======================================== WeekCLN WIN10版 CopyRight MIYAMA.:kazutomi miyama 2018-2019 kaz_kimijima@yahoo.co.jp ======================================== ・はじめに これは拙作家計簿wieekcln、 WinXP版、ie5スクリプト版の win10プラットフォームへの移植プログラ ムです。 ・動作条件 win7、8および10のpcと スマートフォン/tablet スマートフォン、tabletの場合はusbない しワイヤレス接続されたキーボードが別途必 要です。 win10で画面を任意の大きさに設定する場 合は、tabletモードでは適切に反映しないこ とがあります。pcモードに切り替えてくださ い。 ・動作における注意事項 このプログラムは画面を開くごとに、その 表示内容を(たとえ見かけ上同一でも)常に 上書き更新するプログラムです。 万一誤作動により蓄積された膨大なデータ を消去しないともかぎりません。 適宜以下に述べるデータフォルダを安全な 場所(できれば違うドライブ)等にバックア ップ退避することをおすすめします。 作業フォルダを再更新する場合は、更新し たい日付のファイルのみを上書きコピーして ください。 プログラムの作業フォルダ データファイル(ファイル形式はテキスト) 100年モード 万年モード 日誌 日付wc.txt 日付.day 支出 日付pt.txt 日付.pay ・配布条件 フリーソフトです。配布は自由です。 (VisualStudio2017コミュニティ版の使用許 可条件にも準拠) ・アーカイブ内容と使用方法 アーカイブwkcln10.zipの内容 weekcln.exe 実行プログラム weekclnv.txt ソースファイル(vb.net) readmejp.txt ドキュメント日本語 readmeeg.txt ドキュメント英文 chngyyyy.bat 旧weekcln用データ移行バッチ アーカイブを解凍後できたweekcln.exeを 任意の場所でクリックし、起動してください。 weekclnが初期条件で起動します。 以下の画面が表示されます。 ------------------------------------------------------_[]X 日付 日記項目 支出計算項目 終了ボタン X (日曜)テキスト テキスト 日計 設定ボタン T 固定フォント選択 P 月曜 日計 表示設定クリア C 日付文字列の長さ L 火曜 日計 メッセージ日本語選択 M 日付移動 J 水曜 日計 万年カレンダー設定 Y 木曜 日計 金曜 日計 土曜 日計 週計 前週ボタンB 週内容反映F 次週ボタンN 項目末のアルファベットはショートカット(Alt+*) ------------------------------------------------------------ 初期画面は7インチタブレットを設定した 大きさになっています。 (1000*650ピクセル) ・動作の概要 プログラムは操作ごとに、入力内容を日付 ごとの微小なテキストファイルに記録し、ま た支出内容を計算して表示します。 ・データのファイルの実態 このプログラムはやや行儀が悪いですが、 システムCドライブの直下に \daily_folder という作業フォルダを作成し、そのなかに 各日付の内容を収容します。 たとえば2018年12月31日の内容は For example, makes 2018/12/31 's data to the next file name style, 20181231.day 日誌diary 20182131.pay 支出payment-text というテキストを作成して記録されまた読 みだされます。 前週ないし次週ボタンによりシステム手帳 カレンダーのように画面をめくることができ ます。 ・テキスト画面の入力操作 マウスクリックまたはTABキーで項目の窓 を移動することができ、 またキーボードによる入力を想定していま す。 よそのアプリケーション同様、Ctrl+C,Vに よるコピー、ペーストができます。 各画面は論理により内容の解釈をします。 解釈は入力直後ではなく小さな窓からブリ ンクカーソルが外に出た時に行われます。 その場合、 日誌テキスト 過剰改行の圧縮 支出テキスト 数値認識と演算 (無効な0値小計行も圧縮されます) の認識変換が行われます。 なおその場合、それぞれの小窓の内容はフ ァイルに保存されます。 (当初はテキストが微小に変更されるたびご とに解釈とファイル保存を行っていたのです が、マシンに必要以上の負荷をかけることに なるので、この方式にしました。) ・支出テキストの数値変換処理の詳細 レシートの入力を想定しています。 論理は数字とそれ以外の文字をまず区別し ます。 あらゆるアラビア数字(半角も全角も)は 金額の数値とみなされて演算の対象になりま す。 (そのいちそのにのような意味でアイテムに 番号を振りたい場合には漢数字を使用してく ださい) 入力内容は、一度改行をすべて除去された 状態にもどされ処理されます。