==========================  フェルミのパラドックス:私感雑考  Copyright Miyama. 2025 January  http://kazutomimiyama.sakura.ne.jp  KazutomiMiyamaSub@gmail.com =========================  このファイルはフリーライセンスです。  閲覧配布は自由です。  個人のノートですので、内容の誤謬、  また引用等において生じたあらゆる不具合に筆者はな んら責任を負いません。  筆者は思考の過程において、過去に読んだ文献の出自 やその内容の詳細を逐一裏付けをとっていません。 =========================  はじめに  フェルミのパラドックスとは、高名な核物理学者だっ たエンリコ・フェルミ氏が雑談の中から提起した疑問で す。  宇宙の物理科学法則からすれば、いたるところで生命 が自然発生していても良さそうなのに、なぜ地球には異 星人がやってきていないのか、という疑問です。  以下に少し触れていますが、ひとつにはこの全宇宙で ようやく第一期の生命時代が成熟し始めたばかりなので、 まだ相互に異なる星系に訪問をしてはいない段階だと言 う見解もあります。  しかし、それよりももっと深刻に、宇宙飛行には解決 しがたい、多くの問題があって、来たくても来られない、 あるいは行けないことこそが、各発展した生命圏の普遍 的な状態である、ということがあるのかもしれません。  以下の文章はおもに後者の可能性についてまとめたも のです。  ただ結論として、可能性の高いビジョンは受け止める のになかなか精神的に骨が折れるもののようです。  げんなりして体調を崩すおそれがありますので、軽い 気持ちで読み始めないほうが懸命かもしれません。 =========================  目次  <謙虚を強いられるということ>  <一般的には恒星間の宇宙旅行は不可能である>  <宇宙は移民を受け入れない>  <人減らし移民でない形の宇宙生殖>  <現実的ではないが段階的雑考>  <パンスペルミア小天体>  <生命において単源性は意味があるのか>  <宇宙における生命終焉の可能性> =========================  <謙虚を強いられるということ> =========================  神田多町というある通りがあります。  かんだたちょうと読みます。  この文章を書いているかな漢字変換では一発で変換で きました。  ちなみに間違えて他町と書いてもいちおう郵便物は届 くようです。  その通りにはいまだたまごをバラ売りしてくれる肉屋 さんがあり、デフレとコロナを食らって文具店氏が潰れ、 ビジネスホテルと問屋スーパーがつぶれました。  その一角に古い版元があります。 (それじゃ我が社がまるであぶないような書き方じゃないか)  いやその、つまり出版不況はべつにいまはじまったわ けではないわけですし・・・。  最近はその版元はプロキシマ・ケンタウリを題材にし た中国作家の本を出していました。  小さな会社はいつの世でもそれこそ紀伊国屋のみかん のように際もので凌がなければならないのは世の常なの で、しかしその手法はどうしても河原者バッタテキヤの ように六尺の大板血のように顧客を騙すと言っては聞こ えは悪いですが、  まあ長期的には慢性的に客に毒がまわってしまうよう な食紅菓子を売らざるを得ないようななりわいでは、あ るのかもしれません。舌が真っ赤になるふ菓子は駄菓子 屋の定番です。  トリフェニルメタンとアゾを混合した染料はクリーム ソーダのいまやなつかしの透明な緑色でした。  ミルクホールのクリームソーダが大正デカダンスのシ ンボルだというのは寡聞にして確かめたわけではありま せんが、どちらかと言うと神田から浅草へ軸足を移して、 そういうことにして話題をすすめさせていただきます。  ということで探偵少年です。(強引)  ポーを名乗る、少年の半ズボンが好きな日本作家がど うやら変態だったらしいということは脇においておいて、  昭和初期にかけて、まあ子供の読み物とだぶるかたち で各社とも推理ミステリと空想(科学)冒険小説を競っ て出していたものです。  ・・・子供向けですから、当然子供が主人公であり、 子供が活躍するからには傾向として大人のはなをあかす ような話の筋もおおかったのでしょう。  で、子供が名探偵になったり宇宙船のパイロットにな ったわけです。もちろん、その「おはなし」のなかで。      *  直接前線に行ったり、空襲を受けた人以外は、  人間の心理の残酷さとして戦争は所詮他人事であり :肉親が死んだことにピンとこない人がいる現実を含む:  戦争が終わったあともそのような少年や青年の理想を 中心に据えた娯楽創作は系譜として続いていたようで、 むしろ敵でもあったアメリカ風俗としてのアメージング ストーリーもまたその延長として、ヒッピーの風俗とと きを同じくして上陸、紹介されていきました。      *  しかし現実、おはなしのなかの探偵少年をきどる、 「こましゃっくれたガキ」がもし現実の任侠氏やマフィ アのまえに立ちふさがったとしたら、アル・カポネよろ しく、機関銃で蹴散らされるのが関の山でしょう。 「戦争に行っていない」ということは要するにそういう ことなのです。  また推理小説の側だけではなく、空想科学小説のほう でも、物理的に話が進まないというだけの理由で宇宙や いわゆる自然の法則をあまりにも都合よく曲解している 表現が、おおくありました。  以下はそちらの軸を中央にすえて書き記した文章にな ります。      *  いわゆる科学とは客観的な認識論のことです。  発展可能、動的な認識論が必要とするその性質とは  建設のために個々の認識や概念が固執の意味で硬くあ ってはならないということが挙げられます。  よく誤解されることですが、科学と工学は違います。  エンジニアリングの本質とは、目的や願望のために奉 仕するものであり、その意味では山を崩してたいらにし、 また邪魔者を、願望のために踏み潰すことはまさしく、 指示者の先兵としての、工学兵器のすがたではあります。  科学は、認識の発展のためにみづからは謙虚であらん とする立場であり、  また逆に、  その内側から砂山を揺さぶりとして、ふるわせ崩すこ とにもなる水や陽光のような柔術とは、  またしばしば保身のために盲目的に固いものにしがみ つく固陋な人々にとってはまた、それは驚異や暴力のよ うに感じられるものかもしれません。  ただそのような力は、世界の場がもたらすいわば面的 なものであり、工学兵器のような直線的な力ではありま せん。  そのような謙虚な認識の議論は過去、  おしなべてそう有りたいという人類の、いわばおもい あがりのはなはしらをへしおってきました。  固陋な素封家は、  伝統的な既得権としてのみずからを王権神授的にうけ とめたがるものですが、  それは逆に、いまのみずからこそが形骸化した祖先の 業績にしがみつくだけの無能であることを、たとえば信 長に看破されたように、  過去の記録を調べる限り人間は、  人類の存在、つまり自分たちの立場が、無条件に高貴 であるということにしがみつきたがるものだったようで す。  しかしそのような絶対は、  所詮願望に過ぎないということを、  検証という意味で動的な存在である科学というものは それをあばき、  老衰が願う依存としての、既得権としての、  願望をことごとく打ち砕いてきた面があります。  コペルニクスは、  地球はけして宇宙の中心ではないとし、  ダーウィンは、我々は現実には猿の一種なのだと言い ました。  ここで筆者は、いささか手前味噌ですが、 =========================  <一般的には恒星間の宇宙旅行は不可能である> =========================  という提案をコペルニクスとダーウィンに続く第三の 科学的な謙虚として提起したいと想います。  ・宇宙空間の深さ  いわゆるエンターテイメントとしてのスペースオペラ における恒星間の宇宙旅行が、  それは基本的には、  エンタメの描き手のあるいは無責任な扇動に似た、  深淵のその深淵たらんとするその恐ろしいまでの深さ に対する認識もなく、  単なる青黒いスクリーンに対する、いわば少年の、い つかは敗れるという意味でのつたない投影でしかなかっ たことをみとめさえすれば、  宇宙の生命に対する可能性と確率に対する理解と洞察 が、より素朴で平易になるのではないか、と筆者は考え るものです。  ・・・宇宙空間の広大さとその性質は、  少年の妄想という思い上がりにとっては、おそろしく 「ねばっこい」存在です。  