の自家万能細胞の技術のよう
に、出生後、体細胞や臓器にたいして、分泌
疾患・代謝疾患のための治療としておこなわ
れることになるでしょう。
 倫理の問題をとりあえずかんがえないまで
も、生殖細胞に手をくわえることはたぶんに
現実的ではありません。
 星新一氏の皮肉に満ちた短編群のように、

「くびをながくしたら、あしがみじかくなっ
 てしまった」

(これはある高名な学者・名前失念の言葉で
す)というようなことがごろごろおこるでし
ょう。
)
)
 から考えれば、
 日本でもゆるやかな「脱工業」の結果とし
て。農業本位制の色彩が強くなって来ること
は、文明論からいってもしかたのないことで
すが、
 その極として、たとえばかつての封建制の
息苦しさを考えてみたとき、発想と精神の自
由がそれに耐えられるのかどうかは、筆者に
はよくわかりません。

 家康公にも、わからなかったでしょう。
 氏にできたことは意味のとぼしい表面的な
殺戮戦争をおわらせることだけでした。

 たしかなことは、ふたつあります。

・ひとつは、みなが考えることに疲労を感じ、
それを放棄するようになると、まず間違いな
くそのような固陋な時代が到来するというこ
とと、

・もうひとつは反面、あとさき考えずに欲と
好奇心のおもむくままの過剰な工夫の結果は、
幼稚な恣意を押し通す競争戦争になって、
 修羅をまねくということです。

 修羅であった昭和の前の時代、

 江戸時代の後期には閉鎖的な社会にあきあ
きしていた風俗が、都市流通文化として胎動
していました。

 当初はカブキなどが心中ものなどを通じて
「間引きや抑圧という現実への抵抗」を示し
て、奉行のみけんにしわを寄せましたが、
 じきに哺乳類としての好奇心と運動への欲
求が伊勢参りや町道場のブームになっていっ
たのです。

 乱神という竜の胎動です。

 いちおうはゼロサムであった当時の経済の
規模と職種の多様性がいかほどであったかは、
筆者は知るよしもありません。

 ただ、薔薇色の開放は無条件によいもので
はなく、町道場は結局、幕末期に独善として
の無数の真剣の流血をもたらしましたし、
 またそれは、都市のまた役者でもある講釈
士としての言論の無責任として、

 太平洋戦争にまで至るのです。

 太平洋戦争は、
 工員の無知と小作の固陋
(既得権としての庄屋をも含む)の合作でし
た。


<おまけ>

 お好み焼きは米でなくて小麦ですが、もし
あるお好み焼き屋の壁に韓流スターのポスタ
ーが張ってあったとしたら、その商品として
のお好み焼きはたとえ海苔がのっていなくて
も「ちぢみ焼き」ということになるのでしょ
う。もしそうだとしたらそのとたんに話題が
微妙なものになります。
 非常に広義の芸能や興業には在日氏の率が
高いですが、

 山手線の西側の円弧は(東北線・東海道線
にくらべて)、比較的遅く開かれました。
 いわれてみれば、の話になるのだとはおも
いますが、
 江戸城御城の方角からいえば、山手線の西
側はゆるやかな丘陵地であり、水田も無いと
いう意味で人の居住がまばらな地域でした。
 ここは、大店の別荘地でありまた芸子をよ
んで遊ぶところだったのです。

 新宿を中心にして南北、山手線沿いに技能
系の専門学校が多いことは、新宿がそのむか
し「色町リゾート」の郷であったことに起因
し、春を生業とする女性が自分を磨くために
芸能の稽古に励んだことに起因した伝統です。
ある会社がある「五番町」はまさにそういう
ところです。
 また新宿に仲通りの路地が存在することは、
陰間も例外ではなかった、ということですね。

 また新開地ということもあり、比較的よそ
者にたいしても寛容なところがあったのでし
ょうか、新大久保の位置もまたそんなところ
でしょう。

 扶桑を持って就職にしなければならない、
若い人々は事実上色子にかたあしをつっこん
でいるわけですが、その意味でのその骨頂は、
自信という色気なのでしょう。
 就職難民という意味での技能系の扶桑が、
在日的な興業とむすびつくとき、大事なこと
として意識されるべきことは、