たとえば、 みかん222りんご333ぶどう444すもも555 という入力があったとき論理は 商品みかん 222円 商品りんご 333円 商品ぶどう 444円 商品すもも 555円 と解釈し、 みかん,222 りんご,333 ぶどう,444 すもも,555 と表示されます(数字は半角に変換されま す) 区切り文字が半角カンマになるのは表計算 ソフト用のCSVテキストファイルのためにこ のデータを利用するためです。(詳細は後述) 割引きなど、金額の小数表記はできますが、 分数表記はできません。 またミスタイプとしてのピリオドの処理で すが、複数入力した場合は後方のピリオドド ットは無視されます。 また「0」の無意味な連続も無視されます。 たとえば、 001は >1, 0.00.001は > 0.00001と認識されます それぞれの数値は認識処理ごとに演算され 加算積算されて数値の窓に反映されます。 ・前週次週ページ移動(ボタン) 画面の表示と作業フォルダ内の処理は、 画面の基準日付に基づいて処理をしています。 基準日付はその週の日曜日を基準にしていて、 日曜日日付 +0日=日曜日 +1 月曜日 +2 火曜日 +3 水曜日 +4 木曜日 +5 金曜日 +6 土曜日 という論理で表示窓と各日ファイルを指定 処理しています この論理の上で 前週移動ボタン 現状の内容を現週の日付で保存 日曜日を一週戻す 新しい日付でファイルを読み出し、 なければ空白で作成する 現状反映ボタン 現状の内容を現週の日付で保存 (日曜日をいじらない) 現週の日付でファイルを読み出す 次週移動ボタン 現状の内容を現週の日付で保存 日曜日を一週すすめる あたらしい日付でファイルを読み出し、 なければ空白で作成する ボタンのショートカットは 反映はreflection Alt+F :Fixの意 ですが 前週は Alt+B :BackWeek 次週は Alt+N :NextWeek です。 ・任意の日付に移動する Alt+J :JumpPage ボタンは画面の右端にあります。 上記の3つのボタンのエンジンをそのまま 利用しています。 任意移動ボタン 現状の内容を現週の日付で保存 入力された日付の週の日曜日の日付を算出して移動 新しい日付でファイルを読み出し、 なければ空白で作成する 日付算出部で入力日付を検証し、不適切の 場合はエラーを返します。 またうるう年を検証しています。うるう年 でない場合2月29日の入力は、3月1日と して処理します。 注意:年の入力について (そういう意地のわるい使い方をする人はい ないと思いますが、) 年の入力は紀元0年から9999年まで可 能です。 西暦3300年とか、西暦8000年とか、 殿堂入りした漫画家のSFを連想してしまい ますが、 Windowsのシステム(のDATE関数)はその ような年表記にも対応しています このプログラムも4桁年数入力で動作して いますので西暦8000年のカレンダーを呼 び出すことも可能です。 ただ当然ですが、年数が四桁ユニークなの である以上は、 データを格納する日付小ファイルのファイ ル名にも四桁年数の表記がなくてはなり ません。 当初このプログラムは作者の私用としてい またので、せいぜい21世紀のみの使用を想 定していました。 小ファイルのファイル日付名はたとえば 2019年01月01日ならば 190101wc.txt 日誌テキストDailyTextFile 190101pt.txt 支出テキストPaymentTextFile というルールで作成されていました。 ただ、これでは4桁年数では、 1919年のファイルなのか 2119年のファイルなのか わからなくなってしまいます。 ただしエラーにはなりません。 この古いモードでたとえば 2119年01月01日にジャンプすると この2019年の内容が表示されます。 また逆に2119年の内容も2019年側 で読み書きできます。 そこで ・万年カレンダーを許可する設定 Alt+Y というモードをつくりました。このモード を使用すると、 2119年01月01日のデータは 21190101.day 日誌テキストDialyFile 21190101.pay 支出テキストPaymentFile となり、0-9999年、間一万年のデータを区 別することができます。 この「設定のチェック」をクリックするこ とによっても移動イベントは発生します、 以下実際、 ------ 万年カレンダーのチェックをクリック (いまが20190101の場合) 表示画面を190101wc/pt.txtで保存 モード変更 20190101.day/payのファイルを探し表示なければ新規作成 ------ またこの直後に再度クリックすると ------ 万年カレンダーのチェックをクリック 表示画面を20190101.day/payで保存 モード逆転 190101wc/pt.txtのファイルを探し表示 ------ となって古い内容がもとどおり表示されます。 つまり、古いデータは破棄されません。 ・古いモードから新しいモードへのデータ の移行(コピー) この新モードで古いweekclnのデータを利 用したい場合には、データを新形式にコピー しなければなりません。 このプログラム内で実装しようとも考えた のですが、DOSシェルのコマンドをつかえば 数行で実現可能なのがわかり、そちらを同梱 することにしました CHNGyyyy.bat これをクリック(クリックする場所は問い ません。)すれば旧データが新しいファイル にコピーされます。 