1光年が、およそ10兆キロメートル弱ということは、  日常的な感覚ではそれがどのような大きさなのかピン ときませんが、  すくなくとも動物としての個人の一生の時間にとって はそれは過酷な広大さであると「体験」させられること になるでしょう。  何もないはずの真空での超高速度での移動にもかかわ らず、遅々として進まぬ旅程の進展がまるで呪いの電気 抵抗のように効いてきます。  それは、重い泥をみたした広大なプールのなかで、泥 の粘性にもがきながら、小さな宇宙船のおもちゃを必死 に前に進めようとしていることに等しいことです。  場の理論の中では、種々の物理力の事実上の有効到達 距離、いいかえれば少し離れただけで、急速に働く力が 減衰することを、  その力を介在するゲージ粒子が、この現実空間からど のような程度の「粘性としての」抵抗力を受けるかとい う「たとえ」で説明をしています。  すこし離れただけで急速に減衰する種類の力は、その 介在粒子の粒子質量が大きく、その大きさが空間から強 い粘性抵抗を受けるからだとされます。つまりいわゆる 「弱い力」を介在するウィーク・ボゾンは他の素粒子に 比べても、とても重いのです。  宇宙船を含む物体が、光の速度を超えることができな いのは、  相対性理論の原理が、速度があがればあがるほど実は 変数に過ぎなかった物体の質量がまさに変数として増大 し、新たに加えられる付加加速度に、  平衡安定への回帰としての抵抗力、 :気体の内部エネルギーとしてのボイル・シャルルの 法則、電磁場の弾性エネルギーとしての、レンツの法則:  と同様の抵抗力、として 「通常の素粒子からできている宇宙船をもふくむすべての物体」  が光速を超えることができないのだと、  検証された原理としての、相対性理論は示しています。  これはまさに、きわめて高速な物体の速度に対して、  宇宙の空間は高い粘性を持つ、と言っていることに等 しいように想えます。  多くの先人が人生をかけて検証してきた物理学はおお むねにおいて信用にたるものであり、  その意味でいっぱん、宇宙における物体の、超高速飛 行は現実論として不可能であると受け止めるのが、懸命 な認識なのかもしれません。  天体の平均的な移動速度で宇宙移動ということを考え るのであれば、  矮星程度の暗礁天体に出会うには数万年、平均的な輝 星の横を通り過ぎるまでにはだいたい百万年程度の時間 が必要です。  これはなんのことはない、太陽や地球の年齢が数十億 年であるに対し、哺乳類の一個体の寿命が数十年である ことの比からのおおざっぱな帰納ではあります。  そのおおよそ1:1億という比を受け止めずに、エン タメでしかないスペースオペラが、  青年と天体との間に横たわる、その物理量や時間尺度 の比を無視するように強要してきたかつての近代後期の 夜郎自大の風潮はかならずしもよいものではなかったの かもしれません。  かつて自然の厳格さを知っていた時代の神話は、しば しば天体をいわゆる神として崇めていました、イヨマン テがそうであるように、畏怖や尊敬とは、かなわないと 想ったところからいづる感情ではあります。  近代後期の巨大な力を信奉する人々がそれらの感情を 前時代的な怯惰と呼ぶことはしばしばあったことですが、  すくなくとも逃げることのできない時代においてそれ らの畏怖とは現実に何度も対決してかなわなかった経験 と言う意味では、科学における実験のような意味におい てすくなくとも実体験からの帰趨ではありました。  原子力がそうであるように、近代の巨大な力というも のが、  制御可能な意味において本当に自分たちのものなのか、 それを用いることによって害や自滅を招いたりはしない か、  ということを十分に検証しない限りは、人々はその古 い時代の精神の態度を笑うことはできないのかもしれま せん。  科学的ないくつかの定理原理の恐ろしさをしる専門家 はともかく、軽薄な態度がこれらのものごとに安易に付 和雷同することはまさしく危険なことではあります。  しばしばギリシアの神々が、幾人かの思い上がった青 年に怒りのいかずちを投げたのは、  それはとりもなおさずこのような1:1億の現実を知 らなかったことと、またそれに付随する傲岸に対してな のかもしれません。      *  もっとも信頼に足りるとされる物理の理論によって、 自分の寿命のうちには恒星世界に達することのできない、 その遅々とした宇宙船の速度とは、もどかしさに歯噛み する幼児にとっては、まさに、重く深い泥の中をすすむ 心地がするものかもしれません。  これはもちろん、物理学的な空間粘性のことではなく、  青年の心理に対する、絶望としての文学的な比喩でし かありませんが。 =========================  <宇宙は移民を受け入れない> =========================  事実上の恒星間飛行が不可能、ということは、  人類にとって、宇宙とは冥王星までの空間であるとい うことを示すことになります。  ・コスト  現在、民間経済的には宇宙開発は不可能です。  わかりやすいたとえで言えば、地上の貴金属を小天体 から調達しようと言う試みがありますが、現実にはそれ を採取し輸送するコストが莫大なものにつき、商売とし てはとても割に合わない、ということです。  その意味ではたいていの宇宙開発とは、企画としての 政治・政策的なものです。原油の価格が安いからといっ て石炭液化の研究に全く意味がないかというわけには行 かない、ということに似ています。  対比として、  悪口という麻薬を売るために、  社会を荒廃させるという副産物の公害を垂れ流してま で、数十の通信衛星を打ち上げる行為はまさに狭い意味 での商業的ビジネスではあるかもしれません。  宇宙の開発をネガティブにもし語るとすれば、コスト の観念を避けては通れません。  大衆社会の増長風俗の象徴としての、  少年探偵の得意満面やスペース・オペラの人気の背景 を考えるとき、  それに快呼をおくる者たちが、 「扶養下」にある少年であるか、  また社会の構造を支える当事者でないという事実は、 認識するべき重要なことのかもしれません。  上澄みのマーケティングやレバレッジ博打を行いたが る何不自由もなく育った童顔のサラリーマンが、漫画が 好きな幼稚な背景心理であることと同じことでしょう。  ・甘い、ということ  開発基地の製造には高額のコストがかかり、地球の経 済がそれをビジネスとしての魅力がないとみなせば、そ のコストはその進出地政体(民間ではありえません)そ のものが負担せざるをえないことになります。  維持の手間が莫大のその労働はおそらく楽ではなく、 生活水準は必ずしも十分といえるものではなくなること が想像できます。  そのような労働生活に従事するものとは、  ・批評的な教養がないために扇動されておくりこまれ たお人好しや、  ・政治的な懲罰として送り込まれた罪人  であるのかもしれません。  つまり、たとえば月面基地とは刑務所としてしか存続 し得ない、という仮説も成り立ちます。  これはかつてのオーストラリアが当初流刑地として始 まったことを彷彿とされる見方ではあります。  創作としてのリアリティのあるジョークとして、  ・荒廃した環境を紛らわすために、月面都市では合成 麻薬の密売が深刻化し、  ・人足を送り込む、地球側の政体関係組織の中では、 非合法な癒着や汚職が慢性化する。  戦中派の映画監督の世界そのものではあります。  ・・・戦争は、人間性をむき出しにするので、戦中派 の創作家はリアリティとしてそのような世界を描く傾向 があります。     (このような植民地が社会維持に悲鳴を上げて、地球側 ¥の政体に宣戦布告するという・・・のが「あれ」のもと ¥もとの設定だったのですが、結局は大人になりきれない     男性を対象にした、おもちゃに終わってしまいました。     皆殺し作家の二つ名氏の会社も札束には弱いようです。      このように組織に属するということには、名誉におい     てそのような危険があるもののようです。      なかよし組織という密室性は、文末で少し触れていま     すが、      銀縁眼鏡で揶揄される悪い意味での官僚主義と、ぬく     ぬくした庇護された子供部屋以外の情報を知ろうとしな     い田舎臭さは、獣としての哺乳類の間脳の機能として、     同じものです。      哺乳類としての自然とは、群れて部族社会に繋がるも     のです。      他方武器を作り、複雑な窃盗(IT含む)や暴力も可能     な発達した知性が、恣意として工学という奴隷に堕する     ばあい、      ひとのこころに恨みを植え付け、紛争のたねになり、     戦争にいたることもすくなくないのかもしれません。      