=========================

 ゼロサム社会と金融:素朴メモ

 ZeroSumM.zip 2025 May

 CopyRight Miyama.

 http://kazutomimiyama.sakura.ne.jp
 KazutomiMiyamaSub@gmail.com

=========================

 はじめに、

 ツールの解説を執筆していたところ、なぜネットが
しばしば不毛なのかという感想から、社会の背景に対し
ての考察に至ってしまいました。

 長すぎるしまた、その文章が場違いなもので、どうし
たものかと思っていたところ、切り出して小論文として
のアーカイバにした方がいいのではと、そうした次第で
す。ツールの解説としての長尾は残しておきます:自身
のホームページ。

 (小)論文なので、配布は自由です。

<以下は参照>
=========================

 高位VBでコンポーネントを配列として管理する

 CMPARR01.zip 2025 May (forWin10)

=========================

 前作つまり下の↓作品のコアになった、色彩ツールで
マウスで色をひろうには、というアイデアを探していた
時、

「VB6では仕様としてできたのに、.NETでは
 コンポーネントを配列で管理することができません」

 という約10年前の書き込みを見つけました。

 どこで調べてきたのか、筆者はVB2017で拙作家計簿ソ
フトを作ったとき、図らずもそれぞれの週の日にち窓を、
縦横の配列として管理していました。

 その基本骨子をここに簡単に記述しました。
 ご参考までに。

 フリーウエアです。サンプルプログラムは
 7から11のWindowsで動作するはずです。

・技術的な追加付記、

 文章中で、コンポーネント構造体の.nameプロパティ
を操作して、操作イベントがどの配列クローンか来たか
を判別する方法について、記述してありますが、
 ドリブンイベントがその.nameプロパティに紐づけら
ている場合、参照関係がおかしくなることも、予想され
ます。
 いまは忙しくて参照できませんが、自分はドリブンイ
ベントをそれぞれの配列要素ではなく、配列宣言まるご
とのほうに紐づけていたので、.nameプロパティを変更
しても支障はなかったように、記憶しています。

 どうしても理解的な面倒を回避したければ、どの配列
が発火したのか監視する、フラグをグローバルでインテ
ジャでも立てておいて、配列としての各コンポーネント
から、自らの配列インデックスをそれに書き込むように
命じておけば配列背番号情報は、次プロセスに記述伝達
できます。
 もちろん動的に複雑なシステムでは、排他制御が重要
になってきますが。

 インクリメントループや、ブーリアンが自身の情報に
よって、自分自身の情報を書き換えるような情報分岐だ
と、
 変数の実装上の仕様によっては、順序的にもあるいは
論理的にも、仮想的理想的な思惑とは、違う方にずれて
しまって、ボーリングのガターのような作動をすること
があります。
 重要なシステムは、枯れた手段と表記で書くべきなの
かもしれません。

     *

 これは書き込みが10年前で、
 また科学的事象のように一般的過ぎて、相手がはっき
りしない場合は、ボトルメールのようにささやかな論文
として仕立てるのがよいのかもしれません。
</ここまで参照>

	 以下はここに書く文章ではないのかもしれませんが。

	 ・・・筆者は掲示板に近寄りません。そんなに暇でも
	余剰のエネルギーがあるわけでもないからです。偏見か
	もしれませんが、ネットがいわゆる暇人と貧乏人とひが
	んだ怨嗟に満ちているのは、器量のあまりよくない階層
	の人々が、洗脳されて、実際はさして必要もないデバイ
	スを通信料含めて高額に売りつけれられた結果のような
	気がします。

	 デバイスマフィアです。そういう企業に投資する投資
	会社も投資会社です。自爆し自殺するヤッピーがはでに
	見えるだけで、物静かだからと言って死の商人ではない
	とは必ずしも言えないことに世間はもっと留意すべきな
	のかもしれません。