念のため旧ファイルはc:\bakdaily_folder に退避コピーされます。 危険ですので絶対にこのバッチファイルの 内容を編集しないでください。 いちおう 9xMMDDwc/pt.txt become to be to, のファイルは20世紀の末のファイル と21世紀の末のファイル、 199xMMDD.day/pay 209xMMDD.day/pay に変換されます。 例 990101wc/pt.txt 元ファイル 19990101.day/pay 新ファイル 20990101.day/pay ・積算(集計ファイル) 日誌や支出を俯瞰集計するために、プログ ラムは積算ファイルを作成します。 daily_folder内部に daily.txt 日誌bind of daily sumsheet.csv 支出集計 (excelなどで閲覧編集可能) の二つを更新出力しています。 この積算動作は 週画面を表示・編集するたび When the week display face appered and editing, > 週ごとの積算ファイルを作成 します。 またプログラムは終了のたびに すべての週ごとの内容のファイルを合体し ます。 >daily.txt/sumsheet.csv 注意 データレコードの範囲が広範にわたり、 旧各週データを万年モードで動作させたい 場合は上記のバッチファイルによる変更コピ ーが必要です。 また以下に述べる新機能書式で週計積算フ ァイルを更新したい場合は、 煩雑ですが新モードで各週画面を俯瞰閲覧 するしか手段はありません。閲覧すれば新機 能形式で週間ファイルは上書きされます。 ・支出積算ファイルsumsheet.csvの書式 セル形式で表記します。 古い形式(旧weekcln) 日付(日曜から) 項目 値段 項目 値段 日計 日付 項目 値段 項目 値段 日計 <以下全7日分> 週計 新しい形式 日付(日曜から) Aマート/項目 値段 Aマート 項目 値段 項目 値段 Aマート 項目 値段 項目 値段 Aマート 項目 値段 項目 値段 Aマート 項目 値段 Bストア/項目 値段 Bストア 項目 値段 項目 値段 Bストア 項目 値段 項目 値段 Bストア 項目 値段 日計 日付 date 項目 値段 項目 値段 (略) 日計 <以下全7日分> 週計 両形式とも日計と週計のカラムがずらして あるのは、週計のさらにの積算を求めるため です。 新形式の書式はベータ版を半年使った経験 からでした。 ひとつのレシートや領収書は、それ自体で 店名や支出の目的項目が区切られているもの です。 いわばそれ自体でデータテーブルとしてく くる必要がある場合のための機能です。 店名表示のカラムでソートしなおせばある 店(取引先)に何月何日で何を取引したかを、 一覧することができます。 表示が煩雑になるので、店名の逐一記入は、 積算ファイルにしかおこなわれません。 ・テキスト画面入力時の店名の区別の文法 前述の例では みかん222りんご333 つまり みかん222 りんご333 は みかん,222 りんご,333 と解釈されました ここで数字以外の文字列 のなかに区切り記号「/」半角スラッシュ をいれると、そこより前の文字列が、店名と して認識されメモリに格納されます。 (スラッシュは全角/でも認識します。また 句読点「、」もスラッシュとして認識されま す。これらは自動的に半角に変換されます。) これは新規に別名の店名が入力されるか、 または取り消し記号「//」スラッシュ二回 連続が認識されると消去されます。 (終了のシンボルフラグ) 例 Aマート/みかん222 りんご333 ぶどう444 すもも555 の解釈、積算ファイル上 Aマート/みかん 222 Aマート みかん 222 りんご 333 Aマート りんご 333 ぶどう 444 Aマート ぶどう 444 すもも 555 Aマート すもも 555 例2 Aマート/みかん222 りんご333 Bストア/ぶどう444 すもも555 の解釈、積算ファイル上 Aマート/みかん 222 Aマート みかん 222 りんご 333 Aマート りんご 333 Bストア/ぶどう 444 Bストア ぶどう 444 すもも 555 Bストア すもも 555 Aマート/みかん222 りんご333 //ぶどう444 すもも555 の解釈、積算ファイル上 Aマート/みかん 222 Aマート みかん 222 りんご 333 Aマート りんご 333 //ぶどう 444 ぶどう 444 すもも 555 すもも 555 二重スラッシュは連続していさえすれば文 字列のどこにあってもかまいません。 「//ぶどう、ぶどう//、ぶ//どう」 も上例右半分の出力になります。 ダブルスラッシュは一度認識されると出力 側では削除されます。 ただしスラッシュが分かれてしまうと終了 のフラグにはなりません。 「ぶど/う/」と入力すると 左のスラッシュが店名区切り開始、右のス ラッシュは無視され、 Aマート/みかん 222 Aマート みかん 222 りんご 333 Aマート りんご 333 ぶど/う/ 444 ぶど う 444 すもも 555 ぶど すもも 555 となります。 当然、スラッシュ定義をしないと店名は認 識されません。 