戦争は殺戮兵器を投下することにつながりますが、      その遠因は、いなかの素朴なおぼっちゃんである、      ということが、単なる言葉遊びならよいなあと切に願     うものです。      正義の味方や救済少女が賭博マシンに魂を売ってしま     うことを、当事者の心理現象として解析すると、      もともとフランクな、悪く言えば田舎の温室育ちが、     見通しの甘さから窮地に陥り、保身のために、ヒステリ     ーにまみれた陰険にいたることなのでしょう。      風だけではじまった政体は、ローマの暴君をはじめと     してそのような裏切りの恐怖政治を敷きがちです。)      *  このように経済的感覚を基本に考えると系内宇宙への 進出でさえとても希望と夢にあふれ、喜び勇んで進んで いくとはとてもいいがたいだろうのが筆者の感想ではあ ります。  このおそらく金額に換算すれば莫大な高コストを要求 する試みを考えれば、 「過剰人口を抑制する手段」は、  超高額で安易な移住の発想ではなく、受胎調節のほう が安上がりなことに気がつくはずです。  つまり、結果として人類は地球を出られないのかもし れない、ということです。  これを 「遠くは光速の壁が、惑星上空にガラスの天蓋を張った」  効果として考えることもできるかもしれません。  ただし寒冷化などによる大規模な餓死がない限り、あ る時点で急激に人口は減るわけではありません。  またいわゆる戦争は、ひとべらしの効果としてはあま り有効ではありません。  世界大戦では10数億の人口に対しての死者は数百万 にとどまりました。  それよりは、飢餓のほうが確実に人口は減ります。秦 帝国の崩壊では食料輸送のインフラが破壊されたために、 人民の実に9割が餓死しました。  現実にはそのような広範囲の社会不安を回避させよう とするでしょうから、既存の過剰人口は維持しつつ、解 決しにくい社会不安をかかえながら受胎調節をするしか 手段がないことになります。  未来が明るければ人口は増えるわけですから、人口を 抑制しなければならない世界とは、逆に冥い世界である ことになります。  ・日本はデフレを大規模に輸出する  世界経済が地球に縛り付けられ、巨大な人口を抑制さ せられる圧力が必是の状態になれば、少子化で活力のな い成熟社会である日本が世界があゆむべき先例となりま す。  地球全体に伝播するデフレが、超高額な宇宙移民の必 要性を相殺してくれるという表現が可能になるのかもし れません。  見方によっては数字にばらつきはあるでしょうが、筆 者のやや直感的な見積もりでは、  日本の体験した「失われた30年」が  世界全体に拡散し、  世界経済のデフレがむこう500年間続く  と想ってはいます。  これで世界の人口は数億人程度に減少するのではない かと想っています。  少子化は怠惰を介して、人間の研鑽としての競争力を 奪い、判断力が劣化した世代や政体が顕在化するので、  かつての人類史のそこここに見られた政治的悲劇が、 未来においてもとりもなおさず存在し得ることをも、覚 悟しなければならなくなります。  戒律宗教の存在しない、わがままな無神論の地域は、 継続的な緩やかな経済成長で、民衆の不平を吸収してき ました。  このような地域で、経済収縮が普通に続く場合、  下がり続ける海水面のような経済の実態が、  いわばわがままが放置されたままおとなになることが 普通な田舎者のわがままが、大規模に暗礁として海水面 から顔をだすことを、まねきます。  比喩としての船舶の航行が不可能になるということは、 論理的な思考が社会で不可能になることを意味します。 理由なき既得権が暴力の効果のもとに保持される世の中 が到来します。  不毛な田舎の固陋な保守主義は地域紛争を招きます。  全世界的に広がるデフレが、永遠に終わらない天狗党 の戦国時代を常態化することでしょう。またこれは過去 数百万年続いたアフリカの現実ではありました。  少子化世界を生きることはその意味で苦行ですが、  それを安易にきりぬけられる新しい移民先は、事実上 どこにも存在していないのです。  また宇宙は、哺乳類としての、自分たちのだらしなさ を解決してくれる新しい移民先を探すということに対し て、極めて冷淡な態度で応じたとも言えます。  宇宙がもし古典的な神々と同じような立場だったとし たら、  横にだらしなく増殖してしまっただけの虫に対して、  宇宙の法則に甘えようとする前に、まず自分たちの個 体数を努力によって減らすことを考えたらどうなんだと する、無言の提示がこの予想される現実なのかもしれま せん。  地球全体では、たとえ緩やかにもせよ少子化は実現し なくてななりません。  これにさからうばらまき政策は、新しい世代にきつい 辛酸を舐めさせることになります。龍之介の河童は、宇 宙の現実からの要請でもあります。          *      むかし読んだ作品で、印象的だったのは、苦労、四苦     八苦費やして百科事典や学習辞典を売りさばく行商嬢の     お話でした。      実は今の筆者は、そのような人が努力してくれなけれ     ば存在していませんでした。     「言葉にできると武器になる」と同じような意味で、完     全に消化することがもしできれば、博覧強記というもの     は大きな力になります。      知的興味心でもし4千メートルの井戸を掘ることがで     きれば、あとはそこから四方に側溝を掘ることができま     す。      そうすれば周囲の土塊岩塊を崩落させることができま     すから、いずれは周囲10キロの露天掘りを実現するこ     とも不可能ではありません。      実はこれこそが中二病の本質です。      奇跡はあっけなく実現したりします。      ただ、一方の現実としての諸行無常という事実はまた     別の話です。          *      ただ筆者は、教育予算に対する一部の論陣には懐疑的     な感想を抱いています。      たとえば、高等学校のすべての教科書の内容をその著     者がいわんとすることの八割までうけとめ消化するため     には、実に40歳までの時間がかかるだろうとおもって     います。      まさに高等教育であり、またそれが可能だとしたら、     その学生だった人物は可能な業績として歴史に名前をの     こすかもしれません。      で極めて皮肉な言い方ですが、いくつかの天才を生み     出すそれだけのために大量の学業敗残兵をつくり、税金     でもある巨大な予算を浪費するのか、      という気持ちを持っています。      理想を言えば、卒業生全員が学業を5%しか身に着け     ないのであれば、      乱暴な言い方ですが、そも青年の5%だけが高校に行     けば良いのです。      学校は遊園地ではありませんが、      もしも社会の要請として、多くの底辺校がそうである     ように、学校がもてあました子供の姥捨て山であるのな     ら、中学校の教科書をゆっくりと6年かけて教えれば良     いのではないでしょうか。      教育はコストがかかります。子弟に高等教育を施した     ければ、金をかけて私立にかよわせればいいでしょう。      もう税金の意味で、まずいやりかたで社会が教育を負     担することはできません。     「志願兵になるなら教育をただにしてやるぞ」      龍之介と百間の時代はそういう雰囲気の時代でした。          *  ・・・積極的に社会に参加しない、積極的に結婚しな いいわゆるおたく文化は、少子化とデフレという日本の 現実が生んだ大きな流れですが、  おたくとデフレというものはいわば相互承認的ホール ディングスの意味で同じものです。  おたくを昔誰かが第三の性と読んだ人がいましたが、 正確にはそれは、去勢され、太ってしまった宦官です。  その労働の質は別にして、もし就労しているおたく氏 がいるとすればその収入は、  ・マンションを買うか  ・ペットを買うか  ・漫画アイテムを買うか  に流れることでしょう。その意味では青年が読む漫画 とそれに付随するゲーム業界の収入とは、  前の世代では家庭を維持し、次世代を育成するために 予定されていた枠をきり崩したものが流れ込んでいる理 屈になります。  漫画の業界を人気取りとしてほめそやすことは、より 一層少子化を加速する効果として、宇宙移民が不可能な 未来のビジョンに寄与することでしょう。  すばらしいことです(冷笑) ※アイゼンハワーのボーイスカウトのような元気で、理 知的な子供たちを愛する伝統からすれば、このような彼 らにとって唾棄すべきような世界は、まさにこの世の悪 夢に見えることでしょう。  ただこのような現実は、未来の経済社会にとって必要 悪として存在し続けるものかもしれないのです。  