「イケてるかどうか」

 ということです。

 筆者は、興業の一分野としての絵草紙産業
の存在自体をうんぬんできる立場にはありま
せんが、

 それでもお金をくれるからというだけで、
 血統で与えられた既得権に首まで漬かって
堕落しがちな田舎のお金に作品や仕事を売る
のは「客の芋くささに同化する」という意味
で危険なことのように想えます。
 日本の保守化した既得権による囲い込みこ
そが若者の雇用を奪っているのに、そこから
はじき出された者が田舎の需要を当てにする
のは、その角度から見る限り、本末転倒のよ
うな気がします。
 興業が在日系や国際資本であれば、内心で
はそのような方向性をよしとはしないでしょ
う。
 実際、日本の芸能や絵草紙は、その内容に
伴う保守性が鼻について、みなが想っている
よりも売れる国は限られているようです。

「カワイイ」は「ダサい」と同義に受け取ら
れる感覚があることも忘れてはなりません。

 筆者の中では、対外的な造語として作られ
た「カワイイ」には、無理な恣意がこめられ
ているように想えます。

「カワイイ」は、「かわいい」ではありませ
ん。

「かわいいね」という言葉は、「きみはこれ
から出荷されておいしいスープのだしになる
んだよ」という農場主の笑顔にそえられるこ
とばです。
 その意味で、むやみに人にかわいいねとい
うことは手袋を投げつける侮辱になることが
あります。

 正攻法の勝負ではかみちぎられるだけの弱
者が、あるいはまともに働くのを嫌がる怠け
者が、自分では生きていけないfieldで媚び
るために、

「あたし、カワイイ?」と「訴える」のです。

 戦場を歩いてきた人にとっては、そんな態
度は、高級娼婦には見えないでしょう。また、
戦場での陰間は、寵だけの立場と揶揄される
のを嫌い、人一倍自分を磨いていたそうです。

 ぎりぎりのところで生きている戦闘的な民
族のなかには、日本のそのひとりよがりで視
野の狭い、鈍重な保守性を許せないものとし
て感じている国もまたあることかもしれませ
ん。


====================

・参考文献

 生物百科     平凡社
 細胞の起源と進化 培風館
 代謝マップ    東京化学同人
 化学大辞典    同
 生化学      光生館
 元素111の謎  講談社ブルーバックス
 量子力学とは何か 同
 細胞の社会    同
 体の中の微量元素の旅 同

 現代化学
 (巻数失念おそらく2012か2013年刊)
          東京化学同人
 Newton     2015年3月号
 wikipedia該当ページ
 チャート式新化学 数研出版

 (コラム分)

 寺田寅彦随筆集    岩波書店
 手塚治虫が願ったこと 岩波書店(ジュニア新書)

 おたくの本(絶版) JICC出版(現宝島社)


====================

 あとがき

「知ることについて」

====================


 ・・・この項にはもともと、
「このファイルが読者氏の好奇心を満たすも
のに、なるのであれば、さいわいです。」

 という意味の数行の文がありました。

 このファイルを作った当初の理念でもあり
ます。
 しかし、熟考が進むにつれ、考えが変わっ
ていきました。

「知る」ということが、哺乳類の歴史におい
て、生存をかけた苦い生理としての行いであ
ることを知っている筆者には、

    (哺乳類は、つねに恐怖と好奇心をバランス
    させながら生きています。力のない草食獣の
    幼児が、必要以上に好奇心が過剰であったら、
    たちまち不意打ちの一網打尽を食らって、そ
    の種族は絶滅してしまうでしょう。
     それでも、バンド集団の中で好奇心からの
    学習とその伝承が、必要である場合には、
    「危険にすりつぶされる若者の犠牲」のため
    に、あらかじめ仔腹を多く生むように繁殖率
    を高くするような設定が、結果的に働きます。)

 無責任なメリケン趣味(蘭癖)のように、
 幼稚な教師が振り回すごとくには、
 好奇心こそが花園にいざなってくれるよう
なことを、語る気持ちにはどうしてもなれま
せん。

 商品としての舶来品なら、あきたり、
「効力」がなくなったりすれば捨てることも
できるでしょうが、いちど知ってしまえば、
たとえば苦い知識というものは忘却すること
が出来ないのです。
(その意味で、ついに日本人は仏像を輸入し
ても、宗教を輸入することは出来ませんでし
た。
 苦さや義務を、知ることを拒否する怠惰と
してのめんどうくささが、教義をわがままに
拒否したのです。

    「仏像を簡単に捨てる民族」と言う意味で、
    日本人は世界にまれに見る、広告と親和性の
    高い、消費風俗の民族ともいえます。ですか
    ら飽きたミュージシャンを簡単にみ捨てるよ
    うに、物事をみかぎるのに節操のないところ
    が、関が原がたった一日で、おわったことに
    つながってきます。