Aマートみかん222 りんご333 ぶどう444 すもも555 Aマートみかん 222 Aマートみかん 222 りんご 333 りんご 333 ぶどう 444 ぶどう 444 すもも 555 すもも 555 なお、一次認識として、 全角スラッシュ「/」と全角句読点「、」 は入力時点で半角スラッシュに、機械的に変 換されます。終了シンボルも「、、」と表記 できます。 ・表示を使いやすい形に設定することがで きます 表示の設定は変更できます。 操作画面の大きさ 文字の大きさ フォントの選択 日付表示の長短の区別(入力テキストの幅に影響) 画面の色 文字の色 スマートフォンなどで 操作画面の大きさ操作がうまくいかない場 合はtabletモードを終了してください 操作画面の幅と高さはマウスでも設定でき ます。 画面端を左クリックドラッグアンドドロッ プで大きさを変更し、画面フレームをクリッ クすることでも反映します。 この操作でも大きさの数値は設定ファイル に書き込まれます。 ただし、自動調整が画面文字よりもコンポ ーネントを小さく表示しようとすると、 構成が綺麗にまとまらないことがあります。 その場合は適宜文字の大きさをフォントメ ニューで操作してください。 調整ボタン Alt+T 以下の項目を次々に入力します。 文字は全角半角双方OKです。 値が不適切な場合は許可されません。 再入力してください。 表示画面の大きさ 日付表示窓の幅 画面(フレーム)の色 画面の背景色 日曜画面の背景色 土曜画面の背景色 文字の色 フォントの選択 フォント設定以外は、 元に戻すボタンAlt+Cでクリアできます。 画面の大きさは初期値では、 7インチタブレット用に 1000*650ピクセルになっています。 日付窓の幅は幅を1とした時の割合です。 長い日付 0.16 短い日付 0.1 (年を含まない表記) がめやすです。 色はすべて16進RGB表記です。 詳しい設定はwebなどを参照するか、 あるいは手前味噌ですが、拙作色彩調整ソ フトなどを参照ください。 (限りなく白色に近いブルー) 初期値の色彩 フォームの色 レモン色 平日の色彩 白 日曜の色 淡いピンク 土曜の色 淡い水色 文字色 黒色 16進による主な色 凡例 R G B XX XX XX = XXXXXX 赤:FF0000 緑 :00FF00 青 :0000FF 桃:FF8888 草色:88FF88 水色:8888FF 黄:FFFF00 青緑:00FFFF 紫 :FF00FF 白:FFFFFF 灰色:888888 黒 :000000 主観ですが、文字色を青にしておくと目が 疲れにくいようです。 黒背景で文字をLED色にしておいても気分 転換によいかもしれません。 ・固定ピッチフォントの選択 Alt+P 集計画面では数字の桁数を合わせるために 固定ピッチフォントの仕様のほうが望ましい かもしれません。 チェックがオンになっている場合、使用で きるフォントを固定ピッチのものだけに絞る ためのメニューです。 システムにもよりますが、MSゴシック、 MS明朝が代表的です。 MSPゴシック、明朝はプロポーショナル なので固定ピッチフォントではありません。 ・日付の表示長さの選択 Alt+L 上記参照。長い場合は日付に年が入ります。 ・メッセージ日本語選択 Alt+M チェックを入れているとメッセージが日本 語になります。 ------------ 技術補足 ・積算ファイルの作成論理(概念) =週ページの表示のイベント= <日曜の日付の決定> ↓ 日曜の日付で週集計ファイルをオープン(グローバル) 日曜から土曜まで日付でループ 各自日付ファイルをオープン n曜の日付ファイルを読み出し >内容を処理して週集計ファイルに書き込み 各自日付ファイルをクローズ 繰り返しループ 週集計ファイルをクローズ(グローバル) =週ページの書き込みのイベント= <日曜の日付の決定> ↓ 日曜の日付で週集計ファイルをオープン(グローバル) 日曜から土曜まで日付でループ 各自日付ファイルをオープン n曜の日付ファイルに書き込み >内容を処理して週集計ファイルに書き込み 各自日付ファイルをクローズ 繰り返しループ 週集計ファイルをクローズ(グローバル) つまり新しい週に移動したとき またそこから離れるとき、 週積算ファイルは必ず作成されることにな ります。 全積算ファイルはプログラムがクローズさ れるときに作成されます。 (Form_unloadイベント) ・配列概念の多用 今回の試行ではC言語風に配列の条件制御 で論理を組み立てています。 ・テキストボックスコントロールの配列 による管理 4種類のテキストボックスは、すべてが一 週間7日単位で存在しますので、 7の倍数である28個のテキストボックス のコントロール配列を用意し、 画面の配置や種類による論理挙動分けを No0>27-1のインデックス変数として 管理しています。 例えば通し番号19番のテキストボックス は、 19=14(=7*2)+5 0日付窓 1日誌 2支出 3日小計 0 日曜sunday 0 7 14 21 1 月曜monday 1 8 15 22 2 火曜tuesday 2 9 16 23 3 水曜wednessday 3 10 17 24 4 木曜thursday 4 11 18 25 5 金曜friday 5 12 19 26< 6 土曜saturday 6 13 20 27 A により 柱は種類分け、 段は曜日管理なので、 支出テキスト窓の 金曜日の画面 としての指定になります。 