退化してコケムシの群体セルになったような、かつて の知的生命が赤色矮星の周りの天体に張り付き、永遠に も想える時間に渡ってテレビゲームをしている悪夢が語 られたことがありましたが、  人類は太陽系を出られない以上、その存在は同様、天 体の表面に生えた苔と同義なのです。  多細胞生物の肉体の複雑さの意味での構造的発展は、 種や生命圏の意味では必ずしも是ではありません。  生物の本来の意味とは滅びず、継続していくことです。  恒温性や高い知能には、エネルギー的に高いコストが 掛かります。  それをしなければその種が生き延びられないかぎり、 その形質には意味はありません。  知られていないことですが、すべての動物は叶うこと であればいわゆる進化や構造発展を放棄して、退化しよ う退化しようと企んでいます。  社会や人間が堕落しがちなことを嘆く論調は、古来尽 きませんが、菌類を含む従属栄養生物が、その方向へ流 れるのはどうやら本来の原理らしいのです。  地上のニッチに空きがあれば、鳥類の一族は、多大な 犠牲を払って営む飛行という苦行をすてて、飛べなくな った鳥として地上を走り回り巨大化します。鳥は飼いな らすといとも簡単に飛ぶ能力を失います。  寄生虫のDNAの機能していない領域をくわしく調べた ところ、遠い昔にはもっと体の体制が複雑な高等動物で あるという例もあります。  蠕虫の一族は、動物であるにもかかわらず、シダやカ ビのように胞子をつくり、あたかも世代が無限であるか のごとく、無性の栄養生殖を繰り返します。      一見構造機能の進化に見える肉食動物の進化も実は退     化の一種なのかもしれません。      動物が繁栄し、個体数が過剰になると、種は同胞を別     種として切り離し、かれらに肉食としての過剰個体の間     引きという任務を期待するようになります。種の段階の     論理としては。     (高等動物が普通共食いをしないのは、倫理的なブレー     キが内側にあるからではなく、同種食いが共通のウイル     ス性感染症をまねくことが大であるからです。)      種分離の直後の黎明期では、食われる側も洗練されて     はいませんので、後期の時代ほどにはその捕食はむずか     しいものではなかったことでしょう。      有蹄類と食肉類の分岐はさほどむかしではなく、      竜盤類は草食の竜脚類と肉食の獣脚類に分岐しました。      蟹につく寄生虫が実は節足動物だというのは、やや論     理が手前味噌にすぎるかもしれません。      動物にとってのいわゆる食肉化とは、そのはじまりと     しては態度としての退化であり、      しかしながらかられる草食獣の側におけるその俊敏化     を通して、      うでのいいハンターでなければ生き残れないという進     化の必要の圧力を受けることになります。      怠惰としてはじまった種の分化は、結果草食獣・肉食     獣ともにその運動機能の改良を強要される進化圧となり     ます。      いわゆる退化と進化とは、時間的にも空間的にも付随     的に存在するものかもしれません。      これをいまの億の人口にあてはめると、人間は将来狩     られ管理される立場に堕するのかもしれません。      では、追い立て管理するものとはだれか?      それはやはり人工知能としての機械なのでしょうか。      機械は言語としてのわれわれの息子ですから、たもと     をわかったはらからであるのは間違いありません。      過剰により紙幣が紙くずになるインフレという意味で、      人口過剰における、各個人の広義の「品質」の劣化は     「彼ら」にそれらを正当化させる口実にもなりかねませ     ん。          工業の未来は暗いと言う意味で、工業はある意味危険         な存在です。          清教徒が近代工業を発明したのは、それが生き延びな         ければならない冷帯のテーゼだからでしたが、          その意味で熱帯の民族に自ら工業を生み出し、はぐく         む動機はうまれにくいものです。          安い人件費をもとめて工業はおもに熱帯の発展途上国         をさまようものですが、          しかし前者の意味で工業が熱帯の国々に定着すること         はないことでしょう。逆に彼らにとって見れば、労働者         が直接食料の生産に従事しないで楽ないわれ仕事につい         て3倍の給金をうけとるのであれば、それはその国の労         働世代の破壊を意味することになります。          商工業は国家間を流浪するので雇用消滅につながり、         またつねに売れない不良在庫をかかえる危険があるので         社会不安のたねになります。          また粗暴や飢餓の側面にとっては、工業とは機関銃と         核兵器にしかほかなりません。  出産の限界や、心臓や肝臓が大きすぎる脳の維持に悲 鳴をあげているサピエンス・サピエンスの現実は、われ われの子孫がふたたび800ccや500ccに回帰し ないとは言えないことを示しているのかもしれません。  ・・・・・・遠い未来、現在の私達の言語的息子でも ある機械や人工知能と、それらの未来原人とが共存して いるような未来が来るのかは、だれにもわかりません。  因果的には、現在の人間が二種に分岐したともいえる かもしれませんが。 =========================  <人減らし移民でない形の宇宙生殖> =========================  恒星間航行のその現実とは、鋼鉄の四畳半に数千年も 閉じ込められて、何世代にも渡って旅を続けることを意 味していますが、  閉鎖空間の生態系や居住空間の維持は、月面都市以上 に難易度が高く、航行途中に滅亡する高確率を考えると、 適正な判断力からみればどう考えても懲罰枠以外のなに ものでもありません。  維持に高額な手間がかかる天体シェルター都市への進 出がおそらく、事実上移民ではなく流刑であるように、  仮に成功したとしても、目的地に到着するのが最初の 先祖の数百世代もあとの人間たちだとすれば、それはも ちろん人減らしとしての移民ではありません。  ギリシア人が地中海の無人の対岸に、姉妹都市の建設 を目論んだり、  数カ月の航海で新天地に到着したメイフラワーとはま ったく違います。  ・・・アインシュタインの相対性理論は、言い換える と天文学的距離を移動できるのは、時間としてそれこそ 天文学的な時間を耐えることができる天体のみであると 述べているようにも見えます。  恒星は、明るい輝星よりも暗い赤色矮星のほうがはる かにたくさんあるので、恒星同士の接近遭遇はあいてが 赤色矮星のほうが遥かに機会が多くはあります。  太陽系の外周に限って言えば、10万年に一度ほど赤 色矮星が、冥王星の軌道の数倍の距離のところを通過す るので、矮星系の惑星にペナントを打ち込む程度のこと は、たとえば人類文明が数十万年継続することができれ ば、不可能ではありません。  また赤色矮星は光度がきわめて微弱ではあるもののそ の寿命は数兆年に達するという想像を絶するものである ので、地球の生命世界を未来数兆年にわたって生きなが らせたいのであれば、都市を作れるかどうかはともかく、 地球生命の系をそれらの惑星に打ち込むこともまったく 不可能ではありません。  ・・・相手を選ばなければ、宇宙旅行はむこうからや ってきてくれるというわけです。  必要なことは、辛抱強く少なくとも数百万年人類が滅 亡しないようにがんばることだけです。  冷静に考えると途方もない話です。  ホモ・エレクトスが150万年、  サピエンス・ネアンデルターレンシスが50万年、種 として続きました  サピエンス・サピエンスは現在、20万年程度の歴史 しかもっていません。  未来が素朴な意味で現在の延長であるとすれば、  われわれの子孫はホモ属の猿ではあるでしょうが、お そらく事実上別種の生物になっていることでしょう。  ・・・そしてこれはもちろん、人減らしとしての移民 ではありません。  胞子としての生殖の一種です。  冥王星軌道程度であれば、各探査機の実績でわかるよ うに人類にとって庭先程度の距離でしかありません。逆 に言えば恒星間とは、それほどまでに深い空間なのです。 =========================  <現実的ではないが段階的雑考> =========================  一般的には現実不可能ですが、  想像としての恒星間世代間移民船とは、その性質から してもちろん人減らしとしての移民ではありません。  