	 エンゲル係数ならぬ、手机係数というものを提案すれ
	ば、いいように踏みにじられたひとびとのそれは、高い
	数字を示すことになるでしょう。もちろんそういう状況
	階層の統計が、社会のすべてでも共通して、同質的にな
	りたつ、とうけとめられては、人々の将来にとって大き
	な禍根を残すことになります。

	 ネットの性質の一つは、アクセスしやすく見やすいも
	ののみが目立つことです。
	 それを重宝して歓迎するのは、コピー&ペーストの卒
	業論文やレポートの人生がそうであるように、
	 手抜きという堕落の深淵にころげ落ちることになりま
	す。内勤や経理だけの人生があまりよくないのは、都合
	のいい情報しか見なくなることの危険があるからです。
	 経理の仕事が悪く出ると、ここからここまで「死刑」
	にして、宮殿をすずしく快適にしようとたくらむことに
	なります。

	 宇宙では、輝く星よりも矮星の方がはるかに数多くあ
	ります。またあと500億年ほどすれば、全宇宙で大き
	な星はもうほとんど生まれなくなり、もし恒星間移動が
	可能ならすべての動的存在は、寿命が数兆年にも達する、
	矮星の惑星に移住しなくてはならなくなります。
	 そんなとき、オフィスでぬくぬくとして、弱者を切り
	捨ててきた経理マンは、移住を断られることになるでし
	ょう。断られなければなりません。そうでなければ世間
	が許しません。

	     *

	 ネットはだれでも参加できて、また義務も負わないと
	いう意味では自由な空間ですが、それはたとえば、

	1  趣味の食べ歩きの記事は、更新の義務がないので、
	  行ったらつぶれていた。

	2ー1 とらのこをはたいて買った商品がたとえ二流品でも、
	  自分が損をしたと思いたくはないために、どうして
	  も商品評価のポイントがあまくなる。

	2ー2 また場の雰囲気を尊重するがあまり、それは違うと
	  思ってもなかなか表明することができず、結果50
	  万もする壷を買わされる。

	3  本当にひどい目にあった人は、矢折れ刀尽きて、書
	  き込みをする気力もない。

	 という意味で、かならずしもその情報は正確で公平で
	はないことに留意すべきです。
	 逆に言えばそれは、いわゆる世間は厳しいという格言
	の縮図に他ならず、情報としてもただより高いものはな
	いということにもなります。

	 逆に言えば急いでいる人のツールとしてのデータベー
	スにはとてもなりえず、そういう人は有償のサービスに
	お金をはらったり、人を雇ったりします。給料を上げた
	り保証するということは、後者のなりわいを保証する行
	為でもあります。

	 また、仕事というものは情報の信頼性という意味では、
	それを保全することにこそ外ならなく、それはいわば品
	質に対する父性のこだわりだともいえるでしょう。

	 その意味で、ネット企業やIT産業に過剰に投資をす
	るということは、
	 粗悪な安価品の横溢に手を貸すことであり、健全なフ
	ァンダメンタルを破壊する行為になる可能性があります。

	 ベンチャーとはしばしば悪い意味の商社ですから、
	 解放というイメージが、ヒッピーの唱える錦の御旗の
	響きを持っていることを利用して、資本家から資金を引
	き出すことにしたなめずりをするものです。
	 はげ山にした山が鉄砲水をぶっぱなし、村落の多くの
	命が失われる懸念や、アセチレンの触媒に使った物質が
	猫の神経系に悪影響をあたえたことは、商社的な開発を
	監視なくほうっておくとどうなるか、ということの苦い
	教訓ではあります。

	 品質として、後輩や他者のサービスや商品に辛い点を
	つけるのは、モジュレータとしての父性のファンダメン
	タル的な伝統ですが、
	 唯一、それだけが安直な開発や企画に抵抗する手段と
	しての、いわゆる民力の源泉ではあります。

	 人類は歴史として、何回も戦争を繰り返してきました
	が、それは逆に人間がすぐに痛みを忘れる生き物である
	ことを表しています。日本に限って言えば、それこそ戦
	後の建設的な悲願的な伝統は、それは悲惨な戦争の苦い
	記憶にこそほかならず、それはしかし、ヒッピーとして
	の戦争を知らない子供たちによって次第に希釈されてし
	まいました。バーナード・ショーの皮肉の手法で言えば、
	戦争を知らない子供たちは戦争を起こした子供たちにな
	りうるのです。