イベントドリブンとしてテキストボックス で発生したイベントは配列のこの引数Noを論 理に渡し、数値要素解析ロジックがテキスト の種類分けをし、種類ごとに違う動作を呼び 出します。 以下は使用している簡単な解析論理です。 rem nは通し引数 i=0 do while i*7 原商品名 item(1) > 原数値文字列 としてデータを取得しています。 configファイルCNFG.TXTからのデータの読 み取りも同様に、 半角イコールを条件デリミタとして配列 split処理をしています。 各日誌、支出窓の内容をファイルに書き出 すときには、 各テキストウィンドウの内容を一度改行コ ードを用いて一気に各行のデータの配列に変 換しています。 こうすると書き込みストリームへの管理が 簡便になります。 ---------------------------------------- ・アペンデックス お題「収支記録に意味があるとすれば」 筆者の若輩の時代、景気の良かったころに は多くのコンピュータの入門書が多く出版さ れていました。 その中の言語の解説書だったかと思います が、 「グローバル領域に変数を置くのはダサい」 といった文言があったことを覚えています。 その当時は多分若輩であろう執筆氏に対し て軽い反感をいだいただけの印象でしたが、 今日このくにの景気が構造的にひどく煮詰 まってしまっていることにからめて、考えら れることがあるように想っています。 かつてよく「理系・文系」というくくりで 学生である若者のパーソナリティをわけるこ とが話題の前提としての定石でしたが、そう いうことにもこの事柄はかかわってきます。 まず、指摘として当時も(そしてたぶん今 でも)理工系の教育というものは教育資金も また親御さんの教育計画も、準備として大規 模の予算とまた早くからの準備が必要なもの であること、といったことでしょうか。 別の言い方をすれば、ややもすると子息の 人格がまだかたまっていないうちに専門教育 のカリキュラムを開始しなければならないと いうことです。 ・・・いわばその弊害に属する範疇の事 柄として、いわば人格の未成熟な医師や技師 が世に送り出されてしまうということでしょ うか。かつてはこのようなことは受験教育の 弊害として語られることが多かったもので、 あるいはおぞましい例の帰結として、 標本の蒐集趣味のためにどこも悪くない患 者から無断で摘出したり、 また超一流のエリートが在野の団体に洗脳 された結果としての事件もありました。 この延長線上として原子力村の閉鎖性や、 素粒子物理の巨額の建設予算が通ってしまう こともまたあるのでしょう。 人類が過剰な大きさの大脳をかかえてしま ったことは、もはや避けえない現実なのです が、 その結果としての、「工夫の体系」にふり まわされるのも人類の運命なのかもしれない という文脈において、 かれらの給料としての仕事はときに肯定さ れますが、しかしやはりその客観的な本質と して次のことは言葉として表現されなければ ならないのかもしれません。 「あまやかされた妄想。」 弁護としても書きますが、すべての科学技 術とはアルキメデス、ダビンチのむかしから 本質としてそのようなものです。 すなわちすべての技術とは魔術としての耽 美とおなじく、工房としての子供部屋を要求 するものなのです。 おおざっぱなわたくしの理解として、人間 の脳とはいわば「消極的な」進化の一種かも しれないとおもっています。 たとえば胚発生の初期において遺伝子の連 携のプログラムは各器官をダイナミックに形 成していきますが、その手法の一つとして 「おおざっぱに大きく作り、そののち調整と して刈り込んでいく」 というものがあります。 たとえば四肢の指の形成について、はじめ しゃもじ状の細胞の板ができ、濃度振動の谷 のところに存在する細胞をアポトーシスを誘 導することにより、刈り込んでいくことによ って、構造としての5本の指をつくっていき ます。 生物の神経組織の神経細胞もまたおおきめ に、乱暴に例えれば金網上の連結をし、それ らを刈り込むことによって、回線としての回 路を作っていきます。 塩化第二鉄による銅基板のエッチングのよ うなものです。 ですから人間の脳が多くの細胞をかかえて いる臨床的な現実は、 ・増やす遺伝子があるのではなく、 ・刈り込む役割の遺伝子が、何らかの理由で オフになっている、 とみるのが仮説の構築としては、自然に見 えます。 おそらく、地球の地表を生きるに限りおそ らく人間の脳は必要以上に賢すぎるのかもし れません。 (脳が血糖値的に大食いだという意味では、 その存在は肉体の負担を増しますので、 知的な戦略が必要な、過酷な環境が地上 に出現するまで、 大脳の発達は抑えられてきた経緯がおそ らくあります。温暖で生きやすい気候は大 きな脳の存在を必要としません。 安価な原油が供給されているうちは、石 炭やその付随技術が必要とされないことに 似ています。) たぶんその程度は、既存の一般的な哺乳類 を基準とすれば、(やや観念的ですが)2倍 程度で十分だったのに、現実は4倍の生物が うまれてしまった、というような仮説です。 もちろん乾燥寒冷化がすすむ当時の環境で は、淘汰圧としてより知能の高い哺乳類のほ うが生存に有利であったことは事実かもしれ ません。 ただ実験としての自然現象は桁数としての 調整はしても、有効数字の一ケタ目の値は実 験上の収率誤差として、けっこういいかげん にさいころをふるもののようで、 必要以上の知能の高さに人類が苦しむこと などは、進化の誤差の意味では、避けえない 付帯なのかもしれません。 