目的地が、数十光年先の天体という意味では、  宇宙船のペイロードは莫大なコストがかかるので、宇 宙船一つ辺り数人:1家族がせいぜいでしょう、(その ほかの微妙な種々の問題はここでは触れないでおきます。  相手の天体に人類の系譜と付随する最低の生態系を移 植するのがこのような試みの第一の主眼ですが、  このようなことを有効にできるだけ低コストに実現し たいとすれば、それは手段をどのように選ぶかというこ とが重要になってきます。  大事なことは目的の天体に人間を「再構成」すること であってかならずしも生きた人間をそのまま輸送するこ とではないということです。  現実にはなかなか難しいことではありますが空想の世 界ではいくつか可能性が紹介されてはいます。  ・冷凍睡眠  多くの媒体で語られていることですから詳細は省略し ます。  ただ、大型生物である人体を微細物理崩壊を最低限に とどめたまま数千年の長きに渡り保持していくことまた 解凍のさまざまな問題は未知数です。かなり難しいこと ではあることでしょう。  ・冷凍受精卵と人工子宮  生体組織の冷凍が困難なら、実績のある卵子凍結を用 いようという発想です。  人工子宮の技術的問題があります。  またやはり冷凍受精卵も何千年も持たない可能性があ ります。  肉体組織の問題と同じことですが、  たしかに冷凍されていれば腐敗や変性ということはあ る程度抑えられます。  ただ、家庭冷凍庫のマイナス3度ではカレーが半年持 たないように、  微細な物理的崩壊や、タール化に代表される脂質の芳 香環への相転移的変性ということを完全には抑止できな いかもしれません。  冷凍食品の長期保存は、理想的には酸素を完全に遮断 して、少なくともマイナス20度以下に置く必要があり ます。  ・DNAデータなどを電波で発信  地球の生命の基本システムと、例えば人類の全ゲノム データをその再構成の手段をも含めて発信し、異星の知 的生命に翻訳再現してもらおうという概念です。  利点としては光の速度で情報を伝達でき、  問題点としては相手の存在が必要なことで、それが不 明ならば四方八方に強力な電波力で発信することが必要 なので、とてつもなく強力な電力が必要になります。 (相手の異星人が善意の存在かどうかということがらは、 実はこれは重要なことですが、とりあえずはぶきます。)  宇宙船、強大な電波などこれらはもちろん極めて多大 なコストが要求されるので、未来の人類がこれらのこと に予算的に関心を含むかどうか、またそれに見合う事柄 であるかどうかをみきわめるかどうかは、もちろんまた 別の問題です。よくもわるくも壮大なメセナにしかすぎ ないからです。  それで、  ・以上のことに、意味はあるのか  という問題がつねにあります。  以下は人類の手を通過しない、生命移送の可能性です。 =========================  <パンスペルミア小天体> =========================  ・火星からの隕石  少し前、火星からの隕石を顕微鏡でしらべたところこ れは火星起源のバクテリアではないかとセンセーショナ ルに報じられたことがありました。  火星でおきた天体衝突で、火星の地表からはじき出さ れた岩が地球に到達した隕石です。  その件はどうもそれはちがうらしい、という結論に落 ち着いたようですが、  逆に、立場が地球と火星が逆だったら、火星の表面に 地球のバクテリアが到達しうる可能性もすくなからずあ ったのではないか、という憶測もなりたちます。  地球に微生物が発生したのちも、太陽系では隕石小天 体の絶え間ない爆撃は続いていましたから、  そのようなケースが無数にあったであろうと考えるこ とも無理からぬことです。  ただ、そのような結果を期待する立場からすれば、衝 突イベントがあまりにも激烈すぎて、岩塊が生命を燃や し尽くしてしまうほどの高温になってしまってはまずい わけで、地球に衝突するすべての隕石がかならずしもい きたままのバクテリアを宇宙空間に移送したわけではな いことに留意する必要があります。  たとえば恐竜絶滅の原因とされている白亜紀後期の衝 突では、衝突地点が瞬間四千度にも達してしまったので、 ほとんどの有機物はその瞬間に分解されてしまってあろ うと推測されます。この温度では高温に耐えるタンタル などの金属も蒸気になってしまいます。  また弾き飛ばされた岩塊の形状や大きさもバクテリア の生存に影響を及ぼします。  理想から言えば、岩体の直径は数百メートル程度、で きれば球形に近く、また表面が衝突などの衝撃で瞬間的 に溶融コーティングされて内部の気密性がたもたれるな どが理想でしょう。  数十億年の歴史を考えれば、天王星より内側、太陽系 内縁のすべての天体は地球からの破片を浴び続けている わけなので、  たとえば氷天体の内部海には生命生存の可能性がとり ざたされていますが、かりにそこで見つかったとされる 世紀の発見の微生物が、じつは地球のバクテリアとおな じ遺伝コードをもっていたという可能性もかならずしも ないわけではないと考えられます。もしそうだったとし たら、歴史に残る壮大な冗談になるでしょう。  また地球深部数キロにわたる鉱物粒子の間隙に住む嫌 気性の細菌は非常に環境に対する耐性が強く、また代謝 が極めて低速で、千年に一度しか分裂しないものもある そうです。亀がそうであるように低速代謝ということは 細胞の寿命も途方もなく長くにわたり、数億年にわたっ て生存することも可能だとか、  で、  このような地球産の岩塊が、衝突時の運動エネルギー を持って恒星間空間にはじき出されたとすれば。  これは休眠胞子としての生命のたねをかかえた一つの 宇宙船とみなすこともできます。  最近、その大きく開いた双曲線軌道からほかの恒星系 が起源とされる小惑星が太陽のきわめて近くを通過して 飛び去りましたが、  数十億年の過去で、地球からはじき出された岩塊が他 の星系の惑星に衝突することもあったかもしれません。 確率の確率の掛け算なので極めて小さな可能性ですがそ のようなことがまったくなかったともいいきれません。  すくなくとも、生命の遺伝基幹システムはこのような かたちで恒星間をわたりあるくこともあるのではないか ・・・。  これはパンスペルミア仮説と言われています。  スペルミアとは、胞子と似た意味の言葉で、精虫のこ とです。  このような細菌船は生命にとって冶金でできた宇宙船 よりも、重要かもしれないという見方です。  地球においては、生命の歴史約20億年間はすべて微 生物の時代でした。  生命においては多細胞化やいわゆる高等化はかならず しも必是ではないのです。  生命の肉体の複雑化は、地球や太陽の性質が実は天体 老化によって変化してきたことによって、よりむつかし いことをおこなわなければ、生存が多少おぼつかなくな ってきたことによって、発達してきた経緯があります。  人類が系内宇宙船を作ったことをその延長に含めるか どうかは議論の余地があるでしょう。  しかしすくなくとも、人類の体の機能の特徴は、今の 地球環境の要請であり、宇宙のどこで普遍性を持って進 化してきたとしても不思議ではないものです。その意味 ではいわゆる文明も宇宙の法則を利用している以上、  似たような、逆に言えば無理に知らせる必要もない普 遍性にすぎない存在である可能性もあります。  それよりも少なくともDNAを輸送するためだけなら、 普遍的な機能人体と文明冶金船よりも、前述の細菌船の ほうがより、適切かもしれません。 =========================  <生命において単源性は意味があるのか> =========================  ・人体はロボットである  その意味では人体の、たとえば骨格の関節構造は、地 球環境が要請した機械構造であるともいえます。  ロボットが人間に似ているのではなく  機械的汎用物理が要請する、ロボットという構造に動 物の体が進化したにすぎない、ということができます。  ですから、地球によく似た惑星の知的生物は人間と同 じような姿格好をしている可能性が高いという指摘があ ります。環境が要請した形態だからです。  物理・化学法則は宇宙のどこでも同じはずだとするの が現在の科学の基本的な立場ですが、  進化における環境要請のちからがもしかなり強いもの だとすれば、  遺伝システムを無含め、実は生命系統の種類のバリエ ーションはそんなに多いものではないのかもしれない、 という発想が浮上します。 (もちろんこれは液体アンモニア中で生命が進化したら、 という極端に前提が違うものを除外します)  たとえば、遺伝子の4つの塩基がえらばれた必然性は、 核酸塩基の芳香族的安定性と、酸素原子の割合による酸 塩基勾配によってある程度説明できます。  また、地球においては、原始的な生命は、海が沸騰状 態をやめてからすぐ発生しています。  