	 事実上の一人っ子として、むく犬のようにふっくらと
	した結婚をしていない35歳は、おそらく食に苦労した
	こともなく、親や目上から叩かれたこともないのでしょ
	う。
	 そういう暴君が傍若無人にふるまうのをみるたび、ヒ
	ッピーの世代が、友達夫婦、友達家族という看板をどの
	ようにふやかしてきたかを想像することができます。

	 かれらこそが、ネット空間を支えています。もちろん、
	最悪の意味で。

	 必死に思考することをわすれた、粗悪な非現実空間の
	悪影響に引きずられ、現実の世界がきしんでいるのが昨
	今の世相ですが、

	 その意味で、

	 それが世界史的にはおそらく不可能であるからこそ、
	以下の無責任な言動も許されるのかもしれませんが、

	 それぞれの行政は、ネット・IT企業とそれに投資し
	ているファンドを接収し、その資産の大半を公庫に編入
	し、かれらの破壊開発によって疲弊した社会資本の復活
	にあてなければならないのかもしれません。
	 過去の労働争議や、旧社会主義圏の良識が思っていた
	ことの帰納の一つのスタイルではあります。

	 ただ、それはおそらく不可能でしょう。

	 世界史の潮流として、これからは開明から閉塞の中世
	に至る過渡期のようです。つまり国家から、しばしばカ
	ルトでもある宗教の時代に移行しつつあるともいえます。
	 この潮流は、力学なので、多勢に無勢、それに逆らう
	ことは物理的に無謀なのだ、といってもいいかもしれま
	せん。

	 信仰とは、良くも悪くも信じて身をゆだねることです
	が、もしそこに奇跡も救済もなく、たとえば教団側にお
	金儲けの恣意が多分に過剰であれば、それは洗脳して壷
	を買わせるよくある話につまらなく収束することになっ
	てしまいます。
	 しかし、その悲劇こそが甘えと詐欺が横溢するいまの
	ネットの片面の世相をよくあらわしているようにも思え
	ます。悲劇も不幸も、我々にお似合いで、それに逆らう
	ことは、安定状態にむかおうとする、自然の法則にさか
	らうことなのかもしれません。

	 国家がその意味をなさなくなれば、政治家を良識が目
	指すこともなくなり、結果その元首はどこの国もゴロの
	息子が立候補するようになります。そしてゴロであるが
	ゆえに、はなぐすりとの会食癒着著しく、
	 へたに良識を信じて直訴などすれば、それこそ粛清さ
	れかねません。ローマの最末期、短期間に軍人皇帝が乱
	立した世相です。国家が敵になり、政令をまもっていて
	は生きていけなくなる時代ともいえます。

	     *

	 中世になる、のは明快な話で、すべての開発が収支相
	殺の意味で、利益をあげられなくなることが、あきらか
	になるからです。
	 宇宙開発がべらぼうに資金がかかるだけの存在である
	のは明白ですが、すべての開発が持続可能であるかどう
	かは微妙な話です。

	 商社ははげ山の緑化として、生態系的には極めて脆弱
	な商品作物のモノカルチャーを植えたがり、
	 いけす養殖は、給餌した残りかすが海底に沈み腐敗し
	て、最下層が無酸素状態になって区域港湾が死の海にな
	る危険ととなりあわせです。

	 そのようなことは環境コストとして、だれかが払わな
	ければなりませんが、都合の悪いことは自分からは決し
	て言わない商売はそのような局面になればなんのかんの
	屁理屈をつけて撤退するものと相場が決まっています。
	 そのつけをはらうのはまたしても行政であり、便利に
	使われる国家予算です。