     過酷な体験が経験や伝統に刻み込まれてい
    る民族にとっては、「関が原」というものは
    理解できません。かれらにとっては、自分の
    根っこになっているものを無理に引き剥がし
    たりすると、大出血を起こすのです。
     皆殺し寸前の歴史をくぐってきた民族は、
    しばしば最後の一兵まで戦います。

     その意味では日本人が楠正成をたたえるこ
    とは「常識的・統計的」には間違いです。

        (無節操ということはリアリズムということ、
        でもありますから、これが観念を嫌い、技術
        立国の重要な礎になったこともまた事実です。)

     その感覚はキリスト教徒に近いものです。
    親鸞に比べて日蓮が、どちらかというとキリ
    スト教の雰囲気がするように、
     日本においては勤皇といえば、やや、純粋
    で観念的な傾向があるのはそのあたりなので
    しょう。

         まただからこそ、日本の興業は純粋さに対
        しては、骨をうずめるに足るところではない
        と「おおむね」ではいえることでしょう。
        ・・・そのむかし、ロックンロールのことを、
        「電子阿呆陀羅尼経」と呼んだ人がいたそう
        ですが、日蓮宗のさわがしい念仏の意味では、
        かけごえはナムアミダブツではなくて

        「ナムミョウホウレンゲ・キョ!」

        でしょうね。

 宗教とは、すきこのんで安易なごりやくの
ために入るものではありません。朝鮮やユダ
ヤの民がそうであるように、ほかにすがるよ
すがのない逆境に、教義と一緒に焼入れとし
て叩き込まれるからこそ、その言葉が骨髄に
食い込んでしまうのです。)

 扁桃体や海馬の作用として、正負双方とも、
強い感情は経験や記憶を鮮明に刻印します。
修行僧が苦行をしたり、洗脳に強力な感情に
作用する薬物を使用する理由は、ここによっ
ています。

 筆者は生まれつき博覧強記の性を持ってい
ますが、(一般的に言っても)無意識にいろ
いろなことを覚えこんでしまう能力は、
 忘れたい、精神的につらい記憶をもなかな
か忘却することが出来ないという、つけをは
らうことによって得ているのです。

 繊細な人は、精神を守るための「実力の自
信というよろい」を構築できなければみな、
自殺するのです。
 繊細なひとであった三島さんは、文学では
なくて理学に行くべきでした。筆者の偏見で
は、哲学が現代物理学にこうべをたれている
現実を見ればわかるとおり、文学とは「泥舟」
にしかみえません。

 ところで、

「あなたが幸せでないのは、これを買ってい
ないからです」

 と、広告や興業企画は、商品と同様に好奇
心を無責任にあおりがちになるものですが、
 筆者の中の「バーナード・ショー」が言い
たいこととして、

 たとえば、前述のコラムの中の映画の脚本
が語った言葉として、

「悪夢のような真実が待っていたとしても?」

 という一行を、筆者は幼稚に対しては用意
できます。

 ウェルズやベルヌは19世紀の末にあって、
延長としての20世紀の残酷を、無意識で予
測していたふしがあります。あの映画で描か
れていたものはアウシュビッツです。

     その知の体系としての苦さと自身の弱さを
    知っているからこそ、エリートは「塔」の中
    にこもり、
         また鈍いひとは、繊細さが乏しいがゆえに、
        「こころの怪我」として傷つくことがまれで、
        教訓として定着しないので、なんどでもおな
        じことを繰り返し、またひとを傷つけたこと
        に気がつきません。
         筆者はいわゆる馬鹿という概念は、生い立
        ちをも含めて8割が習慣の結果とおもってい
        ますが、
         繰り返しで定着させるための、
         反省という全体俯瞰の循環が存在しないの
        で、彼らは何度でも愚行をくりかえします。
         近づかないほうが懸命です。
        適切な道徳や教訓は経済学なのです。

 豊か、ということは一面では暴力です。

 豊かであるということは、生き抜くために
知らなければならないということを、怠惰に
流れやすい人間の弱さとしてなおざりにしま
す。

 怠惰が結果的に略奪の暴力になるという意
味で、豊かさには暴力の潜在があります。

 何気ない挙措として、食べ残しを大量に捨
てているところを飢餓寸前の難民が見たとし
たら、おそらく彼らに恨まれるでしょう。

 配慮としての躾をともなわない天衣無縫は、
存在するだけで憎悪の対象になることがあり
ます。その意味で、いわゆる文学が退廃とし
て迫害されたことには、

 いちおうの理があります。

 その意味で、豊かさの城から出ないという
意味での無知は、おそらく外からみると罪で
あり、

 またその意味で無知でいる限りは、豊かさ
の継続の中にいるという意味で「しあわせ」
なのです。

 怠惰→略奪:暴力→憎悪。

 これはまさにローマの歴史であり、
 また、手塚先生は、売れないシリーズの中
でヤマタイ国の寓話にかけてこれを書きまし
た。
 悪い意味での広告や企画商品のたくらみは、
いわゆる「知」から、かたいところや苦い部
分を綺麗に除去し、甘いエキスだけを商品と
して濃縮します。