これが地球が自身の無生物環境からいわば自力でそれ を生み出したのだとすれば、生命は宇宙の各所で実に簡 単に発生するものだ、という感触を感じざるを得ません。  一方、恒星間におけるパンスペルミア事象はおそらく 岩塊が母天体を飛び出してから数十億年の時間が必要で す。  だとしたら別に、生命は他の系の既成実績から移植さ れる必要性はあまりないことになります。  極端ですが、どこで発生したとしても水圏生命の遺伝 子システムがどれもよく似通ったものに収斂されるのだ とすれば、  自然現象としての岩石細菌船としても、宇宙旅行にほ とんど意味はない、ということになりかねません。 =========================  まとめ  第三の謙虚 普通の意味での恒星間旅行は不可能である  第四の謙虚 有機化学的にも我々の存在は別に特別なものではない  これらを筆者は、「二つの天蓋」と呼んでいます。  後者は、生物の種というものを、自然環境における細 胞の誕生といいかえればいわば、ダーウィンの言った、 「第二の謙虚」、人間はなんら特別な存在ではない、と いうことの一バリエーションであることになります。  これらのことを深く理解した異星人がもしいたとすれ ば、かれらの社会のエネルギーの過半数を費やしてまで、 他の星系の生命とコンタクトを取ろうとは思わない、と 考えることがすくなくとも筆者にとっては自然なすがた に想えるのですが・・・。 =========================  <宇宙における生命終焉の可能性> =========================  惑星探査機や宇宙望遠鏡が、地球同様磁場のある木星 にもオーロラが輝いている画像を撮影しています。  ときどき北海道でも見られるという意味で低緯度にも その荷電粒子が届き輝くのが地球のオーロラですが、  磁束の集積度と天体の巨大さから、木星のそれは極地 域わずか5度程度の領域にちょこんと乗った淡い冠のよ うな円環にみえます。  宇宙は幼稚が投影された妄想では決してなく、もっと 冷たくむごい世界なのは自明ですが、  見方によっては嫌な連想を抱いてしまいました。  時空の性質をわかりやすく説明するためにしばしば3 次元宇宙を曲がった2次元宇宙で近似する手法はよくも ちいられてきました。  時空が球面として理解されるとすれば  北極南極の地軸が時間軸に相当します。  宇宙の始まりはまさに北極点に当たります。  ビックバン以降、電弱力、電磁力が相転移によって物 理法則の分岐をしてきたとされていますが、それらは極 めて極端な微小対数の過去なので、時空表面のうえでは、 北極点を取り囲むきわめてちいさな円環冠として北極点 の周囲に乗ることになります。  まさに木星のオーロラのようです。  悪い連想というのは、  われわれを含む生命の現象というものも、同じような 円環に過ぎないのではないのか、という着想です。  3次元の時空を2次元に近似し、それを地球の表面に たとえるばあい、  地軸にそって南に進むことは時間の経過を意味します。 球形天体に時空を近似するということは、  それはいつか宇宙の膨張がモデルの赤道で停止し、収 縮に転じビッグクランチにむかう、時空的に閉じた宇宙 のモデルに相当します。  しかし、  最近の研究では、宇宙の膨張はむしろ加速し、  どうやら収縮に転じることなく、空間も時間も無限の かなたにひろがるいっぽうらしいとされています・・・。  このモデルでは、  時空は球形ではなく、赤道も南半球も存在せず、  ロケットノズルのように、開いたスカートフレアーの ような形になります。  言い換えれば北極点は開始点として存在してはいます が、南極はないことになります。  このような曲面上では、  やや数学的には厳密な表現ではありませんが、  指数的に開いた曲面上では、それぞれの点の位置が対 数的にどこもだいたい同じように見える、ことになりま す。つまり、  10の^-36秒後の小さなオーロラ状の円環も  150億年後  の小さなオーロラ状の円環も  この双曲面上では縮尺さえ変えれば、似たような輝き に見えることになります。  ・・・素朴に考える限り、地球の生命が属している現 時間は全宇宙からみて第一世代の生命時代です。  岩石惑星上の生命という意味では、主系列星が2、3 世代交代した今しか岩石金属惑星を作るのに十分な金属 が星間空間に存在していません。  また逆に、500億年後、1000億年後の未来では、 銀河は星間ガスを使い果たし、宇宙には暗い赤色矮星し かなくなることになります。  もともと生命のスタイルとしてのスタンダードとは、 もともと苔や細菌ですから、そのような宇宙でも生命は 存在しているかもしれませんが、  すくなくとも高エネルギーを要求する多細胞動物や社 会文明には存在継続がむずかしくなる世界かもしれませ ん。デフレが進むのは宇宙論のなかでもしかりなのかも しれません。  まったくの未知数ですから断言は避けますが、赤色矮 星の星系で生命の存続がむずかしいのであれば、そのよ うな未来、生命の存在は宇宙にとってもはや普遍的なも のではなくなることになります。  つまり狭い見積もりでは、この宇宙において生命が活 動的な意味で存在できるのは、開闢から数えて100億 年後(現在から50億年前)から500億年後に限られ ることになります。  一方、無限に膨張する宇宙では、時間は何兆年ものか なたをこえてこれでもかこれでもかとながれていきます。  仏典における、極寒の無限地獄です。  ・・・弱い人間原理が示すとおり、炭素の原子核や電 磁力にかかわる物理定数として、まさにこの宇宙は生命 を作りたがるようにできている、と言い切っていいとお もいますが、  それはからずしもこの宇宙が生命にとって桃源郷であ り続けることをは保証はしていない、ともいえるのです。  宇宙の尺度では、yesterday once moreではなく、 but no return.です・・・。          *      この皮肉の程度は、      機械は人間社会の需要と欲望が存在しないと存在でき     ないが、      しかし同時に機械が人間社会の調整(統治、とよばれ     ているかもしれません)において必ずしも人間を間引か     ないとは言えない、という理屈に似ています。     (機械は人間の敵ではかならずしもありません。      機械とは言語のかたまりであり、言語は人間が生み出     したものですから、機械は人間の息子です。      論語がヒッピーに嫌われるように、      あまったれたエセ左翼文化はビッグブラザーを毛嫌い     しますが、      実は論語でもある法律とは、言語という意味で機械に     もっとも親和性が高いのです。      極刑決定のプロセスが法律家による知的ゲームである     のは周知ですが、このような知的ゲームは、すくなくと     も作業のタスクとしては、高度に繊細に発達した人工知     能のもっとも得意とするところのものでしょう。      おそろしいことですが、決めるのは未来の人達ですか     らわれわれがどうこういってもはじまりません。未来の     人々が愚かでないことをのぞむかぎりです。     「人間の心とは弱いものです。      ですから禁忌によってまもってあげようというのに、      なぜあなたがた人間は、そんなにも、      おろかしく、わがままなのです?」          :エセ左翼文化、と書きましたが、正確に言うとそれ         は文化ではありません。          文化というものは、継承が前提とされるものなので、          無償の義務感や献身に通じて、それは伝統として続い         ていくもののことを指します。          一方、参加すれさえばいい思いができたり、無条件に         飯が食えたりすることこそのみを期待する、利益至上の         みの思惑とは、一段階下がって流行風俗に近いものです。          文化のように見えるものが、固い芯がないゆえに実は         流行風俗に過ぎなかったというのはヒッピーのそれであ         り、いやになるくらい過去、時代はそれを見せつけられ         てきました。          そのような具体はたとえばこのようなものです。          絶滅危惧の動物がいるので、それを保護しなくてはな         らないという論調があるとしましょう。          観念論の段階ではだれも異をとなえることはないでし         ょうが、いわゆるヒッピーの世代はそれを一歩勧めて動         物の保護に予算をたてなければならないと、します。          