生存のための環境要請以上に知能が高いと、 哺乳類は精神世界の内部構造がふくれあがり、 しばしば外界との齟齬を生むようになるのか もしれません。 「妄想」です。 ふくれあがった内面世界が外部にふきだし た結果がおそらく、幾何学と言語です。 幾何学とはつまりはユークリッドの直線の ようなもので、対象に対して願望の求力をぎ りぎりに引き絞ると、その力線は直線になり ます。 その意味では直線とは、願望の最短距離と いう意味で暴力の一種でもあります。一部の 昆虫の行為やプランクトン、植物・腔腸棘皮 動物の体制を別にすれば、 人類の誕生以前に生物界に幾何学的図形は 存在しませんでした。 (生物の体制に幾何学構造があるということ はそこに緊張が潜む力学がある、と言う意味 では、 幾何学が恣意の暴力の一種である、という 仮説は、緊張力の力学という概念でくくれる ことになります。) 言語はもちろんほかの個体に対する情報伝 達ですが、霊長類のfieldworkからの知見と しては、 ・危険が近づいてくるのを知らせるような愛 だけではなく ・分け前をごまかすためのゲームの道具 の面もあるということです。 幾何学が兵器を作るための工夫のための知 能のために役立つという意味も含めて、 幾何学と言語というものに代表される人類 の遺伝子がもたらした内面世界は、 愛にもなるし闘争の原因にもなるといった 両面が、あることになります。  * グローバル領域に変数をおくことがそれを 書くものの主観にとって「ダサい」ことはそ れこそ個人の自由ではあります。 ただそれを客観性をかたる文脈で主張する ことは、その者の人格的な未熟性を示すこ とになることもまたたしかなことです。 計算機科学の黎明期の舞台もまた、そのよ うな大学学園の、研究室が存在する「若者fu lな」キャンパスではありました。 今日の計算機科学の体系はおもに大学にお いて使用されたUNIX文化の流れを汲んでいま す。 高い学費とそれまでの教育費という意味で、 親が用意してくれた庇護のブースターにのっ て学園に入ることができる、できないという 事情は、たぶん彼の国も日本もそんなに違い はないでしょう。 その学生文化がその学生がそのような経済 的に自立していない存在である以上、そこに はやはりどこか甘やかされた自立していない tendencyが漂っていたこともまた当然といえ ば当然かもしれません。 筆者はいわゆる、ヒッピーやゲイカルチャ ーの起源はそのような学園だとはおもってい ます。 宗教的な禁忌の伝統はともかく、普通の労 働の世界としての社会は、やるべきことをや ってきちんと成果を出せば、その個人が属す る文化や嗜好にはとやかく文句をつけないも のです。 内面の価値とか所属するマイノリティのこ とを語るのは、かれらが労働の意味にとって いわば「ヒマ」だからなのでしょう。 学資fulな学生とはまさにこの条件に合致 した遊び人の階層であるということもできる かもしれません。 このようないわば「貴族の子弟」のような 若者が社会の中核に出てきたとき、当然のこ とながら洋の東西を問わず社会に変化がおき たと筆者は思っています。 偏見としての言い方かもしれませんが、 「甘やかされた学園から出てきた新技術で再 設計された世界」が かれらの、自覚しているかどうかはともか く、彼らの恣意にかしずくエゴにみちたもの になった可能性も指摘されなければならない のかもしれません。 学資をもふくむ富裕な差代の彼らは、必要 需要にたいするものとしての労働の概念を知 りません。 第一次産業に従事することなくとも、なん だかうさんくさいものをもふくめ、投機投資 の好景気の時代は仕事(当時そうよばれたも の)はいくらでもあったのです。 厳密な経済学の思考からすれば、第3次産 業であるサービス業とは、 「産業ではありません」 (さらに厳密な意味で、サービス機能の缶詰 である工業製品である第二次産業もまた、そ の意味ではサービス業であるといえるかもし れませんが、ここではいわゆる第3次産業の みがサービス業である、と定義しておきます。) サービス。 サービスとは多忙ないわゆる富貴にたいし て行われる労働であって、経済がゼロサムに 近い時には、もちろんサービス業とは貴族が 抱える召使の人口にかぎられたものであった ことでしょう。 好景気の経験からすれば、 第3次産業が存続するためには好景気が必 要なのはもちろんのことなのですが、冷静に 考えてそれほどの工業輸出が継続的に大量に 継続する事態というのは、 地球全体の経済不均衡が調整にむかう力学 の上では、そう長く続くものではありません。 つまり娯楽としての第3次産業とは、ある ひとつの国家の歴史においてはそう永続的に 存続するものではないことが、ちょっと考え ればわかることになります。 全世界的に経済が平衡した事態においては、 サービス業が全産業の割合に占める割合は、 相対的に低いものにならざるを得ません。 道楽でやるならともかく、多くの人にとっ て一般的に、飯を食べるための手段ではない という意味でサービス業は産業ではない、 どうしてもというのならそれは本来、研鑽 や貧乏に耐える覚悟がいるものである、とい うものになるのでしょう。 