 しかし、不味い物、苦いものを消化できな
くなってしまう客はそのままだといずれ、
(精神の意味でも)健康を害するようになり、
長期的には顧客の不利益になります。
 この手法は、責任を取らないという意味で、
短期的利益を売り逃げとしておいもとめる、
露天のばった屋のような商売です。

    (ばった屋には「口上しかない」という意味
    でよくもわるくも、それは広告業ですが、良
    いがまの油氏とは、それが「プラセボ」であ
    ることをも、認めさせたうえで(ここが一番
    重要です)、芸術の域にまで達しているその
    口上で客に陳腐なものを買ってもらうのです。)

     いっぽう、

 ヘンゼルとグレーテルに出てくる、
「お菓子の家」は象徴的です。

 とげを抜いていない形の寓話には、

「おろかさとはなにか」

 ということが赤裸々に書き込まれているよ
うです。
 悪い意味での広告屋氏の仕事には、絶対に
「にんじんマン」や「ピーマン・マン」とい
う像は表れてきません。

 そういう、損失を覚悟してでも、耳目を操
作してしまうことに対する義務感のような姿
勢がない限り、
 興業もまた長期的にはクライアントの生活
と、幸福を破壊する側にまわることになるで
しょう。

 商人はつねにアヘンを売る誘惑におびやか
されているものですが、
 目先の利益にとらわれてしまうと、権力に
すりより、軍拡の片棒を担ぐことにもなりか
ねません。

 ・・・「お客さん」の側に立つ限り、本来
「知る」ということは、半分は苦いものです。

 知った結果に、動けなくなったり、
 自分たちの汚さに愕然としてざんき
(心斬・心鬼)するかもしれません。

     言われてみれば、でしょうが、

    ・被災地に必要以上のランドセルや毛布が集
    まってしまい、その移動や、最悪処分するた
    めのコストが発生し、赤字としての迷惑にな
    るという事実や、

    ・運営法人にだらしない、悪徳が蔓延してい
    るがゆえに、善意がわたくしにされ、奢侈に
    流用されていることなどは、

     力学としての無知の一種になります。

 安易な寄付には、どこか怠惰の影があるも
のであり、

 無知やその結果としてのいわゆる「馬鹿」
は、自分が善人であると理由もなく信じてい
ます。「善人である」と信じたい気持ちは自
尊心ですが、それが精神の健康のバランスか
ら逸脱すると、
 問題ない量のセシウムに癲癇ヒステリーを
起こし何も買わなくなってしまいます。

     健康で愛情にあふれた夫婦においては、旦
    那は妻のよき師である必要があります。尊敬
    されない男性には結婚する資格はありません。

 無知のままでいつづけることは、安寧がこ
こちよい結果からくる怠惰ですが、
 そのおなじ怠惰が、今度は「だれ・なに」
を信じていいのかわからない悪循環に陥って
いきます。

 啓蒙出版が売れないということは、そのよ
うな苦さを乗り越えてまで、ものを知りたく
はない、という感情のあらわれです。

 温室育ちや老人が保守的になるということ
はたぶんそういうことです。

 老人が保守的になるのは、一面ではこの世
が苦さに満ちていることを、おもいしってい
るからなのでしょう。

 ・・・ただ、老人は見過ごしています。

「あたりまえのこと」として自分たちがもは
や気を払わないことにも、半分のほうぎょう
があることをです。

 ほんとうのことをいえば、そのようなこと
を新しい世代に伝えて行くことは、年長者の
役割なのですが。

    (老人は、とかく保守的で狡猾になりがちな
    ので、食料自給率の問題もあることでしょう
    が、歌としての「ソレアード」の理念として
    も、子供が少なすぎることは社会が病むこと
    につながるでしょう。甘やかされた子供は、
    大人から狡猾しか学ばないようになります。)

 この世は、たしかに苦い世界です。

 しかしたとえば、栄養学は苦いもの、あく
の強いものこそが、化学的活性として有効で
あることをおしえてくれます。

    (甘露は過剰にあると、それは物性的には

    「くすぶる半燃のコールタール」ですから、

     細胞構造の蛋白質を真っ赤にさびさせてし
    まいます。
     その意味で糖尿病は、社会の構造も罹患す
    る疾病であるともいえるでしょう。)