で次がみそなのですが、          その飼育係に私共を雇えというふうに触れ回るのです。          社会資本と同じような意味での自然資産の保護の課題         が、いつの間にか彼らの雇用というものにすり替えられ         てしまうわけです。          で、最悪の冗談とは、          自分たちの雇用が脅かされる場合は、あらゆる手練手         管・論陣を張ってそれを頑なに守ろうとします。          場合によっては、その野生動物の保護保全という本来         の目的を放棄否定してまで、自分たちの利権を守ろうと         するのです。          ヒッピーの時代の雰囲気をひきずって始められた、そ         のような青二才のベンチャーが、ことごとく禁酒法時代         のマフィアの手法に回帰していくのは、かれらの世代そ         のものが甘やかされて育ったことにほかならないという         ことを示しています。         ・苦い経験が見についていないし、         ・他者を踏みにじっても、自分の生活の質を下げようと          しません。          また例えば、世界中で制度としての同性間での婚姻を         認めよという「流行」がありましたが          筆者の偏見では、それはナンセンスのように想えます。          もとより婚姻に対する優遇制度とは、あくまでも夫婦         が次世代を生み育てることを主眼としてなされるべきも         ので、          その意味で厳密に言えば、子をなしていない単純に同         居しているだけのカップルに対し、本来社会が利便を供         する義務はもともとないことになります          社会の構成に足るだけの人間を育て上げることは途方         もないコストがかかります          下手すればそのコストは、社会がその精神として援助         する助成のそれをはるかに上回るかもしれません          その意味では、未出産あるいは養子をいただいていな         いカップルに対しては、社会はなんら助成を供与すべき         ではないことは、強調されなければならないかもしれま         せん。          そうでなければ、子育てあるいは社会資本に貢献する         能力も実績もない、          悪く言えば「無能」な人々が、結婚しさえすれば社会         から利益を引き出すことができるぞ、とかんちがいの略         奪をもくろむかもしれません。          卑怯者は、婚姻から、社会が期待するしかし大変な子         育てを切り離し、          助成という利権を「婚姻」という概念に掃き寄せ、そ         れだけを吸い上げようとしているのかもしれません。          そのための口実として基本子供を作れない「同性同士」         という、目論見としてのテクニカルタームを持ち出して         いるようにも見えます。          同性愛者のカップルが、養子をむかえるという場合の         可能性もあるのかもしれませんが、その子供の成長の立         場からみた場合、それが適切かどうか疑念が残るところ         のものです。          もし卑怯者が処世として同性愛者を名乗ることが少な         くないのであれば、そのような卑怯者に引き取られた         児童にとっては、それはおそらく悲劇でしょう。          本人の意思にかかわらず客を取らされる危険がありま         す。          脱色された郷愁などに満ちたエンターテイメントに毒         されると、認識の鋭くない世代ができるものですが、そ         のような人々は、人間はここまで堕落することができる         のかということを知らずに大人になることも多いのかも         しれません。          お金を欲しがる卑怯な怠け者は、養子をもらい養育助         成を受け取ったあと、その児童を殺すことを繰り返すこ         ともあったそうです。          テクニックとしては養子を迎えたあとすぐに殺し、そ         してすぐ他の市区町村に引っ越せば、すくなくとも周囲         は最初から子供はいなかったのだと受け止めるので、あ         やしまれる率は少なくなります。          これは行政が事実上古帳の書類に基づいて運営されて         いた時代にこそ成立しやすい事態ではありました。          行政の電子化がすすめばこのようなことは機会として         少なくなるのかもしれませんが、しかし少なくとも○○         氏は、自分たち中央が業務で楽できることしか密室で考         えていたにすぎないでしょう。地方の仕事が増えただけ         です。              ・・・元○○氏には、役職を降りたから無罪放免にな             ったとはあまり考えてほしくはないものです。              格差が広がる一方でまたそれが世襲化されるというこ             とは身分制社会が現実になるという意味でもありますが、              その意味で潤沢な教育を学費として子弟に施すことが             できるかどうかということは、格差の世襲化の一種とも             いえます。              そういう意味で、資本家という意味での本家の長男は             これから、              往々にして根拠なき王権神授の刷り込みにおいて、世             間をなめくさりそれを幼稚な願望と疑わない利権で、世             間を土足で踏みにじり、パンツを履かないで歩き回るよ             うになります。              その象徴としての、プライドだけは高い、世間知らず             の田舎のお坊っちゃんが、いわゆる既得権の有名人とし             てメディアやカメラの前に立つということは、              それ自体そのものこそが、脇や詰めが甘い処世術とし             て最悪の選択と言わざるを得なくなることでしょう。              一般論、実は世間知らずで内面が幼稚でその結果とし             ての利己主義に至る、世間知らずが本人の意向によって             そのまま内勤にスライドした、わがままきわまる陰険な             銀縁眼鏡のお坊っちゃんに、              ひどい目にあった市民はそれこそ何万人もいるので、              巷間がデフレに収縮崩壊している怨嗟のただなか、              いわば悪のシンボルになる自覚もないままうろうろし             ていた処世は、              そのような鬱憤のむかうターゲットになりかねないの             は想像にかたくありません。              メンツがありますから、守れなかったという嘲笑を避             けるために現職には全身全霊でガードをするものなので             しょうが、              事実上野人に近い場所におりた時点で、護衛も私の資             金では限界があります。              大きなお世話でしょうが、できれば夜一人だけでたと             えばコンビニに買い物に行かないことが、少なくともそ             の本人にとっては身の安全につながることでしょう。              昭和初期のテロリズムとはまさにそのような現実でし             た。都心公園の花壇の中央にあるしゅろの木は、当時大             砲標準の邪魔になるというので切り倒されたそうです。              白黒写真にある鋳物のうずまきのその花壇の柵は、実             は100年近く前からそこに、いまもあります。                  *              男性は人相に責任を持たなければならない、という名             言がありますが、顔面の中央に鎮座する鼻稜がしなびた             ○器にしかみえないばあい、              下半身でもある人格としての視床下部の佇まいも、お             して知るべきの、人物像ではあることなのでしょう。              