ここの健全な力学を無視して、人文的な歴 史記録に学ぶことをわすれた幼稚な工学学生 が学園を卒業してもなお、自分たちのおさめ たあまり需要のないエンスー技術を世間に売 りつけようとすると、 その不自然な力学とたくらみはどうしても 薄い犯罪の色彩を帯びることになります。 ここで犯罪と言ったのはいわゆる倫理的な 価値観のことではありません。 そのようなことは、しかける、しかけられ るもの双方にとっても、帳尻があわない結果 に終わる、ということをいっているのです。 別の言い方をすれば、企業と顧客が再生産 の循環をなしえないごく短期的な行為は、そ れが破綻することによって、 破綻が悲劇であるという言う意味で、 あえて悲劇への帰結がわかっていながらそ れをする、意識の隠蔽行為は、犯罪の一種で ある、ということになるでしょう。概念とし ては詐欺に近いところのものです。 実需がないところにサービスを売りつけよ うとすると、それは顧客に怠惰を誘導し、そ の余白にサービスを売りつけるしかありませ ん。 つまりサービスの押し売りは、アヘンの販 売と同じ意味を持ちます。 これを経済施策としておこなうと、 金融投機などで実労働以上に給金を供給し、 バブルという意味で、 民衆に余暇の時間と金銭的な余裕を供給す る手段のことを意味します。 日本において、 「バブル時代はなにものこさなかった」 とはよく言われることですが、それはそれ が産業としては実労働ではなかったことに因 があります。 つまりバブルの本質とは、「お祭り」とい うサービスであったともいえるとおもいます。 日本においてのバブルというものはいわゆ るプラザ合意後に大量の投機資金が日本に流 入したことによって起こったとされています が、 「かつての基準から言えば、 実労働以上に給金が上がる」 ということも購買の選択肢が、 (生活のためには必ずしも必要ではない) サービス業の方向にもむかうという意味で は、バブルの一種であるといえるかもしれま せん。 その意味では筆者は、すでに池田内閣の所 得倍増論の時点からすでにバブルははじまっ ていたと考えます。 * 21世紀の今から考えればあたりまえです が彼我もともに同じ人間、発展途上国が飢え からの脱却を目指して研鑽すればすぐに先進 国に追いついて工業立国を実現することは理 論としては当然のことでした。 その意味で好景気の輸出工業国であった当 時の日本において、もっともおおきいバブル としての幻想とは、 「日本人の優秀さは無二のものである」 という認識であったというのは、きつい皮 肉になるのかもしれません。 一般論、工業国家状態が永続的に続かない のが普通の姿であれば、工業メーカーのサラ リーマンのの給料をあてにする娯楽としての サービス業である第3次産業も、規模として は永続的に存在しえないことになります。 ばかなことを夢見ないで、まじめに勉強し て働け、ということですね。 セミコンがうれなくなったから、ダイコン を売るようになった秋葉原は、このような経 済の理論からいうと、日本の恥です。 * 幼稚な心理の企業企画は、需要がないとこ ろにアヘンをねじこもうとしますから、 クライアントが愚かであることを望むよう になります。 「女子供を狙え」とはまさにそのことです。 短期的・売り逃げ的な利益というものは、 かけたコスト以上に利ザヤが回収できること を目指すものですが、 それは不良在庫や、 また開発にコストが低くても済む類似品を きらびやかな広告技術をつかってさも新奇 な製品・商品であるように訴えようとします。 工業製品やメディアが安易にシリーズ化を もくろむ現象はいまさらおどろくにあたりま せん。 閉塞時代は特に、企業としての、そのよう な既存生産手段は、ありとあらゆる手段を使 って非誠実な薄い詐欺をしかけてきます。 利便性やうすい娯楽としての誘惑に対して、 防衛としての警戒心をもたないことは、この ような「静かな経済戦争」に負けることを意 味します。 その場合の敗北とは、生活がだらしなくな り、お金が残らなくなることを意味します。 アヘンにお金をはらうことになると、いうこ とは、そういうことなのです。 生活や購買活動ということは、非常に広義 の意味では個々の戦争なのです (private wars)。 もちろんその戦いとは、 ・外部の商業詐欺師にたいする戦い ・誘惑に流されやすい自分との戦い の外と内にわかれることは、今更言うまで もないことでしょう。 * ここまで書いてやっと手前みそが書けるこ とになります。 収支監視帳簿、つまり家計簿はそのような 広義の生活を監視する手段です。 その有効な機能は主に二つ、 ・購買の重複の回避 ・生活・経営のできれば主体的な制御 これらは、このふたつがおたがいに深くか かわっているという意味では、同じことです。 重複の回避とは、おなじようなぬいぐるみ をうりつけられないということであり、 それはすなわち「違いの分かる男(女)」 となってダンディズムの哲学にめざめること で、 そのことは緊張の集中力によって高度に、 訓練された前頭葉が意思の座であることと同 じように、 哲学という分別を持つことは、その者が主 体性をもって行きていることを意味している、 ともいえるかもしれません。 哲学の構築とは、経験によって航海に必要 な海図を書くということでもあります。 のみならず、 にらやほうれんそうが食べられない液体に 崩壊しないように上手に使いきることは、ま たスーパーに買いに行く手間をさけえるとい う意味で、 生活の主体的な制御が可能ならば、それは とりもなおさず、むだや重複をさけることに もなります。 