	 投資に見合った開発案件、という意味で世界から希望
	がうしなわれれば、資本は当面の利益を確保するために、
	ひとびとの生活と労働をすりつぶしにかかります。

	 手負いのライオンは、夜、かんたんに人を襲うことを
	アフリカの人々はよく知っています。

	 家賃や原材料が跳ね上がり、株価を短期的に釣り上げ
	るために企業を叩き潰しにかかります。
	 生活も労働も安息に営めない時代、これが中世の不幸
	でなくて何でありましょうや。

	 中世≒ゼロサム社会という意味では、
	「ゼロサムと金融」というテーマになりますが、これは
	これで、書籍が一冊かけるテーマではあります。

	 筆者は門外漢なので、それについて詳しく解説する立
	場にありませんが、
	 たとえば過去日本の幕府政体が、ときどきいわゆる悪
	名高い「棄捐令」政策を行ってきたことを擁護する文章
	を、どこかで見た記憶があります。出典は失念しました。
	江戸時代の大阪は、世界的にも有数の殷賑をほこる、先
	進的な金融地域でもありました。

	 いわく、魅力的な投資先のない状況では、マネーはジ
	ーンズ資本的に、自己重力で集合し、結果いわゆる資本
	家=豪商の懐に集まりやすくなる、ということで、
	 たとえば江戸時代の経済サイクルでは、約50年に一
	度、モラトリアム宣言をして、ショック療法をあたえな
	ければならないのだ、という当時の侍でもある官吏氏が
	率直にのべていた、という記録です。

	 棄捐令、とは借金棒引きのことですから、直接資本家
	の資本を接収することではありません。

	 ただ、貸し付けが焦げ付くというリスクを負うことを
	恐れ、それからしばらくのうちは過剰な投資をすること
	をためらうようになる効果はあることは否めないことで
	しょう。もちろん新たな借金がしにくくなるという意味
	では、借り手のほうでもいいことばかりではありません。

	 ただ、ジーンズ資本の力学が妥当性を持つ不変である
	なら、貸し付けはそれはそのまま、利息分を上乗せした
	分だけ確実に資本家のもとに還流し、当時の事実上の通
	貨量は一定ですから、資本がどんどん資本家のもとに集
	合しつづけることを意味します。
	 いくら政府が不況・興業対策としてマネーサプライを
	発行しても、結局はファンドの投資用に還流集積されて
	しまう事実は、最近のトレンドではあります。

	 魅力的な投資先のない、精神的にものゼロサム社会で
	は、金貸し業には一定の制限を設けなければならない、
	という理念に、力学的に解釈を与えたアプローチでもあ
	ります。イスラムの精神が金貸しを禁じていたこともそ
	の理念だと想像します。

	 ましてや、現在では自動投資という機械仕掛けで、
	 ポンプでじゃばじゃば再投資用のマネーをくみあげて
	いますから、それはどうしても市井の市民や、こつこつ
	がんばっている素朴な企業の周りが、灌漑水の枯渇によ
	り、砂漠的に干上がってしまうのは、当然のことです。

	 ましてや、それが悪徳商社・企業の、無責任にしらば
	っくれた自然環境・社会資本破壊をともなう、「破壊開
	発」に投下されるのだとしたら、まず我々は精神的な意
	味でも、黙っているべきではありません。
	 幕府が豪商にときどき公共投資を強制していたという
	事実は、こう考えてみるとまた違った見方ができるもの
	ではあります。

	     *

	 人間にもし世界を采配する資質がないとすれば、実質
	人工知能が、治世や裁判をするようになる、見方によっ
	ては恐ろしい未来がくるのかもしれませんが、
	 われわれはその前後で、その開発の意味でも、資本が、
	いわば狡猾に立ち回るのを黙ってみているほかないので
	しょうか。

-----
公開ファイル名<--!a href=".\CMPARR01.zip"         >CMPARR01.zip<--!/a>
公開フォルダ  <--!a href=".\CMPARR01 htmlgen$.htm">CMPARR01<--!/a>
-----
<--!a name="add021"><--!/a>
=========================

 文書の終わり

=========================