すくなくとも坂東や東京では、刀折れ矢尽きたみすぼ             らしい佇まいでは、内側にストレスをためまくった庶民             がこれ幸いと襲いかかってきます。          懸命な民衆という意味での皆が気が付き始めているの         で、すでに運動は過去のものになりつつありますが、          同性愛運動に関わる人々は、          もし自分たちがだらしない生活の結果として、醜い体         型をしていたり社会に役立つ仕事能力が乏しいのであれ         ば、まずそのことを改善してから運動に口を利くべきか         もしれません。          もしいわゆるゲイが、悪い言葉としてのヒッピーとそ         の像がだぶることがあるとすれば、それはどちらも社会         に対して甘ったれた存在であることになり、          だらしなさとしての醜さをまとめた存在まるごと、          甘えとして認めよと言っているようなものです。          同性愛者の理想ではなく、同性愛者の現実が普遍的に         そのようなものに傾きがちであるとすれば、人々の生存         がぎりぎりな社会が、それに対して懲罰主義で望むのも         無理からぬことかもしれません。      *  ・人体はロボットである#2  否定的な論調が続いてしまったので逆に。  ステンレスの骨格と、ポリエチレンのような白い繊維 の筋肉でできたアンドロイドのような、紳士淑女のボデ ィをイメージしてください。  銀座のショーウィンドウのマネキンそのものですが、 良い意味での同性愛的希求とはそのようなものです。  かれらは汗を書かないし、かれら 「美女はけっして○ンコをしません」  要するに、かれらは古い上着にすぎない粘液としての 肉体を脱ぎたいのです。  うっとうしい田舎の本家の甘やかされた馬鹿息子と縁 を切りたいがために、メイフラワーに乗って人工法律で 作られた新天地を開拓しようとしているといってもいい かもしれません。  向上心と理想にあふれた彼らにとっての、その同性愛 傾向を、いわゆる性愛といって適切なのかが、たぶんそ の疑念が論理の焦点です。  ロマンに、しかし過ぎなかったかつての共産主義が、 美学の理想としては同胞愛でかたられたこととたぶんお なじことです。  向上心と改善を社会的に共有したいのが、彼らの欲求 の根にあるといっていいでしょう。  その理想への努力を同胞に、たとえばボディランゲー ジとしてのセックスを通して投影するのが、多分理想と しての同性愛者の行為なのだとおもいます。  つまりつねに点検されるナルシシズムが基本にあって、 その投影としてのいわゆるパートナーとのセックスは二 次的なものであることになります。  悪い病気のことを別にすれば、  その意味では、そのスタンスは一義に孤独であり、ま た機会としての多情主義でもあることになります。  直感として、同性愛者が婚姻を叫ぶことに違和感を禁 じ得ないのはその当事者のこのようなメンタリティの場 合があるからです。  生活としての同衿がなくてはさびしくて生きていけな いというのがその趣旨であるとすれば、それは甘えに聞 こえます。  子供を作らない分、社会になにかの役を立てなければ ならないのに、そんなに軟弱でそんなことができるのか、  ということです。そういう人間は同性愛者を名のる資 格はありません。      *  その意味での同性愛的傾向とは、いい仕事をしたいと いうことにこそほかなりません。  また一面では、共闘共犯でもあるいわゆる婚姻という 立場が、どうしても部分的に社会に甘え、それを部分的 に蝕むということに対して、潔癖的にたえられない、  ということがいわば受精という粘液の営みを、論理的 に嫌う、ということもあるかもしれません。  筆者は私服のOLの立ち姿は新橋が一番と想っていま すが、これは彼女たちが仕事の質を高めることに日々努 力をしているからであり、また社会がそのような女性を 面接によって採用している結果なのでしょう。  かれらは常に良き仕事をしたいと願っています。  仕事ができるようになると、その3割ぐらいの部分は トリウム転換炉のような機構によって、魅力と愛嬌に転 換します。仕事ができるともてることもあるのです。  魅力の強烈な放射線は、色恋においてときにはきわめ て危険なものかもしれませんが。  またよい仕事とはひとえに、思考と行動の機動性です から、そのメンタリティが体型に良い影響をあたえるこ ともあるでしょう。  長身の前述のアンドロイドとしてのマネキンの所以で す。(淑女でもアンドロイドとはこれいかに:笑)  インテリはかんばせに惚れるといいますが、それは心 象第一主義の表れであり、それは性愛にも性別をあまり こだわらないことにもつながりますまた逆に、  人格のベースがほぼおなじという意味で向上のナルシ シズムが投影しやすい、という意味でいわゆるパートナ ーに同性を選ぶこともあるかもしれません。  そのような意味での同性愛的傾向とは、仕事ができる という意味で粘液からの離脱、氾共通言語的という意味 で、  強引な比喩かもしれませんが、機会言語としての人工 知能に近いものです。  その意味で同性愛者とは、ステンレスの骨格でできた アンドロイドのようなものといってもいいかもしれませ ん。  人類学からいえば、サピエンスは同性愛を肯定し利用 する方向にむかって進化してきました。  人体が基本無毛なのは、おそらく慰撫と親愛の目的へ の便宜のためです。  その結果としての経験の共有が、神経の発達への相乗 効果をも生んだのだと。  他の哺乳類にはあまりみられない、人体の白い肌とは、 筆者にはむき出しになった大脳皮質にみえます。      *  努力とは本来、準備役:えき:という意味で学生の義 務と特権ですが、それがこのような意味で男子校女子校 という慣例、の背景理由であった、ということはあるか もしれません。  欲深い憧れ、どんらんな向上心とは、現実があまりに も急峻な要請を突きつけてくることに対する必要な武装 行為です。  生存と貢献のためにこのようなことを身につけること は学生の本文ではあることでしょう。      *  まとめ#2  第一の謙虚 地球は宇宙の中心ではない  第二の謙虚 人間は猿の一種である  第三の謙虚 一般的には恒星間旅行は不可能である  第四の謙虚 我々は有機化学的に特異な存在ではない  第五の謙虚 あらゆる生命は終焉を迎える可能性がある      *  文学的な表現を許してもらえば、  これが神様の冗談というのなら、あまりにもたちが悪 すぎます。 (もちろんこれは、意識が高くなりすぎたわれわれ人間 が、いわば天体の項で書いたように、1対1億の分を超 えてまで認識を思い上がった、ばちのような効果なのか もしれません。  この意味では、確かに「神」というものは食えない存 在ではあります。  身分制社会では、庶民はいやしいとされてはいました が 他方兵役の義務は基本ありませんでした。 へりくだるというのは良い意味での逃げでもあります。)  バーナード・ショーとヴォネガットの言葉を借りれば 「この世は皮肉と悪い冗談でできている」  ということになるのでしょうか。  結びはもちろん、 「のまなきゃやってられねえぜ」  ということになります。  人生を肯定する黒質ドーパミン神経細胞は、壮年期に なると若い頃の4分の1に減るそうです。  人間が壮年期老年期を生きるためには、その分をアル コール:アセトアルデヒドで補填する必要があるそうで すが、それはしかしアミノ基と縮合反応するという意味 で生命維持に、必要なタンパク質を犯す毒物です。  ですからこれは喫緊に代謝分解が必要なのですが、  遺伝的にこれを分解する力が弱い人々も存在していま す。  筆者はむかし酒豪でしたが、最近は酒が弱くなって来 てそういうひとびとの立場がわかるようになってきまし た。(反省)  酒がのめないなら、一度死んで生まれかえったほうが いいと豪語したこともあります。  うまくすれば酒が強い生まれ変わりだけではなく、  すくなくとももっとマシな「宇宙」に転生する可能性 も、あるんでしょうか。  イスラムでは飲酒はおもてむき禁忌ですが、  ハイヤームはまあそんな固いことを言うなといったか どうか。      * 「まだ、半分ある」  ということに、希望をつなげて。 =========================  ファイルの終わり、  宇宙の終わり。ぎーおんしょーじゃのかねのこえっ。  (べべん) =========================