冷蔵庫の扉には、水性ペンによって、それ ぞれの野菜の管理スレッドが表現可能で、そ れはすなわちマネジメントでもあります。 ・・・制御とは集中力が必要でありますか ら、それはやや苦痛と忍耐が必要になるもの です。 タロットカードの節制の図案とはすなわち それをなすには集中の力が必要であることを 意味をします。 その意味でコンセントレーションとコント ロールは同じものであります。 アル中や、安易な商人が期待する麻薬吸い はもちろん、このような習慣がないので、 一般的にこのような能力を発達させること ができないものなのです。 スノッブの生い立ちの人には理解できない かもしれませんが、ろくでなしはその意味で、 なかなか「人間」にはなれません。現実が違 う、という意味で世田谷区の議員が足立区で 当選することはむずかしいかもしれません。 一度精神的な貧困が定着してしまうと、そ れは永続的に再生産され、卑屈な封建制度や 身分制社会の現実となって根付いてしまいま す。 * このようなことは数字にしろ文言にしろ、 いわば日記としての記録の習慣によって初め て可能になるものです。 その意味で家計簿は日記でもあります。 筆者はかつて故寺山修二氏が 「記憶よりも記録を」 といった言葉をおぼえています。 その言葉を文脈の中で読んだわけではない ので、自分は氏がどのような意味で使ったの かいまとなっては知るよしもありません。 ただ、生物としての人間は、文字を発明し たことによって、 DNA以外にも未来に遺産をのこすことが 可能にはなりました。 教訓がしばしば次世代への愛になるゆえん です。 興行でない文化とは、そのようなものです。 * なんの本であったか失念してしまいました が、日本人の美学とはなにかと問われて新渡 戸稲造の「武士道」を紹介した人があったそ うです。 暴力は事実としてリアルです。 「ごめんで済めば警察はいらない」 という言葉は取り返しのつかないところま で間違いを犯す人間はいつも存在するという 意味でその場合、 「馬鹿は死ぬまで治らない」 ということでもあります。 先天欠陥が反社会になるのであればそれは 放置できないことで、 また堕落が搾取や略奪を生むのであればそ れは行使の手段として暴力を必要とします。 ろくでなしに対する手段はげんこつしかない のです。 もしこの事態が輻輳的になったとして、互 いが正義を主張することになればそれは大な り小なり戦争を意味します。 これは軍備軍事をかならずしも意味するの ではなく、受験戦争や企業闘争がそうである と同じように、結果的な代謝としての競争は つねに戦争と同義だということでもあります。 断捨離という意味を含む改良という意味で の代謝や随時更新も広義の「戦争」であれば、 経営主体や政治はつねに精神的には武断政権 でなければならないことになります。 武士道というものは精神的にはそういう意 味のもので、 小作、奴隷、バイトといういわば町人には ゆるされたことでも、公僕にはゆるされない ことがいわば武士道の一面でもあります。 公金横領は万死に値するのです。 同僚の不正は軍人にとって義務としての、 誅罰行使の理由となります。牧民官が不正を 働いたら社会の健康という軍政体の規律が乱 れてしまうのです。 (現在をも含め、歴史を紐解くとなかなかそ うではありません。官僚や大企業が保身の誘 惑に耐えられるのは珍しいといっていいでし ょう。民族としての、農業国家は腐りやすい のです。) 以下は文学としての筆者の偏見かもしれま せんが、男子校にはその意味でボーイスカウ トの色彩があるようにおもえます。 広義の士官学校でもあるわけです。 行き過ぎたリベラリズムが腐敗の温床にな ることを批判することはできません。 また以下のことはまったく筆者の偏見です が、高等教育は男女同席ではいけないのかも しれません。 これは性差別ではなく、研鑽が未熟なもの は恋愛を語る資格はないという意味です。 高校生に安い誰でもできるバイトをさせて 喜ぶのは、広告・企画興行の山師だけです。 無能な男女が子供を作っても、その子供を事 実上遺棄することしかできません。興行とは もともと無責任なものなのです。 そんなものは決して産業ではありません。 お題目に過ぎない言い方かもしれませんが、 健全な社会は市民に道具であることをもとめ ます。 サービスとしての第3次産業や、その缶詰 としての工業製品(の製造である)第2次産 業のあるべき姿もそのような哲学であるとい えるのかもしれません。 仕事というものは社会を回転させていくた めに多少はきつくてもしかたのないもので、 仕事をえり好みするということは、貴族や 成金の道楽息子がならべる不平でしかありま せん。 必要でもないものや、堕落の種であるクス リを「新産業・新規需要」であるとして売り つけるのが甘やかされたドラ息子の放蕩であ るとすれば、 そうではない健全な産業というものは、 いわく、自分のことを社会におけるよき道 具(にしかすぎない)と再定義することでし かないのかもしれません。 (ファッションとして)愛されなくてもいい から使って欲しいというのはある経営者の言 葉ですが、よき召使としての自らを社会のた めの道具とみなすその意識は、武士道に通じ るものがあります。 2019年 7月 吉日、銀座にて。 Miyama kazutomi. ----------------------------------------