 逆に苦さを伴うところからしかつぎのほう
ぎょうはうまれてきません。

 広告はネガティブキャンペーンではないの
で、

「いいところをまえにだす」

 ものですが、悪くすると、甘いところをの
み語り、都合のわるいところをかくそうとし
ます。

     都合のわるいところかくす、あるいはみよ
    うとしない態度は、力学として後悔につなが
    ります。

    「箱」を誘惑、

        (生来の機能があるのに、麻酔や麻痺によっ
        て、あるいは怠惰による失活によって、
         理性や論理による予測を見ないということ
        :先のことを考えるというプロメテウスとい
        う名の意味に立たない、ということの意味と
        してここでは書きます。)

     に負けて開けてしまったパンドラは、エピ
    メテウスの妻でした。
     その中で、最後に残って出てきたのが
    「希望」であるという寓話は、

    「非常に」

     象徴的です。

         一昔前には、「遺伝」という言葉は血友病
        や優生学の影として、語感の悪いことばでし
        た。
         ひらたくいえば「どうせあたまがわるいの
        は遺伝なんだから、なおらないや」といった
        感覚です。

         これはかならずしも事実ではありません。
        遺伝子が生涯変わらないことは事実ですが、
        たとえばあたまのよさなどは努力しだいでな
        んとでもなります。
         ゲノムの意味で、「劣等民族」というもの
        は存在しません。また、トランプゲームの
        「大貧民」のように、欠点は状況がかわれば
        長所になります。
         いわゆる知能指数は児童指導のための指標
        に過ぎず、たとえば60歳の成人に対しては
        意味がありません。訓練すれば、知能はいく
        らでもよくなります。肉体的能力とおなじで
        す。

         生存が可能な先天的な異常、というものは
        ゲノムからみれば「後天的」異常によってお
        こるもので、(逆に言えば致命的な代謝不全
        などはほとんど流産で出生しません。)妊娠
        環境の異常、ダウン症などの染色体数の不整
        などのみです。
        「馬鹿」とは、努力の習慣をもたないものだ
        けを指すと筆者は考えます。
         ADHDさえも習慣で改善することが可能
        です。

     しかし逆に、ひとつの有意で優性の遺伝子
    を編み上げるために進化が淘汰圧の名で、ど
    れくらいの種や個体の生涯の上でなりたって
    きたかを考えると、

     能力という意味での力という希望が

    「ただではない」

     ことがわかるでしょう。

     テレビやネットの影響だけで精神を作って
    きたクリエーターが、結局は「精神のおもら
    いさん」に堕してしまうのは、

    「希望とはただ」

     と勘違いしているからにほかなりません。

     進化や人間の歴史がそうであるように、

     希望とは、死屍累々の痛みの山の上に、咲
    いた一厘の菫にこそほかなりません。

        (希望が絶望の一種である、希望は絶望の別
        の顔である、という説があることを知りまし
        た。「希望を持つ限り救われない」という逆
        説があることもです。
         ここがたぶん哲学(文学)と理学の違いな
        のだと想います。

         博物学は、この世界のすばらしさを証明す
        るものではありません。もっと実際的な、台
        所の調理器具のようなものです。

         もっと極端なことをいえば、科学とは、

        「ほんとうはこの宇宙が存在していなくても
        かまわない」

         という立場なのです。
        「われおもうゆえにわれあり」とか実存主義
        とかいう観念は、自然科学の徒であれば、

        「いまさら、何言ってんだ。バカ」

         といわれるのがおちでしょう。

         逆のことをいえば、社会のしがらみを離れ
        れば、結局は自我と宇宙しかないのです。
         その意味では、希望とは動物が逆境でしか
        ない世界を行くための仕組まれた本能でしか
        ありません。
         その意味ではそれは地球の動物であれば、
        遺伝子に書かれていることで、だからこそ希
        望はつねに絶望の隣に棲むのです。

         観念としての希望が、宇宙の法則に書かれ
        ているわけではありません。)

 また健康食品としての、エキストラクトは、
原料の20分の一しかとれない濃縮としての頓
服ですから、その販売の過剰は、やはり病理か
もしれません。
 甘露としての第三次産業とは衣食住から見る
と「濃縮」ですから、あまり過剰に存在してい
てはなりません。

 その意味で、この世のすべてがロリポップ・
キャンデーではないことをわきまえたうえで、
はじめて、この言葉が言えるのです。

     *

 知らない世界に、連れて行ってください。


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